短編:本編後


 それから舞踏会まで、特に波風立てず過ごした。

 準備は出来ていて、あとはボクの努力次第───その通りだ。どんな経緯であれボクを適役だと思って抜擢した人達がいる。なら、相応の結果を残したい。中途半端な気持ちで導師補佐役をやってる訳じゃないから。

 あっという間と言うには苦しんだけど、どうにか舞踏会当日を迎えた。ダンスも随分上達したし、ダアトの恥にはならない筈だ。ドレスが似合うかは……考えることをやめた。

「本当に自分で行くのね?」

 場所は控え室で、ボクは件の羽根の刺繍が繊細な白のドレスを着ている。合わせた白のヒールも慣れたし、差し色の緑に合わせたコサージュなども愛らしい。

 普段はポニーテールになっている髪が、見事なシニヨンに収まっている。化粧もされたし、恐らく見てくれは悪くない筈だ。鏡をなるべく見ないようにしているので、よくは分からないけど。

 そのボクに、確認をしてきた被験者へ頷く。

「大丈夫。やれると思う」

「分かったわ。応援してる」

「ありがと、アリア」

 礼を伝えれば彼女は微笑んで頷いた。それに送り出され、ボクは舞踏会へと乗り込んだ。今から踊るは「神託の御子」でボクではない。精々可憐に踊って見せよう。

 今日は、ここが戦場だ。










*****










 ホールは広く、煌びやかで目眩がしそうだった。事前に下見はしているけれど、実際に千を超える着飾った人間を入れた景色は違って見える。準備と本番では、会場の見せる顔が違う。ボクもそれと同じでなくてはならない。

 数多の視線を受け流したいのを堪えて、挨拶の終わりを堂々と備えて待つ。やがて各国の挨拶が済み、開幕にダンスを披露する生け贄達で礼を揃えた。音楽が緩やかに移るのに合わせて動き出す。

 舞踏会は当然男女のペアで、ボクにも相方がいる。ダアトの代表はあくまでボクなので、男性の方は適当に都合をつけていいことになっている。それをいいことに、被験者と一緒にダンスの指導に当たってくれた先生にお願いしていた。昔、被験者がダンスを教わった先生らしい。少しでもマシに踊るための苦肉策だ。ステップと呼吸に注意しつつ、相手の動きに合わせる。

(チャンスは一度きり)

 本番は今しかなく、ただこなすだけでは勿体無い。ダアトの華として譲られたなら、相応の結果で応えたい。でなければボクの名が廃る。堂々と、可憐に。見られる身であることを意識して、体を使う。

 一通り踊り、ターンを済ませればパートナーの交代だ。すぐ近くで踊っていたペアの男性へとスムーズに受け渡される。さて、当たったのはキムラスカか、マルクトか───と、相手の顔を見て驚く。見覚えしかなかったからだ。短い金の髪に青の瞳、濃紺のタキシードを着てボクの手をとるのは、かつての仲間だ。

「お似合いですよ。アリア様」

「ガルディオス伯爵も。よくお似合いですよ」

 気障な世辞に小声でにこりと返す。彼が参加することは事前の報せで知ってはいた。相変わらず爽やかで顔がよく、紳士然としている。融通の利く性格も変わらないようで、リードも決して強引でなくこちらを気遣ったものだ。流石に先生程の技術はないにしても、ソフトさはこちらが上で踊りやすい。

「お上手ですね」

「いえ、私など」

 褒めれば、ガイは謙遜する。その苦笑にあるのは貴族の世界に戻った故に慌てて覚えたという事情か、それとも女性恐怖症と騙し騙し付き合っているという裏話か。

 以前はほんの数瞬触れるので精一杯だったが、今は女性と踊れるくらいには克服しているようだ。それだけでも凄いことだとは思う。

「後程、また改めて」

「はい」

 普通に舞踏会を楽しむ分にはコミュニケーションも醍醐味らしいのだが、今は控えた方がいいだろう。短くこの後の約束を交わしてボクらはダンスに意識を戻した。

 その後も舞踏会はスムーズに進み、キムラスカの人間とも踊って出番を終える。脇へ逃れれば、本格的に舞踏会が始まった。

「はー……」

 隅で息を吐く。緊張が今更足に来て、少し頼りない。導師補佐役として社交をしないといけないとは思うのだけど、休みたい気もする。

 どうしたものかと迷っていれば、先程別れたばかりの顔がこちらへと近付いてきた。

「久しぶりだな、アリア。元気だったか?」

「久しぶり、ガイ。まぁまぁ元気だったよ」

 プライベート空間というわけでもないが、畏まる必要まではない。以前と同じように軽く挨拶を交わした。それから彼の服装を眺める。濃紺のタキシードは舞踏会における準正装だ。

「やっぱりよく似合ってる。伯爵だったんだな~って感じ」

「はは、一応はな。ガキの頃に習ったとはいえ、覚えるべきことが山積みで落ち着かないよ」

 貴族として社交場に参加するのは、ボクのようなイレギュラーに比べると大変だろうと思う。家名を背負ってあらあらうふふと社交辞令を述べるのは、明らかに向いていない。淑やかさとは無縁だ。

「そっちもよく似合ってる。ナタリアに負けないくらいお姫様に見えるよ」

「お世辞はいーです」

「世辞じゃないさ。あんた、自分で鏡見てないのか?」

 少し驚きながら問われれば、なんと反応していいのか分からない。まるで、世辞だと思うことにびっくりしたと言わんばかりで、まさか本当にお姫様に見えるのかと疑いたくなる。確かに見てくれは悪くないとは思うが……似合わない。苦笑する。

「ガイってすぐ気障に人を褒めるよね」

「そういうつもりじゃないんだが……だが、似合ってるのは本当だ。今のアリアは、ダアトの姫だよ」

 世辞には思えない気安さで言われれば、やはり困惑する。どうやら本気で褒めているらしい。それでも頷けないのはボクのせいか、それとも。思考を振り払って微笑む。

「ありがと、ガイ」

「こちらこそ。素敵なレディのお相手ができて光栄ですよ」

「気障だなぁ……」

 なんて暫く積もる話をしていると、「ところで」とガイが問うた。

「アニス達は?」

「ん。テセは導師として上の階にいる筈だよ」

 ほらあそこ、とホールを見下ろせる中央のボックス席を指す。今日は国王陛下や皇帝陛下は来ていないので、責任者ということも含めテセが一番偉い人間ということになる。そのため、ボックス席にいて、限られた人間と社交をしている筈だ。

「アニスは導師守護役としてついてると思う。その内ガイも呼ばれるんじゃない?」

「まぁ、皇帝陛下にも代わりに挨拶してきてくれって言われてるしな。久しぶりに二人の顔もみたい」

「呼ばれなかったら悲しいね」

「嫌なこと言うなよ……」

 因みに被験者とイオンは欠席だ。というか、詠師以上しか存在を知らない亡霊扱いなので参加のしようがない。ただ、どうしても舞踏会を見てみたいとは言われたので、こっそりボックス席に通してはいる。ボクのダンスも見られていたと思えば複雑だが、割り切ることにした。

「アリエッタは二人と一緒の筈だよ。フローリアンはお留守番。お師様はどこかにいる筈だけど、多分逃げた」

「相変わらずだな、あんたの師匠は」

「ホントにね。自分が面倒事避けたいからって、弟子を生け贄にするのやめてくれないかなぁ」

 お師様が余計なことを言うから開幕にボクが踊ることになったのだ。普通に考えれば大詠師みたいなポジションになっているお師様が踊って十分だろう。まぁ貴重な体験が出来たし、済んだことなのでいいことにする。

「シンクはどうしたんだ?」

「うっ」

 思わず言葉に詰まれば、ガイが訝しむ顔に変わる。あまり触れては欲しくない話だった。この流れなら聞かれるに違いないとは分かっていたが。

 なるべくなんでもないように口にする。

「別件で出てる。明日には戻るんじゃないかな」

 答えれば、ガイの顔が更に怪しむものになる。

「別件で? シンクは今、あんたの護衛役じゃないのか?」

「一応そうだね。でも、仕事によっては別行動もするから」

「だが、今日は舞踏会だろう? 部外者が入り込む日であんたも身軽じゃない。不足の事態が考えられるのにダアトを空けるなんて、変じゃないか?」

 全くその通りで、ぐうの音も出ない。この件についてはテセにも反対されたのだ。それでも押しきったのは、それがお互いのためだと思ったから。

「警備の守護士は十分に入れてるよ」

「……何かあったのか? シンクと」

 言い訳が過ぎたらしい。殆ど確信しているように問われれば、言い逃れは難しい。それでもボクの往生際は悪い。余程話題にしたくないのだと、自分でも新鮮な心地だった。

「ちょっとね」

「何があったのか知らないが、ちゃんと話し合えよ。シンクは言葉が足りないし、あんたは物分かりがよすぎる」

「そうかなぁ……」

 そうだよ、と頷かれる。それならば今回の件についてガイの意見を聞いてみようか。簡単に話すことにした。

「よく分かんないけど……なんか、シンクはボクに舞踏会に出て欲しくないみたい」

「そりゃまたどうして」

「ボクに女らしい格好は似合わないってさ」

 伝えればガイは考えるように眉を寄せ、顎に手をやる。やがてガイは何かを閃いた顔をして、それから大袈裟に溜め息を吐いた。

「馬鹿だなぁ、シンクも」

「え……ガイ、分かったの?」

「多分な。大丈夫、あんたは綺麗だよ。自信を持っていい」

「でも……」

「シンクも分かってる筈だ。だからこそ、そんなことを言っちまったのさ」

「???」

 全く意味が分からない。だがガイには確信があるらしく、それだけ自信を持って押されれば否定もし難い。「しかし」とガイは苦笑した。

「それでシンクを舞踏会中の護衛から外すとはなぁ……極端なことをするな、あんたは」

「だって……似合わないって思われてるなら見られたくないし、見たくもないだろうって思うじゃん」

「分からなくもないが……よくイオン、じゃなかった。現導師テセレマが許可したな。補佐役殿の護衛がいないなんてマズいだろう」

「まぁね。アニスをつけるって言い出したから大変だった。ボクの警護をあつくして導師はおざなりって、流石にないでしょ」

「だな」

 苦笑いで頷いたところで「さて」とガイは話の流れを変えた。

「俺はそろそろ行くよ。皇帝陛下の名代ってわけでもないが、挨拶をしておかないといけない相手もいるからな」

「ん。ありがと、ガイ。また明日にでも帰る前に声掛けてよ。大佐の話とかも聞きたいし」

「分かった。お前さんも気を付けろよ」

 やり取りを終え、ガイが礼をとって離れる。再び一人になって、壁へ寄りかかった。懐かしい空気を吸えて楽になったものの、やはり慣れない場とダンスに疲れがある。

 このまま壁の花を決め込みたいところだが、立場上ココにいれば話しかけられかねない。それならやはり、いっそ少し裏に引っ込んで休んでこようか。

 なんて思っていれば、行動に移すより先に声を掛けられてしまった。

「導師補佐役殿」

 振り返れば、こちらへ向かってくる男性が三人程いる。いずれも十代後半か二十代前半というところで、タキシードなどの正装に身を包み品がある。口を開けばどうだか知らないが。

「お初に御目にかかります。私はプレスト・アパシオナートと申します」

 整えられた明るい赤の短髪に、橙の瞳がボクを見据える。特徴的な眼をしていた。目付きが悪いだとか吊り気味だとかではない。ただ真っ直ぐで、眼を離しづらい。大型の動物と見詰め合っている時のような、変な緊張があった。

 しかし空気に飲まれるわけにはいかない。にこり、と外行きの顔で微笑む。

「ようこそお出で下さいました。バチカルからこちらへは遠い船旅でしたでしょう」

「いえ、この程度」

 笑顔でハッキリと否定する姿には好感が持てる。顔は分からずとも事前に参加者の確認は済ませてあるので、ファミリーネームを聞けばどちらの国から来たのかはギリギリ分かるつもりだ。今回は合っていたらしい。

 プレストが他の二人を示して紹介が始まる。

「こちらは私の友人です」

「コモド・ブリッランテです。『神託の御子』に御目にかかれるなんて光栄です!」

「カルマート・グラツィオーソと申します」

 短い金髪に碧眼をきらきらさせた青年がブリッランテ家、薄紫の長髪を一つにまとめた紫眼の青年がグラツィオーソ家を名乗る。どちらもキムラスカでは名の知れた名家で、階級は伯爵だ。ブリッランテ家は剣術に、グラツィオーソ家は譜術に秀でた家だったと記憶している。

 この三家の関係性といえばアパシオナート家とそれぞれの家が懇意にしていて、子息は歳が近いため幼馴染のように育っている。

 特にアパシオナート家はキムラスカ王室と縁のある血で、碧眼ではないものの髪色は近い。階級はファブレ家の次点に位置する侯爵だ。ブリッランテ家は政治にも関わっているし、グラツィオーソ家には暗い噂もある。どれも無下にはしづらい家だ。

 ボクは微笑みを絶やさずに外向きの顔を続ける。

「ご挨拶が遅れ申し訳ありません。ローレライ教団導師補佐役アリアと申します。こちらこそ、キムラスカを代表する名家のご子息にお会いできるなんて光栄です」

 ドレスの裾を少し上げて礼をとる。それから全員の顔を順に見た。失礼のないように、と意識しているのだが、果たして大丈夫なのか分からない。

 プレストが爽やかな笑顔で口を開く。

「キムラスカを代表するだなんておこがましい。我が家門は国家に尽くしているだけです。より良い民の暮らしのために。国家は民なくして存続し得ませんから」

「素晴らしいお考えですね。プレスト様のような方がいらっしゃれば、インゴベルト国王陛下もナタリア王女殿下も心強いでしょう」

 あらあらうふふとコミュニケーションをとる。微笑みを絶やさず上品に、というのはボクには難しい話であまり長く続ければ頬が引きつりそうだ。失礼のない範囲でさっさと切り上げたい。

 そう思うが、プレストの方は話したいことがあるらしい。

「補佐役殿は、国王陛下とも王女殿下ともお会いしたことがあるのでしたね。特に王女殿下とは旅もされたとか」

「ええ、まぁ。懐かしい話です」

「どのような旅をされたのか、詳しく伺ってみたいものです。今の世界があるのは補佐役殿や王女殿下、それからルーク殿のご尽力あってのものですから」

 ルークの名が少しだけ懐かしい。それだけの時間が経ったのだと思う。ティアはまだ彼の帰還を待っているし、帰ってくるのなら早く帰ってきてあげて欲しいのだけど。

 公にはエルドラントで死んだことになっていて、ファブレ家には墓があったりもする。彼のいない場所に祈っても仕方がないからと、かつての仲間は寄り付かないが。

「その話は、またの機会に」

「失礼しました。そうですね。今は舞踏会を楽しまなくては」

 プレストが頷けば、コモドが少し前へ出る。

「はいはい! 補佐役殿はどのようなものがお好きですか?」

「え? ええっと……」

 急な質問に戸惑う。小首を傾げ、捻り出した。

「花、でしょうか」

「だってよ。プレスト」

「お前はまた余計な……」

 ウインクを投げるコモドにプレストは眉を寄せて息を吐くと、表情を微笑みに戻してボクを向いた。

「では、今度ご挨拶する際には花束を用意するようにしましょう」

「お心だけで十分ですので、私の好みなど気になさらないで下さい」

「私が気にするのです。融通の利かぬ男の我儘と思い、どうか受け取っては頂けませんか」

「はぁ……」

 なんと返したものか分からず、うっかり気の抜けた返事になってしまった。いけない、と気を入れ直す。それにしてもこの男達、いつまでここにいるつもりなのだろうか。

(……居心地悪いなぁ)

 プレストはやけに好意的で、好青年っぷりが馴染まない。コモドは興味津々といった様子でボクを見ているし、なんとなく何かを期待されているような感じがする。カルマートに至ってはじっとボクを見据えていて、もしかしなくとも品定めをされているのではないだろうか。

(やっぱり「神託の御子」とか余計な尾ひれがついたからかなぁ……)

 今はただの補佐役とはいえ警戒されて当たり前かもしれない。組織の上層部が能無しか否かは重要なことだろう。とは言っても、妙な期待をされても応えられるかは別なのだけど。

 下手にボロを出す前に別れてしまおう、と思うのと、プレストの提案は同時だった。手が差し伸べられる。ボクを正面から見据える橙の瞳と目が合った。

「こうしてお話しできるのも何かの縁。よろしければ、一曲お付き合い頂けませんか」

「……えっと」

 何を言われているのかくらい分かる。今は舞踏会の最中で、ホールの中央では幾人もの人々が男女一組になって社交ダンスを楽しんでいる。この男は、ボクにアレに加われと言っているのだ。

 当然答えはノーで断りたいのだが、どう断れば失礼にならないのかが難しい。特に、相手はキムラスカ王室と縁のある名家だ。下手なしこりは生みたくない。

(そもそも断っていいのかな)

 相手は侯爵家だ。子息とはいえ位が高い。ダアトに貴族制はないため判断に迷うが、導師補佐役の立場で誘いを断ることは失礼に当たらないだろうか。今後のキムラスカとの付き合いの上でも誘いを受けるべきなのかもしれない。

 そこまで考えれば、もう判断のつかない領域に足を突っ込んでいて考えるのも面倒になる。一曲踊る程度でリスクを回避できるなら安いものではないだろうか。

「貴女ともう少しだけ、時間を共にしたいのです。どうか」

 重ねて請われ余計に困惑するものの、断った際のリスクとは相談済みだ。冒頭のダンスの披露で辟易としているだけで、靴擦れを起こしたり足が震えるわけでもない。踊った方が得策だろう。

 手を持ち上げ、差し伸べられた手に重ねようとする。微笑みを作り「勿論」と言葉にする、直前。

 横合いから伸ばされた別の手が、ボクの手を拐った。

「え、」

 ぐい、と白い手袋に引かれて顔を向ければ、目に入るのは黒の燕尾服に仮面舞踏会にでも使いそうな仮面だ。背丈はボクと変わらないくらいで、青年というよりは少年に思える。

 特徴的な深緑の髪がボクの目を引いた。顔が見えなくとも、それが誰なのかは簡単に分かる。

(なんで、ここに)

 混乱で上手く頭が回らない。仮面の向こうの瞳と目が合ったのかも分からない。咄嗟に声も出なくて、先に反応したのはコモドだった。

「ちょっと! 今はプレストが彼女を誘ってたんだよ。どこの誰だか知らないけど、無礼じゃない?」

 明らかに不愉快そうな声で、しかしボクは彼らの表情を気にする余裕もない。仮面の下で、彼が嗤った気配がした。

「失礼」

 嘲笑うように一言告げて、彼はもう一度ボクの手を引く。事態を何も飲み込めていないボクには抵抗という考えすらなくて、寧ろ自然と足は彼を追っていた。手を引かれるままに足早にホールを移動する。

「あ! コラ!」

 背後でコモドの声が上がり、錯覚かもしれないが追われている気配がする。しかしボクの手を引く彼の動きに迷いはなく、ホールの中央へと招かれる。

「突っ切るよ」

 短く囁かれれば、彼の手が一際強くボクを引いた。引かれるままにダンスが披露される空間へと連れ出され、緩やかに勢いを持った体を腰に触れる手が支えた。そのまま音楽に乗り、自然とステップが踏まれる。

(えっ……え???)

 何がなんだか分からない。ぽかんとする、とはこういうことで、自分の動きがどうであるとか、次のステップが何であるとか、考えることが出来ない。ただ引かれるままに重心を動かし、彼の動きに招かれるように体が動く。踊っている意識すらなく呼吸を合わせるようで、踊る人々の流れに見事に乗りながらその隙間を軽やかに抜けていく。

 いつの間にか中央を抜けて、先程までいた場所の反対側へと逃れていた。文字通りホールを突っ切った形になり、そんな場合でもないのに感心してしまった。

 そのまま手を引かれ、夕闇にホールの明かりが差すバルコニーへ導かれる。赤のドレスと黒いタキシードが見えて、先客がいると思った時には遅い。

 気付いた時にはドレスごと抱え上げられていて、手すりから夕闇に身を躍らせていた。

「っ!?」

 大した高さでもないのに、一瞬の浮遊感に驚いてしがみつく。耳元で笑われた気もするが、動転したための錯覚かもしれなかった。着地の衝撃を感じ、恐る恐る目蓋を持ち上げれば、よく手入れをされた夜の庭園がボクを迎える。

 そのまま更に運ばれ、すぐにホールの明かりが届かなくなる。それでも彼は足を止めなくて、どこへ行くのだろうと思っていれば建物から少し離れた庭園内の、小さな広場へと到着した。人の気配はなく、噴水で循環する水の音と、微かなホールから届く音楽しか聞こえない。

 彼は足を止めて、ボクを下ろした。離れて改めて顔を見れば、口がへの字に曲げられる。

「重い」

「ドレスのせいでしょ!?」

 もっと何か言うべき言葉があったような気がするのだけど、あんまりな感想に咄嗟にツッコミをしてしまった。舞踏会の会場から勝手に連れ去っておきながら、その第一声は酷くないだろうか。

 しかし彼はけろりとしたもので、ボクを無視して仮面を外す。現れた顔は、やはり思った通りのものだった。昨日以来の深緑の瞳と目が合う。

「……なんでここにいるの。シンク」

 彼の格好は普段と違い、黒の燕尾服に白い手袋だ。特徴的な深緑の鶏冠頭こそそのままだが、舞踏会に潜り込むための準備はされていた。肩を竦められる。

「ボクがここにいちゃおかしいって言うの?」

「おかしいよ。どんなに急いでも明日が戻りになる仕事をお願いしたのに」

 ボクの言葉に不機嫌そうに眉が寄った。それだよ、と不機嫌を隠さない声が続ける。じろり、と睨む視線がボクを向いた。

「今朝になっていきなり別の仕事を言い渡されるってどういうことさ。ボクはアンタの護衛役じゃないの?」

「それは……だって」

「だって、なに?」

 口ごもってしまうのは、自分の選択が間違いだったことを身をもって理解している最中だからだ。最善だと思ったのだが、シンクは怒っている。今日一日護衛から外されてよかったとは、一ミリも思っていない。じゃあ一体どうすればよかったと言うのか。

「……似合わないでしょ?」

 ドレスの裾を少しだけ持ち上げて問えば、彼は更に眉を寄せた。口を挟まれる前に、ボクは言い訳をするように言葉を足した。

「シンクは、ボクの着飾って似合わない姿を見たくないんでしょ。でもボクはお役目で着飾らなきゃならない。だから、シンクが見ないで済むようにしたんだよ」

「は?」

 なんだそれ、と言いたげにシンクが声を上げた。信じがたい、理解できないと顔に書いてある。

「そんな下らないことのために、ボクは護衛から外されたワケ?」

「下ら……」

 ない、と胸の内で呟く。下らないのだろうか。ボクが君を気遣うことは、君にとって。気持ちが落ちていく。それが馬鹿正直に顔に出たのだろう。シンクが舌打ちをした。

 面倒だと思われただろうか。胸の内に鉛が入り込んだのかと思う程に、心地が重く息が苦しい。いっそこのまま立ち去ってくれないだろうかと弱気に思った、その直後。

「ああ、もう!」

 苛立たしげに声を上げると、シンクは手を伸ばしボクの肩に触れる。そのまま少し乱暴に引き寄せられて、ぽすりと肩口に収まった。後頭部に腕が回っていて、所謂抱き留める体勢であると理解して困惑する。何がどうなってこうなったのか。

 目を白黒させていれば、立て続けに驚くべきことが起こる。

「……悪かったよ」

「え……」

 シンクが謝った。耳を疑ったし、実際聞き間違いではないかと思うけど、それは謝罪に聞こえた。ぽつりと小さな声で伝えられたのは、彼自身も困惑しているからか。それを表すように、彼は言葉に迷いながら話を続ける。

「舞踏会に出ると……踊ることになるだろ」

「う、うん」

 それはそうだ。踊らないなら舞踏会に参加する意味はない。特にボクに関して言えば、踊ることが前提なのだから踊らないわけがない。何を言っているのかと思うけれど、抱き留められているので顔を見ることは叶わない。

(……ああ、なるほど)

 合点がいく。この体勢は顔を見られないためのものか。同時に、顔を見ないで済むようにということだろう。顔を合わせてシンクが謝罪をするなんて、想像も出来ない。

「……アンタが、そういう格好で踊るところを見たくなかったんだよ」

 思考が滞る。読解に失敗している。それなら、やはり護衛から外して正解だったと思うのだけど。「さっき」とシンクは続けた。

「なんであんな男の誘いを受けようとしてたの」

「プレストのこと?」

「名前なんかどうでもいいよ。それとも、アンタにとっては関係あるの?」

 仕事上は大いに関係ある。が、今向けられている問いはそういうことではないように思える。ボク自身にとって、プレストの名が何か意味を持つのか、ということだ。それなら答えは分かりきってる。

 目を閉じた。余計な情報がシャットアウトされる。今のボクに分かるのは、君の体温だけ。

「……どうでもいいよ。ボクにとって意味がある存在は、もう決まってる」

 この手を最初に繋いだのはテセで、この手が自ら繋いだのはシンクだ。取るべき手は他にない。なら、とシンクが応えた。

「誰も彼もに簡単に触れさせるな。アンタの手は……ボクのモノなんだから」

「───、」

 そんな風に言われたのは流石に初めてだ。シンクにとってボクは「全て」。それは知ってる。でもそれは多分彼の存在価値とかそういうところに結び付いてる言葉だった。生きてる理由と言えば分かりやすい。でも、

「……うん」

 そっと肯定を返す。ボクが繋いだ手に固執してくれるのはちょっと意味が違うと思う。それが具体的にどういうことかを言葉にするのは難しいけれど、多分。

「だから、舞踏会に出るなって言ったの?」

「………………」

 ボクの問いに、シンクは沈黙で応えた。出てきた情報を照らし合わせればそういうことになる。ボクが着飾って誰かと踊ることが気に入らなかった、という話だ。この手はシンクに伸ばされたものだから。

 それなら、最初からそう言ってくれればよかったのに。傷付き損だ。

(何を言えばいいだろう)

 そうして向けられる感情に、ボクはどう応えたらいいのか。それが具体的にどんな感情かも分かってないのに分かる筈もない。だから、それが嬉しいことなのか嫌なことなのかもよく分からなかった。

 それでも、この手を離す気にはならないから。ボクはボクに出来ることで、彼に応えたい。

「ね。シンク」

「……なに?」

 返ってきた声はこちらを警戒するように聞こえて、ボクが何を言い出すのか気にしているのだと分かる。状況を整理すれば、シンクが勝手な望みでボクを傷付けたのが発端だということだ。それは彼も分かっているようで、躊躇いながらの謝罪が証拠だろう。

(でも、ボクだって間違えた)

 だからお相子だ。これ以上うだうだ言う必要はないし、言うべきことは他にある。例えば、そう。こんな夜だから、言えることとか。

 ボクは体を離しシンクと顔を合わせる。月明かりに照らされた顔は気まずげで、深緑の瞳はボクを見ない。だからボクは手を持ち上げて、彼に尋ねた。

「私と踊っては頂けませんか?」

 問われた彼は驚いた顔をしていて、目が合う。困惑し、真意を問う眼だ。それにボクは微笑みを返す。裏なんてありはしない。ここにあるのは、ただ君と時間を過ごしたいという事実。

(今日は舞踏会の夜だから)

 折角それなりの格好をして、こんな人気のない場所にいるのだ。少しくらい自由を楽しんだって悪くはないだろう。この手が君のものならば、君にダンスの相手をして欲しい。

 暫く待てば、彼は顔を顰めた。嫌そうな顔で小さく溢される。

「……計算なら余程の悪女だよ」

「へ?」

 聞き返せば、彼は首を横に振った。それから手が持ち上がり、ボクの手を受ける。繋がれる手が嬉しい。他でもなく君だから。シンクが口を開く。

「言っておくけどボク、ダンスなんて知らないからね」

「え。でもさっき」

「あんなの見様見真似だよ」

 衝撃的な告白だった。ホールを見事に突っ切った時のエスコートは自然かつ軽やかで、何の違和感も覚えなかった。あれが真似だけで出来るなら、勘が良すぎる。ボクだって練習を要したのに。

「ズルい……」

「言ってれば。それより足、踏まないでよね。踏んだら一週間おやつ抜きにしてやるから」

「横暴だ!」

 ボクららしく、いつもと同じ馬鹿らしい会話をして。君がボクの手を引く。強引過ぎず優し過ぎないリードだ。

 腰に添えられる手には安心があって、近づく距離は居心地がよい。自然と合わさるステップは、まるで互いの呼吸のようだ。

 くるくるくる、と月明かりの下でボクらは回る。ホールから漏れ聞こえる音楽に耳を傾けて。黒の燕尾服に白のドレス。夜の庭園に、対で花が咲いたようだ。

 ああそうだ、とボクは思い出す。

「シンク」

 名を呼べば目が合う。君はボクを見る。ボクの好きなその瞳に、ボクは映っている。

「燕尾服。似合ってるよ。かっこいい」

 褒めれば見る間に顰め面になって、けれどそれが不快とかでないことはボクにだって分かる。どんな顔をしていいのか分からないのだ。だから、ボクは君の顰め面だって好き。小さく唇が動く。

「……アンタも。似合ってなくは、ない」

 目を逸らして言葉にする様子は、居心地が悪そうで。それをお世辞だなんて思う程、ボクも馬鹿ではない。それは素直に人を褒められない、君なりの褒め言葉。

 君が悪くないと思うのなら、こういう装いも悪くはないかもしれない。……なんて思うのは、まだ少し難しいけれど。

「ありがと」

「……ふん」

 照れ隠しのように鼻を鳴らして、リードが変わる。それにボクは身を任せて、ダンスは続く。音楽はやまない。夜が明けるにはまだ時間がある。

(今夜は舞踏会)

 魔法が解けるまで、今少し。煌びやかな会場ではなく、自然な月明かりの下で。






 君と、二人きりのダンスパーティーを。
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