シンク&アリア④
「シンクってキス魔?」
「……は?」
「いや、なんか事あるごとにキスされてる気がして」
ボクの唐突な問いに、シンクは隣で戸惑いを示す。それから自分の行動を振り返ったのだろうか。改めて回答をくれる。
「そうかもね。アンタがキスしたくなる顔してるのが悪い」
「どんな顔さ、それ」
「人の欲情を煽る顔」
「………………」
ストレートに回答されてしまい、思わず黙る。ボクは特別そういう顔をしている自覚がないのに、シンクからするとそう見えている、ということだ。どう気を付ければいいのかも分からない。
「……えっと。キス、好きなんだよね?」
「正確には顔を真っ赤にしてボクに縋りつくアンタが可愛いんだけどね」
「やめて急にそういうこと言うの」
「言い得でしょ」
何が言い得だというのか。こちらは何かがすり減るのに。彼ときたら平然と答えるのだからやめて欲しい。いつもの意地悪ですらない。
兎に角このままでは聞きたいことにいつまでも辿り着けない。無理矢理問いを掛けることにした。
「そんなにキス好きならさ。なんで今までしなかったの?」
「………………」
シンクと触れ合いを持つようになってから、随分と経っている。でも彼は一度もキスをしなくて、初めてしたのが頭潰しの現場だ。……今考えるとなんて場所で初めてのキスをしたのだろう。血の海で初キスって。
「……特別な理由はないよ。ただなんとなく、しなかっただけ」
「そう……」
嘘だ、と思う。彼にとって触れ合いとキスでは意味が異なるからしなかったとしか思えない。教えるつもりはない、ということだろうか。
いつもなら引き下がる。でもボクは……今のボクは、彼が傾けてくれる「愛」をちゃんと知りたいから。わざと食い下がった。
「ボクさ。シンクにキスされると凄い幸せなんだ」
「───」
「びっくりするし、恥ずかしいけど。でも君がボクに向けてくれてる感情が伝わるみたいで、安心するっていうか……満たされる、気がする」
「……煽ってるの?」
「真面目に話してます」
シンクの視線がこちらを向いて、その眼にちょっぴり妖しい色があることに気付いて言葉を返す。会話の途中にキスでもされては堪らない。
襲われる前にちゃんと話をしようと、言葉を続けた。
「だからさ。キスって君の想いを伝えてくれる行為だと思ってて……触れ合いより、伝わる気がする」
「………………」
「……もしかしてさ。シンクが今までキスをしなかったのって、」
「余計なことを言えば、その口塞ぐよ」
「……はい」
圧をかけられてしまった。でもその反応で十分だ。図星だと言っているのと同じなのだから。
つまり、シンクもキスという行為を同じように感じてる。だからこそ一線を引いていたのだろう。その理由までは分からないけど、「キスをすべきじゃない」と思ってたことは想像できた。
それなら……今の彼は、自分にそれを許しているということになる。ボクにキスする権利を持っていいと思ってくれた。キスで想いが伝わってしまうと分かっているのに。……なんとなく、嬉しい。
「顔。馬鹿になってるよ」
「嬉しいと思ったら緩むものだから」
「……ふん」
ボクが思い至ったことにシンクも予想がついているのか。顔を逸らして鼻を鳴らされてしまう。その横顔を見てると胸がくすぐったくて、彼が傾けてくれる「愛」が一層嬉しくなる。
触れ合いの時間は戸惑いの方が大きかった。でも、キスは純粋に嬉しいし、もっとしてもいいと感じる。「愛」を感じて、「愛されたい」と思ってしまって……「愛」を返したいとも、思ってる。例え互いの「愛」の種類が異なったとしても、伝えないよりずっといい。
「シンクはボクとキスするとどういう気持ちになる?」
「何その最悪な質問。言いたくないよ」
「教えてよ。君とボクにとって意味のあることだよ」
「………………」
シンクは片肘をついてしばらく黙り込む。きっと色んなことを考えてくれているのだろう。最終的にぽつりと答えがあったのは、ボクの気持ちが届いているからだと思う。
「……アンタと同じだよ」
「ボクと?」
「そう。……満たされる、って言ったでしょ」
「………………」
その言葉は。他の誰かが言ったらそんなにボクの胸に響かなかったかもしれない。でも言ったのが他でもないシンクだから、胸にきてしまった。
神託の盾の地下牢で空っぽだと噛み付いた彼を知ってる。その彼が、満たされるという言葉を使う。そんなに深く言葉を選んでなんかいないかもしれない。でも……ボクには、凄く意味があったから。
「……よかった」
「なにが?」
「ボクは今でも君の幸せの形をしてるんだなって思って」
「……何の話?」
訝しむ視線が向けられる。何も覚えていない彼には突拍子もない発言でしかないだろう。ボクも事情があるので、少しだけ違う角度から話を伝える。
「幸せってさ。満たされるってことだと思うんだ」
「………………」
「ボクは君に幸せでいて欲しい。ボクとのキスで満たされるってことはさ、シンクにとっての幸せはボクなんだなって思って。君の幸せの一部になれてるのが、嬉しいんだ」
「……まだ分かってないみたいだね」
「へ?」
隣から手が伸びて、手首が引かれる。バランスを崩して彼の胸に飛び込んでしまった。そのままぎゅうと抱き締められて、声が落ちてきた。
「何度も伝えてる筈だけど。アンタが『全部』だって。勝手に一部に格下げしないでくれない?」
「……君はボク以外の幸せも見つけた方がいいと思う」
「要らないよ、そんなの。アンタだけでも手に余る」
その言葉は、ストレートにとれば「ボクという幸せが大きすぎる」という意味だ。シンクにとって……そんなに価値があっていいのかと、少し戸惑う。
どうしてボクなのか、と思うことはある。でもその度に脳裏を過るのは、以前ケテルブルクで告げられた彼の答えだ。
───「ただこの手を取ったのがアンタだったから……離さないって言ったのがアンタだから、ボクはここにいるんだ」。
ボクが彼の「全部」になってしまった最大の理由。あの瞬間行動したのはボクだけで、ボクしかいなかった。だから彼はボクを価値にした。自分が生きる理由で……自分が存在していいと思える価値に。
「……ね。シンク」
「なに?」
「あの時、手を伸ばしてくれてありがとう」
「………………」
「地核で。君が手を伸ばし返してくれなかったら、届かなかった。ボクは目の前で君を失ってたんだ。……今こうして、幸せを分けてもらうことも出来ずにさ」
ぎゅ、と。彼の胸に沿わせた手を握り込む。もしもなんて考えてもあまり意味はない。でも、君を失ったかもしれない未来と、失わなかった今の差を考えることはボクにとって意味があるから。
「君が、ボクを選んでくれてよかった」
「……アンタを困らせてるのに?」
「うん。それでも」
答えれば、背に回った腕の力が増した。少し苦しいくらいだったけど構わない。多分、苦しいのは彼の方だから。ボクの言葉は彼の心臓を痛め付けている。……時々怒られるから、分かってる。分かってて、言葉にする。
「何度でも言えるよ。ボクは君が好きだって。君とボクで抱く種類が違ってもさ、お互いに好きで、『愛』がある。君がくれる『愛』が、ボクは欲しい」
「……愛?」
「うん。有識者に教えてもらったんだ。シンクが傾けてくれてるその感情は、『愛』なんだって」
「…………そう」
シンクは少しの迷いを含ませながら頷いた。まるで考えたこともなかったというようで、「愛」なんて言葉は初めて聞いたみたいだった。実際はそんなことはないのだろうけど、それだけ思い至っていなかったのか。どうやら今回はボクの方が先輩らしい。
抱き締められてぬくぬくと温かさを享受しながら、ボクはそれを形にする。
「ボクもよく分かんないんだけどさ。君がくれる『愛』にボクも応えたい。返したいって思うなら、ボクも君に対して『愛』があるんだと思う」
それはきっと絶望的に隔たりのある親愛だけれど。
「『愛してる』───なんて。まだしっくりこないけどさ。君に、いつかちゃんと言えるようになりたいな」
「………………」
少しだけ沈黙する。ボクの言葉を受け取って、吟味して。自分の中でどんな言葉が生まれるか向き合ってくれている。そう感じるから、大人しく待った。彼は。
「アリア」
名前を、呼んでくれる。
顔を上げる。抱き締められてるから難しいけど、少し隙間を作れば見上げられない程じゃない。眼を上げれば、千歳緑の瞳と合った。そこに、形容の難しい色がある。いつか見た切実さに似たもの。
「牢で頭を冷やしてから、アンタのことを考えると時々胸が苦しくなる。その感情の名前が『愛』だって言うならさ───」
息が近付く。支えるように後頭部に彼の手が触れて、降りてくるものに眼を閉じた。満たされたいし、満たしたい。互いが互いの幸せの形で在りたい。「愛」を、分け合いたい。
「───ボクはどうしようもなくアンタを『愛してる』んだろうね」
囁きが触れて。最初はただ触れ合うように。ボクが慣れた頃を見計らって、深くなる。どこにもいけないよう、互いを深く繋げようとするように。真上から押さえ付けるようにボクの自由を奪う。
それにボクは抗わない。繋がれようとする。だって、どうせこの手は離せない。君に側にいて欲しいなら、弱みに付け込まれたって仕方がない。ボクと君の関係は、そういうもの。
君に幸せでいて欲しいと祈った。
その君が、ボクを幸せに選んだ。
なら───きっと、望み通りだから。
ボクは君を幸せにしたい。
満たされて。どうしようもなく。