シンク&アリア①
宿の部屋数が足りない。そんなことは世界中を旅していれば当たり前にあることで。三人部屋を二つと、二人部屋を一つしか借りられなかった。当然部屋割が問題になる。
「どうしよう……」
困ったなとルークが眉を下げる。ボクらのパーティーは均等に男女八人だ。性別に配慮するなら二人部屋の扱いが難しい。ボクは至極当然と提案した。
「ボク、シンクとなら同部屋でもいいよ」
「っ……ごほ、」
我関せずと、携帯していた水筒から水分補給をしていたシンクが横で噎せていた。大丈夫だろうか。ボクの提案を聞き、仲間がそれぞれに表情を変える。
「えっ……でも気になるだろ」
「野営に比べれば全然。ベッドで寝れるのに文句なんてあるわけないよ」
「だ、駄目よ! 男女が同じ部屋なんてよくないわ」
「兵士だったらそういうこともあるでしょ」
「それはそうだけどぉ……シンクはそれでいいの?」
ルーク、ティア、アニスから先に反応をもらう。意思を確認されたシンクはというと、仮面の奥から平静に答えた。
「……別に。体を休められればどうでもいいよ」
「その割に動揺してたけどな」
「うるさいよ」
ガイの言葉にシンクが僅かに声を鋭くする。黙ってろと言いたげで、確かにシンクの意思を聞かずに意見を述べてしまった。まぁ合理性を取るシンクなら了承してくれると思っての発言ではあったが。
「本当によろしいんですの? アリア」
「うん。この面子ならボクとシンクの組み合わせが妥当だろうし」
「シンクは貴女の護衛役ですからね。護衛がしやすくて助かりますね、シンク♡」
「アンタを宿から叩き出してやってもいいんだよ、死霊使い」
「老体に一人野営をしろと? 最近の若者は酷なことを言いますねぇ」
何やら含みのある言い方をする大佐に、シンクが噛み付き返す。大佐はどこ吹く風だ。下らないやり取りをしつつ、ボクらはそれぞれの部屋に引っ込んだ。
*****
「ボクと同じ部屋、嫌だった?」
「言った通りだよ。休めればいい」
「だよね」
二人部屋で荷物を置きながら確認すれば、予想通りの回答だ。陽は既に暮れており、夕食を貰って食べたらさっさと休んで良さそうだ。くるりと彼の方を向く。
「夕食貰ってくるね。シンクは休んでて」
「ハイハイ。他の宿泊客とトラブルなんか起こさないでよ」
「トラブルメーカーじゃないですぅ」
「よく言うよ」
肩を竦められるが、そんなに彼の前でトラブルを起こしていただろうか。自覚がない。大人しく謙虚に生きてる筈なのにおかしいなぁと思いながら、二人分の夕食を確保するため部屋を離れた。
*****
部屋に戻るとシンクがいる、というのはなんだか不思議な感じだ。前の旅の間は勿論、ダアトにいた頃だって同じ部屋で休んだ経験はない。なんだか新鮮だ。夕食を届け、仲良く机について食す。
「仮面、取ったら?」
「別に食べるのに支障はないよ」
「でもボクしかいないし。気にすることないでしょ」
「……アンタはないだろうけどね」
「?」
「ほっといてくれる? ボクの自由だろ」
「それはそう」
彼の言葉を首肯する。よく分からないが外したくないらしい。自分の顔が嫌いで見られるのも嫌、というのは前に聞いているので、それ以上は食い下がらない。ボクはシンクの顔、好きなんだけどなぁ。
適当に雑談しつつ夕食を終える。シンクが雑談に付き合ってくれるかと言えば、意外と付き合ってくれる。話好きとまでは言わないが、こちらがボールを投げれば必ず応えてくれるので律儀な性格をしているのだろう。わざわざ膨らませてくれる程の親切心は勿論ないが、ぞんざいに扱われることもなかった。
お腹を満たせば、あとは体を清潔にして寝るだけだ。部屋には備え付けのシャワールームがあり、使う順番だけ気を遣えばいい。シンクの希望を確認する。
「シャワー、先使う?」
「アンタが、」
何かを言いかけて、シンクの言葉が止まった。僅かに考える時間が挟まり不承不承というように回答がある。
「……先に使わせてもらう」
「どうぞ」
何を悩んだのかは分からないが、ボクは特に順番を気にしないので譲った。彼はようやく自身の仮面に手を伸ばし、外す。机の上に置くとこちらを見ずにさっさとシャワールームに消えてしまった。その背を見送り、自分の番が来るまでのんびりと時間を潰した。
*****
同じ部屋に泊まって知ったが、シンクのシャワー時間というのは早いらしい。それ程待たされず自分の番がやってくる。まぁ湯船があるわけでもないので時間が掛からないのは道理ではある。
「わ。髪の毛が下りてる」
濡れたままの千歳緑の髪をつい眺めてしまう。普段は鶏冠のように立てられており、ちょっとやそっとの雨程度では形を崩さない。それが今は大人しく萎れており、そうして下りていると印象が大分変わる。
正直に言えば、髪を立てている時より余程テセに似て見える。でもそんなことを言ってしまうつもりはない。例えレプリカでなくとも「誰かに似ている」という趣旨の発言はあまり良いものだと思わないからだ。
「………………」
シンクは特にボクの言葉に応えなかったが、内心は想像できる。彼が普段どうして髪を立てているのかなんて聞いたこともない。でも、きっと少しでも「同じ」でないことを願っているのだと勝手に予想していた。だから髪が下りてる自分の姿を好きだとは思わない。
だからボクもそれ以上の言及は避け、彼ににじり寄った。
「ね。髪拭いてみたい」
「───は?」
「そんな正気を疑う顔をしなくても」
「するよ。何が目的なの?」
「触ってみたいだけだって。普段ちゃんとセットされてるから、こんな機会そうそうないかなと」
「人の髪で遊ぼうとしないでくれる?」
「人聞きの悪い」
顔を顰めて拒否を示されてしまった。だがこちらには魅力的な特典があるのだ。というのも、
「なんとボクが拭くと音素に呼び掛けるため、乾くのが早いです」
「押し売り販売みたいだね、アンタ」
「押し売ってるからね」
「迷惑だって言ってるんだよ」
全然話の通じないボクにシンクが直接的な言葉を選ぶ。しかしそんなことで傷付くボクではない。分かっていて話を聞いていないからだ。
「ほらほら、座って。乾かしたらボクもシャワーに行くからさ。髪濡れたままだと風邪引くよ」
「まるでボクが聞き分けないみたいに言うのやめてくれない? アンタが聞き分けろよ」
「はいはい」
応えつつ、椅子を引いて待つ。彼は心底嫌そうに少し動きを止め、やがて何かを諦めたように息を吐くと腰を下ろしてくれた。ボクに何かを言って追い払うより、さっさと望みを叶えて追い払ってしまうことを選んだらしい。我が事ながらそれが賢い選択だとも思う。
肩に掛けられていたタオルを取り、髪を柔らかく拭いて水気を取る。並行して音素に呼び掛け、少しずつ乾かしていった。
「♪」
「……機嫌良さそうだね。こっちはうんざりしてるのにさぁ」
「へへ。なんかこういうの好きなんだよね。世話焼きの自覚はないんだけどなぁ」
「今のところアンタの行動は『余計なお世話』ばっかりだよ。自覚したら?」
「世話焼かれるの、嫌い?」
特に深い考えがあって問い掛けたわけではなかった。部屋へ入って最初に問い掛けたものと温度感としては変わらない、ただの会話の延長だ。でも、シンクは少しだけ答えに躊躇って。
「……知らないよ。焼かれたこともない」
そんなことをぽつりと返した。特別感情が乗っているわけではない。それでもただ、彼の事実はそうだったということは確かに伝わった。だからボクも普通の温度感で応える。
「そっか」
余計なことは言わない。どういうつもりの言葉だったかなんて、ボクに分かるわけがない。分かるのは世話を焼かれたことのない彼が、今は大人しくボクに世話を焼かれてくれているということだ。それ以外は、今は特に気にしなくていいだろう。
「シンクの髪って柔らかいね」
「濡れた髪なんて大体同じでしょ」
「もう大分乾いてきたよ」
「もう? ホントに早いね」
この時間が長引かないことに安堵したのか、シンクが少しだけ息を吐いた気がする。他人に世話を焼かれると落ち着かないというのも想像できるので、分からなくはない。こっそり苦笑しつつ、折角触らせてもらったので思ったことを伝えておくことにする。
「ボク、君の髪好きかも」
「───」
「あ。理由は聞かないでね、なんとなくだから。強いて言うなら触り心地だけど……なんとなく好きだなって思って」
「……余計なこと言ってないでさっさとシャワー浴びてきなよ」
「え。でも」
「もう殆ど乾いたでしょ」
言って、シンクは立ち上がってしまう。そうして高さが変わってしまえば手を届かせるのは難しく、殆ど乾いているのも事実だ。ここまで触らせてくれただけでも大分譲歩してくれていたと思うので、大人しく引き下がることにした。
「じゃ、いってきます」
「ハイハイ」
ひらひらと追い払うように手が振られて、ボクはシャワールームへ旅立った。
*****
出てくると、シンクが備え付けられていた本を退屈そうに読んでいた。濡れた髪をタオルで押さえながら問い掛ける。
「面白い?」
「兵法書の方が余程意味があるね」
「うーんどっちもそそられないな」
元々ボクは読書家ではない。本なんて調べ物程度でしか馴染みはなかった。気儘な旅人なんてそんなものだ。きっとシンクは参謀総長になるにあたって様々な書物に目を通した筈で……ボクに比べれば文字を読むのは苦痛ではないのだろう。ちょっと羨ましいような、そうでもないような。
なんて思っているとシンクが本を置いて立ち上がる。さっきボクが彼を座らせた椅子へやってくると「ハイ」と椅子を引かれた。
「なに?」
「人の髪を触っておいて、自分は触らせたくないとか言う気?」
「拭いてくれるの?」
「音素で乾かすことは出来ないけどね」
それはこっちで勝手にやるので特に問題はない。さておき、髪を拭いてくれるなんて嬉しいお誘いだ。ボクは喜んで椅子に腰掛けた。
「……抵抗はないの?」
「全然。寧ろ嬉しい」
「変な奴」
呆れたように呟きながらもシンクの手がタオルに伸びた。そのまま髪を包んで、ボクがやったように柔らかく拭いてくれる。シンクが誰かの世話を焼くなんて想像が出来ない。きっと慣れないだろうにそれを感じさせないのは、やはり彼が器用だからだろう。
誰かに頭を触られる、というのは普通であれば警戒してしまう気がする。でもボクは寧ろ安心があって、そうして触られていると心地好ささえ感じてしまっていた。
「アンタは世話焼かれたいの?」
「そこまでは言わないけど、嫌でもないよ。……ああでも、普通なら気を遣うから嫌かもなぁ」
「普通なら?」
「うん。部屋割と一緒だよ」
「………………」
ボクの回答に、何故かシンクは少しばかり黙ってしまって。それから今更すぎる問いが飛んできた。
「……ねぇ。もしかして、アンタがボクとの相部屋を希望したのって」
「うん?」
「…………まさか、パーティーの誰よりボク相手が気を遣わないと思ってるから?」
「合ってるよ。同姓と相部屋の利点は分かってるけどさ、気を遣う云々だったらシンクが一番楽だから」
「………………」
それがどんな種類での沈黙だったのかは、残念ながら分からなかった。代わりに髪を拭いていた指先が背後から伸び、頬が思い切りつねられる。
「いっ……!? な、なにするの」
「うるさい」
苛立ちを込めた声が返されるが、指はすぐに離れていった。そのまま髪を拭く作業に戻られてしまったので、余計よく分からない。なんで急にボクの頬をつねったのだろう。
そんな会話をしていれば音素の応援もあり、髪は大分乾いてしまった。これ以上は拭いてもらわなくても大丈夫だろう。判断し、声を掛ける。
「もうそろそろいいよ」
「………………」
「シンク?」
「……髪。ボクに触られるのは嫌じゃないんでしょ」
「? うん」
「なら大人しくしてろ」
どうやらちゃんと乾くまで面倒を見てくれるらしい。半端に世話を見て放り出すのが嫌なのだろうか。特に拒否する理由もないので黙って従った。そうして目を瞑ると、この心地好い時間が延長されたことになんとなく胸がぽかぽかした。
ぽかぽかしすぎて、心地好い時間に微睡みがにじみ始める。頭を長く触られ続けて気が緩みすぎたらしい。少しばかり船を漕げばすぐに気付かれた。
「ちょっと。寝るならベッドで寝てよ」
「うん……」
聞こえてはいる。意味もギリギリ分かったが、行動に移す気力は既になかった。椅子の上で目を閉じて軟体動物になりかけているボクに、頭の上から溜め息が降ってくる。
「手が掛かるね、ホントに」
呟いて、続いて浮遊感があった。背中と膝裏に触れるものがあり、体の側面が温もりを分けられる。抱き上げて運んでくれていると気付いたけど、それに何かを言う力は殆どなかった。
やがてベッドに降ろされて、ちゃんと布団を掛けてくれる。意外とシンクも世話焼きの資質があるのかもしれない、と思いながらうっすらと目蓋を持ち上げ、手を伸ばす。離れていこうとした手を───手袋のないそれを、緩く掴んだ。
ぴたり、とシンクが動きを止める。微笑み掛けた。
「ありがと」
「………………」
「……シンク?」
「さっさと寝なよ」
「うん……シンクは?」
「別にどうでもいいでしょ、ボクがどうしていようと」
「どうでもよくはないよ。言ったでしょ……シンクのこと、どうでもよくないって……」
眠気に冒されながら随分前の会話を引っ張り出してしまった。それはアクゼリュス崩落の直後、神託の盾の地下牢で彼に掛けた言葉だった。もう無関係じゃないからどうでもよくない───今はもっと、どうでもよくない。君は、ボクが死を理解できる人だから。
ボクの曖昧になりかけている言葉に、シンクは。
「……もう少し起きてる」
「うん……夜更かし、しないでね」
「『余計なお世話』だよ」
何度世話を焼くんだと言いたげに、辟易とした声が返った。それを聞きながら掴んでいた手を離し布団の中に引っ込める。これ以上は意識を保てなさそうだ。シンクと同部屋の夜なんてなんだか惜しいのに、残念。
眠りに落ちる前に一言だけ告げた。
「おやすみ」
「………………」
応える声はなかったけれど。
そっと、前髪に触れるものがあった気がした。
*****
オマケ。
「………………」
すぐ傍で寝息を立て始めたその顔を、眺める。胸中はずっと複雑だった。体験のない不慣れな時間に、胸の内は落ち着かない。どうしてこの女は何も気にしないでいられるのか。理解が出来ない。
(ボクが相部屋が一番気を遣わない、ね)
こちらの気も知らないで。言い出した時からずっと平気ではない。仮面を外すことを拒んだのは、そうして同じ空間で早々に気を許してしまうことに抵抗があったからだ。理由なんて知らない。なんとなく、距離を保ちたかった。
シャワールームをどちらが先に使うか。最初は譲るつもりがあった。でも、こいつが使った後にボクが使うというのに抵抗があって。結局先に使ってしまった。自分でも馬鹿馬鹿しいと分かっている。
仮面を外して、髪を下ろして。自分の最も嫌いな姿。あまり誰かに見られたいものではなく、それでも相部屋であれば仕方がない。そしてアリアは……こういう時には余計なことを言わない。本当に、それこそが「余計」で。
髪を誰かに拭かれる、なんて経験があるわけもない。こいつは自覚がないだけの世話焼きで、何が楽しいのか想像も出来ない。する気もなかった。面倒臭くてさっさと終わらせてしまおうと折れた筈なのに、案外とその時間は悪くなくて。無神経な発言がなかったなら、もう少しその感覚に身を委ねてしまっていた気がする。
先に休んでしまっていたってよかった。でもボクは退屈を本で紛らわせる。アリアがシャワーを使う音を意識から閉め出して、大して面白くもない文字面を追う。そんな読み方でも内容は頭には入ったが、あまり意味のある時間にはならなかった。
誰かの髪を拭いた経験だって、あるわけもない。こいつの髪でもなかったら拭いてやる気になったとも思えない。どうして自分がそんな気になったのか、よく分からない。ただ髪を拭かれて、その時間が悪くなかったから。それ以上の理由はなかった。その時間を惜しむ自分の理由だって、考えたくはない。
濡れていた髪。上気している肌。鼻腔をくすぐる匂いも、普段とは異なる。その体を抱え上げてベッドへ入れてやる。……本当に腹が立つ。どうしてこいつはこんなに無防備なんだ。ボクだから気を遣わない、という言葉がボクの胸中を更に複雑にした。
「………………」
布団から覗くアリアの手を見る。ボクに触れ、眠気に蕩けながら掛けられた微笑み。───苛々する。そうして感情をこいつなんかに左右されてしまう事実が、余計に苛立ちを育てた。手袋越しでなかった感触に、思わず掴まれた手を握り込んでしまう。
いい加減にして欲しい。一挙手一投足でこちらの気を振れさせないで欲しい。いちいち誘惑を覚えてしまう自分が嫌になる。何も自覚がないこの無神経の塊も。
いっそどうでもいいと答えたなら。そうすればボクも今より楽になれるかもしれないのに。この女の答えは変わらない。出会った頃から変わらないのだから頭がおかしいとしか思えない。なんで、そんなに強情なんだ。
それでも「どうでもよくない」という答えがあったことに、不快と呼べない感情があったことも事実だった。認めたくない。でも目を逸らせない。この女の存在は常に視界にあって、事実を突きつけ続けるから。自分の感情なんてものに向き合いたくなどないのに。
「……アリア」
目の前で呑気に寝顔を晒している、無防備な存在。ボクの全部で、このひと月でボクに「与えた」奴。手離し難く、手離されたくない。その気持ちは強まるばかりで、自分がおかしくなってしまったのか、初めからおかしかったのかも分からない。ただ……何より優先される。今のボクには、何よりも。
特に意味もないのに、ボクはその寝顔をしばらく眺めて過ごしてしまう。アリア自身も知らない、ボクだけの時間。それはボクの胸を僅かに満たして。
アリアのそんな姿を。
ボクだけが知っていればいいのに。