亡霊と希望


「おかえり」

 バチカルから戻ったボクを、歪んだ笑みが迎えた。それは視察のためにダアトを離れる朝に見た顔と同じで、ボクは相手をしない。笑みは消えない。

「無事に戻れて良かったね。お前には彼女を守れないって言ったのに、お前は守って見せた。やれば出来るじゃないか」

 相手をしない。それでも耳から入る情報を完全に遮断することは難しい。悪意のある言葉が思考に絡み付く。無事に? 守れた? ───ふざけるな。

「でも大変だね。『神託の御子』を望む声はなくならない。その度に彼女はこうして危険な目に遭う。彼女が安心して過ごせる場所なんて、この世界にあるのかな?」

 声が絡み付く。うねり、這い、寄る。それは暗い水底で呼吸を鈍くするボクの意識に、鉛のように重さを与える。思考を侵食する。

「一つ、良いことを教えてあげるよ。このダアトに巣食う、お前の大事なアリアを汚す蛆虫の話」

 足を止める。アリア。そうだ。ボクの手が彼女を汚すとしても、もう見ているだけは出来ない。奪われるくらいなら、狭い世界に閉じ込める。

 だから。そのためなら、ボクは。









*****










 ボクのところにその報告が上がったのは、バチカルからダアトへ戻ってひと月以上が経つ頃だった。色々あって落ち着かなかった感情も、ようやく新しいバランスを取り始めた頃だ。

 ダアトは宗教国家の総本山であり、キムラスカ王国からもマルクト帝国からも人が来る中立の立場だ。有り体に言えば法に対する聖域で、家柄なんて何の意味も持たない。当然他の二国と違い貴族制なんてとっていないが、それでも力のある家とそうでもない家くらいの差は出てくる。主には教団への貢献度に左右されるのだが、それは余談だ。

 その、そこそこ名のある家の一つでおかしな死体が出てきたというのが、肝心の報告だった。報告書を読み直し、問題の箇所を確認する。死因の欄に、それはある。

「頭を潰されて死亡、ね」

 被害者はその家の主と友人数人。大人数というわけでもないが、些細な出来事と片付けることは出来ない問題だった。

 いずれも女子供というわけではない、普通の成人男性だ。それが複数人、暴行を受けた後に頭部を砕かれて死んでいる。当然、殺すのに頭を潰さなければならない理由なんてない。怨みだとすれば余程の感情だし、そうでないならただただ殺意が高過ぎる。顔見知りによる、トラブルからの殺人だろうか。

「屋敷の主と友人数人はお酒を楽しんでたところを、何者かにリンチされた。人数もあるし、複数人での犯行かな……」

 とすれば、被害者の関係者で幾らか犯人候補をピックアップし、不自然な集まりや怪しい人間との接触を疑えば、追うのは難しくないだろう。今の世の中、人を殺す道具なんて幾らでもある。台所の包丁だってその一つだ。

 それなのにあくまで拳を使っている様子なのは、やはり私怨と考えるのが自然だ。必要以上にいたぶっているらしいし、プロの殺し屋とも考えづらい。

 さて面倒臭いなー、事件だなーと、その時はただそう思っていた。事態が変わったのは更に一週間が経った頃だ。呑気に捉えることは許されなくなる。

 死体が増えてしまったのだった。

「まーじか……」

 場所はテセの執務室で、集まっているのはテセ、アニス、シンク、それからボクだ。詠師会を除いた場合にはこの教団の脳味噌と呼べる面子。ボクが比較的話しやすい面子でもある。仮にもそのトップである少年は、手元にある報告書を厳しい顔で睨んでいる。

「こちらは一般市民ですね。被害者は一人で、家庭を持つ専業主婦……当日特別なことはなく自宅で死亡」

「こっちは未成年の若者ですよぅ。素行が悪いなんて話もなくて、友人関係も家族関係も円満だったみたいです」

 テセとアニスが読み上げた通りだった。この一週間で増えた報告書は二種類だ。どちらも暴行の後に頭部を砕かれて死んだ死体で、以前の件との関連が疑える。疑えるのだが、突っ込みどころが多すぎる。

「立派な家柄と一般家庭の専業主婦、善良な若者。コレをどーやって繋げと……?」

 被害者にあまりに共通点がない。人数もバラバラ、人脈に重なるところもない。行動範囲も全然だし、周囲の人間関係に特別大きなトラブルも認められない。行き過ぎた暴行と頭部破損による死因と、死亡した時間帯が夜更けと思われる点だけが共通していた。

「殺し方を見れば、普通に考えたら顔見知りによる私怨ってところだけど。被害者が繋がらないんじゃ成り立たないな」

「それ~!」

 退屈そうに欠伸をするシンクの言葉に同意を返す。捜査方針の前提が覆ってしまったのだ。かといって代わりになる方針が見付かるわけでもない。頭の痛い事態だ。テセも困った顔をしている。

「犯人に強い殺意があるにも関わらず、目的や動機が掴めませんね。この三件で事件が片付くとも思えません」

「早くなんとかしなきゃ、市民の間で噂と不安が広がるのも時間の問題ですよ~!」

 二人の指摘の通りだ。今はまだ情報規制が効いているし、第四の事件も報告がない。今はまだ、の内に手を打ちたいところだ。なのに困ったことに被害者側が線で結べない。

「シリアルキラー且つ殺し方に性癖が出るタイプの愉快犯かな……」

「思考停止するのは構わないけど、目的はどう考える気? この殺し方じゃ殺しを楽しんでるとも思えないけど」

「うーん。金品も無事で、目的が殺しなのは間違いないんだよね。でも愉快犯にしては殺意が強すぎる……」

 相棒の指摘にボクはうんうん唸るしか出来ない。ダメだ閃かない。情報が不足している。アニスが可能性を口にした。

「最初の事件を見る限り複数人犯の可能性もありますし、被害者同士が繋げられないのはそーいうことかもしれませんね」

「そうですね……殺害の目的は一致していても、動機は異なるのかもしれません」

「でもそういう怪しい集まり、最初の件で結構浚ったけど出て来なかったんだよ。被害者に後ろ暗いところもなくて、もーお手上げ」

 降参、と手を上げるボクにテセが息を吐く。ボクみたいに頭が痛いというだけでなく、彼からすれば市民の不安や安全というものが心配というのもあるのだろう。

 憂い顔を見ていれば、代わりにシンクが口を開いた。

「とりあえず見回りを増やすしかないね。配置する守護士の増員と巡回ルートの見直しをしてくるよ」

「んー、ありがと。地区も絞れないし結構要るかも」

「時間帯が夜って分かってるだけ有難いね」

 皮肉を言って千歳緑の鶏冠髪が部屋を出ていく。その背を見送ってからボクはテセに向き直った。

「調査は引き続きとして……こっちは上がってくる報告書から人間関係の洗い直しと、死亡日から二週間前後の行動記録を当たりまーす」

「お願いします」

「テセレマ様、アリア。ウチはどーします?」

 アニスに問われて考える。

 アニスは導師守護役の立場にあり、元々所属していた他の守護役を隊として取りまとめている。彼女達は導師が遠出をする際や、式典などに参加する際に適度に導師を護衛する立場だ。しかし普段はどうしても遊ばせておく形になっていたので、教会内の警備や簡単な清掃等をしてもらっている。後は日中の市内の警らだ。

「遅くまで市民が出歩かないよう、それとなく勧告してもらうとか」

「そうですね。負担のない範囲でお願いします」

「はーい!」

 アニスの明るい返事を聞いて、その日は解散した。事態の解決が望めなくとも出来ることをしなければならない。面倒だが市民の安全を預かる身として、ある程度の責務を果たす心積もりくらいはある。

 それから二週間で、同様の事件は三件増えてしまった。

 

 

 

*****

 

 

 

 あまりにも調査に進展がないにも関わらず、殺人そのものは進展を見せてくれるので弱る。市民への情報規制も崩壊し始めていて、頭を潰された死体の話はゆっくりと街へ不安を広げていた。

 夜、執務を終えて私室でベッドへ寝転ぶ。

「どーしたもんかなぁ……」

「ここで考えてもどうにもならないでしょ。ただでさえ小さい脳が萎縮しそうだからやめたら?」

「暴言はさておきなんで君は当たり前みたいにボクの部屋にいるのかな」

「今更だろ」

 返事を寄越すのは可愛いげのない相棒だ。備え付けのソファに腰を下ろして悠々自適に過ごしている。彼はバチカルから戻って以来、ボクの執務室や私室を訪れる回数が増えていた。

 それが休憩時間などに重なると、大体が触れ合いの時間となる。夜も例外ではない。そういう意味で言えば、今彼がボクの私室にいることを突っ込んでも今更ではある。今更だからと言って突っ込みをやめる気はないが。

「自分の部屋あるでしょー」

「アンタがここにいるのが悪い」

「うーん、この」

 何とも言えない。要するにボクがいるところにいる、という話なのだ。ボクがシンクの私室へ移動すればそちらへ彼も移る話で、この部屋である必要はない。ただボクが彼の私室へ行く理由が特になく、当たり前に自分の部屋にいるだけだ。いっそ閉め出して籠城してやろうか、とも思う。

「今馬鹿なこと考えなかった?」

「いえ全然」

「ふーん?」

 何をどう敏く読み取ったのか問われる。適当に誤魔化せば怪しむ声を出して、シンクはソファを立った。瞬間、ボクに警戒がはしる。はしるが、出来ることは特にない。敵意なくベッドに近付いてくる彼に、何が出来るというのか。

「いい加減慣れたら?」

「……無理です」

「あっそ。ボクは面白いからいいけど」

 ベッドへ乗り上げ、指先がボクの首筋をゆっくりと撫でる。それにびくりと体を震わせて、しかし抵抗はしない。そういう約束だからだ。恥ずかしいので顔は逸らすけど。

「首、見せびらかさないでくれる? 噛み付きたくなるだろ」

「見せびらかしてないです」

「よく言うよ」

 彼は嗤って身を屈める。息が耳元に触れてくすぐったい。どう反応していいか分からなくて堪えていれば、首筋にゆるく甘噛みをされる。

「っ……」

 ぞわり、と言葉にならない感覚がある。何かが疼いて落ち着かない。シンクの手が体に触れて、その熱が広がった。表現の難しい甘い痺れ。いつもの感覚だ。

「アンタ、段々反応が良くなってるんじゃないの?」

「知らないです……」

「じゃあボクだけが知ってるわけだ」

 顔を赤くすれば愉快そうに笑われる。

 全くなんて奴だとは思うが、だからといって振り払うことはない。こうして触られることが嫌いではないのだ。ただ相変わらず、そうする意味が分からないだけで。

 服の下へ手が潜り込んで、腹部に冷たさが去来する。

「ひゃあ!?」

「そんなに驚くことじゃないだろ」

「普段外気に触れてないとこって、触られるとなんか変なんだよ……」

 くすぐったさが上がるというか……刺激が少ない分、皮膚が薄いのだろうか。そんな風に考える余裕はすぐに無くなる。

「し、シンクさんちょっと待って」

「待つ意味ある?」

 ない。待ってと言ったところで状況は変わらない。ただこの時間がより長く続くだけだ。言い返せないボクにシンクは嗤って、ゆっくりと体勢を変えられる。ボクが逃げられないように。

(うぅ……今日も居たたまれない時間が始まる……)

 せめて、彼が傾けてくれる感情が少しでも分かるならよかったのに。自分に欠けている「それ」に恨み言を重ねながら、ボクは諦めて眼を閉じた。










*****










 そんな風に、良くも悪くも変わらない日々を過ごしていた。やがて新しい情報が舞い込む。情報源はアニスだった。

「最近、シンクとどうなの?」

「どどどどどうってなにがどう?」

「分かりやすすぎ~♡」

 ボクの反応にアニスは凄く嬉しそうに笑顔で体を揺らした。ちくしょう鉄壁のメンタルが欲しい。

 場所はボクの執務室で、アニスが訪ねてきた形だ。アニスへの指示系統はどちらかといえばテセだし、比較的珍しい。

「付き合ってるの!?」

「え? ううん」

「え!? じゃあどーいうこと!?」

「いやぁ……どーいうことなんだろうねー……」

 遠い眼をしてしまう。まぁ人に開けっ広げに話すことでもないと思っているので、事情は説明しない。代わりに彼女の用件を聞く。

「んで、何かあった?」

「え~! アニスちゃんの方がそれ聞きたいんだけどな~?」

「はいはい。仕事中だよ」

「ぶーぶー」

 苦情を流せば、彼女は表情を真面目なものに変えて「そのシンクの話なんだけど」と切り出した。

「最近、夜に出て行くことがあるみたいで。アリアは知ってるのかなって」

「夜に?」

 初耳だ。毎日夜に訪ねてくる訳でもないが、頻度が少ない訳でもない。彼が部屋を抜け出していたなら気付いている筈だ。

(いやでも……なんか適度な疲労感で自然と寝ちゃうんだよなぁ)

 癪だが心地よい眠りで、普段みたいに気配や物音でちゃんと起きれるかは多少怪しい。まぁ訪ねてきていない日のことかもしれないので何とも言えなかった。

「アリアも知らないんだ?」

「うん。例の件が片付かないから、積極的に調べてくれてるのかも」

 例の件というのは、当然「頭潰し」だ。犯人を絞り込むのは相変わらず難航していて、死体ばかり増えている。共通点は夜に必要以上にいたぶられて頭を砕かれて死んでいる、ということだけで、何も変わっていない。

「うーん、そっかぁ……」

「ま、気になるのは分かるよ。後で本人に聞いてみる」

「……う~ん」

 普通にコミュニケーションを返せば、アニスの反応が想定より余程歯切れ悪くて、違和感が残る。何かが引っ掛かっているようだ。待てば、彼女は少し困ったように告げる。

「本人に確認はちょーっと待って欲しいな~っていうか……」

「なんで?」

「なんででも!」

 強く要請を受けて、ボクの方でもこれはおかしいぞとなってくる。夜に出掛けていることについて、ボクが聞けばシンクは普通に答えてくれるだろう。どこに問題があるというのか。

 じっとアニスの顔を見る。

「と、とにかく! それだけ確認したかったの! じゃ私、仕事に戻るね!」

「アニス。誤魔化すならもうちょい自然に誤魔化して」

「うっ!」

 真面目に指摘すれば、アニスはびくりと肩を震わせた。ぎこちなくボクを見る。それから躊躇いながら何かを手渡してきた。受け取れば、開封済みの手紙だ。

「誰から?」

「大佐から」

「大佐から!?」

 思わず椅子から腰を上げてしまった。いやびっくりする。あの大佐がアニスに手紙……なんか嫌な予感がしてきた。

 アニスの表情を改めて見れば、困ったような複雑な感じだ。結構真面目な話題らしい。了承をとって中身を取り出せば、あまり長くない文章が目に入った。嘘臭い前置きが短くあって、本題へ移る。そこにあったのは、物騒な忠告だった。

「教会が襲撃される可能性……」

「うん。『神託の御子』過激派問題が激化するって大佐は考えてるみたい」

 当然、先日の出来事でボクは教会に引きこもることになる。外へ出るリスクが高過ぎるのだ。そしてそうなれば、過激派がどうするかは簡単だ。「神託の御子を出せ!」等と騒いで爆破事件くらいはこの教会に持ち込むかもしれない。もしくはカルマートみたいに面倒な手段を使ってくる可能性もある。

 何にせよ、警戒はすべきということだ。

「世間には放っといて欲しいんだけどなぁ」

 ぼやきながら視線を下ろす。手紙に記された続きの文章を確認する。そして眉を潜めた。そこには馴染んだ名前があったのだから。

「シンクの様子に注意して欲しいって……どういうこと?」

 手紙には教会の襲撃があるかもという警告と、シンクの様子に目を配るよう伝える内容があった。そこに因果関係は見出だせず、大佐の意図が読めない。問えば、アニスも困った顔で首を横に振った。

「アニスちゃんにも分かんないよ。でも、一応気を付けるようにはしてたんだ。あの大佐が言うことだし」

「分かる」

 こういう時の大佐への信頼感は半端ない。先見の明がある。他の人より余程考えることが多いのだろう。でも、それなら現状をどう受け止め、考えればいいのか。

「そうやって気にかけてたら、そのシンクが夜に出歩いてると……」

「そうなの。でも大佐の手紙には詳しいことなんにもないし、シンクが変な動きしてるからってどうすればいいのか分かんなくて」

「……これは困るねぇ」

「他人事みたいに言わないでよ~!」

 大佐に指示されていたのはアニスなわけで、実質他人事なのだけど飲み込む。シンクはボクの護衛役ということで、ボクが直属の上司みたいなところはあるし。他人事と言うには身近の出来事だ。

(こうなると、直接シンクに聞くのはやっぱり下策な気がするな……)

 この指示の意図は分からないが、この手紙が警告を目的としていることは流石に分かる。何かを大佐は警戒している。シンクに対して不安を持っていた。

 ボクやテセでなくアニスに手紙を寄越していたのも、きっとアニスならシンクの視界に入らないと分かっていたのだろう。つまり、大佐が持っている警戒は決して低いものではない。シンクに警戒していることを勘づかれない方が都合のいい、何か。

「ね、アリア。どーしよう?」

「オーケイ。つけよう」

「決断はや!?」

「だってどう考えてもつけた方が早い」

「そりゃそーだけど……」

 思考が追い付かない様子で眉を寄せられる。突飛な結論を出した覚えはない。変な動きをしている本人に真意を問えない以上、出掛けている理由をこの目で確かめるのが簡単だ。部下を使って探らせれば確実にシンクに気付かれるし、それでは大佐の真意からは遠退いてしまう。

「テセレマ様に相談するとか……」

「直接聞きそうじゃない?」

「エレティクス様に調べてもらうとか……」

「お師様、今ダアトにいないよ」

 出てくる案に否を唱えていればアニスは頭を抱えて唸った。

「うー! でもでも、ダアトとはいえ夜に出掛けるなんて! アリアに何かあったらどーするの?」

「ないない。あってもほら、アニスがいるし」

「でも……何かあったらテセレマ様が凄い心配するんだよ」

「……うん。大丈夫。それはよく分かってる」

 表情を暗くするアニスに、ボクはしっかりと頷き返した。テセやシンクがどれくらい真面目にボクを心配してくれるのかは、流石にそろそろ分かってきた。彼らが向けてくれる感情が理解できなくとも、いや寧ろ理解できないからこそ、軽んじることはしたくなかった。

「アリア……」

「大丈夫だって。何かあったら意識集合体喚ぶから」

「それはやりすぎだけど……分かった。一人で行くって言わないだけ、アリアも成長してるもんね」

「アニス。ボク今年で十八になるって知ってる?」

「中身はまだ四歳だから、アニスちゃんの方が年上だもんね☆」

「それ言い出したらテセ達もアウトだよ……」

 旅をした仲間の中で、ダアトに残っている面子の最年長がアニスになってしまう。ボクの立場がない。まぁとにかく、と話を戻すことにした。脱線させたのもボクだけど。

「次にシンクが夜に動いたら、二人で追いかけよう。かなり気配に敏感だから、ちょっとズルしつつ」

「ズル?」

「第一、第三、第四音素をいい感じに使うと足音と気配をかなり消せるんだ。今のところシンクに気付かれたことはないよ」

「足音と気配を消して何してるのかチョー気になるんですけど……」

 それはまぁ、職務時間中に食堂のおやつコーナーからおやつをかっぱらって来る時に使っているのだが、語るに落ちてしまうので秘密にしておいた。今後もおやつを食べたい。

 そんな邪な裏事情を抱えつつ、アニスと約束を交わした。










*****










 それから程なくして、シンクが夜に教会を離れるところを確認した。アニスと合流し、見失わないギリギリの距離で後を追う。やはり速い。

(結構移動するなぁ)

 シンクの向かう先は教会から離れているようだ。どこまで行くのだろうと思っていると、不意に姿が闇に紛れる。どうやらこの辺りの建物に入ったらしい。ボク達も慎重に足を止める。

(と言っても、住宅街?)

 時間はそれなりに遅く、明かりのついている家もまばらだ。当然人の行き来もなく、静かだ。この辺りは裕福でも貧困でもない層が住んでいる地区で、シンクの仕事との接点は見出だせない。

 アニスと顔を合わせて、互いに心当たりのない顔をする。やはり例の件で何か調べているのだろうか。

(でもこの辺ってまだ被害が出てない地区だよね。何か関連が見付かったのかな……)

 消えた姿を探そうと視線をやっていれば、何かを鼻が捉えた。視界に変化はない。特別目立つ音も聞こえない。でも微かに拾った匂いは、錆びている。嫌な、予感がした。

 根拠のない予感。濡れ衣だったなら大変申し訳ない話だ。でも、ボクはその予感に従って足を進めた。アニスが不思議そうな顔をして、しかし喋るわけにもいかずついてくる。

 微かな錆びの匂いは遠くもない。アニスの様子を見る限り、実際には殆ど匂っていないのだろう。ボクの感覚は既に意識集合体寄りに変化しているから、もしかしたら今拾っているのは匂いではないのかもしれなかった。

(……ココだ)

 足を止めたのは住宅街の一画にある公民館だ。明かりは最初から消えていて、誰かが利用していた様子はない。

 アニスにその建物を指して見せて、入る意思を示す。彼女は何か言いたげだったが、状況がおかしいことを理解しているらしく、頷いた。ゆっくりと、音を立てないようにして二人で中へ忍び込んだ。

(ダアトの中では比較的新しい建物っぽいな)

 中は広く、綺麗にされている。当然明かりはなく、月明かりも外に比べれば弱い。暗い静けさの中を予感に従って進む。五感か、第六感か。

 やがて一つの扉の前で足を止めた。幾つかある講堂の一つだ。相変わらず静寂ばかりで、何の変哲もない。シンクが立ち入った様子もない。ボクはアニスを見る。

「………………」

「………………」

 無言で頷き合って、中の確認を合意とする。ボクは片足を上げ、思い切り扉を蹴り開けた。中にシンクがいるなら僅かだって扉が動けば風の流れで気付かれる。なら、忍ぶ意味なんてない。寧ろ現れたのがボクらであると気付いてもらった方が色々とリスクを回避できる。

 そう思ったボクの思考を、派手な悲鳴がつんざいた。

「ぁああああ───!!」

 先程までの静寂はどこへやら、ご近所迷惑もなかなかだ。聴覚は悲鳴を拾ったが、嗅覚は今度こそ確かに錆びの匂いを捉えた。決して少なくない量の、血液の匂いだ。そして視覚は、暗い講堂の中を映す。

 どうやら明かり取りがあるようで、中心地は月光を取り入れほんのり明るかった。その明かりの下に、見知った姿を見付ける。千歳緑の髪を鶏冠にした少年。彼は開いた扉を振り返って、仮面がこちらを向く。彼の口から出てきたのは冷静な声だった。

「……つけてきたのか」

「うん。ごめんね」

 気軽に謝れば、シンクは呆れたように息を吐いた。その様子はいつも通りに見える。部屋の中に漂う血の匂いも、耳に届く複数の悲鳴と呻き声も、月光に照らされる範囲だけでも視認出来る、血液と肉の有り様も、気付かなかったことにすれば。

「それで、それは何してるの?」

「見て分からない?」

 問い返されて、改めて見る。彼の足元には動いている人間が三人くらいいて、人間としては頭部を失った残骸が一つあって、最後に一際うるさく悲鳴を上げていた人間が彼の手で宙に浮いている。喉を掴まれて掲げられているせいで発声が出来ないでいるらしい。

 よく見れば片目が抉り取られていて潰れている。どうやら眼を抉られた痛みで悲鳴を上げたらしい。うん、と一つ頷く。とてもではないが被害者を助けに来た様子には見えない。寧ろ襲撃犯だ。答えた。

「人を殺してる」

「惜しいね。蛆虫を潰してるだけだよ」

 ボクの回答を訂正して、彼は口元を笑みの形に歪める。手で吊り上げていた人間を無造作に地面に落とし、片足を上げる。躊躇いなく、その頭部を踏み砕いた。






 返り血って、結構不衛生だと思う。
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