短編:本編後


 「導師イオンの再誕」。

 ダアトの街はその話題でお祭り騒ぎだった。その奇跡を起こしたのは「始祖ユリアの生まれ変わり」であり、ローレライによる導きだと囁かれる。実際の話から解離しているかと聞かれると、あまりしていないのが実情だ。

 帰ってきた「導師イオン」は再び導師の位に就くことを望んだ。誰かの代わりではなく、今度は自らの意志で。「始祖ユリアの生まれ変わり」である導師代理はこれを認め、詠師会も是とした。当然熱狂する民も望んだ。今このダアトを導くに、彼よりも相応しい象徴は存在しなかった。

 一つ異なるのは「導師イオン」が名を改めたこと。「始祖ユリアの生まれ変わり」とローレライの導きを経た彼は、新たに生まれ直したものとして改名を宣言する。

 ───その名は「テセレマ」。古代イスパニア語で「汝の意志することを行え」という指標は、預言を失った世界で皆の心に刻まれた。










*****










 テセが帰ってきてから、約半年が経過した。様々な混乱のあった世界は随分落ち着きを取り戻し、ようやく慌ただしい日々を抜け出せたと言える。

 教団は導師が名を改めると同時にその名を変え、今はアセリスィア教団を名乗っている。アセリスィアは古代イスパニア語で「真なる意志」を意味し、導師の名である「テセレマ」とも縁深い。民へのウケ具合は上々で、今のところ改革は上手くいっているようだった。

「テセ。いるー?」

 声を掛け、彼の執務室へ入り込む。目的の人物は執務机に向かっており、ボクの訪れを察知して書類からその千歳緑の瞳を上げた。

「アリア」

「はろはろ」

「こんにちは。どうしたんですか?」

「ちょっと確認したいことがあって」

 そう前置きしながら彼の前まで移動する。「今タイミングは大丈夫か」と聞けば彼は「問題ない」と首を振る。その言葉を信用し、ボクは一つの書類を取り出した。

「今度さ、舞踏会の予定があるじゃん」

「はい。キムラスカとマルクト、教団の合同開催ですね」

 ざっくり言ってしまうと三国同盟が今でも平穏に結ばれてますよ~という、民へのアピールのために行われる予定だ。キムラスカとマルクトは国家予算を動かし、教団は中立組織として場所を提供することになっている。両国からは貴賓を招くことになっており、我々の責任は重たい。

「これって結局、国王陛下や皇帝陛下は来ないんだよね?」

「そうですね。両国共に名代を立てると聞いています」

「ふぅん……じゃあ会場の警備は物々しくしない方がいっか。やり過ぎもよくないもんね」

 そのままあれやこれやと確認作業を続けていく。慌ただしい日々を抜け出したからといって、暇になった訳ではない。話し合うことは常に山積みだ。

 粗方の確認を終えて満足した頃、テセに問われる。

「そういえば、アリア。ダンスは踊れますか?」

「ダンス? 基礎は知ってるけど」

 独特の足運びや身のこなしに役立つから、多少は触れたことがある。体幹も鍛えられるし悪くはなかったが、その程度だ。本格的に踊れるかと言われると怪しい。

「どしたの、急に」

「いえ。少し心配だったものですから」

「心配?」

 はて、と首を傾げる。話の流れから舞踏会絡みなのは確かだが、ボクが踊る必要はない筈だ。ダンスの心配をされる心当たりはない。そう思うが……嫌な予感がして、尋ねた。

「……その。もしかしてなんだけど」

「?」

「ボク……舞踏会で踊るの?」

 問えば驚いた顔をするのはテセの方だ。

「聞いていませんか?」

「聞いてない」

「……すみません。どこかで連絡が上手くいかなかったようですね」

 申し訳なさそうに告げられてしまえば事実と認識する他ない。空を仰ぎたい。基礎を知っているだけで素人と言って差し支えない実力だ。両国の貴賓を招いた場で踊れだなんて、あまりに酷い。

「それって必須……?」

「舞踏会の始めに、挨拶を兼ねて各国の代表がダンスを披露するんです」

「ああ、うん。あるね、そういう文化」

「アリアは教団の代表ということになっています」

「わぁ」

 それ以上の感想が出ていかなかった。舞踏会で踊るだけでもとんでもないのに、教団の代表としてファーストダンスを踊れだなんて。地獄が見えそう。

「そういうのってお師様の役目じゃないの? あの人詠師だけど、実質大詠師みたいなもんじゃん」

「そのエレティクスがアリアを推薦していまして……折角の舞踏会なので、華が必要だと」

「絶対めんどくさくて逃げただけだ」

 簡単に弟子を生け贄にしないで欲しい。まぁ、教団の行事にお師様が協力するところは見たことがないので、当たり前の成り行きだとは思うが。

 聞けば詠師会もボクが踊ることに賛同しているらしく、外堀はすっかり埋められていた。

「そりゃあ、ボクが適任なのは分かるよ? でもさぁ……」

 今のボクは導師の位をテセに譲り、導師補佐役の地位に戻っている。とはいえ導師代理と行き来してしまったのもあり、内外共に認識は「教団の第二位」だ。導師が安全のために踊らない以上、ボクが踊るのが道理だろう。

 更に言えば「始祖ユリアの生まれ変わり」とか「神託の御子」とか言われて祀り上げられている身であり、存在だけで大ウケだ。ボク以上の適任はいない。

「……被験者と入れ替わろうかな」

「駄目ですよ。導師補佐役はアリアなんですから」

「分かんないって」

「そんなことはありません!」

 ちょっと大袈裟に否定をされれば肩身が狭い。イオンとテセが入れ替わっても分からないみたいなことを言った訳だし、よくなかったとは思う。でも踊るだけなら誰かと話す訳でもないし、気付かれない可能性の方が高い。全然問題ないと思う……のだが。

「アリア」

「……はい」

 神は無情だ。










*****










「聞いたよ~! アリア、舞踏会の最初に踊るんでしょ?」

 廊下をふらふらと歩いていればアニスに会う。会うというか遭う。今その現実には向き合いたくない。

「ああ……うん」

「すっごーい! なんで黙ってたの!?」

「ボクもそんな気持ち」

「え?」

 言っても仕方のないことなので「なんでもない」と誤魔化す。今はもう、如何に平和に切り抜けるかが重要だ。ダンスって誰に教わればいいんだろう。

 そんなことを思っていると、続くアニスの言葉で別の問題に向き合わされた。

「どんなドレス着るの? もう用意した?」

「……ドレス?」

 聞き慣れない響きに、暫く脳の検索機能が追い付かない。なんだっけそれ、と聞きたい心が逃避であることは間違いなかった。

 ドレス───スカートで、華やかで、肩や背中や胸元の露出が激しい、女性的な衣装。検索が完了する。絶望だ。

「舞踏会……だもんね……」

「う、うん」

 ボクがとてもではないがハッピーに見えない様子で、アニスもたじろぐ。

 着飾ることへの抵抗があった。これといって深い理由などはなく単純に好みの問題なのだが、女性らしいものが苦手なのだ。自分に似合うと思えないし、そうして着飾って「女」を売る自分が気持ち悪く思える。

 とはいえ、舞踏会にドレスを着ずに出席するわけにはいかない。ただでさえ憂鬱な舞踏会が、更に地獄絵図を描き始めた気がする。

(逃げたい……)

 そうは思っても、逃げられないのが現実だ。導師補佐役を投げ出すわけにもいかないし、代役が立てられるわけでもない。時間は着実に迫ってくるし、それまでに出来ることくらいはしなくては。

 最終手段としてテセに内緒で被験者と入れ替わる選択肢も残されてはいるので、それだけが救いだった。なんとなく、彼女は当たり前に踊れる気がする。

「アニス。ドレスって街のどの辺で買える?」

「あ、まだ買ってなかったんだ。じゃあドレス選びに行こうよ!」

「え。いいの?」

「もっちろん! ドレスは女の子の夢だもんね♡ 可愛いの探そ~」

 いきなり人選を間違ったかと思ったが、しかしドレスは着飾るために買うのだ。端から見て「可愛い」「綺麗」と思われることは必要だろう。

 ボクにはドレスの良し悪しなど分からないし、似合う似合わないも分からない。それが分かるなら、アニスはドレス選びにぴったりの人材かもしれなかった。

「その前にちょっと寄っていい?」

「へ? どこに?」

 きょとんと首を傾げる彼女に、ボクは自暴自棄一歩手前の顔で笑って答えた。ボクの生命線。

「最終手段のとこ」










*****










「……で。私のところへ来たのね?」

「うん。助けて、アリア」

 場所は被験者の私室だ。随分と物が増えた、しかし綺麗に整えられている彼女の部屋に、ボクらは二人でいる。アニスは出掛ける準備で一度別れた。

「助けて、だなんて。勿論手伝うわ」

 そう意気込みながら答える彼女は切り替えが早く、すぐに舞踏会に必要な準備を挙げていってくれる。

「まずは衣装ね。それからお化粧と、靴と……髪も当日整えてもらわなくちゃ。コサージュとかの小物もないのよね?」

「何もない」

「分かったわ。ドレスに合わせて買いに行きましょう。それからダンスだけど……」

「自信ないなぁ」

「いいわ。私が教えるもの。ちゃんと踊れるようにしてあげる」

「ありがと……」

 なんと頼もしいことか。それからもマナーの確認など、様々な準備項目が挙げられる。それらをいつ確認し、片付けていくかまで逆算して予定を立ててくれた。もうなんか、こっちのアリアが出席した方がいいんじゃないかなぁ。

「これは最終手段なんだけど」

「なぁに?」

「アリア、踊れるよね」

「ええ」

 ダンスを教えてくれると言っていたし、やはり踊れるらしい。これは朗報だ。ボクは心が折れないための命綱の確認をする。

「もしもの時は……」

「……もう。しょうがないわね」

 上目遣いに見上げれば、ボクに甘いこの姉は呆れた様子で、しかし仕方がないという言葉の通りの顔で笑って頷いた。

「約束してあげる。どうしても挫けたなら私を頼って。可愛い妹の頼みですもの。代わりに踊るくらいなんでもないわ」

「助かります……」

 いつも思うけどこの姉、ボクにゲロ甘過ぎないだろうか。この分だと何をお願いしても最後には聞いてくれそうだ。いつかボクに悪用されないか心配になる。……どこからが悪かは分からないけど。

 そんなわけで、心強い味方を得てボクはダアトの街へ出ることになった。










*****










「きゃわ~ん♡ かわいいよぅ」

 大量に並ぶドレスを前にアニスが幸せそうな悲鳴を上げていた。ボクは「なんか布がいっぱい」くらいの気持ちなので、何の差なのだろう。

 被験者は一片の躊躇いもなく店員に近付いた。強い。

「あの子に合うドレスを探しに来たのですけれど」

「かしこまりました」

 店員は丁寧に頭を下げると、無駄口を叩かずに要望を聞いていく。なんだこの店、教育が行き届きすぎでは?

 近くにあるドレスを触って値札を探してみる。見つからない。もしかして、と予感がした。

「ここ、高いんじゃ……」

「すぐにお持ちします」

「ありがとう。お願いします」

 店員がもう一度頭を下げて側を離れる。あっという間に被験者が話をつけたらしい。手早い。アニスもこれには驚いているようだ。

「ほえ~。よくそんなにぽんぽん希望が出るね」

「だってアリアに似合うドレスですもの。頭の中に大体のものは描けているわ」

「あー、はいはい」

 感心していた顔が半眼に変わる。相変わらずの姉バカぶりに呆れたのだろう。肝心の被験者は全く気にしていないようで、店頭に置かれている小物などを精査している。眼が厳しい。

「でも、自分で選びたくないの?」

「これだけあるとよく分からないよ。寧ろ心強い」

「ふーん」

 なんて会話をしながら待てば、店員が戻ってきた。一つのハンガーラックを押して。大量のドレスが掛かっている。候補が多いのか、そもそもの店の絶対数が多いのか、判断がつかない。それともこれが普通なのか。

 店員が三度頭を下げる。

「お待たせ致しました」

「ありがとう。じゃあ、アリア。試着をするわよ」

「え」

「え、じゃないわ。ドレスは体のラインの出方も大切なの。本当はオーダーメイドにしたいくらいなんだから。試着なしでは買えないわ」

「えぇ……」

 この世の地獄って分割で来るのかなぁ……。










*****










 ボクを除いた二人がきゃっきゃうふふをしながらドレスを選ぶこと二時間。被験者があれやこれやと注文を出し、アニスが意見を出しまくり、店員が応え、もう何着試したのか分からなかった。最初は一応分かったドレスの違いすら、今のボクには分からない。疲れもあってどれも同じに見える。

「うーん……なかなかピンと来るものがないわね」

「そう? アニスちゃんはさっきの薄い桃色っぽいやつとか似合ってたと思うけど」

「似合ってはいるのよ。私の可愛い妹ですもの。似合わない筈がないわ」

 その絶対の自信はどこから出てくるのか。大体同じ顔をしているのだから、ボクを褒めれば自分を褒めているのと同義ではないだろうか。多分、彼女はボクを褒めているのだと言うのだろうけど。

 うーん、と二人揃って頭を悩ませている。店員も、こちらの要望だけでは無理だと判断したのか、途中からプロ目線でドレスを追加してくれていたのだけど、その手も止まっている。万事休すなのだろう。ボクにとっては休みが貰えるなら貰いたい状態なのだが。

(ドレスって言ってもなぁ……)

 自分の事に人を付き合わせているのは事実で、何もしないのも心苦しく適当にドレスを眺める。勿論選んでいるフリだが、フリをするだけえらいと思って欲しい。

 どれも同じに思えて、一周回って二人が何をそんなに迷っているのか分からない。もうこれでいいんじゃないかな、と適当に目についたドレスを手に取ってみる。

 白のドレスで羽根をモチーフにした刺繍やレースが珍しい。裾や袖から淡い緑のフリルが覗いていて、それがボクの目を引いたのかもしれなかった。スカート部分なんて二層になっていて、その切り返しに同色の花の飾りが惜し気もなく、しかし慎ましやかにあしらわれている。

「気になるドレスがあったの?」

「ああ、うん」

 面倒のあまり適当に頷けば、被験者とアニスがボクの持つドレスを見る。意外そうな顔をした。

「緑? アリアは赤系か青系みたいな、分かりやすい色の方が似合うと思うけど」

「でもこの羽根の刺繍、凄く繊細だわ……作った人の愛を感じる一品よ」

「まぁ確かに、他には見ない感じだね。試着してみたら?」

「そうね。着てみなくちゃラインもよく分からないもの。着心地も大事だし、踊れるかも重要よ。着ていらっしゃい」

 促されるままにカーテンの向こうへ店員と入り、ドレスを着る手伝いをしてもらう。段々ドレスが着なれてきていて、ちょっと意味がよく分からなくなっている。

 とりあえず、着てみれば案外悪くないような気がした。ドレスなので軽いとは言えないが、動きやすさがある。今までのドレスと何が違うのだろう。

 二人の反応も見るためにカーテンから姿を現せば、その反応も上々だ。

「わ! いいじゃん。お姫様~って感じ」

「当初の想像とは違うけれど……よく似合ってるわ。着てみた感想は?」

「悪くない」

「じゃあ、あとは動きやすさね」

 被験者の指示の下、様々な動きを試してみる。どれもこれといって困ることはないし、ラインが崩れることもない。やはり悪くないのではと思っていれば、被験者が頷いた。

「いいんじゃないかしら。何より、本人が気に入っているのが大切だもの」

「気に入ってる?」

 うっかり尋ね返すくらいにはびっくりした。自覚はなかったけれど、ボクはこのドレスが気に入っているらしい。

 確かに、前向きに検討しているのはこの一着だけだ。あとは「違いが分からないからどれでもいいんじゃないか」というレベルなのだから。

「そっか……気に入ってるのか」

「気に入ってるのよ。だって貴女、ようやく楽しそうな顔をしたもの」

 指摘を受けて思わず自分の両頬に触れるが、そんなことをしても表情が分かるわけではない。ボクの様子に被験者がくすりと笑った。それから店員へ一声掛ける。

「こちらのドレスでお願いします」

「かしこまりました。すぐにご用意致します」

 少々お待ち下さいませ、というやり取りをしてボクは試着を脱ぐことになる。鏡に映った自分の姿は見慣れず、やはり一つ世界線を間違えたのでは、という風に映った。










*****










 ドレスが決まれば、あとはとんとん拍子に話が進んだ。小物や靴を買って必要なものは揃う。合わせるための基準があるというのは大きかった。

 どれもそれなりに値が張ったようだが、経費で落とすから心配は要らない。まぁ買いたくて買うわけではないし、当然かもしれなかった。

 時間は思ったより経っていて、陽が落ちた中を教会へ戻っていく。

「もうへとへとだよぅ」

「付き合ってくれてありがとう。アニスも、アリアも」

 礼を伝えれば被験者はにこりと微笑んで、アニスも疲れたという割りには笑顔で応える。

「いいよ。アリアがドレス選びなんて面白いし、この三人で買い物っていうのも滅多にないことで楽しかったから」

「基本的に、私もアリアも気ままに外を歩けないものね」

 被験者の言う通りで、祀り上げられるのも楽じゃない。被験者は主にボクのとばっちりで外出を控えるよう言われていた。

 今日は、ボクも被験者も容姿を隠すために外套を着てフードを深く被っている。と、アニスが何かに気付いたように声を上げ、ボクを見た。

「あれ? ねぇ、アリア」

「なぁに?」

「シンクはどうしてるの?」

「え? シンクなら仕事で街の外に行ってるけど……流石に帰ってるんじゃないかな」

 今どうしてるかは知らない、と言えばアニスは「そうじゃなくて」と少し難しい顔をして、戸惑いのある顔で続けた。

「シンクってアリアの護衛役でしょ? 勝手に出掛けたりして大丈夫?」

「居なかったんだからしょうがないよ。そんなこと言ったら、ボク外に出る仕事出来なくなっちゃうし」

 今日の外出も、公務のための買い物であり仕事の一環だ。シンクがいないと街に出られないようでは仕事に差し障る。今回の用事はボク自身が出ないとままならないものでもあった。致し方ない。

「大体アニスと一緒だし。導師守護役がついてるなら危機管理も完璧だって」

「うーん、そうかなぁ……」

 アニスは首を捻ると、「どう思う?」と被験者へ問うた。ボクの意見に賛成してくれるかと思えば、彼女は困った顔をする。

「アリアの意識を改革した方が良さそうね」

「え」

 何か違っただろうか、と動揺するが彼女達はボクを置いてけぼりに話を進める。

「でもでも、シンクの問題なんじゃない? もっと分かりやすく、バーン!と言わないと!」

「そうね……あの子、そういうの苦手そうだものね。この分じゃ、ある日突然拐われてしまってもおかしくないのに」

「にぶにぶだもんね~」

 二人は何の話をしているのだろうか。前提のない曖昧な会話についていけない。ボクの意識のどこに問題があるのか分からないし、何故シンクに問題がある話になったのかも分からない。

 拐われるなんて話をしていたが、幾らなんでも戦える身で簡単に拐われるわけもない。五感もどちらかと言えば鋭い方だと思うし……本当に何の話なのだろう。問おうと思うが、それより先に教会に着いてしまった。

「じゃ、私は戻るね。また何かあったら呼んで♡」

「あ、うん。ありがと、アニス」

「どういたしまして」

 応えて、彼女は機嫌良さそうに立ち去った。途中でお菓子を手土産に買っていたし、置いてきていたフローリアンの様子を見に行くのだろう。ボクもついていきたい気持ちはあるが、一度部屋に戻って休みたい。

 被験者もボクを向いて別れを告げた。

「私も戻るわね。今後のスケジュールに関しては、明日改めて話をしましょう」

「ありがとう。アリアが大丈夫なら、この後お茶でもしてから話してもいいけど」

 そう言えば、彼女は首を横に振った。

「やめておくわ。貴女と一刻も早く話したいのは、きっと私ではないもの」

「ほえ?」

「頑張ってね」

 何故か応援されて、彼女も去って行った。何だと言うのだろうか。この後は真面目に仕事をするつもりなどないし、休憩をしたらテセと舞踏会の準備について進捗を共有して夕食にするつもりだ。特に頑張る必要はない。

 やはりよく分からないけれど、まぁいいやと思うことにする。分からないことは分からない。

(疲れたぁ……)

 とりあえず、ボクは自室へと向かう。慣れた道を行き、誰に遠慮する必要もない自室の扉を開いて身を滑り込ませた。明かりはついておらず、誰もいない───筈だった。

「オカエリ」

「……ただいま」

 咄嗟にそう返せたことを褒めて欲しい。何故かボクの部屋のソファに見慣れた姿が足を組んで座っていた。とりあえず明かりを点ける。

 そこにいるのは先程話題にしたばかりの、ボクの護衛役だ。

「なんでいるか、聞いてもいい?」

「身に覚えはあるんじゃないの?」

「あ、はい……すみませんでした……」

 特に何を言われた訳でもないが察してしまった。何も言わずに街へ出たことが知られており、彼はそれを問題視している。……いやいや、でも。

「ちょっと過保護だと思う」

「アンタ、自分がなんて呼ばれてるか自覚がないの? ただの導師補佐役ってワケじゃないんだよ」

「……ご尤もです」

 ぐうの音も出ない。ローレライ教が何より信仰されていたことと、始祖ユリアが崇められていたことはほぼイコールだ。今は預言が廃止され教団も名を改めたとはいえ、求心力として期待した「始祖ユリアの生まれ変わり」の影響力は絶大だ。なんならこれ一本であらゆる反発を防げたと言っても過言ではない。

「一応、導師守護役と一緒だったんだけど」

「へぇ。ボクはいつの間にかクビになったんだ?」

「うぅ……」

 分かっていて投げられる言葉に大変居心地が悪い。ここボクの部屋なのに。

「いや、でもあの。遊びに出た訳じゃなくて。ちゃんとお仕事でした」

「仕事?」

「そそ。今度、舞踏会あるでしょ。アレの準備」

 告げれば「ああ」とシンクは合点がいったように声を上げる。そうでもなければ導師補佐役が街に出る用事なんて基本的にはない。

 とりあえず向かいのソファへ腰を落ち着けた。

「全然話来てなくて。びっくりしちゃった」

「ファーストダンスを踊るんだっけ?」

「そー。今から憂鬱だよ」

 裏表なくそうぼやく。被験者のお陰で準備が順調なのは有り難いが、この先は主にボクの努力が必要になる。ダンスの練習やら社交の練習やら招待客の暗記やら……やることが沢山だ。

 そう思っていると徐にシンクが仮面を外す。その下から現れた千歳緑の瞳を見て、ボクはそれに視線を吸い寄せられてしまった。

(うーん、やっぱり顔がいい)

 口に出したことはないが、ボクはテセやシンクの顔を「顔がいい」と評価していた。身長は可愛げがないが、顔は大分可愛げがある。年齢相応だがどこかあどけなさがあって、ちょっと意味深だ。特に千歳緑の瞳が好きで、ついつい眼をやってしまう。

 と、ぼんやり眺めすぎてしまっていたらしい。シンクに訝しげに問われる。

「……なに?」

「ああ、いや。顔が見られたから嬉しくて」

「は? 見たって何もないでしょ」

「そんなことないよ。眼の保養になる」

「……何言ってるの、アンタ」

「こっちの話」

 自分でも馬鹿なことを言っている自覚はあるので適当に誤魔化した。この手の話がシンクに通じるとは思ってないし。……と、思ったのだが。彼は思わぬことを呟いた。

「……アンタ、前からそういうこと言うよね。ボクの顔が見たいとか」

「え。あ、うん。見たいよ、大体いつも」

「なんで?」

「なんでって……好きだから?」

「………………」

「そこで沈黙されると気まずいんだけど……」

 軽口に聞こえるだろうが、軽口のつもりはない。紛うことなき本心だ。その分気まずさはある。シンクは少し大きめの溜め息を吐くと「で?」と話を戻した。

「準備は順調なの?」

「うん。今日はドレスとか小物とかを見繕ってきたよ」

「……ドレス?」

 なんだか昼間のボクみたいだ。そんなものもあったかと言いたげな顔をして、それから何やら嫌そうな顔をする。

「何その顔」

「似合わないと思ってね」

「それはそう」

 素直すぎて笑ってしまう。全くの同意見だ。ボクがドレスとか、馬子にも衣装すぎる。そう思っているとぽつりと言葉が続けられた。

「やめたら?」

「へ」

「どうせまともに踊れもしないんだろ。無様を晒す前に辞退しろって言ってるの」

 その通りすぎるのだが、なんだか様子に違和感がある。眼を逸らして言っている様子が冗談を言ってる様子とも違う。

「そうしたいけど……代役も立てられないし」

「被験者でいいでしょ。どうせ分からない」

「そう言ったけどテセがダメだって」

「素直に従うワケ? 大体、アンタに着られたら店の方も迷惑だよ。教団だって恥をかく。アンタが着飾ったって壁の花にもならないよ」

「………………」

 流石に言葉に棘があると思う。思うが……頑なに逸らされてる視線がボクの判断を迷わせる。なんだか本意じゃなさそうだ。リアクションに困る。

「えっと……ボクに舞踏会に出て欲しくない?」

「さっきからそう言ってる」

 うん、まぁ伝わってる。よく分からないけどシンクはボクが舞踏会に出るのがお気に召さないらしい。そんなことを言われてもボクに決定事項を覆すことは出来ないのだが。

 困っていると更に掛けられた言葉があった。それはちょっと、流石に行き過ぎた発言だった。

「大体アンタに女らしい格好が似合うって? 冗談でしょ。一度鏡見た方がいいんじゃない」

「………………」

 自分で言うのもなんだが、容姿は悪くない。被験者のアリアは少なくとも女性らしい服装が似合うし、深窓の令嬢と言っていい見た目だ。同じ容姿を持つボクがそこまで醜いとは思わない。大体、今日試着でドレスを着た姿を見たが気持ち悪いなと思った程度だ。そこまで言われる程じゃない。

 でもシンクの言葉は明らかにボクを傷付けるためのもので───不覚にも、ちょっと傷付いてしまった。ソファから立ち上がり、彼の方を向かずに告げる。

「ゴメン。ちょっとテセと話し合うことあるから行くね。戻るまでに自分の部屋に帰ってて」

 そのまま迷いなく部屋を出た。シンクはボクを引き留めることもなくて。彼がどんな顔をしていたか、ボクは分からないままになってしまった。
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