シンク&アリア②


 導師補佐役の地位を貰って少しした頃、ボクはちょっとした面倒事に巻き込まれていた。よく教会に足を運ぶ熱心なローレライ教徒がいるのだが、何故か彼に軽い付きまといをされていたのだ。

 付きまといと言っても日々その青年が祈りに訪れ、そのついでにボクを見付けて話し掛けてくるという程度の話だ。それも過度にしつこいわけでなく、一般的には「好意を示しているだけ」のものだ。何か具体的な害意があるわけではない。

 ただ、ボクとしては決して嬉しくなく、とはいえ冷たく突き放す程の理由もなく適当に相手をしていた。ヴァンのせいで基盤の揺らいだ教団で、新参者のボクが問題を起こしたくないという気持ちもある。

 その日も、件の青年に声を掛けられていた。







*****







「アリア様! 日々御目にかかれて光栄です。これも始祖ユリアのお導きですね」

「……そうですね」

 控え目な笑顔を浮かべて、青年が喜びを示す。それにボクは外行きの微笑みで応えた。

 場所は教会の中庭だ。彼に声を掛けられるようになってから何日目か。ボクの内心は「めんどくさい」である。勿論、青年は知る由もないが。

「陽の光の下で拝見するお姿も清麗です。アリア様の前では夜の星々の輝きも霞んでしまうでしょう」

「いえ、私など……」

「ご謙遜を! お恥ずかしい話ですが、陽に透ける絹糸のようなお御髪に私の視線は囚われてしまっています。アリア様は天姿を備えていらっしゃいますよ」

「……はぁ」

 しまった。うっかり気の抜けた返事をしてしまう。この青年、会う度にボクの見た目や声を褒めてくれるのだが、よくレパートリーが尽きないものだと思う。こちらは全く聞く気がないのだが、それは気付いて頂けない。

 今回も青年がボクの気のない返事に気付くことはなかった。

「銀鈴のように涼やかなお声も、この蒼穹のように澄んだ瞳も……私のような者には勿体無い、奇跡のようです。天はアリア様を深く愛しておいでのようだ」

「……お褒めに預かり光栄です」

 どうにか気を取り直して外行きの顔を維持する。声を掛けられてからまだ数えられる程しか言葉を聞いていないが、既に疲れてきた。さっさと逃げてしまおう。そう決めて口を開きかけた時、

「───いたっ!?」

 青年が呻くように声を上げる。見れば、背後から近付いてその腕を捻り上げている姿があった。黒い詠師服に身を包んだ仮面の少年───シンクだ。

「な、なんだ、君は」

「………………」

「いた……ぅ、ああ……!!」

 青年が大袈裟に声を上げる。まさか一般人相手に過度な力を掛けている筈もない。そう思うが……シンクは黙ったまま腕を捻り上げ続ける。そのまま、不自然な方向に折れてしまいそうな程に。

 流石に慌てて止めに入った。

「シンク」

「………………」

「シンク!」

 一度でその手は離されない。重ねて名を呼べば、ちらりと仮面がこちらを見た気がした。次いでようやく手が離される。青年が解放され、腕を庇いながらその場に踞った。

「う、うぅ……!」

「すみません。腕は大丈夫ですか?」

「は、はい……」

「念のため医務室へ案内させます」

 その場にしゃがんで青年に最低限の誠意を見せつつ、すぐに案内を任せられる者を探そうと顔を上げる。ボクがついていく気持ちはゼロだ。そのボクと、仮面の向こうの視線が合った気がした。

 途端、シンクは身を返した。何も言わずに立ち去ってしまう。その背に何かを言うべきと感じるが、状況が許さない。結局見送るしか出来ないまま、ボクは青年を医務室送りにすべく動いた。







*****







 あれから数日、シンクがボクを避けている。原因はよく分からない。偶然遭遇することは勿論、執務室に会いに行っても何故か毎度いない。その状態が数日続けば避けられていると気付くのは容易い。

 仮にも一般市民に暴力を振るった件について多少のお小言を言わなければならない立場にボクはあるのだが、全然その機会は訪れそうにない。もしかして、お小言を言われたくなくて避けられているのだろうか。

「そんな子供っぽい理由なわけないか……」

「アリア?」

「あ、いや。なんでもない」

 ぼやけば、テセがボクを気に掛けてくれる。うっかりテセの前で心の声が漏れてしまった。気にしなくていいと伝えるが、彼は問いを重ねた。

「何か心配事ですか?」

「心配事というか……シンクになんか、避けられてて」

「シンクが……?」

 ボクの言葉にテセは驚きを表す。想像できないというようで、彼にボクとシンクの関係はどう映っているのだろう。シンクだって避けたければボクを避けるものだと思うのだけど。

 とりあえず経緯を軽く説明した。

「数日前にちょっと人に絡まれてね。別に悪い人じゃないんだけど、なんでかシンクがその人に軽く暴力を振るっちゃって。腕が折れそうだったから止めたら、それ以来避けられてる」

「……それは」

 テセの表情が複雑そうに変化する。まさかたったこれだけの情報で、彼は理由に思い至ったのだろうか。参考にさせて欲しい気持ちから尋ねてしまった。

「理由、分かる?」

「……はい。恐らく」

 眼を伏せて肯定する彼に、詳細を聞こうとする。だがそれより先にテセが首を横に振った。

「ですが、それは僕の口から話すべきではないと思います。直接、シンクに尋ねてください」

「そうは言っても避けられてるんだけど……」

「……大丈夫。きっと機会は巡る筈です」

「そう……?」

 首を傾げれば、テセは頷き返してくれる。全然そんな気はしないが、テセがそう言うのなら期待するしかない。

 どうしても捕まえたいなら実力行使をする選択肢もあるが、今はまだそうしたいと思えなかった。彼なりに思うことがあるから行動している筈で、あと数日ならその意志を尊重できる。

(あと数日、待って機会が巡らなかったら捕まえよう)

 そう自分の中で線引きをして、暫く様子見を続けることに決めた。







*****







 それからすぐ、ボクは想定にない事態に遭う。一般人が帰された後の夜半、テセの執務室からの帰り道でその人物に行き遭った。

「……アリア様」

「!」

 闇から現れたのは、ここ暫くボクに付きまとっている青年だ。とっくに関係者以外は叩き出されている筈で、何故こんな時間に教会内にその姿があるのか。

 青年はボクに近付く。

「すみません……こんな時間に押し掛けてしまったらご迷惑になると分かってはいたのですが……」

「……何故、教会に?」

「アリア様に、一目お会いしたかったのです」

 明確に答えると、青年は更に近付く。ボクは思わず後ろに下がるが青年の足が止まることはなかった。そのまま背後の壁まで追い詰められる。

「ああ……月影に照らされる貴女もお美しい。太陽の下に輝くお姿とは、また違う」

「………………」

 流石にこの状況で愛想よく振る舞う程、ボクもお人好しではない。青年は現時点で不法侵入に違いなく、壁に追い詰められている状況を「普通」だとも思わない。危険人物だと判断すべきだろう。

 さて、どうしよう。

(一旦気絶させる……かなぁ。一応一般人だし)

 視線を走らせるが、特に危険な物を携帯している様子もない。過剰な暴力で応える必要はないだろう。戦いの心得のない人間を気絶させるくらい簡単だ。最も楽な選択肢として第一音素に呼び掛ける準備をする。

 そのボクの腕を、青年が強い力で掴んだ。

「!」

「アリア様。どうか、その鈴のようなお声で私の名を呼んでは頂けませんか」

 青年の顔が近付く。振り払おうとするが、流石に年上の男性の腕を振り払えるだけの筋力はない。音素に呼び掛けて身体を強化しつつ、警告を兼ねて言葉だけは投げ掛けた。

「……離してください」

「星々を映すその瞳に、どうか私を留めてください。貴女のお側に私の場所が欲しいのです」

 更に顔が近付いた。聞いていなさそうだ。溜め息を吐く。音素で強化した身体で抵抗すれば、怪我をさせかねない。相手は一般人なのだ。

 だがまぁ、流石に正当防衛が適用されるだろう。面倒事にならなければいいなと思いながら、掴まれている腕に力を入れる。



 ───瞬間、青年が真横に吹き飛んだ。



「……わぉ」

 回転を交えながら吹き飛んだ体が、壁に激突してひしゃげた。……生きていないかもしれない。

 幾ら不法侵入者かつ正当防衛が成立したとしても、殺すまではやりすぎだ。これは困ったことになったかもしれない、と思いながら視線を正面へ戻す。

 そこにいるのは、青年を容赦なく蹴り飛ばしたボクの護衛役だ。久し振りにその姿を近くに見た。

「シンク」

「…………なんで、殺さなかった」

「……え?」

 掛かった問いが唐突すぎて、すぐには理解が出来なかった。何故、殺さなかったのか?

 シンクはボクに近付く。そして青年に掴まれた腕を今度はシンクが掴んだ。嘴型の仮面が先程の青年の距離まで入り込む。

「こんな近くまで許してさ。さっさと殺せばよかっただろ」

「……殺すのはやりすぎだよ」

「へぇ? 危害を加えられるとは思わなかったの? それとも満更でもなかったとか? 美辞麗句を並べられてたからね。アンタも耳心地がいいとか思うんだ?」

「??」

 仮面の下で口元が歪んだ笑みを浮かべる。言葉を重ねられるがよく意味が分からなかった。美辞麗句を並べられていた以外、身に覚えが無さすぎる。どうしてそんな発想になったのか。

 戸惑って答えが遅れれば、シンクの口元から笑みが消える。不愉快そうに口の端が下がり、それに似合う機嫌の悪い声が発される。

「───答えなよ」

「っ」

 ぎり、と掴まれた腕から痛みが上がる。全く想定していなかったのと、本当に痛かったために肩が震えた。よく分からない。よく分からないが、ボクはシンクを怒らせたらしい。慌てて口を開く。

「ちょ、ちょっと待って。君が何を言ってるか分からない」

「分からない? この期に及んで言い逃れしようって? ハッ……随分都合がいいね。そんな言葉でボクを騙せると思ってるのか。アンタにとってあの男は庇うだけの価値があるってこと?」

「いやだから」

「ああ、それとも恥ずかしいの? あんな歯が浮くような言葉で浮き足だったことを知られたくないとか? なら無駄な足掻きだよ。アンタが何を言ったって説得力はないからね。男に迫られた気分はどうだった? 気持ちよくなってたんだろ」

「あの」

「アンタも女だったんだね。それもあんな趣味の悪い褒め言葉を聞くようなさぁ……ご愁傷サマ。生憎あの男は、」

「話を聞けバカ!!」

「っ!」

 身長差を利用し、頭突きを顎にくれてやる。シンクも流石に想定してなかったらしく、腕が離され後ろへたたらを踏んだ。

 逆にその腕を掴み返し、無理矢理に仮面を剥ぐ。咄嗟にシンクは掴まれていない方の腕で自分の顔を庇った。───顔を見せる気はないらしい。

「シンク」

「………………」

「シンク。返事して」

「……なに」

「顔、見せて。ちゃんと君の眼を見て話がしたい」

「嫌だ」

「我儘言わないで。顔も見ないで話せることじゃないでしょ」

「………………」

 シンクは答えない。頑なに表情を隠していて、折れるつもりはないらしい。仕方がない。ボクは息を吐いて、少しだけ譲歩することにする。

「分かった。そのままでいいから話をしよう」

「……話すことなんかない」

「あるよ。君は大きな誤解をしてる」

「………………」

 シンクはすぐには応じない。だから勝手に話そうと口を開いて……しかし、それより先に呟きが溢された。

「……違う」

「……?」

「誤解なんか、してない」

「してるよ。まず、ボクはあの青年をなんとも思ってない。なんなら迷惑してたくらいで、」

「してないんだよ」

 強く、断言する形で重ねられた言葉にボクの台詞も止まる。誤解をしていない───あれだけ、よく分からない言葉でボクを責めたのに? 困惑しそうになりながら、彼の言葉に耳を傾けるべく黙る。

 でも、シンクも黙ってしまった。それ以上を言葉にすることに抵抗でもあるのか。仕方がなく、ボクの側から話を促す。

「シンク。聞かせて」

「………………」

「お願い。君の言葉が聞きたい」

 今のところ、シンクの言動は支離滅裂だ。ボクが青年の褒め言葉を喜んでいたみたいに捲し立てて噛み付いておきながら、誤解をしていないなんて。全く筋が通っていない。

 流石のボクでも推測が出来ず、シンク自身の言葉が必要だ。そう思って願い、根気強く待つ。やがて、何かの感情を滲ませる声で彼は答えた。

「ただ……不快だったんだよ」

「何が」

「アンタの態度が」

 態度、と言われても分からない。でも問いを掛ける必要はなかった。シンクは堰を切ったように、でもどこか辿々しく話を続ける。

「言い寄られて。迷惑してるクセに見逃してやって。あんな奴に愛想よくしてるアンタを見ると苛々した」

「………………」

「気持ちが悪くて、殺してやりたかった。でもアンタはボクを咎めた。それが心底不愉快で……許せなかった」

 何が、と問いたかった。あの時、彼が許せなかったのは誰だろう。青年か、ボクか、それとも自身か。

「アンタの顔を見たくなかった。見たら、今みたいにアンタを身勝手に責めるのが分かってたから」

「………………」

「でも、ボクはアンタの護衛役だから。アンタに危険があるなら、避けられなくて、」

 言葉が消える。それから、違う、と漏れた。

「…………違う、……殺してやりたかっただけだ」

 僅かに見える口元で、彼が歯を噛んだのが見える。小さな声で絞り出すように付け足された言葉は、きっと彼の本心だった。

 殺してやりたかっただけ。護衛役だから助けに現れたわけではなく、ただ殺意に動かされた。

「………………」

 シンクは再度黙ってしまう。口元を強く引き結んだ。自分の内に湧く感情を持て余しているのだろうか。それを上手く言葉に出来ないのかもしれない。

 そう感じたから、ボクは彼を手伝うことにする。刺激しないよう声音に注意して、問いを掛けた。

「要するに……ボクが彼を突き放さないのが、嫌だった?」

「………………」

 問うと、少しだけ躊躇った後にこくりと首肯が返る。それは先程までの饒舌さとは掛け離れた様子だった。辿々しい話より余程弱いサイン。でも、だから彼の心情の核心に触れていると分かる。

 眼を閉じて、ほんの少しの時間に話を整理する。

(シンクは、ボクに青年を突き放して欲しかった)

 どうして、は脇に置いておく。同時に、シンクは青年の存在を疎ましく感じていて、殺してやりたい程だった。だからあの日、過剰な暴力を振るって……それをボクが咎めたのが余計に癇に障った。

 多分、ボクがシンクの感情よりも青年を優先したように感じたのだろう。あの時ボクは、シンクに声を掛けるより先に青年に声を掛けてしまったから。

 身勝手に責めてしまうのが分かっていたから避けたと言った。なら、さっき並べられた責め句は本心じゃない。誤解をしていないというのは事実なのだろう。わざと状況を曲解し、ボクを責めるために使った。……責めてしまいたいという感情が先だった。

 そして青年を蹴り飛ばした後に最初に掛けられた問い。「何故、殺さなかったのか」───シンクは、ボクに青年を殺して欲しいと思ってた。自分で殺す以上に、ボクに殺して欲しいと思っていたのかもしれない。ボクが青年を突き放すだけでは足りないところまで感情が来ていた……のだろうか。流石に推測に自信がなくなってくる。

 でも、多分、そういうことだ。眼を開ける。

「……シンク」

「………………」

「手、離すけど逃げないで。部屋で続きを話そう。先にアレを片付けちゃうから」

 アレ、とボクが指差したのはひしゃげたきり動かない青年の体だ。生きているか死んでいるかは分からない。でも、やることは一つだ。彼が望むなら、叶えたいと思う。

「跡形もなく消すから、ちゃんと見てて」

「───」

 シンクは応えない。でもボクは信じて腕を離した。そのまま背を向け、青年へ向かう。近付けばまだ息があった。意識はないみたいだし骨は幾らか折れていそうだが、生かそうと思えば生かせるくらいだ。

 でも、ボクは生かさない。第一音素に呼び掛け、その体を食い潰させる。闇が存在を食み、文字通りに跡形も残さなかった。……音素の残滓が消えた後のその場所は、何事もなかったようだ。

 立ち上がり、振り返る。シンクは立ち去っておらず、そこに黙って立っていた。顔を庇っていた腕も下ろし、ボクが目の前で行ったことを願いの通り見届けていた。その少し伏せられた眼にある感情は、何だろう。少なくとも喜びではなかった。

 近付き、手を差し伸べる。

「部屋に行こう。ちゃんと話すから」

「………………」

 シンクは尚も答えない。でも黙って手を触れさせた。それを了承と受け取って、握り返す。手を引いて歩き出す。

 部屋に着いたら、まず何から話すべきか。彼の感情にどこから触れていくべきか……考えを巡らせながら、ボクは足を進める。

 今夜は少し長くなりそうだ。







*****







 ボクの執務室に着き、灯りはあえて点けない。窓から差し込む月明かりに任せることにした。

「シンク。座って」

「……いい」

「でも」

「ここでいい」

 部屋に入ってすぐのところで彼は頑なに足を止めた。負い目があるのだろう、ボクに対して。感情のままに責めた自覚があるからか、それとも別の理由か。流石に分からないが、それには触れないことにする。

 ボクは彼から剥いだ仮面を机の上に置くと少し迷って、彼の前へ立った。両手を伸ばし、彼の両の手をそれぞれに繋ぐ。びくり、と怯えたが振り払われはしない。そのまま、存在を触れさせながらボクは話を始めた。

「怒ってないよ」

「……なんで。ボクはアンタを、振り回したのに」

「そうだね。びっくりはした。でも、びっくりしただけだよ。大したことじゃない」

「大したこと、でしょ。ボクはアンタを傷付けようとしたんだよ。悪意があったんだ。アンタを身勝手に謗って、詰ってやろうとして、」

「うん。でも、いいよ。シンクの心がいっぱいいっぱいだったんでしょ? 少しくらい、八つ当たりしたっていい」

「っ……いいわけないだろ!」

「!」

 繋いでいた手が振り払われた。感情を爆発させるように、シンクが声を大きくする。千歳緑の瞳が強い感情を宿してボクを見据えた。

「アンタ自分が何言ってるか分かってる!? ボクに酷いことを言われたって構わないって言ってるんだ! ボクの心がいっぱいだったから……!? そんなの、理由にならないだろ!!」

 瞳に様々な感情を彩らせながら、彼は言葉に溺れかけているように必死に紡いだ。それはあまり見たことのない、彼の「激情」だ。

「アンタは怒っていい……良い子ぶってないでさぁ、ボクを責めなよ! 身に覚えのない責を擦り付けられて……不名誉なことを散々言ってやっただろ!? アンタが嫌がることをわざと言ってやったんだ! だからっ……ボクの身勝手な感情に振り回されたって! 迷惑だって、付き合いきれないって……ハッキリ言いなよ……!」

 ボクを傷付けてやろうと責め句を並べた時にも声を荒げなかったのに、今の彼は感情に全てを乱されていた。急に感情を弾けさせたからか、くしゃりと前髪を押さえて肩で息を繰り返す。

 内から沸き上がる感情のコントロールが出来ず、翻弄されて見える。怒鳴り付けられているボクより、余程シンクの方が辛そうだ。

 振り払われた自身の手をぎゅっと握り、その瞳を見詰め返した。

「理由になるよ」

「なるわけない……!」

「なるんだ。だって、君の心だから」

「っ……」

 瞳が、揺れる。

 ボクはあまり言葉選びが上手くない。いつだって伝えたいことの何割かしか伝えられない。でも、どうにか言葉を手繰り寄せる。君にちゃんと、伝えたい。

「ボクは君の心をどうでもいいと思わない。尊重したいし、尊重して欲しい。君が今回選択を間違ったとしても、感じたことが間違いだったわけじゃない。……心が動くのは間違いじゃないんだよ、シンク」

「……なに、なに言ってるの。意味が分からない。ボクは、」

「選択を間違えた。どんな理由があれ、教団の詠師が私的な感情で一般人に暴力を振るっていい理由にはならない」

「………………」

「だから、次からは我慢して。それで後から言葉でボクに伝えて。存在を許してるのが不愉快だから、殺せって」

「…………なんで」

 ぽつり。視線を下げたシンクが問いを溢す。ボクの手を振り払った彼の手が、強く握り込まれていた。

「なんで……殺した」

「殺して欲しかったんでしょ?」

「そう、だけど」

「だからだよ。シンクが、ボクの手で殺すことを望んでると思ったから。だから殺した。別に要らなかったし、邪魔だなとも思ってたから。丁度よかったよ」

「………………」

 シンクは黙ってしまう。少し伏せられた瞳。薄闇の中で見えるその眼は、何かの感情を湛えている。それが何かボクには分からない。だからもう一度手を伸ばし、振り払われた手を繋ぎ直す。強く握られた拳を解いて言葉を重ねた。

「シンク。ボクは君を手離さない。身も心も捨てさせない。尊重したい。だから好きなことも嫌いなことも、ちゃんと教えて欲しい。出来る範囲で応えるから」

「……アンタ、頭おかしいよ。ボクの心なんてモノのために人を殺したんだよ。……それでいいの?」

「いいよ。逆に何が問題なの?」

「………………」

 シンクは答えない。答えられないのか、答えたくないのか。分からないから、今度は彼の言葉を待った。

 ボクが待っていることが伝わったのだろう。十分に沈黙を挟んだ後に、シンクは躊躇いながら口を開いた。

「ボクは……全然、アンタの言葉が分からない」

「………………」

「ボクを簡単に許すのも、心なんてモノを理由に出来るのも、何もかも」

 でも、と囁く。

「アンタが、ボクが望んだからってだけで目障りな人間を殺すのも。この期に及んで『手離さない』って言うのも。ボクを責めないのも。……全部」

「………………」

「…………全部……嬉しい、んだと思う」

「シンク……」

 少しびっくりして名前を呼んでしまう。彼は名前を呼ばれたからかゆるゆると視線を上げて、ボクと交わらせてくれる。

 その眼にあるのは戸惑いで、自分の感情をそう形容するのが正しいのか分かっていないのだろう。ボクにだって分からない。それは、シンクの感情だから。

 彼はボクが勝手に繋いだ手に僅かに力を込める。ほんの少しだけ握り返してくれる。そのまま小さな声で続けた。

「……今回は、間違えた。次からはもっと上手くやる」

「うん。そうしよう」

「本当に怒らなくていいの? 今なら少しはしおらしく聞いてやるけど」

「いいよ。あ、でも聞きたいことはあるかな」

「……なに?」

 シンクの声に僅かに緊張が混じる。それは何かを恐れているようで、一体何を恐れる必要があるのか分からない。変なの、と思いながら問いを形にする。

「なんでボクにアレを殺して欲しかったの?」

「───」

 シンクは、分かりやすく眼を丸くした。それから……嗤う。おかしそうに、愉快そうに。

「ハッ……アンタ、訳も分からず殺したの?」

「うん。理由がなんであれ叶えようと思ったから」

「……はは。ホント、頭おかしい……」

「?」

 よく分からないが、何かがツボだったらしい。シンクは本当に愉しそうに嗤って、やがて満足したように顔を上げた。それからようやく問いの答えをくれる。

「アンタに蝿が集るのが不愉快だったんだよ。集られてるアンタが駆除しないのが更に不愉快だった。───蝿なんか、殺していいだろ」

「なるほどね」

 彼の話はシンプルで分かりやすい。見習いたいくらいだ。ボクだってシンクに蝿が集ってて、シンクがそれを許容していたら気になると思う。別にシンクに蝿を殺せとまでは思わないが、何故殺さないのかくらいは聞くだろう。

 彼の場合はそれが「殺して欲しい」まで至っていたというだけだ。蝿に対する殺意の差異でしかない。なら、そういうものと理解できる。シンクは蝿を殺してしまいたいと思うタイプで、ボクはそこまでじゃない。それだけの違い。スッキリした。

「じゃあ仲直りってことでいい?」

「仲直りもなにも喧嘩してたわけじゃないだろ」

「そうだけどさ。ボクが蝿に寛容だったせいで君の心を乱しちゃったとも言えるから。悪いことしたなって」

「お互い様だって? ふざけないでよ。今回の件はボクの落ち度だ。詠師が真っ昼間に教徒の腕を折ろうとするべきじゃなかった。やるならせめて夜だ」

「そ。人目を避けて、証拠も残さないで。君なら出来るでしょ」

「当たり前だよ。……でも」

 握り返したきりになっていた手に、もう一度力が込められる。視線が一度下がり、繋がれている手へ落ちた。それから再び持ち上がり、見詰められる。その眼にあるのは、彼には珍しく「期待」で。

 確かめるように問いが渡される。

「ボクが殺せって言ったら、次からはアンタも蝿を殺してくれるんだよね?」

「勿論。だからちゃんと教えてね。君の好きなことや、嫌いなこと……何が嬉しいかをさ」

「───覚えておくよ」

 シンクの口元には笑みが浮かんでいて。それはきっと歪んでいたけど、ボクは構わなかった。君に、君を尊重したいというボクの言葉が届いているならそれでいい。今は出来ることから変えていこう。

 繋いだ手は離しがたくて。

 夜が更けるまで、ボクらは密やかに過ごした。







*****







 後日、テセに報告を済ませる。シンクと無事に仲直りをしたことを伝えると、彼は「よかった」と優しい顔をしてくれた。

「シンクが傷付けてしまったその人は、どうなりましたか?」

「さぁ? 姿を見なくなったから、シンクを怖がってるのかも」

 ボクは平然と嘘を吐く。優しい君は、きっとボクが簡単に人を殺したと聞いたら悲しい顔をするだろうから。ボクが変わらず命を奪ってしまえる化け物だと知っているのはシンクだけ───秘密の共有なんて、悪くない。

 ボクとシンクは月明かりの下で繋がっていて。

 ボクとテセは陽だまりの中で繋がっている。







 優しい嘘は、必要でしょ?
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