庭園の造花
アパシオナート侯爵家とその周辺に調査を入れて、丸一週間が経っても事態は変わらなかった。
あの考えが足りなさそうな頭のどこにそんな能があったのか、怪しげな動きが一つも確認出来なかったのだ。密会のようなものもなければ、金や物の動きに違和感もない。まるでこちらの監視を想定していたかのように、完璧に尾を隠されていた。
「思っていたより手強い相手ね……」
夜、宿で進まない話を共有し終われば"アリア"がそう眉を寄せた。椅子に座る導師も膝の上で拳を握る。
「はい……現状ではナタリアも兵を動かせないと言っていました。僕達だけで動くことも考えられますが、相手は王室と縁戚の侯爵家です。下手なことをすれば、国家間の摩擦を生みかねません」
「……全てにおいて後手に回されてるね」
這い寄る焦りを追い出しながら、頭を回す。
プレスト・アパシオナートがアリアの居場所を知っているのは間違いない。首都バチカルの外へ連れ出された可能性が低い以上、監禁場所の最有力候補はアパシオナート侯爵家の別邸だ。別邸は奴の城であり、ここ暫くは殆ど別邸から離れていないことも確認できている。
(アレが、アリアを手に入れたなら側に置いた筈だ)
気分が悪いが、その確信はあった。そして別邸に頻繁に出入りをしている人間は、二人だけいる。幼馴染みとされる、コモド・ブリッランテとカルマート・グランツィオーソだ。
だが、この二人の出入りは元々頻繁だったようで関連の根拠にし難いものがある。立ち入りを許可されている以上、アリア誘拐に関わりがあるものとは考えられるのだが……
(コモドは女好きで街を遊び回るだけ。カルマートは別邸を訪れる以外は殆ど自分の屋敷に引きこもってるだけだ)
こちらにも怪しい動きは見られなかったのだ。二人の行動は以前からの習慣と変わりないらしく、それぞれの屋敷に出入りする人間にもおかしな点はない。それが、逆におかしかった。
「アリアを監禁して、何の動きもないのが気にかかる」
ボクの言葉に二人共が頷いた。
アリアが行方知れずになってから二週間以上が経過している。なのに、誰一人として動きらしい動きが見えない。目的は相変わらず掴めないが、何か目的があってアリアを監禁している筈だ。腑に落ちない。
「見方を、少し変えてみてもいいかしら」
"アリア"が挙手と共に提案する。導師と揃って頷けば、彼女も一つ頷いて順に出来事を整理し始めた。
「まず、アリアとシンクは視察でこの街を訪れた。すると詳細不明の行方不明事件がひと月程前から起きていたことを知る。アリアはその日にプレストとコモドに再会し、プレストからデートのお誘いを受ける」
「デートだと思ってたのは男の方だけだ」
「はいはい。話が進まないからスルーするわよ」
不快感に任せて口を挟めば流される。不満はあるが、彼女の言葉の通りなので口を噤んだ。
「その夜……夜中にアリアは呼び出しを受ける。プレストに成り代わったお誘いね。ここがまずポイントだわ」
「呼び出したのが集団自決をした彼らだとすれば、何故プレストがアリアをデートに誘っていたことを知っていたのか、ですね」
「手紙の文面も、いかにもあのいけすかない騎士サマが書きそうな文言だった。手紙を用意した奴は『分かっていて』用意している」
プレストの立場も、頭の出来が残念なことも、その手紙を見たアリアが勘違いして誘いに乗ることも。全部分かっていたのだ。少なくとも馬鹿ではない。
「約束をしてから手紙が届くまでが早いのもポイントだわ。プレストが本物の使者を送る前に行動している。耳も早いし行動も早い……なら、余程プレストの身近に居ないと難しい筈よ」
「ですが、身元の洗い出しが済んだ中にアパシオナート侯爵家との繋がりが認められた人間はいませんでした」
導師の言葉の通りだ。王女が方々に手を尽くして集団自決した奴らの身元を調べたのだが、繋がりらしい繋がりは何も出てこなかった。奴らが運んだ「資源」をどこへやっていたのかも、まだ掴めていない。
"アリア"は頷き、そしてとんでもないことを言い出した。
「だから、この手紙を送った人物は、別件なんだわ」
「……別件? あの騎士サマでも、誘拐集団でもないっていうの?」
「そう。プレストの身近にいて、アリアを知っていて、誘拐集団の動きも把握していた、そんな第三者がいたのよ」
突飛だが、不自然な点はない。だが、それならばその第三者の目的は何か。"アリア"が続ける。
「アリアを始末したかった、が妥当でしょうね。プレストの近くにいたなら彼がアリアを気にかけていたのは知っていたでしょうし、邪魔に思っていたのかも」
「この期に及んで痴情の縺れとか言うつもり?」
「それは分からないけど……でも、貴方の話を聞く限りプレストはアリアが拐われたことを知らなかったのでしょう?」
頷く。それは間違いない。あの高慢で役立たずの口が減らない坊っちゃんが名役者でもない限り、あの時点では無関係だ。導師が口を開いた。
「彼らがアリアを拐ったのはその第三者の思惑で、元々の目的ではなかった……だから、行方不明者はひと月前から出ていたんですね」
「ええ。拐ってからアリアが何者か気付いたのかもしれないわ。だから一人だけ別の船に乗せられた……あの子に自覚はないみたいだけど、あの容姿だもの。教団への信仰心があればある程、『ユリアの生まれ変わり』に気付く可能性はあるわ」
下らない民衆の噂話に奥歯を噛む。ヴァンが揺るがせた世界に対し、三国は預言の廃止を決定した。その不安を、愚鈍な民草は「導師代理」を名乗っていたアリアに押し付けたのだ。
伝え聞く始祖ユリアに容姿が似ているとかで、その生まれ変わりとして騒がれている。中には預言から外れたこの世界に新たな預言をもたらすために現れた「神託の御子」だ、なんて神話もあった。呆れて言葉もでない。
「確かなことは分からないけど、そうして別の船に乗せられていたアリアを見付けたのがプレストだった」
"アリア"の言葉が意識のどこかに刺さるようで、苛立ちが増す。あの時、ボクがあの男に声をかけなければ。あの男を連れて港へ行かなければ。あの男でなく自分が件の船へ乗り込めていれば。気付くことは出来た筈だ。すぐ側まで行っていたのに。自分の無能さに腹が立つ。
「彼らは首を刎ねて死んでいた、という話ですね。ここまでの話を考慮しても、プレストが彼らの首を刎ねたとは考え難いですね」
「ええ。率先して夜回りをしていたのですもの。忠義に篤い人だと聞いているし、犯罪者に手を貸すとは思えない。それに集団自決は状況がおかしすぎるわ。プレストがやったと見ても、納得のいく説明はつけられない」
だからそれは一旦置いておきましょう、と彼女は軽く両手を打ち合わせる。
「多分、報告の通りなのよ。プレストが船に乗り込んだ時、誘拐集団はみーんな死んでいた。そしてそこに、アリアだけが残されていたんだわ」
それを見付けて連れ帰った。王室に報告せず、こちらに報せず、ひっそりと。そしてそのまま監禁している。何をするでもなく、まるで何事もなかったかのように。
「……やっぱり目的が読めない」
「ええ。でも、重要なのはプレストじゃないわ。第三者の存在よ」
どういうことかと眉を潜める。仮面の下から促せば、彼女はアパシオナート侯爵家別邸に出入りする人間のリストを持ち上げた。
「人の出入りはかなり前から変わってない。候補はここにいる。更に言えばプレストのデートの話をすぐに聞けて、プレストがアリアに近付かないようにしたいと思うような関係性の人……」
条件を口にしながら彼女はリストから一人の人間の報告書を抜き出した。そこに書かれているのは、カルマート・グランツィオーソの情報だ。あの騎士サマの幼馴染み。
「幼馴染みならもう一人いた筈だけど?」
「コモドですね。ですが、家柄を考えればカルマートの方が自然です。誘拐犯達の動きを把握し、逃走経路や活動時間などを知っていて利用するには、うってつけでしょう」
元々グランツィオーソ伯爵家は国家の後ろ暗い側面に精通している家門だ。暗殺も人体実験もしているという噂もあるし、ひと月も前から活動していた誘拐集団を把握していなかったという方が違和感だ。
(……知っていて野放しにしていた?)
どんな利益があって、と考えて最初に浮かぶのはレプリカ騒動だ。三国は協力してそれぞれに、行き場のないレプリカ達を受け入れている。それにより国の経済を逼迫させているのは事実だ。国益のための間引きとして黙認していた可能性はある。
(もしくは、アリアが視察で訪れることを知っていて、今回みたいに利用するつもりで待っていたのか)
アリアのバチカル訪問はひと月前にはもう話が存在していた。情報が簡単に外へ漏れたとは思えないが、知ることが不可能だったかと言えば、そうでもない。少なくとも話が上がりだした時期に舞踏会でカルマートはダアトを訪れている。情報を仕入れるタイミングはあったわけだ。
もしそれが事実ならば、用意周到だ。かなり執念深い。
「余計なちょっかいをかけてきたのがその根暗眼鏡クンだとして、ならどうしてアリアはまだ生かされてる?」
アリアの生存を裏付けているのは、皮肉なことにアイオンの存在だ。契約者が死にかけない限り何の役にも立たないステルスストーカー。それが騒がない限りアリアは無事だ。
「そこまでしてアリアを消そうとしてたのに、手の届く範囲に転がり落ちてきたら何もしないなんて不自然だ」
「……いえ。プレストに、アリアを殺そうとしているのが自分だと知られるわけにはいかないのでしょう」
「なら、尚更おかしい。暗殺も後ろ暗いツテもお手の物なんでしょ? そこまでして慕う幼馴染みの眼を盗んで、ここまでしてるんだ。今更出来ないわけがない」
ボクの指摘に"アリア"が「多分」と自信なさげに応える。
「方針を変えたんじゃないかしら。そうね……今までは手の届かない場所にいて邪魔だったけど、今は手の届く場所にいて有効利用できそう、とか」
「利用って言ったって、あのお転婆が大人しく言うこと聞くと思う? 二週間も監禁出来てるだけでも驚きだよ」
これには"アリア"も導師も異論がないらしく、話が止まる。音素拡散装置でもあれば違うが、アレは元々ディスト製でヴァン以外が持っている物ではない。
そもそも、アリアに音素拡散装置が有効だと知っている人間は限られる。執念深いカルマートでも用意は難しいだろう。それに、今のアリアならば音素拡散装置を無効化することも可能だ。彼女のフォンスロットは他の人間と同じように音素を取り込んでいるのだから。
少なくとも以前の音素拡散装置は機能が不十分で、音素を体内に入れてから使用される譜術や譜歌には機能しないと聞いている。アリアが大人しく二週間も監禁されている理由が思い浮かばない。
と、話が停滞した時に、その伝令は都合よく現れた。
「ナタリア王女殿下より、急ぎ登城するようにとのことです!」
時刻は既に夜更けだ。何か状況が大きく動いたとしか思えない。"アリア"と導師と共に宿を出て城へ向かう。ボク達を出迎えた王女は旅の頃を思わせる軽装に身を包んでいて、どこかへ行くつもりなのだと分かった。
挨拶もそこそこに呈示されたのは、一通の手紙だ。
「差出人はありません。城の植え込みに隠されているのを、先程見回りの兵が見付けました」
導師が受け取って読み上げれば、それは意図の読めない、しかし短い告発文だった。
「『アパシオナート侯爵家別邸には違法薬物が持ち込まれている』……?」
「手紙に少量ですが、薬物と思われる液体の入った小瓶が添えられていましたわ。急いで調べさせたところ、取り扱いが禁じられている危険薬物に分類されるものと分かりました」
差出人不明の告発文に信憑性が増したということだ。そしてそれが意味するところが分からない程、馬鹿ではない。
「乗り込むよ」
ボクの言葉に全員が頷く。本来なら、告発文があったところですぐには動かない。裏取りをするべきだ。だが、ここ数日嗅ぎ回って何の綻びも見せなかった場所に、穴が開けられたのだ。これは明らかな故意であり、アリアを探すこちらの存在を意識している。
つまり、これは口実だ。ボク達が屋敷に乗り込むために与えられた口実。それが罠だとしても、向こうの仲間割れだとしても、乗り込まない選択肢はない。
(監禁から二週間が経ってからの告発……原因が状況の変化にあるなら、時間的猶予がない可能性がある)
悠長にはしていられない。王女が静かに集めた兵を連れて、長く近付くことすら出来なかったアパシオナート侯爵家別邸へと急いだ。
*****
ずっと、疑問はあった。プレスト達の目的は何なのか、誘拐集団の異様な死は何を意味するのか。アイオンが呼び掛けに応えないのも、あの子が大人しく監禁されていることも。
今回の件は全容が見えなくて、疑問ばかりだ。その全てに、答えは呈示されない。でも、分かることもある。
「これ、は……」
深夜。告発文を受けて王女殿下の兵に交ざり、私達はアパシオナート侯爵家別邸へ踏み入っていた。屋敷にいた人間は使用人を含めても最低限の人数で、主であるプレストが出迎える。
違法薬物の所持に関して告発があったことを伝えても彼は凛とした姿勢を崩さず、「どうぞお調べください」と恭しく頭を下げた。そして、屋敷の奥へ奥へと進むと、その部屋に辿り着いた。
何の変哲もない客間。誰かが寝起きしていた様子どころか、人の立ち入りすら感じられない、殺風景な部屋。でも、分かる。どんなに誤魔化したところで、まるで無かったことになど出来はしない。
質のいい絨毯を見下ろす。何もない。何の痕も、染みもない。でも、鼻をつくこの異様に甘い香りは消えていない。
「……っ!」
拳を握る。体の向きを変えて歩み寄る。キムラスカ王室との血縁を示す赤い髪に誠実そうな橙色の瞳───その整った顔の、頬に思い切り平手を食らわせた。
「……、な……?」
バチン、と勢いのある音が部屋に響いて、目の前の優男は自分の頬を押さえたまま呆然とした。呆然としたまま私を見た。まさかいきなり頬を叩かれるとは思ってもいなかったに違いない。
何が起きたのか分からない、という顔に、私は怒りしか感じることが出来なくて。人の頬を思い切り叩いてじんじんと痛む手で、被っていたフードを下ろした。
「恥を知りなさい!!」
私の容姿を見て驚きに眼を見開く青年の、その胸ぐらを掴む。私の方が背が低いから、青年が背を屈めるように姿勢を崩した。
その額に思い切り額をぶつけてやる。ごん、と音がしたし凄く痛い。でも、そんなもので収まるような怒りは持ち合わせていなかった。青年が両手両膝をつく。私はそれを見下ろした。
「貴方達が手を出したのは私の可愛い妹───折れない強さを持った子よ! それを……それを、貴方達は……!!」
「落ち着いてください!」
慌てた様子でテセレマが駆け寄ってくる。誰も事態を理解していない。分かっている。今は冷静に話をすべきで、消えたあの子がどこへやられたのか、調べなければならない。でも、この怒りを、屈辱を。抱えたままではいられない。
(だって)
ここへ来る途中に、こっそり兵に聞いたのだ。手紙に添えられていた薬の正体を。その特徴的な甘い香りも、少しだけ嗅がせてもらった。
だから許せない。それと同じ香りがこの部屋からしていることが。急な捜索に物は持ち出せても絨毯は変えられない。たったそれだけ。それだけのことが、全てだった。
(あの子はここにいた)
隠されていた。自由を奪われていた。かつての私のように。あの子は、何も出来ない"アリア"じゃないのに。
「何を……したの。何をさせていたの。あの子の意志を、理性を奪って! 薬で壊して何も分からなくなったあの子を、どう貶めたと言うの───!!?」
叫んで。拳を握る。荒くなった呼吸を飲む。奥歯を噛んで、怒りに震える。私の肩に触れていたテセレマの手が強張ったのを感じた。そこに動揺があるのを感じて、他者の感情に触れて、怒りがようやく下がり始める。
私に見下ろされる橙色の瞳。真面目そうな、誠実そうな、優しくて強い光を宿す眼なのに。どうして。
「……どういうこと」
低い声が耳に届く。見なくても分かる。それでも、その押し殺したような声に含まれるのが強い怒りであると感じて、私はそちらを見た。
深い緑の髪を鶏冠にした、仮面の少年。きっとアリアが一番に想って、そしてアリアを一番に想ってくれている存在。アリアを想って、怒りを持ってくれる人。その彼が空気を吸い込み、しかし言葉にする前に割り込んでくる声があった。
「騒がしいですね。何の騒ぎですか?」
声は部屋の入り口からで、私達は一斉にそちらを見る。立っていたのは背の高い青年で、薄紫の長い髪が揺れる。私達とキムラスカの兵、それから王女殿下を確認して、眼鏡の奥で紫眼が細められた。
「これは、ナタリア王女殿下。このような姿で申し訳御座いません」
「……カルマート・グランツィオーソですね。何故この屋敷に?」
「友の屋敷を訪ね、不覚にも転た寝をしてしまいまして。先程まで奥の客間で休ませてもらっていました」
堂々と、白々しい嘘が振り撒かれる。その落ち着いた瞳を見て、微かに浮かべられた口元の微笑を見て、彼の言い分を信じることなどない。王女殿下が自ら兵を連れて乗り込んできているのだ。狼狽える方が自然だ。
「畏れながら、王女殿下。これはどのような状況でしょうか。御身が自ら兵を連れているなど、余程のことで御座いましょう。そこで、騎士である我が友が膝をつかされていることと、何か関わりが?」
ちらりと冷たい紫眼が私を見やる。これは抗議だ。貴族である自分達に無礼を働ける身分なのか、という。身分と言われれば私は弱い。既に存在しない亡霊なのだから。
でも王女殿下はカルマートの言葉に引かなかった。それはやはり、彼女もまたアリアが受けた扱いを腹に据えかねているから、だろう。一歩、私達を庇うように前へ出る。
「告発があったのです。この屋敷に違法な薬物が持ち込まれていると」
どうやら事実のようですわね、と王女殿下は絨毯へ視線をやる。消えていない薬物の臭い。染みがなくとも調べれば検出できる筈だ。
王手がかかった状況で、しかしカルマートは驚きを示した。そして嘆くように、言った。
「ああ、なんと申し開きをすれば……我が友の不始末に、王女殿下へ顔向けも出来ません」
「では、認めるのですね」
「いいえ」
返った答えに眉を寄せる。誰もが怪訝な顔をする中で、カルマートは涼しい顔をして証言した。それは友と呼びながらその存在を切り捨てる行為で。親愛など感じられなかった。
「この部屋は使われていない部屋で、コモド・ブリッランテがよく無断で使っているようでした。この部屋で何かが見付かるとすれば、それは彼の私物でしょう───私もプレストも、何も知りません」
*****
「ああ許せない! 何かしら、あの態度」
プレストもカルマートも兵も下がらせて、馴染みの顔しかいなくなった部屋で、私は不満を声にした。それを宥める声は誰からも飛んでこない。それぞれ温度は違っても、先程のカルマートの態度に思うところはあるようだった。
「あのカルマートという男。やはり頭が回るようですわね」
王女殿下が溢す。場所は変わらずアリアがいたとされる部屋で、今は王女殿下、テセレマ、シンク、私で手分けして部屋中を調べて回っていた。今のところ何も見付かってはいない。
「告発文が見付かってからここへ来るまで、大して時間は経っていませんわ。それなのに人のいた痕跡が綺麗に消されています」
絨毯だけは間に合わなかったようだけど、それにしたっておかしい。手際が良すぎる。それに答えを出したのはシンクだった。
「裏切り者が告発文を届けるって読んでたんでしょ。だから部屋を片付けてアリアを移した。でもって、不備はその裏切り者に被せてしまえばいいって話さ」
そう。彼の言う通りだ。コモド・ブリッランテ……プレストとカルマートの幼馴染みの青年だ。彼らの仲がいいことは事前の調査で知っている。それなのに、カルマートはいとも容易くコモドをスケープゴートにした。自分やプレストにかかる火の粉を最小限にするために。
「違法薬物はこの屋敷に持ち込まれている、という話でしたからね。罪に問うには使用、もしくは所持を証明できなくてはならない……ですが」
「……使われていたのはアリアで、所持の疑いもこの場にいないコモド・ブリッランテへ向けられてしまいました。彼らを拘束することは出来ませんの」
テセレマの言葉を引き継いで王女殿下が嘆息した。勿論、事情聴取なんかは出来るけれど、稼げる時間は知れている。それでは全然足りない。彼らが動き出す前にアリアの居場所を見付けなければならないのだ。
「でも、ホントによく片付けられているわね。私、こんなに片付いてる部屋に腹が立ったのは初めてよ」
「同感ですわ。何か一つくらい見付かってもいい筈ですのに……」
プレストもカルマートも、今は屋敷内で兵の監視下にある。また一部の兵はブリッランテ伯爵家へと向かった。コモドの所在を明らかにするためだ。でも、事態は恐らく好転しない。
(ここまで先手を打ち続けてきたカルマートだもの。スケープゴートにしたなら、コモドもどうにかしている筈だわ)
生死も怪しい。今日一日、彼がバチカルを出た話は聞いていないので外へ出た可能性は低かった。ブリッランテ伯爵家で生きて見付かればかなり有り難い話だと思う。告発文を書いた人間に直接話を聞ければ、状況はかなり変わる。だからこそ、彼の無事はあまり想像できなかった。
(プレストと自分のために幼馴染みを差し出すなんて……そんなことが、出来てしまうものなの?)
自分には分からない。友と呼べる者など誰一人いなかった。私の代わりに差し出せる人間なんて誰もいない。自分の行いの結果を受けるのは自分であり、他の誰かではない。容姿で担ぎ上げられ拐われるなら、あの子でなく私がそうされるべきだったと思うくらいに。
「………………」
拳を握る。分かっている。予感がしている。全容は分からずとも、どこに始まりがあるのか。確証は何もない。でも、そう感じるから私はダアトを飛び出してきたのだ。最愛の人に、赦さないと言葉をかけて。
「……あら?」
ふと、本棚に収まっていた本の一つに違和感がある。何か紙が折り畳まれて挟まっていたのだ。取り出して広げてみるが、何も書かれてはいない。真っ白だ。
「どうしましたか?」
私の呟きを聞き付けたのか、テセレマがやってくる。広げた紙を見せて事情を話せば、彼は考え込むように口元に手をやった。
「これだけ片付けられた部屋だもの。本に挟まれた白紙の紙なんておかしいわ」
「そう、ですね……」
テセレマは尚も何かを考えているようで、私が広げて見せている紙をじっと眺めた。そして不意にハッと表情を変えると身を翻した。彼は自分が調べていた辺りを再度探ると、一枚の紙を取り出す。航海地図───世界地図だ。
「重ねて掲げてみてもらえませんか」
彼の要求に頷き、その通りにする。すると、ようやく私も気付いた。何も書かれていない不自然な紙が、その世界地図と同じ大きさだということに。そして、何も書かれていない紙に幾つか小さな穴が空けられていることに。
光に透かしたことで、空いた穴から光が見える。そして透かしたその場所に、世界地図は地名を覗かせていた。
「───! これ、メッセージだわ!」
「メッセージ?」
私の言葉にシンクが怪訝そうな声を出しながら近付いてくる。王女殿下もこちらへ来ていて、テセレマが頷いた。
「恐らく告発文と同じです。アリアが行き先を知る隙はなかったと思いますから」
「コモド・ブリッランテが残した手掛かり、ということですわね」
「でも……これが本当なら、アリアは既にこの街にいないことになるわ」
「……地図はどこを示してる?」
シンクの問いに顔を上げる。地図と重なって穴を確認出来るのは三ヵ所だ。一つはここバチカル……恐らく出発点ということだろう。そして残り二ヵ所は……
「ケセドニアとグランコクマ。アリアはケセドニアからマルクト領海を行く船で、グランコクマへ運ばれるのよ」
*****
ケセドニアからグランコクマへ。"アリア"の言葉を聞いて疑問が浮かび、そして遅れて気付いた。
「───クソ! なんでもっと早く気付かなかった……!」
自分の無能さに呆れる。緊急事態でこそ情報の取りこぼしは許されない。疑問に思うことは出来たのに。
「シンク?」
「……恐らく、コモド・ブリッランテはアリアを連れて今頃グランコクマ行きの船だ」
「ですがバチカルでは今厳しい検問をかけていますわ! どのようにして……」
「催眠だよ」
ボクの言葉に全員が怪訝な顔をする。思い当たる節がなくて当然だった。ボクですら些事だと思い込んでいたのだから。
「港でボクが乗り込んだ船は深夜に関わらず出航していた。その時の港の見張りはこう答えてる……『船は一隻も出航していない』ってね」
「……成る程。催眠効果のある譜術で認識を歪められていた、ということですね」
導師の言葉に頷く。記憶を操った可能性もあるが、そんな危険性の高い譜術は使用を禁じられている。もし使えたとしても術者にもリスクがあるか、高コストになる筈だ。
それよりはまだ、催眠効果のある譜術を使われる方が納得がいく。人間の意識には元々無意識の情報の欠落が常にあるのだ。その盲点のような瞬間に、事実を紛れ込ませてしまえばいい。
「譜術じゃなくても似た技術なら既にある。視線を誘導して特定の情報を相手の認識下から外す技法だ。それを譜術で補えばいい」
「第一音素なら誘眠作用を生んだり一時的に幻覚を見せることも可能だわ。脳の機能に作用できるなら、それくらいは可能かもしれない……」
馬鹿みたいに譜術の知識を詰め込んでいる"アリア"が言うのだから、事実なのだろう。相手に無意識の隙を強制的に生み出す譜術。直接の危険性はないが、構築した人間は性格が悪いとみえる。
とにかくそうなれば、バチカルの検問やケセドニアでの乗船チェックなど何の意味もない。誰にも違和感を与えないまま、グランコクマへ向かえる筈だ。
「ですが誘拐犯達と今回の件は直接の繋がりはない筈です。同じ譜術を計画に入れているなら……」
「そのためのカルマートなんでしょ。アリアをグランコクマへ運ばせているのも奴だし、誘拐集団の動きを黙認していたのも奴だ。グランツィオーソ伯爵家が譜術研究で知られてるのは、言うまでもないよね」
不備はない。大概の点は線に繋がった筈だ。コモドが何故こちらに手掛かりを残すのか、計算高いカルマートが何故裏切り者のコモドにアリアを運ばせているのか、気になる点はまだある。だが、とにかく今は。
ボクの視線を受けて、王女が頷いた。
「非常事態として、バチカルからマルクト帝国の首都グランコクマへ船を出させます。貴方がたは使者として乗ってくださいませ」
三国同盟を結ぶ前にはまず有り得なかった航路。それが、今一番の選択肢として、そこにあった。
*****
準備を済ませて船へ乗り込む。王女は主犯とされる坊っちゃん達を調べるため、国へ残ることになる。託された親書は導師の手にあった。
「でも、おかしいわ。グランコクマに付き合いの深い家はなかった筈よ。アリアを誰のところに送り込んだというの?」
"アリア"の問いに答えられる人間はいなかった。繋がりが見えてこない。誘拐集団とカルマート達に繋がりが確認できなかったことに、どこか似ている。
分からない。だが、何かあるのだ。見えない繋がりがどこかに。
「おかしいと言えば、カルマートがコモドにアリアを運ばせていることも気になります。彼の告発を予期していたなら、そんな危険を冒すでしょうか?」
「奴が堂々と裏切れない程の何かを持ってるんじゃないの? 表向き協力させて最後はスケープゴートにして口を封じる。そういう尻尾ってだけでしょ」
「そんな……彼らは幼馴染みという話なのに」
「カルマートは寧ろそこに付け込んだんだよ。幼馴染みだから堂々と敵対できない……そのコモドの甘さを利用してるんだ」
自業自得だと思う。甘さを捨てられない奴が悪い。裏切ると決めたなら心を残してはいけない。まぁ、ボクの場合は残すような心なんて六神将になかったけど。
「無意識に紛れ込む方法があるなら、何故今までバチカルにいたのかしら。いつでも抜け出せた筈よ」
「それこそアンタが言った『方針を変えた』じゃないの? タイミングを待っていたか、元々グランコクマへ連れ出す予定がなかったか」
言葉にしながら、これ以上の推測は不要だと感じる。事実を決定できるだけの情報が足りないのだ。分かっているのはグランコクマに何かツテがあって、コモドが表向きにはボクらに協力できないということ。導師補佐役の誘拐犯として蜥蜴の尻尾にされ、恐らく消されるということ。
そして、
「……さっきの話。聞かせてもらうよ」
意識したつもりはないが、自分の声が低くなるのを感じる。仮面越しでもボクの視線を受け止めて、"アリア"も何の話か理解しているようだった。眼が伏せられ拳が握られる。それが"怒り"であることは自明だ。数刻前、アパシオナート侯爵家別邸で彼女が見せた形相は忘れていない。
(口煩いだけで、ぼんやりした女だと思ってた)
いつも微笑んでいて、幸せそうで。頭の中がお花畑で暢気なものだと思っていた。でも違う。そう振る舞っているだけだった。彼女もまた"アリア"なのだ。その胸の奥に、苛烈さを秘めている。でないと自分より背の高い男騎士をいきなり平手で打って胸ぐらを掴み、遠慮なく頭突きを食らわせたりなんかしない。絶対に。
「……王女殿下のところに届いた違法薬物の話よ」
"アリア"はそうして語り始めた。ある程度は予想通りの、それでも胸糞の悪くなる話を。
国の定める危険薬物。正常な判断をする力を奪い、快刺激を高め、多幸感を強制的に与える薬。中毒性が高く、断てば強い禁断症状に苦しむ。中には記憶が飛んだり、人格が崩壊した事例もあるらしい。
つまり、脳を壊すのだ。そんな薬がアリアに使われていた───もう、二週間も。
「アリアは特殊な生まれよ。でも、皮肉なことに体の構造は普通の人間と変わらないの。普通に脳があって、その機能が彼女を生かしている」
その通りだ。彼女の体に血液を送るのは心臓で、心臓がなくては死ぬことは既に証明されている。同様に、脳も言えるだろう。脳が彼女の生命を維持し、記憶を保持し、思考や感情を保証している。それが壊れれば───命があったところで、無事とは呼べない。
(何の動きもなかった?)
違う。時間を掛けて、奴らはアリアを壊そうとしていたのだ。薬を飲ませ、アリアを体のいい人形に仕立て上げようとしていた。手の届く場所にいて有効利用できる状況に変化した、という考えは合っていたわけだ。あのお転婆が大人しく監禁されていた理由も、納得される。そしてここにいる"アリア"の、その激しい怒りも。
(殺してやる)
胸の内にある感情に名前をつけるなら、何だろうか。怒りと呼ぶには暗く、重い。その感情をボクは知っている。一年前の戦いの中で、確かに同じものを感じたことがある。それは確かな、殺意だ。
───殺してやる。
口の中で、血の味がした。