亡霊と希望
自分の護衛役が武器も持たない民間人をはちゃめちゃにいたぶり殺している場面を目撃して、ボクがまず思ったことはあまりにも緊張感のないことだった。
(月光に照らされてるだけで絵になるなぁ……)
これだから顔がいい人間はズルい、と思ってから彼が仮面をつけていることを思い出して訂正する。ボクの贔屓目による存在肯定だったらしい。
彼は近くに蹲る人間を一人掴んで転がし直して片足を上げる。それを判でも押すみたいに頭部へ踏み下ろして、ぐちゃりと中身が溢れた。後ろでアニスが吐き気でも堪えるみたいに小さく呻いた。
「で、何か用?」
シンクの様子は変わらない。まるで執務室を訪れて書類仕事の合間に声をかけた時と変わらない。でもここは彼の執務室ではないし、彼が押しているのも判ではない。足元に並ぶ頭部を砕かれた死体は三つ、まだ生きている個体は二つ、そういう状況だ。
「用……そうだなぁ。訳は聞きたいかな」
「蛆虫は放っておいたら蝿になってうるさいだろ。動きが鈍い内に駆除した方が楽だ」
「んー、それはそう」
納得してしまう。いや、そうではなくて。あまりにお互いの調子が変わらないので、いつものように雑談してしまいそうだ。危ない危ない。気を取り直した。
「見た感じ非武装だけど、どんな蛆なの?」
「………………」
難しくない問いの筈なのにシンクは黙る。それは上手く言葉を選べない時の感覚で、悟る。コレはボクのためなんだ。暫く待てば、予感を肯定される。
「アンタを祀りあげてる奴らだよ」
つまり「神託の御子」過激派ということだ。いや、過激派かどうかは問う術もない。多分彼らは蛆虫に相応しく、まだ何もしてはいないのだから。
「今までのも、シンク?」
「他に頭を潰して回ってる奴は見てないね」
確認にも彼はいつも通りだ。今までの事件が繋げる必要もないものだったことを理解する。目的も動機も考える必要などなかった。彼は殺すことだけが目的だったんだから。
「あんた、何して……!」
震える声でアニスが批難の声を挙げる。怒りか、吐き気による涙か、それとも恐怖か。そんな色が混じって少し驚く。それから思い出した。そっか、コレが人間なんだった。
「その人達は蛆虫なんかじゃ……人間なんだよ!!」
「………………」
シンクは返事をしない。それどころかアニスの方を見ることもしなくて、彼がボク以外の人間を認識する気がないことが分かる。それは別にいいのだけど、不自然だ。何故そのようにするのか。
「シンク!」
「わざわざなぶったのは、犯人像をずらすため?」
ボクが問えば、彼は面倒そうでも頷く。それはそうだ、彼程の実力があれば一般人などいきなり頭部を潰すくらい出来る。ただそれをすれば一気にプロの殺しと気付かれる。そのためにわざわざ無駄を払った。
彼は別に人間をなぶることに快楽は覚えないし、基本的に無駄は嫌う。面倒だったろうなと思った。頭部を砕いたのはやはり殺意で、同時に二度と起き上がってこないようにちゃんと駆除したかったというところだろう。
「えっと、アニス。他に何か聞いておくことある?」
「えっ?」
粗方納得してしまって問いが浮かばなくなり、困って隣のアニスを見た。アニスは虚を突かれたような顔をして、眼を丸くして驚いている。なさそうだ。
ボクは講堂を進む。月明かりでぼんやり照らされているシンクの方へ近付く。アニスがボクの名前を呼んだけど、別に危険なんてない。シンクは、いつもと変わりないのだから。
「………………」
シンクは特に逃げないし、蛆虫を潰す作業に戻りもしない。ただボクが近付くのを見ていて、すぐ側まで来た。互いに手を伸ばせば触れられる距離で、手を差し出す。
「帰るよ。血、落とさなきゃ衛生上良くない」
「……まだ二匹残ってる。終わったら帰るから、アンタは先に帰っててくれない?」
「えぇ? いいよ、なら待ってる」
ちょっと買い物を待つみたいにそう答えたら、アニスの声が耳に響いた。泣きそうな、怒ってるみたいな声だ。
「二人とも何言ってんの!? 人が……人を殺してるんだよ!? 戦争でもないのに、普通の人を……!」
そう訴えられれば困る。ボクは一応、出来る限りは人間のフリをするようにしている。でもこういう時には無理だ。哀しいフリとか、怒ってるフリとかは苦手だ。だから精々静かにしていることくらいしか出来ないのだけど、注目されてしまえばそれも通用しない。
こんなことだから大佐に「人間ではない」と突き放させてしまったのだ。一年前のユリアシティでの記憶がちょっと蘇る。
「お、お前……『烈風のシンク』か……!」
対応に困っていれば、懐かしい呼び名をまだ動く人間が口にした。彼は地に伏した状態から頭を持ち上げる。
ボクとアニスの姿を確認しようとしたらしいが、顔の半分は変形していて眼が見付からないし、残りは目蓋の流血で視界を潰されているらしい。この分だとぼんやり見えていればいいというところか。
「あとの二人は……いや……それより……」
息も絶え絶えに何かを言おうとする。口元がにやりと笑んで、この状況で愉快そうにする理由が分からない。警戒と共に待てば、死にかけの男は短く息を吐く。
「今頃……御子様と、導師は……」
「!」
飛び出した呼び名に驚けば、男は地面へ頭を落とす。受け身をとることもなく、力尽きたように生きている気配が消え、動かなくなった。心臓が早鐘を打つ。その頭部をシンクが丁寧に踏み潰した。
「導師……って……」
考えるまでもない。いや考える。今頃。まさか仲間がいる? 蛆と見せ掛けて蝿がいたか。内心に焦りが押し寄せた。今の言葉がブラフでないなら、別の人間が教会へ向かっていることになる。狙いはボクと、テセだ。
「戻らなきゃ……!」
身を翻す。講堂を出ようと一歩を踏み出そうとして、引き留められる。後ろから腰に腕が回っていて、もう片方の手で右手首も掴まれている。強く引き寄せられ、背に慣れ親しんだ体温が触れた。
状況を理解するのが遅れる。優しいけど強制力のある手。これは。
「し───」
「行かせないよ」
耳元で囁かれる。それに体を震わせて、しかし意識に触れるのは羞恥より困惑だ。何故。どうして、ボクがシンクに今捕まっているのか。冗談をしている場合ではないのに。
「悪ふざけなら後で……」
「本気だ。アンタは行かせない。この蛆のお仲間が探してるのは導師と『御子様』だろ。だったら、行かせない」
固い声。暗く、聞く耳を持たない閉じた意志。感情の拾えない、静かでどこか、怖い───
「アニス! 今すぐ教会に戻って!」
「え……?」
「テセが危ないかも! お願い!」
先程の男の言葉が聞こえていなかったのだろう。急にボクに呼ばれたアニスは驚いて、それから顔色を変えた。
けれどすぐには駆け出さない。ボクとシンクを見て躊躇っている。人前で、こんな時にボクを捕まえているシンクは「普通」ではない。確かに不安はあるだろうし迷うだろう。でもボクの身の危険とテセの身の危険ではレベルが違いすぎる。少なくともシンクにボクを傷付ける意志はない。
だから彼女の背を押した。
「ココはいいから、早く!」
「……っ」
ボクの声に押されて彼女は走り出す。すぐに姿は消えて、当然だがシンクはそれを追わない。テセを助けに行かれては困るというわけではないのだ。ただ、ボクを行かせないために邪魔をしているだけ。
空いている左手を、腰に回されているシンクの左腕に重ねる。そっと力を増して問う。
「シンク、離して」
「離さない」
「なんで」
「さっき説明しただろ。もう忘れたの?」
そうだけど、そうじゃない。今までだったらこういう場面で、シンクはボクの邪魔なんてしなかった。ボクの我儘や無茶に付き合ってくれたし、自由を尊重した。それが今は。
腰に回った腕も、右手を捕らえる力も緩む様子はない。頑なに、ボクを腕の中に捕らえ続ける。
「……テセが危ないかもしれないんだよ。お願い、行かせて」
「駄目だ。アンタが行く必要はない」
「でも」
「死ぬなら死ねばいい」
「───、」
耳元で囁く甘い声は、すがるようで、ねだるようで。同時に暗く黒い感情を覗かせていた。これは何だ? 分からない。でも彼が見せていた暗い瞳に、きっと繋がっている。あの複雑な色が作り出す感情が、触れる。
「アンタは勘違いしてるかもしれないけど、ボクはあの甘ちゃん導師が大嫌いだ。相容れないし、分かり合う気もない。お節介でお綺麗で、無害そうな顔をして人の領域に土足で踏み込んでくる。人の庭を踏み荒らしてる自覚もないんだから、幸せな脳味噌だよね───死んでくれた方が、都合がいい」
嘘偽りのない言葉が、感情が届く。
シンクがテセを好んでいると思ったことは一度もない。でも捨て置けないくらいには傾ける情があることも、確かな筈だ。どうでもよくなくて、目障りに思うくらいには何かがあって、影響力がある。テセの方もそれが分かっているから、嫌われていても関わりを持ち続ける。シンクと分かり合おうとする。
「……ボクは生きてて欲しいよ」
「だろうね。だから余計に死んでくれればいいって思ってるんだ。あいつのせいでアンタはクソみたいな教団を背負うハメになった。『神託の御子』なんかにされて、ゴミ屑みたいな人間達に祀りあげられる。全部あいつのせいだろ」
「違う。選んだのはボクだ」
平行線だ。この話はテセ自身ともした。彼が責を負う話ではないのだ。それなのに、今のシンクに聞く耳はない。冷たく重い呪いが彼を水底へ引く。
「それに、それだけじゃない。あいつはアンタを連れていける───ボクから、アンタを奪える」
「なに、言って……」
「奪わせないよ。離さない。アンタはここにいればいいんだ。どこにも行かせない」
───それでも行くって言うなら。
囁きが耳から意識を侵す。腰に回った腕が体をなぞり、服の下へ潜り込む。ぞわりと感覚が這って身を捩った。
触れ合いの時間に与えられるモノ。それでボクを縛ろうとする。この形容しがたい甘い痺れに抵抗する意思など育てられていない。受け入れ、委ね、溺れるようにしか教えられていない。
腰に疼く甘い感覚に手足の力が弱まる。抵抗しなければいけないのに、体が、期待に震えて。
……不意に、それと目が合った。
足元に転がる、まだ動く蛆。
その眼球を認識して。
眼球がボクを見ているのを把握して。
ああ、と吐息が漏れる。───邪魔だな。
「!」
ボクの目の前で「それ」が弾けた。
耳元で息を飲む音が聞こえて、ボクはその虚を突いて動いた。掴まれている右腕を引いて背後へ肘を突き出す。同時に身を捻って作った彼の左腕との隙間に、自身の左腕をぶつけて拘束を解かせる。肘が彼の鳩尾を捉え、身を捻った際の運動を利用して体を反転させると後ろへ跳んだ。
背後にいた彼に向き合う形で、距離をとって着地する。
「………………」
ボクと彼の間に肉片がばらまかれる。つい数秒前までボクと目が合った肉塊だ。ボクが感情のままに頭を弾いて、彼が驚く一瞬をくれた、単なるゴミ。感謝はない。ボクの意識は、対峙するシンクだけに向いているのだから。
彼はふらりと体を揺らしてからボクを見る。仮面の下の顔は見えない。今の複雑な彼の感情は、表情もなしに読むことは難しい。
(だから、知らない)
知らない。彼がボクに向ける感情なんて、今だけは度外視だ。彼がボクの意志をねじ曲げるなら、ボクだって彼の意志をねじ伏せよう。だってそれは、プレストがしようとしたことと同じだから。
「……どういうつもり?」
声に変化はない。怒りも失望も、何もない。ただ静かに問う。暗い瞳が覗くようだった。それは、君らしくない。
「ボクを従わせたかったら力でねじ伏せろってコト───まぁ、今の君に負ける可能性なんて万に一つもないけど」
「……へぇ」
ボクの安い挑発にシンクは口の端を上げる。
ようやく覗く感情。苛立ちと、彼の無駄に高いプライドが振れる。それだ、と思う。それが君で、君の手離しちゃいけない強みだ。静かで、まるで何かを諦めたみたいな窒息は、君に似合わない。
「目、覚まさせてあげる」
「アンタこそ、寝言は寝てから言え」
互いに言葉を交換して、体勢を変える。攻撃に移れるように重心をずらしながら、同時に相手からの攻撃があった際に応じられるように歩幅を調整する。
数を数える。相手が攻めることを待っていれば、互いに膠着するしかない。彼はそれでもいいかもしれないがボクは困る。この馬鹿の頭を叩いて、さっさとテセを助けに行かなくてはならないのだから。
(三、二……)
ゼロ、の前に地を蹴る。音素を拳に呼びながらシンクへ迫る。肉弾戦を挑むことは当然予想していたようで、彼は片足を僅かに下げて待ち構える。力を流すつもりだ。
(させない!)
自身の足元で第三音素を爆発させる。圧縮した空気の爆発で体の軸が僅かに逸れる。軌道がぶれた拳は、半身を下げたシンクの「正面」を捉えた。
「チッ!」
「まだ!」
受け流せない角度で迫るボクの拳を、急遽防御で受ける。その瞬間にボクは第七音素を振動、させない。ほんの一瞬、彼が驚いた気配がした。
以前こうして肉弾戦をした際、ボクは第七音素を振動させて「音を体に反響させる」酷い荒業を使った。でも今回はそちらへリソースを割いていない。先入観で対応が遅れるシンクでは防げない。
「爆ぜろッ!!」
踏み込んだ左足の先で、爆発的に第五音素が膨らんだ。赤い閃光と灼熱が皮膚を舐めて、
「アブソリュート!!」
無詠唱ノーモーションでシンクが第四音素を踊らせた。あっという間に氷塊が地面から沸き上がる。爆発の直前にあった第五音素は呑まれ、氷の刃がボクの体を裂こうと迫る。
「っ……!」
舌を打って抜き足で後ろへ回避する。予備動作が足りず飛距離は生めない。代わりに膝を使って高さを作り、追い縋る氷山を交わす。宙で身を翻すボクに、追い討ちが掛かる。
「空破爆炎弾!」
第五音素を纏った拳が中空で迫る。当然回避の手段はない。だが、回避の必要がなければ何も問題ない。ボクは笑って、囁く。
「第六音素───」
「!」
呼び掛けに応えて、宙に二十の光の槍が集束する。それはボクとシンクを囲み、降り注ぐ。シンクの拳は僅かにボクに届かず、対して光の槍は多方面からシンクの体を捉えた。少年の体を地へ落とす。
ほんの僅か、第六音素の槍を認識した瞬間に拳が鈍ったのだ。それに合わせて身を引けば、かわすことは可能だった。勿論、成功率五十%の賭けで冷や汗ものだったが。
着地し、体勢を立て直す。見れば、シンクも素早く体勢を立て直していた。ダメージはあるようだが、威力よりも数をとったのもあってそこまでではない。
「この程度?」
「まだ一撃も与えてないのにイキがらないでくれる?」
「たった一撃でいい気になるなよ」
互いに挑発を繰り返す。その間に呼吸とコンディションを整える。共有される空気に、攻撃のタイミングを読む。相手の攻撃を、こちらの攻撃を、目まぐるしく選んでは捨てる。
(───今ッ!)
地を蹴る。シンクへ迫る。拳は握らない。振りかぶって、しかし開かれている手のひらにシンクが警戒を見せる。重心が後ろにずれて、見えないボクの策略の射程から逃れる。
(チッ!)
心の中で舌打ちをして切り替える。集めていた音素を第四から第一へ変え、空いた射程へ思い切り手を振り下ろした。
瞬間、まるで初めからそこにあったみたいに闇のヴェールが現れる。ほんの一瞬の目眩まし。でも空けられてしまった間合いを埋める、最善手だ。
「はん───」
鼻で笑ってシンクが横へ跳ぶ。ヴェールの脇から姿を覗かせる。そのまま一瞬でボクの位置と体勢を確認すると、最も効果的な角度でタックルをかましてくる。
「げっ!」
シンクの攻撃は一撃一撃が異常に重い。それは経験済みだ。受けるわけにはいかない。瞬間的に第四音素を集めて自分の体を覆った。衝撃を吸収させる。だがダメージを流せても勢いまでは殺せない。足が地を離れて後方へ飛ばされる。
(追撃がある!)
直感であり推測だった。ボクならそうするし、シンクならそうするというだけの予測。第三音素を乱雑に、しかし大量に正面へぶつけた。攻撃としての威力はほぼないが、人間の体を押し留めるには十分な烈風だ。
それで追撃を牽制し、身を返して着地する。風が晴れれば、シンクは無事で、離れた場所に立ってボクを見下ろしていた。ボクは低い姿勢からそれを睨み上げる。
(一進一退。互いに呼吸を知ってるから踏み込めない)
正しくは踏み込ませない。ボクにとっての好機はシンクに潰されるし、シンクにとっての好機はボクが潰せる。互いに大技を一度も出せていないのが証拠だ。
殆ど隙の少ない技しかお互いに使えないのは、互いがスピード型だからだ。僅かな間が致命傷に成り得る。
(音素を直接使って攻撃する限りダメージは稼げない。でもシンク相手に譜術を使うのは命知らず過ぎる)
それは向こうも同じだろう。ボク相手に格闘技以外は無理だ。無詠唱ノーモーションのアブソリュート以外の譜術はまず使用不可だ。そんな余裕は与えない。そしてボクが膠着を感じているということは、シンクも同様に感じていると予想できる。
さて、その状況に彼が何を選ぶか。
「……シンク」
ボクの呼び掛けに彼が警戒をしたまま様子を見る。僅かに歩幅が横へ開く。それに笑んで、告げる。
「君の間違いを一つ正すよ。ボクは、それは選ばない」
「───!」
驚きの気配を、しかしボクは認識する前に動く。必要なのは第六音素と第三音素。シンクの後方で爆裂させ、その体を浮かす。
一見第五音素で良さそうだが、まるで違う。純粋な熱よりも光から生んだ爆発の方がエネルギー量が高いのだ。代わりに発生しない爆風は第三音素で作らなければならないが、それも利点に成り得る。より強いエネルギーの煽りを受けた体を、人為的に生んだ爆風で操って飛ばせる。望みの位置へ誘導できる。
「チェックメイト」
囁いて、しかしボクは何もしない。する必要なんてない。こう言えば、彼が追撃を警戒して無茶な力の使い方をするのは目に見えていたから。瞬間、炎が巻き上がる。
フレアトーネード、本来ならFOFがなければ彼には使えない譜術であり、無詠唱で出せるものではない。それを無理矢理、見えない追撃に備える最大の防御として使ってしまう。
「───残念」
それは、確かにボクが追撃をしていれば有効だっただろう。追撃で空中にいればボクに回避の手段はなく、確実に大ダメージをもらっていた。でもボクは追撃に転じていない。何もせず待っていた。
そうなれば、次にあるのは硬直だ。高負荷の譜術を使用した反動である硬直が、シンクの身を襲う。
「な───」
中空で術後の硬直を受けながら、シンクがボクを見て驚きの声を漏らす。余裕の佇まいで待ち受けるボクに、一気に緊張がはしる。そうして降ってくる彼に、ボクは両手を向けて。
そのまま抱き留めた。
と、言えたら良かったのだけど。実際には勢いを支えきれず見事に転倒した。空から降ってきたシンクに押し倒された形だ。これには親方もびっくりだよ。
「あいたぁ!?」
ごん、と鈍い音と痛みがあって頭を床にぶつける。角にぶつけなかっただけマシだが、かなり痛い。脳細胞が結構もっていかれた気がする。慌てたように、術後硬直から解放されたシンクが身を起こす。
「馬鹿!! 何考えて───」
「あ待って待って頭打ってそれどころじゃないから!」
「なっ……!?」
ボクの制止に彼が目を白黒させている予感がする。残念ながら今は仮面の向こうなのでその顔を眺めることは出来ない。
だから手を伸ばして、えいと仮面を剥いでやった。すぐに見慣れた千歳緑の瞳が現れて、年相応の驚いた顔で息を漏らすシンクが少し珍しい。それにへにゃりと頬を緩ませてしまえば、彼は決まり悪そうに目を逸らした。
「……なに笑ってる」
「やっと顔が見れたから」
ボクの本心に、彼は何と言っていいのか分からないように視線を惑わせる。居心地が悪そうで、ほんのり耳が赤くなって見えるのがいい。
その顔へボクは手を伸ばす。頬に触れて、こちらを見て欲しい意思を伝える。シンクは複雑そうにしながらもボクへ視線を戻す。ボクの好きな眼と、合う。
「勝負はボクの勝ち。最後の場面でボクは君に攻撃が出来た。音素操作でも、譜術でも、意識集合体でも」
分かるね、と念を押せば彼は不本意そうに了承の溜め息を吐いた。よかった。そこで無駄にごねる程、我を失ってはいないらしい。というか、仕合ったことで鬱憤が晴れたように纏う空気が違って見える。これは怪我の功名、今だ。
「シンクさん、シンクさん」
「なに───」
こちらを見た彼の胸ぐらを掴んで、逆にボクは首を持ち上げて、互いの額を思い切りぶつける。所謂頭突きだ。押し倒されている体勢からではあまり決まらないけど、まぁいい。
「~~~!! この、石頭……!」
「うっさい! こっちだってしっかり痛いわ!」
寧ろさっき後頭部を床で打ってもいるので前と後ろでダブルパンチだ。馬鹿になったらどうしてくれる。……自分から頭突きをしたので既に馬鹿になってる気もするけど、まぁ。
「目、覚めた?」
声を落ち着けて問えば、ボクを見下ろす緑の瞳が揺れる。戸惑いと、不安と、何かの苦しさ。あの暗い感情もきっと彼の中にあるもので、ただ似合わないと思った。今みたいに、感情の波で彩られる君の眼の方がいい。
「……まだ、分からないよ」
「頭突きおかわり?」
「言ってない」
「あはは」
拗ねて見える顔に笑う。分からない……分からないか。どう言葉にすれば、何を伝えようとすれば、彼は歩いてくれるだろうか。
(そんなこと、分かる筈ない)
だから必要なのはボクの言葉だ。ボクが何を伝えたいか。ボクが君に、分かって欲しいこと。
「シンク。ボクは君が好きだよ」
息が飲まれて。千歳緑の瞳が大きくなる。
そんな言葉がいきなりボクの口から飛び出してくるなんて、思ってもいなかったのだろう。ボクだって知らない。ただ、伝えたい想いはずっと変わらずここにあるから。
「でも、ね。それは君が向けてくれるモノとは違うんだ。分からないけど、絶対的に違う。ボクにとっての『特別』は、君が望んでくれる『特別』とは重ならない」
「………………」
瞳が揺れる。感情の波。ボクを見て、ボクの言葉を聞いて、彼の中の何かが揺れ動く様。そこにはきっと痛みも、寂しさのようなものもあって、ボクは今君に酷いことを言っているのだろう。「酷くない」なんて……優しい嘘だ。
「正直に、言うね。君も、テセも。ボクにとっては『特別』なんだ。世界中の何を敵に回したって奪わせたくない。それが運命とか必要なことだとか言われても認められない。君達の存在を何かのために食い潰すような世界なら要らない。君達のどっちが欠けても───ボクは、凄い、痛い」
胸にあの時の痛みが去来する。第七譜石を詠んでテセが消えてしまった時の痛み。シンクがエルドラントで命を削る戦い方を選んだ時。その痛みはいつだって思い出せる。痛みは───生きている証だ。
それはとても、ボクの心臓を鷲掴みにする痛みだった。ボクの生きなければならない理由が、ボクの命を締め付ける。痛みがボクに生きる意味を問う。死にたくないという想いを知ったから生きたいのだと、ルークは言っていた。ボクが生きる意味は、ただ……生きる痛みを、知ったからだ。
シンクは何も言わない。様々な感情が現れては消える綺麗な瞳が、ボクの意識を吸い寄せる。そこに混じる痛みに、苦しみに、何かが出来たらどれ程良かっただろう。でも何も出来ないのだ。ボクに「それ」は分からない。分かるフリは、許されない。
「ごめん」
謝る。何も出来ないことを。そうして優しい嘘を吐けず、互いに傷付いて。そんな身勝手な変化を強いることを謝罪する。
そんなことをしたって何も変わらない。ボクが酷いのは確かだ。ボクには天地がひっくり返ったって「たった一人の特別」なんてものは作れない。
ボクの全部は、ボクのモノだ。彼らを「欲しい」と、自分のモノだなんて思うことも出来ない。ボクがしたことはただ、テセに自分の想いで生きて欲しいと祈ったことで、シンクに自分の望みに従って生きて欲しいと願ったことなのだ。何も、くれなくていい。
「……酷い奴だ」
ぽつり、とシンクが溢す。
「言い訳を手離して、側にいて欲しいなんて言っておきながら、全部は求めてはくれない」
彼の言葉が胸に刺さる。心臓を掴まれたような痛みがあって、それが自分の痛みなのか、目の前の彼の痛みなのか分からない。分からない。いつだって、ボクと他者の感情の境は曖昧だ。
「───ボクが触れる時、どうだったの?」
問われる。唐突なそれに、ボクは思考が吹き飛んだ。急激に顔が熱くなるのが分かる。
「待っ……えっ、今、あの、そういう話だった?」
「いいから答えろ」
「……えぇ……」
真上からかけられる圧力に小さくなる。恥ずかしい。それを口にすると思うと羞恥で消えてしまいたい。そんな感情の波の中で、しかし彼が答えを求めるから、必死で言葉を絞り出した。
「き……」
「き?」
「…………気持ち、良かったです……」
ああもう、なんてことを言わせるのか。死にたい。今すぐ消えたい。でも現実にはそんなことは起きない。ボクは顔を赤くして、変わらずシンクに下敷きにされているしかない。せめてこんな体勢でなければ、顔を見られないよう背けるくらいできたのに。
そんな風に心の中で暴れる。そのボクの頬に息が触れる。思わず緊張して動きを止めた。その瞬きの間に、呼吸が奪われる。
「───、」
それは初めてだった。触れ合いの時間をもってから、彼は一度もその行為を選ばなかった。驚いて逃げようとするボクをシンクは逃がさない。文字通りに呼吸を奪うように口付けられる。触れるだけ、ではない。
「……は、」
解放される。何をするのかと文句を言ってやりたいのに、まるで呼吸が整わなくて何も言えない。その様子を彼は満足そうに見下ろすと言った。
「───今のは、アンタが悪い」
ああ、もう。全く意味が分からない。