親愛の祝祷
アリアの不在に気付いたのは、翌日の昼頃だった。
昼を過ぎても起きてこない彼女に、不審を抱いて部屋を訪れた。そうして返事のない部屋で見たのは、部屋の主のいない伽藍堂の世界だった。
荒らされた形跡はなく、侵入者があったようにも思えない。彼女は昨晩早寝をしていたようで、夜に何者かが忍び込んだなら浅い眠りから目覚めたと考えられた。ならば眠っている内に場所を移されたとも考えにくい。
アリアは自らの足でこの部屋を出た。それが、僕達の共通見解だった。
「どうして……」
自分の呟きが、まるで他者の言葉であるように遠く届く。頭が上手く回っていなかった。状況が飲み込めず、この後の動きへと思考が切り替わらない。何故、という誰も知る由のない疑問にばかり、囚われていた。
「テセレマ様……」
アニスが隣から、僕の顔を気遣わしげに見上げてくれているのが分かる。何かを言わなければと思う。心配してくれる彼女に安心させる言葉を掛けてあげたかった。
けれど今の僕に何が言えるだろう。「大丈夫」なんて言えない。自分の無理を押し通すためならば、いつだって言えたのに。
「……すみません。アニス」
結局僕は、心配してくれる彼女に謝罪をすることしか出来なかった。代わりに彼女がすすめてくれた椅子へと腰掛ける。余程、顔色が悪く映ったようだった。
(おかしいですね……輝石は今も僕の体を補助してくれているというのに……)
どんなに音素で体調を整えても、心理的なダメージは体に影響を与えるようだった。また一つ知った自分の感情の一片を、大事に胸に仕舞い込む。それでようやく回り始めた頭で、深呼吸を一つした。ゆっくりと気を落ち着けて、顔を上げる。
「すみません、皆さん。取り乱しました」
場所は王宮内の、アリアが借りていた客間だ。揃っている顔触れは僕を含み、アニス・ジェイド・エレティクスだ。何故エレティクスがこの場にいるのかは分からない。話があるからと、ジェイドがアドリビトムから呼び出したことは聞いていた。
「いえ。ご気分が優れないようでしたら少しお休みになりますか?」
「大丈夫です。僕も参加させてください、ジェイド」
今度はきちんと「大丈夫」と言葉に出来た。しっかりと彼を見て返事をした僕に、ジェイドは首肯を返してくれた。話し合いにも値しない、と思われることは避けられたようだった。
「つっても、導師サマァ? あの安本丹がこンの広ェグランコクマのどこに行ったかなんて、オレらに分かるわけなくねーですかァ?」
頭を掻きながら面倒そうにエレティクスが口を開いた。彼から僕への言葉遣いというのは独特だ。以前の旅の中では普段の話し方をしていたが、僕が改めて導師になった後には今のように崩れた敬語を使う。
アリア曰く、彼なりに僕を導師として敬う気があるからそうしてくれているらしい。以前の呼ばれ方もこっそり気に入っていたため、少し惜しいとは思っていたが我儘は言えない。詠師が導師を敬わない態度では、方々で問題になってしまう。
その彼に僕は頷き返す。
「そうですね。ですが、ここで大人しく彼女の帰りを待っていることは出来ません。貴方の力を借りられませんか、エレティクス」
「そいつァ、導師としての命令ですかい?」
「……いいえ。今の僕は教団の最高指導者としてこの場にいるわけではありませんから」
「なら、抜けさせてもらいますよォ。アイツの問題はアイツが片付ける。当たり前のコトです」
予想された言葉が返り、エレティクスは扉へ向かった。その背を引き留められる言葉などない。惜しく思いながら見送ろうとすれば、彼を引き留めたのはジェイドだった。
「貴方の問題かもしれませんよ。詠師殿」
「……あァ?」
エレティクスが足を止め、睨むようにジェイドへ視線をやった。受けるジェイドはいつもと変わらず、そのまま静かに話を続けていく。
「貴方が貴方の弟子の失踪に関わりあるかもしれないと言ったんです。そもそも貴方を呼び立てたのは私です。勝手に帰られては困ります」
「おー、そォかよ。ならさっさと本題に入れや坊」
「ソティが何者かに盗み出されました」
「───は?」
僕には意味合いの掴めない言葉だったが、エレティクスは違ったようだ。彼は眉を上げて訝しむ顔をすると、段々とその表情を険しく変えて、やがて怒りで染め上げた。
「……テメェ、まさか」
「ご想像の通りです。消失した彼女の遺体はレプリカとして私が保管していました」
「あァッ!?」
「エレティクス!」
彼が顔色を憤怒で満たし、ジェイドへ踏み込むとその胸ぐらを掴んだ。そこへ僕は鋭く声を飛ばす。事情は分からないが、この場所と互いの立場を考えれば安易に諍いを起こすべきではない。
彼は僕の声が聞こえたのか、動きを止めた。拳は震えながらも振り上げられない。
「………………」
「………………」
やがてジェイドと十分な沈黙と睨み合いを終えると、胸ぐらを離して乱暴に部屋から出て行った。とても冷静な様子には見えない。僕は説明を求めてジェイドを見た。
「ジェイド……」
「……申し訳ありません、テセレマ様。あの人をお願い出来ませんか?」
私では駄目なんです、という言葉に了承の意を込めて頷いた。守護役であるアニスを伴って部屋を出る前に、僕はジェイドへ言葉を掛ける。
「ジェイド。貴方はもう少し、自分のために言葉を使ってもいいと思います」
「……使っていますよ」
僕の言葉に、死霊使いは変化を匂わせない表情で、ただ淡々とそう応えた。
*****
エレティクスの姿を見付けることは難しくなかった。彼は街の一角から広がる水路を眺めていた。まだ高い陽を反射する水面はきらきらと美しい。アリアの瞳の色と同じだ。
(アリア……)
胸の内でその名を呼んで、湧き上がる感情を今は飲み込んだ。今の自分はジェイドの願いを受け、自分で選びもして彼を追って来たのだから。
道の端に腰を下ろした背に近付けば、彼は当然気付いたように息を吐き、先んじて言葉を放った。
「すんません、導師サマ。取り乱しました」
「その前には僕が取り乱しましたから、お相子です」
「相変わらずおやさしーですねェ」
その評価にどんな意味があるのかは分からなかった。けれど僕は黙して待った。彼が次に何を選択するのかを。やがて、エレティクスはぽつりと語った。
「ソティは、オレの妹なンですよォ。もう二十年以上前に死んでる、十四にもなれなかったガキです」
「………………」
「兄の忠告も聞かない跳ねっ返りで、しっかり者で強かで。両親がいなかったモンですから、オレのために家事を覚えてくれましてね。家庭的で慎ましい、小悪魔的な愛らしさの花のように笑う娘でした」
「……アリアに似ていますね」
「ハッ……全然ですよ。バカ弟子と違って賢いヤツでしたし、人間を愛してもいた。慈愛って程じゃあねェが、虫も殺さないヤツでした。だから男を見る目もなくて、初恋に入れ込むアイツにオレは冷や冷やさせられましたよォ」
懐かしむような優しい言葉の端々から、彼が妹を愛していたことが窺えた。そして、その愛ゆえにジェイドの行いを許せないのだということも。
「アイツが死んだのはオレのせいでした。『異端の英雄』ってヤツァね、一騎当千の戦闘力を持ってたんです。でも軍を率いるコトが出来なかった。周りを巻き込む戦い方で本領を発揮するバーサーカータイプだったんですよ。だから戦場ではいつも独りきり。他の軍人に疎まれて、見せしめに妹は殺された」
エレティクスがマルクト帝国を離れた年は知っている。合わせて考えれば、それで彼はダアトへ身を置くようになったのだろう。
それから今まで、妹はただ死んだものと思っていた。ジェイドが遺体を利用し、彼女のレプリカを作っていたとは知らなかった。
「……導師サマ。オレァ坊が許せねェ。でも今回の件に妹のレプリカが絡んでるってンなら、見過ごせねェ。そんな半端モンでも構いませんかい?」
「……はい。貴方の、意志することを行ってください」
「───カカッ! アンタ、すっかりバカ弟子に似て来ましたねェ」
腰を上げて振り返ると、エレティクスはいつも通りにそう笑った。ここにいるのは英雄エレティクスではなく、詠師エレティクスなのだと戒めるように。
*****
王宮のアリアの客間に戻れば、ジェイドが待っていた。その赤い双眸は僕ではなくエレティクスを見据える。彼はジェイドに歩み寄ると、低く唸った。
「歯ァ食いしばれや」
拳を握り、鳩尾へ落とす。ジェイドの表情が痛みに歪み、咳き込む。だが血を吐くようなダメージではなく、ジェイドの方も自ら避けないことを選んだように思えた。エレティクスが不機嫌そうな声音で告げた。
「今のは、オレの可愛い妹を生きてる内にもらってやらなかったクセに、死んでから兄ちゃんに黙って手ェ出した男への罰だ」
「……胸に刻んでおきますよ」
「そォしろ」
ふん、と鼻を鳴らしてエレティクスがジェイドから離れる。それで一先ず折り合いはついたようで、姿勢を正すと何事もなかったようにジェイドが口を開いた。
「本題に入る前にこちらで把握していることを共有します」
それから語られたのは、黒髪の譜術士をミオソティスであると考えるその根拠だった。それから、昨日の時点でアリアはそれを知っていたこと。輝石に似た石を埋め込まれているという予想から、ミオソティスを連れ去ったのは恐らく数々の技術提供者であるということだった。
「アリアの失踪に事件性を見た場合、現時点で彼女に手を出し得るのは譜術士と襲撃者です」
場所柄の問題だった。王宮の中という特殊な場所に、過激派が忍び込むにはリスクが高過ぎる。勿論過激派の中に特殊な人間がいないとも限らないが、グランコクマでの過激派は以前の誘拐事件である程度国が把握しているのだ。その上で、ジェイドは過激派の犯行であるとは考え難いと語った。
「ですが、襲撃者ならば争った形跡があってもおかしくはない。彼らの目的に変化がないならば、彼女の命さえ奪えればいいのですから」
「アリアが襲われて、僕が襲われていないというのも不思議ですね。眠っている間の襲撃ならば、導師である僕の命も狙っておかしくはない……」
「てなると、ソティのレプリカがいっちゃん可能性が高いってかァ?」
「はい。彼女だけは目的に一貫性がなく、何をしたいのかが分かりません。体に輝石に似た石を埋め込んでいるなら、三勢力の中で最も技術提供者との関わりが色濃く思える」
「一番デケェ思惑がありそうなのはソコってェワケか……」
ジェイドとエレティクスの推測に、僕も異論はなかった。それらに耳を傾けながら、ふと傍らに立つアニスの様子が気になった。ずっと喋っていないし、どことなくいつもの元気がない。顔を覗きこんだ。
「アニス? どうしました? 元気がないようですが……」
「へっ!? そ、そんなことないですよぅ! アニスちゃんはいつでも元気バリバリです! 心配性ですよ~、テセレマ様ぁ」
「そう、ですか?」
「ですです! アリアが心配でちょーっと考え込んじゃってただけです!」
そう否定されて納得する。アニスも教団の中でアリアと関わる時間が多く過ごしてきた一人だ。急に行方知れずになれば心配にもなるだろう。自分の浅慮を恥じた。
「そうですよね……すみません。自分ばかりが彼女を心配しているわけではないと、頭では分かっているのですが……」
「テセレマ様……」
「アニス。必ずアリアを見付けましょう」
「……はい」
彼女が少し寂しげに、穏やかに微笑むのを見守る。だから、ジェイドがその僕達のやり取りを静かに見ていたことに、気付かなかった。その眼にある疑いの様にも。
「んで、坊。どーやってソティのレプリカを捕まえるつもりだァ?」
「簡単です。呼び出しを掛けます」
「ハァ? ンなモンに乗るかよォ! ソティのレプリカはレプリカであってソティじゃねェ! 幾らテメーがアイツに好かれてたからって……」
「いいえ。彼女は絶対に現れます」
「……愛の力とかさみィコト言うんじゃねェだろーなァ?」
「愛の力、ですか。……そうかもしれませんね」
珍しく、ジェイドが人の温度を感じさせる物言いをした。そしてそのまま、更に残酷な話を口にした。僕達には知り得ない、フォミクリー研究の第一人者としての情報を。
「彼女は被験者の肉体を素体にしている、譜術で作られた第六音素までのレプリカです。現在は石の補助により欠損した音素を大幅に補い、高い知性を得ている」
───被験者の記憶があるんですよ、と。
ジェイドは、己の罪を口にするように静かに告げた。
*****
その場所は、静かで美しい場所だった。まるでユリアシティにある、ティアの持つセレニアの花畑のようだった。
研究院の一画にひっそりと作られたその温室は、遥か高くにある天井の明かり取りから月光を受け、静謐な空気を生む。青色の小さな花弁が咲き乱れ、風もないのに可憐に揺れた。
(アリアから聞いたことがある)
彼女は花が好きで、様々な種類や花言葉をよく知っていた。それはノームデーカンからシャドウリデーカン……春から夏にかけて花を咲かせる多年生植物の宿根草で、名前は勿忘草。花言葉は"私を忘れないで"と"真実の愛"だった筈だ。似た意味の名を持つ彼女に、よく似合っていた。
「ご機嫌よう。ジェイド」
月明かりの下、花畑に寄り添うように一人の少女が佇んでいた。肩までの黒髪に、満月のような金の瞳。僕と年齢の変わらない少女は悪意のある微笑みで、けれどどこか儚げに花の中に在った。ジェイドが応える。
「貴女ならば、来ると思っていました」
「当たり前よぉ。他でもない貴方が私にラブレターをくれたのだもの。まぁ、市内放送なんてロマンチックじゃない呼び出しだったのは頂けないけどぉ」
「すみません。女心には疎いもので」
「許してあげるわぁ。だって方法はさておき、ラブレターの中身は最高だったもの。『貴女の花の庭園で待つ』なんて……震えてしまったわぁ」
少女は自身の体を抱き、震わせる。その舌先が覗いて自身の唇を濡らした。
「この庭園、残してくれていたのねぇ」
「サフィールですよ。マルクトから亡命する際には、わざわざ当時殿下だったピオニー陛下にまで言い含めて、この場所を残させたようです」
「あらぁ! 可愛いところもあるのねぇ、サフィール。私の好みじゃないけどぉ」
「アレも貴女をそういう眼では見ていなかったと思いますよ」
「分かってるわぁ。私も彼も、赤い眼をした悪魔に首ったけだったもの♡」
瞳を潤ませて、少女はジェイドを見詰める。待ちきれないというように熱い吐息を吐く。受けるジェイドは表情を変えない。普段通りの在り方で、少女を見据える。
「アリアはどこですか?」
「あまり焦らさないでちょうだぁい。私が何を望んでいるか、分かるでしょお?」
ただで答える気はない、ということだ。エレティクスが一歩前へ出て、少女の満月の瞳が巨躯を映した。
「あらぁ! お兄ちゃんじゃなぁい。小汚なくなったわねぇ」
その言葉に、エレティクスは返事をしなかった。苦い味を噛み締めるように呟きを落とす。
「……やっぱ、ソティじゃねェんだな」
「やぁねぇ。加齢で眼が悪くなったのかしらぁ? それとも彼とお揃いの譜眼にしたからかしらぁ! いいわぁ、羨ましい。瞳を赤くすれば、彼と同じ景色が見られるのぉ?」
エレティクスは答えない。ホルスターから無言で銃を抜き取った。アリアにそうしたように、余計なことは何も言わず殺す意志だけを表明する。
少女は少し驚いたように瞬きをして、同じように拳銃を抜いた。同じ、黒塗りの銃だ。
「お揃いよ、お兄ちゃん。昔っからお兄ちゃん、武器の中ではこのモデルの銃が一番好きだったものねぇ」
「……お前が、アイツの思い出を語るんじゃねェ」
「私の思い出よ」
一秒の間も置かず、少女は鋭く訂正した。そこに譲れない大切なものがあるのだと、固い声が告げていた。
少女は銃口に口付けを贈って、毒々しく笑む。そして宣言した。
「アリアの居場所は知ってるわぁ。私を倒せたら案内してあげる。でも、戦うのはジェイドとお兄ちゃんだけよぉ」
どう考えても不利な条件だった。エレティクスが如何に鬼神の如き力を持っていても、ジェイドが皇帝の懐刀と呼ばれるだけの譜術の才を持っていても、彼女の危険性は計り知れない。作り出したジェイド本人が「化け物」と形容するだけの力を有しているのだから。そこに輝石に似た石の補助もあれば、どうなるかは分からない。
「ジェイド……」
僕は彼の顔を見上げた。だが、僕を見る彼の瞳には臆するところも躊躇いもなく。寧ろ僕に理解を求めるように問われる。
「よろしいですか? テセレマ様」
「……はい。どうか二人とも、気を付けて」
ジェイドは頷き、エレティクスは応えもしない。どちらも今更覚悟を問う必要などなかった。僕はアニスを連れ、離れた場所へと下がる。どのような結末が訪れようと、手を出してはいけないのだと自身に命じながら。
「───目覚めてからずっと、この瞬間を待っていたわぁ」
「貴女の所有者が誰か、思い出させてあげますよ」
「妹の体で、兄の前で男誘惑してンじゃねェぞ。クソアマが」
三者三様の言葉を放って、殺意が満ちる。
マルクトを思わせる青の花びらが、宙に躍った。