短編:sideテセレマ
ダアトに残り、「導師」として出来ることをする。
外殻大地の崩落や地核の液状化、そして障気の成り立ちや預言について知識を入れ直す。創世暦時代の記録も幾らか目を通した。それでも知識に完璧という言葉はなく、僕は時間の許す限り知ることを続けた。
また、モースの居ない間に教団の状態を少しでも立て直そうと動く。今後を思えば、預言を導の一つと考える「導師」に従う者が教団には必要だ。
これまで導師派と考えられていた者達も、どこまでが信用できるかは分からない。ヴァンやモースに通じる者を見極めるため、慎重な行動が必要だった。一先ず中立の立場を守り続けた詠師トリトハイムを中心に、少しずつ輪を広げる。
いつまた自身がルーク達へ同行してもいいように。戻った時に大詠師であるモースを拘留出来るように。そして、自身の命が尽きても教団が変わり、存続していられるように……「今」出来ることを。
そうして慌ただしく過ごす中で、僕には一つ気掛かりがあった。それはアリアの行方であり、彼女はアッシュを送り出したその日に姿を消していた。
アッシュが連れて行ったのか、丁度目を覚まして自ら彼について行ったのか。少なくともダアトにいる様子はなく、モースの置いていった監視も事態を把握していないようだった。
モースの元にいないならいいが、もしヴァンに連れ出されていたらと考える。トリトハイムの部下を借り、秘密裏に捜索を行わせているが良い報告はなかった。
そうして心配と言い様のない不安を募らせる中、事態は唐突に変転する。
姿を消したアリアが、自ら僕の前へ現れたのだ。
*****
アリアは何の予兆もなく僕の部屋へ現れた。
僕は驚きながら慌てて彼女に駆け寄った。顔色は良く、一先ず心配することはなさそうだ。安堵する。
「どうしてここに……」
「色々あってね。ルーク達の状況も聞いてる。合流に向かう前に、顔くらい見せておこうかと思って」
「僕も行きます!」
「えっ」
間髪入れず願った僕にアリアが驚いた顔をする。
考えるより先に言葉は飛び出していた。どのような経緯で彼女がここにいるのかは分からないが、一人で送り出すことなど出来ない。例え武力がなく足手まといになるとしても、それだけは譲れなかった。
じっと見詰め続ければ、アリアは迷ってから仕方がなさそうにでも了承してくれた。彼女が足手まといは要らないと言ってしまえばそれまでだったため、承諾が得られて安心する。
すぐに旅支度を終え、詠師トリトハイムにダアトを任せて抜け出した。野営を繰り返し、ダアト港を目指す。道中の戦闘行為はアリアに頼る他ないが、幸いにも強力な個体に遭うことはなかった。
アリアの姿がない間のことを伝え、代わりに彼女がどこにいたのかを問う。だが彼女の回答は曖昧だった。
「ちょっと親切な人に助けられてさ」
「親切な人、ですか?」
「そそ。危ない人じゃなかったよ。その人のお陰でテセに会いにも行けた訳だし」
「……そう、ですか」
モースに軟禁された彼女を助け出す人物に、心当たりはない。彼女の口振りではアッシュでもないようだし、名前を言わないということは僕と面識のない人物なのかもしれない。
教団の関係者であることは間違いなく───その人物なら、アリアの騎士を任せられるかもしれないと思う。彼女がもしダアトへ来ることを選んだなら、その時に「親切な人」の名前を聞こう。そう決める。
数日をかけ、シェリダンへ向かう定期船へと乗り込んだ。船の上で、僕はずっと口に出来なかった話をする。
「モースから聞きました。貴女が……『アリア』が大詠師の養女で、『導師』の婚約者だと」
「あー……そっか」
アリアは視線を逸らすと海へと落とす。驚かないのかと問えば、知っていたからと答えが返る。
「どうして言ってくれなかったんですか? 僕も無関係ではない筈です」
「そうだけど……ほら、婚約者なのはボクじゃなくて被験者だから。余計な混乱を招きたくなかったんだよ」
「……アリア。こっちを向いて下さい」
「………………」
渋々、というようにアリアが僕の方を向く。知られてしまって気まずいと顔に書いてある。アリアが僕に話さなかったのは……話しても仕方がないと思われているからか。
胸が、痛む。
「……何も知らなかったのは僕だけだったんですね。何も知らずに貴女にダアトへ来て欲しいなどと……貴女を何に巻き込んでしまうかも分からずに。すみません」
「待って待って。そんなことで謝らないで。テセは悪くないでしょ」
「ですが、僕の願いで貴女は困った筈です。……こんな風に困らせるつもりではなかった」
それは偽りない言葉だった。アリアを側に望んだのは、婚約者だった被験者の代わりとしてではない。だがその関係性を知っていたアリアからしたら違っただろう。僕に招かれてダアトへ来れば、自ずと被験者の代わりを担わされてしまう。モースがいる限り。
「婚約者って言っても公にはされてないし、どうにでも出来ると思う。そんなに真剣に考えることでもないよ」
「……アリアは気にならないんですか?」
「気にはなるけど……ボクは被験者じゃないから」
そうだ。婚約関係にあったのはお互いに被験者の話。レプリカである僕達には関係がない。───アリアは、僕の婚約者ではない。納得した筈なのに少しだけ胸が痛かった。
「僕は……気になります。モースにとって貴女は『アリア』だ。それはきっとレプリカであっても変わらない」
胸の痛みを覆い隠すように言葉を紡ぐ。
僕は彼女に選んでもらわなければならない。それなら、今僕が伝えるべきは身勝手な感情ではない。彼女の安全を約束できなくてはならない。
「貴女がモースに利用されるのは嫌です。貴女には被験者の代わりではなく、貴女のまま生きて欲しい……貴女のまま、側にいて欲しいんです」
「……それは」
「モースは今回の件で拘留し、大詠師の地位を剥奪します。だからアリアは何も心配しなくていい……それを改めて伝えたかったんです」
「………………」
アリアの表情は晴れない。それどころか、視線を下げて何かを思う顔をする。「どうしてそこまで」と小さな声で問われる。
「貴女が、僕に名をくれたからです。僕に、僕であることを教えてくれた」
「……そんな大層なことじゃないよ」
「いいえ。僕にとっては……大切なことだったんです」
アリアにとってはささやかなことだったのだろうと思う。でも、僕にとっては初めてのことだった。初めてで……唯一のことだ。大切でない筈がない。
「……考え直して欲しい」
「アリア……?」
ぽつり、とアリアが呟く。
「ボクをダアトへ連れて行くこと。考え直して欲しい」
「どうして……」
「テセのそれは、ちょっとした勘違いだよ。ボクはテセが思うような人間じゃない……そんなに、期待しないで欲しい」
「………………」
何を言われたのか分からない。勘違い───何を勘違いしていると言われているのか。
「側に望んでくれるのは……光栄だなとは思う。でも、ボクは相応しくないよ。自由を気取った、無責任な人間だから」
そんなことはない。僕の見てきたアリアは、自分の責任を知っている人だ。優しいから、負わなくていい責まで負ってしまう人。いい加減に放り出すところなんて見たことがない。でも、
「だから……ちゃんと、考えて。もう一度、ボクでいいのか」
それは明確な拒絶ではなかった。でも僕と彼女の間に隔たりを感じる。何かが理由でアリアは「これ以上近付かないで欲しい」と僕に伝えている。それが何か、分からない。……頭の中が混乱していた。
シェリダンまでの時間を、僕達は自然と静かに過ごした。
*****
シェリダンに着き、技術者である「い組」と「め組」から話を聞く。ルーク達とは入れ違いになってしまったようで、戻ってくるのを待つことになった。
不意に訪れた、空白の時間。
(アリアは、僕の思う人間ではない……か)
宿で一人考える。船の上で混乱していた頭は、少しばかり冷静さを取り戻していた。
アリアは「自分は相応しくない」と言った。どうしてそう思うのかは分からない。でも、アリアにとっての自身はそうなのだろう。僕にとってのアリアと、何かが違って見えている。
眼を閉じて考える。僕に見えているアリアが偽りの存在かを。
(……いいえ)
そんなことはない。アリア自身に見付けられないだけだ。僕が見付けているアリアが。なら……どんな言葉なら届くだろう。僕の眼に映る「アリア」を分かってもらう必要がある。
少しだけそれについて考えて……僕は体を起こすと、隣の部屋で休むアリアを訪ねた。
「一日、貴女の時間を頂けないかと思いまして」
「ほぇ?」
「今、僕達に出来ることはありません。ですから少しだけ緊張の糸を緩めて過ごして欲しいと思ったんです」
船の上でのこともあって、アリアは僕がそんな誘いをすると思っていなかっただろう。初めは戸惑っていたが、何かを思ったのか了承される。街の中を観光して歩こう、と誘って二人で宿を出た。そうして、日が暮れるまでゆっくりと過ごす。
それは旅の合間の、しかし旅とは関係のない自由な時間だった。僕とアリアは難しいことを何も考えず、ただのんびりと時間を共有する。こういうものを「デート」だというのだと、以前アニスに教わった。アリアはきっと、考えてもいないだろうけれど。
貝の装飾を使った髪留め───それをアリアへ贈る。今日一日、我儘に付き合ってくれたお礼……というのも嘘ではない。でもそれよりも、ただ彼女に贈りたかったからという理由の方が大きかった。
彼女に、何か残るものを贈りたかった。不意にいなくなってしまいそうな彼女の、少しでも重さになれるものを。僕という存在が少しでも彼女の中に重さを持てるように。───側にいられなくなる前に。
彼女は驚いてから、小さくはにかんで礼を伝えてくれる。僕の贈り物を喜んでくれる。それが、僕にとっても嬉しい。自然に僕も礼を口にして、それからその言葉を伝えた。
「……よく考えてみようと思います。アリアと僕のために」
「うん……」
何を、とアリアは問わない。望まれたのは「もう一度よく考えて欲しい」ということ。「行きたくない」とは言われなかった。
だから僕はもう一度自身の気持ちと向き合い直すことにした。アリアを側へ招くのは正しいことなのか。僕の想いは間違ってはいないか。アリアの知る彼女自身と、僕の知る彼女……そのどちらが正しいのかを。
きっと、次に答えを出す時が、僕達の結論になるのだと思いながら。
*****
ルーク達とシェリダンで合流し、完成した計測装置を持ってタタル渓谷のセフィロトへ向かう。ティアが障気を吸っているという話が気には掛かったが、確かなことは分からない。
計測を終えてシェリダンへ戻れば、外殻大地の降下について両国と話をするべきだとルークが口にする。そうして平和条約をきちんと結ぶべきだという主張は正しく……シェリダンの宿で、僕は一人考える。
(今平和条約が結ばれても……アリアはきっと、僕の答えを待ってくれる)
何も言わずにいなくなることはないだろう。少なくとも僕の知るアリアはそういう人物だ。伝えられた希望を胸の内で繰り返す。
(期待しないで欲しい、か……)
僕は彼女に過大な期待をしているのだろうか。考えてみても分からない。
そうして考え込んでいると、ルークとガイが僕へ声を掛けた。悩んで見えて、心配を掛けてしまっていたようだ。
「すみません。このような大事な時に、ご心配をお掛けしてしまって……」
「そんなのいいよ! 俺だって散々みんなには心配を掛けたっていうか……迷惑を掛けたっていうか……」
「お前が落ち込んでどうするんだよ。……でもま、悩みなんて誰にでもあるもんだ。心配だってこっちが好きでしてる。謝る必要なんかないさ」
「ガイ……ありがとう」
「俺で力になれることがあるなら言ってくれ。俺、イオンには沢山助けられたからさ。ちゃんと力になりたい」
「ルーク……」
真剣な表情に驚き、改めて二人に感謝を伝える。
彼らの意見を聞いてみてもいいものか、少しだけ迷いが生じた。世界を存続させようと続いている旅を思えば、あまりにも個人的な話だ。それでも平和条約はすぐに迫り、思い悩む時間は多くはない。
意を決し、二人の厚意に甘えさせてもらうことを決める。慎重に言葉を選び、尋ねた。
「期待しないで欲しい、と願われた時……お二人ならどうしますか?」
「なんだ? そりゃ……卑屈が極まったルークよりヘソのねじ曲がった希望だな」
「俺を比較対象にするな! ……でも、そうだな。期待って怖いけど、されなきゃもっと怖いんだ。期待って、それだけ信じてくれてるってことだろ? ガイやティアが信じてくれなかったら……俺、多分ここまで来られてないよ」
「……そうだな。俺もお前に信じられてなきゃ、今より気持ちが揺らいでたかもしれない」
ルークはアクゼリュスを崩落させた後のことを、ガイはヴァンの同志としての道を断ったことについて言葉にしてくれる。
期待をするということは、誰かを信じるということ。
「詳しい事情は分からんが……もしルークがそんなことを言ったら、殴ってでも目を覚まさせてやるよ。そんな後ろ向きなことを言う暇あるなら、血反吐はいてでも前見て歩け……ってな」
「本人を前にして、んなおっかねーこと言うかぁ? 普通」
「バカ。言われたと思って肝に命じとけよ」
「……だな」
ガイの言葉にルークが頷いて、僕へ向き直る。その碧眼は少しだけ言葉に迷うように彷徨って、それからたどたどしく答えがある。
「俺は誰かに期待しないで欲しいなんて……言われる想像も出来ないけどさ。言う奴の気持ちなら、ちょっと分かるかもしれない。期待しないで欲しいって……哀しい言葉だよな」
「哀しい……ですか?」
「ああ。わざと一人になろうとしてるっていうか……そいつが一番、自分を信じてやれてねぇんじゃねーかなって。相手が誰だろうがさ、そんなこと言われたら俺、哀しいと思うよ」
「………………」
二人の答えを改めて胸に染み込ませる。
ガイの答えは相手の希望をはね除けるもので、ルークの答えは自身の気持ちに注目したものだった。どちらも自身の想いを大切にした答えのように思える。
(僕の気持ちは……どうだろうか)
考え直して欲しいと伝えた時のアリアの顔を思い出す。躊躇いのある顔だった。出来ることなら言葉にしたくないと顔に書いてあるように。それでも彼女は僕にもう一度考えろと促した。……きっと、僕のために。
(アリアが……アリアを信じられないのなら)
その理由を知りたい。そしてきっと、その理由を知っても僕がアリアを信じる想いに変わりはないと思う。僕にとってのアリアは強く、優しく、甘く、弱く……照れ屋で不器用な、可愛らしい人だから。
僕の見てきた彼女が幻でしかないとは思わない。
「……二人とも。ありがとう」
「いいって」
「誰がそんなヘソ曲がりなことを言ったのかは知らねぇが……一個忠告させてもらっていいか?」
「? はい」
頷けば、ガイはハッキリと言った。
「期待しないでくれって言われたからって、期待しちゃいけねぇ訳じゃないんだぜ」
「……え?」
「期待ってのはさ、勝手にするもんなんだ。期待するのもされるのも、しないでくれって願うのも。全部そいつの都合だろ? 登場人物全員、身勝手なモンなんだよ」
「────、」
ガイの言葉は思いもしないところで響いてしまった。
僕ばかりが自分勝手なのだと思っていた。身勝手な願いに彼女を付き合わせてもいいものか、考えていた。けれど彼女にも、彼女なりの身勝手さがある筈だ。
(きっと……誰もが身勝手で……)
勝手に期待をして、勝手に望んで、勝手に信じる。そうして当たり前に生きている。それなのに何故アリアがその逆を願ったのか、本当のことは分からない。でも……少しだけ、どう考えていいのか分かったような気がした。
「……ありがとう。ガイ、ルーク」
「どういたしまして」
「俺はなんも……ちゃんとしたこと言えなかったし」
「いいえ。側にいてくれる人の大切さを、僕は忘れていたようです。思い出すことが出来たのはお二人のお陰です」
感謝を再び伝えて、思う。
全てを自分の責任だと思う必要はないのだと。
同時に彼女がガイの過去には関心を示さなかった理由も分かってしまった。ガイは自身の責任を他者へ預けることをしない。ティアやナタリアも……今のルークも、ここにいる人間は全員がそうだ。
(けれど僕は)
自身の責任を背負いきれていなかった。背負えない分を彼女の優しさで補い、甘えてしまっていた。チーグルの森でも、街道でも、フーブラス川でも……彼女はいつも、背負えない誰かの代わりに背負おうとする。
底無しに優しい人なのだと思う。ガイの話や僕の考えが検討外れだとしても、彼女を優しいと感じている僕の意志までは否定できない。
(責任を、全て背負ってしまわなくていいんです)
もっと無責任に、時に身勝手に、子供のように誰かを責めたとしても構わない。けれど、きっと彼女はそうしない。身勝手な願いを伝えた僕を傷付けたくないと、苦しんでくれたように……優しいから、背負ってしまう。
(期待しないで欲しいという願いに、それでも期待したいと伝えたなら……貴女はどんな顔で応えてくれますか?)
その時の訪れを、期待で胸を温め心待ちにした。
*****
バチカルへ赴き、インゴベルト国王陛下と改めて言葉を交わす。戦争を起こすために国王陛下とナタリアの関係性を引き裂こうとしたモースを叱責し、その時のジェイドの言葉が耳に残る。
(生まれながらの王女はいない。そう在ろうと努力した者だけが、王女と呼ばれるに足る品格を得る)
「導師」も同じだと思う。僕は作られたその時から「導師」だったが、それが実の伴わない虚であったことは事実だ。自身の思う「導師」となるために、そして「テセレマ」の名に恥じないように、僕は変わりたい。
(両国に平和条約を結ばせ、ヴァンを止める)
ジェイドからアリアとの契約期間を延ばした旨は聞いていた。今度の契約はヴァンの計画を阻止し、ルーク達の旅が終わる時までだ。そうして世界の危機が去ったなら、僕達は自分達のいるべき場所へ戻ることになる。
寂しくは思うが、それが自然なことだ。そうしてその後は、預言に頼らない世界へ少しずつ変えていく。
飛行譜石をダアトで取り戻し、インゴベルト国王陛下とピオニー皇帝陛下、そしてケセドニア商人ギルドのアスターを連れてユリアシティへと向かう。そこで会談を行い、平和条約が確かに締結された。
ガイは腰から抜いた刃を、国王陛下へと向ける。
「母上はまだいい。何もかもご存知で嫁がれたのだから。だがホドを消滅させてまで、他の者を巻き込む必要があったのか!?」
「剣を向けるならこっちの方かもしれんぞ。ガイラルディア・ガラン。ホドは自滅した───いや、我々が消したのだ」
皇帝陛下が語ったのは、ホドでフォミクリーの研究を行っていたという話だ。それを隠すためにマルクト帝国こそがホドを超振動で崩落させ、消したのだと明かされる。
(教団は預言のために。王国は戦争と利益のために。帝国は研究を隠し反戦論を揉み消すために)
全ての合意の下にホドは見捨てられたのだと、答えが示される。そしてヴァンが何故預言を消そうと考え、大地を消すことも厭わないのかが分かってしまう。
人の命に価値がないと世界が烙印を押したから、彼も被験者の世界に価値がないと烙印を押すことを決めたのだ。
まるでアリアのようだ、と思ってしまう。
彼女は人の生死を問わない。殺す程の理由もないから放置している───戦場で積極的に命を奪おうとして見えた彼女の姿と、普段の様子との齟齬からそう感じる。
ならば人を殺す程の理由が得られたなら、彼女は簡単にこの世界に「価値はない」と烙印を押してしまえるのではないか。そんな不安が胸を過った。
頭を振り、不吉な考えを追い払う。
(考えすぎだ。きっとそうはならない)
自分が、ルーク達がいる。彼女が人を殺さない理由に、少なくとも今はなれているのだ。これからも大丈夫だ。
世界の過ちもこれから正せばいい。預言に頼りきり、自ら選択することを放棄してしまった。そうして意志や命の価値を預言よりも軽んじ、ヴァンやモースのような存在を生み出してしまった。
過ちはいつだって正せる。己を律し、人の道へ戻ることは可能な筈だ。それが簡単なことではなくとも、相応の時間が必要であると分かっていても。可能である以上、未来は模索できる。
人は変われる。世界は変われる。ルークがそうであったように。ティア達がそれぞれに強さを示したように。
(僕が変わり、アリアに変わって欲しいと願うように)
けれどその明るい願いは、当然のようにヴァンには届かない。地核の振動を止められては困るからと武力が行使され、シェリダンで民間人に犠牲が出る。
その死の痛みは、今度こそ自分自身の抱いた痛みだったと思う。アクゼリュスで死を見た時には、本当にその痛みが自身のものなのか信じられなかった。
だがシェリダンで見た死は確かにこの胸を痛めた。彼らの死を「仕方がない」と、「残念だ」と囁く他人事のような声は聞こえない。哀しみも、繰り返してはいけないという想いもある。
僕は変わったのだと……こんな形で実感することになったことも、少し哀しく思えた。
*****
地核の振動を止めるため、タルタロスで地核へ潜る。そうして後はアルビオールで脱出するだけだった。だがそれを阻む手は現れる。
「ここにあった譜陣はボクが消してやったよ」
聞こえた声は僕と同じものだ。同じであって、同じでない。恐らく世界にたった二人しか存在していない、イオンレプリカの片割れ───烈風のシンク。
「侵入者はお前だったのか……!」
「逃がさないよ。ここでお前達は泥と一緒に沈むんだからな」
仮面の下の表情は窺い知れない。けれど戦いは見る限り苛烈で、彼が本気でないなどということはないのだろう。僕は戦いに割り込む力もなく、ただ「導師」の証の一つでもある音叉の杖を強く握ることしか出来なかった。
(何故、彼はヴァンに従っているのだろうか)
戦いを見守りながら思考は回る。いや、思考なんて立派なものではなかった。あったのはただ多くの疑問ばかりだ。僕は彼のことを何も知らない。ずっと存在も知らないで、無責任に「導師」の座に座り続けてしまっていた。
(彼と言葉を交わしたい)
彼の思いを、理由を、目的を知りたい。話す機会が欲しいと思っていた。知ることで関係性を変えられるのではないかと期待していた。だからアリアに請われ、ダアト式譜術の譜陣を描き彼を止めた。仮面の下から現れた素顔に、真実を口にした。
───この手を、彼へ伸ばした。
「一緒にここを脱出しましょう! 僕らは同じじゃないですか」
「違うね。ボクが生きているのは、ヴァンがボクを利用するためだ。結局……使い道のある奴だけが、お情けで息をしてるってことさ……」
彼はそう嗤って、タルタロスから身を投げる。僕の手を叩き落とし、自身を屑と語り、ゴミと詰り、「必要とされているレプリカのご託は聞きたくない」と……どうしようもない程の拒絶を示されて終わった。終わってしまった。
「……あれ」
涙が頬を伝った。泣いたのはこの時が初めてで、僕はそれが何を意味するのか、理解が遅かった。あと少し早く、失う前に気付くことが出来ていたなら、まだ何か出来ただろうか。
(ああ……そうか。貴方は、僕にとって……唯一の兄弟のような……)
レプリカとして生まれた命に兄弟など存在しない。血を分けた家族などいる筈もなく、どこまでいっても生まれたその時は「被験者の代わり」でしかない。
それでも、僕がただ「導師イオン」ではなく「僕」であったように……シンクもまた「シンク」だったのだと思う。同じではなく、違うからこそ兄弟のような関わりを望めたのではないか。そう、思う。
それでも全ては終わってしまった後で、もう何も出来ない。この想いを、謝罪を……言葉や願いを伝えることは出来ない。
最低だと自己嫌悪する目の前で───世界は変転する。
「上で、信じて待ってて!」
願われた。空を映した澄んだ水色の瞳は自信に満ちていた。導の少女は有り得ないことにタルタロスを飛び降り、地核へ落ちていく。亜麻色の髪が、その姿があっという間に消えてしまい、理解が追い付かない。
(───どうして)
彼女が地核へ飛び込む理由がどこにあったのだろう。シンクの死に彼女は関係がない筈だ。追い掛けてどうなるというのか。彼女が何を考えてそうしたのか分からない。それでも自信に満ちた瞳と、確かに「僕」が願われたことだけは真実だ。
「アルビオールで脱出しましょう」
アリアを案じて乱れ掛けた状況を、僕は未来へ促す。
確かに数日前に「期待しないで欲しい」と願われた。それは「信じないで欲しい」という言葉であった筈だ。それでも今、彼女が僕に願ったのは「信じる」ことだったから。
他の誰でもなく「僕」に願った彼女に、僕が彼女を「大切」に想う気持ちが一片たりとも伝わっていなかったとは思えない。伝わっていたから、不安にさせないように願ってくれた。
(それなら、僕はアリアを信じるべきだ)
正しい判断である確証などない。信じて離れた結果、彼女は戻らないかもしれない。結果の分からない選択は恐ろしい。体が震え、膝をついてしまいたくなる。
それでも、それが「信じる」ということだから。祈るような心地で、僕はただ彼女の願いに応え続けた。
───そうして遥か上空で、僕は奇跡を見る。
青空の直中に、僕とよく似た顔の彼がいて。
その腕に、気を失った導の少女は抱えられていて。
差し出された腕から少女が滑り落ちる。
ゆっくりと転落し、僕の腕へと委ねられようとする。
でも───彼女は、少し融通が利かないから。
繋がれた手は解かれず、少年の顔に驚きがある。
転落する。
僕も彼も、同じように。
頑固で苛烈な彼女の意志へ転落する。
(ああ───本当に、貴女は)
「アリア」は心を、世界を変転させる。
物語の流れを大きく変えてしまう、強烈な旋律だ。
僕と違うその顔は、迷い子のように導かれた。