シンク&アリア⑤


 アリアは以前のように戦うことが出来なくなっていた。体外で音素を操ることは変わらず出来たが、譜歌も譜術も扱えない。理由は身体のフォンスロットが機能していないからだ。

 フォンスロットが機能していない───それは厳密には「生きている」とは言えない。検査をさせた死霊使い曰く「生きている」という事象ありきで今のアリアは存在しているらしい。別の言い方をするなら、音素がアリアの形を再現し「生きている」と誤認している状態に近い。

 その話を聞いた時、導師は立っていられない程の衝撃を受けたようだった。ボクはどうだっただろう。アリアがどんな存在だろうと、側に在るなら構わない。生きているという認識が誤認でしかないとしても───「生きていろ」とボクはアリアに要求を叩き付けた。

 フォンスロットがなければ譜歌も譜術も扱えない。今のアリアは旅の始めより戦闘能力がない。音素に対する過敏なまでの反応も見せず、自衛能力すら低い。当然、ボクは秘密裏に監視をつけた。普段はその動向を見守り、有事には守るための盾だ。ボク自身が常に側にいることは、不本意ながら出来ない。

 ボクは他人を信用しない。監視役も使える駒ではあるが、そのまま使う程馬鹿じゃない。きちんとダアト式譜術で制約を与えてから使っている。決して主であるボクを欺けないように。

 そうしてボクはアリアを縛る。ボクの手の届く場所で、本人に気付く余地すら与えず。二度と、この手から逃れていかないように。







*****







 アリアの存在が戻ってから、ボクは自分の中の歯車が全て噛み合う感覚を味わった。気持ちが悪くずれていたものが、元に戻った感覚だ。

 それと同時に信じられない心地になって、思わず一人で笑ってしまった。噛み合って取り戻した自分が既に「狂っている」なんて、笑うことしか出来ない。

 今のボクはひょっとすると被験者であるイオンよりも、余程醜悪な執着を示しているのかもしれない───そうとさえ思った。

「閣下。一つ、閣下のご意志を伺ってもよろしいでしょうか」

 灯りの乏しい部屋で、女はボクに問う。詠師の一人であり、第五師団をまとめ参謀官を務めるカトレアだ。ボクの「使える駒」の一人。

「お前の働きは評価している。いいよ、言ってみな」

「では、恐れながら───何故そうまでして、閣下が天師様をお守りされるのでしょうか」

 天師というのは教団の特別顧問に与えられた役職だ。名を伏せるアリアを指す言葉。「そうまでして」というのは一体どこまでを含んだ言葉なのか。どれであっても大差ないと思いながら、ボクは返事を問いの形にする。

「お前はボクの理由を、馬鹿げた噂通りだとは思わないの? 第五師団師団長カトレア」

 ボクがわざわざ名を口にしてやれば、カトレアはそっと眼を伏せて頭を下げた。きっちりと結い上げられた紅の髪が眼に入る。決して意に反するものではないと態度で表しながら、変わらぬ平静な声で答えた。

「ご冗談を。閣下が抱かれますものは、単なる劣情と断ずるに余りあるものと推察致します」

「もっと醜い感情だって?」

「………………」

 頭を下げて答えない部下は正直者だ。ボクにだって感情の一つ一つを明確に線引きすることなど出来ない。自身の胸の内に巣食うそれが何かなど知りはしなかった。ただ、単なる色恋に属する感情というにはそれは重く黒々しかった。色が複雑に重なり合うように、それは明瞭でない。

「ボクはアレが欲しいだけさ」

「……ですが、天師様は」

「お前の言いたいことは分かるよ。アレはボクだけを選ばない。それでいい」

 ボクの言葉に、平静を保っていた顔も僅かな困惑を覗かせる。理解が出来なくて当然だ。ボクにだって訳が分からない。導師の存在があって良かっただなんて、あまりに皮肉が利いている。

(ボクだけに伸ばされた手を知っている)

 地核で、無意味な存在のまま死ぬことを選んだボクをわざわざ追い掛けてまで伸ばされた手だ。あの瞬間、アリアが「離さない」と命を懸けたのはボクの存在だった。ゴミでしかなかったボクに、命を懸ける人間が他にどこにいるだろう。ボクはそれが欲しい。アレがボクのために差し出す全てが欲しい。



 ───だがもし、導師の存在がなかったなら?



 アリアを尊重し、真綿で包むように大事にしようとする存在がなかったなら。ボクはとっくに選択を間違えていたのではないだろうか。そんな考えが過るようになった。

 あいつがボクだけを望んだなら、もしくはボクと導師を天秤にかけてどちらかを選んだなら。アリアが望んだ「ボクの意志」は、育つこともなく呆気なくこの欲に呑まれていたに違いない。「欲しい」という渇きのままに求め、その意志さえ踏みにじっただろう。

 丁度、一年前にあった出来事のように。

「お前は、お前だけを望んで伸ばされる手があるならどうする?」

 気紛れに自身の駒へ問う。その駒にさして興味があるわけではなかった。ただボクに理由を問う者の答えを少し聞きたくなっただけだ。それは冷たい瞳のまま、ただ淡々と答えを示した。

「切り捨てます。私の大義には不要なものですから」

「大義ね」

 カトレアの眼に偽りはなくて、笑ってしまう。ボクには出来なかったことだ。ヴァンやラルゴのような大義は何もない。ボクはボクのために預言を呪った。リグレットのようにその理想を愛したわけでもない。

 そう思えば、今生き残っている元六神将は、自分のことしか考えていなかった奴ばかりだ。自分勝手に、大義を踏みにじれるような奴ばかり。

「結局、ボクは変わっていないのさ」

 六神将であった頃も、それを裏切ってアリアに使われる在り方を選んだ時も。それから先の全ての時間でボクは変わらない。ボクを動かすのはこの欲で、ボクはボクさえ良ければそれでいい。

 ただ少し違うのは、今はそこにボクの意志が在るということ。アリアが望み、ボクが自ら定義した「ボク」。その意志が、馬鹿馬鹿しいことに存在している。

 ボクは、ボクを「ボク」として望む頭のおかしい頑固者のせいでただの道具ではいられなくなった。眼を閉じ、耳を塞いで歩くことは許されない。自ら選び取ることを強いられる。この欲に全て従うことは出来ない。

 ボクのために己の命すら差し出せても、己の意志は譲らない頑固者───そのアリアを、この欲が呑み込んでしまっては意味がない。だからボクはこの欲を適度に満たしてやりながら、アリアが望む「ボクの意志」で彼女の側に在るための選択をする。

「お前がヴァンと同じ理想を抱いていたら、良い駒になったかもね」

「お戯れを。私の大義は神の託宣になど縛られません。私の決定は私の意志によるものです、閣下」

「ハッ。知ってるよ。だからイオンはわざわざお前を残したし、ボクはお前を駒に選んだんだ。期待してやってるんだから、精々アセリスィアの騎士らしく振る舞ってよね」

「心得ております」

 碧眼が伏せられ、臣下の礼が払われる。それを眺めながら、ボクはこの先のことを考える。一年前のように間違えるつもりはない。

 統括総長という立場を有効活用し、天師の地位にある者を守り抜く。その手段は選ばないつもりだった。教団も聖守護騎士団もボクの意志で動かせる。勿論内部に光らせる眼も存在する。何者であろうとアリアを害することは許さない。

 時に、その選択は後ろ暗いものとなるだろう。だが構う気はない。組織である以上必定であり、前身である神託の盾を知る身としては今更だ。ボクの身の置き所は陰でいい。陽の当たる場所など願い下げだ。

「ついでだ。お前の質問に答えてやるよ。ボクが天師を守る理由は、お前が大義を掲げる理由と変わらない」

 カトレアは顔を上げ、言葉の続きを求めるようにボクを見る。それから視線を外すと、窓の外に浮かぶ月が映った。夜の黒に大きく浮かぶ満月───明るい場所には決していられない、ボクに届く唯一の光。

 それを二度と失わないように、ボク自身が隠してしまわないように、慎重に手を伸ばす。何も無かった「空っぽ」が、満たされたことで知ってしまった底の無い貪欲。それが、この耳に穿たれた意志の在り処を殺してしまうことは許さない。

 狂った歯車に似合いの矛盾だと嗤う。

「───アレが、ボクの意志なんだ」

 色の無い冬は繰り返し訪れる。その度に春を告げる花は咲き、甘い蜜を垂らしてその渇きを満たすのだ。幸福に、永遠に、飢えては満たされる。

 飢えを与えるのもその花で、渇きを満たすのもその花だ。ただ当たり前に四季が巡るように、身勝手に時は刻まれ続ける。なかった筈の未来を指して。







 それを思い出した歯車は───ほら、元通り。
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