親愛の祝祷
日中、グランコクマのアドリビトムを訪ねれば、思わぬ人物と再会した。ボサボサの黒髪を雑に一纏めにしている、ボロ布みたいな小汚い格好の巨体があったのだ。声を掛ければ大佐と同じ紅眼がボクを振り返った。
「お師様!」
「おーバカ弟子かァ。ンなトコで何してやがんだテメー?」
「ちょっと私用でね。お師様は視察?」
「おーよ。監察官としてちゃあんと仕事してやってんぞォ。泣いて感謝しやがれ」
「はいはい、ありがと」
ボクとお師様の関係性は特に変わらない。二人で旅をしていた頃と違って今はボクが上司ということになる。それはどこか変な感じではあったけど、役職がどうあれお師様はお師様だ。ボクの育ての親で、生き方も考え方も教えてくれた人。人生の師だ。ロクな大人じゃないけど。
「シン坊も来てンのか?」
「ううん。テセとアニスが来てるよ」
答えればお師様は深い溜め息を吐いて頭をがしがしと掻いた。無駄に上等そうな帽子がズレる。
「まァた何かやりやがったな、このお転婆娘がよォ」
「なんで決めつけるのさ! テセだって、ただの気分転換かもしれないじゃん」
「シン坊置いて上司連れてくる奴にンなヨユーは感じねェぞ。バァカ」
正しい突っ込みだった。バチカルのアドリビトム視察にはちゃんと護衛役であるシンクを連れていたのだから、私用だとしても連れていないとおかしい。それに単身ならまだしも代わりにテセと守護役のアニスを連れているなんて聞けば、事が小さくないことは推して知るべしだ。
「お師様、暫くグランコクマにいたの?」
「そォだな。久々の古巣なんでつい長居しちまったぜ」
古巣、という言葉が指す通り、お師様は教団に来る前はマルクトにいたらしい。来歴を資料で軽く確認したところ、そこそこ有名で優秀な軍人だったらしい。何があってダアトへ来たのかは知らない。
「前はマルクト軍にいたんだよね。昔の知り合いとかに会ったりした?」
「カカッ! 何十年前の話だと思ってンだ、バァカ。このナリじゃあ誰も気付かねェよ」
それもそうかと思う。お師様がマルクト軍に所属していたのは二十年は前の話だ。先々代導師エベノスと先代皇帝カール五世の時代であり、今の見た目は浮浪者そのもので会ったところで誰も分からないだろう。それはさておき。
「暫く居たなら、ちょっと情報くれない?」
「お! オレの情報料は高ェぞ?」
「上司相手に商売するな」
半眼で睨めば「ジョークだ」と笑われる。全く、この人はいつでもどこでも変わらない。
だが、今この場にお師様がいたのは僥倖だった。色々な意味で頼りになるし信用も出来る。こちらの事情を話した上で過激派・譜術士・襲撃者の情報がないか尋ねることが出来る。監察官として各地を渡り歩いているし、情報源としてはもってこいだ。
「ちょっと長くなるけど」と前置きをしてアドリビトムの一室を借りると、お師様と情報を共有することにした。
*****
話を聞いたお師様は「ふーん?」くらいの軽い反応で、この人ホントに大概のことに興味ないんだなと思わされる。シンクが死にかけてもボクに悪意が向けられていてもお構い無しだ。「神託の双子御子」であり教団の第三位であるボク絡みで、教団も世の中も賑わっているのに関心は見られない。
ダアトには一応敬意を払うようなのに、よく分からない人だ。誘拐騒動の時もその後も同じような反応だったので、急に慌てられても不気味ではあるが。
「そんなわけで、三勢力に関する情報が欲しいんだけど何かない?」
「ねェな」
「はやっ!」
「この約二ヶ月動きがなかったのはテメーも知ってやがンだろォが。十中八九『双子御子』サマの影響だろーよォ」
過激派が大人しくなった理由は概ねそれだろう。ケセドニアでの虐殺を受けて鎮静化されたのもあるが、人々の偶像を受け入れたというのはそこそこ大きい。
黒髪の譜術士が大人しくしていた理由は本人から聞いているし、なら何故心変わりの結果シンクに輝石もどきを埋め込むことになったのかは不明だ。
残るはボクを星の病として殺そうとしていた襲撃者側なのだが……
「『双子御子』になって少なくともダアトは前より良くなったと思う。でも影響力が無くなったどころか増したとも言えるのに、なんで殺しに来ないんだろ?」
「オレが知るかよォ。日中に堂々と襲ってくる連中には思えねェが、テメーもテセ坊も気ィ付けろよォ」
「うん……」
生返事を返しつつ思考する。予想はしていたがやはり情報が足りない。動きがないということは、もう動かないと考えてもいいのだろうか。それとも、久々にダアトを離れたボクとテセを狙って動いて来るだろうか。
大佐に協力してもらってグランコクマで襲撃者に備えてみるのもいいかもしれない。餌に食い付くかは分からないが。
「オイ、バカ弟子。テメー音素暴走の予兆はねェのか」
「ないよ。どうして?」
「前の旅程じゃねェにしろ、無茶はそれなりにしてンだろォが」
「そうでもないと思うけど……とにかくないよ」
ボクの回答にお師様は適当に相槌を返す。まだボクを生かした人間として、殺す役目を負ってくれているつもりらしい。音素暴走どころか自然に死ぬ予定なので、杞憂もいいところなのだけど。当然お師様に話す気もないので、お師様がボクの真意を知る日は来ないかもしれなかった。
「そいや、なんでお師様って譜眼にしたの?」
「ンだよ、きゅーに」
「いいじゃん。教えてよ」
前から気になってはいたのだ。ボクを生かすために七属性の音素を扱う必要があり、譜眼を刻んだのだと予想は立てていた。それを今まで確認しなかったのはなんとなく聞きづらかったからであり、今聞く気になったのは自身の死が現実味を帯びたからだ。譜眼は命を落としかねない危険な技術だ。
お師様はソファにもたれ掛かり、行儀悪く机に足を上げながら答えた。
「予想くらいはしてンだろ。テメーが暴走しねェよーに術式をくれてやるためだよォ」
「でも譜眼って七属性の音素を扱えるようになる技術じゃないでしょ? 元々第七音素の適性はあったとか?」
実際、大佐は第七音素だけは扱うことが出来ない。譜眼のお陰でそれ以外は扱えるようになったということなので、適性のない音素を扱えるようになる余地はある筈だ。なら、お師様が七属性の音素を扱えるようになったのは初めから第七音素に適性があったからとしか思えない。
問えば肯定された。
「正解。つっても適性はあっても譜眼で強化する前は大した治癒術も使えなかったがなァ。昔のオレはただの戦争兵器。英雄なんて聞こえのいいモンじゃあなかったぜェ」
「ふぅん……」
かつてマルクト軍にいた「異端の英雄」エレティクス・インシオンの話は、一応教団で学んでいる。初めてその名を轟かせたのはND1993にあった戦争で、お師様がまだ十六、七の頃だ。
曰く、その戦う様は鬼神の如く。彼の才は剣技にも譜術にもあったと聞く。翌々年の戦争で更なる武勲を立て「異端の英雄」の呼び名を得たという話だ。だがその翌年ND1996には彼は何故かマルクトを去り、教団に身を寄せた。何があったのかは知られていない。
「元々コッチにいたから譜眼は知ってたし、頭の出来も天才だったからなァ? 悪くない賭けだったぜ」
「それってやっぱり、大佐を知ってたってコト?」
「あー……まァ、そーなるなァ」
やはり、と思う。旧交を温め合う様子は一度も見たことがないが、互いの素性は既に知っている。親しくはなかったということだろうか。
「ンだよ。テメー、オレの昔話が聞きてェのかァ?」
「正直興味ある」
「カカッ! 聞かせるよーな話はねェよ。あン頃は夢と希望に溢れた、ありふれた若造の一人だった。そンだけだ」
お師様は心底つまらなさそうにそう応えると立ち上がり、部屋を出て行こうとする。どうやら語って聞かせてくれるつもりはないらしい。残念に思いつつ、その背に最後に問いを投げ掛けた。
「お師様。なんで賭けをしてまでボクを生かしたの?」
悪くない賭けだったとしても、賭けは賭けだ。自分が死ぬ危険を冒してまでボクを助ける理由は思い浮かばない。
以前聞いた話ではお師様はボクが被験者でないと分かっていて、危険なレプリカと知った上で拾ったということだった。だが被験者の先生をしていたからといって、そのレプリカを命を賭けて生かそうとするだろうか。このお師様に、そんな無条件の愛情など想定できない。
ボクの問いに、お師様は部屋の外へ踏み出しかけていた足を止めて帽子を押さえた。背を向けたまま、答えが返る。
「まだやっと十四になろうって小娘が死ぬにゃあ、早ェと思ったからだよ。バァカ」
それは当時のボクと被験者の肉体年齢で。お師様は嘘か本当かも分からない理由を残して、部屋を出て行った。
*****
収穫なしの状況から、ボクは王宮への帰路についていた。外套のフードを被り直す。護衛役もいないし、他国にお忍びで来ているため無用な混乱は避けたかった。「神託の双子御子」は概ね世界にウケているため、危害が加えられるとは思っていないが念のためだ。
そうして歩く中、見知った背を見付ける。大佐だ。
(向かってる方向って……研究院?)
街中から外れようとしているように見えるし、王宮へ向かってもいない。何か輝石や輝石もどきについて進展でもあったのだろうか。追い掛け、声を掛ける。
「大佐!」
「おや。アドリビトムへ情報を求めに向かったのでは?」
「うん。でも特になくて。あ、お師様は居たよ」
「……そうですか」
微妙な間があった。親しくはなかったにしても、大佐の側もお師様を知っていたには違いない。何せ「異端の英雄」として名を残していたのだから。興味本位で聞いてみる。
「大佐ってお師様と知り合いだったの?」
「何故そう思うんです?」
「なんとなく」
「理由になっていませんね」
「教えたくない?」
問えば、大佐はボクを見る赤眼を細めた。それは冷たくも鋭くも見えたが、苛立ちや嫌悪ではない。何かを吟味するような間だった。
やがて、歩みを再開しながら大佐は答えてくれた。その隣に並ぶ。
「彼がマルクト軍に所属していたのは今から二十年程前です。最後に軍籍を置いていた年は彼が二十歳になる年で、私はまだ十四歳の子供だったため士官学校に通っていました」
「あ、そっか。じゃあ同時期に軍にはいなかったんだね」
「ええ。ですが、面識はありましたよ」
面識があったという話に意外だなと思う。お師様の感じではあまり接点がなかったように聞こえた。軍人が士官学校を見に行くとか、逆の見学会とかでもあったのだろうかと聞いていると、想定と違う話が飛び出した。
「私の士官学校での同期に、彼の妹がいたんですよ」
「妹!? お師様に!?」
「ええ。そのため、彼はよく士官学校に顔を出していましてね。溺愛っぷりを見せて差し上げたいくらいですねぇ」
衝撃的だった。あのお師様に妹がいたなんて驚きだし、それを溺愛していたというのはもっと驚きだ。他者に情なんてあんまり持たなさそうなお師様に……当時は「夢と希望に溢れたありふれた若造の一人だった」と本人が語っていたように、多分普通に妹を可愛がる兄だったのだろう。なら逆に、何があってあんなにスレてしまったのか。
「お師様の妹ってどんな人なの? 今は軍にいるの?」
「いいえ。彼女は十四歳になる前に死亡しました。同い年だったので、生きていれば今年で三十八歳になっていましたね」
「え」
衝撃に続く衝撃で、ちゃんと衝撃を受けられなかった。お師様の妹は既に死んでいる……十四歳になる前に。
(……もしかして、お師様が譜眼の危険を冒してまでボクを助けたのって……)
ついさっき本人から返った「やっと十四になろうという小娘が死ぬには早いと思ったから」という理由が脳裏に浮かぶ。死んでしまった妹さんのことをボクに重ねたのだろうか。被験者のことも、もしかしたら。
「どんな人……と問われれば、訳の分からない人でしたね。何が楽しいのか四六時中私に構おうとして、放課後には研究院までついて来て研究の邪魔をしていました」
「待って。めっちゃお師様と大佐顔見知りじゃん」
「不本意ながらそうなりますね。私が連れ回しているわけでもないのに、何度あの人に因縁をつけられたことか」
シスコンだったらしいお師様が、当時の大佐に突っ掛かるのは想像に容易い。だがそれはさておき、そんな青春時代が大佐にあったとは驚きだ。どんな仲だったのだろう。
「具体的にはどう構われてたの?」
「授業でペアを作る際には真っ先に私のところへ来ていましたし、休み時間は常に私の席にいました」
「べったりじゃん」
「当時は今と違い可愛いげのない子供でしたから、私は士官学校でも浮いた存在でした。別段馴染むつもりもありませんでしたが、彼女のお陰で同期生との余計な軋轢を避けられていましたし、授業でペアを組む際にも困らなかったため、助かっていた面はありましたね」
「今は可愛いげがあると思ってるなら間違いだからね?」
「おや。随分キュートな性格になったと思ったのですが」
今の大佐をキュートと表現するなら、それは皮肉だとしか思えない。もしくは悪魔的な可愛さととるか。掘り下げても仕方がないので話を戻すことにした。
「当時ってディストも一緒だったんだっけ」
「ははは」
形だけの笑いが返った。存在を認める気が無さすぎる。が、一応話してくれる気はあるようだった。
「何を思ったのか、私を追い掛けて入学してきましたねぇ。金魚の糞と変わりませんよ」
「じゃあその頃から二人でフォミクリー研究をしてたの?」
「国からの命もありましたから仕方がなく。日中は士官学校の同期として、放課後には研究院の特別研究員として付きまとわれていました」
やれやれ、と当時を思い出しているのか本当に嫌そうに首を振る。そのディストの協力があったから音機関による第七音素のレプリカ作製が可能になったのだが、それでチャラになるような関係性ではなかったようだ。
「なら、ディストもお師様の妹さんを知ってる?」
「知っているどころか、よく喧嘩をしていましたよ。研究員でもないのに私の研究室に居ついていましたから」
それでディストが怒るというのも普通に考えればおかしな話なのだけど、彼が大佐をとても慕っていたのは想像に難くない。その頭脳や能力を買っていたというより、信仰していたに近いのではないだろうか。普段の言動からそう思う。
「でも四六時中一緒にって凄いね。シンクだってそこまでじゃないよ」
「そうですね。邪魔をしていたと言っても、彼女は私の休憩時間まで大人しく本を読んでいることの方が多かったですし、たまの休みに連れ出される以外には害もなかったため、あまり気に留めていませんでした。彼女は私や私の研究に興味があったようで、研究について話すこともありましたね。研究者でない彼女の視点から得られる気付きも、幾つかはありましたよ」
「ふぅん……聡明な人だったんだね」
「……ええ。本当に」
同意に、何か深い感情が含まれたのを感じ取る。当時、深くそう思わされる何かがあったのだろう。わざわざ聞いたりはしない。
ただ話を聞く限りお師様の妹らしいと思う。ボクの知っているお師様は傍若無人で粗暴だけど、頭の出来がいいことは知っている。そうして影に日向に立ち位置を変えて大佐の側に居続けたのは、とても賢い行動に思えた。どちらかに在り方が偏れば、きっと大佐は振り払っただろうから。
「大佐に対して『愛』があったんだね、きっと」
「今にして思えば、という話ですがね。当時の私には色恋など分かりませんでしたし、興味の先は研究だけでした。利益に対して不利益が少ないから放置していただけですよ」
酷い話ですね、と大佐が呟いて、それが少し感情の乗った言葉に聞こえて意外だった。当時はさておき、今は少し思うところがあるらしい。死んでしまった相手ともなれば、悔いが残るのかもしれない。……ルークのことがあった今だからこそ。
(妹さんが大佐に向けていたものが色恋だったかは知らないけど、『愛』があったのは分かる)
きっと色々なことがあった。士官学校の同期生ということは、年齢から考えて関わりがあったのは一年か二年というところだ。たったそれだけかもしれないが、その時間をたった一人に傾け続けたのだから何もなかったとは思えない。
色々なことがあっても、きっと沢山間違えても側にいようとした。それは、テセやシンクが今ボクに傾けてくれているものととても近い何かだ。ボクが二人の側にいたいと思うのと、きっと近い感情だと思った。
「……どうして死んじゃったの?」
「士官学校の上級生に自室で殺されました。即死ではなく、直後に部屋を訪れた兄に発見されていますが、その後死亡しています」
当時の自分は大した治癒術も使えなかった、とお師様は語っていた。死にかけていた最愛の妹を助けられなかったという自責の念が、余計にボクを助けさせたのだろうか。大佐の声音や表情には特に変化はない。いつも通りだ。
「私怨?」
「ええ。ですが、恨まれていたのは兄の方です。当時、彼は既に『異端の英雄』として知られていました。彼は平民の出でしてね。類い稀なる鬼才のみで軍へ入隊したんです。その名声を面白く思わなかった軍の人間が、士官学校の生徒に命じて彼女を殺させたようです」
「てことは、妹さんの死はお師様のせいってなってもおかしくないよね」
「その結果、彼が失意の内にマルクトを離れ、ダアトに身を置くことになってもおかしくはないでしょうね」
思いもよらぬところで、お師様がダアトへ流れた理由を聞くことになった。それは確かに、自分から人に語って聞かせるような過去ではないかもしれない。
「報復は?」
「ありませんでしたよ。当時の彼は最愛の妹を非道に殺されても、未来ある士官学校の若者を私刑に処せないような人間でした。糸を引いていた軍部の人間も国が罰したため、それ以上のことはなかったようです」
「ふぅん」
随分常識的で真面目、もしくは優しい性格をしていたのだなと思う。ボクだったら少なくとも殺してはいるのに。仇討ちというよりは単に許せないからだ。大義のためでなく、ただ存在が不愉快だから殺す。テセを死なせたモースをそうして殺したように、シンクを使い捨てようとするヴァンを殺す選択をしたように。
「聞いておいてなんだけど、勝手に話して良かったの? お師様は知られたくなさそうな話だけど」
「不快には思うかもしれませんね。ですが、丁度良い機会でしたので、貴女に聞いておいて頂きたかったんです」
「丁度良い?」
どういうことか、と隣から問う。いつの間にか研究院に辿り着いていて、大佐が足を止めないのでくっついて中へ入って行った。まばらにいる研究員の姿を横目に、迷いなく何処かへと向かっていく。地下のようで、少なくとも大佐やディストの研究室ではない。
前を向いたまま、大佐が口を開く。
「貴女がケセドニアとダアトで会ったという譜術士ですが、『神託の御子』過激派を虐殺したのは彼らの思想を許せないからだと語ったんでしたね?」
「え? うん。女の体を都合よく犯そうとする男が大嫌いだからって」
「先程、貴女の師の妹は士官学校の上級生に殺されたと私は言いました。少し補足をすると、殺される前に集団で強姦されています」
「……え」
一瞬思考が停止した。それから連想が働く。この状況で、話の流れで、その話を同時に出してきた意味について考える。
十四歳くらいに見える黒髪の譜術士。女性で、お師様と同じ髪色で、妹さんが死んだ頃と同じ年齢。お師様は譜眼だから元の瞳の色なんてボクは知らない。譜術の扱いにとても長けていて、体の使い方だって悪くない。どちらも基礎があったようだったし、才だってあるように見えた。まさか。
「彼女は死の間際、治癒師を呼びに離れた兄を待たず自らの足で移動をしています。自身が死ぬと分かっていて尚、いえ死ぬと分かっていたからこそ、その場所へ向かった」
大佐の言葉に、ダアトで譜術士から聞いた話を思い出す。死に別れた兄に、無愛想で不器用な同い年の男の子。死の間際、彼女は兄の傍には居られず恋する相手のところへ向かったのだと語った。死んだのが兄だなんて一言も言っていない。そして、無愛想で不器用な同い年の男の子に恋をしていたなら、それはこの場合。
「───私がノックの音に研究室の扉を開けた時、彼女は部屋の前の廊下で息絶えようとしていました。話をするような時間的猶予はなく、私は彼女を実験サンプルにしたんです」
何の、とは聞かない。当時の大佐がしていた研究がフォミクリー研究であることは既知だ。大佐は部屋の前で死にかけていた同期生をフォミクリー研究に使った。
何故、なんて愚問だったかもしれない。でもボクは気付けばそう問うていた。倫理観とか道徳観で考えれば大佐の選択は異質だ。毎日付きまとってきていて、大佐の方だって疎ましくは思っていなかった関係の少女だったのだから。
でも、ボクが問いを渡したくなったのはそんな理由ではなかった。ただそこに、行動を伴った事実に、大佐が何を思っていたのか知りたくなったからだ。人の死を理解しない少年が、死の間際に会いに来た少女に何を思って、実験サンプルにしたのか。
「……ほんのひと月前に、彼女の兄の誕生日がありました」
大佐は一瞬だけ言葉選びに迷って、そう始めた。お師様の誕生日は確か、ウンディーネリデーカンだった。
「その時、彼女は兄にプレゼントを贈っていました。それを見ていた私に、彼女は要求してもいないのに勝手に約束をしてきたんです。私の誕生日には、それより凄いプレゼントを渡すのだと」
───その日は、私の誕生日だったんですよ。
大佐は赤い眼を伏せて、そう囁くように告げた。彼女が死んだその日が自身の誕生日で、部屋の前に現れた彼女を「誕生日プレゼント」として受け取ったのだと。生き返らせたいとか、そういう感情ではなく。ただ、提供された素材の一つとして。
「以前から彼女は私に、『死んだらレプリカにして欲しい』と言っていました。その真意を私は知りません。知る気もなかった。ただ目の前に現れた死にかけの彼女を使って、レプリカを作りました」
丁度試したい理論があったんです、と大佐は続ける。当時はまだ第七音素で安定的にレプリカを作り出す技術がなく、まだ試行錯誤をしていた時期だった。大佐が彼女に試したのは以前話した通り、七属性全てを用いたレプリカの作製方法だったそうだ。ディストの協力により第七音素をレプリカに使うための音機関はあったらしい。それと大佐の譜術を組み合わせて、新しい理論を試した。
基礎が譜術だったためか、複製体を作り出すのではなく本人の体を素体にしたらしい。初めて譜術でレプリカを作り出そうとした時に、ネビリム女史にそうしたように。そうしてボクみたいなモノを生み出そうとして、でも失敗した。第七音素は乖離し「化け物」レプリカが残る形になった。
「私は彼女を破棄せず、凍結させました。危険はありましたが……そのままこの研究院の地下施設に、ずっと眠らせていました」
今度こそ、何故と聞くべきだったかもしれない。でもボクはその問いを投げるタイミングを逸してしまった。
大佐の足が止まる。研究院の地下にある、ボクにはよく分からない研究施設の一部屋。人の気配はここまでまるでなく、普段は立ち入りを固く制限されているのだろうと思う。フォミクリー研究の権威である大佐は当然のようにそこへ踏み込み、そしてボクを連れてきた。
理由も分からずついて来てしまったと思う。だがもう遅い。そこに、中身の見えない鋼色のカプセルケースのようなものが置かれているのを、ボクは見てしまったのだから。
大佐が操作盤に触れながら、話す。
「彼女の名前はミオソティス・インシオン。私は彼女の長い名を省略し、ソティと呼んでいました」
久しぶりに名を呼ばれたのだと、彼女は意味深く笑った。もう呼んでくれる人はいないのだとでも言うように。ボクから育ての親と生みの親の話を聞いて、嬉しそうにしていた。雪国育ちで肌も白くて顔も綺麗な人に、惚れてしまいそうだと溢していた。そこに嘘偽りがなかったならば。
鋼色のカプセルケースが音を立てて開く。中から強い冷気が溢れ出してきて、何かをコールドスリープさせていたことを伝えてくる。そしてその何かが、既にその場所にないことも。
古代イスパニア語で「忘却を望まぬ愛」の意を持つ名の少女の姿は、人知れず研究院の地下深くから消え去っていた。
*****
大佐と王宮に戻り、別れる前に一つだけ確認をした。彼はボクからソティの名を聞いて、容姿と戦闘力の高さから彼女が何者かに持ち出されたのではと考えたようだった。過激派を虐殺したのは私怨であり、欠落した体内音素を補うためでもあったのではないか、と。ネビリム女史のレプリカが、かつてそうしたように。
「恐らく、彼女はシンクに埋め込まれた輝石に似た石を、同様に体に埋め込んでいます。彼女は第七音素以外で作られたレプリカですから、拒絶反応は起きません。それによって音素の欠損を大幅にフォローし、知性を得ている」
それでも元のままの彼女ではなく、彼女の記憶を持っているだけの「化け物」だと大佐は語った。彼の知るソティは、簡単に他者を害するような人物ではなかったと。
だからボクは尋ねた。たった一つを確認した。真意を知りたくて。
「どうしてボクを連れて行ったの?」
研究院の地下施設に、彼にとって意味のある場所に。何故と問えば、大佐は少し困ったように眉を下げて微笑んだ。それが普段通りの計算高さから生まれた表情なのかは、ちょっと分からなかった。
「貴女が彼女の得られなかった未来の一つであり───私に自身の罪と向き合うことを、忘れさせないからでしょうか」
曖昧な声音は、大佐自身明確な理由など分かっていないのだと伝えてきていた。だからボクはその回答に納得して、彼と別れて自室へ引っ込んだ。
黒髪の譜術士の正体については一度整理し情報を吟味したいということで、一先ず黙っていることになっている。特にこの街にいるお師様には伝えるべきかもしれないし、伝えないべきかも分からなかった。
どちらにせよ、情報の伝え方には注意が必要だ。少なくとも、お師様はソティがレプリカになっていることすら知らない。伝えるなら大佐からの方がいいだろう。
(……疲れたな)
自分の客間でベッドに転がりながらぼんやり思う。疲れた。多分頭を使わされたからだけではない。大佐やお師様、それからダアトで出会ったソティの感情を、遅れて拾ってしまった。感情の波を受けた時の疲労に、今の疲労はとてもよく似ていた。自分以外の感情が、自分を上書きする感覚だ。
(……普通の人は、あんまりないんだっけ)
いいな、と心の中で呟く。以前は、お師様以外とは接点がなかったので気付かなかった。だがルーク達と旅を始めて、身近で他者の感情に触れて。それが剥き出しであればある程、自分がダメージを受けることに気付いた。
まるで他者の感情が自分のもののように拾われる。違うと線を引いても、痛いものは痛い。共感と言えばそうだが、他者の気持ちを思い遣って自分の感情を合わせるのではなく、他者の感情がそのまま自分の中に流れ込むようなもので、凄く疲れる。頭は働かなくなるし、とても眠い。
(……色が)
目蓋を閉じる。色が見えた。お師様と旅をしていた頃から、ずっと。その色は特に瞳に現れて、たまに声からも似たものを感じ取れる。でも色が見えるのは瞳だけだ。それが感情を乗せたものなのだと、気付くのは難しくはなかった。
共感覚という言葉は知っているが、これがそうなのかは知らない。ただ瞳の色に感情の色が混ざって、ボクには様々に見える。それがボクに感情を上書きする程伝播させているのか、感情を拾い上げる特性があるからこそ色が現れて見えるのか、それとも無関係の事柄なのか、ボクには判断がつかない。
ただ眼を閉じて一人にならなければ、この意識を閉ざさなければ本当には休まらないことを知っている。
(寝よ)
夜にはまだ早い。でもボクは寝ることにした。このまま起きているなんて、頭がもたない。今は全ての情報をシャットアウトして、一人きりで泥のように眠りたかった。眠りの中でくらい、この煩わしい情報過多の抑圧から逃れたい。
(シンク、どうしてるかな……)
目は覚めただろうか。トラブルは起きてはいないだろうか。最短で今日辺りには追ってくると思っていたが、まだ着いた様子はない。被験者がちゃんと引き留めてくれているのか。
(…………会いたいな)
ぽつりと心の内で溢す。理由はなかった。ただ会いたい。元気な姿が見たいとか、自壊する未来を告げられた動揺とかではない。ただ、なんとなく会いたい。彼がボクを見てくれる時間が、恋しい。
(恋しいと、恋をするって……どう違うんだろう)
誰も教えてくれない感情の難しさを問うて、ボクは静かに意識を手離した。ソティなら、知っているだろうか。
夢の中で、ボクは一時の安寧を得た。