シンク&アリア④
バチカルでの誘拐騒動から戻って数日後。
いつものように私室で休もうとしていれば、来訪者があった。それはシンクで、何か話でもあるのかと招き入れる。彼は仮面を着けたまま大人しく部屋へ入り込んだ。
「どしたの? こんな時間に」
問う。ここまでは日常だった。いつもと変わらない温度の空間。でも彼は黙ったままボクの方へ来ると、肩を押してベッドにボクを転がした。
触れられているという事実と、真上から見下ろされているその距離に緊張が生じる。体が強張って、体温を僅かに上げながらも彼を見上げる。
暗い室内で、ベッドに押し倒されるボクと、その上に跨がる彼。月明かりが仄かに照らす景色の中で、彼は空いている方の手で仮面に触れた。それをそっとずらすと千歳緑の瞳が覗く。───妖しい色が、あった。
「約束。覚えてるよね?」
「お……ぼえて、ます」
思わず言い逃れてしまいたい気持ちになりながら、きちんと肯定を返した。約束をした。彼がボクを「欲しい」と言い、それを少しでも理解できるよう時間を持つと。触れるだけだと……触れる、ことを許した。
予感する。今から、そういう時間を持つのだと。彼はそのつもりで部屋を訪れていて、ボクに拒否権はない。肩に触れる掌が改めて意識される。居たたまれなくて視線を彷徨わせた。どんな顔をしていていいか分からない。
「アリア」
名前を呼ばれる。彼が名前を呼ぶのは、いつだってそうするしかない時だ。そして呼ばれたなら眼を逸らすことは許されない。ボクは視線を彼へと戻す。
シンクは外した仮面を脇に置いてしまうと、自身の手を覆っている黒手袋に手を掛けた。常に装着され、殆ど素手は見たことがない。それがあまりに簡単に外され、放り出される。露になった彼の手を見ると、なんとも言えない気分が上がってくる。
指先が伸びる。再び肩に触れ、手袋越しでない感触に体を震わす。肌と肌が触れ合っている───それだけが、恥ずかしい。
直接伝わる温度。いつもと違う。もう片方の手が伸びた。ボクの頬に触れ、包み込む。顔を逸らしてしまいたいけれど堪える。ボクを見下ろす瞳を懸命に見上げた。彼は、口元に笑みを形作る。
「怖いの?」
「……ちょっとね」
「安心していいよ。ちゃんと、気持ちよくしてあげるから」
それが怖い、と言っても彼は分かってくれない気がする。知らないものは怖い。これから訪れる時間が、与えられるものが、怖い。自分がどうなってしまうのか、分からないから。
「一応聞くけど、経験は?」
「……ないよ」
「だろうね。ある奴の顔じゃない」
一体、今ボクはどんな顔をしているのか。知りたくなくて、ボクは違う問いを返した。
「シンクは?」
「実際にするのは初めてだよ。でもアンタで何度も想像した。……例えば、こうやってさ」
頬に触れていた手が動く。耳に移動して柔らかく撫でる。それだけで大きく何かが変わることはない。でも、普段他者に触れられないそこに緩く刺激が与えられると、少しだけ変な気持ちになってしまう。
思わず顔を背ける。彼が小さく笑った気配がして、変わらず指先はボクの耳を弄ぶ。まるで触れられる時間を少しでも長く愉しもうとしているように。……居たたまれない。
「あんまり、意地悪しないで」
「ハイハイ」
応えて、彼の指が肌を滑る。顔を逸らして晒された首筋をゆっくりと下る。それはすぐに服の襟口に到達し、手が掛かったのを意識する。分かってる。そういう時間を過ごすなら……体を晒すことになることくらい。
彼は躊躇わずにボクの服に手を掛け、前を開いてしまう。衣服が乱され、月明かりの下で下着姿が彼の眼に映っていると分かる。体温が上がる。見られている、という羞恥があって顔を向けられない。
指先が首筋に触れ直し、再びゆっくりと下がる。鎖骨に触れ、撫でる。掌が肌に押し付けられた。熱い掌。その熱が移る。
「アリア」
また、名を呼ばれる。ボクは愚かだから、従ってしまう。恥ずかしくて顔を見られないと思っているのに、呼ばれてしまったからと眼を向ける。
合ったその瞳は、明確に熱を宿していた。
「声。出していいから」
「………………」
応えられない。声を出すものなのか、流石に経験がなくて分からなかった。でもそう先んじて伝えてくれるなら、きっと声を上げてしまうような行為なのだろう。彼はきっとボクに心の準備をする時間をくれたのだと思って───その掌が、胸を隠す下着の中へ侵入した。
「!」
熱い掌。それがゆっくりと包んで感触を確かめる。くすぐったい、とも言い切れない感覚がある。優しく、まるで解すみたいに掌全体で刺激を与えられる。声は出なかったが、息は漏れた。
シンクの手は丁寧に触れている。軽率なことはしない。少しずつその感覚にボクを慣らしてくれて、やがてゆっくりとそこに触れた。
「あっ……!」
声が出た。びっくりして自由な手で口元を抑える。絶対に聞こえた筈で恥ずかしい。顔に熱が集まって、きっと今のボクは赤い顔をしていると分かった。
シンクはそれを見下ろして、体を近付けた。耳元に息が触れる。
「出していいって言っただろ」
「……っ」
耳元で囁かれて、ぞわぞわと感覚が上がる。何かが耳に触れた。熱く、湿ったもの。舌だ。彼の舌が耳を這う。それに眼を瞑ってふるりと体を震わせると、同時にその刺激が与えられてびっくりする。
「あ、」
胸の方でそれに触れている指先がある。それは優しく、緩やかに刺激を与える。もどかしくて、焦らされているようで。でも強い刺激よりもよっぽど効果的だと感じる。呼吸が勝手に乱れて、声が何度も漏れ出てしまう。堪えたいのにそう出来ない。
耳に触れていた舌が離れる。下着に潜り込んだ指先も離れて、少しだけホッと息を落ち着けた。けれど彼は解放してくれる訳じゃない。次の行動に移ろうとしているだけだ。
彼はボクに覆い被さったまま、抱き締めるように手を背へ差し込む。ホックが外され、下着が奪われた。今度こそ晒されたそれに……やっぱり顔を逸らすしかない。今更、隠すわけにもいかないし。
「やっぱり、形が良いね」
「待って。やっぱりってなに?」
「服の上からそう思ってたってことだよ」
彼は意地悪に笑って、再び指先で胸に触れた。一度離れて落ち着きを取り戻していた体に、また感覚が押し寄せる。身を捩って息を漏らす。二度目だから、だろうか。胸から鳩尾に何かの感覚が下る。それは痺れに似ていて、鳩尾の下の腹部に広がる。
「な、なんか、変」
「どう変なの?」
「えっ……いや、あの」
自分の体の変化を説明しろ、と言っているのか。出来るわけもない。恥ずかしいし、具体的に知られたいとも思えない。動揺して口走ったのは失敗だったと理解する。
「言ってみなよ。ホラ」
「だから……えっと」
「ああ。感じてないと言葉に出来ないか。ほら、ちゃんと意識を集中させな」
「あっ」
三度。胸に触れる指先から刺激が送られる。鳩尾に、その下腹部にはしる痺れがまたその存在を主張した。身を捩る。堪えがたい。じくじくと感じられて、何かが疼いてしまう。シンクはもうその手を止めてはくれない。
「まっ、て。しん、」
言葉を作ろうとする。その間にも意図しない声が上がってしまう。声が上がるものなのか、実際のところは知らなかった。でも知識はある。こういうものを嬌声というのだろう。自分の口から上がっていく事実に堪えられない。
シンクの、もう片方の手が動いた。指先が刺激を受けていなかった方の胸に触れる。先に触れられた胸と異なる刺激が生じる。そうして感覚が「少し前」に戻されることがもどかしい。きっと、わざとタイミングをずらしている。
「し、ん」
名前を呼ぼうとする。文句の一つでも言ってやりたかった。でも、状況は変わる。先に触っていた方の胸に息が触れ───食まれる。
「ひ……!?」
違う。指先に与えられるものと、あまりに違う。舌先が触れ弄ぶ。湿った感覚。掌と違う熱。動き方も、触れる心地も全然違う。慣れ、られない。
「あ、ふ……ぅ」
下腹部に広がる痺れが存在を主張する。甘い───甘い、痺れだと思った。疼いて、期待して。もどかしくて、心地好くて。痺れの先で熱が溜まっていくのを感じる。わだかまる。下腹部が、重たくなったように。
「は、……ん、あ、ぁ……!」
声が飲み込めない。耳に届いて羞恥が増す。シンクの指先と舌が、別々に刺激を与え続ける。吸われたり、転がされたり、摘ままれたり、圧されたり。その事実が恥ずかしい。食べられてしまう───怖い。
「は……なんて顔してるのさ、アンタ」
シンクは体を少しだけ離すとボクの顔を見て笑った。それはいつものような意地悪なものとも、馬鹿にしたり呆れたりするようなものとも違う。ボクの顔を……表情を見て、何かを感じている顔だ。……いつもより、余裕が少ない?
「アンタがそんな顔でボクを見上げる日が来るなんてね。生き長らえた甲斐があるよ」
「どん、な」
「泣き出しそうでいっぱいいっぱいの顔だよ。そんなに気持ちいいんだ?」
「や、……ぁ」
胸から離れた指先がそこに触れる。まだ剥ぎ取られていない下着の一方。その中心に下着越しに触れる。軽く圧すだけの触れ方だ。でもそうされて知ってしまう。そこに熱が集まっている。平時より、余程。
「触って欲しい?」
「わか、んない」
「そ。なら分かるまで時間を掛けてやるよ」
そっと撫でられて、指先が滑る。掌が太股に、足の付け根に程近い場所に押し付けられる。初めはただの接触だった筈なのに、ただの肌でも伝わるものが変わってしまっている。言葉にならない感覚が這い上がる。
「アリア」
さっきは意地悪なことを言ったのに、今度名前を呼ぶ声は優しい。次いで口付けが肌に降りてきた。それはボクの内心を分かっているように優しく触れる。音を立てて、ゆっくりと下がっていく。怖くない、と宥められている気がする。
体に溜まった熱と、与えられる安心が齟齬をおこす。どちらに感覚を委ねればいいのか分からず戸惑う。そうして優しく触れていて欲しい気持ちと、声を堪えられない程の感覚を与えられたい気持ちが渦巻く。……もどかしい。
ちゅ、と音を立てて。口付けが足の付け根に落とされる。熱を抱くその場所に程近い位置。少し強く刺激があって、軽い痛みがあった。きっと、そんな場所に痕が残されたに違いない。どうしてそんな位置に。
「どうして、って顔に書いてあるね」
「……うん」
「ここは普通なら誰も触れられないだろ。こういうことでもしなきゃ、痕なんか残らない。ボクに、アンタが許したことの証だよ」
そう言われてしまえば納得した。ボクだって誰にでも体を許すわけじゃない。これはボクが彼にそれを許した証であり───所有印に近い。そう思うと、どうしてか安心のようなものを抱いた。彼にそうして望まれることが、胸にあった「怖い」を緩やかにしてくれる。
シンクが体勢を変える。今度は何をするつもりなのか。頭の中が既にふわふわしている。正常に理性が働いていなくて、警戒なんて忘れてしまっている。与えられるものを享受することしか出来ない。
指先が、下着の上から膨らみの中心に触れた。
「あっ……!?」
びくん、と体が震える。それ程強く触れられたわけではない。軽く圧迫するようにされただけだ。でもボクの体は驚いてしまって、継続される刺激に腰が疼いた。
「あ、あ……ぅ、あ」
這い上がる感覚に身を捩る。逃れたい。逃がしたい。受け止めていたら体が持たない。訪れる波をどうにかしなくては、頭の中がダメになってしまう。そう、思うのに。
「んっ!」
見なくても分かる。下着の上から指ではないものが触れてる。胸でそうしたように食み、転がし、熱を移す。甘い痺れが勢いを伴って上がってくる。体を冒す。内側から侵食されて、言葉が作れない。頭の中がバラバラで。その言葉だけが形を得る───きもち、いい。
「ぅ、あ、あ、や、あ」
違う。そんなこと思ってない。認めたくない。認めてしまうのが怖い。恥ずかしい。許して。
「ん……は、ぁ……!」
一度形になってしまったものが残り続ける。否定したい筈なのに塗り潰される。きもちいい。きもち、いい。もっと。もっと───
「───あ」
その言葉が頭の中で形作られて、思い知らされる。自分の抱く葛藤も、溺れる想いも。彼の掌の上なんだって。
舌先が離れる。体勢がまた変わり、シンクの顔が側へ戻ってくる。その瞳がボクを見下ろして、何かに浸るように感情を揺らす。彼の与えるものですっかり乱されたボクを見て、君は何かを得ている。それがどんな感情か、ボクには分からない。
ボクの頭はすっかりまともに働いていない。とろとろに溶かされているように曖昧で、ただ求めてしまう。溺れたい。浸りたい。蕩けたい。ただ……快楽に。
「分かった?」
前置きのない問い。でも、分かってしまう。「分からない」と少し前に答えた記憶があったから。それは、もっと、という言葉の続きだ。気持ちがよくて、望んだこと。もっと、
「さわ、って」
「───よく出来ました」
笑って、何度目か。その唇が胸を含んで、手は下腹部の熱に触れる。さっきまでよりも強い刺激。明確に圧迫され、血流の増しているそこが意識される。
刺激に、快楽に、身を捩る。逃がせない気持ちよさに体がはねて、自分から体を押し付けるみたいにしてしまう。
でも、もうその行為に羞恥すら起こらない。ただ気持ちよくなりたい。与えられて、どろどろに、ダメにされたい。はやく。あがってきて。
「あ、ぁ……!」
シンクに執拗に触れられたそこから這い上がってくるものがある。押し寄せる、余裕のないもの。目の前がチカチカと瞬く気がした。
「や……あ、あっ」
「……はは。イイ顔するね。アンタがボクの手でぐちゃぐちゃになってる……」
「ん、は……! あ、あぁっ」
「ホラ。意識してごらん。『それ』が来たら、アンタの『ここ』が……どうなるかをさ」
下着の上から刺激を与えていた指先が滑る。少し後ろの方。触れられて、初めて意識した。
知識はある。女性の体はそこに穴がある。受け入れるためのもの。その入り口に、緩く刺激があって。
「あっ───!」
ダメ。もう。快楽が体を駆け抜けて。ぞくぞくと這い上がってきたものが頭まで到達する。強い収縮。断続的に内部が震えて、中身なんてないのに腰に心地好い疼きが広がる。
過度の緊張から解放されて頭の中が緩まる。何も考えられない。体の方も心地好くて、適度な疲労と怠さがあった。力が尽きて───意識が、溶ける。
「…………、」
世界が判然としなくなる中、触れるものがある。それはそっとボクの髪を撫でてくれていて、意識を保てないことを許してくれる。
眼を薄く開ける。触れられる距離から、ボクを見下ろす千歳緑の瞳。それはどこか苦しそうで。
ぎゅう、と抱き寄せられて。微睡みの中で手を伸ばし返した。腕の中で安心を得たい……温もりに包まれて、自分を手放したい。全てを、預けたい。
君は少しだけ、息を漏らして。
それでも、最後までボクを甘やかしてくれた。
*****
翌朝、ボクは体を清潔にされた上で寝衣を着せられ、目を覚ました。眠っている間にそこまで手間を掛けさせたのかと思うと複雑だが、有り難いので厚意として受け取っておく。
なんだが体にいい眠りだったらしく、戸惑うことに心身は快調だ。いつも通りに身支度をし、一日を始める。
仕事上でシンクと遭遇した時には流石に顔を見られなかったが、彼は仮面の向こうでいつものように振る舞った。ズルい、その仮面が今だけ欲しい。……ボクばかりが昨晩の出来事を思い出しているようで、色々と不服だ。
でも。
そうして仕事上のやり取りを終え、別れる時。黒手袋の手が伸びてきて、手首を掴まれた。軽く引かれ、耳元に囁きが落ちてくる。
「───昨晩のアンタ、いじめてやりたくなるくらい可愛かったよ」
「……! な、あ」
「次はもっと焦らしてやるから。アンタが泣いて縋るくらいね」
「~~~!!」
意地悪、と言い返すことも出来なくて。
口付けが手首に残されて、離れていった。
君に、あと何度溶かされてしまうのだろう。