シンク&アリア②
昼時。テセの執務室でのんびりしていると、突然シンクが現れた。普段はあまり寄り付かないのに珍しいことだった。
「シンク。どうしました?」
テセが声を掛けるけど、シンクはずかずかと入り込んでボクに迫った。強い力で手首を掴まれ、引かれる。
「導師。コレ借りるから」
「コレって」
「いけません、シンク。本人の意思を……」
「うるさいな。さっさと来い」
「わわっ」
有無を言わさぬ力で引かれ、慌てて歩調を合わせる。急ぐような足取りに、半ば拐われるようにしてボクはシンクの執務室へ連行された。
*****
部屋に入り解放される。シンクが扉を閉める音を聞きながら自身の手首を確認した。結構な力で掴まれてはいたが、痕にはなってなさそうだ。
「で、どしたの?」
振り返って問う。そのボクに、シンクは仮面の奥からただ指示をした。
「座れ」
「え」
「さっさとしろ」
なんだろう。怒ってるのとも違いそうなのだが、さっきから本当に有無を言わせてくれない。まるでボクに強制するのが当たり前みたいに振る舞っていて、仮にもボク上司なんだけど。特に座りたくない理由があるわけでもないから、従うが。
当たり前のようにボクはソファに腰を下ろした。と、注文がつく。
「もっと端に寄れ」
「ここ?」
「そう」
少しだけ端に移動すれば、シンクは徐に仮面を外してしまう。露になった顔は顰められており、機嫌はあまり良さそうではない。彼はそのまま仮面を机に放ると回り込み───ボクの膝に頭を乗せてソファへ転がった。
「へ?」
「なに? こっちは寝不足なんだよ。もう三日はまともに寝てない」
「三日」
「言っておくけどこれでも早めに寝てやることにしたんだからな。前までなら一週間は仮眠で繋いでた」
「一週間」
衝撃的な日数を繰り返すしかできない。自他共に認める程、ボクは寝ることが好きだ。特にお昼寝を欠かしたことなどない。そのボクからすれば、仮眠で複数日を過ごせてしまうことが信じられない。多分体の作りから違う。
いや、そんなことより。
「なんで膝枕?」
「文句あるの? アンタが言ったんでしょ、自分に優しくしろって」
「言ったけど。膝枕はあくまで手本で、自分なりの方法にしてって言ったじゃん」
「してるだろ。文句がないなら黙っててくれる? 寝れないから」
「………………」
仕方がなく黙る。文句があるかないかで言えば、ない。どうせテセの部屋で休憩していたし、率先して仕事に戻りたい気持ちもない。枕にされることに不満もなかった。
ボクが黙ると、シンクから不満が飛んできた。
「ねぇ。アンタの手は何してるワケ?」
「へ」
「さっさとやるべきことをやれって言ってるんだけど」
「ええと」
少しだけ考える。前回の記憶を掘り起こし、すぐに行動に移した。手を持ち上げ、シンクの髪へ触れさせる。意外に柔らかいそれを労るように撫でれば、シンクが深く息を吐いて体の力を抜いたのが感じられる。
……本当にボクの膝の上で寝る気なのだろうか。
「あの」
「……なに?」
「……いや。おやすみ」
「…………オヤスミ」
言わされてる感満載ではあったが、一応は応えてくれる。そのまま眼を瞑り、シンクは更に呼吸を深くする。やがて程なくして穏やかな寝息が聞こえてくるようになり、入眠までの速度が訓練されてる人のそれだった。多分どんな環境でもすぐに寝れるようになっているのだろう。
それはさておき。
(これ、どういう状況?)
頭の中にハテナが多めに浮かんでしまう。いや、理解はできている。寝不足が続いたシンクがボクを枕にするために連れてきた、それ以外にない。ないのだが……
(……膝枕、気に入ったのかな)
素直に考えればそうなる。でも、あのシンクが?の気持ちが強い。することもないので膝に乗せられた髪を撫で付けながら、少しばかり頭を回してみる。彼との会話を思い返してみた。
「……あ」
閃く。「自分に優しくしろと言っただろう」と突き付けられた。つまりこの行為はシンクにとって「自分に優しくしている状態」ということで……彼の要求の根っこの部分をようやく理解した。
彼は膝枕をして欲しかったのではなく───優しく、されたかったのか。
「………………」
胸の奥がむず痒い。彼に優しい世界で在りたいと思った。だから言葉を交わし、前回は無理矢理に膝枕を強行した。その結果が今ということなら、それはボクの「優しさ」が彼に届いているということだ。ボクの行為を彼が「優しい」と受け取ってくれたから、リピートされた。……嬉しくないわけがない。
(くすぐったいなぁ)
自然、髪を撫でる手もより優しくなろうものだ。すっかり寝てしまっているようなので、きっと撫でる手を止めてしまっても分からないだろう。それでもボクは暫く撫でる手を休めないことにした。明確な理由などない、なんとなくだ。
胸にあるくすぐったさに何かが浮かんでくる。それは形容のしがたい、ふわふわとした感情。嬉しいというだけでは足りず、どこか浮き足立ったもの。その感情のままに口を開く。旋律は、自然と漏れだした。
「───♪」
旅の途中、どこかで聞いた子守唄。悪い夢を見ることのないように歌ってあげる類いのもの。そんなものが彼に必要だとは思っていない。ただ、泡のように沸き上がる感情のまま、勝手に口ずさんでいた。
部屋の中に仄かな灯りが生じる。ボクの感情を受けて、音素が微かに振動していた。それは一つ二つと増え、まるで室内にホタルが浮かぶようで。昼時とはいえ、灯りもつけていない室内では、それは少し幻想的に映った。
そんな風に、自分の心の揺らぎを視覚的にも捉えて……その事実が、嫌ではない。音素が勝手に共鳴する程に自分が感情を湧かせていることが、嫌ではなかった。
(……君に。良い眠りでありますように)
祈りながら、ボクもそっと眼を閉じた。
*****
オマケ。
「………………」
意識が浮上する。少しぼんやりする頭で、どうやら数時間は寝てしまったらしいと体内時計から察する。仮眠というには眠りすぎた。
横になった視界を閉じ、少しだけ寝起きの感覚に触れる。体の疲れは随分改善され、気分も悪くない。睡眠の質としては上々だろう。少なくともこの三日の中では最も休まった時間だったと思える。小さく息を吐いた。
ごろり、と体の向きを変える。真上を見上げれば、無防備な寝顔を晒している存在が見える。そいつはボクに指示されるままに枕になり、それを律儀に守り続けたらしい。自分まで寝入ってしまうというのは本当に間抜けだが、今更すぎて構わなかった。
「………………」
ぼう、とその顔を見上げる。自分の中にある、その存在への感情が何なのか測りかねていた。手離し難く、手離されたくもない。脅すように契約を持ち掛けて、側に留まる言い訳を手にした。
ケテルブルクでこいつを組み敷いた。その時に覚えた感覚は、ボクをうっすらと何かへ駆り立てた。押さえつけた手首の細さを思い出せる。その瞳にボクだけが映り、その声はボクだけに応える。それが……どこか、心地好かった。
(……今のボクの「全部」)
触れられる距離にあるそれ。目に見え、形がある。生まれてきて死ねない、その理由がずっと曖昧だった。確かに肉体を得て世界に存在している筈なのに、永遠に自分の存在を証明できない心地でいた。
でも今は違う。それは確かな形を持ち、温度を伝え、そこに在る。ボクの錯覚でもなく、誰が認める必要もなく、勝手に───ボクが、必死に手を伸ばさなくとも。
「………………」
悪くない、と思った。望まれることも、与えられることも、まだ馴染みはしないけれど。時々その「優しさ」に触れてみてもいいかと思うくらいには、悪くない。
(……アンタには、なんでもないことなんだろうけど)
眼を閉じる。そろそろ起き上がって放り出した仕事に構ってやらなければならない。そう分かっていて、尚ボクは分けられる体温に意識を傾けた。
まだ、あと少し。このぬるま湯のような感情に揺られて、呼吸を楽にしていたい。
あと、少しだけ。