短編:間奏時
溺れて欲しいと思った。ボクの欲に。醜い結末に。そうしてこの手に堕ちて来たなら、ボクの渇きも癒される。他の誰もいない閉鎖的な関係。───その水底に沈めてしまいたい、と。
溺れてくれると思った。打算があった。アリアはボクを拒めない。掴んでしまった手を離せない。今更ボクを独りに出来ない……そういう奴だと知っている。
暗く淀んだ感情。塗り潰された満足がボクを満たす。拒めず、選べず。何も考えられない内にボクに閉じ込められて欲しい。そう思って触れた。それなのに。
「シンク。ボクは君が好きだよ」
その瞳の輝きは失われない。拳を握り、呼吸を思い出して。被験者譲りの頭突きで目を覚まさせられる。溺れることは許されない。水底から、暴力的に引き上げられる。
ボクが抱くそれ。アリアが抱くモノ。どうあっても同じ形ではなくて、その事実がボクの呼吸を鈍くする。ボクをこの世界に留めたクセに。一人の人として側にいて欲しいと望んだクセに。ボクの全部は望んでくれない。
酷い女だ、と思う。ボクにはアンタが全てなのに、アンタはボクを全てにしてくれない。選べないと言って、三つ目の選択肢を選んでしまう。目の前で死んでやりたい気持ちに駈られる。
でも、ボクは。
ボクには、アンタが全部だから。
アリアがボクだけを選べなくても、ボクはアリアを選べる。正しくない、歯車の狂った関係。それでもいい。今のボクはアリアがいなきゃ生きられなくて、アリアが存在の証明だ。アリアが欲しくて───触れていたい。
触れることを望んだ。アリアはそれを許した。許すべきじゃなかったのに。一度知ってしまえば手を伸ばさないでいることは出来ない。アリアを手に入れたいと声は囁き続ける。───ボクだけのモノに。
牢で下らない自己満足に付き合いながら、頭の中は冷えていった。自分の愚かさも彼女の残酷さも、そしてボクの被験者の惨めさもよく見えた。ボクの心は凪いでいく。
「お前はまだ世界の醜悪さを知らないんだ」
ダアトへ戻れば、人の形をした悪意が嗤う。それに心は揺らがない。不思議な程に凪いでいて、そうして何も変われていない姿が哀れにも思えた。お前だけが同じ場所にいる。
自身の代わりにボクをなぶってもお前が満たされることはない。箱庭で人形遊びをするしかない未熟な精神性。お前を証明する"アリア"はすぐ側にいるのに、お前はそれすらまともに見えていない。お前がどんなに嘲笑おうと───ボクを証明するアリアが存在するように。
相手をする必要すらない、ボクより余程カワイソウな奴。でもボクは足を止める。二度程の邂逅と異なり、自ら足を止めて向き合う。もう、お前の悪意に振り回されるボクはいない。
「いい加減目を覚ましなよ。───お前は生きてるんだから」
その言葉が届いたかは知らない。ただ置き去りにして通り過ぎる。望んで死に留まり続ける奴に、これ以上掛けてやりたい言葉もない。
ザオ遺跡で、この手は届いた。守れないと囁いた悪意は意味を成さない。ボクの中のぐちゃぐちゃの感情も、すっかり解けて消えていた。
胸にあったのは知らない苦しさ。求めるままに駆け付けて、求めるままに抱き込んだ。そうして触れることに安堵があって……湧き出した感情は、黒く淀んだものではなかった。
眠るアリアの手を繋いだのは、その存在をボクに繋いでいたいと思ったから。眠りの内に互いが在ればいい。そうして眼を閉じていても存在を感じられると示したのは、アリアが先だった。
なんでもなかった痛みに泣いて。ただ涙を止めたくて慰めた。こんな傷に、泣く程の価値なんてない。それでも、変わらずボクのために感情を揺らすアンタを見るのは悪くなかった。
蕩ける表情でボクへキスをねだる───理性がどこかへ行きかけた。アリアが自分から触れ合いを求めるのは初めてのことだ。これで誘っている自覚がないというのだから、とんでもない悪女だと常々思う。
「神託の双子御子」なんて馬鹿げた妄想が現実になる。当然反対したが、聞き入れられる訳もない。二人の「アリア」の融通の利かなさは筋金入りだ。
そうして、変化を生みながらも平穏な日々が舞い戻ってくる。街の人間を殺して回った上にアリアへの関わり方も変えて。それでもボクは許され、側にいることを望まれる。アリアの選択は変わらない。
本当に甘くて……その甘さに付け込んでやる。
「……シンク?」
紅潮する頬に、潤んだ瞳がボクを見上げる。蕩けた表情で名を呼ぶその声が、理性を溶かす。正しくない快楽で全てを狂わされる。甘い花の蜜が、何よりボクを満たすから。
───アンタもボクに溺れなよ。
触れ合う内に、アンタがどこまでをボクに許すのか興味がある。きっと今より離れられなくなる。アンタは自らボクを望むことになる───抱く想いが違ったとしても。
目を覚ました筈なのに、ボクの胸の内は変わらない。抱く醜い欲は変わらず在る。ただ、そうしてアリアの意志を妨げることはしたくないと思えた。満たされるなら、アリアの持つ光に満たされたい。
ボクはボクの醜さを、愚かしさを受け入れる。そうして手を伸ばしてもアリアは汚れない。ボク程度の穢れで彼女は曇らない。それなら……どうしようもなくなるまで、甘やかしてやる。自ら溺れたいと思うまで。
───今更、逃がさない。
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