短編:間奏時
「お疲れ様です。アリア」
「テセも導師として、お疲れ様」
「神託の双子御子」としての演説を終え、バルコニーから引っ込むとテセと互いの労を労い合う。それから今回の功労者である被験者に向き直る。彼女は満ち足りた様子で、疲れも感じさせない明るい表情をしていた。タフだなぁ。
「演説ありがと。お陰で殆どボクが話すことなくて、凄く助かった」
「本を正せば私の我儘だもの。それに、右隣にイオンがいて左隣に貴女がいるのよ。百人力よ」
片目を瞑って誇るように言われてしまえば、それ以上なんと言っていいのか分からない。相変わらず、この姉のボクに対する無限の好意はどこから来ているのか。
演説の前に聞いた話だが、ボクに色々押し付けてきたと感じていたらしく、その負い目はあるだろうと思う。だが、彼女のボクに対する好意は負い目が由来と言うにはあまりに明るいものだった。
「さて、それじゃあ……」
「それじゃあ、ではありません。少し休みますよ、アリア」
何か気合いを入れ直したらしいアリアを諌めるように、イオンが口を挟んだ。その微笑みに彼女は不満そうな顔を浮かべた。
「過保護よ、イオン。私は大丈夫ったら」
「いけません。貴女は自分の疲れを軽視するところがありますからね。僕が過保護なくらいが丁度いいんです」
「……もう。分かったわ」
頑なに譲らない微笑みに、すぐにアリアが折れる。こういう力関係はボクとテセをちょっと思わせるところがあって、見ていて面白いものだ。
アリアがボク達に向き直った。
「じゃあ、私はこの心配性の婚約者を安心させるためにちょっと休んでくるわね。みんな、お疲れ様」
「はぁい」
「ゆっくりしてください」
イオンが静かに会釈をし、手を引かれながら被験者が立ち去っていく。その背を見送って、さてじゃあボクも部屋に戻ろうかと思った。スカートやフリルがない分動きやすいが、いつまでもドレス姿は落ち着かない。
体を反転させたボクに、テセが声を掛ける。
「アリア。少し僕に時間を頂けませんか?」
「ほ?」
想定されていない呼び止めに、少し驚く。護衛役と守護役として控えていたシンクとアニスも怪訝そうだ。
「なに?」
「ここでは少し。貴女の部屋へお邪魔させてください」
「あ、うん」
それもそうかと気軽に頷いた。気軽に頷いてしまったと気付いたのは後のことで、この時のボクに警戒心というものはまるでなかった。というか、基本的にテセやシンクに上手に警戒心を抱くには、二人はあまりにもボクの安心の内にいるのだった。
*****
シンクやアニスと別れ、テセと二人でボクの部屋へ向かう。執務室でいいかと思えば、テセの足は止まらず奥にある私室へ促された。余程人に聞かれたくない話でもあるのだろうか、と思いつつ入室する。
「アリア。そこに座ってもらえますか?」
「? うん」
求められ、ベッドに腰掛ける。テセはそのボクに近付くと、そっと背に腕を回す。距離がなくなり抱き締められていた。戸惑う。
「て、テセ?」
「アリア」
名を呼ばれる。その響きが優しく届いて、ボクはうっかり返事を忘れてしまった。そんなに温度のある声音で呼ばれてしまうと、胸に来るものがある。
テセは構わずに言葉を続けた。
「街の人達がしている噂を知っていますか?」
「噂……?」
思いもしない切り出し方だった。すぐに脳内で検索をかけてみるが、思い当たるものはない。知らないと答えると、テセは小さく笑って答えをくれた。
「イオンと"アリア"の存在が明らかになって、二人が婚約していることも周知の事実となっています。……僕と貴女も、婚約をするんじゃないかって噂になっているんですよ」
「え」
婚約。あまりに縁遠い言葉にイメージが湧かない。ボクとテセが婚約───
「……それってやっぱり、ボクらが被験者と似てるからだよね」
「そうでしょうね。教団における役割も、姿も……よく似ていますから」
イオンと被験者の関係に、テセとボクの関係を重ねているのだ。そうしたくなるのは分かる。ただでさえボクは前例のない補佐役で注目を集めていた。民衆としては興味を引かれるネタだろう。
「……どう思ったの? 初めて噂を聞いた時」
少しの緊張を含んで問い掛ける。聞いてしまっていいか迷ったけど、テセが傾けてくれる「それ」の存在をボクは知っている。知らないフリはしたくなかった。
テセは優しい声音のまま答えた。
「現実になって欲しい、と思いましたよ」
「……うん」
そう、答えると思ってはいた。
胸が少し痛む。彼が傾けてくれるものが温かくて、優しくて。それに応えられない自分が、申し訳ない。
ぎゅ、と彼の法衣を掴むとテセはボクの心情に気付いたように言葉を重ねてくれた。
「いいんです。アリアは、僕達が貴女を求めることを許容してくれている。……貴女が望まないことを強いている自覚はあるんです」
「でも……」
「アリア」
体が離され、温もりが遠ざかる。代わりに互いの表情が見られるようになる。ボクを見るテセの瞳は優しくて。慈しむように深い色をしていて。……不思議な熱を宿している。
「僕は貴女の意志を無視して婚約を結ぶことはありません。僕にとっては、貴女の意志が大切なんです」
「うん……」
「……でも」
そっと頬に手が触れる。そうして分け与えられる温度に戸惑いがある。くすぐったくて、落ち着かない。でもボクは逃げ出さない。ボクを覗き込む千歳緑の瞳は、いつだって優しくボクを映してくれるから。
「今は、貴女を独り占めしてもいいですか?」
「えっと……どうして?」
それは理由を聞いたというより、何故今なのかを尋ねたものだった。けれどテセはその問いにすぐには答えない。別の問いをかけた。
「その前に。僕からも尋ねていいですか?」
「うん」
そっと、テセの手がボクの髪に触れる。その位置には彼から貰った髪留めがあった。貝と涙型の石が装飾された、ボクの御守り。ボクは朝起きると毎日それを身に着ける。記憶を失っている間に失くすことがなくてよかったと思う。
テセはそれに触れたまま問いを落とした。
「どうして、これを着けてくれるんですか?」
「え……」
「普段は勿論、こうして着飾る時も貴女はこれを外さない。もっと他に、貴女を華やかにしてくれるものはある筈です。でも貴女はいつもこれを選んでくれる。……何故ですか?」
「………………」
答えは簡単に出た。でも口にするのは簡単じゃなくて、ボクはちょっと黙ってしまう。テセは優しく催促する。
「教えてください。アリア」
知っている、とでも言いたげな温かな表情でねだられる。知っているなら言わなくてもいいだろうと思う反面、知っていて尚言葉にされたいのだと伝えられているのも分かって、困ってしまった。
アリア、と重ねて名前を呼ばれて、ボクはやがて観念する。ボクはそうして想いを向けられることに、とても弱い。
「……これは、」
「はい」
「これは……君だから」
ああ、言ってしまった。うっかり出ていった言葉では絶対にない。そこにこもっている意味に十分気付いてしまった上で、ボクは明確に口にしてしまった。
この髪飾りを日々着けている理由───君にいて欲しいから、なんて。この状況で口にすれば、それはボクにとっての親愛の意味を越えていく。彼にとっては、それでは済まされない。
「───だから、僕は今貴女に触れたいんです」
テセは優しくそう告げて、ボクの言葉を飲み込んだ。逃げ道はない。当に目の前の彼に塞がれているし、ボク自身逃げるつもりはない。ボクにとっては親愛で、彼にとっては違う、その形でいいのだと言ってくれた人だから。
それが優しい嘘だからこそ、ボクは逃げられない。決して万人に認められる繋がりではなくとも、それ程にこの手に離されたくはないし、この手を離したくもないのだ。お互いに、側にいたいと思っている。
「……ドレスが、皺になっちゃう」
「なりませんよ」
離れた呼吸の隙に呟けば、穏やかに否定される。掌の熱が背に触れて。ああ、それは確かに皺にならないなと思わされる。
甘やかな思考の中で、ゆっくりと溶かされていった。