シンク&アリア①


 イニスタ湿原でのベヒモス戦、その最中にそれは訪れた。視界に広がる亜麻色の髪。ボクを庇った体は崩れ落ち、すぐに塊のような血液が溢れ落ちる。

 呼吸と思考が止まりかけて───即座に動いた。素早く身を返して地に伏しかけた体を支える。勝手に開いた口からは自分でも隠す気のない動揺に満ちた叱責が飛び出した。

「アンタ、何して……!」

「今の内に、離脱して……」

「……っ」

 声を飲む。そうだ、時間は無駄に出来ない。ちらりと視線を向ければ立ち上がった巨体は数多の闇の腕に絡め取られ、動きを止められている。あれを起こしたのはアリアだ。ベヒモスの爪を胴に受けても自分のすべきことをする───奥歯を噛み、選択する。

「───撤退だ!」

 お仲間共へ指示を飛ばす。応える声を聞きながら真っ赤に染まるアリアの体を抱え上げた。出血の量が多い。本当ならば止血だけでもしなくては動かすリスクがある。だが状況はそれを許さない。あの闇の腕が消えたなら、状況は悪くなるしかないのだから。

「アリア!」

「………………」

「チッ!」

 傷に少しでも響かないように抱えて駆けながら名を呼ぶ。返事はなく、意識がない。大量出血でショック状態に陥っている。この状態で意識がないことがどれだけ危険か、当然分かっている。頭の中を様々な思考が巡った。

 落ち着け。ベヒモスの視界から逃れたなら余裕が出来る筈だ。ヴァンの妹か王女が治癒術を使えば傷は塞げる───本当に、それで間に合うか?

 どちらもベヒモス戦で消耗している。精神力が尽きてロクな治癒術を扱えない可能性がある。大体、この見晴らしのいい湿原でベヒモスの視界から外れるのを待てば、どれだけの出血を見逃すことになるか分からない。

 この腕の中の体温が失われていく心地がした。

「……っ!」

 焦燥。足元が揺らぐような感覚があり、目の前が回りかけた。急速に広がり心臓を脅かすその感情に、選択肢はなかった。追い詰められるようにボクは口の中でそれを唱える。

 ボクには七属性の音素を扱う適性がある。だが第六音素と第七音素だけは適性が劣り、実用に耐えなかった。戦闘で十分な効果を示せる程の運用が出来ない。でも今はそれを頼るしかない。自分の劣化した適性に縋るくらいしか、焦燥に満ちた意識を取り戻す方法が思い付かなかった。

 治癒術なんて学んではいない。必要ないと切り捨てた。だが幸いにもダアト式譜術の中にもそれは存在し、知識としては知っている。適性の低いボクにどれだけの効果が生めるかは分からない。それでも詠唱を丁寧に行い音素に祈る。お前達はアリアを殊更に好む───なら、ボクに力を貸せ。お前達も失うことは本意じゃないだろ。

「───」

 震えかける息で詠唱を終えれば、第七音素が応えて振動する。アリアの胴を抉った深い傷に集い、淡い光で覆う。一般的な治癒術の光にしては弱々しい光。それでもそれは拡散されない。きちんと集まり輝きを維持する。簡単な止血くらいは出来る、筈だ。

 アリアを抱える腕に力がこもった。自分に出来ることがそれっぽっちだということが胸を刺す。それでも今はその弱い光が消えていかないよう意識を傾けた。傷を塞ぐ動きはきっと遅々としたものだ。ボクが劣化しているせいで治してしまえない。その事実が突き刺さって、抜けない。

「……っ」

 悪態を吐く余裕すら今のボクにはありはしなくて。ただその温度が溢れ落ちていかないよう、駆り立てられるように祈りを捧げることしか出来なかった。







*****







 ボクの頼りない術はアリアの傷を簡単にでも塞いでいた。お陰で出血は多少抑えられたが、それでも一度ショック状態に陥った体は危険な状態だ。安全な場所でヴァンの妹と王女が治癒術を掛けたが、予期した通り消耗が酷く大した効果は生めなかった。すぐに最寄りの街に移動し医者に預ける。

 治療が終わり容態が落ち着くまでの時間をじっと耐える。待機室の壁に背を預け一歩も動かないボクにお仲間共が何かを言ったが全て無視した。全て、煩わしい。

 そうしてどれだけの時間が過ぎたのか。やがて医者が現れ、治療を終えたと伝えられる。輸血も行い容態が安定したから連れ帰っていいと。傷は深かったが止血が早かったために大事には至らなかった、と。

 それに少しだけ安堵をして。

 少しだけ、胸の苦しさが緩和されて。

 ボクは誰にも譲らずアリアを抱え上げて宿へ運んだ。傷に響いてしまわないよう気を付けながらベッドへ横たえた。誰と言葉を交わす気も湧かず、ただベッド脇に椅子を一つ置き、足を組むとそこに陣取る。目を離すつもりはなかった。

 そのボクの様子にお仲間共も何かを判断したらしく、静かに退室した。残されたのは深手を負って眠るアリアと、それを仮面越しに睨み付けることしか出来ないボクだ。腕を組み、胸にわだかまるその重たい何かを意識する。

(───どうして)

 もたげる問い。自身の指先に力がこもり、組んだ腕の袖に皺を寄せる。苛立ちがあった。不快感に似た何かがあった。焦燥に駆り立てられた心臓は、未だ緊張を覚えているかのように動きを鈍くしている気がする。息が、いつものように吸えている気がしない。噛み締めた奥歯が嫌な軋みを伝える。

 何故、ボクなんかを庇ったのか。ボクはアンタの護衛役なのに。護衛対象が盾を庇っては意味がない。アンタを護ることが今のボクがココにいる理由だ。役目を奪われて、果たせなくては役立たずに違いない。

「アンタは、」

 苦々しくて呟きが漏れる。声にしてしまわないと堪えられそうにない程の感情が、胸の内にある天秤を不安定に揺らす。吐き出して、形にしてしまわないと呼吸が苦しい。胸が、詰まってしまう。

「アンタは……ボクと違うだろ」

 溢れ落ちる言葉にどれだけの意味があるのか。自分でも分からない。ただ苦しくて形にしているだけだ。何を言いたいとか、表したいとか、そういうものはない。頭を働かせて口を開いてはいなかった。でも、

(───アンタは、違う)

 ボクと違って、「生きる」ことを知っている命だ。過去ばかり見ていたボクとも違い、今しかないボクとも違う。未来が見られる命だ。生きる理由が、価値がある。生きている意味を知っている───ボクと違って。

 こんな風に、価値のないモノに安易に使っていいモノではない。

「………………」

 その感情が何なのか分からない。煩わしくて、気持ちが悪くて。重く、固く、ボクの胸を塞ぐ。息が苦しくて───生きていることが、苦しくて。

 ボクなんか死んだっていいのに、と。

 胸の内に鉛を飲んだような鈍さが広がった。







*****







 アリアは目覚めてすぐに動こうとする。それを見咎めて体を休めるよう催促した。そうして横になるのを手伝ってやれば、アリアは一言目にそれを選ぶ。

「シンクは? 怪我ない?」

「……ないよ」

「よかった」

 安堵を見せる。その様に胸の不快感が存在を主張する。自分こそ酷い怪我を負ったのに、最初に気に掛けたのはボクのこと。ボクの体に傷がないかを確かめる。ないと聞けばそれで十分だと言うように表情を緩ませる。それが、酷く、腹立たしい。

「なんでボクを庇った」

 苛立ちが口から出ていく。「どうして」……その問いはずっとボクの内に居座っている。重たく、固く、感触を残して。鉛のように。

 アリアはいつものように瞬きをした。

「なんでって……」

「ボクはアンタの護衛役だ。アンタの矛であり盾だ。アンタが身を挺しちゃ意味がない」

「……うーん」

 ボクの言葉は正しい筈だ。なのにアリアの行動は異なって、問い詰めるボクへの答えに頭を悩ませてさえ見せる。出てきた言い訳は、言い訳にしても程度の低いモノだった。

「咄嗟にさ。体が動いたんだ」

「……なんで」

「分かんない。君に傷付いて欲しくなかったんだと思う」

「………………」

 理解が、出来ない。戦いの中で判断を誤れば命を落とす。そんなことはアリアも分かっている筈で、判断を間違えたことは今までなかった。それなのに、どうして今回は……ボクを庇うことに関しては、正しい判断を行えなかったのか。

(……傷付いて欲しくない?)

 ボクを庇護すべき存在と誤認している、なんてこともない。返された答えはただ、理屈のない感情を起点にしたモノ。どうして、と問いが胸の内で重なる。ボクなんか幾ら傷付いたって構わない。アンタが傷付くより余程どうでもいい。

 死なないで欲しい、と伝えられた。それと傷付くことはイコールではない。死なない程度の傷なら問題はない筈だ。ボクが傷付くことを、アリアが厭う意味が分からない。

「シンク」

 思考が淀むボクの名をアリアが呼ぶ。それで意識が持ち上がる。そこに在る、ボクを認める瞳を確かめて呼び掛けに応える。

「……なに」

「仮面。外して」

「なんで」

「お願い」

 理由なんてない、ただの願いだった。聞いてやる理由なんてない。今表情を見られることはボクにとってデメリットがあるような気がする。自分が今どんな顔をしてしまっているか分からない。でも。

(……息が)

 詰まる、ようで。

 望まれることが、その重みを軽くしてくれるような錯覚があって。

 生きていることが苦しいから。

 ただ、アリアの前で呼吸を許されたくて……仮面を静かに外した。

「………………」

 視界が広がり、明るくなる。仮面に妨げられていたからといって何かが変わることなんかない。そう思うのに、そうして自身を偽らずに晒してしまえば、少しだけ呼吸がしやすくなった気がしてしまう。……何の因果があると言うのか。

「……シンク?」

 ボクの表情から何かを読み取ったのか、疑問を覚えるようにボクの名を呼ぶ。その顔を直視できないまま、視線を下げて彷徨わせたまま、ボクは胸の内にあった言葉を溢す。

「ボクなんか……庇わないでよ」

「……どうして?」

「………………」

 答えられない。自身の内にあるその感情を言葉に代えられる気がしなかった。伝えたいとも思わない。ただ酷く気分が悪くて、居心地が悪いだけ。庇われることが───その事実が、堪えがたい。

「同じ状況になったら、多分また庇うと思う」

「やめてよ。いつから自己犠牲が好きになったんだ」

「そんなつもりはないよ。ボクはただ君を護りたいだけ」

「何のために」

「何のために?」

 繰り返される瞬き。ボクの問いを想定していなかったと素直に伝えられる。分からない。行動には理由がある。戦いの中で身を挺するなら相応の理由がなくては成り立たない。自殺志願者でもない限り、自分の命というのが誰だって何より優先されるモノの筈なのだから。

 なのに。ボクの側には理由がある、と伝えても。アリアの側から理由は提示されない。理屈もなく庇ってしまった───その、信じられない現実だけが証明される。

 吐き出さずにいることが堪えがたい程に気持ちが悪くて、唸るようにその想いを形にした。

「アンタはボクを庇うべきじゃない。───こんな、生きる価値も知らない命なんて」

 アリアは。

「ボクはさ。シンクに傷付いて欲しくない」

 ボクの言葉を否定するのではなく。

 ただ、自分の答えを口にした。

「体の傷だけじゃないよ。君が君を傷付ける言葉だって、なければいいと思う。ボクは君に温かい場所にいて欲しい。なんでもない、毎日にさ」

「……なにそれ」

「なんだろね。……でもさ。理由なんかないんだ。ボクがそう思うのは、何かのためじゃない。ただ自然と、当たり前に願ってる」

「意味が分からない」

「だよね。だから事実だけ覚えておいて。ボクは───君が傷付かない世界がいい」

「………………」

 分からない。理解が出来ない、ですらない。伝えられた言葉が飲み込めない。何を言われているのか、何を伝えられているのか、何も分からない。

 ボクが傷付かない世界。

 そんなものに、何の価値が。

(……やめろ)

 聞きたくない。知りたくない。認めたくない。そうして示されるモノへの理解を拒む。

 聞いてしまったら、知ってしまったら、認めてしまったら。ココに在ることが、余りに滑稽で。

 ダアトで過ごす内に伝えられた言葉がある。身も心も捨てさせないと、尊重されて生きて欲しいと。

 それと、きっと今アリアが口にしたモノは近しい場所に在る。アリアはボクを使い潰さない……「優しく」在ろうとする。



 ───どうして?



「シンク。手、握って」

「は?」

 その要求は唐突に差し挟まれた。戸惑いから引き戻され、ボクの口は勝手に応える。意図の読めない願いに真意を問おうとする。けれど、アリアはただ表情を緩ませてボクを見上げるばかりで。

「いいじゃん。ご褒美ってことで」

「こんなことがご褒美になるの?」

「うん」

 さっぱり理解が出来ない。ボクの手なんかを繋いで何の意味があるのか。アリアは今幽霊の類いに怯えているわけでもなければ、人混みの直中にいるわけでもない。二人きりの部屋でその手をボクへ差し伸べているだけ。ボクへ───ボクだけに。

「………………」

 躊躇いながら、触れさせる。指先が絡み付き柔らかく繋がれる。ボクを「生」へ繋ぎ止める手。それは幾度と、諦め悪くボクを望む。

 黒手袋越しに温度が伝わり、それが違うものを伝えている気がしてくる。知らない、知りたくない。許されたくも認められたくもない。「生きる価値を知らない命」───そのままで、ボクは全く構わないのに。

 そうして求められてしまえば、庇われた事実と同じように目を背け続けることは難しくて。

 触れた温度が、境界を揺らがせる。







 ここにいる、と。

 伝えられる熱が、ボクの生き苦しさを和らげた。
4/9ページ
スキ