シンク&アリア①
旅の途中、グランコクマに立ち寄った。
宿を取り、買い出し当番はアイテムを買い足すことになる。それは交代で行っており、丁度ボクとシンクの番だった。兎角そんなわけで、ボクらはグランコクマの街を二人で歩くことになる。
*****
「なんか人多いね」
「はぐれないでよ。探すの面倒なんだから」
「気を付けてますぅー」
隣からの念押しに応えつつ歩く。グランコクマの街は道が広いのもあり、あまり混み合うイメージがない。でもその日はなんだか人の出入りが多くて、余所見をしていると誰かにぶつかってしまいそうだった。
買い出しメモをちらりと見て確認する。特に珍しいものは書かれていない。普通の店で見付かるものばかりで助かる。
「道具屋と食材屋で事足りそう」
「そ。ならさっさと済ませるよ」
「あれ、早く帰りたい?」
「人混みにうんざりするんだよ」
心底嫌そうな声で答えられ、それはそうかと納得する。シンクは基本的に騒がしい場所や煩わしい環境が嫌いだ。当然人混みだって好きではないだろう。かくいうボクも人混みは苦手な方だ。人を避けるのは得意なのだが、情報量が多くて気疲れしてしまう。
お互いのために早く帰れるように努力しよう、と思っていると不意に腕を引かれる。そのまま強い力で温もりに包まれる。びっくりして瞬きをするのと、目の前を馬車が通っていくのは同時だった。
はぁ、と溜め息が頭の上から降ってくる。
「轢き殺されたいの?」
「ゴメン、ちょっと違うこと考えてた」
「この人混みで? 随分余裕じゃない。なんなら一人で買い出しする? はぐれても探さなくて済むからボクは助かるんだけど」
「ごめんて」
重ねて謝罪する。うっかり馬車に轢かれるところだったのを、シンクに引っ張られて助かったらしい。ぎゅうと腕の中に抱き込まれており、そこから見上げれば目が合ったらしくシンクが仮面の奥でたじろいだ気がする。
「シンク?」
「……なんでもないよ」
少しぎこちなく体を離される。去っていく温もりに咄嗟に手を伸ばす。右手でシンクの左手を捕まえる。黒手袋越しに体温を渡せばシンクが動きを止め、ボクの方を向いた。
「……なに?」
「この人混みだからさ。はぐれないように」
「アンタと往来で手を繋いで歩けって?」
「理に適ってるでしょ」
至極当然に返せばシンクは唇を引き結んで閉口した。何を考えているか仮面越しでは分からない。ただ数秒沈黙を挟むと、くるりと進行方向を向いて歩き出してしまう。慌てて歩調を合わせて隣に並ぶ。手は……振り払われはしなかった。
「先に食材でよさそう。アルビオールのお陰で野営する機会が減ってるから、あんまり不足がないみたい」
「ガルドに余裕もあるからね。宿に泊まれる足があるならわざわざ野営なんかしないよ」
「危ないし、火の番も要るからね。まぁボクは野営嫌いじゃないんだけど」
「へぇ。普通女は野営が嫌いなものじゃないの?」
「普通はそうかも。お風呂とかお布団とか、気になること多いだろうし」
「アンタは気にならないって?」
「全く気にならないわけじゃないけど、慣れてるから」
これでも気付いた時から師と二人旅をしていた根っからの旅人だ。風来坊な生活に不満など抱きようもない。別段師の懐が寂しかったわけではないのだが、あの通りいい加減な人なので野営する方がずっと多かった。
そんなことを思い出しつつ、野営が嫌いでない理由を口にする。
「星がさ。見えるから」
「アンタに星が分かるの?」
「詳しくはないよ。旅人として必要な知識くらいしかない。でも眺めてるの結構好きなんだ」
「無為な時間を過ごす趣味があったとはね」
「言ったね? 今度野営したら星の話に付き合ってもらうから」
「よく嫌がらせをすぐに思い付くねアンタ。体力の無駄だからやめてくれる」
あれやこれやと言い合いながら通りを歩く。大概が下らない会話だ。でも実のない話が出来る方がずっと気が楽で、ボクはシンクと言い合うのが割合好きだ。シンクの方もなんだかんだ付き合ってくれるので、ボクとの会話を嫌ってはいないと思う。わざわざ聞かないから知らないけれど。
やがて食材屋に辿り着き、店内へ入る。ここからは演技が入ってくる。感じの良い客のフリを心掛ける。
「いらっしゃい! 何をお求めで?」
「えっと」
メモを見ながら、書かれているより少ない品数を口にする。それから雑談を振り、最近の景気などに触れ同情的に振る舞った。
「んー、じゃあコレと……ソレ。こっちも貰おうかな」
さも今目につきましたというように、元々買う予定だったもの達を指し示す。当然店主は驚いた顔をした。
「いいのかい、お客さん? 随分荷物が増えちまうよ」
「だいじょぶだいじょぶ。……あ、コレ傷んでるね。貰うよ」
「本当かい! 助かるよ。うぅん……これだけ買ってくれて、気遣いまで貰ったんだ。安くしとくよ!」
「ホント? ありがと」
善意百%にしか見えない笑顔で礼を告げる。店主が一度奥に引っ込んだ隙に隣からシンクが言葉を投げてきた。少し感心した様子だ。
「へぇ。アンタ結構知恵が回るんじゃない」
「馬鹿正直に買い物するわけないよ。お財布は大事にしないと」
「その調子で道具屋でも値切ってよね」
「道具って食材と違って時価って考え方が弱いんだよねぇ」
「まぁ、仕入れ元からの上がりで計算されてるからね。戦争でもあるなら時価も動くだろうけど、安上がりにするのは難しいだろうね」
「ねー」
などと話していれば店主が戻ってくる。すぐに感じの良い客に擬態し、ボクが伝えた商品が袋に詰められるのを見守った。そうしていると話しやすい客だと思われたのか、店主から雑談が振られる。
「二人は恋人かい? ここへは観光で?」
「───そんなとこ。噂通りの水の都で素敵な街だよね。どこにいても涼しい音が聞こえてくるし」
「そう! この街は眼で見ても耳で聞いても水を感じられるんだ。景観だけで重要文化財になるんじゃないかねぇ」
「宮殿も素敵だしね。普段なかなか見られないから、この期にあちこち見て回るよ」
「良いねぇデートだ。若い時間は一瞬だ。楽しい時間になることを祈ってるよ」
「ありがと」
ボクが礼を告げ、シンクが支払いを済ませる。そのまま店の外へ出て道具屋へ向かい始めれば、隣から微妙そうな声が寄越された。
「なんでさっき否定しなかったの?」
「何が?」
「アンタとボクが恋人だって」
「否定した方がよかった?」
「……別に、どうでもいい。普通は女の方が気にするんじゃないの? アンタは気にならないワケ」
「うーん。特には気にならないかな。恋人だと思うと甘くしてくれる店もあるし、色々便利だよ」
「……そう」
それがどんな意味合いを含んだ相槌だったのかは分からなかった。特に感情が読み取れる程のものはなく、温度としては平温だ。一体何が気になったのだろうと思いつつ、道具屋への道を進んだ。
*****
道具屋での買い物も済ませ、店先でシンクが会計を終えて出てくるのを待っていた。のんびり雲でも眺めていれば、唐突に声が掛けられる。見覚えのない二人組の青年だ。
「お姉さん、一人?」
「何してるの?」
「………………」
心の中の第一声は「あ。面倒臭い」だ。暇そうに見えたのだろう、それ自体は間違っていない。でもこっちは僅かな暇を潰しているだけであり、見知らぬ青年達のお喋りに付き合うほど暇というわけでもない。自分達が暇だからって付き合わせようとするのはやめて欲しい。
愛想よくする気も湧かなくて小さく息を吐いた。
「えぇ? なに、お姉さん。俺達に声掛けられて溜め息吐いたの? 勿体無いよ、綺麗な顔してるんだからさ」
「そうそう。もっと愛想よくしなよ。その方が俺達も話してて楽しいしさ」
「ああはい、そういう感じね」と心の中で把握する。女はニコニコ愛想よく男の機嫌を取ってろ、と思ってるタイプの男性か。見た目で人を判断するのも違和感はない。見る目だけはないみたいだが。
さて、どうしよう。追い払う方法は数多あるが、面倒臭くて手間を掛けたくない。とはいえ短絡的な解決を図れば街中で騒ぎを起こしてしまう。それはあんまりよくないよなぁ……。
などとぼんやり思考をしていれば、すぐ側で店の扉が開いた。予感がして振り返れば、期待通りそこにはボクの護衛役の姿がある。彼は仮面の向こうからボクとその周囲を確認すると、ボクが吐いたみたいに小さな息を吐き出した。やめて欲しい、ボクがトラブルを呼び込んでるみたいなリアクションは。
シンクは前へ進み出て、ボクの肩を抱き寄せると青年達に剣呑とした声を向けた。
「うちの連れに何か用?」
「げ、男連れか」
「ちょっと道聞いてただけだよ。彼氏さん厳しいね~」
「お姉さん、ありがと。またね☆」
適当に誤魔化し、へらへらと笑って青年達が退散する。それを僅かに見送って、さっさと目を離してしまう。あんなものを視界に収めていては眼が腐ってしまう気がした。代わりにボクを助けてくれた彼を近い距離から視界に入れた。
「ありがと」
「自分で追い払ってくれない? ボクだってメンドクサイんだけど」
「自分でやると騒ぎにしちゃいそうだったから」
「……何言われたの?」
「大したことじゃないよ」
答えつつ肩を離され適切な距離に戻る。そのままシンクの持つ包みへ視線をやり、話を変えてしまう。
「買い物終わったなら帰ろっか」
「異論はないよ───ホラ」
声と共に黒手袋の手が差し出されて、瞬きをする。ボクらは片手に荷物を抱えてて、もう片方の手が空いている。それはそうして差し出せば繋ぐことが出来るものだけど……どういう心境の変化だろうか。ボクの側から提案した時は一定嫌そうだったのに。
思わず仮面を見詰めれば、シンクは仕方がなさそうに理由を述べてくれる。
「帰りになって迷子になられても迷惑だからね」
「流石に一人でも宿には戻れるよ」
「アンタが言ったんでしょ、恋人のフリをしてると色々と便利だって」
「? うん」
「それに則ってやるだけだよ」
「???」
どういう繋がりがあるのかよく分からなかった。首を傾げていれば、ボクの右手がシンクの左手に拐われる。そのままきゅっと繋がれて、決して弱くはない力で引かれた。行きはボクから繋いで、彼は握り返しもしなかったのに。
変なの、と思いつつ大人しく引かれて隣を歩いて帰路に着く。手袋越しの感触は、少し心強くて。嫌いな人混みの中にいるのに、あまり気にならなかった。
*****
宿への帰り道に、不意に空から雨粒が落ちてきた。それは少しずつ量を増し、ボクは少しだけ逡巡する。ボク一人なら強行突破する程度の通り雨だ。でも今はシンクと一緒にいるわけで。ボクの適当さに彼を付き合わせるのは流石に悪くて、提案した。
「雨宿りしていこっか」
「少し濡れるくらい問題ないよ」
「まぁまぁ」
繋がれたままの手を都合よく引いて、近くに見えたカフェへ引っ張り込む。少し濡れてしまった分は音素に頼って乾かしてもらって、有無を言わさず入店する。幸い同じように雨を逃れてやってきた客はボクらより後ろで、特に待たされず席へ通された。
窓際の二人席に腰を落ち着ければ、嘆息と共に感想が一つ飛んでくる。
「アンタって強引だよね」
「行動が早いって言ってよ」
「人の話を聞かないって言ってあげようか?」
「まぁ正直全部自覚はある」
「短所の話をしてるんだよ」
全然悪びれないからか呆れられてしまう。呆れられたって我が振り直そうとはならないので、あまり効果はない。それはさておきメニューを開き、二人で見られるように真ん中に置く。と、苦情がある。
「メニューの数は足りてるんだけど。なんでわざわざアンタと覗き込まなきゃいけないのさ」
「いいじゃん。一緒にメニュー見るのも醍醐味だよ」
「……ああ、そう」
明らかに面倒臭くなって受け入れた声音だったが、結果よければよしとする。ボクは人とカフェに来たなら同じメニューを一緒に眺めてわいのわいのと言いたいタイプだ。それぞれなんて味気ない。
とりあえず飲み物を見ようとして、カフェの定番であるケーキセットの見出しが目に入る。クラシックなチョコレートケーキに、七層のチーズケーキ、季節のモンブランに、紅茶のシフォン、苺タルト……抹茶のロールケーキも悪くない。
「おお……美味しそう」
「よくそんな甘い物が食べられるよね」
「甘い物嫌いだっけ?」
「───別に。興味ないだけだよ」
返ったのは単なる否定だ。でもボクは直感が働いた。シンクの性格上、嫌いなら構わず「嫌い」と答えた筈だ。興味がない、ということは「嫌いではない」という温度感でいいと思う。好んで甘い物を食べるところも見たことがないので好物というわけではないのだろう。でも嫌いでないなら、巻き込んでしまえ。
「シンクも何か頼もうよ。で、シェアしよ」
「は? なんでわざわざそんなこと」
「コレを見てどうぞ」
そう言ってメニューの間に挟まれていた案内を見せる。そこには可愛らしい文字で「恋人割」の文字があった。
「……なにコレ」
「恋人同士のシェアを前提にケーキを頼むと安くなるみたい。集客目的のフェアみたいなもんだね」
「コレにわざわざ乗せられてやるって?」
「都合いいじゃん」
「どこが」
「実は食べたいケーキが二つあり、一つに決められない」
「一人で二つ食いなよ」
「出来なくはないけど勿体無いって」
「なにが???」
本気で意味が分からないと言いたげな声音で問われてしまう。そうか、シンクにこの気持ちは分からないか。言葉にして伝わるかも分からないが、伝える前から諦めるものでもない。一応は言葉にしてみる。
「シンクとカフェでお茶なんてさ、滅多にないから。ボクだけでなく、シンクにもこの時間を楽しんで欲しいなって」
「言っておくけどボクはアンタに付き合わされてココにいるんだからね。ボクが希望したわけじゃない」
「分かってるよ。でも折角ならさ。ね?」
「……好きにしなよ」
仮面の向こうで深々と溜め息を吐かれてしまった。そのまま彼は片肘をつき、視線を窓の向こうへ向けてしまう。
一緒にメニューを選んでくれればいいのに、と思ってからはたと気付く。「好きにしなよ」───ボクの食べたいケーキを選んでいい、ということか。伝わりにくい気遣いに少し遅れて気付き、頬が緩んだ。
「ちょっと。だらしない顔しないでくれる? 一緒にいるボクの品性まで疑われる」
「ふふ。今は恋人だから余計に致命傷だね」
「人の不幸で嬉しそうにするな」
「飲み物、何がいい?」
「……ブラックコーヒーでいいよ。どうせ甘い物を食べさせられるんだから」
「うん。じゃあ頼んじゃうね」
そうしてボクの我儘を諦めと共に受け入れてくれる姿勢が、なんとなく嬉しい。ボクの知る限り、シンクは嫌なものは嫌だと拒絶するタイプだと思う。でもボクが言い出したことに関して、徹頭徹尾拒絶することはあまりない。ボクの我儘が可愛いものだという説もあるけれど、それ以上にシンクがボクに対して甘いのだと思う。どうしてか、なんて知らないけれど。
そうして甘やかされることが、なんだかボクは嬉しくて。日々、些細な我儘を言いたくなってしまうのだから、仕方がないと思う。
*****
他愛もない雑談をしているとケーキセットが二揃い、無事に届いた。ボクが頼んだのはブラックコーヒー、ハーブティー、七層のチーズケーキ、抹茶のロールケーキだ。コーヒーとロールケーキはシンクの側に置かれ、残りはボクの側に置かれる。
見た目からして品がよく、どちらも美味しそうだ。ロールケーキは深い緑の色で、抹茶の粉がトッピングのように飾られていた。チーズケーキの方は名前の通り七層になっており、全て違う種類のチーズが使われている。白から淡い黄色へグラデーションを見せている様が見目に良い。食べてしまうのが勿体無い。
「この見た目を残せたらいいのにね」
「残して何になるのさ」
「後から見返せるじゃん。思い出の形によくない?」
「ハッ。随分女々しい趣味だね。生憎ボクは興味ないよ」
「もー」
意外では全然ないけども。誰かに迷惑を掛ける趣味というわけでもないのだし、そんな風に言わなくたって良いだろうに。ボクが同意を求めたのが間違いと言われればそれまでではある。
兎角、満足するまで眺めてから食べることにする。自分の前に置かれたチーズケーキを一欠片拾い上げ、口へ運ぶ。臭みのない、まろやかで甘味と酸味が絶妙なバランスを保った味わいが届く。端的に、美味しい。眼が輝いた自覚があった。
「お、美味しい……」
「そう」
「シンクも食べてみなよ」
「要らない。元々アンタが食べるために頼んだんだろ」
「シェアしないと意味ないんだって」
「……あったね、そんな話が」
僅かに声に苦みが滲む。思い出したくなかった、もしくは忘れたままでいたかった様子だ。頼んだ時点でシェアは確定していたのだから、忘れたところで無駄な足掻きだと言うのに。
なんて思っていれば、シンクはじっと自身の前に置かれたロールケーキへ視線を落とした。それからフォークで一口分を取り上げる。───それが、ボクの前へ差し出された。
「ハイ」
「……えぇと」
「シェア。するんでしょ?」
「するけど」
「なら食べなよ。アンタが言い出したんだろ」
言い出したけど。言い出しっぺはボクだけど。シンクの手ずから食べることになるとは思っていなかった。顔を見れば仮面の下から意地の悪い笑みが覗いている。ボクを困らせて楽しいのだろう。完全に嫌がらせか悪戯をしている人間の表情だ。
でも、シンクの読みは甘い。ボクがこんなことでたじろぐと思っているなら可愛いものだ。少々面食らいはしたが、この程度のことに恥じらいを覚える人間ではない。横髪を押えると少し身を乗り出し、ぺろりと食べてしまった。
「んん……美味しい。抹茶の苦味と甘味がフュージョンしてて、深みのある風味が仄かに香って最高だ」
思わずすぐに感想を口にしてしまう。口の中に広がった抹茶の香りが味わい深い。堪能していれば、正面にある顔が面白くなさそうにしている気がした。そんな顔をされましても。軽く息が吐かれる。
「どういう神経してるのさ」
「この通り図太いです」
「ホントにね。アンタ、何なら恥を感じるワケ?」
「やめてよ、ボクを恥を知らない人間みたいに言うの」
「その通りだろ」
ボクを最も身近から見てくれているだろうシンクに言われてしまえば、おしまいな気がする。そんなに恥知らずだろうか。自分ではイマイチよく分からない。
頭を軽く悩ませながら、手元のチーズケーキを一口分削り取る。そして当たり前にそれをシンクの前へ差し出した。シンクの動きが止まる。
「はい、お返し」
「……意趣返しのつもり?」
「全くないとは言わないけど、違うよ。シンクにも食べて欲しいって言ったでしょ」
「なら勝手に食べるよ。アンタに食べさせられるなんて冗談じゃない」
「え。もしかして恥ずかしい?」
「……は?」
先程までのやり取りに倣って問いを掛ければ、苛立ちのある声が返る。にっこりと煽るように微笑んで挑発を重ねる。
「さっきの会話からするとそうなのかなって。そっかぁ、ボクは恥ずかしくなかったけど、シンクは恥ずかしいんだ」
「………………」
「違うなら食べれるよね。なんでもないんだから」
追い討ちを掛ければ───シンクは、動いた。フォークを握るボクの手首を掴んで引き寄せると、噛み付くようにチーズケーキを奪い取る。ぺろり、と赤い舌が唇を濡らす。
「ゴチソーサマ」
「……わぁお」
離された手首を思わず素早く引っ込めてしまった。なんか、教育によくないものを見てしまった気がする。よく分からないけど。
「あ、味はどう?」
「まぁまぁだね」
「コレでまぁまぁって」
「褒めてるだろ」
「う……うーん……?」
そう、なのか……? 確かに貶してはいない。貶してないなら褒めている……のかもしれない。シンクのワードチョイスはボクには難しい。
口の中が甘くなったからか、シンクはコーヒーを傾けていた。ボクもそれで存在を思い出し、ハーブティーを飲むことにする。温かさとハーブの香りが気持ちを落ち着けてくれて、ほっと息を吐く。
なんかよく分からない攻防があった気もするが、一旦忘れよう。どちらが勝ったのかも分からない。
「それで」
「うん?」
「こっちのケーキはもういいの?」
こっち、と言ってシンクはフォークで自身の前にあるロールケーキを指す。お行儀は悪いがボクも似たようなものなので特に言わない。
「うん。一口貰えたから。ありがと」
「そ」
ボクの答えを聞くと、さっくりとフォークを刺して食べ進め始める。ボクが食べたがると思って手をつけていなかったのだろうか。こういうところが気遣いが細かいというか、案外と律儀というか。
逆にボクの側も問いを掛ける。
「シンクこそ、チーズケーキはもういい?」
「シェアはしたでしょ」
「はぁい」
あくまで「恋人割」のために食べさせ合った、という主張らしい。いや、別に食べさせ合えなんてどこにも書かれていないのだけど。先に始めたのはシンクなので、ボクに責任はないものとする。
ボクもチーズケーキを食べ進めながら雑談を振る。
「シンクってあんまり食べ物にこだわりない?」
「ないよ。余程不味くなければ食べるし、食べられればいい」
「栄養補給以上の意味は見出ださない?」
「当たり前でしょ。食べる必要がないならわざわざ食べないよ」
活動するのにエネルギーが必要だから仕方がなく食べている、と言っている気がする。その割りにボクが野営で料理当番の時にリクエストを聞くと伝えてくれるのだが……それが好物だという認識が本人にもないのかもしれない。美味しいか不味いかくらいの二元論で判別していそうだ。
今まで伝えられたリクエストを振り返ると、ボク程ではないが甘味寄りの味覚だとは思う。味の濃いものは好まず、さらっとしたものや自然な味を好む印象があった。塩味も意外に好む気がする。
そんなことを思っていると、「でも」と小さく言葉が続けられた。
「最近は……前よりは食事に関心があるかもね」
「へ。なんで?」
「さぁ?」
肩を竦めて誤魔化されてしまう。それは意図的に伏せられたとしか感じられず、意地悪だ。シンクにとって食事の価値が変わる出来事があったなら興味があるのに。
食い下がっても教えてくれる気がしなくて諦める。その少し惜しい気持ちを、喉を潤すハーブティーと共に飲み下した。
*****
カフェでのんびり過ごしていれば、通り雨はすっかりどこかへ行ってしまっていた。陽が落ちるほど遅くはなっていないが、傾きだして空と海が夕焼けの色を覚え始めていた。
支払いは預かっていたパーティーの共有ガルドから済ませてしまう。ボクの値切りで浮いた分だし、買い出しに出たから雨に降られて雨宿りをすることになったのだ。手間賃として払って貰うこととする。
帰り道、ボクは当たり前のようにシンクの左手を絡めとる。仮面がこちらを向いて意図を問うけれど、ボクはただ「なんとなく」と頬を緩めて返した。今日はなんだかんだ一日繋いでいたし、そういう日のような気がする。
そういう日───恋人のフリをする日だった。といっても大したことをした覚えはない。恋人らしいことをしようと思えばもっと出来ることはあっただろうが、ボクもシンクもそんなことに関心はない。精々、一見したら恋人と勘違いするくらいの擬態が限界だ。
そしてそれに、特に不満はない。ボクは恋人なんて関わりよりも……一つの言葉に当てはめられない、今の関係が大事で居心地がいいのだから。
「こういう時間が過ごせるなら、買い出し当番も悪くないかもね」
「重い荷物を持たされて雨にまで降られて出てくるのがその感想って、どこまで奴隷根性なのさ」
「君、遂にボクをお人好しから奴隷根性に格下げしたの??」
「ハッ。似合いだろ」
全く何も似合いでないのでやめて欲しい。風評被害だ。そもそもお人好しという評価から納得していない。ボクほど損得勘定で動く奴もいない……とまでは言わないが、倫理や道徳と遠いところにいる自負はある。ボクのどこがお人好しだと言うのだろう。
問えば「自覚がないなんてカワイソウだね」なんて哀れまれてしまいそうなので、問うことも出来ない。全くなんて話だ。
「ね。シンク」
並んで歩きながら呼び掛ける。ボクとシンクが隣り合っているように、夕焼けに生み出された影法師も隣り合って見える。それへ視線を落としながら、穏やかに問い掛ける。
「君にとってはどうだった? 今日一日の時間、価値はなかったかな」
「……さぁね。考えたくもないよ」
「ふふ。そっか」
考えたくもない───どうでもいい時間だったとは思えてない。それがどんな意味の時間だったかは分からない。でも少しでも、君とこの世界を繋ぐ思い出になったならいいと思う。ボクに出来ることは、隣で手を引いて世界を広げる手伝いをするくらいでしかないけれど。
君に、この世界で生きていて欲しい。
「次の買い出し当番も寄り道しようね」
「いちいちボクを巻き込まないでくれない? アンタ一人で楽しめばいいだろ」
「やだよ。君と一緒がいい」
「……ああ、そう」
うんざりと。そうしてボクの我儘に諦めを覚えてくれるのが嬉しくて。ボクにどうしてか甘い君が優しくて。繋いだ手が、振り払われないのが居心地よくて。
ボクはまた、君に甘えてしまうのだろう。
恋人なんかより、ずっとずっと甘い関係だ。