シンク&アリア⑤
戻ってからのボクというのは、以前とちょっと様子が違ってしまっていた。別れる前に二人から「愛」を貰って、「愛」を知って。二人に形は違えど「愛」を返したいと思うようになっていて。
そのまま独りきりの時間が半年もあった。初めて知った寂しさや恋しさは、ボクの中のその想いを増長させ───少しだけ、扱いきれなくなってしまった。
*****
「仮面、新調しない?」
ある日、ボクはシンクにそう提案する。場所はシンクの執務室で彼は執務机につき、ボクはソファにお邪魔していた。一番望みたいのは仮面を外して生活することなのだが、当人が望まないため実現されない。その中での提案だった。
受けたシンクは、露になっている素顔で訝しむ視線を向けてくる。
「何の必要があって? 別に今のままで困ってないよ」
「それはそうだろうけど……ほら、六神将の頃から使ってるから、印象が変わらないのも良くないかなって」
「今更でしょ。あれから三年目だよ。誰が気にするのさ」
「ボクが気にしてる」
「アンタだけなら構う必要もないね」
にべもない。ばさり、と手元の書類を音を立てて机の上へ置く。会話は終わったとばかりにそのまま別の書類を取ろうとして、ボクはその前に話を続けた。
「仮面、新調しようよ」
「しつこいよ。結論は出ただろ」
「そうだけど……」
言葉を濁すボクに、シンクは小さく息を吐くと手に取った書類を置き直す。それからボクの方を向いて問いを掛けてくれた。
「なんでそんなに仮面を新調させたがるのさ」
「……その、変に思わないで欲しいんだけど」
前置きをする。自分でも上手く説明できない感情があった。これを聞いてシンクがどう思うか一抹の不安があるものの、勇気を出して言葉に代える。
「君が……ヴァンに渡された仮面をしてるのが、なんか、やだ」
「───は?」
ぽとり、とシンクの手からペンが落ちる。ころころとそれは机を転がり、止まった。ボクはそれを視界の隅に収めながら、掌で自分の顔を覆ってしまっていた。口にすると恥ずかしさがある。どうしてかなんて、なんとなく分かっていた。
「……どういう意味?」
慎重な声音で問われる。やめて欲しい。許して欲しい。これ以上言葉にすることに耐えられる気がしない。でも……問われてしまったから、ボクは言葉を絞り出した。
「嫌……みたい。その仮面を使ってると、なんだか君が……」
「……ボクが?」
「………………」
口ごもる。明言したくない。でもシンクはそんなボクの逃げの姿勢を許してくれない。席を立つとソファの方へやってきて、ボクの傍へ立つ。手首を掴まれ、顔を押さえる手を引き剥がされてしまう。
顔を俯けるが恐らくあまり意味はなく、ボクの表情は見られてしまっているだろう。居たたまれない。シンクはボクの顔を見て……手首を掴む力を少し増した。声が落ちてくる。
「……ねぇ。それ、どういう顔なの?」
「………………」
「勘違い、したくないんだけど。……ハッキリ言ってくれない?」
「………………」
「アリア」
言葉を重ねられ、遂には名前まで呼ばれてしまって。ボクは観念する。言わなければ話は進まないし、彼もボクを解放しないだろう。顔を熱くする恥ずかしさを飲み込み、引き結んでいた唇を薄く開く。
「今でも君が、ヴァンのモノみたいで、やだ」
「………………」
ようやく形にしたそれに、シンクは少しだけ沈黙して……やがて、口元を歪ませて笑んだ。
「───妬いたの?」
「う……」
目を逸らす。肯定しづらい。でもその通りだった。自分が抱いた感情を言葉にするなら、多分それが適当だ。ヴァンが渡した仮面がシンクの顔を隠している。その事実がなんだか不愉快で……もやもやで済まない感覚が胸にあった。堪えがたい、何か。
必死に視線から逃げるけど、捕まってる状況で意味があるわけもない。シンクは存分にボクの表情を眺めて、愚かしいボクを嗤ってくれる。
「ハッ……アンタにそんな感情があったなんてね」
「うぅ……」
「ねぇ。それって、アンタがボクを独占したいと思ってるってことでいいの?」
「……多分、そう」
多分も何も間違いなくそうなのだが、せめてもの抵抗で呻くように返した。そんなボクの浅はかさを見透かしたようにシンクは嗤い、囁く。
「そう……なら、好きなだけ独占しなよ。ボクはアンタのモノなんだからさぁ」
「……シンクはシンクのモノでしょ」
「そう思ってるのはアンタだけだよ。こっちはずっと前からアンタのモノのつもりさ」
「………………」
シンクの囁きは常に甘い誘惑がある。多分わざとだ。わざと、ボクを誘惑する時ばかり甘く囁いてきている。ズルくて、賢い。
顔を上げてボクを捕まえている彼を見る。ボクを見下ろす千歳緑の瞳───そこには、やはりあの熱がある。ボクを切望する危うさのある温度。その陰に、暗く、黒い感情も覗いて見えた。
「アンタはボクが『欲しい』の?」
「……性的な意味では考えてないよ。恋愛的な意味でも」
「なら?」
「君の存在が欲しい、が近いかな。君が他の誰かを選ぶところは見たくない」
「ハッ……強欲だね」
「自分でもそう思う」
分かりやすい関係を築けなくて申し訳ない気持ちになる。でもボクにはどうしても分からない。たった一人を選ぶことが、出来ないから。
ボクの答えに、シンクも答える。
「ボクはアンタが『欲しい』。少なくとも性的な意味を含んでね。それはアンタとの明確な違いだろうさ」
「……うん」
「でも───アンタから『欲しい』って話が聞けたから。今の気分は悪くないね」
囁いて、吐息が近くなる。柔らかく触れるそれに目を閉じて、受け入れる。軽く触れ合うだけを交わしてそっと離れると、甘く問いが掛かった。
「他に嫉妬したことは?」
「……シンクが御子と話してると、もやもやする」
「へぇ。いつから?」
「割と……最初から」
「……はは。そう……アンタ、そんなにボクに執着してるんだ?」
「改めて言わないで……」
シンクは愉しそうだけど、ボクはメンタルが削られている気がする。心を丸裸にされている気持ちにきっと近いのではないだろうか。
それが嫉妬であると気付いたのも、つい最近だ。それくらいボクは自分の感情に頓着していなかった。自覚をしたのは「愛」を知ったからで……「愛」を傾けるようになったから。「愛している」から、今は手離せない。
「仮面、アンタが選んでいいよ」
「え」
驚いて顔を見れば、シンクはどこか機嫌が良さそうに付け加えた。
「ヴァンの首輪がついてるみたいで気に入らないんでしょ? なら、アンタがボクに首輪をつけろって言ってるのさ」
「そういう意味じゃ、」
「別にアンタの道具になるって言ってるわけじゃないよ。アンタはボクの意志で側にいて欲しいらしいからね。ただ、ボクがアンタのモノって証にしてやるだけさ」
「………………」
どこか歪んだその笑みを、真っ当な感情に由来するものだと思う程ボクも能天気ではない。彼の瞳には今でも暗い色が潜んでいる。いつかに見た、貪欲なまでの渇き。
あまり彼にとって良い感情ではないと思っている。でもそれもシンクの抱く想いの一部なのだろう。だからボクは、それが彼を害さない限りは見逃すことにしていた。頭潰しの時のようなことにならないなら、いい。
目を合わせ、確認する。
「シンクはそれでいいの?」
「聞くまでもないね。それに、アンタだって同じでしょ」
「え?」
「アンタはボクだけのモノじゃない───でも、『ボクのモノ』でしょ」
「……うん」
否定しない。彼らに呼び戻されて、以前と明確に考えを変えた。今のボクはテセとシンクのために存在している。二人が望んでくれたからここにいる。なら……ボクは二人のモノだ。間違いなく。
は、とシンクが息を漏らすように嗤って、再び顔が近付いた。掴まれていた手首が引かれ、逃げることを許さない。そんなことをしなくたって逃げないけれど。
唇が触れ、ゆっくりと深く繋がる。ボクはそれを受け入れて……自ら、望んで。たっぷりと触れ合ってからやがて離れると、幾度と見た熱のある瞳と近い距離で見詰め合った。ぽつりと、シンクが溢す。
「……やっとアンタが手に入った」
「大したものじゃないよ」
「アンタにとってはね。いいよ、別に。アンタ自身が価値を分かってなくたって、ボクが知っていればいい」
「それは……そうかもだけど」
そんな風に言われればそわそわしてしまう。でも、前ほど居たたまれない気持ちにはならない。それはそうして傾けられるものをボクも「欲しい」と思うようになったから。種類は違えど「返したい」と思えるようになったから。
望み、望まれる関係を受け入れることが出来た。凄く遠回りをしてしまったけれど、ようやく。
「仮面」
シンクが言葉を溢して、その指先がボクの頬を撫でる。くすぐったくて、でも嫌じゃない。そうして触れ合いから伝えようとしてくれる彼の感情は、ボクにとってもご褒美だ。
「センスが悪かったら元の奴に戻すから」
「……善処します」
答えながら、どうあっても嘴型の仮面よりは良い物を選べる気がする。似合う似合わないとかでなく、ちょっと特徴がありすぎた。ボクが渡す仮面はもう少し普段使いがしやすいものにしよう。そう心に決める。
シンクはなかなか離れなくて、三度呼吸が近付く。
「……仕事、戻らなくていいの?」
「戻るよ。あと少し、アンタに構ったらね」
囁くように告げられる。
全く物好きだと思いながら、彼からしたらボクの方が物好きなのだろう。お互いに自身の価値を知らなくて、互いの価値を知っている。似た者同士で……似合いの関係なのかもしれない。
優しく触れて、移る熱に意識を委ねる。そっと目を閉じた。心地好くて、離れがたい。……もう、離れなくていいことも知っている。
互いの意志に囚われる、幸福を感じた。
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