亡霊と希望


 ダアトの教会が襲撃された時、駆け付けたアリエッタが口にした名前が、ずっとどこかに引っ掛かっていた。

 アリエッタは、以前と違って僕に好意を示さない。正確には、限られた二人の人物以外に関心すら向けないようになってしまっていた。

 それはヴァンが起こした一連の出来事の中で失ったものと、結果として取り戻したものの釣り合いが、彼女の中で上手く取れなくなっているからだと僕は思っている。

 本来の主が戻ってからの彼女は、その時間を殆どその限られた二人の人物にしか使っていない。その彼女が、守るべき主の指示で僕を助けに遣わされたというのは、どことなく違和感の残る話だった。それが、その存在へ抱いた最初の違和感だ。

 次に抱いた違和感は、シンクが詠師会に拘束されたと聞いた時にあったものだ。見計らったようなタイミングに、情報が持ち込まれた先が詠師会であるということ。

 あのシンクが簡単に自分の足跡を辿らせたとも思えない以上、情報提供者はすぐ近くにいると考えた方が自然だった。

 アニスがシンクの変化に気付いたのは、事前に目を配っていたためだ。なら、その人物もシンクの暴走を予期していたのではないか。予期していてあのタイミングで身柄を拘束させたのなら、その意図はジェイドやアニスとは真逆のものだ。寧ろ彼が暴走することを待っていたとしか思えない。

 三つ目の違和感は、その情報提供者に心当たりがあるとシンクが示していたことだ。やはり身近な人間なのだと納得すると共に、おかしいと感じた。その人物はシンクが暴走することを予期し、待っていた。善い人間とは言えない。

 それに対しシンクは、あろうことか大人しく牢へ入ったのだ。余計なことさえしなければ大丈夫だという趣旨の言葉を残して、それが何者であるかをアリアに告げず。

 シンクは知らせるつもりがなかったのだ、その何者かの存在を。その悪意のある人間に、アリアを近付けるつもりがなかった。自分がハメられたと、彼なら気付いた筈だ。

 それでも秘して牢へ入ったのは、自分がペナルティを負うことでアリアへ矛先が向くことを回避するためだったのではないか。アリアが何も気付かず、何も知らずにいることを彼が望んだのは、その人物がいつでもアリアに手を出せる状況にあったからではないか。

 自分の選択が「選ばされたものではないか」という疑いを持った時、ようやく僕はそれらの思考に至ったのだ。あまりにも遅い予感は、その何者かを把握していたシンク自身に肯定されてしまった。

 その何者かはアリアがアドリビトムの視察にダアトを発ったその時から、もしくはもっと前から、アリアを追い詰めるためだけに数多の手を伸ばしていたのだと。

 それは月明かりも届かない暗い地下牢で、抵抗の余地のない状況で非人道的な行いをし、暴力のための暴力を奮った。肌を焼いた悪意が、まだ感覚として残っている。あの空間に満ちていた醜悪さを、僕はまだ受け止めきれていない。

(……手遅れになる前に)

 酷い拷問を受けても、まるで何も変わっていないように振る舞うシンクの姿を思い出す。彼にとってはそれが当たり前で、自身が受ける痛みなど今更何とも思っていないと示すようだった。

 彼がそこまでして、一方的にアリアを守らなければならない相手なのだ。そんな相手が、シンクの献身に満足してアリアを見逃すだろうか。

(………………)

 貪欲に打たれた鞭の痕を思い出す。満たされることを知らないように、シンクをいたぶったその加虐性がどこから来るのか、僕にはまるで分からない。

 でもその異常さは、しっかりと僕の胸に刻まれていた。何が彼を駆り立てるのか。穏やかに話すところしか知らない僕には、何も分からない。

 それでも立ち向かうことを決めた。アリアを、シンクを守るために動ける場所に、自分はいるのだから。



 その人物は、廊下の向こうから歩いてきた。



 ゆっくりと、まるで何も焦ることなどないのだと。僕の知る穏やかな微笑みを浮かべ、教会の廊下に差し込む陽の光を浴びながら、僕へと近付いてくる。

 僕はそれを、ただじっと待った。僕達以外に人気のない、普段は団員の行き来が禁じられているそこは、目の前の彼やアリエッタ、そしてもう一人の"アリア"のために宛がわれた居住空間だった。

 だから、ここで待てば必ず彼は現れると思った。彼にとって大切な"アリア"に、何も知られないために。少し離れた場所で、その足が止まる。

「……このような場所で、どうしましたか?」

 僕とよく似た顔で、少年は柔和に問う。こうして見れば本当によく似ていると思う。顔も、声も。でも僕は一度だって、それを「同じだ」と思ったことはなかった。目の前の彼に対しても、シンクに対しても。

 理屈ではなく、ただ「違う」ということを、僕の中の何かが判断していた。それはもしかしたら、アリアがくれた「僕」なのかもしれないと、思う。

「イオン。貴方に話があります」

 空気を震わせて、意志を伝える。声は震えない。この体は怯えを示さない。ここで退いては、僕はきっと「導師」になんてなれない。

 よく似た顔の彼は……本来の導師は、僕の声と表情に少し意外そうな顔をした。それから、嗤う。

「───やっと気付いたんだ? お飾りの導師様」

 それは穏やかな笑みを拭い去った後に現れる、歪な笑み。慈愛に満ち、何がおかしいのか述べることもままならない、完璧な微笑みだ。それ故に、見間違いようのない歪みを体現していた。向けられる瞳に、まるで温度を感じない。

(……体が、震えそうだ)

 どんなに気丈に振る舞おうとしても、体は向けられた本能的な恐怖をしっかりと感じ取っている。その静かな豹変を、命にまで触れるような危険として受け取っている。息を落ち着ける。膝を叱咤する。大丈夫だ。僕は、退けないのだから。

「……貴方は僕やアリアを、助けてくれていました。世界が様相を変え、教団が在り方を変え……その混乱の中で、婚約者である彼女と共にその知恵を僕達に貸してくれていた」

 そうする時のイオンはとても穏やかだった。まるで凪いだ海のように静かで、たまに冗談を口にして"アリア"に窘められたりする、とても「普通の」人に見えた。

「……何故、ですか?」

 何故助けてくれたのか。何故「普通」を演じていたのか。何故アリアを追い詰めようとするのか。何故シンクを執拗にいたぶろうとするのか。何故……「異常」を抱えているのか。その悪意が、何故今牙を剥いたのか。

 僕はそれを問う。イオンは僕の愚かな問いに、笑んだまま目を細めて答えた。

「───この世界が大嫌いなんだ」

 それは全てへの隔絶。

 世界が嫌いだから僕達を助け、世界が嫌いだから「普通」を演じ、世界が嫌いだからアリアを追い詰め、世界が嫌いだからシンクをいたぶる。

 世界が嫌いだから……イオンという歯車は狂っているのだと答えていた。

(それ、では……)

 絶句する。何も止められない。何も変えられない。

 極論を述べてしまえば、アリアやシンクである必要もないのだ。彼が悪意を世界に撒くのは、ただ世界が嫌いだから。その世界を僕達がどんなに善くしようと動いたところで、彼の中で「世界」が変わることはない。何も変わらない。

「っ……ならば、アリアやシンクに手を出す必要などないでしょう!」

 這い寄る怯えと絶望を振り払って、僕は声を荒げる。矛盾している。あれ程執拗に二人を狙っておきながら、誰でも構わないなどと。

 けれど、僕はただ自分の考えが浅いことを思い知るだけになる。イオンの抱える、闇の深さを知ることになる。

「僕が自身の終わりを詠んだのは、八歳の時だ」

「……え?」

「僕は物心がついた時には教会にいてね。ここで育った。導師になるためだけに」

 それは聞いたことのある話だった。僕が入れ替わるにあたり、当然ヴァンやモースから聞いていた話だ。

 八歳で導師になって、彼は惑星預言を詠んだ。そこで己の死の運命を知り、彼は僕達を……預言を崩すための代替品を作った。それは既に旅を通した上でもよく知っていることだ。

 だが、僕の知らない話もイオンの口からは語られる。

「でも、そんなものはどうでも良かったんだ。僕が本当に知ったのは、この世界が箱庭だってこと」

 決められた終わりに向かって、決められた道筋を辿っているだけ。人々の意志も、選択も、何一つ意味など持たない。誰が死のうが生きようが、世界は何も変わらない。なら、この整えられた庭園に、生花などあるのだろうか? ───イオンの言葉が、胸の奥をざわつかせる。

「こんな下らない世界の中で、僕はたった一つだけ欲しいものを見付けたんだよ」

 ガラクタばかりのこの世界に、たった一輪だけ咲いていた、可憐な花。死に触れる冬の冷たさの中でも、寄り添うように咲き続けた美しい白。色のない自分に、色を分けてくれた少女。───イオンにとっての「アリア」。

「それは今もまだ、世界に縛られている。与えられた運命が、彼女を僕から奪い去ろうとする。それでは駄目なんだ。世界がどうなろうと、僕がどうなろうと、彼女という存在が汚されることだけは許せない」

「……そのために、アリアやシンクを傷付けていると?」

「そうだよ。彼女のレプリカなんて、分かりやすいだろう? アリアは彼女一人だ。紛い物なんて認めない。同じみたいに振る舞って、存在を認められていることが……アリアを模倣する存在そのものが、彼女を冒涜している」

「………………」

 それは考え方の一つと言うには、あまりにも強い言葉だった。まるで事実であるかのように、決定事項であるかのように、イオンはそう断じる。彼は「レプリカを認めない」。

「貴方の主張はあまりにも勝手だ。僕やシンクを生み出したのは貴方です。レプリカを代替品として最初に扱ったのは貴方の方だ」

「そうだね。でも生き返ってみて考えを改めたんだ。実際にお前達を……いや。お前達を見ただけなら、出来の悪い代替品くらいにしか思わなかったかもね。アリアのレプリカを見た時に、僕は自分の間違いを思い知ったんだから」

 それ程までに、イオンにとって自身は何の価値も持たなかったのだ。代わりがあっても構わない程度の存在。だが、婚約者である"アリア"は違った。代わりが許容できない程に、彼にとって意味のある存在だった。

 それが、彼の歯車をもう一度狂わせた。

「……アリアを消したいのなら、貴方はいつでもそれが出来る筈です。例え被験者である彼女に軽蔑されたとしても、貴方はそれを選べる。なのに貴方はアリアを生かし、ただ徒に苦しめている。何故ですか?」

「言っただろう? 僕はアリアを助けたいんだ。彼女を世界から奪い、僕のものにしたい。だから気に食わないけど、有効利用してるんだよ。預言にとってはアレもまた『アリア』だからね。あらゆる可能性を模索するのに最適だ。大事に削って、手折って、散らして……磨り潰さなくちゃね」

「──────」

 分からなくなる。彼は同じ世界に生きる人間なのだろうか。見ているものが、価値観が異なり過ぎる。僕にとっての酸素が彼には鉛であるかのように。彼にとっての酸素が、僕の喉を詰まらせようとする。息を求めて喘ぐように、僕は言葉にすがった。

「シンクも……僕も。アリアを追い詰めるための道具として使っているだけだと、そう言うつもりですか?」

「そうだよ」

「───それは嘘です」

「……なに?」

 僕の否定に、イオンは初めて表情を崩した。訝しむような、自分よりも下位の存在に異を唱えられて不快を表すような、そんな表情が混ざる。僕は退かず、根拠を述べる。

「貴方がシンクを傷付けるのは、アリアの知らないところでばかりです。彼女の見ていないところで、彼女が気付かないことを嘲笑いながら、貴方はシンクを弄んでいる」

 言葉にしながら、それが核心に近いものだと感じていた。段々と確信に変わっていく。

 イオンはシンク以外に今の残忍な顔を見せていなかった。アリアはイオンに気を許してはいなかったが、特別警戒もしていなかった。勘のいい彼女が何もしなかったということは、イオンが害意を持って彼女と相対したことは一度もないということだ。

(シンクが牢に自ら入ったことが、イオンの意図ならば)

 あの暗い地下牢で感じた通りだったのだ。シンクをいたぶるために彼はそうした。そちらが先で、あとはオマケだった。シンクをいたぶるために、彼が牢に入らざるを得ない状況を作り上げた。それは詠師会への情報提供であったり、恐らく彼の暴走を促す言葉を掛けることだった。

(いえ、それでは済まない)

 彼の判断力が正常だったなら、きっと策に嵌まることなどなかったのだ。だからイオンはまず、彼の判断力を奪った───どうやって?

「……ジェイドがシンクに関する注意を促したのは、僕達が視察から戻ってからでした」

「へぇ……皇帝の懐刀は伊達じゃないか」

 感心するようなその反応は、僕の推測を裏付けようとするものだった。視察から戻ってから、シンクはどことなく様子がおかしかった。なら、その原因は視察中の出来事にある。

 勿論それはアリアが拐われたことであり、記憶喪失になり、そして───気付いてしまう。目の前にいる、僕のモデルである筈なのにまるで違う彼が、どれ程歪な存在か。

(……有り得ない)

 シンクをいたぶるために、正常な判断力を奪うために、人はそこまでするだろうか。

 アリアがアドリビトムの視察に出てから遭った全てが、イオンの掌の上だったとして。シンクが精神的に不安定になるように……アリアの声も届かない程に堕ちるように、仕組んでいたなんて。

 もしそうだとすれば、啓示も、薬も、プレストの存在さえも。彼は「期待」していたことになる。

「その顔は気付いたって顔かな? いいよ。言ってごらん」

 穏やかに、偽物の笑みでイオンは促す。優しく、甘く、僕に答えを出させようとする。僕は震える唇を動かして、促されるままにそれを問うことしか出来ない。信じたくない気持ちで、否定が返ることを、必死に祈りながら。

「あな、たは───シンクがアリアを想う気持ちを、アリアの全てを汚すことで、踏みにじろうとしたんですか……?」

「───よく出来ました」

 返ったのは、肯定。たったそれだけのために、アリアをあれだけの目に遭わせたのだと。拐うことで奪い、薬で自我を壊し、信徒に体を与えることで───アリアを、アリアで居られなくしようとした。

 たった一つの希望を、絶望に。そう、目の前のたった十三歳の少年は、醜悪に告げる。

 口元で弧を描くその笑みが、深まるのが見えた。

 

 

 

*****

 

 

 

 ケセドニアは、今でもキムラスカ・マルクト間を繋ぐ重要な流通拠点だ。国に関わらず人でごった返し、砂漠の側にある砂の街なのに市場の賑わいは喧騒に近い。

 見る限りに人がいる恐ろしい景色に感心しつつ、ボク達は進んだ。ノエルはアルビオールと共に街の外で待機しているそうだ。

「まずはやっぱ、アスター氏だよね」

「そうね。商人ギルドの方だもの。最近のケセドニアの状況をご存知の筈だわ」

 確認すればティアが同意を示してくれる。因みに今のボクはフード付きの外套を被って、周囲をさりげなくみんなに固められて歩いている。動きにくいことこの上ないのだけど、贅沢は言えない。

「ねーねー。あとでオレとデートしない?」

「パーティー内でナンパする人初めて見たや」

 横から気軽に声を掛けてくるコモドにちょっと引いて見せると、彼は「えー!」と不満そうに声を上げる。

「するでしょ、ナンパ! こーんなかわい子ちゃん連れてて声掛けないって、寧ろ失礼だって!」

「コモド。俺達は役目のために仮の自由を許して頂いている立場なんだぞ。それをナンパなどと……」

「そんなんだからプレストは女の子と付き合えないんだよ。見た目はいいのにさー」

 なんて話をコモドとプレストが始める。その言葉に改めてプレストを見てみるが、確かに平均よりは顔が整っていると思う。立ち振舞いも王国騎士団に所属する侯爵家の人間だったためか綺麗だ。

 眺めていればコモドに気付かれる。

「お! プレストの魅力に気付いちゃった?」

 コモドの茶化しにプレストがボクの視線に気付き、分かりやすく慌てる。気温のせいだけでなく顔が赤くなった。

「そ、そんな熱い視線を……向けられては……!」

「ゴメン。そういうの興味ない」

 プレストの反応が面倒でバッサリ切り捨てる。大体、顔だとか体格だとか、そういうものに興味があったら異性にもっと興味を持てた筈だ。ルークやガイ、大佐にもそういう興味はなかったし、ボクにその手の感性があるとは思えない。

(人間の部位で好きと言えば……テセとシンクの眼は好きだけど。性的な意味合いではないなぁ……)

 なんてぼんやり思っていると、いつまでも騒いでいる青年二人に年長者らしくガイが声を掛ける。

「ほらお前ら。仲が良いのはいいが、置いていくぞ」

「あ! 待ってよ~!」

「も、申し訳ない」

 コモドとガイが共通の話題を持っていたからか、ガイが元々面倒見のいい子育て経験者だからか、案外上手くやっているようだった。ボクは他人事みたいにティアの方に心無し寄って、アスター氏の屋敷へ向かう。

「おお、これはこれは! ご無沙汰しております。ヒヒッ」

 品があるのだかないのだか微妙な、独特の笑いを見せながらアスター氏は挨拶をした。適当にそれっぽい挨拶を済ませて本題へ入る。商人にとっても時は金なりだ。

「『神託の御子』……勿論、聞き及んでおりますよ! このアスター、金貨に換えられるものでしたら耳に入らぬことなど御座いません」

 人のあんまり嬉しくない噂話で商売しないで欲しいと思いつつ、今回の話題はそれではない。「神託の御子」を崇める信徒の、最近のケセドニアでの活動状況を聞きたいのだ。

 アスター氏はバチカル・グランコクマ・ダアトでのこちらの苦労を労いつつ、端的に教えてくれる。

「近く集会があることは聞いています」

「主催者は?」

「勿論存じております。ウチのギルドに名を連ねる者ですからね」

「ご近所さんじゃん……」

 今までは実情がまるで伝わらずどことなく対岸の火事だったのだが、知った顔の近くで事が起きていると思うと急に身近に思える。本当、この「神託の御子」話、火消しとか出来るんだろうか。

 集会の子細を聞き、時間とされる夜を待つことになる。「神託の御子」過激派も日中は普段の営みがあるから仕方がないと思うのだが、何かある度夜なのは如何なものか。

 屋敷を出ればコモドがうるさい。

「御子様、デートしよーよ! デート!」

「なんで君はすぐデートしたがるの?」

「複雑な男心だよ☆ 察してよねー、もー」

 バチンとウィンクがあって、「あれ、もしかして」と思う。ティアもいるのに彼が声を掛けているのはボクだけだし、このしつこさはボクに話があるのかもしれない。コモドについては知っていることもあまり多くないので確信はないが、可能性はあった。

 この一時的な同行が済めば、彼と顔を合わせる機会はなくなるわけだし、聞いておいた方がいいかもしれない。

「デートはダメだけど、交易品の換金になら付き合ってもいいよ」

「なんで!?」

「初デートの相手に申し訳ない気がするから」

 不満そうなコモドに適当に答えて歩き出す。他の面子にはついていこうか聞かれるが断った。「神託の御子」過激派のいる街とはいえ、日中だしコモドもいるので滅多なことはないだろう。

 念のためフードを被り直しておく。

「ねね。御子様はどんなデートが好き?」

「ベッドでお昼寝。それより何か話があるんじゃないの?」

「コミュニケーションにはステップってモンがあるでしょーが! ベッドでお昼寝ってどっち? 添い寝?」

「オーケイ。君を蟻地獄に落としてから聞くね」

「こわっ!? 御子様って結構野性的だったんだね……」

 記憶喪失中プレストよりはよく話していたが、コモドも「ボク」と話すのはやはりこの旅が初めてになる。その齟齬を感じ取りつつ、それを埋めるみたいに簡単にコモドは調子を合わせてきた。

「別に大した話じゃないんだけどね。コレが終わったらオレ投獄されちゃうかもだし、御子様と話せる機会って今が最後なんじゃないかなーって」

 プレストやカルマートと違い、彼は早々に国に協力する方へ舵を切っていたため、扱いがどうなるかは読めないところだった。なんらかの形で罰を受けるとは思うが、それが単純に牢で大人しくしていることになるとは限らない。

「あ。でも御子様は、オレやプレストにはもう会いたくないか」

「別に危害を加えてこないなら気にならないけど」

 気軽に答えれば、コモドが驚いた顔をした。そんなに驚くことだったかなと思えば、彼の問いでちょっと理解する。

「マジ? オレ達、ケッコー酷いコトしたと思うんだけど。プレストなんて二回くらい襲ったって聞いたよ? 男、怖くないの?」

「………………」

 男性が怖いか、否か。そういえばプレストに襲われた一度目の後を、コモドは見ているのだと思い出す。男性への警戒心がとても高かった時だ。

 でもアレはボクであってボクではないし、あの時もパニックになる程怖くはなかった。何より、ボクはバチカルでプレストと再会して馬車に乗せられる時に、男性というよりプレストが怖いのだと気付いた。

 それはきっと、怖くない温かさをくれた人がいたから。

「この世で一番信頼できる相棒が来てくれなかったら、世界中の男性が怖くなってたかもね」

「それって……」

「あとプレストももう克服しました。音素パンチが出来れば何も問題ない」

「音素パンチって何?」

「内緒」

 今は一緒にいるし、彼らが危害を加えてくるとは思っていない。だが味方だとも思っていない。わざわざ手の内を明かす気もなく適当に誤魔化した。コモドは少し寂しそうな顔になって、自嘲するみたいに笑った。

「……御子様は強いね」

「強い?」

「うん。あんな目に遭ったのに全然気にしてないっていうし、大して時間が経ってるわけでもないのに色々克服して、もう前に進むことばっかり考えてる。強いよ、凄く」

 その評価は初めてもらうもので、少しの間瞬きをした。強い。ボクが強い───強いって、なんだろう。

 テセやシンク、仲間のこととなると、その概念はすぐに理解される。でも自分のこととなると途端に曖昧になってしまった。精神性という点で、強く在ろうとしたことはなかった。ただ頑固で、人の話を聞かないで、意地を張って。それだけだ。もし、それだけでなく本当にボクに強さとやらがあるというのなら。

「空を飛ぶ鳥は、空を飛ぶ鳥だから、空を飛ぶんだよ」

「へ? 格言か何か?」

「ううん。そう思っただけ」

 特別な理由なんて何もない。ただそれが当たり前で、呼吸をするみたいに無意識に選ぶだけだ。

 ボクが前へ進むのは、立ち止まることが許されないから。立ち止まり油断をすれば、世界は簡単にボクの大切なモノを奪っていこうとする。それがボクには許容できないし、怒りがボクを突き動かす。そこにどんな道理もありはしない。理由を求めることが愚かだ。

 そして人は誰だって愚かな部分を持っているから、コモドも「御子様は強い」なんて言い出すのだと思う。

「そうやって自分が何も出来ない理由を他人に求めてると、自分が何をしたいのか分からなくならない?」

「……え?」

「君、前も『勇気があるなら』とか言ったよね」

 それはプレストの屋敷で、コモドがボクに違法薬物の断薬を提案した時の発言だ。あの頃の出来事は、まるで他人事みたいに脳に仕舞われている。

「多角的に考え過ぎなんじゃない? 自分の譲れないものを譲れないだけの話だよ。まぁ、ボクはよく考えが足りないって怒られるけど」

「……きびしー」

 知る限り明るく振る舞うことが多い彼は、ボクの言葉に痛みを覚えているみたいに苦笑した。少しお節介を焼きすぎたかもしれないと思いつつ、優しくしてあげる理由もないのでいいやと投げ出した。

 コモドはそっと息を吐くと、少し楽そうに笑って口を開いた。

「オレ、御子様にお礼が言いたかったんだ! プレストを助けてくれてありがとうって、ちゃんとさ」

「助けたというより殴っただけなんだけど……」

 言葉にしながらふと、シンクがダアトで話を聞かなくなった時にも拳で解決したし、それ以前の旅でもアクゼリュスでルークを止めようとした時などに拳を握った気がしてきた。もしかしてボク、平和的な解決が出来ない?

「具体的に何があったかは聞いてないけど……でも、なんでもいいよ。久しぶりに、ちゃんとプレストと一緒にいられてる気がするから。多分カルマートも感謝してるよ」

「ふーん……? ま。どういたしまして」

 彼の感謝に応えて、ああそうだとボクも思い出した。大したことではないけど、コモドのお陰で助かったことがあった。そう伝えればコモドは心当たりがない顔をしていた。言葉ってそういうものなんだろうなと思いながら、ボクはその過去の感謝を伝える。

「君のお陰でハニートラップを体得しました。ありがとう」

「ねぇ待って。ずっと気になってたけどハニートラップって何? 何したの、御子様?」

「内緒」

 若干深刻さを増した彼の顔にはぐらかして、頭の片隅で思う。今なら少し、コモドがどういう人間なのか分かる気がするから───バチカルで再会した時に、去り際に彼が残した宣告の意味を。

(何でもするって言いながら、ターゲットに同情しちゃダメでしょーに)

 彼の中途半端さは優しさであり、甘さであり、きっと弱いところだ。それがいつか強みになればいいと、こっそり胸の内で思ってしまって、ボクも大概だなぁと思わされた。

 

 

 

*****

 




 

 集会とやらはとある屋敷で行われていた。怪しい雰囲気というよりは、簡単な立食パーティーみたいな様子で、分かりやすい危険は見当たらない。

 参加者もフードを被っているような怪しい人もいれば、普通に顔を隠さず談笑を楽しんでいる人もいる。尚、フードを被っている怪しい人にはボクも含まれる。参加時に身元を問われることはないし、紛れ込むのは簡単だった。

「なんだか普通のパーティーって感じだな」

「過激派じゃなくて穏健派なのかもね」

 ガイの感想にコモドが冗談っぽく返して、「神託の御子」穏健派ってなんだ……という気持ちになる。穏健派って集まって何するんだろう。

 ティアが「しっ」と黙るように促すと、明かりがある程度落ち、ホールの演台にスポットライトが当たる。見れば、まだ年若い少女が立っていて「おや」と思う。

 年齢としては十四とか十五くらいに見える。可愛らしい顔つきだ。ガイがボクの胸にあった疑問をぼそりと口にした。

「主催者は中年で小太りの男じゃなかったか?」

「娘さん、かしら……」

 困惑気味にティアが応える。少女は肩頃までの黒髪を揺らして演台に近付くと、手をついて身軽に台へ乗り上げた。腰を下ろし、穏やかに口を開く。大胆な演台の使い方だ。

「本日は皆様、お集まり頂きありがとうございます」

 見た目に見合った声が耳に届いて、周囲が少しだけざわめく。戸惑いのようで、それは少女の振る舞いに向けられたものだけとは思えなかった。ホールにゆっくりと広がる違和感の中で、少女は挨拶を続ける。

「皆様は今回、教団で導師補佐役の職に就いている『始祖ユリアの生まれ変わり』を称えるために、ここに集まっていると思います」

 少女の前置きに、やはりそういう集まりなのだと再認識する。だが、なんだろう。違和感が拭えない。皆様、という言葉がどこか他人行儀に聞こえる。

「そんな敬虔な信徒の皆様に、今日はプレゼントがあります。細やかなものですが、どうぞお受け取りください」

 少女が指を鳴らす。と、上から何かが降ってきた。

 それは重さに対して相応の速度で加速し、床に叩きつけられる。演台の手前に崩れ、湿った音を立てて演台の白を赤く汚す───人間だった、残骸だ。中年で、小太りの男。

「死んじゃえ♡」

「っ!」

 猫のような金の瞳が笑みに歪んだ瞬間に、ボクは周囲に障壁を張った。間を置かず衝撃が音素の壁を襲う。

 強い風が起こり、反射的に閉じた目蓋を持ち上げれば、ホールの様子は一変していた。障壁の外に人間の姿はなく、広がるのは赤い血の海だ。その海に沈むように、崩れた肉塊があちらこちらで湯気をあげているのが見える。

「なに……!?」

 側でティアが驚きの声を上げながら杖を構えるのが分かった。軍人らしく対応は早いが、唐突な光景に理解が追い付かないのか、声は少し震えて聞こえる。

 同時に腰の剣に手をやったのはガイで、プレストとコモドは僅かに遅れる。

「あれ? 生きている人達がいるわぁ」

 不思議そうな声が聞こえる。それは変わらず演台の上に腰掛けた、黒髪の少女の口から発せられていた。少女の表情に陰りはなく、目の前の惨状に思うところはなさそうだ。

「何が起きたの……?」

 コモドの問いへの答えは簡単だ。少女が第四・第五音素の譜術でホールにいる人間を蒸発させた、それだけだ。でもきっと、彼が聞きたいのはそういうことではない。何故、こうなったかだ。

「きゃあああ!!?」

「!」

 後方から悲鳴が上がって驚く。思わずそちらを確認すれば、生き残った人間が幾らかはいたらしい。どうやらボクの張った障壁の後ろ側にいたため、正面の少女が放った譜術を受けずに済んだようだった。

「アリア!」

「わっ」

 急にガイに名前を呼ばれて突き飛ばされる。同時に空気を震わす破裂音のようなものが届いた。代わりにボクのいた場所に滑り込んだ彼は、ボクに飛んできていたそれを剣で弾く。見たことも聞いたこともある……銃声だ。

 見れば、演台の少女の手の中に黒塗りの拳銃が握られていた。銃口から微かに煙が上がっていて、少女は「ふぅん」と息を漏らした。

「ありがと、ガイ」

「……ぼさっとするなよ」

 立ち上がって礼を伝えるボクにガイが返した声は固い。相手の力量を見た、真剣な忠告だ。ボクらの後方では無事だった人々が混乱を起こし、出口に殺到しているようだった。扉に細工がされているようで、開けることに手間取っている。

「はいはい。ごみそーじ、ごみそーじっと」

 黒髪の少女が面倒そうに囁きながら譜陣を描いた。譜術を使って有象無象を焼こうとしているのだ。プレストとコモドが飛び出し、ティアが譜歌を歌う。ボクも第二・第三音素でこちらの人間の体を強化する。ガイはティアとボクを庇って前へ立った。

「させるか!」

 プレストが居合い抜きのように剣閃をはしらせる。少女は台を支点にそれをバク転でもするように避ける。その姿が一瞬演台の向こうへ消え、コモドの追撃が迷う。

 その隙を突くように少女は演台の陰から飛び出した。身を屈め、まるで自分が弾丸にでもなったように二人の脇をすり抜け、こちらへ迫る。ガイが構え、間合いに入る瞬間に備える。

「───フレイムバースト」

「くっ!?」

 少女の手元で譜陣が輝くのが見えて、ブレストの強襲を受けても詠唱を止めていなかったらしい。炎が上がりガイを包んだ。その硬直をすり抜け、金の瞳がボクやティアに迫る。

(ティアにはガイを助けてもらわなきゃ)

 第六音素で槍を六つ展開させ、少女へ落とす。それを少女は前へ跳んで避けた。受け身に前転をし、起き上がるところへ回し蹴りをかます。確実に頭を捉えた。だが少女の姿はかき消え、頭一つ分後ろに現れる。

「!」

 驚いた隙に少女が飛び掛かってくる。至近距離からの跳躍に、重心を右足に無理矢理傾け、体勢を崩しながらも避けきった。無理をしたので床へ倒れ込むが、問題はない。

「御子様!」

 演台の陰から飛び出した少女をいち速く追っていたコモドが、少女へ牽制の剣を振るう。跳んで避けたところへ、ティアの治癒術を受けたガイが追撃をする。少女はそれを銃身で弾くと猫のように脇をすり抜けていく。プレストはボクに駆け寄ってきたので、無視して体を起こす。

「ふぅん……『神託の御子』ね」

 それぞれに間隔を取り、仕切り直すように間が空けば少女は意味深に呟く。それから懐から何かを取り出して床へ叩き付ける。

 瞬間、音素の光が溢れた。見覚えのある光景に障壁を張る。だが予感された爆風はなく、光が収まった時には少女の姿は消えてしまっていた。

「……消えた、みたいだな」

 各々に気配を探っていたが、ガイの言葉で一斉に息を吐く。一先ず難は去ったらしい。状況は血の海だが。

「なんだったんだろう……」

 コモドの呟きに答えられる者は誰もいない。見れば、後方の扉に殺到していた有象無象はいつの間にか扉をこじ開けたらしく、一人もいなかった。今の出来事が街へ流れるのは時間の問題のようだ。

「……一先ず、商人ギルドに連絡をしましょう」

「だね」

 ティアの意見に同意を示し、自分の体を見下ろす。仕方がないとはいえ、血の海に飛び込んでしまったので不衛生だ。早くアスター氏に現場を押さえてもらって、宿でシャワーを浴びたいところだった。

 

 

 

*****

 

 

 

 ケセドニアで起きた「神託の御子」過激派の大量虐殺の話は、あっという間に街へ広まった。実行犯である譜術士の少女の足取りは掴めず、両国の兵とアスター氏、それから現地のアドリビトムで情報を浚うことになる。

 現場に居合わせたということで情報を提供し、あとは残って出来ることもないので、ボクらは一度バチカルに戻ることにした。ナタリアに報告をしたいし、カルマートの方に新しい情報がないかも気になる。例の少女に関する情報があるとは思えなかったが、念のためそちらも聞きたい。

 パーティーの表情は各々だが、惨劇を思っているのか明るくはない。そうしてケセドニアを離れようとアルビオールのところへ行って、ボクらはもう一つトラブルに遭遇する。

 操縦士であるノエルが拐われ、代わりに置き手紙があったのだ。そこには短く一文、「ザオ遺跡で待つ」とあり、期限とされる時間が記されていた。寄り道は許されないようだ。







 大人気過ぎて困ってしまう。
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