庭園の造花


 船旅を経て、キムラスカ王国の首都バチカルに到着する。ダアトから出たのも、船に乗ったのも、実に一年ぶりだ。船上という限られた場所であっても自由を感じる程に、教会での生活は窮屈ではあったらしい。

(こればっかりは性分だよね)

 思って苦笑してしまう。今の居場所は気に入っている。テセが招いてくれて、シンクも協力してくれて整ってきた場所だ。気に入らない訳がない。ボクにとって意味があり、手離せない存在のある場所。ボクが帰りたい場所。

 それでも自由を好む気持ちは変わらなくて、建物の中にいるより青空の下で風を感じていたい。行きたい場所にいつでも行ける身軽さが好きだった。その意味ではテセが自ら導師の位に戻ってくれたのは有り難かった。ボクが導師になんてなっていたら、今より余程息が詰まった筈だ。

(誰かの手を引くのは、テセの方が似合ってる)

 ボクは手の届く範囲にしか興味がないし、両手も既に塞がってる。呑気に補佐役として暮らしていければそれでいい。

 なんて思いながら懐かしい街を歩き出す。自然の要塞として縦長に作られた街は、旅の頃と変わらず堅牢で、より華やかに見えた。流石、為政者ガチャ満点の世界。

「随分活気があるねー。預言も詠まれなくなってまだ不安の方が強いだろうに、そうは見えない」

「国王の命に背く民の暮らす街だからね。根性の据わり方は王女サマに似たんじゃない?」

 成る程それはありそうだ、と頷く。彼が言っているのはナタリア王女殿下の処刑騒動の話だ。国民がナタリアを助けたのは、それまでの彼女の在り方が貴いものであったから。ナタリアが示した親愛を、彼らも返しただけだ。

(ユリアの生まれ変わりなんて、一方的に持ち上げられてるボクとは大違い)

 ダアトは元々が宗教国家であるため仕方のない側面もある。大体ボクがナタリアのように民を愛せるかといえば、それは無理だ。天地がひっくり返っても有り得ない。そう思えば、生まれ変わりくらいの虚構は嘘つきのボクに似合いの親愛の形なのかもしれなかった。

「ナタリア元気かなぁ」

「さぁね。気になるなら会いに行けば?」

「えぇ? 王女様だよ。旅をしてた頃ならまだしも、今は立場が違うんだからそう簡単にはいかないでしょ」

 思わぬ提案に反論すれば、馬鹿を見るような憐れみの視線が向けられた気がする。想定通りの呆れ声がやってくる。

「導師補佐役が何言ってるの」

「………………」

 彼の言う通りだ。認めたくはないが、対外的には「そういうこと」になる。

 教団は詠師会という議会が存在するが、あくまで宗教国家のトップは導師だ。以前は大詠師職が第二位だったが、今では新しく用意されてしまった導師補佐役の地位が二番手になる。これはうっかり導師代理との間を行ったり来たりしてしまったせいもあるのだが、今更意識改革は難しい。

 舞踏会でガイにも言われてしまったのだから、「ダアトのお姫様扱い」は世界規模の話のように思える。ボク野草くらいの扱いを希望したいんだけどな……

「いやでも、視察も大事なお仕事だし」

「導師に言われたこと忘れた訳じゃないよね? 『キムラスカ王国の様子を実際に見て報告すること』───どうせ数日は滞在することになるんだ。上の話も聞いておけば」

 それも仕事でしょと言いたげな言葉に、ぐうの音も出ない。「ダアトを離れられない導師の代わりに眼となり耳となるのも補佐役の仕事」という建前は生きている。

 実際ナタリアの話を聞くことは有益だろうし、テセも彼女が最近どうしていたかを聞けたら嬉しいだろう。ボクも折角だし会いたくないわけではないのだけど……

「なんかダアトの姫って認めるみたいでやだ……」

「今更だろ。アンタが何言ったって変わらないんだから、便利な肩書きがついたくらいに思えばいいよ」

「姫扱いじゃなかったらそうするんだけどね」

 相変わらず女性的な香りのする概念は苦手だ。普通に存在する分には構わないのだけど、それが自分に向けられた際の抵抗感は無くならない。いっそ男に生まれればよかった。こっそり神様を呪い出すと、シンクは「好きにしたら」と話を切り上げた。

(今回の視察に関しては事前に王国に連絡してるし、ナタリアも知ってる筈なんだよね。取り次ぎお願いしたら通るのかな)

 寧ろ、会いに行かないと「どうして会いに来てくれなかったのか」等と後々責められることになりそうな気までしてきた。いやそんなまさかと思いつつ、想像が容易くて振り払えない。……念のため、後で打診してみようかと心の中で結論を保留した。










*****










 キムラスカとの交渉の末、バチカル内に構えた修道院とアドリビトムは中々立派なものだ。というのも、他国である教団の拠点とはいえ街の景観を崩すことにボクが反対したのだ。権威を示すには最適かもしれないが、人は異物を好まない。少しでも親しまれやすい方が利益になる。よって拠点は、各街の代表とよく相談してから建造している。当然首都バチカルに似合いの外観にすれば、立派なものになるという話だ。

 バチカルの街並みに馴染んだ建物に入り、修道院の管理者と挨拶をする。祈言士も守護士も、基本的にはその国その街で生まれ育った者を配置するようにしているため、住民との齟齬は少ないつもりだ。勿論本人達の希望も優先している。

(慈善事業じゃないけど、何でも屋は誰かを助けてこその仕事だからね。助ける方も助けられる方も、縁があった方が都合がいい)

 口頭の報告を受けながら、書面での報告も確認する。概ね問題はないようだ。修道院の方にはやはり以前までの役割を求められることがあるようだが、トラブルにはなっていない。毎週行われる集会の参加者も随分増えたらしい。

 因みに祈りの対象は変わらず始祖ユリアだ。ローレライや預言とは縁を切ってしまったが、始祖ユリアの祈りまで否定した覚えはないので、まぁ自然な話だろう。戦争を終わらせ、預言から逃れるために預言を詠んだ彼女を愚かと謗る者はいない。

「オーケイ。労働環境の方は? お昼寝が出来ないとかない?」

「昼寝が必要なのはアンタだけだよ」

 横合いから相棒に刺されたけど無視する。

 そちらの方も概ね問題はないようだった。修道院はアドリビトムと建物が併設されていて、自然とアドリビトムの任務には周辺の魔物狩りも含まれる。街での買い物に制限もなく、国からの扱いも厚いようで食糧難などはなさそうだ。寧ろ依頼達成の報酬としてアドリビトムが得る物や、修道院が受ける献上品等で潤っているようだった。

 書類上の話になるが、ざっと見ても他の街より余程潤沢そうだ。マルクト帝国の首都グランコクマでの拠点も大層手厚くされているし、どちらも首都故の結果だろう。

「これだけ受け入れられてるなら、チャリティーみたいな感じで街の子供達にイベントを企画するのもいいかもしれないね」

「へぇ、利益を独り占めしないんだ?」

「教団は『誰か』に寄り添うために在るの。何でも屋の仕事はお金だけが利益じゃないんだからね」

「あっそ。あんまり口煩くしないようにね、センパイ」

 嫌味っぽく嗤って、シンクが側を離れる。報告を粗方聞いて込み入った話になると踏んで、拠点内を見て回ることにしたのだろう。適材適所、役割分担という奴だ。

 面倒な話から逃げたという説もあるが、まぁボクと違って仕事をしない人間ではないので信頼もある。ボクと一緒だと見付けられないような話を持ち帰ってくれるだろう。

 ボクは一先ず、導師補佐役の仕事をすることにした。










*****










 修道院での情報共有が終わり、アドリビトム側の話も聞き終えればすっかり陽が沈んでいた。バチカルに着いた時点で昼過ぎだったし、道理だろう。拠点には当然宿泊施設が存在するが、お偉いさんが泊まるなんて嫌だろうと予想してボクとシンクは街に宿をとっている。少なくともボクが部下なら嫌だ。

 シンクと合流して宿に戻る際に、守護士に声をかけられた。

「ご報告致します。ナタリア王女殿下より、こちらを預かって参りました」

 懐かしい名前と共に渡されたのは、質のいい手紙だ。キムラスカ王国の封蝋までしっかりされていて、お互いに立場があるというのは面倒なものだなと思い知らされる。

「ありがと」

「い、いえ!」

 受け取って礼を言えば、少し慌てた様子で応じられた。「それでは!」と逃げるようにぎこちなく去っていく後ろ姿に首を捻れば、隣で溜め息を吐かれる。

「どうしたの?」

「別に。それより王女サマの手紙だ。どっかの考えなしと違ってあっちは準備がいいみたいだね」

「毎秒刺さなくていいから」

 嫌味を牽制しつつ手紙を開ける。王国の封蝋こそされているが、あくまで個人的な手紙になる筈だ。開封場所に気を使わなければならない類いのものでもないだろう。育ちの良さが全面に表れた文字に眼を走らせれば、頭のいい人の先手を理解する。

「久しぶりに会って話しませんか、だって」

「だろうね。報せてないのに手紙を寄越されたんだ。予定空けて待ち構えてる認識で間違ってないよ」

「正解。日時は……明日のお昼」

 午後のティータイムをご一緒に、という意思だろう。現実的で投げやりに拍手を送りたい。

「真っ昼間の王城なら馬鹿な連中も顔出さないか。こっちは僕が見ておいてやるから、補佐役殿はちゃんと外交してきなよ」

「シンクも来ればいいのに」

「冗談でしょ。仲良しごっこはうんざりだ」

 心の底から嫌そうに吐き捨てると、彼は歩き出した。慌てて後を追いかけて、隣に並ぶ。

 まぁ、ゆっくりお茶会という場面にシンクが似合わないことくらいは分かる。シンクを連れてくるようには手紙に書かれていないし、視察の方だって大切な仕事だ。適材適所、役割分担という奴。

(ナタリアって天然なところが扱いづらいんだよね)

 心の中で明日の苦労を想定して苦笑しつつ、どこか楽しみに思っている自分がいることを、ボクは自覚していた。










*****










 翌日、午前中の視察を終えて王城へやってきた。表にいた王国騎士団の人間と話せば、庭園へ案内される。今回は表向きの外交で訪ねたのではなく、あくまで個人的な用事なので謁見等々は強いられないで済んだようだ。よかった。

(んー、流石王城の庭園。ルークの家の庭も花が綺麗だったけど、規模が違うなぁ)

 冬だというのに樹木も草花も溢れんばかりに花を咲かせていて、色鮮やかだ。似合わない趣味だが花は好きなので、自然と気持ちが上がる。

 やがて通された先で優雅にお茶を飲む人物を発見した。肩口でふわりと広がる金の髪に、琥珀色の瞳がボクを映す。ゆったりと微笑まれた。

(うっわぁ……)

 これが「お姫様」というものだ。高貴さが隠せない。生きている世界の違いに慄いている間に案内についていた兵が下がらされ、二人きりになる。ナタリアが腰を上げた。

「久しぶりですわね、アリア」

「え、あ、うん」

「まぁ、なんですの? その反応は。まさか私の顔を忘れたと仰るつもりでは御座いませんわよね?」

 腰に手を当てて半眼で睨まれれば、ようやく現実味が湧いてくる。このどことなく一方的な物言いはナタリアだ。懐かしい表情が見られて少し安心した。

「覚えてるよ。久しぶり、ナタリア」

 頷き返せば椅子を勧められる。有り難く揃って席につけば、どこからともなく侍女が現れてティーセットを並べて去っていく。その所作に無駄はなく、当たり前だがプロだ。

「甘いもの、お好きでしたわよね?」

「勿論。ナタリアの手製じゃなければ頂くよ」

「不敬ですわよ」

 なんて軽口を交わしつつ、並べられたケーキと紅茶を頂くことにする。クランベリーのケーキのようで、クリームとスポンジの仄かな甘さに木の実の甘酸っぱさが丁度いい。

「ん~! このスポンジ、蜂蜜入ってるじゃん……最高」

「ふふ。うちのシェフが聞いたら喜びますわ」

「コレ、城で作ってるの?」

「ええ。繊細な味の分かる舌の持ち主が来ると聞いて、張り切っておりましたのよ」

「ひゃ~、ありがとうございます……」

 何がどう巡ったのか、ボクが細かい違いに気付く質だということが知られているらしい。張り切られたと聞くと微妙な心地だが、お陰で腕によりをかけた素敵なデザートにありつけたので帳消しだ。感謝して食べる。

「それで、今回の訪問は修道院及びアドリビトムの視察でしたわね」

「うん。その節はありがと。お陰で教団の立ち位置もなんとか定まりそうだよ」

 教団の存続に際して、今の形を提案したのはボクだ。そしてそれを後押しして実現を手伝ってくれたのは、キムラスカという国でありナタリアの力でもある。勿論、マルクト側は皇帝陛下や大佐の助力あってだ。

 ダアトから遠く離れた地で、完璧な管理というのは難しい。きちんと組織が機能しているのは、各街が受け入れられるように両国で働きかけてくれたお陰に他ならなかった。

「私こそ、お礼を言わねばなりませんわ。お恥ずかしい話ですけれど、民のためとはいえ兵を全ての街に自由に動かすことは出来ませんもの。民の心に寄り添う組織にしたい、と貴女が仰った時、私も国をそうしたいと改めて思いましたわ」

「信仰が人を狂わせたけど、信仰は誰かを救うためにあるものだと思ってるから。それだけだよ」

「これで本人に信仰心があれば文句のつけようもありませんのに」

「神様とか信じてないです」

「……これですものね」

 呆れながらも、ナタリアの表情は柔らかい。向けられる感情が親愛であることは疑いようもなく、それはきっと虚構でもない。ボクと彼女が旅の中で培った何かが、そこに植わって育っているのだ。

「安心なさって。修道院もアドリビトムも、民に善く受け入れられていますわ。街の様子をご覧になりましたでしょう? 皆、預言のない不安をアリアの心に掬われておりますのよ」

「……そうだといいけど」

「そうですのよ。自信をお持ちになって」

 ね、と言われれば頷くしかない。街が活気づいて見えた一因が修道院やアドリビトムにあると思うと、少しくすぐったい。善行をしているつもりはないけど、自分のやっていることに意義があると感じられるのは嬉しい話だ。

 そういう風に考え、話してくれるナタリアという存在にも有り難さを感じる。長生きして、戦争を起こさせないで欲しいな。

「アニス達はどうしておりますの?」

「相変わらず。すっかりフローリアンのお姉さんだね」

「元気そうで何よりですわ。導師テセレマも、あれ以来体調に変化は御座いませんの?」

 あれ以来、というのは「導師イオンの再誕」だろう。あの時は凄い大騒ぎにしてしまったなぁと思い返しつつ頷き返す。

「元気元気。寧ろ音素を再構成させたお陰か、旅してた頃より元気だよ。最近は体術もちょっとずつ身に付けてるみたい」

「まぁ!」

 眼を丸くするナタリアの気持ちはよく分かる。しかし元々導師にのみ伝わるとされるダアト式譜術は、譜術の中に体術を織り交ぜたものだ。今までは体力のなさから譜術のみの運用となっていたが、体術も扱えた方が望ましい。

 勿論、いくら体を再構成したとはいえ元の虚弱が治るわけではない。その辺りはちょっとした裏技を使っているのだが、わざわざ話すことでもないだろうと口を噤んだ。

「先日の舞踏会に私も参列出来ましたらよかったのですけれど……」

「お姫様をホイホイ呼び出すのはちょっとね。あ、ガイに会ったよ。大佐の話も聞いた」

「あら。元気に……なんて聞くまでもありませんわね。大佐は殺しても死にそうにありませんもの」

「眼鏡も伊達だから、本体じゃないしね」

 伊達じゃなければ眼に見える急所だったのにと思う。まぁ譜眼を制御するための眼鏡だった筈なので、無くなって全く困らないわけでもないのだろうけど。

「ガイも女性恐怖症を大分抑えられるようになったみたい。とはいえ、分かってて舞踏会に送り込んだ皇帝陛下の性格はおして知るべしって感じだけど」

「仕方がありませんわね、あの方も」

「ティアは会ってないけど、手紙のやり取りはよくしてるよ。最近、ユリアシティでもブウサギを飼う人が増えてるみたい」

「食用なのか、愛玩用なのかが地味に気になりますわね……」

 なんて、何の実にもならない雑談に花を咲かせる。お互いに国のことや、世界のこと、かつての仲間達の話が出来る。それがどれだけ尊いことか、分からない程愚かではない。

 そしてそこに、ルークやアッシュの話がないことを、寂しく思わない程薄情というわけでもなかった。ナタリアもそう思ってはいるのだろう。時折寂しげに見える表情に、早く帰ってくればいいのにと心の中で呟いた。

「そういえば、シンクはどうなさいましたの?」

「放牧中。お茶会って柄じゃないし」

「その口ぶりでは、こちらも相変わらずのようですわね。安心しましたわ」

 相変わらず、と言われればその通りだ。何も変わっていない。旅をしていた頃と大きな違いなど有りはしない。

(でも……)

 ボクは知っている。時折、彼が不思議な眼をする時があることを。考えや感情を拾えなくなる時がある。それはどこか熱のある瞳であったり、遠くを見るようにボクを見る瞳であったりする。急に牙を剥かれるような時もあって、何がなんだか分からない。ボクに対する感情の結果なのは分かるのだけど、それらがどんな感情に起因するものなのか。

 旅をしていた頃と大きく変わったことなどない。あの頃も、彼は時折そんな眼をしていて、ボクは今も含めて理解出来ていないのだから。

「アリア?」

 琥珀色の瞳がボクの顔を覗き込んで、そこに心配げな色を見付けて苦笑した。首を横に振る。

「ごめん。なんでもない」

「何か憂い事ですの? ……私達は旅をしていた頃のようにすぐ近くには居られませんが、寄り添い合うことを許される関係でありたいと、願っていますのよ」

 それはこの庭園で最初に彼女から受け取った親愛であり、紛れもない「仲間」の言葉だ。居場所が違い、共に旅をしていなかったとしても……いつか頼る相手は、きっと彼らなのだろうと考えさせられる。だからこそ、その親愛にボクも応える。

「ありがと。ボクもそう想ってるね」

「ええ。是非そうなさって」

 くすぐったいけれど、温かい。ここにあるのはかつての日々でもないし、昔を懐かしむためにボクらは口を開くのでもない。互いの口から出ていくのは、あれから変わったみんなの話。

 世界のこれからの話。変わっていく、未来の話だ。










*****










「行方不明事件?」

 ナタリアの言葉を繰り返せば、彼女は難しい顔で頷いた。

「ええ。レプリカを大勢、民として受け入れたこともあって、首都とはいえこの街も私達の眼がきちんと行き届いているとは言えませんの」

 それでも貧困に喘ぐ層が文字通りいないというのが、どれ程凄いことなのかと思う。キムラスカもマルクトもよくやっている。レプリカの受け入れに関しては各街の修道院も関わっているので、他人事ではなかった。

 ナタリアの話では、身寄りのない人間がふと気付くといなくなっている、というレベルのようだ。

「それは……数を追えないし、自分の意思で街を離れただけなのかも分からないね」

「なので事件としてはまだ扱えていませんの。事実確認を急がせているのですが……」

 昨日、修道院やアドリビトムでその話が上がってこなかったのもそのためだろう。事件性が証明できず、国も対応に困っている。アドリビトムで独自に調査している人とかがいてくれたら有り難いのだけど。

「分かった。こっちでも聞いてみる。必要とあれば協力を要請して。現段階でも、夜回りくらいは引き受けられるから」

「感謝致しますわ。貴女も、どうかお気を付けになって」

「ボクに何かあってナタリアの責任になっても悪いしね。一応気を付ける」

「そういう話では御座いませんわ」

「はぁい」

 じと、と睨まれて曖昧に笑い返す。お茶会の後は拠点に寄る予定だったし、丁度いい。シンクが何か情報を掴んでくれていると話が早いのだけど、と無責任な期待をかけながら紅茶で喉を潤した。










*****










 再会の約束をして、ナタリアと別れる。王城を離れれば陽は夕刻近くを示していた。随分話し込んだものだと思う。それだけ、有意義な話が出来たとも思うけれど。

(さて、修道院は……)

 昨日歩いた道へ行こうと方向転換をする。まだ陽もあって兵の姿もあるが、王城近くは貴族街となるため、人通りは少ない。迷子になったら恥ずかしいなと思いながら一歩を踏み出せば、思わぬところから声がかかった。

「導師補佐役殿!?」

「へっ?」

 驚いたような男性の声に、こちらの方が驚くことになる。人通りが少ないとはいえ、こんな往来でボクの身分を公にする考えなしは何者か。

 誰かが駆け寄ってくる様子にそちらを向けば、青年が向かってくるのが見える。歳の頃はボクより上で、多分ルークとそんなに変わらない。赤っぽい短髪に橙色の瞳が真っ直ぐにボクを目指す。

 目の前までやってきた慌てた様子の彼は、身長もルークと変わらないくらいではないかと思えた。───誰だっけ、とは口が裂けても言えない。

「ほ、本当に……本物だ……」

 青年が何か信じがたそうに震えている間に、どうにか状況を整理する。ここはキムラスカ王国の貴族街で、彼はボクを導師補佐役と呼んだ。貴族の可能性が高く、年齢的には家を継いではいないだろう。

 導師代理でなく補佐役と呼んだからには、補佐役に戻ってから顔を合わせている可能性がある。当然全ての貴族と顔合わせなどしていないし、そういう機会はずぼらが幸いして数える程だ。そして一番の手がかりは燃えるような赤の髪。キムラスカ王室との血縁が疑われる。

(……えーっと)

 そこまで考えても上手く情報がヒットしなくて、普段から真面目に職務をしていないツケを実感した。特に直す気もないが。要らない情報は要らない情報だ。

 弱ったので適当に話を合わせて切り上げ、早々に立ち去ろうと決める。青年は困惑しているボクに気付くと、ハッとして居住まいを正した。

「申し訳ありません! お見苦しいところをお見せしました」

 慌ててとった礼が王国騎士団のもので、彼の所属が窺える。王国騎士団といえばファブレ公爵が……こうしゃく?

「……あ」

「どうかされましたか?」

「いえ!」

 今度慌てて誤魔化すのはこちらの方だった。危なかった。ギリギリで思い出せてよかったと安堵する。興味のなさが露呈するところだった。にっこりと微笑んで外交の顔をする。

「お久しぶりです。プレスト様」

「お久しぶりで御座います。名前を覚えて頂けているとは、光栄です」

 忘れてましたと心の中で返事をしつつ、顔は微笑みキープ。思い出した。プレスト・アパシオナートだ。キムラスカ王室と血縁関係のある侯爵家の子息。以前の舞踏会で挨拶をした記憶がある。

(ダンスに誘われて有耶無耶にした気もするけど、まぁ蒸し返さなくてもいいでしょ)

 適当に考えつつ、なるべくお淑やかにする。自分の顔で淑女然の振る舞いをするのは違和感だが、幸い見本は身近にいたので想像するのは容易い。あとはそつなく会話を終了させるだけだ。言うは易し。

「まさかこのようなところでお会いすることが出来るとは……想像もしていませんでした。これも始祖ユリアのお導きですね」

 どこが?????という本音を押し込めて頷き返す。

「そうですね。ご健勝のご様子、何よりです」

「補佐役殿も。しかし、バチカルにいらっしゃるとは御珍しい。何か御座いましたか?」

「いえ。少し、仕事です」

 濁して伝えれば、プレストは何かを閃いたようだった。表情を人のいい雰囲気に緩ませる。

「アドリビトムですね。彼らには色々と協力をして頂いています。本当に、助かっていますよ」

「よかった。これからも宜しくお願い致しますね」

 軽く頭を下げれば、慌てたように赤い髪も下げられる。丁寧な人だなと改めて感想を持った。

「では、私はそろそろ……」

「あ……はい。では……」

 頃合いと判断して別れを切り出せば、一瞬残念そうな顔をしてからプレストが挨拶を口にしようとする。これで社交の場から逃れられると安堵する……より前に、闖入者があった。

「なーにが、『では……』だよ!」

「うわっ!」

 誰かがプレストの背に飛び付く。急な重さを堪えようとバランスをとって屈められた背から、太陽の下に輝く向日葵のように明るい金髪が覗いた。

 悪戯っ子の光を宿した碧眼と目が合う。こうなれば勿論、相手が誰かは難しくない問題だった。プレストと親しげにする様からも間違いようがない。淑女の礼をとった。

「お久しぶりです。コモド様」

「あ、オレのことも覚えててくれたんだ! 嬉しいなぁ」

 子供のようにぱっと表情を明るくする。人懐っこい表情だ。コモド・ブリッランテ。アパシオナート家と懇意にしている伯爵家で、二人は幼馴染だ。以前舞踏会で挨拶をした際に、揃って顔を合わせている。

 と、プレストが上体を起こしてコモドを振り払った。

「コモド! お前、補佐役殿に失礼だろう。敬語くらい使わないか!」

「えー。いいじゃん。今は舞踏会の場じゃないしさぁ。大体オレ、敬語って苦手なんだよねー」

「苦手とかではない! お前は伯爵家の人間なんだぞ。自分の立場に見合った振る舞いというものをもう少し……」

 プレストのお小言が始まる、という予感をあっさりと打ち消したのは、当のコモドだった。手を軽く叩きながら言葉を遮る。

「あーハイハイハイ。あんま怒んないでよ。ほら、御子様もびっくりなさってるしね」

 コモドに体のいい餌にされ、案の定指摘されたプレストは慌てた様子で再び居住まいを正した。頭を下げられる。

「申し訳ありません! 幼馴染としてこいつの非礼をお詫び致します。ほら、お前も頭を下げろ!」

「あイテテテテテテ……! 押さえ付けないでよー、プレスト!」

 プレストの右手に思い切り頭を押さえられ、一緒に頭を下げる形になるコモド。絵面としては自分より年上で身長のある青年二人に揃って頭を下げられている図であり、こんな往来でやめて欲しい気持ちの方が強い。とりあえずやめさせようと口を開いた。

「私は気にしていません。どうかお顔をお上げ下さいませ」

「補佐役殿……寛大なお心に、感謝致します」

 いちいちプレストは大袈裟だと思う。いやまぁ、対外的にはボクはナタリアみたいなポジションらしいので、プレストの対応も間違ってはいないのだろうけど。

 コモドが感動している様子のプレストの手から逃れてこちらを見る。

「でもでも! 御子様もそう思いますよね!」

「こら、コモド! お前はまた……」

「だって今は公の場ってわけでもないし、ずっと敬語ってのも疲れるじゃん。御子様だって、普段から敬語って訳じゃないですよね?」

 急に水を向けられて戸惑いつつも頷く。「ほらぁ!」とコモドが喜んで見せる。

「プレストだって普段の口調で話す御子様、見てみたいだろ」

「……それは」

「大体! お前その調子じゃずーっと敬語だろ? いいの?」

「それとこれとは別の問題だ!」

「いーや別じゃないね! てことで、御子様!」

 急カーブをするように話をこちらに投げられてテンポが乱れる。会話の呼吸が読みづらい相手だ。

「お互い、敬語なんてなくしてふつーにお喋りしませんか?」

 ───別れたいのでお喋りしません、とも言えず。この急カーブをするジェットコースターのような会話に降参して、了承することにした。このコモドという青年、人から考える力を奪う天才かもしれない。

「二人が、それでいいなら」

 こちらとしても外交スタイルに不慣れでやめてしまいたかったところだ。ある意味丁度いい。プレストの意向を聞こうと見上げれば、彼はボクを見たまま固まっているようだった。処理落ち、という言葉が脳裏を過る。

「プーレースートー」

 コモドが声をかけるが、その程度では反応がない。何がそんなに衝撃的だったというのか。彼の元気のいい幼馴染は苦笑してボクの方を見る。

「あー……ダメだね」

「ダメなの?」

「うーん。御子様が耳元でふーってしてあげたら、戻ってくるかも」

 なんて冗談を言い出すので、期待されても困る。

「流石にそれは……仲良しでもないし」

「仲良かったらしてくれるの?」

「えぇと、うん」

 少なくともルークやガイなら冗談で出来る。ティアやナタリア、アニスでも問題ない。テセは驚かせたくないのでやりたくないし、シンクにそんな悪戯をした暁には執務机を書類の山にされるので絶対にしないが。大佐は……怖いので想像をやめた。

「聞いた!? ちょっとプレスト、固まってる場合じゃないって!」

「いたたたた! やめろ、コモド!」

 何がポイントだったのか、コモドは騒ぐとプレストの耳を思い切り引っ張って意識を戻したようだった。賑やかだなぁと他人事の気持ちで見守る。今の内に立ち去っちゃダメかな。

「お前アレくらいで固まるなよ。純情すぎ」

「う、うるさい。大体、何しに来たんだ?」

「何しにとは失礼だなー! 聞き耳立ててたらお前が次の約束もしないで別れようとしてるから、堪らず出て来ちゃったに決まってんだろ!?」

「聞き耳を立てていたのか!? お前という奴は……」

「あーハイハイハイ! お小言なら後で聞くから! それより次の約束くらいしろよ。今日だって花束の一つも持ってないんだからさー」

「偶然お見かけしたんだから仕方がないだろう」

 花束、という単語に首を捻る。久しぶりに会った知人程度の人間に、花束を贈る習慣などあっただろうか。最近キムラスカの貴族の間で流行っている挨拶なのかもしれない。

「仕方がないなんて言葉、簡単に使うなよ。かっこよさが減るぜ」

「お前の眼に俺はどう映ってるんだ……」

 最早怒りを通り越して呆れに移っている様子で、プレストが暫く頭を抱えた。それから咳払いを一つしてボクに向かい合う。───目の離しづらい、大型動物のような真っ直ぐな瞳がボクを捕らえる。

「補佐役殿……いえ、アリア様。バチカルには暫く滞在されるご予定ですか?」

「え? うん……」

 敬語をやめる、という話だったと思うのだが、気が動転しているのかプレストの態度に変化はないようだった。こちらも敬語に戻した方がいいのかと迷いつつも、コモドとは敬語を外して話す流れになっているし、咄嗟に普段の言葉が出ていく。プレストはボクの肯定に一つ頷くと「では」と提案をして来た。

「では、どこかで纏まった時間を頂けないでしょうか。コモドが騒がしくしてしまいましたし、今日は花束の持ち合わせも御座いません。非礼をお詫びしたいのです」

「いや、そこまでしなくても……」

「いいえ。させて頂きたいのです。でないと私は自分の家名に泥を塗る愚か者です」

 おかしい。同じ言葉を使っている筈なのに何も理解できない。何がそんなに彼の中で大事になっているのか、全く読み解くことができなかった。花束ならその辺の通行人にでも渡してくれればいいのだけど。

 ただ、こちらを見つめる橙色の瞳にはどこまでも真剣な光しかなく、彼が大真面目と想像を絶する誠実さで提案していることは疑いようもないようだった。

(提案……というより、最早懇願みたいになってるけど)

「何より、こうして貴女にお会いできて深く理解してしまったのです。私自身が、貴女と時を同じくしたいのだと。どうか、未熟な私に機会を頂けませんか」

 何を深く理解してしまったというのか。一言も漏らさず耳には入れている筈なのに、脳の認識から滑り落ちていく。眼を白黒させて困惑する以外に出来ることがない。

 真っ直ぐに見つめ続ける橙色の瞳から逃れたくて、思わず彼の幼馴染を見る。目が合った悪戯好きそうな碧眼は、少しだけ意外そうな顔をするとやがてウインクを寄越した。そうじゃない。

「アリア様」

(う……)

 真剣な眼が、ボクを一心に見下ろす。怒っている時のテセみたいに圧力のある眼だった。そこによく分からないけど情熱と誠実さと必死さを混ぜ合わせて想像してみて欲しい。角の立たない断り方があるなら教えて欲しい状況だ。

 心の底から面倒だが、白旗を上げるまで帰してもらえそうにすらない。観念して、首を縦に振る。

「……分かりました」

「!」

 ぱぁ、とプレストの表情が明るくなる。まるで一世一代の告白にオーケーサインをもらったような大袈裟な喜びようで、喜怒哀楽の随分ハッキリした人だなと思う。ドストレートだし、腹の探り合いとかにはまるで向いていなさそうだ。

「ありがとうございます! では、後程使いの者を宿に寄越します」

「はい……」

 そこからは最早先程まで大騒ぎしていたコモドより余程、プレストの方が落ち着きをなくしていたように思う。尾を振る子犬のようで、何がそんなに気にかかっているのか理解に苦しむ。

 名誉がどうの、みたいな話だったように思うのだが、勝手に責任を感じて勝手に挽回を試みただけだ。それに何故ボクが付き合わなければならないのかも分からないし、本当にもう、壁にでも付き合ってもらえばいいのではないだろうかと思ってしまう。

「さあさ! 帰るよー、プレスト」

「お、押すな!」

 なんてコントのようなやり取りをしながら彼らは去っていった。立ち去る直前、コモドが思い出したように告げる。ボクだけに聞こえるように、こっそりと。

「オレはプレストの望みならなんでもする。カルマートも目的のためなら手段を選ばない。───運が悪かったね、御子様」

 まるでなんでもないことのように、彼は愛嬌のある顔に笑顔を貼り付けて。読解の難しい宣告を残して、風のように去っていってしまった。あっという間と言うには長く、あっという間と言わないには理解から八割方逸脱した時間。

「……なんだったんだろ」

 想定外の疲労と共に溢れ落ちていったボクの呟きに、応える声はなかった。
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