テセレマ&アリア


 ボクが実質「生きていない」ことが分かった時、テセは座り込んでしまう程のショックを受けたようだった。シンクも一言も話さなくて、同行してくれていたルークはボクの様子を見て傷付いた顔をする。告げた大佐ですら、ボクの言葉を深く吟味する顔をしていた。

 ボクはただ、当たり前のことだと受け入れるだけだった。ボクは既に存在しない筈のモノであり、無理を重ねてこの場所に戻ってきた。それなら真っ当な生命である筈もない。

 ボクというのは形は違えどアセリスィアと同一で、生死の概念などなくて相応しい。「音素が生きていると誤認している」くらいが丁度いい───そう思ってしまったのだけれど、皆の気持ちは全く異なるようだった。

 皆と同じように事態を理解できないその温度感は。

 ボクが当たり前に人を焼いた時と同じモノだった。







*****







 大佐が提供してくれた仮眠室で、テセを休ませる。ベッドに横になった彼は、光を遮るみたいに腕を目元にやっていて顔色が分からない。表情を見られたくないのだろうか。

 そう思って退室しようとすれば、意外なことに空いている方の手で腕を掴まれて、引き留められる。

「……ここに、居てください」

「うん……」

 困惑しながら側に寄せた椅子に座り直せば、腕を掴む力が少し弱まる。それでも離れてはいかない。

 少しだけ息を落ち着けるような間があって、テセは付き添ったアニスに退室を望んだ。ルーク達の様子を見てきて欲しいと言うが、声色に申し訳なさが滲み出ている。

 ボクを警戒しているアニスは納得がいかない様子だったが、頑ななテセの意志を尊重して最後には部屋を出ていった。仮眠室に残されたのは、テセとボクだけだ。

「………………」

「………………」

 お互いに何も口にしない。何を言えばいいのか分からなかった。何がそんなに彼にとって衝撃的だったのか。自分から話せば無神経なことを言ってしまいそうなのが分かって、黙するしかない。ボクに関することで、あまりそんな風に苦しんで欲しくはないのだけど。

 そう思考していればやがてテセが口を開いた。乾いた声だ。

「……自惚れていました」

「……何に?」

 静かに問う。折角彼がとろうとしてくれたコミュニケーションの機会を、不意にするのは惜しい。これでも心配している。命には関わらないけど、出来るだけ笑っていて欲しいから。

「貴女を……呼び戻すことが出来たと。貴女が僕やシンクにしてくれたように、僕達にもそれが出来たのだと思っていた」

 「でも違った」と声は続く。悔しそうな声。痛みを伴う声。ボクには分からない。何が痛みの元なのか。

「僕ではダメだったんです。本物である貴女みたいに、全てを上手くいかせることなんて出来ない。僕は……偽物だから」

「……待って。話が飛躍しすぎだよ。テセが偽物なんて、ボクは思わない」

 ボクが戻ってから、時折テセの様子は不安定だった。それが、少しばかり影響を出しているようだ。思考が極端に振れようとしている。

 彼の口にする「偽物」がイオンのレプリカであることなのか、ボクに再構成された存在であることなのかは、判断がつかない。どちらでも些事だとも思う。ボクにとっては本物だ。

「……貴女は優しいですね」

「優しいのはテセの方だよ。そんなに傷付かないで。ボクが元通りかなんて重要じゃない。ボクはここにいるんだよ。こうして触れられる場所に体がある。それが全部だ」

 我ながらちょっと必死だった。ボクの腕を掴んでいたテセの手をとって、握りこむ。体温を伝える。視界を塞いでいる彼に存在することを主張する。気付いて欲しい。生きていようが、生きていまいが───ボクは、ここにいる。

「………………」

 テセの手が黙って握り返され、ボクの伝えたいことが伝わってはいることを教えてくれる。少しほっとした。

 彼は身じろぎをするとゆっくりと体を起こした。目元を覆っていた腕が離れて、表情が見えるようになる。どことなく疲れたような、元気がないような、そんな顔。ボクの好きな緑の瞳は、痛みに耐えるみたいに下を向いていた。

「……アリア」

「うん」

「僕は罪深いことをしてしまった。貴女を僕のエゴに付き合わせ、こんな形で側に留めようとしてしまった」

「いいんだよ。罪なんてない。ボクがアセリスィアになったのはボクの選択の結果だし、人でなくなった責は君にない。ボクは人でないことなんて重々承知で、ここに戻ってきたんだ」

 生きているか生きていないかなんて重要じゃない。ここにいることが重要だ。二人の側にいたくて戻ってきた。触れられず、言葉を交わせず、気付かれず……そうして過ごした半年と比べれば、十分だ。十分すぎる程に与えられている。

 それとも、

「……後悔してる?」

「いいえ!」

 うっかり不安に思って問えば、テセは顔を上げてハッキリと否定した。久しぶりにボクの眼を真っ直ぐに見て、千歳緑の瞳が綺麗だ。偽りのない力強い「意志」の瞳。でも彼ははっとするとすぐに視線を下げた。弱々しく、続ける。

「……いいえ。後悔なんてしていません」

 ぎゅっ、とボクの手を握り返す力が増す。離したくないと言うように。そして彼は人として正しいから───他でもなく「導師」であるから、その言葉を繰り返した。

「後悔出来ないから、罪深いんです」

「………………」

 苦しげな言葉だった。一度終わった命。死んだものは蘇らない。そんなことはしてはいけないというのが、フォミクリー技術を生み出した大佐の結論だった。人の死を理解しなかった大佐ですら至った答えに、テセ達は否を唱えてしまった。

(ボクのせいだ)

 ボクが側で命を繋ぎすぎたから、彼らは見誤ってしまった。ボクがテセやシンクの体を再構成したのと、彼らがボクの体を再構成したのは、厳密には別の現象だ。

 あの時の二人はまだ明確には死んでおらず、人でもあった。でもボクは一度記憶粒子の代替である第七音素を失っているし、本体はアセリスィアの方で人でもない。肉体を再構成したところで、「正しい命」として未来を紡ぐことは出来ない。テセ達が願ったことは、死者蘇生に程近い。

(だから苦しんでる。死者の蘇生は間違ってるって、大佐の想いも知ってるのに願ってしまったから)

 実行して、かつて人だったボクを人でない存在として呼び戻してしまった。もしくは既に人でないボクを、無理矢理人の器に押し込めてしまったと考えているかもしれない。

 どちらにせよそれは、この星での生命の循環を思えば決して自然ではなく、彼の口にした通りエゴの表れだ。それを彼は後悔出来ないから、余計に苦しんでいる。人としての正しさを、自分で踏みにじってしまったから。

「……苦しまないで」

 見ていられなくて、ボクはテセの体を抱き締めた。胸に抱いて祈りを込める。そんなことしか出来ない。彼の痛みを分けてもらうことも、分かりやすく治療することだって出来はしない。出来るのは、苦しまないで欲しいと望むことだけ。彼に、祈りを捧げるだけ。

「アリア……」

「ボクがいる。君のために祈る。君が君を責めても、ボクは君に感謝する。君は正しいってボクが知ってる。ボクは、君のための『アリア』なんだから」

 アリア。詠唱歌や祈りを指す言葉だ。譜術や譜歌を……奇跡のような結果を生み出す時に、必要な祈り。被験者から引き継いだだけの名前だけど、それがボクの名前で良かったと思う。ボクは───君のためのアリア。

「……アリア」

「うん」

 テセがもう一度ボクの名を呼ぶ。震える手がボクの背に回って、抱擁を受け入れる。ボクの祈りに心を動かしてくれる。

 どちらにせよ、間違っていたと知ったところで彼は今更ボクを殺せない。ボクも、彼の側を離れられない。天使の力を借りる行いに堕落があるのなら、応えた天使は悪魔とどう違うのだろう。ボクは、どちらでもいい。

(ただ君が好きなんだ)

 テセレマという、ボクが渡した名前を大事にしてくれる少年。今に青年になる彼は「導師」で、寿命の尽きかけている星のために出来ることをしている。人々を愛しているから。彼自身が、そうすることを望むから。「汝の意志することを行え」───その祈りに、偽りはない。

 ボク達はただ暫く、そうして互いの体を抱き締め、その存在を認め合って時を過ごした。







*****





 暫くすると、テセは「もう大丈夫です」と微笑んでボクを送り出した。それが多少の強がりを含んでいるのは分かっていたが、それでも嘘ではないのも分かったからボクは大人しく従う。

 「シンクの様子が心配です」と口にする彼の想いは本当だろうし、その心配はボクの中にもあったので探しに出てきたのだ。事実を宣告された大佐の研究室に戻れば、シンク以外の三人と顔を合わせる。

「もう……大丈夫なのか?」

「テセなら落ち着いてるよ。でも、もう少し休ませてあげたい」

 ボクの希望にルークが頷いてくれる。大佐とアニスも異論はないようで、今すぐテセが駆り出されることはないことに少し安心する。

「シンクは?」

「外の空気を吸いに出たようです」

「そっか。ありがと」

 答えをくれた大佐に礼を告げて部屋を出ようとする。シンクのことだから、迎えに行かないと戻ってこないかもしれない。いやまぁ、最終的には戻ってくるだろうけど。夜になってしまいそうだ。

 そんなことを思うボクを、意外なことにアニスが引き留めた。───引き留めたというには、ちょっと攻撃的だったが。

「……貴女、何なんですか?」

「アニス?」

 振り返って足を止め、アニスを見る。彼女の名を呼ぶルークの声も聞こえた。でもアニス本人はルークの声なんて聞こえなかったみたいに、ボクを見ている。ボクを、睨んでいる。

「急に現れて……テセレマ様が、あんな風に落ち込まれるところなんて、見たことない。簡単に弱い姿を見せるような人じゃないんです! なのに……!」

「アニス、落ち着けよ」

 ルークが困ったように声をかける。でもアニスは落ち着かない。ルークの声なんて聞こえてないから。彼女は彼女なりに、自分の大切なもののために声を上げている。

 アニスはボクの記憶を取り戻していない。突然現れて容姿と名前が御子と同じボクをずっと不審がっていたし、テセやシンクが「特別」に扱うことにも不満を抱いていたように思う。

 何より、ボクが消える前に彼女がボクへ向けていた感情は「不信」だった。それが過程を失ったまま持ち越され今のボクに向けられている───アニスは、ボクを強く警戒していた。

「なのに貴女が現れてから変わってしまった! 貴女がテセレマ様を……!」

「弱くした?」

「っ……」

 平温の言葉を挟めば、アニスが肩を震わせた。そこまで言葉にするのは憚られて、でも多分彼女が口にしたかったのはそういうことだ。ボクのせいでテセは弱くなった……ボクは、テセに悪影響だと。

 少し考えて、答える。

「そうかもね」

「おい、アリア……」

「否定はしないよ。今のボクはテセの弱点だ。ボクに何かがあれば、テセは平気でいられない。弱味を作ったという意味で、ボクがテセを弱らせたのは本当だ」

 それは同時にシンクにも言えることだった。失うものがなければ人は何だって出来るかもしれない。それこそ何も持たずに旅の何でも屋をしていた頃なんて、なんでも出来た。

 今だってボクは変わっちゃいない。人を焼き殺せなくなったわけでも、「正しく」生きるつもりがあるわけでもない。それをやらないのは、テセやシンクがいるから。ボクのことを思い出せなくても、ボクが覚えている仲間がここにいるからだ。

「ボクの存在がテセを弱くする。でも、弱くするばかりじゃない。守るものがなければ弱くはないかもしれないけど、守るものがあると強くもなれる。それをボクは、他でもないテセとシンクから学んだんだ」

 二人を守るためには力がいる。壊すばかりではなく、守るための力が必要になる。それとこれとは同じ力ではない。だからボクは教団に身を置いたし、その場所を残してきた。いつか帰る場所は、必要だ。

「ごめん、アニス。ボクは居なくなれない。テセやシンクの側にいる。二人がそう望んでくれる限り……ボクがそう望む限り。もう離れられないんだ」

「……貴女は、何なの? テセレマ様やシンクの……何?」

 戸惑いながらアニスが尋ねる。ボクの主張が何一つとして理解できないと、顔に書いてある。彼女とボクは分かり合えない。どんなに時間を使ったところで難しいと、以前に思ったように。

 だから答えを返す。シンプルに。

「ボクは、二人を愛してる」

 それが全ての答え。照れ臭くて、ボクは誤魔化すように笑ってしまってから、その部屋を後にした。







 今のボクは「愛している」から二人を手離せない。
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