親愛の祝祷
ND2020・シャドウデーカン・ウンディーネ58の日。
半年前のその日、一人の科学者が第零音素の意識集合体を観測することに成功した。それは今まで人類には観測が不可能だったものであり、その子供の説が正しければ預言を失ったこの世界にとって、人類を導く希望に等しいものだった。
曰く、人の意志が星の記憶を変質させる。
それは絶対の力ではなかったが、実際に世界は始祖ユリアの詠んだ預言からは外れて回っている。すがるものを失った人類が自らの足で歩くための希望になるには、十分な触れ込みだった。
第零音素は長く仮説に留まり、実証が困難だった。だがその研究者は第零音素の集合体を観測し、第零音素そのものを保持していた。
他の音素に取り付く形で変質を生むそれは、時間と共に乖離する。どのような手段を用いても、まるで第零音素そのものに意志でもあるかの如く乖離していく。そのため新たな技術やエネルギーとして利用することは出来ない、というのが現在の各国・各研究機関の見解だった。
第零音素の集合体は、その観測に初めて成功した科学者によって「アセリスィア」と名付けられた。つい一年半前にローレライ教団が名を改めたものと同じであり、由来も同じとする。人の意志を綴るその集合体は、人の意志を謳う教団にとっても分かりやすい象徴となった。
教団にはアセリスィアと契約を交わした少女がいる。「神託の御子」と呼ばれる彼女は、その外見もあり「始祖ユリアの生まれ変わり」と噂されていた。ローレライとユリアが人々を導くために契約関係にあったように、アセリスィアと少女もまた人々を導く象徴として世界に祝福を受ける。
少女の名はルシュエファリア・ルーノ・アイオン。始祖ユリアがその生涯を閉じた地である、ホドに由来する名の「星の記憶を綴る者」───親しまれる愛称は、アリアといった。
*****
「教団が人々の意志を謳って間もなく観測されたことから、人々が自らの意志で生きようとする力が第零音素を活性化させ、音譜帯を漂うようになったのではないか……ね」
世界中で囁かれる与太話が書かれた情報紙を読み上げ、机の上に雑に放る。
馬鹿馬鹿しい。根拠のない妄言であり、人間というものは本当に、こういった下らない宗教が好きだと思う。それでもまぁ、預言に縋るばかりだった世界に比べれば、幾らかはマシだが。
ノックの音が自身の執務室に響き、応えてやる。扉が開いて現れたのは、アセリスィア教団の最高指導者である導師テセレマだ。
「シンク。そろそろ準備をしないと遅れてしまいますよ」
「勝手にボクの世話を焼こうとするな。準備ならとっくに終わってるよ」
持ち物なんて特にないんでね、と鼻で笑って返す。元々必要なものなど大してないし、身軽な方が動きやすい。子供の遠足ではないのだから。
「……あの旅から丸二年が経ったんですね」
「………………」
感慨深げに導師が呟く。
一緒になって感慨に浸ってやるつもりはなかったが、あの旅が変えたものは案外大きかった。少なくとも、あの旅がなければ自分が今も教団に身を置いていたとは思えない。預言が憎くて壊すことだけを望んでいた自分が、ヴァンを裏切って世界を生かす選択をするなど。
「貴方を地核から引き上げたのは、アリアでしたね」
「お前を死者の国から呼び戻した無茶苦茶もね」
気に食わないが、互いに彼女の存在を起点に辿る道筋が変わり、今があることを知っている。被験者であるイオンもまた辿る道筋を変えられている。星の記憶の上では死ぬ筈の「イオン」は、揃ってしっかり丸二年も延命してしまっていた。
「……ねぇ、導師」
「はい」
ボクの呼び掛けに馬鹿正直に返答がある。それにももう、慣れてきてしまった。あんなに気に入らなくて、偽善的で嫌っていたのに、今はあまりそれが気にならない。───同じ傷を抱えているように、思えて。
「これは夢じゃないんだよね? ボクもお前も、アリアに拾われてここにいる」
問う。
世界が曖昧だった。
時折、何故自分が生きているのか分からなくなる。何のためにここにいて、何のために煩わしい生を続けているのか分からない。
まるで夢の中にいるように、ふわふわと足元が心許ない。生きている、とはこういうことだっただろうか。
そう思うのに、不思議と死を選ぶ気にはならない。それが何より、ボクには分からない。
「………………」
導師は眼を伏せる。それから何かを懐から取り出した。白い貝が装飾された髪留めだった。水色の涙型の結晶が吊り下がり、揺れる。
導師はそれを見詰めながら言葉にした。
「……ボクも同じように思う時があります。不思議ですね……何もおかしなことなどないのに」
導師の言葉の通りだった。何もおかしなことなどない。順を追って出来事があり、それに沿って今がある。なのにまるで夢の中であるかのように現実味がなく、生きている実感がない。導師も僕も、静かに似た痛みを抱えている。
───何も、失ってなどいないのに。
(約五年前、ボクはアリアを教団のフォミクリー研究施設から連れ出した)
彼女は婚約者だったイオンにより死の淵にあり、覚めない眠りに沈んでいた。そのまま二年が過ぎ、ある日に忽然と姿を消していた。そうして面と向かって顔を合わせたのは、コーラル城が初めてだった。
彼女は目覚めていて、ルーク達に協力をしていた。後から本人に聞いた話だが、目覚めて彷徨っているところを師である詠師エレティクスに保護されたらしい。
能天気なことに自由になって一番に彼女がしたことは、以前から興味があったタタル渓谷のセレニアの花畑を見に行くことだった。その辻馬車でルーク達と同乗し、エンゲーブで自身の婚約者のレプリカを見掛けることになる。それが理由で、彼女はその旅に同行することを決めた。
(何もおかしいところなんてない)
彼女は始祖ユリアの妹とされるルゥノの末裔であり、その血故に第零音素の意識集合体であるアセリスィアとの契約を引き継いでいた。それが明確に分かったのは半年前にアセリスィアが観測されてからだが、彼女は無意識の内にその契約の力を借りることがあったようだった。
例えば彼女が二年間も時を止めて眠り続けていたのも、ボクを地核から拾い上げたのも、惑星預言を詠んで音素乖離を起こした導師を結晶化し、後に元の人の姿に戻したのも。更に後にその導師の体に輝石を作り、埋め込んだことも。全て、アセリスィアの「意志」の力だったと考えられている。
(導師がアリアを教団へ招き、アリアがボクを拾った)
その結果の今だ。七番目は導師として、ボクはヴァンの役職を奪うように統括総長として教団に籍を置いている。イオンは大詠師の代わりに祝師に就き、その側役として婚約者のアリアが身を置いている。
何も、おかしくはない。
なのに分からない。
どこかに違和感がある。
導師の手の中にある髪留めが、
ボクの胸の内を僅かにざわつかせる。
「その髪留め、女物だよね」
「はい。以前、旅の中でシェリダンに寄った際に購入した物です」
「へぇ。導師サマには女装趣味があったのか」
「そんなつもりはないのですが……」
導師が苦笑し、再びその髪留めへ視線を下ろす。そしてぽつりと呟くように「何故か目に留まって、買ってしまったんです」と口にした。その理由をその髪留めに求めるように、視線は動かない。
「……おかしいですよね。僕は身に着けませんし、贈る相手だっていないのに」
「………………」
やがて顔を上げると「何故か手離せなくて、ずっと持ち歩いているんです」と、導師は感傷的な顔で微笑んだ。その顔にまただと思う。また、その痛みに覚えがあった。
(体に傷なんて負っていない)
それでもその痛みは確かにボクにもあるように感じられる。違和感に、納得のなさ。
アリアに拾われたくらいで、ボクは今もここにいるだろうか。嫌いなものに囲まれながら、この下らない生を続ける理由が思い当たらない。
有象無象と違って、ボクに希望なんてものはない。望みだって特にはない。なら何故、ボクは死を選ぼうとはしないのだろうか。
(不意に、死を思うことはある)
その時には決まって、何かがこの手に触れる幻覚を覚えた。それは一瞬の感覚で、知らない温もりだ。
この手を掴んだ人間なんてアリアしか知らない。なのに、ボクはその温もりを彼女のものではないと感じていた。知りもしないのに違うと感じて、単なる幻覚に違いないのに振り払えないでいる。
その温度に、気付けば死を遠ざけられる。
「そろそろ行きましょう。シンク」
「……ハイハイ」
導師に返事をして、ボクは腰を上げる。
ND2020・ローレライデーカン・レム48の日。今日はエルドラントが崩壊してから丸二年、行方知れずが続いているルーク・フォン・ファブレの二十歳の生誕日だった。
バチカルにある奴の墓前では、国をあげて盛大な成人の儀が執り行われている筈だったが、かつてのお仲間共はルークの死を認めておらず参列しない。奴が消えたエルドラント、ホドが沈んだ場所がよく見えるからとタタル渓谷で集まることになっている。
(別にボクが行く義理はないんだけどね)
成り行き上、旅を共にはしたが仲間になった覚えはない。ボクとしてはルークは既に死亡しているし、帰って来たとしても何も思わない。何か借りがあったような気もするが、思い出せないから些事だったのだろう。
それでも足を運ぶ気になったのは「なんとなく」だ。面倒だけどなんとなく、行ってやる気になった。それだけだった。
「───」
呼ぶべき名は特にない。ただ黙って、ダアトにある自身の執務室を離れた。そこに、自身につきまとう不可思議な違和感を置いて出る。
そうして歩けば、胸の奥に向かう先を失ったかのような、知らない疼きがあった。まるで何かに焦がれるような、焼ける痛みだ。
そんなものを抱く理由は何も思い浮かばない。ただその痛みに、苦しさが一滴落とされたような感情は知っていた。抱いたこともないのに、知っていた。
何かが足りない、と。
ボクは音もなく口にする。
願いは、ただ。
どうかあなたが幸せでありますように。
【La Fin.】
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