亡霊と希望


 手を伸ばす。急に揺らいだその体を、慌てて抱き留めた。

「アリア!」

 腕の中でその顔を確認すれば、いつも見える水色の瞳が閉じられていた。意識がない。

「どうした!?」

「アリア!?」

 ばたばたとお仲間共が駆け付けてくる。それに構わずボクは呼吸を確認した。正常だ。発熱もないし、顔色が悪かったりもしない。念のため他の箇所に違和感がないかも探るが、何もない。ただ静かに眠りについていた。

「……気を失ってるだけだ」

「なーんだ! よかったぁ~」

 腰巾着がほっと安堵を吐くが、馬鹿も大概にしろと思う。それをヴァンの妹が言葉に変えた。

「安心は出来ないわ。急に倒れるなんておかしいもの。早くバチカルに戻りましょう」

「戦闘で頑張りすぎたから寝ちゃったんじゃないの? 喉も潰されたくらいだし、御子様も消耗してたでしょ」

「そういうことならいいんだけどな。アリアの場合、その『戦闘で頑張りすぎた』ってのが命取りになることがあるんだよ」

「???」

 部外者には分からない話で、勿論簡単に話すことではないので適当に誤魔化す。世話役の言う通り、アリアの無茶は世界を滅ぼす可能性がある。世界はどうでもいいが、その結果アリアが死ぬことになっては本末転倒だ。

 ただ、気になることはあった。

(前にそうやって暴れかけた時、こいつは異常な発熱の後に死んだみたいに気を失ってた筈だ)

 地核から自分が拾い上げられた時の話だ。この馬鹿は後先考えずシルフを喚び出して、術式を歪めて暴れかけた。その後は導師が死んだ時に生命線である響律符を壊して、一度それらしい姿に変貌したことがある。

 残る一回は、エルドラントから戻って胡散臭いオッサンが銃を突き付けた時になる。全て少しずつ条件が違っていて、簡単には考えられない。だが、そのどれとも今の状況は違って思えた。

(緊急性が見えない)

 死霊使いやアリアと違って、ボクには人間が取り込む音素の量などハッキリとは分からない。だが周囲の空間の音素濃度が異様に上がったり、逆に下がったりということは感じられなかった。つまりアリアの体が大量の音素を引き寄せていることはない、ということだ。

 術式絡みの話にしては違和感だ。なら、何故アリアは突然意識を失った?

「シンク? どうしたの?」

 ヴァンの妹に声を掛けられて思考を切る。緊急性がないなら一先ずいい。考えるべきは他にある。

「ボクはこいつを担いで近くのオアシスに向かう。一晩待ってやるから、アンタ達はケセドニアからアルビオールを運んでこい」

「確かに、プレストだけならまだしも、アリアまで担いで砂漠越えは現実的じゃあないな。戦力もそうだし、運ぶ側の体力も厳しい」

「今のアリアの状態が詳しく分からない以上、無理に運んで体力を消耗しても心配ね。アリアは女の子なんだから」

 それなりに頭が使える馬鹿じゃない方の二人に賛同される。続いて声を上げたのは馬鹿の方だ。

「え!? じゃあオレとプレストもオアシス行き!?」

「その方がいいんじゃないかしら。貴方をひ弱だとは思わないけど、成人男性を一人抱えての砂漠越えはあまり良くないわ」

「プレスト一人だったら俺とお前で交代制にしても良かったが、シンクとアリアが離脱するなら戦力がなくなっちまう。すぐ迎えに来てやるから大人しく待ってろ」

「は~い……」

 話がまとまったのを察知して、ボクはアリアを肩に担いだ。それを見た世話役の顔に苦笑が浮かぶ。

「お前……相手は女の子なんだぞ。あれだけ熱い抱擁をしておいて俵みたいに担ぐってのはどうなんだ?」

「は? 物を運ぶ時の常識だろ。何言ってんの?」

「……ブローチの時といい、そういうとこあるよなー。お前さん……」

 よく分からないことを言われる。ブローチの時、というのも分からない。思い出せないなら些事として切り捨てた。

 教会内とか短い距離を運ぶならまだしも、ザオ遺跡からオアシスまで運ぶのだ。腕に抱えていては負担が大きいし、背負うには暑苦しすぎる。

(なんて面倒なところで気を失ってくれたんだ、この馬鹿は)

 悪態を脳内で吐きつつ、ザオ遺跡の出口へ向かう。その移動の最中、ヴァンの妹が話し掛けてきた。

「それにしても、本当に久しぶりね。シンク」

「馴れ馴れしく呼ばないでくれる?」

「……その態度も久しぶりね。無理に親しくしてなんて言うつもりはないけど、表面だけでも上手くしないと、いつかアリアに火の粉が飛ぶわよ」

「ふん。お説教は聞かないよ」

 明らかに親しさを込めた声音を突き放してやれば、冷えた声で叱られる。勿論無視だ。

「勘違いするなよ。アンタ達はアリアのお仲間であって、ボクは仲間になったつもりはない」

「お前まだそんなこと言ってるのか。そんなことどうだっていいだろうに」

「……なに?」

 口を挟んできた世話役に睨むように視線を向ければ、奴は堪えた様子もなく簡単に口にした。

「だってそうだろ? 俺達はお前が困ってたら助ける。お前も俺達が困ってたら、アリアの手前放置できないよな? 知らない仲じゃないし、もう付き合いも長いんだ。細かいことは気にするなって」

「………………」

 自分が困惑したのが分かった。それで、聞き流そうとしたのに失敗したことに気付く。どうでもいい話の筈なのに。

(仲間じゃないことが、細かいことだって?)

 裏を返せば、仲間であることは難しくない、ということだ。少なくともこいつらにとって、ボクが仲間に見えることは自然なことだとでも言うつもりか。

(……仲間なんて知らない)

 自分にあったのは、利用価値を見出だすヴァンの存在と、その思想に共感した足並みの揃わない六神将という居場所だけだ。後は……自身の肩の担いでいる存在を想う。

(アリアの手は「仲間」じゃない)

 この自分勝手の塊がボクに望んだのは、生きることだ。責任を持って死ぬまで使え、と命と時間を渡したのに、最後には返された。道具としてのボクは望んでないと言われた。それはヴァンや六神将の繋がりとはかけ離れている。

(それから、一人の人として側にいて欲しいって話になった)

 それが「仲間」でないことも分かる。アリアがそうして手を伸ばしたのは、ボクとあの導師くらいだ。後は溢れ落ちないようにしているだけで、わざわざ掴もうとはしない。

「………………」

 一瞬浮かびかけた優越感を振り払って、思考を戻す。なら「仲間」とは何か。アリアにとっては恐らく……頼れる存在だ。出来れば溢れ落ちて欲しくはなくて、何かあれば助け合える存在。ボクも……そうなれるって?

「……ボクはアンタ達の仲間じゃない」

 至った不愉快な思考と湧いて出た苛立ちに突き動かされて、うっかりそう口にしてしまう。しまった、と思った時には遅い。受け流せずに考えてしまっていたことがバレるし、世話役の言葉が効いていることもバレてしまう。自ら沼に余計な足を突っ込んでしまった。

 案の定、馬鹿じゃない方の二人が馬鹿みたいに驚いた顔を並べていた。

「お前……」

「違う。勘違いするな。ボクは仲間なんて要らない。教団だってアリアが選んだから留まってるだけだ。全部どうでもいいし、ボクが欲しいのはアリアだけ。分かったな」

「語るに落ちてるな」

「シンクがこんな風に動揺するところは滅多に見られないわね」

 穏やかな顔で微笑まれて苛立ちが突き抜け、盛大に舌打ちをしてやる。不愉快を表明してやっているのに、そうやって乱された感情を示せば示す程、奴らは嬉しそうにした。まるで導師がボクに対して起こすような悪循環だ。

「アンタ素直じゃないね~」

 腰巾着が横合いから混ざってくる。余計に苛立ちが増した。

「遺跡の砂に埋めてやろうか」

「こわっ!? 御子様と似たようなこと言うね!?」

 変なリアクションがあって、訝しむのはこちらだ。アリアと似たことを言ったということは、この馬鹿っぽい顔を彼女も砂に埋める算段をしていたということか。埋めてもいい気がしてきた。

「ジョーダンはさておき……調子のいい嘘ばっかで道化歴が年齢みたいな人生のセンパイからありがたーい助言だから、聞くよーに」

「有り難迷惑どころかただの迷惑だ。やめろ」

「大分酷い言われようだけどやめないからね!? ───『要らない』は時々『要る』の裏返しなんだよ。後輩クン」

 ご高説垂れるな、と心の中で唸る。言葉は本心を隠すために使えれば十分だ。周囲を傷付けて追い払えれば十分だ。十分なのに、ボクの知らない意味を勝手に付与するなと思う。

(要らないは、要らないだ)

 前にアリアが死にかけた時に、自分の中にある弱さには気付いたつもりだった。仲間、友人、家族。そんな繋がりをせせら笑って、要らないなんて言って。その実、本当は何かの繋がりを求めていたことなんて、とっくに自覚している。

 だからアリアを求めて……あの導師の自殺が不愉快だった。それで手一杯だ。それ以外は、本当に「要らない」。

「ところで、シンク」

 ヴァンの妹が懲りずに話し掛けてきて、馴れ馴れしく呼ぶなともう一度口にするのも面倒になる。視線だけで続きを促せば、もっと面倒なことを言い出した。

「貴方の呼び方よりも、貴方の私達への呼び方の方が問題があると思うわ」

「は?」

「そういや名前で呼ばれた記憶がないな。使用人とか世話係とか、そればっかりだ」

「何言ってんの、アンタ達」

「私もよ。というか、アリア以外を名前で呼んでいるところは殆ど見ないわね。分かりやすく話をする時か、六神将みたいに利害関係しかない相手だと名前になるのかしら」

「ちょっと」

「ってことはあれか? 俺達は『仲間』だから利害関係だけで縛れないんで、あえて距離とってるみたいなことか? はは。可愛いところがあるじゃないか」

「違う! 勝手なことを言うな」

 なんだ、この会話は。信じられない流れが生まれて、信じられない速度で過ぎていく。ついていけない。ヴァンの妹は尚も話を続ける。食い下がる。

「違うなら、名前で呼んでくれてもいいんじゃない?」

「なんでボクがアンタ達を名前で呼んでやらなきゃいけないんだ。名前を覚える気にもならないってだけの話だよ。曲解して意味の分からない期待をするな」

 突き放す。事実だ。ボクが名前を呼びたくないのは、呼びたくないからだ。呼ぶ気にもならないから。どうでもいいし、人間ひとりひとりを個として認める気もない。有象無象は記号さえついていればなんでもいい。そう思うボクに、鋭い言葉が差し込まれた。

「……分からないか? 誰かの付属品みたいに呼ばれるのは気持ちのいいものじゃないって俺達は言ってるんだ。お前にも覚えはあるだろ?」

「………………」

 それは、癪だけどボクの言葉を封じるにはそれなりの力を伴っていた。誰かの付属品……導師イオンの、レプリカ。以前の自分なら、寧ろそう声高に主張して回るみたいに使った呼称だろう。「自分は導師イオンの劣化レプリカであって、シンクという名に個はない」と。

 でもこの名前に意味を渡してきた馬鹿がいる。ボクという個を認める奴が、余計なお世話なのに何人かはいる。気付けばボクも「導師イオンの劣化レプリカ」という言葉をすすんで使うことは無くなっていた。自己肯定には程遠いが……使いたくないと、思ってはいる。

「………………」

「私は、兄さんのことを今でも誇りに思っているわ。大好きな兄だった……あの人のやったことを認めることは出来ないけれど、嫌いになんてなれない。だから兄さんの妹であることは、今でも私の誇りよ」

 でも、とヴァンの妹は厳しい眼を、柔らかいものへ変える。

「貴方とは、兄さんと関わりなく、私として関わっていければと思っているわ」

「俺はそこまで思っちゃいないがな。だが、名前を呼ばれないってのは案外寂しいもんなんだぜ。名前を呼ばれる嬉しさも……お前は、知ってるだろ?」

「………………」

 聞き流せばよかった。嗤って、突き放して。ボクにはアリアだけがいればいい。他人なんてどれだけ傷付こうが構わないし、望むところだ。でも、多分。

(聞き流せなかったのは、アリアのせいだ)

 ボクの肩で呑気に揺られてる存在を想う。こいつに繋がれている間に、何かが変えられてしまっていた。胸の奥がざわめく。どうでもいいと切り落とせない。

 アリアを介して得てしまったおかしな繋がりが、知らない関係性が、ボクの中に勝手に根差してる。アリアがボクにくれるものが、ボクの中で呼吸をしているみたいだった。

「……起きてきたら一回襲ってやる」

「きゅ、急になんてことを言い出すのよ!? 破廉恥よ!」

「お熱いのはいいが、こっちを巻き込まないでくれ……」

「起きてから襲うところに愛を感じるよね~」

 アリアに湧いた苛立ちが、うっかり口から出ていってしまった。苛立ち───苛立ちでは、ないかもしれない。さっきようやく見られた彼女の姿を、十二分に抱え込んでいた時に胸にあったものに、似ている。

 胸の奥に迫り来るような、落ち着かない苦しさ。それの、名前が分からない。

(……はぁ)

 溜め息を吐いた。疲れたし、落ち着かないからさっさとオアシスに着いてしまいたい。無駄話をこれ以上したくなくて、ボクは空気を吸い込み、震わす。

「ティア。ガイ。……これでいい?」

「! ……ええ。ありがとう、シンク」

「改めて、よろしくな。シンク」

「ふん」

 よろしくしてくれなくていい、と。言葉にするのも面倒で。確かに呼び名だとか仲間だとか、いちいち考えるのは細かいことでしかないのかもしれないと、思考を放り出した。

 

 

 

*****

 

 




 オアシスに着き、……ティアとガイと別れる。アルビオールの操縦士を連れてケセドニアへ向かって行った。

 ボクはアリアを担いで宿へ向かった。クソ虫を背負った腰巾着もついてきて、仕方がないので同室を借りる。砂漠のオアシスの宿に、十分な部屋数など存在しない。

「は~! 重かったぁ……」

 腰巾着の文句を聞き流しながら、アリアをベッドへ横たえた。相変わらず異常はない。ただ静かに眠っていて、呼吸も体温も彼女が生きてここにいることを伝えている。ベッドに腰掛けて、手の甲で彼女の頬に暫く触れた。

(……さっさと目を覚ましなよ、馬鹿)

 こうしていても仕方がない、と思考を振り払った。まだ夕暮れ時で眠るには時間があるが、気の抜けた寝顔など眺めていても何の益にもならない。

 馬鹿らしい、と顔を上げて、碧眼と目が合う。腰巾着だ。奴は何故か嬉しそうにこっちを眺めていて、不快に思う。

「潰すよ」

「眼!? それともアッチ!?」

 下らなくて答える気にならない。腰巾着は表情を先程の嬉しそうなものに近付けると、口を開いた。

「アンタ達が一緒にいるのを見ると、凄い安心するんだ。収まるとこに収まったっていうか……これがあるべき形というか……そんな感じ?」

「なにそれ。自分がアリアを拐った一味だったから、その後ろめたさでも押し付けてるワケ? 自己満足なら一人でしててくれない」

「手厳しー! 主が主なら、従者も従者だな……」

「そっくりそのまま返してやるよ」

 どうやら、この男に対してアリアは結構容赦がなかったらしい。記憶がない間、一番よく話した相手だったと言っていたのを思い出す。……面白くない。

「一発殴らせろ。歯の三本くらいで許してやる」

「なんで急にバイオレンスになったの!?」

 わざとらしく慄いて見せて、それに気が削がれる。道化、という言葉を思い出して納得してしまった。誰に対してもこの調子で、馴れ馴れしく、愛嬌を振り撒いて、賑やかしみたいにしているのだろう。どうでもいいが。

「アンタ、ホントに御子様が大事なんだね」

 まるで眩しいものでも見るみたいに、碧眼が細められた。改めて言葉にされてみるとなんとなく……腹が立つ。お前に言われる筋合いはない、という感覚だった。

「あ。今オレに言われて不快だったでしょ」

「……やっぱり潰す」

「待って冗談です自重しますから腰を上げないで!?」

 目端が利くと言えばいいのか。道化は言葉や感情の裏に敏いらしい。茶化されて苛々としながら、浮かせた腰をベッドへ戻した。

「よく考えてから口を開け。それがお前の最期の言葉になるかもしれないからな」

「やだよ! ……そうじゃなくてさ」

 えぇと、と腰巾着は言葉に迷った。ボクの脅しが効いているというよりは、純粋にどんな言葉を選べば伝えたいことを伝えられるのかを迷っているようだった。伝えたい、こと。

「本当に、ごめんなさい」

 唐突に、姿勢を正して座り直すと金髪が深く下がった。流石に少し面食らうが、表には出さない。無言で受ける。

「アンタがそうやって御子様を見てるのを見て……それが、あるべき形なんだって思って。オレ達がやったことがどういうことだったのか、改めて分かったんだ。だから、ごめんなさい。許されるなんて思っちゃいないけど……本当に」

 真剣な顔で、もう一度頭を下げられる。それは道化のとる行動ではなかった。言葉に偽りのない、本心からの謝罪に聞こえる。

 別に人間の善性なんて欠片も信じちゃいないが、この目の前の男が幼馴染みを二人裏切ってまで、アリアを助けようと動いたことは事実として知っている。その理由を、ボクはまだ聞いていなかった。

「なんで、アリアを助けようとした?」

「え? それは、だからオレ達が間違ってるって思ったからで……」

「お前は腰巾着だ。自分で動く能なんて持ち合わせてない。大体が、間違ってるって思いながら初めは協力してたんだろ。その一貫性のない心変わりについて聞いてるの」

「………………」

 痛いところを突かれた、と顔にあった。でも気にしてやらない。この男がどんなに痛い思いをしようが、ボクの知ったことではない。寧ろ針の筵に刺されればいい。

「……御子様だよ」

 観念したように、ぽつりと答えがあった。

「御子様はさ。舞踏会で会った時、可愛いな~ってくらいだったんだ。オレの好みは歳上のおねーさんだから、ストライクゾーンではないんだけど」

「お前の好みは聞いてないし手を出したらねじ切る」

「ひぃ!? え、えぇと! 舞踏会でアンタ、プレストから御子様を拐ってっただろ!?」

 慄きながら会話が続けられる。そんなこともあったな、と思う。あの時はこちらの事故が意識の大半を占めていたので、余計な羽虫側のことはあまり意識していなかった。勿論、羽虫として存在は頭に入れておいたが。

「アレを思い出してさ。御子様にはオレやプレストじゃなくて、アンタが合ってるって思ったんだ。だから返さなくちゃいけないって……お互いが望んでるところに、いられるならいた方がいいんだよ」

「………………」

 随分感傷的な物言いだと思った。まるで、自分は互いが望む場所に上手くいられないでいるのだと、言うような。

 心の中で舌打ちをする。こういう奴に、覚えがある。自分の存在価値に迷う顔。でもボクの胸に起きたのは同族嫌悪より、警戒の方が上だった。こういう奴はアリアを好む。ゴミ屑のクセに分不相応の望みを持って、眩しい光に寄っていく。

 そしてアリアは、その手に弱い。ボクを手離せなかったように。

「主が主なら従者も従者、だね。お前、そっちで寝てるクソ虫と変わらないよ。どっちもアリアに勝手な光を見てる、自分が可愛いだけのゴミ屑だ」

「……そうだね。御子様にもさ、言われちゃったんだ。自分が何も出来ない理由を他人に求めるなって」

 アリアらしい、と思いながら、その通りだと肯定する。自分が行動出来ない理由は自分にあるし、自分の行動の結果に生まれたものの責も自分にある。だからボクは、それを一方的に与えて奪う預言を心から憎んで、消そうとした。

 ボクの生まれてくる理由も、生きる理由も、死にゆく理由も。全部を奪って勝手に与えた星の記憶は、許さない。

「でも、アンタは違うだろ?」

 思考から戻って、一瞬話が繋がらなかった。ボクは違う───何が違う?

「アンタは自分勝手に御子様を振り回したり、閉じ込めたりしない。オレみたいに利用したりしない筈だ。アンタは御子様を尊重できる」

「……は」

 嗤ってしまった。違う───どこがだ。もう何度も振り回した。ボクの中の醜い欲望に、「欲しい」という声に。

 閉じ込めようとしたことだって、何度もある。何度彼女をこの手で組み伏せたことか。ボク以外がその眼に映らないようにしたい、その欲求が何度顔を覗かせたか分からない。

 利用もした。ボクの生きる導にしようとしたし、今だってしている。つい最近なんて、彼女の意志をねじ曲げて自分に溺れさせようとした。そこに寝てるクソ虫と、同じように。

「同じだよ。……同じ、ゴミ屑だ」

 吐き捨てる。彼女に頭突きをくらって、牢でいたぶられて、ようやく頭が冷えたのだ。

 自分の汚さも、醜悪さも、よく分かった。どんなに違うと叫んでも、「同じ」だ。ボクの中には、あの歪な被験者と同じモノがある。汚せない輝きを、自分の欲で簡単に手折って、枯らす醜さがある。



「違うよ」



 明確な否定が耳朶を打った。沈んだ思考が浮上する。それと共に下がっていた視線が上がり、碧眼と合う。真剣で、強い確信があることが表情から伝わる。

「オレ、アンタが仮面外してるところ、今回で初めて見たんだ」

「導師サマと同じ顔してるって?」

「そんなのどうでもいい」

 ぴしゃりと言われて閉口する。何が言いたいのか予想がつかない。腰巾着は、道化でない顔で言った。

「アンタの眼は御子様を想ってる眼だ。アンタが自覚してるよりずっとずっと、アンタは御子様を大事にしてる。それで、御子様もアンタを信頼してる。世界で一番って言ってたくらいだからね。保証する」

「……なにそれ」

 知らない。世界で、一番。ボクなんかを?

「オレ達とアンタの違いはそこだよ。御子様がアンタを望んでるんだ。そしてそう彼女が思うだけのものを、アンタは沢山時間を掛けて、彼女に渡したんだ」

「………………」

 閉口する。何の話をされているのか、分からない。何も渡せてなんていない。汚い欲を、勝手な感情を、押し付けただけだ。彼女の甘さに、弱さにつけこんでいるだけだ。

 ───君も、テセも。ボクにとっては「特別」なんだ。

 声が蘇る。目の前で呑気に寝ている奴が、信じがたいフリ方をしてきた時の記憶。最悪で、残酷な、親愛。

 ボクのことを世界で一番信頼していても、選べないのなら。あいつにはきっと、別の世界で一番が与えられているのだろう。彼女はそういう奴だ。そういう酷い奴で……そういう頭のおかしい人間だから、ボクもあいつも手離せない。叶わなくても、望んでしまう。胸の奥が、苦しい。

 ───シンク。ボクは君が好きだよ。

 思い出して、自分の唇が僅かに震えたのが分かった。今なら、その言葉に返せるような気がする。ちゃんと言葉にして、耳から脳へ。この感情を送り込めるような気がする。彼女の中で、それで何が変わるわけでもないだろうけど、それでも意味があることのように思えたから。

 いつか、形にすると決めた。

 

 

 

*****

 

 

 

 翌日には、話の通りアルビオールがオアシスへ迎えに来た。尚も目覚めないアリアを運び込んで、バチカルへ向かう。

 城で王女と根暗眼鏡と顔を合わせて、状況を共有した。ケセドニアで「神託の御子」過激派というゴミ掃除をしてくれた黒髪の譜術士の話と、「神託の御子」を星の病として排除しようとする黒装束の集団。関連付けるには弱いが、どちらも「神託の御子」過激派とは真逆の立ち位置であることは確かだ。

 敵の敵は味方なんて、優しい作りに世界はなっていない。そんなことは期待もしない。好きにすればいい。アリアを守るのは、護衛役であるボクの役目だ。






「まぁ! シンクが名前で!? でしたら、私のこともナタリアとお呼びなさい!」

「嫌だね。付属品呼びが気に入らないって話だったんだ。アンタには当てはまらない。だってアンタは、どんな時でもこのキムラスカ王国の王女だろ」

「くぅ……!?」

 完璧に反論を封じてやって気分がいい。






 一先ずダアトへ戻ることになる。理由は大きく分けて二つだ。一つは、これ以上「神託の御子」過激派も、黒髪の譜術士も、黒装束の集団も、情報が手元にないからだ。動きようがない。

 そしてもう一つは、アリアが目覚めないことに起因する。彼女が少し長めに眠ることは、今までにも数度あった。眼に見える異常はないし、その内目を覚ますだろうというのが共通見解だ。ただ、原因が確定できないため一度イオンに診せるべきだ、という意見があるのだ。

 悔しいが、正しい。アリアの特異な体質を思えば、彼女の生命を維持している術式の主に意見を聞くべきだ。あの醜悪な存在がアリアを苦しめる元凶と知っている身としては複雑だが、奴は今まで彼女に直接何かをしたことはなかった。あの気持ちの悪い仮面を剥がすことも、ボク以外に人間がいればしないだろう。癪だが、それは確信できた。

 一晩バチカルの王城に滞在し、ダアトへ発つことになる。日中、アリアは城の客間を借りて寝かせていた。そしてその部屋に、当然ボクも居座っている。

(意識がない状態で拐われでもしたら敵わない)

 実際には、意識があっても自分で拐われに出てしまうので大差はない。ただ自分のためだった。そうして姿を消した時に、自分が堪えられないと思ったからここにいる。

(……アリア)

 ベッドに腰掛け、眠る彼女の喉へ手を伸ばす。触れることが烏滸がましく思えて、ただ眺めていた頃と今は違う。触れることを覚えた。触れることを許された。

 それを得た経緯は、何度考えても胸糞の悪い話だ。そうして触れて、ボクは彼女の意志を摘み、光の届かない奥底へ溺れさせようとしていたのだから、向かっていた結末はもっと酷い。

(ボクはアリアに触れるべきじゃない)

 頭では分かっている。ボクはボクを信じていない。今は大丈夫でも、またいつか簡単に彼女を陥れようとするかもしれない。そう思っても、この指は止まらない。もう触れることを覚えてしまった。もう彼女に「欲しい」と伝えてしまった。意識を溶かす甘さを、忘れることは出来ない。

 喉に触れ、撫でる。ザオ遺跡で再会した時、この喉は潰されていた。第七音素で正しく治されたため今は何の違和感もないが、後少し到着が遅ければ首の骨を折られていただろう。死んでいた。その事実が、頭の中を過る。


 コン、コン、コン、と。


 丁寧なノックの音が耳に届いた。驚かない。その気配は扉の向こうに、少し前からあったものだった。ノックをするまでが遅いくらいで、「入れ」と短く応じてやれば、やや間があってから扉が開かれた。現れたのは、予想の通りの赤髪だ。

「……失礼する」

 一言断って、その男は室内へ足を進めた。扉が閉まる。

「………………」

「………………」

 沈黙だ。ボクはそちらを見ない。何の用かと聞いてやらない。アリアが眠る部屋に入れてやったのだから、それで十分だろう。何かあるなら勝手にしろと思う。やがて、眠るアリアを見張るボクの耳に声が届いた。

「……御子様はまだ目を覚まされないか」

 無視をする。相変わらず空気の読めない奴だ。こちらに雑談に付き合う意思はない。用がないなら出ていけ、という言葉をぐっと飲み込んだ。会話をしたくない。

「……すまなかった」

 暫く放置すれば、流石に何かを学んだらしく本題に踏み込んだ気配がした。反応はしない。自己満足の謝罪は続く。

「俺は勝手な思い込みで、御子様を……傷付けてしまった。許されざる行為だ。彼女と友の言葉で、ようやく目が覚めたよ」

 応えない。今更どれだけ言葉を並べられようが変わらない。慈悲なら今まさに、十分に掛けてやっている。

「……俺を殺さないのか?」

 問いで怒りが沸き立った。やはり、空気が読めない。何のために温情を掛けてやっていると思っているのか。殺さないのか、だって?

「───殺してやりたいに決まってるだろ」

「……っ」

 その橙の眼を睨み上げる。常に腹が立つ程真っ直ぐにこちらを見る瞳が、怯んだのが見えた。込めたのは殺意だ。殺してやりたい。当たり前だ。この男がアリアにしたことは許せない。

 拐って薬漬けにし、あまつさえ触れた。二度も彼女を侵そうとした。身勝手な妄想に彼女を付き合わせた。意志を、記憶を、自由を奪った。殺してやりたいに決まっている。

「……なら、何故殺さない?」

「考える力がまるでないって可哀想だね。ここまで来ると哀れだよ」

「───」

 答えてやらない。親切にしてやる理由がない。

 一つは、外交的な部分が理由だ。現状、アリア誘拐の実行犯達は国に出頭した形になる。反省があり、罪を償う意思があり、抵抗はない。身柄は既に国が預かっており、手を出せばこちらが罪に問われる。

 ボク一人で済めばいいが、ダアトを巻き込むことにはなるだろう。それはどうでもいいが、アリアに飛び火してしまう。彼女はそうなってもボクを手離しはしないだろうから、結果的に困るのはアリアという図式だ。

 もう一つは、被害者当人であるアリアが「もういい」と判断していたらしいことを、聞いているからだ。アリアがそう言うなら、などという良い子ちゃんの思考などボクにはない。ボクの怒りはボクのものだ。

 だが、彼女の中で既に終わったことを蒸し返したところで、ボクが得られるものは大してない。殺して得られるボクのちっぽけな満足と、対外的なデメリットを天秤にかけただけの話だ。ボクはこの飾り物の脳味噌しか持っていないらしいクソ虫と違って、馬鹿じゃない。

「殺されに来たならさっさと部屋を出ていけ。ボクはお前を望み通りになんか殺してやらないし、アリアに近付ける気もない」

「………………」

 強くそう突き付けてやれば、何を考えたのか奴は前へと足を進めた。ボクと、アリアの方へ近付いてくる。立ち上がって、低く唸るように忠告をしてやる。

「……聞いてなかったのか。近付くなって言ったんだ」

 ぴたり、と足が止まる。止まった場所は、眠るアリアのすぐ側だ。ベッドの脇に立ち、アリアに視線を注いでからボクを見た。腹が立つ程、真っ直ぐな瞳。

「本当に、殺してくれないんだな」

 殺してやりたい。神経を逆撫でしてくる言動ばかりで、頭が沸騰しそうだ。それでも殺さないのは、憎らしいがボクには出来が悪くない脳味噌がついているからだ。被験者に感謝する気持ちは欠片もないが、目の前の男のレプリカじゃなくて良かったと思う気持ちは十二分にある。

「勘違いしないでくれ。死にたい訳ではないんだ。生きて罪を償うつもりはある。俺はそれだけのことをした。死んで楽に、というのは自分でも許せないよ」

 言っていることは高尚なことにも思える筈なのに、殺意が足されていくのが堪え難い。話し方か、態度か、その全てだろう。犯罪者のクセに気取っていて、鼻につく。

「ただ……君になら、殺される理由があると思ったんだ」

 ぶつり、と頭の中で音がした気がした。我慢の限界だった。これ以上は、幾らボクでも聞き流せない。

「ボクのために殺されに来たとでも言うのか。ふざけるなよ。死にたいなら勝手に死ね。これ以上、お前の自己満足にボクとアリアを付き合わせるな」

「……そうだな」

 奴は眼を伏せてアリアへ向けると、あろうことか彼女へ手を伸ばした。怒りに視界が揺らぐ。

「触るな」

「………………」

 実力行使前の最後の警告として低く唸れば、その手が止まる。この期に及んで尚濁ることを知らないような橙の瞳が、ボクを眺めた。

 ボクは怒りを噛み殺す。不用意な言動の一つでもあれば、もう止まることは出来そうになかった。殺すことはしないが、半殺しにはする。その意志があった。

「……御子様」

 触れる代わりみたいに、その場に片膝をついてアリアに語り掛ける。怒りに振れかけたメーターを押し留めた。頭蓋骨を割るにはまだ早い。だがそのお陰で、有り得ない言葉を聞くことになった。



「『始祖ユリアの生まれ変わり』である貴い御身が、『神託の御子』として目覚め、我々を導いてくださる日を心よりお待ちしております」



「は───?」

 眩暈がした。怒りが超えて、視界が揺れる。

 自分の耳を疑った。真っ直ぐに眠るアリアを見詰めるその眼が、湛える感情が見える。慈しむような、尊ぶような、どこか恍惚とした表情。何を言っているか分からない。沸き上がる強い感情が、冷静な思考を侵食していく。紛れもない、嫌悪だ。

「……アリアは『神託の御子』なんかじゃない」

 唸る。橙の瞳が上がり、ボクへ向く。牙を剥いているに近い状態の僕に、しかし奴は表情を変えない。恐れないし、それくらいで主張を取り下げない。奴はまだ、妄想を信じている。

「反省したんじゃなかったのか」

「しているとも。俺はやり方を間違えた。啓示だって、もしかしたら何者かの陰謀なのかもしれない」

 もしかしたら───もしかしたら、だって? 信じがたい。許容できない。何が、この男をそう足らしめるのか。揺らがない瞳が、告げる。

「だが、俺は御子様を『始祖ユリアの生まれ変わり』であると信じているし、いつか『神託の御子』として熟され、過ちを重ねるこの世界を正しく導いてくださると信じている」

 ───その眼にあるのは、狂信だ。理屈ではない。こびりついた腐った思想は落ちていない。剥がせてなどいない。誰にも、この男の狂った献身を正すことなど出来てはいなかった。それが、今になって空気を汚染する。

「御子様がその身をもって、俺の過ちを正してくださったようにな」

 そう口にして、その口を意識するように手で触れた。その表情を見て、気付かない程ボクは鈍感じゃない。アリアを「そういう眼」で見ているのは、こちらも同じなのだから。恍惚とした表情で、眠るアリアを眺めながら、奴は今。



 頭の中で、アリアに触れている。



「───っ!」

 度しがたい怒りに指先までが満ちた。

 汚い手で。

 身勝手な妄想で。

 狂った信仰で。

 彼女を。

「おっじゃまっしまーす☆」

 その時、部屋に闖入者があった。水が差され、僅かに戻った思考がボクに冷静さを求める。それだけで十分だった。出来の良いボクの頭は、体を支配していた怒りから解放する。頭に上っていた血が下がる。残された殺意が、ただ胸でわだかまった。

「あー! やっぱりプレスト、ここにいた! ダメでしょー、御子様は休んでるんだから邪魔しちゃ」

「コモド。明日の朝には御子様は発たれてしまうからな。意識がないとはいえ、ご挨拶をと思ったんだ」

「はー、真面目だねぇ! ホラ、そろそろいーでしょ? 行くよー。立って立って!」

「うわっ! 押すな!」

 何もなかったような、「普通の」景色が流れていく。金髪碧眼の腰巾着に押されるようにして、狂った男は部屋を出ていく。まるで狂信者であることを、ひと欠片も「異常」としていないように。

「………………」

 部屋を離れる直前、碧眼と目が合う。何も言葉にせず、ただ意味のありそうな視線が交わっただけだった。

 ボクにあの道化の心を読む力なんてない。ただ、あの男が目端の利く人間だということを知っている。部屋に入ってきたタイミングを知っている。そして余計なやり取りを一切せず、あの狂信者をこの部屋から退室させたことも、分かる。

「…………っ」

 拳を握る。振るえなかった力が、怒りや嫌悪、殺意という強い感情が、行き場をなくして体を震わす。正しい選択をした。賢い選択をした。冷静さは美徳だ。ボクは馬鹿じゃない───馬鹿だったら、良かった。







 拳を強く握り締めて、ただ奥歯を噛んだ。
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