亡霊と希望
礼拝堂の、静謐な空気の中に佇む。
壁一面を占める優美なステンドグラスを通って、月明かりが差し込んでいた。この場所には、ユリアの詠んだ惑星預言の第一から第六までを詠むことの出来る譜石が安置されている。導師だけが詠むことの出来る特殊な加工を施された譜石だ。それに指先で触れながら、目を伏せる。
導師のレプリカである自分にとって、これが特別であったことはなかった。導師だけが詠めると言われても、体の弱い自分では音素乖離の恐れがあって、詠むことを控えるよう言われていたのだ。言われるままに導師の代わりを務める自分には、必要のないものなのだと思っていた。
だが二年前に始まった旅の中で、自分とは何かを考える機会を得た。導師とは何か、自分に問い続けることが出来た。
二国の和平に、僕の力を借りたいと言ってくれる人がいた。ダアトを出るという無茶を、引き受けてくれた守護役がいた。大地に生きる人の視点に立って、国の行く先を描く姫がいた。預言を消すのではなく人の選択の先を信じると、言ってくれたホドの青年がいた。己の信じるものを固く選び、ユリアの祈りを信じたユリアの末裔がいた。レプリカである自身の生まれた意味を追い続ける、焔の光があった。そして、僕に名をくれた導のような少女がいた。
僕は彼らの力になりたくて。自分にも出来ることがしたくて。それまでの僕は導師であること以外に何もなく、旅の中で僕は導師であり、同時に僕であることを学んだ。だから彼らの道行きを照らすために、この譜石を詠んだ。導師だからではなく、僕が導師だから。
この特殊な譜石は、僕が導師であることを示す。でも、この星に生きる人々は預言を選ばなかった。預言は三国同盟の下、廃止されたのだ。この譜石には、最早何の価値もない。そしてこの惑星預言がなくとも、僕は導師であり続けている。導師は、預言を詠むための存在ではなくなった。
「………………」
掌を見詰める。自分の価値を、存在を問う。何のためにここにいて、何故導師でいるのか。そこに、もう答えあぐねる自分はいない。預言がなくとも人は前へ進める。
不意に、気配がした。そちらを見れば、礼拝堂の暗がりに人の姿がある。団員や信者ではない。飾りのない、独特の黒装束を纏っている。頭巾のようなものが被られていて風貌も確認できない。体格から性別を判断するのが限界だ。そんな様子の人影が、三つ。
「……何者です」
譜石を回り込んで前へ出ながら問う。人影のそれぞれが短刀を抜き、構えるのが見える。その内の一人が、低い男の声で応えた。
「導師テセレマか」
「いかにも。答えなさい、無作法者。ここは始祖ユリアの祈りのある地。どのような事由があって聖域を侵すつもりか」
問いに、しかし黒装束の男達は短く答えた。
「導師。貴方の命を頂戴する」
黒装束の男達は一斉に地を蹴る。僕へ向かって来る姿を確認して、僕は片足を斜め後ろへ下げて腰を落とした。構える。
「───はっ!」
一番最初に構えの中に入った男へ掌底を放つ。僕の動きに合わせて譜陣が三重に展開され、男の体を直線上に力強く吹き飛ばした。
「ぐっ…!」
更に周囲に第一音素が巻き起こり、接近していた他の二人の男も仰け反る。その一方へ摺り足で一歩踏み込み、鳩尾へ肘打ちを入れた。譜陣が更に展開され、効果が強化される。第五音素による爆発が起こり男の体が揺らいだところで追掌を放つ。
「がはっ…!」
吹き飛ぶ姿を横目に素早く体を反転させ、譜陣を描きながら右手を足元へ下ろす。第三音素が巻き起こり、踏み込んできていた三人目を飲み込んだ。その風の加護に従い身を数歩隣へ滑らせる。そのまま無防備な脇へ掌底を繰り出した。
「ぐぉ!?」
譜陣が追加で展開し、更に加速する。男は幾度も風の鞭に打たれるように吹き飛ばされていく。それを見守ってから息を吐き、ふらつきを堪える。
「はぁ……はぁ……」
一連の動きで体力を消耗し、呼吸が上がっていた。この体は以前よりは思うように動いてくれるが、それでも戦い続けられる程には強化されていない。
今までは体力のなさから譜術部分のみを運用してきたが、体術と合わせて正しく運用した方が体への負担は軽い。最大の特徴は体術と合わさることにより、音素を流れるように振動させるところにある。譜術を使う際の反動を自分の体以外の場所へ散らすことが出来るのだ。
(とはいえ、それでこれだけ消耗していては……情けないですね……)
呼吸を整える。視線の先で、一人目に吹き飛ばした男が体を起こすのが見えた。二人目と三人目はまだ暫く動けないようだ。
体術というのは、元々人体の急所を突くように組まれている。ただの掌底でも骨を砕き、内蔵を傷付けて深手を負わせることが目的と成り得る。脳を揺らし、目を抉り、鎖骨を剥がすことも可能だ。
そういった技術を洗練し、譜術で威力を強化しているものがダアト式譜術だ。一撃が命取りになる。
「……肋骨を、四本は砕いた筈ですが」
起き上がってきた一人目の男へ言葉を掛ければ、男は軽く胸部から腹部にかけてを叩いて見せた。小さく軽い音が聞こえて、胸当てのようなものを挟んでいたのだと分かる。しかし肋骨を庇うような体勢から無傷ではないようで、二本分くらいは防がれてしまったと予測する。
(二人目は鼓膜を破き三半規管を揺らした。恐らく治癒術がなければ起き上がることも出来ない)
三人目の方も脇から肋骨を砕き、内蔵を損傷させた感触があった。偶然にも脇を狙ったことで胸当てを避けられた点は大きい。体内での出血が多く、下手には動かない筈だ。そうなれば、問題は目の前の男一人ということになる。
「……今退くのなら、見逃しましょう。早く治癒師に診せなければ命を落とします」
警告する。事実であり、こちらとしても消耗から退いてもらえた方が助かる状況だ。しかし男に退く意思はないようだった。
ナイフを構え直され、隙のない型でじりじりと距離を詰められる。仕方がなくこちらも再び構えを取る。こちらから攻める型もあるが、自分の体力の無さを考えると間合いに飛び込んできたところを返す方が確実だ。
「………………」
「………………」
一触即発の気配の中で睨み合う。互いに構えを維持し、付け入る隙を与えない。その張り詰めた空気を乱す気配があった。先に気付いたのは男の方だ。弾かれたように礼拝堂の外へ注意を向けた。
「……増援か」
呟くが早いか、男は身を屈めると二人の人間をそれぞれの肩に担いだ。そして礼拝堂の床に譜陣を描くと消えてしまう。転送譜陣を簡易にした物のようだった。
完全に姿を消したのを確認して、ほっと息を吐く。その瞬間に礼拝堂の扉が開けられ、巨大な人形が飛び込んできた。
「ご無事ですか!? テセレマ様!」
大人を優に越える大きさに巨大化した、トクナガの頭部からひょっこりとツインテールの少女が顔を覗かせる。アニス・タトリン、僕の導師守護役だ。
「アニス……」
「はぅわ! テセレマ様、顔色悪いですよぅ!」
他に人の気配がないのを確認して、アニスはトクナガを元のサイズに戻し僕に駆け寄る。それから周囲を見回し、多少傷がついたり抉れてしまった床を見る。
「な、なんですか!? コレ!」
「すみません……少し壊してしまいました」
「え!? テセレマ様がやったんですかぁ!?」
申し訳なさから苦笑で応える。それからアニスが「とにかく一度休んで……」というのを制した。
「そんなことより、アニス。急いでいたようですが、何かあったんですか?」
「え!? えっと……い、色々あったんですけど、『神託の御子』過激派ですよ! テセレマ様を狙ってるって!」
「それで急いで来てくれたんですね。ありがとう」
「わ、私は導師守護役……ですからね!」
えへへ、と過去の傷を乗り越えようとするアニスに微笑んで頷く。とりあえずアニスから細かい話を聞かなくてはならない。「神託の御子」過激派が動いているというなら、アリアのことも心配だと思う。
と、その瞬間大きな影が礼拝堂へ飛び込んできた。アニスが咄嗟に僕を庇って前に出て、それから影の正体に気付く。ライガの巨体だ。当然、その背にあるのは桃色の長い髪を伸ばした魔獣使いの姿だ。
「アリエッタ! 何しに来たのよ!」
アニスに名前を呼ばれて、彼女は僕を見る。桃色の不安そうな瞳と目が合った。それから小さな声で告げる。
「導師様が危ないって……アリエッタ、イオン様に言われてきたんだもん」
「イオンが……?」
「教会、侵入者に襲われた……です。他の守護役の子達も、戦って、傷付いてる」
アリエッタの話に驚く。先程の襲撃者の仲間だろうか。
「他の皆さんは……」
「怪我人はいるけど大丈夫……侵入者も、出ていったみたいです」
ほっと胸を撫で下ろす。それから改めて顔を上げた。のんびりしている暇はないようだ。
「詳しい話を聞かせてもらえますか? 二人共」
僕は導師として、今出来ることをする。
*****
シンクに激しい目覚ましパンチ、もとい頭突きを叩き込んでから、ボク達は教会へ向かった。結構時間を食ってしまっていて、到着した時には襲撃者は退散した後だ。治療や後片付けに追われる団員を捕まえて話をさっくり聞き、一先ず襲われたけど無事だったというテセのところへ急ごうとする。
だが、その前に思わぬ事態になった。
「詠師シンク。貴方を拘束する」
どこから情報が入ったのか、詠師会が動いたのだ。要件は勿論「神託の御子」過激派を勝手にゴミ掃除していた件についてだ。
事実である以上、下手にはぐらかすことも出来ない。シンクは情報の早さに舌打ちをして、しかし一先ず大人しく拘束された。ボクに関しては「部屋で大人しくしていてください」というようなことを言われた。今回の教会襲撃の件で相当詠師会もピリついているらしい。
触らぬ神に祟りなしということで、ボクはテセの様子を見に彼の私室へ向かうことにした。どこの部屋で大人しくしているかは言われてないし。
「テセ。居る?」
彼の私室の扉を開け、声を掛ける。部屋の中を見れば、すぐに目的の人物を見付けた。テセはベッドの上で上体を起こしている形で、ボクを見れば表情を明るくする。
「アリア! よかった、無事だったんですね!」
「うん。心配かけてごめんね」
ベッドへ近付けば手招きされ、更に近付いたところで抱き寄せられてしまった。テセの体を潰してしまいそうに傾いだところを、ベッドに膝から乗り上げて防ぐ。
「わ、わ。危ないよ、テセ!」
「大丈夫ですよ。アリア一人くらい支えられます」
「体調悪い時にすることじゃないでしょ!」
「ふふ。それはそうですね。怒られてしまいました」
笑いながらもテセは離してくれない。そんな嬉しそうに怒られないで欲しい。それもボクが心配をかけたからなのだと思うので、少しは配慮することにした。
暫く大人しくしていれば、ゆっくりと解放される。近い距離で合った眼はとても真面目なものだった。
「アニスから大体の話は聞いています。貴女からも、話を聞かせてもらえませんか?」
「……うん」
頷いて、ボクは起きたことをテセに共有した。シンクが立場に合わない悪手を取ってしまったこと、その目を無理矢理覚まさせたこと、けれど先程詠師会に先手を打たれてしまったこと。彼はそれらを静かに聞いて、やがて考えるように口元に手をやった。
「詠師会が……」
「シンクは情報源に心当たりがあるみたいで、望み通りご機嫌取ってやれば必要以上のことはしてこない筈だって。大人しく拘束されちゃった」
「………………」
考え込むテセを眺めながら考える。
勿論、情報源がアニスだとは思っていない。事が事なので、恐らくテセが黙っているように伝えている筈だ。
それなら一体誰がシンクの行いに気付けたのかと問われれば、不明だ。そう簡単に周囲に気付かれるヘマをシンクがしていたとも思えないし、相手もこのタイミングで的確に詠師会に話を渡すところから、情報の使いどころを選ぶ頭もあるらしい。得体が知れない。
「詠師会にとっても、今回の件は表に出したくないものでしょう。恐らく暫くの謹慎で解放されると思いますよ」
「隠蔽体質は元々だもんね」
「………………」
「あ、いや、ごめん。そんなつもりじゃなかった」
「……いえ。事実ですから」
組織において後ろ暗いものはあって当たり前だ。キムラスカ王国やマルクト帝国だって綺麗なだけでは成り立っていない。それをどう覆い隠し綺麗に見せるかが問われる手腕だとさえ思っている。
なので特に悪感情はなかったのだけど、そうして都合の悪い過ちを隠し続けてきた結果、ヴァンが自由に動く隙を与えてしまったのも確かだ。テセがそれを悔いているのは想像に容易い。困って、話を変える。
「にしても、テセが狙われたのってどういうことなんだろう?」
「神託の御子」過激派の目的はボクの誘拐とか洗脳とか、その辺だと思っていたのだが、そうとも言い切れないのだろうか。疑問に思って口にすれば、狙われたテセも首を横に振るばかりだ。
「分かりません。ただ、僕の場合は命が目的のようです」
「んー、教団の最高指導者は導師だけど、彼らは御子を担ぎ上げたい。だから導師は邪魔ってとこかなぁ」
「そう考えるのが自然ですね」
同意しながらテセの表情は決して明るくはない。それはつまり、彼らにとっては預言を詠まない導師は要らない、という風に受け取ることも出来るからだ。預言と関係なく「導師」になろうとしている彼にとっては、嬉しくはないだろう。
(……やっぱりよく分かんないな)
元々、ボクは預言と関わりのない生き方をしていた。預言に生活を頼ったり、自分の選択を委ねたことなどない。でも世界中の大多数は預言を未来の導として大切にしてきた。その結果、預言を詠む役割の導師を象徴として称えてきたことも流れとしては理解できる。でも心情は分からない。
(預言があったってテセはテセだし、預言がなくたって導師なのに)
生きる上で大事なことの一つとして、自分が何を選ぶかが含まれていると思っている。ボクが何を選び、彼が何を選ぶか。選択と責任の所在を他人任せにするというのは、永遠に分かりそうにない。
と、目を向けるとテセと目が合った。見られていたらしい上に、なんか微笑まれてる。
「な、なに?」
「あ……すみません。失礼でしたよね」
「それはいいんだけど……なんで嬉しそうだったの?」
ちょっと前に顔を見た時には落ち込んで見えたくらいだったのに、この短い間に何を思ったのか。気になって問えば、彼は顔を綻ばせて答える。
「アリアが僕の代わりに不満そうな顔をしてくれていたので……とても嬉しかったんです」
「えっ!? ボクそんな顔してた?」
「はい。それはもう」
本当に嬉しそうな様子から、嘘を言っているようには思えない。自覚がなかった。いや怖いな人間の顔。こっちが把握していないことを勝手にしないで欲しい。
「僕には、アリアのように不満を抱くことは出来ません。哀しいと思うことは出来ても、それを心のどこかで仕方がないと受け入れているところがある。そういう風に出来ている」
テセはそう言って、自身の感情の在処を問うように掌を自身の胸に当てた。目を閉じ、言葉が重ねられる。
「だから貴女がそうして、僕のことで怒りを示してくれることが本当に嬉しいんです。眩しくて、好きです」
「テセ……」
何を言えばいいか迷う。怒って欲しい。ちゃんと世界に不満を持って欲しい。自分をどうでもいいものと放り捨てないで欲しい。それは本当で、きっと目の前の彼も分かってはいる。
ただ、どうしても彼はそこへ至れない。そういう優しさと弱さを彼は持っていると思うから。それが彼らしい部分で、きっと彼の強さにもどこかで繋がるものだから。
「アリア」
微笑んで名を呼ばれる。その顔に、またボクの表情が勝手にお喋りをしたのだと分かる。本当にやめて欲しい。予定にないことばかりが増える。
彼はボクの手を取り、自身の胸へ当てた。心臓の鼓動が届く。生きている証。
「貴女のお陰で、僕は生きています。貴女がそうして僕を諦めずにいてくれたから……僕に、戦う術をくれたから」
「大袈裟だよ。ボクはただ君に生きていて欲しいだけだ」
「それが、僕には尊いことなんですよ」
幸せそうに笑って、彼は服の胸元を開く。そこに覗いたのは意外と鍛えられている胸板と、その中央に埋め込まれた輝きだ。
透明に音素を反射するそれは、硬い鉱石の様相をした高純度の音素結晶だ。ボクが作り出して、テセの体に埋め込んだモノ。それに触れれば、温度はない。ただボクの存在を理解しているように音素が震えた。
「調子は?」
「力を使った直後はやはり消耗が大きかったのですが、すぐに動けるようにはなりました。今も特に不調はありません」
「そっか。こっちも大丈夫そう」
テセの心臓近くに埋め込んだ音素結晶───正しくは、ただの音素結晶ではなかった。
本来音素結晶というのは持続されない。時間をかけて自然と集まった時のみ結晶として形を維持するのだ。人為的に作り出した場合に像が解けてしまうことは、地核にタルタロスを沈めた際に大佐が証明している。そのためこの音素結晶はアイオンの力を流用して、一定の音素振動数に固定している。
(ローレライと同じ振動数)
この音素結晶は第七音素で構成されている。当然、第七音素だけで体を構成されているテセとの相性はいい。今のところ異常は確認されていない。
この結晶は振動数を固定することで、実質テセの体にローレライを埋め込んでいるようなものだ。だがヴァンがローレライを取り込んだように、大量の第七音素を体内に入れているわけでもない。
これはただの門なのだ。音譜帯にいるローレライとの直接のパスを彼に繋ぐ、特別なフォンスロットとも言える。これにより彼は常時ローレライの音素による支援を受けており、体を構成する第七音素の調子が整えられ虚弱な体質が改善されている。一時的に取り込む力の量を増やせば戦うことも可能だ。
これが、ボクが彼に施した裏技だった。
「見た目、もうちょい良く出来たら良かったんだけど」
「中で音素が輝いていて、とても綺麗ですよ」
「そうじゃなくてさ……」
不思議そうにする彼に苦笑する。人体に直接鉱石が埋め込まれてる様は、見方によれば気持ちが悪いものだろう。ボクにそういう感性はないが、こういった異物を好まないのはよくある感覚だと理解している。
響律符みたいに分離出来ればよかったのだが、それでは効果がなかったのだ。直接体に埋め込みフォンスロットみたいに機能させなければならない。それを確認した時、埋め込めばイケると思うなんて無責任なボクの言葉によく彼は乗ったものだと思う。
まぁ、音素が悪さをするかはなんとなくボクには分かるので、危険性は殆どなかった。音素はいつだってボクの意を汲む。
「ところで、アリア」
「ん?」
テセに埋め込んだ特殊な音素結晶───ボクらが輝石と呼んでいるそれに触れていれば、頭上から名前を呼ばれる。見上げ、千歳緑の瞳を見詰めれば少し顔を赤くした困った表情を向けられる。
「その……あまり長くそうしていられると、僕も落ち着かないのですが……」
「!?」
心底びっくりして慌てて体を離した。オブラートに包まれていたものの、テセが何を言いたいのか分かってしまう。突然そんなことを言われればこちらも平常心ではいられない。
離れたボクに彼は「ふぅ」と安堵の息を吐いて、服を戻した。こちらは落ち着くのにまだ時間がかかりそうなのに、羨ましい。
「とりあえず、今回の件については明日以降に詠師会とよく話をしましょう」
「え? あ、うん。今日は休まないとね」
窓の外を見れば、まだ暗い。朝は来ていないようだが、休める内に休まなければならない。治療や後片付けに回っていた団員の話を聞いて、彼らにも休んでもらおう。ベッドを離れ、扉へ向かう。
「じゃ、後始末してくるね。補佐役の仕事を信じて導師様はちゃんと休むよーに」
「はい。ありがとう」
微笑みを交換して、ボクはテセの部屋を出る。続き部屋である彼の執務室も抜けて、廊下を進みながら考える。
シンクの様子がおかしいことは気付いていたし、大佐も予期していたくらいだ。彼の暴走は必定だったのかもしれないが……自然とそう流れたとは思い難い。
確かに以前の旅の時もシンクは暴走したけど、今回は起きた事が違いすぎる。彼が命の尊さを語る人間でないことは知っているが、どうにも視野の狭さが目立つ。そこに不自然さがある気がする。
(しかも事態発覚と教会襲撃の直後にタレコミ)
タイミングが良すぎる。シンクに心当たりがあるように、その誰かは性格が悪い。更に言えば、丁度お師様が不在であることも気になった。まるでそれを狙ったように襲撃があったようにさえ思える。
だとすれば、その誰かはボクらの動きをすぐ近くで見ているということにはならないだろうか。分かっていて、今回の全ての事態を招いた。
「……根拠が無さすぎるな」
想像の域を出なくて溜め息を吐く。「神託の御子」過激派の話が出てから、見えない点を見えない線で繋ぐみたいな作業ばかりで頭が疲れる。
明日には詠師会と渡りをつけなければならない訳で、今はとりあえず休むべきだ。ボクは思考を一度箱に仕舞いこんで、頭を切り替えた。
*****
翌日、詠師会にテセと共に出席する。
勿論議題はシンクのゴミ掃除の件と、昨晩教会を襲撃された件だ。シンクに関しては予想通り、当分の謹慎で許しが出ることになる。今のシンクが教団で担っている役割は重く、代えが利かない。詠師会も現実的な判断をした。
因みに今の詠師会は大詠師がいないため、導師とその補佐役を含めての話し合いが運営のメインだ。力関係はこっそりあるので、そういう意味では先代導師であるエベノスの時代から聖職位に就く、お師様と詠師トリトハイムの立場は強い。
シンクの件はどうにかなりそうなのだが、問題は教会襲撃の方だった。現導師と「始祖ユリアの生まれ変わり」が狙われたことで詠師会が腰を上げてしまったのだ。バチカルでの件も合わせて「何より安全を確保すべき」としてダアトが落ち着くまで国外へ出ていることを望まれる。実質国外追放だ。
(マズいな……いつもならお師様が援護射撃をしてくれるのに)
不在が手痛い。詠師トリトハイムが宥めようとしてくれているが、彼もボクの象徴性は理解している。中立の立場ではあるが、教団としての判断を優先させるだろう。それはいいのだが、状況は何も良くない。
こういう時、お師様の教団での影響力を実感する。先代導師エベノスの実質右腕みたいな存在だったと聞くし……
(……あれ? もしかして今のボクって似たような道を辿ってるんじゃ……?)
今のボクの立場は導師補佐役だ。不意に不気味な予感があって、振り払う。気付かない内に師の背を追う弟子とかちょっと嫌だ。考えないようにしよう。
(国外追放か……)
流石にそれは困る。教会に閉じ込められて過ごすことにストレスはあるし、補佐役の仕事も面倒なものだ。テセみたいに世界や民のために頑張りたい心があるわけでもない。でも、やると決めたのは自分で後悔はない。何より。
(テセの近くにいられなくなる)
それは大問題だ。シンクは多分教団を放り出してついてきてくれるだろう。そもそも彼は教団を嫌っているし、統括総長としての仕事に遣り甲斐なんて感じてもいなさそうだ。
ただボクが教団にいることを選んだから、相応の立場に就いて働くことを強要されているだけだ。その煩わしさに行動を制限されないために、護衛役の立場ももぎ取った経緯がある。
だが導師であるテセは違う。彼は望んでその地位にいるし、やりたいこともやるべきこともある。教団を放り出せない。
(「神託の御子」過激派問題、こっちから何か動いて片付けないと本当にマズいかも)
詠師会に参加する面子でボクの残留に賛同してくれるのは、導師であるテセくらいだ。お師様が戻ればボクを助けてくれる可能性はあるが、師の権威に甘えて何もしないような奴を弟子だと思ってくれるような人ではない。胡座をかけば見捨てられるのが目に見えている。
しかし、「神託の御子」過激派問題は実行犯達を上手く繋げられていないのが現状だ。目的も手段も限定できず、組織としてどれ程のものがあるのかも不明。当然根城も分からず、バチカルで起きたことと今回の襲撃を重ねて考えていいのかも怪しい。どこから手をつければ近付けるのか。
そんな風にテセと頭を悩ませていると、事態はあまり間を空けずに動きを見せる。それはボクが国外追放を望まれ出してから数日が経った頃だ。
*****
今の教団は居やすい場所ではないため、出来るだけテセやアニスと行動を共にしていた。アニスはボクが虐殺現場で普通にしていたことで多少のショックを受けていたようだったが、一応は今まで通りに関わってくれている。
ボクがちょっと特異なレプリカであることは前から知っているし、そこを考慮してくれているのだろうと気軽に考えることにしていた。
「んー、やっぱ情報不足だな」
場所はボクの執務室だ。集まっているのはテセ、アニス、ボクだ。「神託の御子」過激派問題について、こちらから動くべきというのは共通の見解で折を見て集まっていた。しかし今までの情報からは方針を立てられない。
「キムラスカとマルクトからも、まだ連絡は来ていません。あれ以来何も動きはないようです」
今までの情報を纏めた紙を広げた机に向き合いながら、テセが眉を下げる。その通り、ナタリアや大佐が以後の動きを気にしてくれている筈なのだが進展は何もない。一応報告も兼ねてアニスが大佐に手紙を出してもくれたのだが、海を越えるため返事があるのは暫く先だろう。
「もうボクがダアトを離れて囮になるとか」
「駄目です! そんなことはさせられません!」
一番低コストで実現出来そうな案を出すが、テセに猛反対されてしまう。彼の心配を思えば当然だし、今はシンクの護衛もないので余計に現実的でないと思われているのだろう。一応護衛がなくとも十分戦えるつもりなのだが、一度誘拐されている身としては説得力があまりにない。
「でもこのままじゃ進展しないよ」
「じゃあ、キムラスカやマルクトに協力してもらってアリアを預かってもらうのはどーですか?」
アニスの提案に、成る程と思う。聞いたこともないが、逆亡命ということか。戻ってくるつもりだが。テセが考える顔になる。
確かにアニスの提案ならアリだ。二国に借りを作りすぎるのも良くないが、「神託の御子」過激派の問題は両国共に「自国、及び世界の問題」として考えている節があった。協力が望める可能性は高い。
「……そう、ですね。それがアリアにとっても一番良いのかもしれません」
伏せた瞳に揺れるのは、小さな痛みだ。多分、嫌なのだろう。理屈でなく感情で、ボクを他所の国にやりたくないと思ってくれている。それは彼がボクを側に望んだ導師だからか、ボクに向けてくれる「それ」がそうさせるのか。
(キムラスカやマルクトなら利害が一致するし、ボクを預かって囮として使うことが出来る。どっちかと言えばマルクトの方が話がしやすそう)
感覚的な話だが、皇帝陛下や大佐の方が割り切って動いてくれそうだ。なかなか悪くない手なのでは、と思いつつ水差しからコップへ水を注ぐ。それで喉を潤して───違和感。
「……アリア?」
ボクが変な顔をしたからか、テセが怪訝そうにボクの名前を呼ぶ。しかしそれに返事をするわけにはいかない。感覚を吟味する。水が通った後の舌に微かな痺れと、喉に不自然な熱さが広がっていく。
(これ、は)
即座に席を立ち、手洗い場へ駆ける。そのまま自分の喉へ人差し指を差し入れた。舌の奥を刺激し、もう片方の手で鳩尾を支えれば吐き気が襲う。せりあがるものを吐き出した。現れた吐瀉物はあまり物を食べていないため殆どが胃液だが、それでいい。胃酸が喉から独特の臭いとツンとする感覚を寄越し、生理現象で涙が浮かぶ。
「アリア!?」
「どしたの!?」
バタバタとテセとアニスがやってくる。ボクが慌てて吐いたことは理解しているようで、それにボクは乱れた呼吸を整えて答えた。胃酸と別に喉を焼く不自然な痛みがあって、発声が少し辛い。
「はぁ……毒。ちょっと、取り込んじゃった」
ボクの回答に二人は同じように驚愕を浮かべる。先に衝撃から回復して動いたのはアニスの方だ。
「毒って……どこから……」
「多分、水差し。据え置きだから」
ボクの執務室は立ち入りが禁じられているわけではない。訪ねてくる人間は基本いないが、忍び込めない場所ではない。水差しに毒を混ぜることは、残念ながら理論上は誰にでも可能だ。
考えながら譜陣を描き、解毒を行う。幸いよく使われる魔物の毒から作られたもののようで、リカバーで対処出来る。これが貴重な毒とか特殊な精製で作られたものだと、組成を分解して有効な解毒術式を組まなければならない。体に取り込んだのは少量なのでその余裕はあるだろうが、解毒が楽な方が助かる。
「これ、流しから!」
「ありがと」
アニスが簡易キッチンから普通の水を汲んできてくれたのを、有り難く受け取って口に含む。口内の掃除に多少使って、後は嘔吐した体へ少しでも水分を戻すために嚥下する。
いやぁ、美味しい。ボクはただこうやって喉を潤したかっただけなのに、何故こんな目に遭わねばならないのか。立ち上がる。
「ごめん、びっくりさせたよね。ちょっと喉は焼けてるけど解毒はしたから───」
騒いでしまった恥ずかしさに苦笑したが、最後まで言い訳を述べることは出来なかった。
軽い衝撃。びっくりしているボクのすぐ近くに人の息遣いと匂い。体温があって、背にしっかり腕が回っている。肩越しに見えるのはボクと同じように驚いた顔をしたアニスの顔だ。となれば、答えは難しくない。テセに唐突に抱擁をくらった。
「て、テセ?」
「……すみません」
ボクの戸惑いに返ったのはあまりにも暗く固い声だった。重く聞こえる謝罪は、今こうして抱き締めていることに対するものではない。それが分かってしまって、ボクは動きを止めた。
考える。感覚を追おうとする。でも抱き締められていては、言葉より余程雄弁に感情を映してくれる瞳が見られない。そこにある色を確認することが出来ない。
分かるのは、彼が今体を震わせているということ。それが後悔によるものか、不安や心配から来るものか、もしくは怒りか、今のボクには分からない。困惑するボクは、ただ哀しそうな眼をするアニスを見ることしか出来なかった。
(どうして、アニスがそんな眼をするんだろう)
分からない。導師補佐役が毒を盛られることの問題性は理解できる。でも邪魔者がいれば毒殺しようという発想は当たり前のものだ。
自分が盛られてびっくりはしたし、出来れば犯人を見つけてお返しはしてやりたいが、それだけだ。テセが心配してくれるのは分かるが、ここまで感情を揺らすことは想定外だし、それを見てアニスがそんな顔をするのも分からない。
解毒は済んで無事なのに、なんで。
*****
それから一日と経たず、導師補佐役のケテルブルク行きが決まった。名目は一時避難だ。目的はダアトが落ち着くのを促すことであり、安全を取った選択となる。
ケテルブルクが選ばれたのはダアトから程近いことと、外界との繋がりが港一つだけである点が大きい。かつて皇帝陛下が幼少期に匿われていたように、警備の点でも情報の点でもセキュリティが良いのだ。これについてはダアトから正式に、マルクト帝国へ協力を要請する形になる。
そしてそれを決めたのは、導師であるテセだった。