親愛の祝祷


 ダアトへボクを訪ねて来る人がいた。その人はかつて旅を共にした人で、非人道的な研究から「死霊使い」と世に恐れられており、マルクト帝国軍の大佐の地位にいる人だ。

 「皇帝の懐刀」、ジェイド・カーティス。

 本来ならば気軽にマルクトを離れられない筈の彼は、何故か単身で事前の報せもなく唐突にダアトへ現れた。そしてボクを教会内で捕まえて、執務室へと通させたのだった。

 

 

 

*****




 

 

「なんで大佐がいるの?」

「心当たりはある筈ですよ」

「だからそれはいいってば」

「よくありません。大人しく従いなさい」

 ボクの執務室で、そんな感じに大佐と押し問答を繰り返す。居るのはお互いだけで、大佐はソファをすすめたのに座りもしないで赤眼でボクを威圧していた。

 お茶を出す手間が省けるのは有り難いが、それだけ大佐が真面目な心持ちでそこにいるということであり、辟易としてしまう。まさか、彼がここまでしてくるとは思っていなかった。

「内密に一人でダアトに来るなんて危ないよ。仮にも『皇帝の懐刀』なんだから」

「私用ですから、部下を連れなくて当たり前ですよ。勿論陛下の許可は頂いています」

「じゃあなに? 君は「死霊使い」殿の貴重な休暇をボクみたいな些末なことに使ってくれてるの? 物好きだね」

「物好きで結構。私に余計な手間を掛けさせていることを理解しているなら、さっさとその首を縦に振りなさい」

「やだ」

 ボクの返答に、大佐の眉が険しく寄る。不機嫌か不愉快に近い感情が赤眼に滲み出していて、綺麗な顔が台無しだ。

 怒りに近いその苛立ちはボクの知る限り大佐にしては珍しい感情の変化で、聞き分けの悪い反抗期の娘でも相手にしているようだった。実際、そんなものだと思う。諌めるように名を呼ばれる。

「アリア」

「何を言われたって断るよ。従わない。ボクはもう君に雇われてはいないし、教団の第三位として君を追い返す権力も持ってる」

 断固拒否の姿勢を示せば、大佐は眼鏡を押さえて深い溜め息を吐いた。苛立ちを追い出しているのか呆れを表現しているのか、判断はし損ねたが上げられた顔には困った色の方が強かった。

 随分表情が豊かになったなと思う。それは決して美談ではなく、それ程までにボクが彼を困らせているという、ただそれだけのことだった。

「何のために私が私用としてここへ来たか、貴女なら分かっているでしょう」

「分からないよ。君がそこまでしてボクを連れ出そうとする理由なんて、分かるわけがない」

 返答に大佐がぐ、と押し黙る。事実だった。大佐がボクを連れ出しに来たことは分かっている。でも大佐自ら、わざわざ私用なんて形で内密に、ダアトまで足を運んだ理由には心当たりがなかった。

 わざわざボクを捕まえて案内させたくらいなのだから、きっとテセもシンクも他の誰も大佐の来訪を知らない。それ程に彼は気を遣っている。多分、憶測が苦手だからだ。

「手紙で何度も断ったでしょ。なんで来たの?」

「手紙で何度も断られたからです。埒が明かないと判断したから自分の足でこちらへ赴いたんですよ。貴女はもう少し賢かったと思ったのですがね」

「そうじゃないよ。なんで諦めてくれないのかってこと。大事な皇帝陛下もほっぽりだしてボク一人捕まえに来るなんて、おかしい。君、そんな人じゃなかったでしょ」

「………………」

 大佐が再び黙る。ボクの知る大佐は、そんな行動力を発揮する人ではなかった。マルクトにとっての不利益になるわけでもないし、恐らく確証だって掴んではいない。掴んでいればもっと的確にボクを追い詰めにくる筈だ。

 でも彼は具体的なことは何も言わない。憶測の域を出られていない。曖昧な状況でリスクをとってまで、ボクの説得に踏みきるとは思っていなかった。

「……杞憂なら、それでいいんです。貴女こそ何故それ程頑なに同行を拒否するんですか?」

「不必要だから。グランコクマとの往復でどれだけ時間と旅費が掛かると思ってるの? 導師補佐役がダアトを離れるのって簡単じゃないんだよ」

「数ヶ月の時間があってもその余裕を生み出せないと?」

「アドリビトムの視察だって決定までめちゃめちゃ掛かったんだから。どう考えても今度のは大佐の気にし過ぎ。いつからそんな心配性になったの?」

「ルークの件があってからですよ」

 驚いて大佐の顔を見れば、赤い双眸が真剣にボクを見ている。明確な答えがあるとは思っていなかったので、咄嗟に言葉を返せなかった。その隙に大佐が言葉を続ける。

「貴女とルークは違う。貴女は私の立てた仮説の外にいる存在だ。だからこそ私には知る義務がある……いえ、知りたいと望むんです」

「研究者としての知識欲? 責任感?」

「友人としての心配ですよ」

 大佐の表情と声に冗談を言っている気配はなかった。彼は本当に、ただボクを心配してダアトまで来てくれたというのだろうか。まだ何も起きていないのに「念のため」と。

 予測が出来ないからこそ気に掛けている。そんな必要はどこにもないのに。



「アリア。私と共にグランコクマへ来てください。その体は一度精密な検査を受けるべきだ」



 強く発された言葉に、彼の真剣さが窺える。彼はただ、何の異常も起きていないボクの体を調べるために、しつこく手紙を寄越してダアトまで来た。具体性を帯びない憶測を脱しない状況なのに、その状況で動くことは嫌いそうなのに、友人として心配だからとわざわざ現れた。

 心配のし過ぎだ。この体のことはイオンに診てもらってるし、自分の体のことは自分で把握している。ボクは息を吐いて、変わらない答えを呈示した。

「直接来たって同じだよ。ボクは行かない。君は一人でマルクトへ帰って。大佐」

 ボクがぴしゃりと戸を閉じれば、大佐は眼鏡の奥の赤い瞳を鋭くして閉口する。感情だけでは話にならないと理解したように表情を消し、その場所からただ静かにボクを見据え続けた。

 

 

 

*****

 

 

 

 ずっと違和感と迷いがあった。これでいいのかと、このままでいいのかと、自分に問い続けていた。自分は裏切り者の身だ。今更正しさなんて選ぶ権利もないかもしれない。

 それでも、否だからこそ、もう間違えたくはなかった。大事な主を、自分の浅はかさで二度も失うなんて耐えられない。

(テセレマ様……)

 ダアトの街の一画で、水路として引かれた水面を橋から眺めながら、自身の主を想う。現教団の最高指導者である彼は、守護役である自分にとってこの身より大切な存在だ。

 一度裏切って死を見届けてしまったからこそ、その気持ちは強い。あの時の出来事で、自分の選択の重さをよく理解したつもりだった。

(このままで、いいのかな……?)

 ゆらゆらと揺れる水面を見詰める。夕陽の混じった水色はどこか不穏な色彩で、何故か胸をざわつかせた。

 かつて旅を共にした仲間の中で、ダアトに留まり一番近くで変化を見てきたのは自分だ。この教団の、そしてテセレマ様の変化を、よく見てきた。側に在るものの異質さも。

(旅の頃から、全然分からなかった)

 何を考えているのかも、判断基準がどこにあるのかも。気が向けば人を殺し、同じように人を助けるみたいに映った。表情は豊かに見えて、でも私にはそのどれもがどこか作り物のように見えた。大佐が作ってる顔とも、私が作ってる顔とも違う。人のフリをしている、という表現がとてもよく似合った。

(レプリカだって、一人の人だ)

 偽りなくそう思っている。テセレマ様もフローリアンも、作り物だなんて思えない。自分の意志を持ち、他者を思いやって生きている。人でないなんて思わないし言わせない。

 でも、彼女だけは違った。世界中に溢れたレプリカ達とは成り立ちが異なる危険なレプリカだ。大佐は初めて作った彼女に似た成り立ちのレプリカを、「化け物」と形容した。それに相応しい力と変貌を、確かにこの眼で見た。人として当たり前の気持ちを理解しない様を、何度も見た。

(きっとテセレマ様と違って、教団も街の人もどうでもいいと思ってる)

 それは予感であり、確信に近くもあった。根なし草が根を下ろしたなんていうけれど、私にはそうは思えなかった。仮にそうなら、彼女が根を下ろしたのは教団でもダアトでもなくテセレマ様だ。

 あの人の残そうとした場所だから彼女は引き継いだし、あの人が戻ったから彼女は導師の座を望まなかった。自分の生きる理由にテセレマ様を利用して、あの人を養分に綺麗な花を咲かせている気がする。

(勿論、あの人を連れ戻してくれたのは彼女だけど……)

 分かっている。彼女の持つ常識外れの力がなければ、テセレマ様は戻ってこなかった。私はあの人を死なせたままで、今みたいに当たり前に言葉を交わす未来なんて有り得なかった。感謝しなければならないし、感謝してもいる。

 でも、不安はなくならないのだ。このままでいいのかと、問いが繰り返される。

(だって、変だよ)

 おかしいと感じていた。まるで彼女を世界の中心とするみたいに、どんどんと世界が変わっていった。「始祖ユリアの生まれ変わり」とか「神託の御子」とか、おかしな呼び名まで世界中で囁かれている。今では教団の象徴の一つにまでなってしまっていて、その変化の速さと大きさが怖い。

(でも本当は、何より怖いのはテセレマ様とシンクの変化だ)

 旅の中でも気付いていた。テセレマ様が彼女を見る時間が増えていることに。

 愛称をつけてもらったのだと笑った顔が、知らない顔だった。「テセ」という呼び名が本当は「テセレマ」という古代イスパニア語であることを、あの人は長く秘密にした。そう呼ぶ権利を長く彼女にだけ与えていた。

 詠師会の反対を押しきってまで導師補佐役なんて新しい役職を無理矢理作って、彼女を特別に側へ留めた。死ぬその時でさえ、あの人は。

(……戻ってきてから、もっとおかしくなった)

 テセレマ様が彼女を見る眼はとても優しくて、他の誰とも違うんだって簡単に伝わった。シンクといる姿を見て胸を痛めるみたいに表情を変える様子を、何度も隣で見た。

 彼女がアドリビトムの視察にダアトを離れる時には、護衛を多くつけようとしたし出発前から空元気みたいにしていた。彼女の前ではなんでもないみたいにして、本当はずっと寂しそうに見えた。

(テセレマ様の気持ちも知らないで)

 彼女は自分の気分のままに生きている。ただ守られて当たり前みたいに。行方知れずになって、テセレマ様は守護役の私も置いて飛び出していった。説得なんて聞いてくれる余地もなくて、行かないと後悔するからと譲らなかった。

 連れて戻ったと思えば、前よりもずっと近い距離で彼女を見るようになっていた。まるで恋人を傍に置くみたいに、彼女を一番近くに招くようになった。

(どうして?)

 あの人がそうするだけの理由が、彼女にあるだろうか。気分のままに人を殺して助けるような人に、本当は教団も街の人もどうでもいいと思っているような人に。

 術式がなくちゃまともに人らしくも出来ない「化け物」に、あの人が手を差し伸べるなんておかしい。本来なら救えない存在で、寧ろあの人が大切に想う世界中の人のためには、存在を許すべきでないものにも思えた。

 彼女は不安定で、常に危険を孕んでる。世界を平和に導きたいと祈りを捧げるあの人の隣に、相応しいとは思えない。

(……シンクだって)

 元々、同じ神託の盾だからって交流があったわけじゃない。でも彼女といつの間にか心を通わせていた。敵を地核に飛び込んでまで助けるなんて、普通じゃない。

 そうやって彼女に助けられてから、シンクは総長を裏切ってこちら側についた。預言を変わらず憎んでいたのに、あっさり彼女を選んだ。何を犠牲にしても、自分の命だって、彼女のために使い捨てようとした。人だって平気で殺した。そんなの理解できない。

(こんなの、おかしい)

 二人の彼女への傾倒具合は明らかにおかしかった。テセレマ様もシンクも、彼女を世界で一番大切な存在みたいに扱う。彼女はそうやって扱われながら、当たり前みたいに二人共の側にいる。彼女はそうやって二人を狂わせて、このダアトに大きく花弁を広げていた。

 最近では「神託の双子御子」なんて形で街の人達も狂わせ始めた。まるで根を下ろして咲き誇る、毒花のように。

(……このままで、いいのかな)

 もう何十回と繰り返した問いを、胸の内で呟く。今でさえも十分に恐ろしいのに、変化を見守っていていいのだろうか。

 そう思うものの、なら彼女をダアトから追い出せるのかと問われればそれも出来ない。そうするだけの明確な理由を持たず、その選択が正しいのかの確証もない。何よりテセレマ様が哀しむのが予想できたから、あくまで迷いでしかなかった。

 何も死んで欲しいわけではないのだ。ただおかしいと感じていて、それが自分の大切な主を狂わせているのではないかと、不安が消えないのだった。

「……はあ」

 溜め息を吐く。気付けば水面に映る橙色に、空の藍色が混ざり始めていた。もうすぐ陽が落ちる。今日もまた、どうにもならない悩みに時間を浪費してしまい、何も決められはしなかった。

 その事実に気持ちが落ちかけて、暗い顔では教会に戻れないと自分の頬を叩いた。よし、と気合いを入れ直して欄干から離れようとする。その時に、その声は掛かった。

「何か悩み事ぉ?」

「えっ?」

 横合いから掛けられた声にそっちを見れば、いつの間にか少女が並んで水路を眺めていた。夜が近付いた景色に馴染んで見える、黒い服の少女だった。年の頃は同じに見える。

「……誰?」

「ただの通りすがりよぉ。悩んで見えたから、声掛けちゃっただけ」

「………………」

 おかしな話だった。だが面識のない少女はその言葉の通り、何かを期待するみたいに私を見たりはしていなかった。寧ろ興味なんて無さそうに欄干に肘をついて体を預けている。声も億劫そうで、その眼が私を見たりはしない。

「別に、話したくないならそれでもいいわぁ。こんな時間に一人で深刻そうな顔して川を眺めていたから、気になっただけだものぉ。余計なお節介よねぇ」

 親切心、なのだろうか。よく分からない。ただ少女に嘘を言っている様子はなく、年齢が同じ頃に見えることに少し心が傾いた。ただの通りすがりなら、少しくらい話してみてもいいかもしれないと感じ始めていた。

 その迷いによる沈黙に、少女はちらりと私を横目で見た。それから自分の話をする。

「私ねぇ、恋をしているのよぉ。でもその人はおかしな執着に縛られて、ちっともこっちを見てくれないの。目を覚ましてくれなくて嫌になっちゃってここに来たのよぉ」

 嘘か本当か分からなかった。でもそれは今の私の抱える悩みに少し近く思えて、そんな理由でここへ来たのなら似た者同士なのかもしれないと思う。気付けば少女の言葉を繰り返していた。

「執着……」

「ええ。恋じゃないのに、まるで恋みたいに人を狂わせるわぁ。執着で狂って、彼は道を踏み外してしまった」

 少女の言葉が胸に染みていく。覚えのあるような話だった。執着という言葉を使われて、納得が増えていく。

 テセレマ様が彼女を側に置こうとするのも、シンクが彼女の側にいようとするのも、執着だ。彼女が二人に手を伸ばす理由は、それよりずっと強い執着ではないか。そんな風に思えてくる。

(道を踏み外す)

 その未来予想が、形のない不安に現実味をひと匙足したように思えた。不安が増す。迷いが足元を揺らす。このままで、本当にいいのだろうか。

 少女が隣で柏手を打った。ハッとして顔を上げる。猫のように期待する眼が隣から私を覗きこんでいた。

「ねぇ。ちょっとオマジナイを掛けてもらえない?」

「オマジナイ?」

「そう! 勇気が出るオマジナイよぉ。自分でやっても意味がないの」

 やるなんて言っていないのに、少女はオマジナイのやり方を伝えてくる。それから「早く早く!」と急かしてくるから、仕方がないと折れてあげることにした。大した手間でもないし、どこか人懐っこく見える様が放っておけない。

「はい。これでいい?」

「ありがとう! お礼に、貴女にもオマジナイを掛けてあげるわぁ!」

「え? いいよ、別に」

「そう言わずにぃ!」

 少女が同じ手順でオマジナイを掛けようとしてくる。話を聞いてくれない子だ。そろそろ教会に戻らないとマズいし、こんなところで押し問答をする気もない。さっさと遊びに付き合って帰らせてもらおう。そう思って声に従うことにした。

「じゃあ目を閉じて」

 少女にしたのと同じように、私も目を閉じる。

 暗闇だ。夜が近付いた空の色も、それを映していた水路の煌めきも見えない。耳から入る情報に、自然と意識が流れた。

 額に何かが触れる。少女の指先だ。それでオマジナイの文言を唱えて終わり。子供騙しのお遊びだ。こんなもの信じちゃってバカみたい、と思いながら、続く言葉を待った。少女が口を開く気配がする。

「眼に映らぬモノに耳を傾けたまえ。彼らは常に囁いている。側で貴女を見守り、知らぬ内に導いている。貴女はただその愛に身を委ねればよい」

 あれ?と思った。知らない文言だ。さっき私が少女にしたオマジナイとは違うオマジナイなのだろうか。そんな風に思って、私は目蓋を上げ忘れた。

 そこにある音素の輝きに、譜陣の存在に気付くことが出来なかった。ただ、閉じている筈の目蓋の内側に、黒髪の少女の金の瞳が見えたような気がして。

「さぁ、耳を傾けて。貴女の迷いに、導きがあるわぁ」

 耳元で囁かれた甘い誘いに、ゆっくりと意識が傾いていった。

 

 

 

*****

 

 

 

 なんでもない一日だった。退屈な程に変わらない日々。平和と言えば聞こえのいいそれに、しかしボクはそれが案外簡単にどこかへ行ってしまうことを知っている。

 だから退屈でも平和の方がマシだった。一年をそうしてこのダアトで過ごしたように、何もない時間を彼女の側で重ねればいい。そうしてゆっくり、自分の望みを叶えてみればいいのだ。

「ボクが望みを持つなんてお笑い種だけどね」

 自分の変化を嗤えば、執務室にノックの音が響いた。窓の外を見やればすっかり夜で、今になって訪ねて来るとは火急の用だろうかと思う。

 どちらにせよ、立場上無視するわけにもいかない。面倒に思いながらも扉越しに応えてやる。

「入れ」

 指示に、扉が開かれた。現れたのは黒髪をツインテールにしたガキで、導師の守護役だ。こいつがボクの部屋を訪ねて来るなんて珍しい話だ。俯きかけていて表情は暗い。深刻そうにも見える。

 違和感に眉を潜めると、守護役が口を開く。

「アリアが……」

「! また何かしたの、あのじゃじゃ馬」

「……一人で、街外れに」

 報告に舌打ちをする。「双子御子」になってから、彼女は一人で出掛けることが増えていた。気が緩みすぎていると思っていたが、まさか日中どころか夜に出掛けるなんて。馬鹿の上に弩をつけてやりたい。

「どの辺り?」

 詳細を聞き出して「ご苦労サマ」と形だけ伝えると部屋を出た。教会を離れ夜の街へと踏み出す。すっかり夏を感じさせるようになった夜の風は、肌に障って少し疎ましい。

(こんな時間に何してるんだ、あの馬鹿は)

 余計なことを考えるのをやめて、先を急いだ。

 危機意識が身に付いたなんて言いながら、まだまだ全然だ。夜に出掛けて拐われたことをもう忘れたのだろうか。朝に言い渡した命令を夜には忘れるくらいの鳥頭だし、有り得なくもない。学習能力のない馬鹿に分からせてやるにはどうすればいいのかと頭が痛くなった。

(見付けたらただじゃおかない)

 いつかに思ったことと同じことを思って、守護役から聞き出した辺りへと来る。人気はない。探し人の姿もなく、周囲を見回した。

 この辺りは工場地帯で倉庫が並ぶばかりだ。特別治安が悪いわけでもなかったが、人目の無さについては折り紙つきだ。

 警戒をしつつ周囲を探れば、不意に視界にそれを拾った。倉庫の一つが開いている。

(こんな時間に?)

 勿論、夜通し稼働する工場だってある。だが、その倉庫が扉を開けたままにしているのは違和感だった。明かりがついているわけでもなく、人の気配がするとは言い難い。

 嫌な予感がした。また何かトラブルじゃないだろうな、と心の中で呟く。彼女の姿が目撃された辺りで違和感を見付けると、すぐに警戒が浮かぶようになっていた。それ程に、彼女は大人しくしていられないし平和に嫌われている。

「………………」

 倉庫に近付く。様子を見て、やはり人の気配を感じない。中は暗く全容も見られない。

(……いや、一人だけいる)

 注意深く探って、それを拾い上げる。目的の人物だろうか。確認をしなければ何にもならない。苛立ちを殺して、倉庫の中へ足を踏み入れた。



 その一歩で、足が動かなくなった。



「……!?」

 足だけではない。体が動かない。試しに指先へ力を入れるが、それすらまるで痺れたみたいに管理下を外れ、指示を受け付けなかった。動きが封じられている───何に?

「ご機嫌よう」

 声が掛かる。視線の先、倉庫の暗がりの奥から、女の声がした。足音もなく闇から溶け出すように現れた姿は、まだ子供だった。守護役と同じ程度のガキで、暗闇に馴染む黒髪に対して浮かび上がるような金の瞳が目につく。

(……声が出ない)

 何の用かと問うことも出来ない。明らかに好意的な状況ではなかった。だが向けられる表情は、いっそ親しさでもこめられているのではないかという程に愉しげで、身に覚えのない馴れ馴れしさに気持ちが悪い。

 イオンの笑みに似ているけれど違う。それより余程、歪みがないと感じる。

「ごめんなさいねぇ。貴方強いから、卑怯な手を使わせてもらったわぁ」

 申し訳なさの欠片も感じさせない声音に、疑いが確信へと変わった。ハメられたのだと理解する。この女はボクがどこの誰か分かった上でそこにいるのだ。ボクが来るのを待って、何か策を弄していた。それにボクはまんまとハマったことになる。舌打ちも出来ない。

(どこからが罠だ?)

 アリアは本当にここへ来たのか、守護役の報告から嘘だったのか。十中八九、後者だ。ボクは導師やアリアと違ってあのガキを信用していない。それでも直接的に害を為そうとしてきたことはなくて、油断していた。今更、何が目的で動き出したというのか。

(いや、そんなことはどうでもいい。問題はアリアだ)

 ボクを誘きだす理由なんてそれ以外に考えられない。護衛役であるボクを遠ざけて、アリアに何かをするつもりだ。聞き慣れた警鐘が頭の中で鳴る。一刻も早くこの状況を脱して、教会へ戻らなければならない。

 滲み出した焦りの中でそう思考するボクへ、女が近付いてきた。無防備に距離を縮める女に、しかしボクは何も出来ない。本来なら有り得ない、呼吸の触れる距離まで入り込んできた女は、下からボクの顔を覗きこんだ。金の瞳が、満月のようだ。

「術を解かれたら面倒だしぃ、手短に済まさせてもらうわねぇ」

 女はそう言うと何かを懐から取り出す。手の中に収まる大きさのそれは、ボクの背後から入る月光を受けて僅かに煌めいて見えた。

(石……?)

 鉱石か何かのように見えた。形が整えられていることから、天然のままではない。どことなく見覚えがある。だがすぐには繋がらない。

 女の手が伸び、ボクの襟へ掛かる。変わらず体は動く様子がなく、抵抗の余地があるわけもない。襟元が開けられ胸部を空気が撫でた。

「あらぁ! 逞しい体♡」

 不愉快で眉を寄せたいが、それすら叶わない。だがそう口にしながらも大して興味のない様子で、女は石を持ち上げる。それがボクの心臓に程近い場所へ触れて、記憶が繋がった。石を見た時にあった既視感に、その距離が気付きを与える。

(導師の体に埋まってる輝石だ)

 記憶が掘り起こされる。アリアが作り出し、虚弱な導師の体を補助させている人工の音素結晶だ。一瞬見えた色味は違って思えたが、肌に触れても温度を伝えないところはよく似ている。それを何故、今この女が持っているのか。

(輝石を作れるのはアリアだけの筈だ)

 彼女曰く、人工の音素結晶は維持が難しく固定するにはアイオンの力を使わなければならないらしい。勿論譜業の類いを使えばその限りではないが、それにはコストが掛かりすぎる上に純度の高い音素結晶になればなる程、現実的ではなくなるそうだ。でなければ今頃軍事利用されている。少なくともこんな風に気軽に持ち運んだり、導師の体に埋め込んだりは出来ないだろう。

 そしてもう一つ、疑念があった。何故この女がそれを、ボクの心臓近くに触れさせているのかだ。

(……まさか)

 嫌な予感がする。肌を緊張から生まれる汗が伝った。心臓が不穏に鳴って、胸の奥が騒ぐ。アリアの無事を考えていた頭が、自身に迫る脅威へ向く。動かない指先から、血の気が引くように体が冷たくなるのが感じられた。

 女が笑む。

「第七音素で作られてるレプリカのケースを見たいんですってぇ。私はよく分かんないけどぉ、有象無象より貴方が適任だって話よぉ?」

 何も言えない。動けない。ただ呼吸が浅くなり、胸に触れる石がざわめいたような気がした。まるでその形を変えて、ボクの体へ溶け込もうとしているように。肌に触れていた輪郭が、曖昧に解けていくように錯覚する。───本当に、それは錯覚か?

「怖がらなくても大丈夫だわぁ。だって成功例が一人いるんでしょお? 貴方だってすぐ側でずっと愛されてきたんだから、きっとよく馴染むわよぉ」

 心臓がうるさい。入り込んできた異物に早鐘を打つ。そこから熱が広がるように、体が異常な温度を示し始める。浅い呼吸が熱くなり、視界がぐらぐらと揺れ始める。

 いつの間にか術による拘束が解けていて、けれどボクはその場に膝をついて動けない。体が重い。

(熱い)

 汗が流れて、息が苦しい。視界に何かが入り込んでいた。ざわざわと侵食される。ノイズだ。ちかちかと明滅して、自分の体の在処も分からなくなりそうだ。女の姿がまだあるのか、ないのかも確認できない。そんなことに意識を割く余裕などない。喉が、渇く。

(───アリア)

 何故か、彼女の存在を想った。胸がざわつく。行かなくてはならない。側に、彼女に触れなくては。このままでは気が狂いそうだ。渇いて、死ぬ。

 思考が繋がらない。膝に力を入れる。よろめきながらも立ち上がって、夜の街へ彷徨い出る。この異常なまでの渇きに、ボクが殺される前に。







 早く。
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