親愛の祝祷


 花の中で、私は踊る。

 青く小さな花弁を散らす、可憐な勿忘草達。

(───ああ。素敵)

 兄の殺意が、恋しい人の後悔が、私を焼く。

 この肌が爛れ落ちようと、この声が熱に閉じられても。

 私は一向に構わないの。

(愛しい)

 大好きな兄だった。

 六つ離れた、うっかりだらけのそそっかしい人。

 幼い頃に両親を亡くして、必死に私を育ててくれた。

 私が世話焼きになった諸悪の根元。

 妹への溺愛が過ぎて恋愛まで邪魔をされたけど。

 沢山愛してくれて、守ってくれた。

(お兄ちゃん)

 花を散らす。私がこの身をそうしたように。

 あの日の記憶は褪せていかない。

 私に触れる男達の手は忘れられない。

 とても痛かった。とても苦しかった。

 初めてで、強引に扱われて、沢山の血が出た。

 複数の手が触れて、知識も経験もなくて。

 自分が何をさせられているのかも分からなかった。

 私を犯した男達のモノが、まだ胎内に在る気がする。

(憎い)

 殺したい。切り裂きたい。八つ裂きにしたい。

 くべて、焼いて、煮て、溶かして。

 跡形もなく全てを消し去りたい。

 こんな汚い体で、こんな醜い姿で。

 彼の瞳に映りたくはなかった。

(殺して)

 赤い瞳。私の好きな、私を見てくれない眼。

 無愛想で不器用で、研究以外には興味がない。

 どんなに近くにいても乙女心を察しない、酷い人。

 どうして貴方を好きになったのかなんて分からない。

 優しくされたことなんて全然ない。

 でもこの想いは確かに貴方のもの。

 楊梅の、染めの色を持つ髪に、実の色を持つ瞳。

 恋は理屈じゃないのよ、なんて言ったら分かるだろうか。

(きっと貴方は分からない)

 それでいい。それが貴方と分かった上で好きでいた。

 貴方なら私を殺せる。

 恋の化け物を生み出したことを、後悔する貴方なら。

 だって私は狂ってる。

 化け物だから、男達に汚されたから。

 だから簡単には死んでやれなくなってしまった。

 殺し尽くさなきゃ、壊し尽くさなきゃ、死ねないの。

 でも貴方になら殺されたって構わない。

 私を燃やすこの愛しさと憎しみの熱は。

 私の全ては、貴方から始まっているから。

(殺して)

 貴方が迫る。

 譜術士のクセに前へ出て、私に手を伸ばす。

 ああ、そんなことじゃダメよ。殺せてしまう。

 そんなこと分かっている筈なのに、貴方は止まらない。

 私も止まらない。銃を構えて引き金を引く。

「あら?」

 弾が出ない。ああなんだ、うっかり弾を切らしたのだわ。

 お兄ちゃん譲りのうっかりとそそっかしさが出た。

 私の撃った弾数を覚えていて、だから彼は飛び込んできた。

 肩口に大人の男性の手が触れて、倒される。

 勿忘草の花畑に倒れ込んで青い花弁が舞った。

 私を真上から見下ろす貴方。

 楊梅色の髪と瞳。

 私の恋した、人の死を知らない少年。

「殺さないの?」

 問う。少年は、すっかり大人になった声で答えた。

「殺しませんよ。貴女には、アリアの居場所まで案内して頂かなければいけませんからね」

「自分に恋する女の子を押し倒しておきながら、他の女の名前を口にするなんて最低よ」

「そうですね。失礼しました」

 こんな時に冗談に乗ってくれるなんて、夢のようだ。あの頃の彼にそんな回路は存在しなかった。私もこんな冗談は口にしなかったけど、きっとすげなくフられたに違いない。

「じゃあ、案内を終えたら殺してくれる?」

「ええ」

 その答えには、本当に驚いてしまった。彼らしくない。彼の表情はあんなに後悔を示していたのに。彼の攻撃は私を処分するべきだと主張していたのに。こんな時に頷く彼は、全然彼らしくなかった。

「本当に、優しくなったのね」

「誰が言ったんです? そのような戯言を」

「貴方を生みの親だと思っている子」

「……馬鹿ですね」

「ええ。馬鹿で、可愛いわ」

 嘘ばっかりだ。殺してくれると言いながら、殺すことに迷いを持っている。アリアという存在を知ってしまった彼には、私が「化け物」かを断じることが出来ない。

 倫理観や道徳観を持たない破壊衝動の塊だったなら、貴方は「化け物」と私を切り捨てることが出来た。でも貴方はアリアと出会って、そう在る筈なのに人に紛れる存在を知ってしまった。「化け物」が人である可能性を知ってしまった。

 そして今の私は稀有な石のお陰で知性を得てる。この石は音素を吸い寄せる力が強くて、乖離する力が弱い。アリア程の安定性ではないけれど、定期的に欠損する音素を人工的に与え、体内音素の偏りをサポートすれば人のフリが出来る。

(私が殺すべき「化け物」なら、アリアも殺すべき「化け物」だわ)

 それ程によく似ている。フォミクリー研究の第一人者である彼なら、その優秀な頭でとっくに気付いてる。記憶だけが残るのだと言いながら、私がソティなのかを迷ってる。

 本当に優しくなった。人の死を知らなかった筈の男の子は、人の死を知っている男の人になっていた。彼にそれを教えたのは、一体誰だったのだろう。

「私はソティじゃないわ。記憶を持っているだけの『化け物』よ」

「知っています」

「なら、そんな顔はしないで」

「表情は変えていません」

「じゃあ私にだけ分かる顔なのね」

 迷う彼に答えをあげるのに、彼はそれでも選ばない。それが自身の理論を否定しないためか、アリアを殺さないためかは分からない。ほんの僅かな可能性で、私を殺したくないからが含まれていたら嬉しいなと思った。自分の甘えた思考に思わず頬が緩む。

「何故あの日、私の部屋を訪れたんですか?」

 真面目な瞳。私の知らない時間を重ねた人。でも今、その眼に映っているのはあの日の景色だ。私が自分の血で彼の部屋の前の廊下を汚した、シルフリデーカンの日。私も貴方もあの日に戻って、でも同じでは居られない。この身はもう、燃えている。

「さあ? 忘れちゃったわぁ」

 大嘘吐きは私の方。殺して欲しい、なんて嘘だった。こんな体で彼の瞳に映りたくないなんて、そんな思いは嘘だった。だって二十年前の死の間際、私は彼のところへ行っている。男達に弄ばれた汚い肉を、彼に捧げた。

(そんなことはどうでもよかったの)

 死の淵で、胸にあったのは貴方への恋心。愛しくて、恋しくて、ただこの身を捧げたかった。私がレプリカにされたかったのは、彼の研究の助けになれると思ったから。彼の喜びに力を添えられると思ったから。私の最期を受け取れば、きっと貴方は「私の愛を忘れないで」くれるでしょう?

「───メリズ」

 不意に、私を見下ろす形のいい唇が開いた。聞き慣れない音を溢して、私は意表を突かれる。

「え?」

「ミメリズモニ。貴女の新しい名です」

 それは少し、理解に時間を要した。だって貴方、全然表情が変わらないのだもの。だから何を思ってそう告げたのか、すぐには分からなくて。

 少しだけ時間を掛けて理解した。記憶だけを持つ私をソティとは呼べないけど、私をソティだと思うからその名をくれたのだと、どうしようもなく。

「また後悔するわよ」

「後悔させないように、貴女が努力をしてください」

 楊梅色の男の人に、私は花色の花弁を揺らす。月明かりに見守られて、ここはとても優しい空間だ。私に恋の続きをくれたのは彼女で、あの光は月の名を持つ彼女に相応しい。

(忘れたって答えたのに)







 ミメリズモニは、古代イスパニア語で「愛を根差す花」だ。
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