短編:間奏時
青い、青い空を見上げていた。
それは自分の愛しい婚約者の瞳の色を思い出させるもので、この一年間変わらず見上げ続けてきたものだ。ダアトにある教会の、自身の部屋の窓から見える世界。この閉じた牢獄の、外にあるモノ。その青は、四年前から何も変わらない。
(……僕が、シンクを僕と同じにしたかった、だって?)
それは少し前に、自分のレプリカに突き付けられた言葉だった。僕の代わりの導師として用意された、今はテセレマと名乗っているガラクタ。「それ」は随分遅い気付きを得て、健気にも僕の前に一人で立った。体が震えるのも誤魔化して。
話をしてやったのは気紛れだった。自分が、レプリカ共の大切な「アリア」にちょっかいを掛けている事実。いたぶって、実験をして、遊んでいること。あの玩具の命を握っているのは自分で、お前達のような出来損ないには何も出来ないのだと、ただ思い知らせてやるつもりだった。
だがそのガラクタは、ロクに戦えもしない筈の体で僕を拒む。理解が出来ない。「何も出来ないお飾りの導師」が───ただの人形が、歯向かうなんて。
預言の廃止やレプリカの受け入れなど、世界や教団は変わってきている。だがそれを促したのは僕の婚約者の模造品で、導師ではない。戻ってその立場を引き継いだとはいえ、所詮は真似事でしかない。その立場だって、元々は僕から引き継いだだけの借り物だ。
(何の役にも立たないと思っていた)
シンクと違って遊んでやっても面白味もない。壊し甲斐のない玩具で、殆ど眼中にもなかった。だから油断をしていた。あの模造品とシンクに与える影響の中で、それ程大きなものであると思っていなかった。
概ね、状況は僕の期待通りに変化していたのに。大切な「アリア」に手を伸ばさないように我慢を続ける駄犬に、手を伸ばして手折ることを教えた。そうしなければ全てを失い、後悔するのだと思わせてやった。大事な大事な「アリア」を……その許しがたい模造品を、慕うが故に汚して閉じ込める選択肢を与えてやった。
そうして後は溺れるだけで良かったのだ。模造品から光を得ようとする玩具に自身の醜さをよく自覚させてやり、分かっていて尚二度と這い上がれない水の底へ沈めばいい。そうして揃って輝きを失うことを「期待」した。それなのに現実は違う。
(その要因の一つがテセレマだ)
僕の婚約者が二人のために動くことは計算済みだった。だから肝心な時には、譜術の一種で彼女の体調を崩させて部屋へ隔離した。テセレマだって、模造品をダアトの外へ出すための脅しに簡単に乗った。容易かった。それなのに。
(シンクは醜く、欲望のままに「アリア」を求めた筈だ)
そして模造品はそれに応えられなかった。一年間、比較的近い場所から様子を見ていたのだから、それくらいは予想がつく。「アレ」にはそういった回路が存在しない。それが分かっていたから、テセレマもシンクも足踏みをしていた。押し付けるべきではないなんて、綺麗事を吐いていた。
でも、テセレマと違ってシンクは可哀想になる程に「アリア」が全てだった。己の存在価値の全てが、あの模造品に向いていた。だから耐えられなかった。ちょっと僕が追い詰めてあげれば、簡単に音を上げた。大事に大事にしていた花に、汚い手で触れてしまった。そこから全てが狂う筈だったのに。
(テセレマが何かをしたんだ)
正確なことは分からない。だが、テセレマと模造品の間で何かがあったことは確かだ。きちんと視野に入れて観察をしている今なら分かる。きっと、許しを与えたのだろうと予測はつく。分からず、応えられないことへの許し。
お陰でシンクが目を覚ましてしまった。「アリア」が光を失わず、彼もまたその光を見付けてしまった。牢でなぶって遊んでやっている内に、逃げ出してもしまった。本当なら心が折れて僕にいたぶられるがままだったのに。
憎くて仕方がない僕に、大事な「アリア」のために尻尾を振り、叶いもしない「アリアの無事」のために時間を浪費させるつもりだった。彼女を「神託の御子」として世界に壊させ、自分を支える希望を失って空っぽになったところを、可愛がってやるつもりだった。僕への屈辱と憎しみに狂いながら、僕が餌をやらなきゃ存在出来ない愛玩動物にしてやるつもりだった。
だが、僕がいつものように牢を訪れた時、シンクの姿は消えていた。当然それが可能な人物は限られる。そうするだけの理由を持つ人間は、あの時ダアトには数える程しかいなかった。
テセレマだろうと当たりはついた。想定外のことをされたとは思ったが、焦りはなかった。元々、僕は状況を作ってきただけだ。「期待」はしても、その中でどう事態が転ぶかに直接手を加えたことはない。だからその時も、少し驚きはしたが遊ぶ玩具をテセレマに変更すればいいと思っただけだった。
(でも、アレは自分から僕の前に立った)
僕が今までしてきたことに、今更になって気付いたようだった。恐れを堪える様子が愉しくて、折角だからと色々と話をしてやった。ただの退屈凌ぎで、ちょっとしたご褒美だった。
シンクのように絶望し、己の無力さに膝をつけばいいと思っていた。もしくはシンクのように己の欲に負け、希望を手折る一端に変質しないかと期待した。だが、テセレマが僕に向けたのは拒絶だった。
───僕とシンクは違う。イオンにはならない。
その言葉の意味が、僕にはまだよく分からない。
テセレマとシンクは僕のレプリカだ。僕の代替品で、自分という個を持っていると錯覚している、可哀想な玩具。工場で量産される部品と変わらない。
決して被験者である僕にはなれないし、同時に僕以外の何者にも替われない。イオンに「なれない」のであって「ならない」のではない。何を言っているのか分からなかった。
(予測出来ない要因は邪魔だ)
だから消そうとした。遊びの邪魔をされて不愉快だった。だが想定と違い、テセレマは僕に立ち向かう力を持っていた。体力の消耗が激しいようで話にはならなかったが、その変化は僕の関心を引いた。何かカラクリがある筈だと、期待して暴いてやろうとした。
だが、それも叶わない。何かの力がテセレマの身を守り、僕の存在を弾いた。
「………………」
弾かれた自身の右手を見下ろす。そこには何の変化も確認することは出来ない。何か大きな力が唐突にテセレマを包み、僕を害した。僕の体はあの時、まるで自分の存在を脅かされたように心臓を激しく鳴らしていた。音素のように見えたあの光が何だったのか、僕にも分からない。
(……アリア)
右手を見下ろす内に、自身の婚約者のことを思い出す。彼女のお陰で計算が狂ってしまった。「神託の御子」の方面からあの模造品を苦しめることは出来なくなり、同時に陽の当たる場所に彼女が出ることを許してしまった。この手を取られ、一緒に生きようと言われてしまった。
慌てすぎて顔も隠さずテセレマと街へ出てしまったのも失敗だ。すぐに街の人間にどういうことかと問われ、言い逃れが出来なくなった。アリアには「イオンでもそんな単純な失敗をするのね」と楽しそうに笑われてしまったが、笑い事ではない。
お陰で僕は「導師イオン」が生きていたという話をしなければならなくなったし、彼女を守るために表舞台に上がる必要まで出てしまった。
自分で蒔いた種だが、「神託の御子」は今とても危険な立場だ。世間知らずな彼女が街へ出れば、あっという間に餌食になってしまう。教会に閉じ込めようにも、彼女はもう部屋で大人しくしている気がないようで上手くいかない。それなら僕が動くしかなかった。
まず詠師会を抑え込み、模造品を教団へ戻させる。模造品をダアトの外へ出すことは、「神託の御子」の扱いに関わることだ。当然それは僕の婚約者にも影響する。
放っておいたところで、頑固で突飛な行動力を持つ彼女が大人しくダアトを離れるとも思えない。無理矢理にでもダアトに残って「神託の御子」になるか、ダアトの外で勝手に「神託の御子」になるかだ。
どちらにせよ四面楚歌で、それくらいならば今の教団を利用して僕が守った方が有利だ。幸い、この教団で人の上に立つことには慣れている。
アリアは僕の意図には気付いているだろうが、満足そうに笑うばかりだった。余程、僕が表舞台に出てきたことが嬉しいらしい。僕としては望んでいなかったのだが、彼女が嬉しそうにするのは好きなので複雑なところだ。
ただ、彼女が「一緒に」と笑って僕の手を取ってくれたことは、覚えている。間違いなく、あの時僕は安堵した。彼女が僕を変わらず選んでくれていることに。そして、僕を置いて陽の当たる場所へ行ってしまわなかったことに。今後のことを思うと気楽にはしていられないが、可愛い婚約者の我儘として多目に見てあげることにした。
(計画が頓挫したわけでもないからね)
僕が具体的に今まで何をしていたのかは、今でも誰も知らない。僕があの模造品を追い詰めるために何かをしていたと、知っている人物は三人だけだ。アリア、シンク、テセレマ。
その内、シンクとテセレマは僕が答えないことをよく理解しているようで、問い詰めに来ることもない。アリアは僕に問いを投げ掛けたが、僕はただ「何もしない」ことを約束しただけだった。これ以上何もしない───既に蒔いた種については、回収もしないだけだ。
(僕は状況を作るだけ。選択をするのはこの世界だ)
星の記憶のように滅びに向かうのか、新たな選択肢を得て歴史を続けることを選ぶのか。本来の惑星預言では、この世界の終わりはND2020から色濃くなる。
障気が満ち、マルクトが滅び、数十年の後にキムラスカも滅ぶ。星は障気により塵と化し、このオールドラントは死に絶えるのだ。だが、一年前の変動によりこの世界にそうした滅びの予兆はまだ見えない。
否、僕はそれを「星の記憶を可能性と信じる人々の心」が呼び寄せた結果だとは欠片も思ってはいなかった。脳裏を過るのは一つの預言だ。
ND2002
星の記憶を綴る者、レムの光の下に誕生す
其は盟約の血脈に生まれし希望の祈りなり
祈りはやがて約束の時に捧げられ
失われた福音に、春を告げる花と代わろう
繰り返し詠んだそれは、「アリア」の預言だ。
預言は元々解釈が難しく、それでもユリアの預言はまだ意味の推測しやすいものだった。だが、この預言は違う。何度でもその解釈を変えてくる。
かつて推測をした時には「レムの塔周辺で生まれた」「ユリアの縁者」「世界の終わりに捧げられる祈り」だと解釈した。預言に詠まれていない、存在しない筈の僕の婚約者。彼女は───星の記憶に修正されない。
僕が抱いた疑いは今になって確信に近付いている。「失われた福音に春を告げる花」……スノードロップの逸話と、彼女の名の符合。もし、失われた福音が僕の想像通りのものを指すなら。彼女は、預言を覆す存在だ。
(アリアは僕の死を否定した)
導師イオンは死ぬ。変えられない筈の未来だった。でも僕は生きている。死の影はどこにもない。まるで世界が僕の存在を認めたかのように穏やかだ。そしてそれは、僕のレプリカ達にも同じことが言えた。
僕を生かしたのはアリアだ。そしてレプリカ達を生かしたのも「アリアの模造品」だ。まるで「アリア」がそういう存在であるかのように、事象は一致する。
本当に「アリア」に預言を覆す力があるならば、彼女は何のために存在を許されているのか。恐らくアイオンとの契約が影響している。アレは時を属性に持ち、性質は第七音素に近い。星の記憶を形にするのがローレライの力であるなら、アイオンの存在もまた星の記憶に影響を与えている筈だ。
アイオンの契約は、このオールドラントが滅びの未来から逃れるためのものだ。なら、そうして繰り返される内に蓄積された影響が「アリア」という存在を生んだのかもしれない。アリアは預言を書き換えるためのモノ───「星の記憶を綴る者」。
なら。約束の時に捧げられた祈りはどうなる?
(……奪わせない)
星の滅びに祈りは捧げさせない。彼女は僕のモノだ。僕のための祈りだ。星の未来なんてどうでもいい。こんな世界、滅んでしまえばいい。僕からアリアを奪うことは、何があっても認めない。
だから、利用した。あの模造品を追い詰めるために、プレーローマにあるアイオンの力を。アイオンの存在はローレライと近しい。あの空間からはローレライの視る夢への入り口がある。だから僕は囁いた。「神託の御子」を、「始祖ユリアの生まれ変わり」を祀り上げるために。盲信する愚か者達へ啓示を与えた。僕がやったのは、ただ、それだけのこと。
模造品は「音素に愛されている」。明らかに異常な形で、殊更に。そしてアレが生んだ変化は世界中へ広がっている。滅びを色濃くする筈の世界が未だに穏やかなのも、模造品の生む変化が積み重なった結果と予測している。僕はアレを認めるつもりはないが、星にとっては「アリア」だ。だから、利用価値がある。
アリアを約束の時には捧げさせない。捧げるのは、模造品だ。星の寿命にくれてやる。それが僕の選択。
(早く、空を飛んで見せてよ)
青空を見上げる。
青い、青い空。僕には翼がないから、あの空を飛ぶことは出来ない。この窓の外を当たり前に歩くことだって、ずっと出来なかったのだ。状況を変えることは簡単ではない。
「何もしない」ことを約束した僕。蒔いた種は放っておいても勝手に芽吹く。変わっていく状況に、世界が何を選択するか───あの模造品が何を選ぶのか。
「償わせてやる」
この世界に。神に。模造品に。運命に。
「アリア」と「イオン」は引き離せない。それがアイオンの導きで、僕らを疎ましい青空の下に置いた者からの祝福だ。辿り着く真実が冷酷でも、僕らはずっと前から運命共同体だ。
だから、共に行こう。
選択の先へ。
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