親愛の祝祷
シンクが倒れた翌朝、ボクは街の宿に泊まっている大佐に会いに行った。宿泊する宿を聞いていて良かったと思う。今抱えている問題の解決に、きっと大佐の意見は役に立つ。
訪ねれば、彼は「気が変わったのか」と聞いてきたけれどそれには首を横に振った。健康診断なんて必要ない。
「そうじゃなくて、コレ見てもらえないかなって」
言葉と共に机の上に出したのは昨晩シンクの体から摘出した輝石もどきの鉱石だ。黒く煌めくそれを大佐が手に取り確認する。
「これは……音素結晶ですね。人工物ですが、どうやって固定しているのか」
「ボクも分からない。第一から第六までの音素が詰まってる。なんだか音素の吸収率がいいみたいで、体に埋めたらヤバそうなんだ」
「ふむ。これはどこで?」
問われて昨夜起きたことを話した。勿論シンクに襲われたことは言わない。「ちょっと正気じゃなかった」くらいに表現は留めておいた。
ボクの話を聞くと大佐は「成る程」と一つ頷いた。そして「輝石もどきをグランコクマで改めて調べてもいい」とし、その代わりにと交換条件を呈示した。
「貴女の体を調べさせてください」
「……分かりました。どーぞお好きに」
「シンクが絡むと素直ですねぇ」
「うっさい」
ふんと鼻を鳴らした。自分でも変わり身の早さを感じているので放っておいて欲しい。事がテセやシンクに関われば、ボクの我儘など些末なことだ。
あの輝石に似た石がどこから来たものなのか、シンクに向けられた悪意の所在を明らかにしなければならない。
「では、貴女の準備が整い次第出発しましょう」
「うん。ちょっとテセに事情話してくる」
そう告げて宿を離れようとすれば、大佐が眉を上げた。意外そうに聞いてくる。
「テセレマ様よりも先に私のところへ来たんですか?」
「? そうだけど」
「……そうですか。なんでもありません。事情を話すにも同行していた方が色々と手間が省けるでしょう。私も行きます」
「あ、うん」
なんだかよく分からなかったけれど、大佐はどことなく安心した様子に見えたのでまぁいいかと頷く。それから教会へ戻り、テセの執務室を訪れた。
*****
「おはよー。テセ」
「おはようございます。アリア」
挨拶に穏やかな返事をしてから、彼は大佐の姿を見付けて驚いた。一先ず大佐がダアトを訪れていた理由は私用として誤魔化し、暫くダアトを離れたい旨を伝える。
「グランコクマに?」
「うん。調べたいものがあってね」
テセにも輝石もどきを見せる。彼は息を飲むと慎重に「これは?」と問うた。ボクは昨晩の経緯を再び話す。
「それで、シンクをテセに頼みたくて」
倒れた直後の相棒を連れてグランコクマへ行くのは不安だ。かといって彼が被害に遭った以上、側についていてくれる人が欲しかった。
その第一候補は当然テセになる。シンクはテセを嫌っているけれど、テセはシンクを好ましく思ってくれているから多分なんとかなる。そう思ったが、想定と違い彼はその首を横に振った。それから千歳緑の瞳で真っ直ぐにボクを見詰める。
「僕も行きます」
「えっ……ダメだよ。導師なんだからダアトにいなきゃ」
「いいえ。輝石に関わる話なら僕も無関係ではありません」
それはそうだが、補佐役が急遽ダアトを離れるだけでも影響は小さくないのだ。最高指導者がホイホイ空けていいわけもない。
今回の件で輝石に対して不安を抱えているなら、それは杞憂だ。少なくとも輝石はテセの体を蝕んではいない。そう伝えるがまたも首を横に振られた。今度は優しい瞳で諭される。
「僕が貴女の側にいたいんです。護衛役であるシンクが倒れたなら、貴女を守る役目は僕のものだ。導師としてではなく、僕個人としてそう在りたいんです」
「テセ……」
急に居心地が悪くなってしまう。人によってはときめきポイントなのかもしれないが、ボクとしては困惑の方が勝る。
彼やシンクがボクに対して「特別」を持ってくれているのは知っている。だがその「特別」はボクには分からないもので、何度言葉で説明されても「何故ボクをそこまで想ってくれるのか」は理解できないでいた。
(特別なことなんて何もしてない)
ただその時その時丁度そこにいて、ボクはボクのやりたいようにやってきただけだ。
例えば、彼らが落ち込んでいる時に彼らの欲しい言葉を渡せたりなんてしていない。彼らの気持ちを拾い上げて助けてあげたいだとか、その境遇を憐れに思って手を差し伸べたりとか、そういうこともしていない。ただ思ったことを、言いたいことを伝えてきただけだ。
テセはシェリダンで傷付けたし、シンクは死なせてあげなかった。ボクの我儘でこの世界に連れ戻して、隣で生きて欲しいなんてお願いをして。挙げ句二人共フった。ボクは二人に酷いことばかりしている。なのに、どうしてボクを望んでくれるのだろう。どうしても分からない。
「失礼。輝石について伺えますか?」
「あっ……うん」
大佐の声で戸惑いから立ち返る。大佐にはまだ輝石の話はしていなかった。改めてその原理と現在の状況を説明すると、彼は少し考えるようにしてからテセの同行を是とした。
「輝石とそちらの石を比較した方が詳細なデータがとれます。ご同行頂いた方がいいと思いますよ」
「……分かった」
理屈で攻められれば折れるしかない。多分、テセの同行をすぐに認められなかったのは感情面の話だ。彼が役目を置いてまでボクを優先しようとすることに戸惑いがあり、それがどことなく怖く思えたのかもしれない。ボクのために無茶なんてされたくない。
「ではアニスに同行をお願いしてきます」
「ん。じゃあボクはアリアのところに行ってくる。テセが見ててくれないなら、もう彼女しかいないからね」
テセと大佐と別れ、一人被験者の元へ急ぐ。
本人に自覚があるかは知らないが、シンクは被験者に弱いところがある。彼女がお節介焼きで頑固で可愛らしいからだとは思うのだが、強く言い返したり突き放したりが難しいようだった。その距離感にもやもやする気持ちが、ないわけではない。
(……アリア、だもんね)
彼が自分からコミュニケーションをとる相手は少ない。その数少ない一人に彼女は含まれる。
四年前、わざわざ彼はダアトに秘密裏に構えられていた研究施設を爆破してまで彼女を連れ出し、以来ずっと側に置いていた。自分の被験者から奪うという目的のためだけに。何度も起こそうとしたと聞いている。
どれだけ待ち望んでいたのだろう。彼女が目を覚まして、あの声で名前を呼んで、微笑みかける様を。彼はボクを望んでくれるけど、初めて代わりに名前を呼ばれた時の切ない響きは、今もずっと耳の奥に残っていた。
*****
「あら。おはよう、アリア」
「おはろー」
私室を訪ねればにこにこと迎えられる。相変わらず彼女がボクに傾けてくれる好意はカンストしていて訳が分からない。ルークがアッシュと初めて顔を合わせた時には戻したものなのに、同じ顔に対する嫌悪感とかはどこへ行ったのだろう。ボクもそれはないけど。
とりあえず「急ぎで調べ物をするからグランコクマへ行く」「その間、倒れたシンクが無茶をしないように監視及び保護をして欲しい」と伝える。「何があったのか」と問われるが曖昧に誤魔化した。輝石に関してはテセの命に関わりかねない話になるため、あまり周囲に広めたくないのだ。輝石もどきの話をすればどう巡って輝石の存在まで知れるか分からない。
(アリアがボクの不利益になることをするとは思ってないけど、信頼してるのともやっぱり違うからね)
彼女に対して疑いがあるわけではない。ただ、仲間やテセとシンクに傾けるのと同じ感情は持てない。一年半程関わってきて、裏表がないのではというくらいの稀有な人柄であることは理解している。彼女がボクを溺愛してくれているのを演技だとは思わないし、ボクのためなら世界だって敵に回してくれそうな予感も相変わらずだ。
でもそれでもボクは彼女に後一歩近寄れない。近寄る気にならない。好ましく思っているし頼れる相手でもある。記憶喪失になった件ではかなり助けてももらった。でも、近寄れない。行く道が交わらなくていいと、ずっとどこかで思っている。
「アリア。少しいいかしら」
彼女の私室で頼み事を終えた後、引き留められる。ボクと彼女は互いをアリアと呼び合う。それは同姓同名の別人であると共通認識を持っているからだった。
周りには分かりづらいだろうが、譲れない。ボクも彼女も別々に生きてきた別のアリアだから、誰かのために名前を変えるなんて出来ない。その彼女がボクに問う。
「貴女はテセレマとシンクをどう思っているの?」
唐突な問いだった。ボクが二人から「特別」を渡されていることは、何故か周知の事実だ。旅の仲間なんて旅をしていた頃から気付いていたなんて話もあって理解が及ばない。
そして「神託の双子御子」として舞台に上がって約二ヶ月が経つが、その問いを彼女に投げ掛けられたことはなかった。てっきり興味ないのだと思っていたが、違うのだろうか。
「二人の向ける『特別』が分からないからどちらかは選べない、という話は聞いたわ。だから両方フったのに今こうなってるってところまでね」
一時避難という名目でダアトから出され戻ってから、テセとシンクのボクへの関わり方は明らかに変わった。二人でいる時に限らず、人目があっても彼らはボクを「特別」扱いする。
流石に過剰に触れてきたりはしないが、頬にキスを贈られたり抱き寄せられることは日常茶飯事だ。周囲への牽制やボクに自覚を促す行為なのはなんとなく察しているが、解せない。そんなことをする必要はないと思うし、そんなことをされたって何も変わらない。触れられるのは、好きだけど。
「貴女は二人をどう思っているの?」
真剣な表情で問われる。水色の瞳に正面から見詰められ、責められているわけでもないのに居心地が悪い。戸惑いながらもそのまま答えた。
「好きだよ。どっちも『特別』だ。失えないし、生きてて欲しい」
「でも、二人共は選べないのよ。いつか必ず一人を選ばなくちゃならないの。貴女は、女の子なんだから」
「………………」
何故そんなことを言うのか、問う必要はなかった。女だからという価値観をボクが嫌うのが分かっていて使うのは、それが世間一般の感覚だと改めて伝えるためだろう。
厳しい言葉をわざわざ送るのは、ボクを心配してのことだ。多分、テセやシンクのことも心配している。それくらいには彼女がボクらに向ける好意は疑う余地もない。
「彼らに体を許すなら、そこまで考えないとダメなのよ」
「……分かんないよ。触れたいと思ってて、ボクも触れられることは好きで。理に適ってる。それじゃダメなの?」
「今はまだいいかもしれないわ。でも、このままだと貴女、二人共を受け入れてしまうでしょう? その意味をちゃんと考えるべきだと思うわ」
被験者の言葉に座ったまま膝を寄せる。分かっている。昨晩触れられて、言葉の上では少し前から、それは頭の片隅にあったのだ。
少なくともシンクは「そういうこと」を望んでいるし、テセだって婚約の話をする。二人がその意味を考えていることは間違いない。ボクには、分からない。
「……二人共を受け入れたら、ダメなの?」
「ダメよ」
「なんで?」
「それは二人を傷付けるからよ。今よりもずっと深く、そして長く傷付け続けることになるわ」
「でも、片方を選んだって傷付ける。それは嘘で、ボクだってその嘘は許容できない。ボクはボクでいられなくなる」
「アリア……」
困った顔をされてしまうが、困っているのはボクも同じだ。知識として、世間一般の感覚は知っている。それこそ倫理や道徳の話だろう。
でも何度考えても、誰に何を言われても変われない。ないものはないし、選べないものは選べない。手を伸ばすことをやめたら、いなくなってしまう。
「……プレーローマへ続く道で、『片割れ』という言葉を聞かなかった?」
「え?」
再び唐突な問いで一瞬理解が遅れる。何の関係があるのかと思いながら、彼女の眼を見れば真面目そのもので話が変わっていないことを悟る。答えた。
「聞いたけど……それ何?って聞いたら『ボクが選ぶ存在』って返された」
「私も片割れがいると言われたわ。本当のところは分からないけど、その言葉はきっと文字通りなんじゃないかって思っているの」
ここまでの話の流れで「どういうこと?」なんて聞く程察しが悪くは生きていない。だって、ボクは知っている。テセを涙型の結晶から作り直そうとした時、プレーローマへ続く道に出たのだ。そこから「お土産」として彼を持ち帰った。それがどういう意味か分かってる。
「アイオンの縁者は、今五人いるんだよね」
「ええ。アイオンを通した答え合わせは許されていないけど、こっちが勝手に推測する分には問題ない筈よ」
アイオンの縁者───アイオンの加護「オグドアス」を受けた存在の話だ。その上位四つである「テトラクテュス」にボクは含まれるらしい。そこまでは以前、テセを迎えに行った時に声から聞いた。
そうなれば、きっと目の前の被験者も「テトラクテュス」だ。同じようにアイオンの今代契約者なのだから。そして後の三人は想像が難しくない。
「テセが縁者なのは知ってる」
「私はイオンが縁者だと確信してる」
「後一人は……多分、シンクだよね」
「……ええ」
アイオンの縁者について、声はこう言っていた。「死んだらアイオンのところへ還る存在で、お互いに縁が生まれる可能性はある」と。実際、この五人は何の因果か教団に集まっている。互いに知らない仲ではないし、手を貸し合うことだってある。確証はなくとも確信は持てた。
「片割れは、きっと一人なのよ。アリア」
「………………」
被験者はイオンを選んだ。きっとそれが互いにとっての片割れなのだと、どこかで理解したのだろう。でも、ボクはどちらも選べないでいる。
テセとシンクのどちらかがテトラクテュスで、ボクの片割れなのだと彼女は言いたい。でも運命だとか定められているだとか、そんなことを言われてもどうでもいい。そんな解釈もあるんだなくらいにしか思えない。
だってボクの選択はボクのもので、ボクの意志はボクの意志なのだから。神様のルールなんて知らなくていい。
「……ごめん。やっぱり分からない」
俯いて答えた。どれだけ常識を問われても、在るべき形を教えられても、分からない。どちらも大切でどちらも手離せない。
多分被験者の言う通りだ。このままでは、ボクは二人共を受け入れてしまう。それがテセとシンクを傷付けることになると頭では分かっていても、ダメなのだ。片方なんて選べない。
ボクの様子を見てか、被験者がそっと息を吐いた。それは困っているというより、どこか切なく、苦しそうな声音で溢される。
「……どうして、こうなってしまったのかしらね」
きっと彼女の感じている痛みは、ボクが感じている痛みと同じものだった。
*****
シンクを被験者に任せ、船に乗り込む。教団はイオンに任せた。テセとアニスと、大佐と一緒にグランコクマへ向かう。
着くなり帝国譜術・譜業研究院に連れ込まれ、テセは輝石を、ボクはレプリカの体を別々に調べられることになる。
「健康診断、ですか?」
大佐がボクに言い渡したそれに、テセが不思議そうに疑問の声を上げた。ここまで伝えていなかったので初耳で当たり前だ。隣でアニスも不思議そうにしている。
「そ。必要ないのに大佐が心配性になっちゃってて」
「念のためですよ。折角寄ったんです。ついでに調べてもバチは当たらないと思いますが?」
「はいはい」
大佐はそれが目的でダアトまで来ていたことを口にしない。憶測で無用の混乱を招きたくないからだ。あくまで研究所に寄るからついでにという体をとってくる。都合がいいので小芝居に乗っておくことにした。
「アリア……何かあればきちんと教えてくださいね」
「テセまで心配性だなぁ。何もないよ。イオンにも診てもらってるんだから」
「……はい」
まだ迷いのある様子で一応は頷いてくれる。ボクは大佐を振り返り、ところでと質問をした。
「輝石と輝石もどき、それからボクで並行して解析をかけるのは分かったけど、それ手足りてるの?」
暗にボクの健康診断は大佐がやるんだよね、という確認だ。テセや輝石達のこともデリケートな問題なので外部に漏らしたくはないのだが、ボクの体も守秘義務が厚い。どうする気かと問えば、彼はしれっと答えた。
「問題ありませんよ。輝石はディストに任せます」
「えっ」
「ディストって、あの死神ディストですかぁ!?」
ボクとアニスの驚きが重なる。詳しく聞けば、今のディストは大佐の共同研究者として研究院に戻っているらしい。
確かにエルドラント崩壊後、大佐はより善いフォミクリー技術の活かし方を模索するため研究を再開している。そのためかつてのように軍と研究院の二足のわらじを履いているのは知っていた。
だが、ディストが研究者として隣に立っているのは初耳だった。能力も知識もあり、既知の仲ではあるため自然なことかもしれないが、違和感だ。
「大丈夫? 余計なことしない? ボク前に無理矢理フォンスロット開けられそうになったけど」
「今のディストなら大丈夫でしょう。貴重なサンプルを失いかねないリスクはとりません」
「なんか思ってたフォローと違う言葉が返ってきた」
だが確かに大佐とディストらしい。不安は残るが、あの大佐がここまで大丈夫だと言っているので信じることにした。ボクは六神将としてのディストしか知らないけれど、大佐は昔からの彼を……サフィールを知っているのだから。
「分かった。でもゴメン、先に謝っておくね。テセに何かあったら研究所ごとディストは潰す」
「そのまま伝えたら、貴重なレプリカの戦闘データがとれるなんて喜びそうですね。くれぐれも注意しておきますよ」
「絶対だよ」
手厚く念押しをして、一先ずディストのところへテセを送り届ける。グランコクマ内にある巨大な研究施設の中を歩いていると、テセが隣に並んだ。手が伸びて、繋がれる。
「どしたの?」
「なんでもありません」
にこにこ顔でそう答えられても信用はゼロだ。これは何かがあったし、多分嬉しかったのだと思う。誤魔化されたからには何が嬉しかったのかは教えてくれないようだが、嬉しさのあまりボクと手を繋ぎたくなったようだ。いや、因果関係がさっぱりだ。手を繋ぐ行為が「触れたい」に類するものだという理解はあるが、何故今そうなったのか。
そうこう考える内にディストのいる研究棟へ来た。堂々と入っていく大佐に続いて研究室に入れば、見覚えのある紫がかった銀髪が見えた。机にかじりつくその背に大佐が声を掛ける。
「ディスト」
「何の用です、ジェイド。如何なあなたでもこの『銀の貴公子』サフィール様の研究の邪魔をすることは許されませんよ! まぁしかし? このマルクトで私と双翼をなし『金の貴公子』と呼ばれる貴方にも分からないことがあり、も・し・も! 唯一無二・永久不滅の心の友・心友の手を借りねばならない程の苦境に立たされていると言うのなら、手を貸すこともやぶさかではありませんが!?」
ここまでを急に爆上がりになるテンションで高らかに叫びながら、ディストは椅子をくるりと回してこちらに向き直った。ボク達の姿を認めて固まる。
大佐と同い年だし見た目上の変化は殆どないが、趣味の悪い服は上から羽織っている白衣のお陰でマシに見えた。白衣を脱いだら多分レベルアップしているような予感はする。ただの偏見だが。
「……ジェイド」
ふるふる、とディストが肩を震わせる。なんだか嫌な予感がしてテセの前へ半歩出た。手を繋いだままなので微妙な位置取りだが、本能的な警戒なので問わない。ディストはガバリと勢いよく顔を上げる。
「遂にそのレプリカを私のモルモットとして融通する気になったんですね!?」
「違います」
大佐が呆れたように眼鏡を押さえて、テセがボクの肩を掴むと引き寄せて自分の後ろへ庇った。
「ディスト。今のアリアはアセリスィア教団の導師補佐役です。彼女に何かをするつもりならば、我々は皇帝陛下に正式な抗議をすることも考えます」
「ふん! 人の意志を謳ったレプリカの教団など怖くはありませんよ。仲良く手を繋いじゃって初々しいですね全く!」
「なんか前後の繋がりおかしくありませんでしたぁ?」
「ディストは女性と手を繋いだこともないので、初なんです♡」
「うわ……初って言葉ディストで聞くと気持ち悪い……」
「失礼ですね、貴方達!!」
大佐とアニスがディスト相手にコントを始めていて、相変わらずだなと思う。ボクは別段親しくはなかったが、この三人の空気感は前からこんな感じだ。
大佐はディストと幼馴染みで、アニスは神託の盾として縁があったという話だ。背中にいるトクナガも特別にディストが作った譜業だった。
「それで、そのレプリカを私のモルモットにしないなら何のために連れてきたんです?」
「貴方に調べて欲しいものがあります」
その言葉にボクは輝石もどきを取り出すと大佐へ手渡した。それが更にディストへ渡され、眺められる。
「人工の音素結晶ですね。結晶化しているとはいえ純度はそれ程高くありませんが、この大きさで譜業もなしに振動数を固定するなど有り得ません」
「私も同じ考えです。テセレマ様」
「はい」
大佐に呼ばれて、テセが手を離し襟を緩める。胸元を開けると、ボクが埋め込んだ輝石が透明に輝きを返した。ディストの眼が見開き、凄いスピードで迫った。
「な!? な、なな何ですかこれは!!? 純度は最高級……この色素は音素の干渉が……? いえ、そもそも何故人体に埋まっていながら侵食が見られないのか。有り得ません! どういうことです、ジェイド!!!」
「大声を出さずとも聞こえますよ。説明は彼女がします」
「えっ」
急にお鉢が回されて戸惑う。そういや前から説明役をガイがよく押し付けられていたっけ。確かに作ったのはボクなので適任なのだが、間違いなく面倒事を押し付けられた。くわっとディストの顔がボクを見て説明を催促する。怖い。
「えーっと……まず、ボク音素結晶が作れるんだけど」
「なんですって!? そういえば貴女はフォンスロットを使わず直接音素を操るおかしな戦い方をしていましたね。まさかこれも譜業を用いずに直接作り出したと言うつもりですか!?」
「あ、うん」
「ハァーーー!!? 許せません! 認められません! 我々が日夜重ねる譜術・譜業研究をなんだと思っているんです!? ジェイド! やはりこのレプリカは骨の髄まで調べて研究に活かすべきです!!」
「ごめん話脱線するから一気に話すね」
頭の中の天秤が面倒に一気に傾いてボクはコミュニケーションを投げ捨てた。
輝石はボクが作ったこと、第七音素の人工音素結晶であること、振動数はローレライと同じであること、固定にはアイオンの力を借りていること、常にローレライの音素による補助を受けていること、供給量を増やせば戦うことも可能になることを伝える。
ディストは一通りを聞いて怒りに震えていた。多分、研究を台無しにする行為を感覚的にやってしまう存在に対する怒りと、それを知ってて野放しにしている大佐に対する怒りと、それでも自分が調べることが出来ないジレンマで大変なようだった。
「……ジェイド。貴方にはこのレプリカの価値が分かっている筈です。これを見て尚、貴方はこのレプリカを遊ばせているつもりなんですか?」
最終的に、諸々の憤りを片付けたらしいディストは批難をこめたような声音で大佐に問うた。受ける大佐は普段通りに涼しい顔をしている。
「彼女はレプリカですが、我々のモルモットではありません。生体レプリカを実験に悪用しないことについては、初めに同意をとった筈ですが?」
「勿論分かっています! それが貴方が私とフォミクリー研究を再開する条件ですからね。ですが、彼女は特異なレプリカなんですよ! 七属性の音素を用いた唯一の成功例なんです! 音素に愛される体質だとか、音素暴走を起こさず人の営みに馴染んでいる点、契約もせずに意識集合体を喚び出したり、アイオンという未知の力を持ち合わせていたり……調べ尽くすには私達の一生すら足りないかもしれない大きな魚を、貴方は!!」
感情の高ぶりに、ディストは肘掛けへ両の拳を叩きつけた。そういえば馴染んでいて意識してもいなかったが、空飛ぶ椅子は健在のようだ。前の物は壊れてしまったので新しく作ったらしく、デザインは変わっている。趣味はやっぱり良くはない。
「……とにかく。貴方には彼女が作り出した輝石と、それに似た出所不明の石を調べて頂きます。今の貴方はマルクト帝国に属する研究員です。くれぐれも軽率な行動は謹むように」
「ジェイド!!」
「───貴方だから任せるんです。サフィール」
「…………っ」
一方的に話を切り上げた大佐に、ディストが拳を握って反論を飲み込む。それを見て、うわ、という心地だ。この大佐、相変わらず計算高い。言葉や声音、視線や態度というものを上手に使ってくる。これは確かに、ディストへの牽制としては中々だ。
やっぱり性格悪いなと思いながら、テセとアニスと別れて大佐と部屋を出た。
*****
「ね。ディスト、もしかして名前戻したの?」
大佐の研究室で何やら装置に繋がれながら聞いてみる。ただの興味だった。大佐も他の研究員も「ディスト」と呼んでいるのに、初めに名乗った時本人だけは「サフィール」と口にしていた。
それがどういう心境の変化かは知らないけれど、多分彼にとっては前へ進む意味があったのではないかと思う。きっと前に進むために六神将で新しい名前を名乗ったのに過去ばかりを見て、本当に前へ進むことになった今は過去の名前を名乗るのだから、なんとなく「らしい」と思う。
「この研究院への登録はディストの名ですよ。本人は昔の名を自称していますが」
「大佐と皇帝陛下のどっちが登録したの?」
「さて」
涼やかな笑みで流されてしまった。ズルいと思いつつ、きっとどちらでも大差はないなと思う。嫌がらせとか苛めとか、罪だとか歩んだ道は消させないだとか、浅く読むことも深く読むことも出来る。
多分、ディストでなくサフィールで登録した方が色んな軋轢を避けられただろう。それでも彼をディストとして飼うことにしたこの国の真意は、二人の幼馴染みの心の内にだけあればいいような気がした。
*****
それから暫く、よく分からない音機関に繋がれてうたた寝をしていた。以前ディストにデータをとられた時もそうだったが、折角ならいい感じにデータをとってもらいたいのだ。余計なことはせずリラックスしていたい。
検査の終わりを告げられ、適当に飲み物を貰ってのんびりする。大佐はボクの体からとれたデータにざっと眼を通しているようで、ウィンドウに目まぐるしく表示される数字やグラフ等は眼がちかちかするので見ることをやめた。
やがて、大佐が息を吐く。確認が済んだようだった。
「気は済んだ?」
「ええ。ご協力に感謝します」
「交換条件だから別にいいけど」
元々、彼がボクを心配してくれた話なのだから礼を言われるのはおかしいのかもしれない。でもボクにとっては有り難迷惑で、本意ではないので検査のお礼は言わなかった。
大佐がボクに向き直る。その表情は厳しくて、眼には責める色が見えた。
「分かっていましたね?」
「なんとなくね。だから健康診断なんて要らないって言ったのに」
「イオン様は何と?」
「何も。周りにも余計なこと言わないからほっといてる」
溜め息が吐かれる。そこにこめられた感情はなんだっただろう。白々しいボクに対する呆れか、イオンの選択への複雑さか、自分自身への失望か。
大佐は人体がモデリングされた画面を指して、そこに羅列される数字の意味を教えてくれる。でも特に驚きはない。とっくの昔に気付いていたし、分かっていてここまで歩いてきた。赤い双眸が、痛みを隠すみたいに冷たく映った。
「肉体を構成する音素量が通常のレプリカの十倍を優に超えています。体内の八十%が音素であると言ってもいい。このままでは肉体の組織が音素に破壊され、やがて自壊するでしょう。───保って三年です」
「大佐にしては随分気長な予想を立てたね」
そんな大佐はおかしくて、笑って応える。痛みの滲む赤い眼に、きっとルークがその痛みを教えたのだと思いながら。
三年以内に、君が帰ってきてくれればいいのだけど。