庭園の造花


 薄暗い部屋で、オレはじっと窓の外を眺めていた。暗い景色。空を見上げれば星が明るいが、その下に広がるのは終わりの見えない黒い海だ。

(今のオレに、ちょーお似合い)

 笑ってしまう。折角ちょっとかっこよく決意を固めたのに、状況はお先真っ暗だ。オレの行動より、いや決意より、カルマートの方がずっと早かった。オレよりカルマートの方が頭がいいのは当たり前だ。子供の頃からそうだった。

 オレには想像できない何手先までも読むカルマートと、馬鹿みたいに真っ直ぐに自分の理想を体現しようと努力するプレスト。

 じゃあオレは何をしていたかと言えば、へらへら笑って曖昧に誤魔化してきただけだ。なんとなく上手く回っているように、なんとなく二人の側に馴染めているように、どっち付かずに調子のいいことを言うだけの臆病者。大した思想も目的もなく、ただ二人と居たいから首を縦に振り続けた。

(だから、これはそのツケなんだ)

 中途半端に気持ちを残して、二人を裏切った罰。王城に忍ばせたラブレターに「導師補佐役が監禁されている」と書けなかったのが良い証拠だ。

 本当のところで、告発に勇気が足りない。御子様に断薬を促した時、「勇気があるなら」なんて前置きをしたのは、多分勇気が足りない自分と彼女が変わらないことを証明したかったのだ。勇気が足りない自分を正当化したかった……

(……いや、違うか)

 勇気が、欲しかったのだ。プレストは御子様を弱いと言う。俺達が護って差し上げなくてはと暗示のように繰り返していた。

 でも、オレの眼に映る御子様はキラキラ輝いてて。不安があっても前へ進もうとしていて、負けず嫌いで、頑固で、変なところで意地を張るから言動が予想できない。籠の中にいる筈なのに「生きてる」と感じた。オレより、余程。

(だから、そんな御子様に勇気を分けて欲しかったんだ)

 あの薬の断薬はかなり苦しいと聞いていた。すぐに心が折れると思ってた。理由も何も説明してないのに、信用も何もかも中途半端なオレなんかの言葉一つで、彼女が抵抗を選ぶのか知りたかった。

 そうやって誰かを……オレを、信じて戦うことを選んでくれる姿に、期待してたんだ。オレはオレを信じてないけど、御子様が信じてくれるオレなら、きっと信じられるような気がしたから。

(信じる勇気を……折角、御子様がくれたのになぁ)

 状況は暗い海の上。船はケセドニアを出てグランコクマへ向かっている。キムラスカ王国からマルクト帝国への大胆な移動だった。

 誰に会いに行こうとしているのかも分からない。オレはいつだって知らされていない。知ろうともしてこなかった。でも、今この船にいるのは自分の意思だった。

「御子様……」

 首だけで振り返って、自分が腰を下ろしているベッドを見る。そこに寝かされているのは亜麻色の長い髪を広げた、オレに勇気をくれる人。プレストが何より望んで、カルマートが何より厭う存在。

 カルマートが彼女をグランコクマへやろうとしていることを知ったのは、完全な偶然だった。直前に知って護送を名乗り出たから、城のラブレターを差し替えることは出来なかった。

(プレスト達、どうなったかな)

 心の中で呟くけれど、なんとなく分かっている。カルマートは頭が良い。オレの裏切りだって読んでたみたいで、護送の立候補だって多分アイツの想定通りなんだ。

 だからプレストもカルマートも無事だし、多分オレは代わりに消される。アイツならそうするって、逆に信頼があるくらいだ。裏切り者のオレに護送を任せたのだって、監視をつけてグランコクマに送り込み、御子様誘拐の主犯をオレにするためだ。薬のことだって多分オレのせいになる。

 分かってる。分かってて、この船に乗り込んだ。

(それでも、オレはプレストやカルマートを本当には裏切れない)

 好きだから。尊敬してるから。一緒にいたかったから。アイツらの理想を応援したい気持ちも、確かにあるから。

 でも、方法が違うんだ。手段が間違ってる。オレはいっつも曖昧で、へらへら笑ってるだけだったから、こんなことを思う権利もないんだろうけど。でも、違うと思ったから決めたんだ。

 プレストみたいに間違いを正せるなんて思っちゃいない。カルマートみたいに頭が良くもない。でも、オレはオレを信じて勇気をくれる人と出会えたから。

(だから、オレは二人を間違ってると思う)

 プレストが御子様に薬を与え続けたことも。カルマートが薬の代わりに使った譜術も。許すことは出来ない。それを止められなかったオレも、同じ罪人だ。

 御子様を見る。安定した寝息。熱も引いてきたし、グランコクマへ着く頃には薬の副作用はかなり大人しくなってると思う。この船に乗ってるのはオレと御子様と、監視役だろうカルマートの部下達。

 カルマートが例の譜術があるからと油断して、薬を飲ませなくていいと言ったとは思えない。多分御子様の世話を任せれば、あっという間に薬漬けに戻されてしまう。だから今オレに出来るのは、なるべく御子様の近くにいること。御子様の食事をオレの物とすり替えて、危険を遠ざけること。

「……罪滅ぼしにも、ならないけど」

 脳裏を過るのは舞踏会での光景だ。御子様を最初に見た時の感想は「お! 可愛い娘!」くらいだった。一方で「プレストが熱上げる程かなぁ」って気持ちもあって、でもプレストが望むから、近くに連れてくる手伝いをしようと思ってた。

 その思惑を───少年はあっさりと嗤って壊した。緑の髪に仮面を着けた、見知らぬ少年。

(でも、分かったんだ)

 御子様を自分の欲求のまま閉じ込めようとするプレストの手から、彼女をあっさりと拐っていった姿で。それはあまりに自然で、手を引いてホールを抜けていく様は呼吸が合って見えて。彼が、彼女を「護る」存在なのだと分かった。

 プレストのような騎士ではないし、オレ達を嗤った口元は性格が悪そうだった。それでも、彼女の手を横から奪い去ったのは彼で。「可哀想だなー」って他人事で眺めるだけだったオレじゃ、全然敵わないから。

(だから、オレはあの少年に御子様を返さなくちゃ)

 それがオレに今出来る最善だ。それまでは、オレなんかじゃ全然役不足だって分かってるけど……けど、それを言い訳になんかしない。幼馴染みをちゃんと裏切ることも出来ない半端者だけど、それでもオレは勇気をもらったから。

 オレは、御子様が信じてくれたオレを、信じるよ。

 

 

 

*****

 

 

 

 ノックの音が耳に届いて、読んでいた報告書から眼を上げた。廊下から扉越しに聞こえるのは部下の声で、戸惑うような声音で奇妙な報告が伝えられる。

「不審な男がお会いしたいと……」

 思考する。利益と不利益、可能性と興味を考慮する。必要な時間はほんの数秒だ。報告書を仕舞い、机の上で手を組む。

 入れろ、と指示をして扉を見据えた。部下の了解が聞こえて一度足音が遠ざかる。それが不審な来訪者を連れて戻ってくるまで、数十秒。嘆息した。

「───今日はゆっくり出来ると思ったのですがねぇ」

 皇帝陛下のブウサギが逃げ出した、よりは楽な面倒事であることを期待して、伊達眼鏡のブリッジをそっと押さえた。

 

 

 

*****

 

 

 

 マルクト帝国の首都グランコクマへ降り立ったのは、バチカルを船で出てから四日後のことだった。初めて見る水の都にはしゃぐ"アリア"を横目に船を降りる。

 その辺の兵を捕まえて導師と親書を主張しようと視線を動かす。そして、そのまま気分が悪くなる顔を見てしまった。自分の口がへの字に曲がるのを感じる。

「待っていましたよ。護衛役殿♪」

「……なんでここにいるのさ。死霊使い」

 マルクトの軍服に身を包んだ長身の男。肩につく茶の髪に、性格の悪そうな眼鏡の奥で細まる赤眼。悪巧みでもしていそうなにやけ面を貼り付けて待ち構えている姿は、警戒するに十分だった。

「嫌ですねぇ。寝食を共にした仲ではありませんか。そんな風に睨まれては私も傷付きます」

「ちょっと見ない内に冗談がサムくなったんじゃないの? ───真面目に答えろ」

 声を低くすれば、奴は「ふむ」と何かに納得する様子を見せて、それからボクの背後へと視線をやる。緊張感の欠片もない声達がそれに応えた。

「久しぶりですね。ジェイド」

「お久しぶりです。イオン様……いえ、今は導師テセレマ、でしたね」

「はい。今度こそ、その名に恥じぬよう生きたいと思っています」

「……ええ。是非そうしてください」

 そのやり取りをする声には確かに何かの温度があるように感じられて、煩わしさを覚える。旧交を温めるのは勝手だが、ボクを挟んでやり取りをされると不愉快だ。

「貴女も、お久しぶりですね。まさかダアトを一人で離れられるとは、思っていませんでした」

「私もよ。ついでに言えば、厄介事を持ってこの街へ来ることになるなんて、思いもしなかったかしら」

 フードの下から、"アリア"が冗談めかして片目を瞑る。それに溜め息を吐いてから、ボクは死霊使いを睨み上げた。

「茶番はもういい? ならさっさと親書を確認してよね。港で立ち話なんてボクは御免だよ」

「せっかちですねぇ。もう少し心に余裕を持てなければ、モテませんよ」

「アンタ皇帝陛下に似てきたんじゃないの」

「おや。言いますね~」

 明らかに表面だけの言葉選びでこっちをからかっているのが分かる。不愉快が募って口を開こうとすれば、それより先に導師が死霊使いを諌めた。

「ジェイド」

「すみません。近頃若者をからかえていないので、つい」

 生まれて三年ちょっとのレプリカに諌められる生みの親三十七歳───話が長引くので今回は飲み込んでやる。

 死霊使いが親書を確認し、頷く。

「一先ず陛下に会っていただけますか。導師様」

「勿論です」

「ご不便をお掛けします」

 死霊使いが軽く頭を下げ、導師に続いて王宮へ向かう。緊急事態とはいえキムラスカ王国が所有する船で首都グランコクマまで来てしまったのだ。表面上だけでも誠意を見せなくてはならない。

(面倒だけど都合はいい)

 この街にアリアが連れ込まれているとして、その所在を調べるには皇室の協力があった方がいい。バチカルで誘拐事件が続いていたように、ここでも何か事を起こしてくる可能性もある。その危険も考えれば皇帝への謁見は妥当だった。

(問題は、何故この男が港で僕達を待ち構えていたか、だ)

 十中八九、どこかで情報を掴んでいる。こちらの都合を把握しているのだ。となれば、この男が何もしていないとは思えない。そしてその読みが正しいことを、ボクはすぐに知ることになる。

 謁見の間へ足を踏み入れれば、相変わらずラフな服装の男と顔を合わせた。ピオニー九世、現マルクト帝国の皇帝だ。挨拶もそこそこに、早速こちらの事情を共有する。皇帝は納得した様子で情報を開示した。

「実はこちらにも情報提供があってな。ジェイド」

「つい数刻前、ある人物が私を訪ねてきました。国益になる情報を売るから助けて欲しい、と」

 その言い回しに仮面の下で眉を寄せる。情報提供者はコモド・ブリッランテだろう。だがマルクト帝国の死霊使いに助けを求めるというのは、どういうことか。導師が促した。

「どういうことですか?」

「今晩、集会があるそうです。それに監禁されている導師補佐役が連れ出されるから現場を押さえて欲しい、というのがあちらの依頼でした」

「集会って……何の?」

「『神託の御子』過激派の、です」

 "アリア"の問いに返った言葉で理解が追い付く。アリアを拐って薬で都合のいい人形に仕立て上げようとした理由───彼女を「始祖ユリアの生まれ変わり」として担ぎ上げ、預言を得ようとしていたのだ。

「また預言か……!」

 くだらない。そんなことのために。

 強い感情が腹の底から上がってきて脳を揺らす。どいつも、こいつも。いつまで経ったって変わりやしない。これなら全てレプリカにしてしまった方が余程マシではないか。

「現場を押さえて欲しいと言っても、国家に思想の弾圧は出来ない筈よ。どうするの?」

「そのためのアリアです。彼らの思想に問題がなくとも、拉致監禁は立派な犯罪ですからね。集会に彼女が参加した時点で、全員を関係者として拘束し話を聞くことは出来ます」

「集会の参加者の身元を把握することで以後の抑止力とする、ということですね。それは向こうからの提案ですか?」

「はい。二度と同じことが起きないようにしたい、と」

「………………」

 導師が目を伏せる。あの腰巾着の改心に思うところがあるらしい。ボクには関係がないが。

(今更何をしようが事実は変わらない)

 奴らは勝手な妄想にアリアを付き合わせた。導師補佐役の拉致監禁は罪が重い。そうでなくとも、ボクの胸の奥にある「それ」が許すことなどない。

「集会は今夜って話だったね。そっちはどうなってる?」

「情報提供者の話を元に、優秀な部下に探らせていますよ。少し危機管理が足りないところもありますが、能力は確かです。夜までには必ず、有益な情報を持って戻ってくるでしょう」

 確信のある余裕の微笑みに、鼻を鳴らして応えてやる。この死霊使いに「頼れる部下」がいたとは驚きだ。

 一先ず今こちらに出来ることはないらしい。後はその優秀な部下とやらが持ち帰った情報を元に乗り込む段取りを決めるだけだ。皇帝が口を開く。

「導師。向こうが貴方がたの入国を確認したかは分からないが、こちらの動きを万が一にも悟られたくはない。念のため、夜まで王宮に留まっていて欲しい」

「分かりました。教団の力不足に巻き込む形となってしまい、申し訳ありません。ご協力に感謝致します」

 導師の謝罪と感謝に、皇帝は明るく笑う。続いた言葉にボクは改めて思う。やはり好きになれそうにない。

「なに、先の平和条約締結の際には我が国も助力頂いた立場だ。それに預言の廃止を決めたのは三国同盟によるもの。再生しようとする教団に全ての責任を押し付ける程、面の皮の厚い皇帝になったつもりはないんでな」

 

 

 

*****

 

 

 

 水上都市グランコクマ。マルクト帝国で一番美しいとされる首都にいながら、しかし街を見て回ることが出来ず残念に思う。こんな時でなければ水を身近に感じながら歩いてみたかったのに。

(イオンは現皇帝陛下が即位される際に、戴冠式に参列したって言っていたかしら)

 王宮の窓に近付き、街並みを眺める。往来を行く人々の表情が見える。皆明るく、楽しげだ。何でもない日常がそこにあるのが見えて、その場所から見るこの街はどんな風に映るのか、ひと欠片の寂しさが胸を過った。

(……いけないわ。あの子が大変な時に、私の勝手な事情なんて関係ないもの)

 首を横に振って感情を追い払う。部屋に閉じ籠っているからこんな風に思うのかもしれないし、散歩でもしようか。宮殿の中を歩き回ることまでは制限されていない。

 思い立ち、与えられた客間を出ようとして鏡に何かが反射した。立ち止まって視線をやれば、鏡に映る私の耳元で光が返っている。手を伸ばして触れると、鉱石を嵌め込んだ飾りの感触があった。

(イオンがくれた、耳飾り)

 ダアトを飛び出す時にイオンに渡された物だった。御守りだから常に身に付けていて欲しいと言われ、こうしてずっと耳元に提げている。

 硝子にしては重みのない透明の円柱の中に、彼を思わせる緑の鉱石が納められている。ぼんやりと淡く輝いているような気もして、不思議な物だ。

(何の鉱石が入っているのかしら)

 導師の予備としてある程度の教育は施されてきたが、見覚えのない物だった。気にはなるが、イオンは意地悪に微笑むばかりで教えてはくれないし、分からず仕舞いだ。

 耳飾りをひと撫でして部屋を出る。廊下にはあまり人の姿がなく、いても見掛けるのは当然軍人ばかりで話し掛ける気にもならない。やっぱりここにいても場違いだな、なんて感じていると話し声が耳に届いた。どこか幼さの残る女性の声。

「じゃあ、ちゃんと報告したからね」

「ええ。先程の件、任せましたよ」

「人使いが荒いなぁ、もう」

 視線の先で女性が敬礼し、身を翻して立ち去っていく。身長は私よりも低いようで、まるで少女だ。長い青みがかった黒髪が揺れた。マルクトの軍服を着ていたし、軍人なのだろう。

 女性軽視とまではいかないが、今でも女性の軍人は珍しい方だ。キムラスカのセシル少将のように貴族の出だったりするのかもしれない、と思う。女性が立ち去った後、彼女が出てきた部屋の前まで行く。

 扉を見上げれば見覚えのある部屋だ。

(ここって……ジェイド・カーティス大佐の執務室よね)

 何かあれば顔を出していいということで案内を受けている。ここから出てきたということは、彼の部下ということなのだろうか。

 やけに親しいように聞こえたし、それだけの関係ではないのではとも思う。まるでアリアがテセレマやシンクと話す時のような、そんな温度を感じた。

(まぁ、人の話に首を突っ込むのも余計ね)

 人には触れられたくないこともある。それは自分も同じで、大きなお世話というものだ。特に用事もないし散歩に戻ろうと背を向けた。

 数歩歩いたところで、背後から扉の開く音がして、嫌な予感がして振り返る。予想通りに、先生を思わせる赤い譜眼と目が合った。にこり、と微笑みが向けられる。

「少し、お茶にお付き合いいただけませんか?」

「……そういう笑顔に、ロクな人はいないわ」

 意地悪な婚約者を思い浮かべて、観念する。彼からの誘いとは違って断れるけれど、この大佐が何の意図もなく私をお茶に誘うわけなどない。機会を潰すよりは活かすべきだと、大人しく執務室へ招かれることにした。

「座っていてください。紅茶で構いませんか?」

「ええ。ありがとう」

 答えつつ椅子を借りる。室内は特筆する点もない。よく片付けられていて見映えもいいし、掃除もされている。執務室に受ける印象はどこも同じだ。部屋が広くて陽当たりがいいことに、皇帝陛下に重宝されているのだろうと感じるくらいだ。私物らしき物は殆ど見られない。

 と、目の前に紅茶が置かれた。礼を告げて一口飲む。果物の香りがほんのりとあって、味わい深い。

「美味しい。いい香りね」

「口に合ったようで良かった。貰い物なのですが、あまり飲む機会がなく棚の飾りになっていたんです」

「あら、勿体無い。良い葉っぱなのに」

「そのようですね。ま、使い道を考えてみますよ」

 本当か嘘か分からないことを言いながら、彼は正面の椅子に腰を下ろした。こうして見れば本当に背が高く、体つきも軍人らしいものだと軍服の上からでも窺える。

 ちょーっと筋肉触らせてくれないかしら、なんて思っていると話を向けられた。

「こうして貴女と落ち着いて話をするのは初めてですね」

「そうね。一年前はそんな余裕もなかったもの」

 彼らが旅を終えてからも、私はダアトの教会から殆ど出ることなく過ごしていた。アリアの仲間達として面識はあっても、まだまだ他人の感覚だ。

「本当なら、街を観光しに訪れたかったのだけど」

「おや。グランコクマにご興味が?」

「それは勿論。イオンが見たことのある景色なら、どこであろうと興味があるわ」

 口にして、自分でも随分視野の狭い話だと思う。それでも事実だ。花も、空も、海も、街並みも。全てこの眼で見てみたいし、新鮮に映って好ましい。知らない物事を知ることは楽しいし、何にでも興味はある。

(でも、一人ではつまらない)

 楽しいことも面白いことも、誰かと共有できた方が私は良い。その時、その誰かがイオンであってくれれば、私は何より嬉しいのだ。だから私はダアトの教会から離れない。彼と同じ景色を見て回れないのなら、世界に出たって一人きりだから。

「……『イオン様』は、お元気にされていますか?」

「ええ。今頃どうしているかは分からないけれど、先生が見ていてくれている筈だから大丈夫よ。きっと」

 イオンと出会って九年が経つ。その内の二年はお互いに時間が進んでいないわけだけど、対外的には九年だ。昔はともかく、目覚めてからの一年はイオンと過ごす時間ばかりで、こうして離れてみると不安もあった。

(ちゃんと眠れているかしら……)

 うっかり死の淵へ身を落としていないか心配になる。勝手な話だけれど、もう少しちゃんと生きて欲しい。いつまでも亡霊みたいにしていないで。彼はまだ、自分の命の期限に縛られている。

「今回の件に関して、イオン様は何と?」

「何も。心配はしていたけれど、それだけよ」

 勿論、その心配が表面上のものということは分かってる。彼があの子を心配する筈がない。イオンからすれば、あの子は私の紛い物なのだから。面白がってはいるけれど、決して好意的には見ていない。それくらいは分かる。

(ちょっかいをかけないよう目を配ってるんだけどなぁ)

 ダアトから離れた地で拐われるようでは、私も対応できない。もう少し、世界にはあの子を放っておいて欲しいものだと思う。

 と、私を見る赤眼が細められた。

「では、貴女はどう思っているのでしょう?」

「………………」

「貴女は何故、一人でダアトを出る決心をしたのです?」

 重ねられる問いに理解する。それがこの人の用件だったのだ。それが、私に聞きたかったこと。この人の中には今疑いがある。それを確信に近付けるために私を呼び止めた。

 本当によく考える人だと思う。そして同時に、こちらの対応を上手に限定してくる。陰険眼鏡と言われるわけだ。味方であればこれ程心強い人はいない。でも、だからこそ私はいつも通りに微笑んで答えた。

「可愛い弟妹が心配だったから、よ」

 世に死霊使いと怖れられる彼は、扉の隙間に挟んだ足先を涼しい顔で蹴り出す私の回答に眉を上げた。それは私の対応が予想外だったのか、それとも。

 やがて彼はふっと表情を緩ませると、手をつけていなかったコーヒーを口に運ぶ。

「───シンクが聞いたら嫌がりそうですねぇ」

「素直じゃないものね」

 他愛のない攻防は、一先ず引き分けで終わった。

 

 

 

*****




 

 

「……こんなところにいたんですね」

 王宮の中を探し歩いて、やがて広い中庭に辿り着いた。その片隅にある樹の上に探し人の姿を見つけて、僕は側へ行った。樹を見上げて声をかければ、彼は不機嫌そうな声で面倒そうに応える。

「何の用? 昼寝の邪魔なんだけど」

「少し、貴方の様子が気になったものですから」

 正直に返事をすれば鼻で嗤うように声が返る。

「余計なお世話だよ。良い子ちゃんしてたいなら他の奴と話せ。僕はお前の自己満足に付き合う気はない」

 降ってくる言葉には必要以上に棘があるように感じられ、胸の奥に何かが触れる。それはきっと、彼の内に積もる塵だ。塵も積もれば重さを生み、呼吸を苦しくする。それに気付いていて、何もしないということは難しかった。

「シンク。僕は貴方をアリアの護衛役にしたことを、間違っていたとは思っていません」

「………………」

「貴方は、僕の代わりではない。アリアは僕が僕だから……貴方が貴方だから、その手を取ってくれる。側を望んでくれる」

 それをどうか忘れないでください、と。僕がそう告げれば、やがてぽつりと答えがある。樹の上から、顔も見えないまま落とされる声。でも、今はそれで十分だった。

「……耳タコだよ」

 うんざりした響きのある返事は、僕らの重ねた時間を証明していた。

 

 

 

*****

 

 

 

 夜の街並みを歩く。外套を纏った怪しげな集団に紛れて、聞いていた通りの建物へ入る。普段は商業施設として使われているその建物の、地下へと人間が流れていくようだった。

 薄暗い明かりしかない石造りの階段を降り、やがて冷たい空気が頬を撫でた。視界が広がり、開けた空間へ出る。

(地下の集会所……報告通りだ)

 それは円形にくり貫かれたような空間で、今いる場所から壁づたいに螺旋階段があり、地面はまだ遥か下方だ。飛び降りられなくもないが、普通の人間ならば無事では済まない高さだ。

 ここまで降りてきた階段に比べれば明かりが点在していて全容が見下ろせるが、それでもかなり暗い。多少の怪しい動きは勘づかれなさそうだ。

「………………」

 薄闇の中で背後からついてきていた赤眼と、一瞬だけ目を合わせる。段取りの通り自然な動きで集団から外れ、螺旋階段を降りない。上方には明かりが少ないことを利用し、薄闇に紛れて跳んだ。

 跳んだ先にあるのはこの地下空間を支える骨組みの一つだ。それに両手をかけ、勢いを利用して逆上がりをするように回転し、骨組みの上に着地した。

 邪魔な外套を外して改めて下方を見下ろせば、死霊使いの外套が集団に交ざって螺旋階段を降りていくのが見える。

(予定通りだ)

 参加者が揃い、集会が始まるのを息を殺して待つ。今頃地上はマルクト兵が固めている。一人だって逃がしはしない。

 地下空間はざわざわと大きくも小さくもない囁きに埋められており、人間達の息遣いが聞こえてくる。簡単に数えても五十人はいる。これだけの数の人間がアリアを「神託の御子」として身勝手に担ぎ上げようとしていると思うと、吐き気がした。

 現実が見えないのは個人の勝手だ。だが、それに付き合わされても迷惑でしかない。愚鈍な人間達を見下ろしていると、やがて舞台のような場所に明かりが点った。いよいよだ。

(出てきた人間の数は五人……いや、あれは)

 目を凝らす。舞台上の演台へ向かう男が一人。その斜め後ろに留まる男が一人。その男の左右を固める男が一人ずつ。そして、二人目に押される車椅子に誰かが座っていた。

 白を基調としたドレスから女だと分かる。顔は長いヴェールに阻まれていて確認できないが、まさか。

「……っ」

 動きかけた体を抑える。状況の確認が不十分だ。不用意に飛び出せばそれだけ危険を招く。何より、死霊使いからの合図がまだだ。

 息を吐いて、改めて舞台上を見た。

(演台に向かってる男がこの集まりの頭か。車椅子を押しているのは……裏切り者の腰巾着)

 その左右を固めている男達は、ボディーガードであり監視だろう。コモド・ブリッランテが余計なことをしないように。

 車椅子に乗せられている人影は動かない。不気味な程に何の動きもなく、まるで人形が座らされているようだった。

 胸に這い寄る焦りを叩き落とす。薬の効果は聞いているが、それにより今彼女がどうなっているかは誰にも分からない。

「同志達よ! よく集まってくれた」

 演台で男が声を上げる。途端、空間を占めていたざわめきが止んだ。男の言葉を聞き逃すまいと静まり返る。その統率された異様な空気に僅かに緊張が混ざる。その時が近い。

「マルクト、キムラスカ、ダアト───三国が預言を廃し、一年の月日が経とうとしている。世界は導を失い、我々は終わりの見えない不安の中で祈りを捧げ続けた」

 だが、と男は続ける。

「だが、どうだ。世界は変わらない。我々の苦しみを、恐怖を、国はいつまで経っても理解しない。何故、預言が廃止されたのか。一人の男の企みにより、世界が預言から外されたからだ。世界が預言の通りに正しく動かなくなったからだ」

 だがそれは事実だろうか、と男は投げ掛けた。

「本当に世界は預言から外れたのか? 本当だとすれば、預言の通りに正しい流れへ戻すことは出来ないのか?」

 ユリアの預言には世界の滅びが詠まれていた。それは今でも国民に開示されていない。当たり前だ。

 この大地に生きる人間にとって、預言は絶対の神託。未来の選択肢の一つである、という考えはまだまだ浸透しない。いや、廃止した以上、今後浸透することなどないだろう。絶対の神託であるまま、星の終わりを伝えればどうなるか。世界が滅びへ向かうことは、想像に容易かった。

「我々が考えたように、国家も考えた筈だ。始祖ユリアの祈りはこの地上を生きる人間全てにとっての希望なのだから。……だが、道は見つからなかった。何故か。それは三国が重大な見落としをしていたからだ。世界が預言から外れたことに気を取られ、気付くべきことに気付けぬまま進んできてしまったのだ」

 男は演説を続ける。熱弁する。何かに浮かされるように、無能な人間達を煽るように。言葉を生み出し続ける。

「その過ちを、我々は許そう。そして新たな導きをこの世界へもたらそう。混迷する世界に、再び始祖ユリアの慈愛を届かせるのだ。それが出来るのは我々だけだ。過ちを許し、世界を愛し、もう一度預言による救済を実現する。かつて、始祖ユリアが預言を詠み、戦争を止めたように!」

 男の言葉に同意を示すように、拍手が生まれる。やがてそれは連鎖し、大きなうねりのように空間を占める。地下の空洞に音が反響し気持ちが悪い。高尚なことだ。自分達が井の中の蛙であることも知らずに。

 男が手を挙げ、拍手が止む。

「同志達よ。世界を救済するにあたり、我々には御子が必要だ。始祖ユリアに代わり、彼女の祈りを、慈愛を、我々に届けるための器が」

 話の流れが変わる。空気が変容し、予感される言葉に自分の心臓が大きく鳴るのを感じる。

「皆、既に知っていると思うが、教団には導師代理を名乗る少女がいた。その髪は亜麻を紡いだ糸のように長く、その瞳はこの大地を覆う母なる海を思わせる水の色……まるで伝え聞く始祖ユリアの生き写しであった」

 これは果たして偶然だろうか、と男は問う。

「この混迷する時代へ現れた始祖ユリアの生まれ変わり。我々は気付いたのだ。預言の廃止は、新たな預言を詠むためのものだったのだ。世界が預言から外れた今、世界は新たな預言を求めている」

 そして、と男は静かに続ける。

 遥か離れた地にいる同志の一人が、彼の少女を救い出したと。過ちにより汚された魂を浄化し、我々を導く御子となるべく揺りかごの中にいるのだと。

 男に促され、コモドが車椅子を押す。舞台の中央に連れ出された人影に、男が近付き膝を折る。左右の男達が動くとコモドを取り押さえ、車椅子から引き離した。

「我らが『神託の御子』よ。どうか始祖ユリアの祈りを、慈愛を我々へ。その身の汚れた魂を清め、我ら敬虔なる信徒の愛で器を満たすのです。そうして御子様は揺りかごより目覚め、使命を果たされる」

 男の手が伸びる。車椅子に座る人影に触れようとする。それに心臓が鳴って。胸の奥にあった何かが思考を飲み込み始める。冷たく、暗く、澱んだ景色───

「それが、御子様が女の身にお生まれになった意味に御座います」

 ヴェールが暴かれ、その顔が見えた。




 瞬間、爆音が空間を埋めた。




「───合図だ」

 足場を蹴る。宙に身を躍らせる。

 実際には爆発のない、音だけの譜術。死霊使いの決めた行動開始のサインだ。普通に使えば音だけのハッタリだが、味方識別のされていない人間達にとっては鼓膜を震わす爆音は、ある種の凶器に違いない。少なくともすぐに判断力や聴力が戻ることはなく、こんな閉じた空間で人間を一斉に無力化するには、最良の手だった。

「全員その場を動くな! この施設はマルクト軍が包囲している。抵抗は無駄だ」

 死霊使いが形だけでも勧告する。その上空でボクはフックのついた縄を伸ばし、目的の骨組みへ引っ掛けた。ぎしりと縄が強くしなり、重力に従って落ちようとする体を振り子のように揺らして、舞台へと跳ぶ。

 ダンッ、と暴力的な着地音が響いてボクは足から上がる振動を逃がした。

「な、なんだお前は───!」

 さっきまで偉そうに演説をしていた男が、腰を抜かして情けない有り様でボクを見ていた。ボクは答えずに床を蹴る。男へ向かって踏み込めば、腰巾着を取り押さえていた二人の男が間に飛び込んでくる。構わない。

 そのまま回し蹴りを繰り出し、揃って顎を蹴り砕いてやる。勢いよく体が飛び、二つの人間の体がゴムの塊のように壁に叩きつけられた。庇われた男の顔が青ざめた。

「な……ぁ……!?」

 男に歩み寄り、見下ろす。黒い、黒い感情が、喉を焼くように唸った。片足を持ち上げて、吐きかける。

「───アリアは『神託の御子』じゃない」

 返事は聞かなかった。ただ持ち上げた足で、男の体を蹴り飛ばせば十分だ。視界の彼方へ吹き飛ぶ肉を無視して、向き直る。

 そこにあるのは人影を乗せた車椅子であり、それを庇って立つコモド・ブリッランテの姿だ。

「……何のつもり?」

 今更、アリアを庇ったところで遅い。死霊使いに助けを求めようが、地図の手掛かりを残そうが、告発文を城に届けようが。お前達のやったことをボクは許さない。そう声音に乗せて問えば、腰巾着は「それでも」と拳を握った。

「許されるためじゃなく、自分のために選んだんだ」

「……ふん」

 鼻を鳴らせば、腰巾着は脇へと外れた。車椅子の前に立つ。膝を折ってヴェールを外せば、探し続けた姿がそこにある。けれど、

「……アリア」

 光を反射してきらきらと輝く湖面のような瞳は、ボクを映さない。澄んだ水色の瞳は濁り、ここではないどこかを見つめている。ボクの声に反応はない。体を指の一つも自発的に動かす様子はなく、静かにされる呼吸だけが、彼女が人形でなく人間なのだと証明していた。

(……息が)

 詰まる。

 黒い、暗い、感情が這い上がってきて。

 胸の奥で、腹の奥で、何かが身動ぎをする。

 頭から指の先までを内側から支配し、重くする冷たいそれを、僕は飲み込む。

 手を伸ばす。肩に触れ、抱き抱えた。もっと早くこうすれば良かった。この手が薄汚れていようと、触れるに値しない身であろうと。どこにも行かないよう、どこにも行けないよう……誰にも、触れられないように。大事に、抱えて。

「あ、の……」

「話なら死霊使いと聞いてやる。殺されたくないなら、黙ってついて来い」

 抱え直す。ボクを見ない眼。動かない体。それでも、温度がある。心臓が動き、生がある。必ず方法がある筈だ。ないなら作り出してやる。でなきゃ───

(───でなきゃ、こんな世界滅べばいい)

 ただ捨てられるだけの生の、無意味さを誰より知っている。この馬鹿馬鹿しい世界の、救いがたさなんて今更だ。

 その世界に、ボクに意味を与えたのはアリアだった。彼女は暴力的に、台風のように、捨てたこの命を勝手に拾い上げた。そのアリアの生からも、意味を奪い去るというのなら。






 この世界に、意味のある生など一つもない。
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