テセレマ&アリア


 夜更け、教会を彷徨っていると礼拝堂の扉が開いていることに気付いた。廊下に音素灯以外の明るさが差し込んでおり、ボクは光の元を辿る。

 そういえば、今晩は満月だっただろうか。扉に近付き中の様子を見れば、人影が一つ、天井まで届く鮮やかなステンドグラスを見上げているのを見付ける。その背には見覚えがある。白い法衣に、頭に揺れる導師の証。

「テセ?」

 名前を呼べば、彼は驚いたようにボクを振り返った。月光に照らされた緑の髪が、銀糸みたいに煌めく。部屋に滑り込み、扉を閉めるとテセはボクの方へ駆け寄った。

「アリア! どうしてこんなところにいるんですか?」

「あ。しまった」

 指摘されてから気付く。今のボクは皆の記憶から消えて、まだ教団内に立場がない。下手にうろついて誰かに見付かるわけにはいかない存在だった。うっかり声を掛けてしまったが、部屋から抜け出ていることを気付かれてはいけないのだった。自分の阿呆さに頭が痛い。

 見れば、テセの顔には心配がある。何か理由があって出てきたと思っているのだろう。今にボクがただ抜け出したと気付いて眉を上げる筈だ。誤魔化さなくてはならない。

「え、え~と……」

「……まさか」

「て、テセこそ何してたの!?」

 誤魔化し下手にも程がある。自分でもそう思うが、こればかりは才能がないのだ。最初から騙すつもりの相手なら幾らでもやりようがあるが、こういう時は違う。ここですんなり嘘をつけるような人間には、なりたくない。

 ボクの誤魔化しを受けたテセは、眉を下げて小さく息を吐いた。世にも珍しい、テセがボクに呆れている図だ。

「……ここで祈りを捧げていました」

 言及はやめてくれたらしい。テセは顔を上げると、背後のステンドグラスを再び振り返った。隣に並び、月光を受ける横顔を眺める。

「何のための祈り?」

「罪に、赦しを請うために」

「罪?」

 聞き返すボクに、テセは頷くと言葉を続ける。

「人は過ちを犯すものです。僕も、シンクも……イオンも。ですが、罪はいつか赦されるべきです。少なくとも、その機会を得ることは万人に与えられる自由の一つだと、僕は思います」

「だから祈ってたの? この世界には神様なんていないけど……」

 以前はアイオンがいたけれど、彼女だって正確には神様というわけでもなかった。ただそう表現することが適切であっただけで、存在としては意識集合体に等しいものだったらしい。それなら、この世界で神として崇めるに足るのは意識集合体だろうか。

 そう思っているとテセがボクの考えを肯定する。少しおかしそうに。

「教団が信仰するアセリスィアがいますよ」

「アレは神様じゃないよ。属性は『意志』だし、罪や赦しとは関係もない」

 ボクはそう思ったけど、テセは穏やかに微笑むとゆっくりと首を横に振った。そしてボクの知らない話をしてくれる。

「アリア。セレマという概念を知っていますか?」

「え? ううん」

「創世暦時代にあった考え方の一つです。汝の意志することを行えという規則や法に基づいた哲学で、神の意志、人間の意志、悪魔の意志を指し示すものでした」

「え。それって……」

「はい。貴女が僕に与えてくれたテセレマ───古代イスパニア語で同義を持つ、『テ・セレマ』の語源になる文化です」

「はえぇ……」

 言われてみれば、確かによく似ている。流石創世暦時代の名残が存在するダアトの導師だ。博識だと思う。が、それがどう繋がるのだろう。話を促すつもりで顔を見れば、彼はボクがついてきていると理解して話を続ける。

「セレマの考え方の一つに、真の意志と呼ばれるものがあります。『個々人にはその人の人生の正しい行路を定める、唯一の共約しえない真の意志がある』というのが、その定義です」

「唯一の共約しえないって……つまり何者にも侵されないただ一つの意志があるってこと?」

「はい。流石アリアです!」

 理解したままに確認すれば、何故か少し興奮した様子で褒められてしまった。何が流石なのかは分からないが、もしかしたらこういう話を出来る相手がいなかったのかもしれない。哲学は確かに、少し難しい。

「でもそれって、運命は決まってるみたいな意味じゃないの? 正しい道しかないみたいに聞こえるけど」

「いいえ。真の意志は、しばしば聖守護天使───高次の自己として扱われています」

「ああ……成る程。今のボクとアセリスィアみたいだね」

 ボクの理解にテセが嬉しそうに頷いた。彼の言いたいことは何となく分かった。ボクの意志が決めたことは、ボクの同一存在である高次にあるボクが決めたことであり、それとこれは正しさにおいて決して反目することがないという話だ。だからこそ、「汝の意志することを行え」という法が生まれる。

「知っている通り、アセリスィアは古代イスパニア語で『真の意志』を意味します。その語源も、セレマの系譜にあるんですよ」

「ふぅん……」

 勿論、自身の意志に従えば全て正しいという意味ではないだろう。定義から考えるに、その高次の自己と肉体を伴う自己間で意志が一致しなければ、それは正しさを持たないのだ。それこそ、アセリスィアが万人の意志を助けるわけではないように。

 きっと、一際意志が輝きを放つ配列があるのだ。星が、軌道上に綺麗に並ぶ時のように。

 一般人の認識以上に、今の教団は宗教らしい形をとっていたようだ。教典の再編などもしていたし、この辺りの話が世界に広まるのも遠くはないかもしれなかった。

「それで、真の意志に罪の赦しを祈ることになるのか」

「はい。人の過ちは、自ら律し正すことにより赦されます。人々の心に良心という名の小さな神が住むように……己に罪を課すのも、赦しを与えるのも、きっと自らの意志なんです」

「……その考え方は、ボクと気が合うかも」

 テセの言葉は、以前グランコクマで聞いたものと近しいものだった。あの時はコモドに語られていたものだったが、ぼんやり覚えている。ボクも、アクゼリュスの件で同じようにルークに思ったものだ。人の命を奪った罪も、その罰も、赦しも。与えるのはルーク自身なのだと。

 頭を切り替えて隣に立つテセを見る。彼もボクを見ていたようで、千歳緑の瞳としっかり目が合ってしまった。なんだか気恥ずかしい。互いに小さく笑って、ボクは改めて月を見上げた。ステンドグラス越しだからハッキリとは見えないけれど、そこに在ることは分かる。

「じゃあ、思ってるよりアセリスィアは神様にぴったりなんだね」

「そうですね。神への祈りは、自身への祈りとなりますから。今のオールドラントを生きる人々は……僕らは、決してただ神頼みの祈りを捧げているわけではない。自らに正しくあれと祈りを捧げ、前へ進む力を貰っているんです」

「……君、やっぱり導師に向いてるよ。語り口が凄い説得力ある」

「アリアにそう評価してもらえると自信になりますね」

 素直に感心して伝えれば、テセは嬉しそうにはにかんだ。それがなんだかくすぐったくて、テセはズルい。自然な感情のやり取りに心が落ち着く。

(ボクはきっと、アセリスィアに赦しを願ったりはしないんだろうな)

 ぼんやりと思う。時に選択を間違うことはあるけれど、それでも過去に戻ったなら同じ選択をする自信がある。その時その時で、ボクは己の意志に従っている。誰の命を奪おうとそれを背負うことはないし、己を罪だとも思わない。

(アイオンは、世界を三度繰り返したって言ってた。ここは四度目の世界で、今までの世界は全て滅んだ。滅ぶ方がやっぱり順当なんだ)

 そして、繰り返したどの世界にも「アリア」はいなかったそうだ。当代のアイオンの契約者は毎度違ったらしい。それはアイオンが少なからず、星の記憶に影響を及ぼしていた証拠だろう。その結果に生まれたのが、導師の力を持った被験者のアリアだ。そして本当なら、彼女がこの世界での唯一の「アリア」の筈だった。

(ボクがイレギュラーなのは明白だ。ボクの存在が良くも悪くも世界を今の状態にした。それは多分、システム的に言えばバグで、エラーだ。罪と言うなら、きっとそれが相応しい)

 それでもボクは、ボクを罪だとは感じない。誰に赦しも請いはしない。ボクはボクで、ボクの意志の責はボクだけが持つ。誰の都合も知りはしない。テセもシンクも、生きている。他の誰が譲っても、ボクが譲らない。

「そろそろ部屋に戻りましょう」

「あ……うん」

 隣から声がかかって、考え事から意識を戻す。テセを振り返れば手が差し出されていて、ボクはそれを迷うことなく握った。以前の旅では好意にぞっとしたものだが、その記憶も懐かしい。今はもう、繋ぐのが当たり前だ。

「わっ?」

 繋いだ手を強く引かれ、バランスを崩す。慌てるボクをテセの体が受け止めて、温かい抱擁を受けた。確信犯の顔を睨み上げると、やけに幸せそうな笑顔に迎えられる。

「……テセ?」

「ふふ。すみません。アリアが僕のことを考えてくれている気がして、嬉しくなってしまって」

「え。君、考えが読めるようになったの?」

「そうかもしれません……アリアに限定して、ですが」

「えぇ……」

 怖いし遠慮して欲しい。ボクの考えが全て筒抜けなんて恐ろしすぎる。でもきっと、それは互いを知るだけの時間を側で重ねた証であり、彼がボクをよく見ていてくれたからなのだろう。彼が、ボクだけを見詰めてくれていた時間の証左。

「ボクも時々テセの考えが分かるよ」

「本当ですか?」

「うん。例えば今は、離れがたく思ってくれてる」

「……正解です」

 冗談のような軽さで本気の推測を口にすれば、テセは柔らかく眼を細めて肯定した。その微笑みは本当に温かく、ボクに傾けてくれる感情の温度を正しく伝えてくれる。腕の中で、ボクも僅かに体を寄せた。

「ボクも離れがたいと思ってる。お互い様だね」

「……はい」

 ぎゅう、と背に回った腕が優しく力を増す。ボクを壊してしまわないように、でも取り零してもしまわないように。

 ボクと君はお互い様。君が罪に赦しを請うなら、ボクがその罪を赦したい。君が背負うそれはボクのせいで生まれたものだ。十字架の前に、君を一人きりになんてしないから。

 ボクは意志を属性に持つアセリスィア───人々の祈りを届けて、絶対の意志の下に罪を赦そう。神様に相応しいボクにしか、きっと出来ない。







 ボクの神様は、きっと君なんだ。
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