短編:庭園の造花後


 暗い、石造りの階段を降りていく。

 響くのは冷たい自分の靴音だけで、他には僅かな風の音だってしない。生き物の気配のしない場所。まるで切り取られた空間のように、時の止まった景色の中で、それは淡く輝いていた。

 陽の差し込まない地下に鎮座するそれは、人の身長を優に越える巨大な鉱石だった。色のない透明な結晶。周囲をキラキラと光が舞っていて、数多の音素が寄り添っている。

 その中で、一人の少年が眠りについていた。

 まるで死んでしまっているみたいに少年は動かず、目蓋の動きも呼吸の様子もない。高純度の音素結晶をまるで棺のようにして、ただ眠り続ける。その様を静謐とするか、醜く繋ぎ止める人の欲と嗤うかは人それぞれだ。

 私はそれに近付き手で触れる。冷たさを予感させるその鉱石は、しかし何の温度も伝えてはくれなかった。ただ固い感触があるだけだ。それに現実感のなさを増しながら、目の前の光景を正しく認識する。

(見つけた)

 自分の中にある説明のつかない力。それが流れる、その先へようやく至れた。私を殺すと決めた貴方。自分の生を諦めた貴方。私が、死ぬことを許さなかった貴方。

 懐からナイフを取り出して、自身の指先を傷付ける。流れ出る赤い血液に体の中の音素を流し込む。否、きっとこれは音素ではないのだろう。この世界のルールの上にない異物だ。それが血液を躍らせ、図形を宙に描いていく。譜陣のようなそれはやがて完成され、赤く輝く。

 その輝きに呼応して、中空に小さな女の子の姿が現れた。まだ十にも満たない風貌の少女は、白く長い髪と同色のドレスを揺らす。ゆっくりと持ち上げられた目蓋の下から現れたのは、赤い、赤い宝石のような瞳。それへ私は祈りを込めて、名を口にする。

「アイオン」

 自分達の他に何も存在しない地下空間で、私の声が響いた。アルビノの少女は私の祈りに、しかし首を横に振る。それは許さないと告げていた。それは重大なルール違反なのだと。

(でも、私も譲れない)

 ずっと探していた。ずっと求めてきた。限られた時間の中で、彼は私を大切にしてくれた。死へ向かうその時に、その道行きへ私を選んでくれた。何の相談もしてくれなかったことに怒ってはいるけれど、それは確かに嬉しかったから。

「ごめんなさい。アイオン」

『ダメなのよ。いくら私の愛しいアリアでも認められないかしら───壊れたピースを戻すなんて』

 彼女の険しい表情に嫌悪が混じる。それは間違いなく、音素結晶に包まれた彼へ向けられたものだ。

 神にも等しい彼女にとって、人間は物語を先に進めるための部品でしかない。全て代替が利いて、壊れても当たり前のもの。その中できっと私達「アリア」だけが彼女の中で意味を持つ。

『この愚物はとんでもない罪を犯したのよ。私のアリアを道連れに死のうだなんて、なんて意地汚い妄執かしら。許すことは出来ないのよ』

「でも、まだ生きてるわ」

『これはアリアと共有した命が私の力を受けて停滞しているだけかしら。本人の寿命はとっくに尽きているのよ』

「些細な違いだわ」

 神の言葉に等しい異を短く切り捨てる。彼の命が仮初めでも、まだ死んではいない。それは私にとっての事実だ。アイオンは物分かりの悪い私に、困ったように眉を下げる。

『……その人間はアリアに呪いをかけたのよ。尽きようとする自分の命をアリアに共有させる、醜い呪いを』

「うん」

『私がアリアの時間を止めなかったら、一緒に死んでいたかしら』

「うん。そのお陰で、止まった私の命の時間が、共有されてる彼にも影響したのよね」

 彼を繋ぎ止めてくれてありがとう、と口にすればアイオンは苛立たしげに眉を吊り上げた。でもその顔にあるのは哀しみにしか見えない。聞き分け悪くルール違反をしようとする私に、彼女は哀しんでくれる。

『今のアリアは、もう自分の命の時間を取り戻したかしら。その人間の時間が止まっているのはただの、私の力の残り滓に過ぎないのよ。眠りから目覚めれば……』

「アイオン」

 静かに名を呼んで諌める。

 そんなことは分かっている。彼と命を共有する呪いはもう解かれている。私は自由で、対して彼は眠りから覚めて時を進めれば、ただ死ぬだけだ。彼自身の命の時間通りに。そして私は、死なせないためにここへ来た。ローレライの見た夢を、覆すために。

「貴女の力を借りるわ」

『貸さないって、言っているかしら』

「あの子と違って私は正式な契約者よ。貴女の蓄えへ手を伸ばすのに、貴女の許可は要らないわ」

『………………』

 苛立ちと哀しみを向ける瞳と向き合う。私の意思は揺らがない。ただ出来れば彼女との間に納得があればいいと思って言い募っているだけだ。彼女は尚も食い下がる。

『重大なルール違反なのよ。ただの壊れた部品に私の力を使うなんて。この力は世界を巻き戻すために蓄えているものかしら。それがルゥノとの契約よ。私はこの世界に生きるものや流れに直接手を加えない』

「うん。分かってる」

『ただでさえ、今回はアリアを二人も助けるために力を使いすぎたのよ。それなのに、またそんな大きな力を使うなんて考えがないにも程があるかしら』

「うん。それでも」

 譲らない。そのために私はいる。彼の運命を変えられないなら、私がこの世界に存在する意味などない。彼のいない世界はとても寂しい。眠る彼が独りでいることも、寂しい。私は、今度こそ隣にいたいから。

『……アリアには代償を支払えないかしら』

「嘘。支払わせたくないってことよね」

 本当に代償が支払えないならアイオンが食い下がる筈がない。人の身に余る大きな力を使う代償は、私でも払えるのだ。ただそれは、きっと私が思うより大きいのだろう。それを支払わせたくなくて、アイオンは拒否している。

 私は知らなかったけれど、彼女は私が産まれる前から私を見守ってくれていたらしい。きっと娘のように想ってくれている。その優しい祈りを、私は振り払う。

「アイオン。私はどんなペナルティを負ってもいいの。自分で選んでそうするの。私を望んでくれた彼を、迎えに行きたいのよ」

『世界が巻き戻せなくなってもいいのかしら』

「いいわ。巻き戻さなくたって、前へ進めるもの」

『………………』

 哀しい瞳。でも、彼女はもう何も言わなかった。巨大な音素結晶の前から身を引く。私が彼へ近付くことを許してくれる。ありがとう、と短く告げて、私はそれに触れ直した。

 温度のない固い鉱石。それへ、音素ではない力を流し込む。周囲の第七音素がざわめいて、一定の振動を生み出す。それは一つの夢へ繋がる道。意志を持った記憶粒子へ接続する力。特定の音素振動数が作り出す、神の見る夢への入り口だ。

 それへ自身の意識を潜り込ませる。数多の夢が、記憶が洪水のように溢れていく。その中を泳いで、手を伸ばす。触れる記憶が私という個を溶かす。私という存在を飲み込もうとする。それを振り払って、ただ一つの記述へと。

「時間を……繋ぐわ」

 存在しない時間。三度繰り返された世界。どの世界でもイオンに時間は与えられなかった。彼の運命は常に変わらない。絶対の死が彼に寄り添う。でも。

(今度の世界には私がいるわ)

 アイオンの契約者は全ての世界で異なる。一度として同じ契約者は存在しない。だから、彼に手を伸ばせるのは私だけ。私だけが……イオンの未来を望める。

 記述へ触れる。消えるものと詠まれた命。ローレライが見た未来───それをアイオンの「時間」で継ぎ接いだ。本来在るべき時間をただ一人の人間の我儘でねじ曲げた、あまりにも醜い行い。でも、後悔はない。誰に、どれ程謗られようと。

 それを見届けてアイオンは姿を消した。中空に溶けるように消えて、また力を溜めに眠りへ落ちる。私は音素が散って静けさを取り戻した空間で、そっと息を吐く。

 その目の前で、鉱石にヒビがはしった。

「!」

 美しく透ける結晶が割れていく。形を失い、ぽろぽろと瓦解していく。そうしてゆっくり、外気を取り込む。

 飲み込んでいた少年の姿が結晶を介さずに目視出来るようになっていく。その肌が空気に触れ、孔雀緑の髪が揺れる。固い支えを失って体が傾ぐ。美しく散る音素の輝きと共に落ちてくる姿に、私は手を伸ばした。

(───ああ)

 触れる。服越しに、生きている人間の感触がある。体温があって、呼吸がある。一人分の重さを受け止めて、頬を擦り合わせた。勝手に死のうとした酷い人に、やっとこの手が届いたから。

 もう、神様にだってこの命は渡さない。

 

 

 

*****

 

 

 

 意識が浮上する。

 薄暗い室内と、差し込む月光が認識される。ぼんやりと天井を眺め、ゆっくりと頭を起こす。ここはダアトで、教会にある私の部屋だ。さっきまでの光景は現実のものではない。夢だ。私が彼を取り戻した時の記憶。一年程前に実際にあったこと。

「………………」

 体を起こす。隣へ視線を下ろせば、本物があどけない寝顔を晒している。孔雀緑の髪色の、私の婚約者。彼は私が起き上がった気配を察したように、ゆるゆると目蓋を上げる。同色の瞳がぼんやりと世界を映して、私を探した。

「……アリア?」

 耳をくすぐる声が私の名を呼ぶだけで、胸が温かくなる。それだけで嬉しくなってしまう。人間はきっと、本当はとても単純なのだ。大事な人に名前を呼ばれるだけで、こんなに心が躍ってしまうのだから。そっと、ベッドの上にある彼の手をとる。

「目が覚めてしまっただけよ」

「……怖い夢でも見たの?」

「ううん。とても大事な夢」

 大丈夫だから眠っていて、と声を掛けるが、彼はゆっくりと身を起こした。本当に、全然人の話を聞いてくれないんだから。月光を受ける瞳が私を見る。

「どんな夢?」

「貴方にすごーく怒ってた時の夢」

「あれ。僕、君に怒られるようなことしたかな」

「沢山したでしょ」

 しれっと言い逃れをしようとする言葉に厳しく突きつける。彼はそれに意地悪に微笑んだ。

「うん。沢山したよ。君は怒っても可愛いから」

「───騙されません」

「なんだ。残念」

 彼はそう軽く口にして、嘘みたいに穏やかに笑う。その安らぎが嘘でないことを私は知っているし、同時に本当に抱えている痛みは決して見せないでいることも、知っている。こんなに近くにいて手を触れているのに、貴方はまだここにいない。

「君が一番怒ってたのは、一年前かな」

「そうよ。すごーく怒ってたんだから」

 確認に怒った顔を作って頷く。一年前、取り戻した彼が目を覚まして、私はとても泣いた。安心して、喜んで、そしてとても怒った。

 何故何も相談してくれなかったのかと。何故彼を助ける努力をさせてくれなかったのかと。私にも何かが出来たかもしれないのに。彼は私の剣幕に驚いて、それから謝罪をした。次からはちゃんと話すと言ってくれた。なのに。

「私、また怒りそうだわ」

「………………」

 向き直る。穏やかに微笑む孔雀緑の瞳を覗き込む。綺麗で、力強くて、本当のことは教えてくれない眼。それへ祈りを込めて真摯に向き合う。

「イオン。今度は何をしているの?」

「何も」

 穏やかな微笑みのまま即答が返る。手が伸ばされ、私の頬を優しく撫でた。触れる温度は心地よくて、向けられる慈しみも本物だ。それなのに、まるで現実味がない。

「アリア。僕は何もしていない。何かをするのは僕じゃない。この世界と、預言にすがる人間達だ」

 彼の口からゆっくりと、言い聞かせるように言葉が流れ出る。耳に触れる心地よい声が、私の意識を溶かそうとする。きっと彼は本当のことを口にしている。少なくとも彼にとってはそれが事実なのだ。何かをしているのは彼の方ではなく世界と人間達の方なのだと、そう思ってる。

「大丈夫。何も問題ないよ。不安に思う必要なんてない。君には僕がいるんだから」

「イオン……」

「さぁ、もうお眠り。それとも温かいミルクでもいれようか」

 彼の優しい問いに私は首を横に振った。促されるままに横になり、同じように寝転がった彼と目を合わせる。

 穏やかで、温かくて、まるで満ち足りているみたいに私を見る瞳。彼は自分の感情をどこかへ置いてきたみたいに、いつだって自分の表情を作っている。穏やかなフリをして、優しいフリをして、甘いフリをして、そこにいるフリをしている。

(どうして?)

 どうして、彼はそうして笑うのだろうか。どうしたら気付いてくれるのだろう。どうしたら分かってくれるのだろう。どうしたら、その絶望から掬い上げることが出来るのだろう。

 暗く澱んだ、甘く優しい呪い。それはもう貴方の側に必要ないのに。貴方の瞳は水底を眺めることを止めない。

(言葉が必要だわ)

 こうして触れて、愛しさを届けるだけでは足りない。これでは眠りにつく前と、四年前と何も変わらない。ただ愛されて、何も知らずに愛でられていた頃と、何も。

 それでもどんな言葉なら彼が耳を貸してくれるか分からない。どんな言葉なら彼の閉じた心へ届くのか。言葉なんてあやふやで薄く、語るためにありながら語るに適さない。彼が、私に多くを語ろうとしないように。

(イオン。私は貴方が好きよ)

 神様が、世界中の全てが、貴方の存在を許さなくとも。私は貴方を選び続ける。だからどうか、選んで欲しい。私以外の全てを。貴方を取り巻く世界を。貴方自身を。そうして初めて、貴方は生きていくことが出来る。

(あの子みたいに、出来たらいいのに)

 目蓋の裏に浮かぶのは、自分にそっくりな少女。でもそっくりなのは姿だけだ。彼女は私とは違う。何も出来なくて、ただ鳥籠の中に入れられるだけの愛玩動物ではない。あの強さを、あの鮮烈さを、私は持たない。






 どうか、せめて夢の中だけでも。
3/3ページ
スキ