短編:sideテセレマ


 ───僕はアリアを側へ望むべきではなかったのか。

 どれ程考えても答えは出ない。

 自分の命が長くはないことは分かっていた。

 それでも彼女を知りたいと思った。

 側に望み、共に在りたいと思った。

 その想いに理由など必要だろうか。

 初めて会った時、不自然な命である僕を見過ごす行動が気になったから?

 安易な考えで危険な旅へ巻き込んだ罪悪感を誤魔化したかったから?

 幾度と渡された優しさが、陽だまりのような安心が忘れられなかったから?

 人の命を笑って奪ってしまえる彼女に、「導師」として憤ることが出来なかったから?

 その全てが理由の様で、その全てが理由に足らない。

 僕に「導師」を求めない瞳。

 命の価値を知らない少女。

 分かって欲しいと、この手が届いて欲しいと思った。

 何も出来ないことを、何も持たないことを。

 何も知らないことを、何も思えないことを。

 言い訳に足を止めてはいられなくなった。

 時間は進み、人は変わる。

 いつまでも同じ場所には居られない。

 失いたくないのなら、失わないための行動が必要だ。

 だからこの手を彼女へ伸ばした。

 側へ望み、枷を嵌めたいと思った。

 この手の中へ転がり落ちるように。

 僕の内に湧いた感情を、二度と取り零さないように。

 僕に僕を求めてくれた唯一の人を、失わないために。

 結局は醜く身勝手な欲望だと思う。

 僕が彼女を側へ望んだのは、僕のためだ。

 僕が勝手に彼女に幻想を見てしまったから。

 期待をし、満たされ、側へ縛り付けた。

 彼女がそれを望まないと分かっていながら、選んだ。

 だから僕は問う。問い続ける。

 彼女を側へ望むべきではなかったのか。

 僕のために側へ望み、彼女の自由を奪った。

 その行いは、果たして正しいものだったのかと。

 問い続けても答えは出ない。

 それでも僕は問い続けることしか出来ない。

 ───その罪に、許しを得てはいけないから。










*****










 テオルの森で、ラルゴとシンクと遭遇する。

 シンク───僕と彼の間には何もなく、赤の他人と言ってしまえばそれまでだ。だが、本当に僕と彼は無関係だろうか。

(僕のせいで廃棄された、僕と同じイオンレプリカ)

 そう思うことは間違っているだろうか。僕一人では答えは出せない。彼がどう思い、どう思われたいと考えているのか、僕は何も知らない。彼と言葉を交わす時間があれば違うのにと思う。

 僕がアリアにそれを望んだように───彼に、この手を伸ばすことは叶わないのだろうか。

 答えを出すための機会が欲しいと、僕は願った。










*****










 捕虜としてグランコクマへ入り、宿を借りてガイにかけられたカースロットを解く。そうしながら、ゆっくり出来る時間が取れなかったことと、ガイが平気そうに振る舞うために甘く考えていたことを悔いた。

 抵抗できない程に深く冒されている状態が、人の心身に健全である筈もない。解呪自体は問題なく済ませられたが、彼が心に受けたダメージは想像できなかった。

(ルークとガイなら……きっと、大丈夫……)

 強い眩暈と全身の疲労を感じながら胸の内で唱える。ガイはルークがレプリカであると分かっても側を離れなかった。だから今度も、きっと大丈夫だ。

「イオン様……少し休まれた方が……」

「……いえ。ガイが目覚めた時に、カースロットについてきちんと説明をしておかなければなりませんから」

 こうなってしまえば何もなかったことには出来ない。ルークはガイに理由を求めるだろうし、ガイも沈黙を守るべきではないと思う。

(……いや、沈黙を守って欲しくないんだ)

 ガイがルークに殺意を抱いていたことは変えられない事実だ。それによりルークが傷付いたとしても、ガイを知ろうとするだろうルークを遠ざけて欲しくはないと思う。互いを知るためには時間と、言葉が必要なのだから。

(ルークの心の準備はきっと整う。同じように、ガイにも話すための準備が必要だ)

 だから僕は休まずにガイの目覚めを待った。幸い彼はすぐに目が覚め、僕からカースロットの子細を聞く。そして深刻な顔で重く呟いた。

「……そうか。なら、いい加減話さなきゃならんな」

「すみません。僕が勝手に……」

「いや、いいんだ。丁度あいつが俺にとっての本物のルークでいいんだって確信が得られたんだ。いい機会だと思うことにするよ」

「……どういうことですか?」

 問えば、ガイは肩を竦めていつものように笑って応えただけだった。ルーク達が戻れば自ずと分かる、ということだろうか。そのまま大人しく待てば、謁見を終えたルーク達が宿へ現れる。

「俺の家族は公爵に殺された。家族だけじゃねぇ。使用人も親戚も。あいつは、俺の大事なものを笑いながら踏みにじったんだ」

 ガイが語ったものは、ND2002に起きたホド戦争の出来事だった。その話を聞いて、僕は彼がアリアを嫌った理由をようやく理解する。笑いながら人の命を奪ってしまえる存在など、そうして傷を負った彼に許せる筈もなかったのだ。

 ちらりとアリアの様子を見るが、彼女に変わった様子はない。ガイの話に何かを思った様子も、そもそも関心があるようにも思えなかった。……どうして、と疑問を抱いてしまう。

(僕やルークには何度も手を差し伸べたのに)

 彼女が無防備な存在であることを、僕はもう疑っていなかった。アリアは甘く優しい。だから簡単につけいられてしまう。それなのにどうしてか、彼女の関心は偏りを見せた。

 誰にでもは、手を差し伸べない。

(僕とルークがレプリカだから……?)

 以前、チーグルの森で僕の体内音素を彼女は確認している。その後どこかでルークの体内音素を確認していたとしても、おかしくはない。アリアは僕らがレプリカと分かっているから優しく接しようとしたのだろうか。

(……いや。だとしても、彼女が僕とルークにしてくれたことは、哀れみの感情から生じたものではなかった)

 僕には「テセレマ」という祈りの名を与えてくれた。ルークも、デオ峠で「一緒に歩くことは出来る」と言葉を掛けられていたと後から聞いた。

 どちらもただ僕らの道行きを案じ、「隣にいる」と示されただけだ。それ以上のことは何もない。ただ、僕らの力になりたい意志が示されただけだった。

(哀れみでないなら、どうして)

 抱いた疑問の答えを僕が得たのは。

 もう少し先の、未来でのことだった。










*****










 地盤沈下の起きているセントビナーへ同行する。

 アニスは僕の体を案じてくれたが、今は無理をしてでもセントビナーへ向かいたかった。「導師」として何も出来ないままではいたくない。そして与えられたテセレマの名に恥じないためにも、自分がそうしたいと望むことをすると決めた。

(アリアがアクゼリュスで、ルークと戦ってでも彼を止めようとしたように)

 迷いがあっては救えるものも救えないと知った。セントビナーの人々を、アクゼリュスの人々のように魔界の海へ沈めてしまいたくない。その想いが「導師」としてのものでしかないと、今の僕は思わない。

(これは僕の……僕という「導師」が抱く想いだ)

 アクゼリュスの人々の死を、直接に見た者として抱いた意志だ。そして間接的にでも、彼らの死を招く一端となった者として抱いた意志でもある。

 僕は道具ではいけない。人形として行儀よく「導師イオン」の座に就いていればいいわけではない。僕に本当に出来ることは決して多くはなく、そこへ実際に足を運んでみなければ分からないのだから。

(まだ、時間はある筈だ)

 今年の初めにダアトを飛び出してから、もう何度もダアト式譜術を使用している。僕の体が着実に弱ってきていることは実感していた。元々長く外へ出る生活などしていなかったからアニスにも気付かれてはいないが、僕自身には以前との違いが分かってしまう。

 年内に消えてしまうことはないと思っていたが、今は今年の終わりまで存在を維持できるか、少し疑問を抱いてしまう。

(それでも、僕の意志が望むことを成すために)

 時間がないのなら、少しでも早く彼女の隣に並び立てるように。僕がまだこの世界で何かを成せる内に、僕という「導師イオン」として出来ることをしたい。それが今、僕を前へ進ませる力となった。

「なら、ボクが崩落を遅らせようか?」

 ディストを退け、本格的に崩落を始めた景色を前にアリアがそう提案する。どんなものも音素を内包する。その繋がりを助けてやればいい───簡単に言うが、それが無茶の一つであることは簡単に想像が出来た。

 胸が痛む。アリアはまだ、そうして自分を差し出せてしまえる。致命的な問題が起きない限り、自身に振り掛かる負担を軽視してしまう。それはきっと……命の価値が分かっていないからだ。

 どうすれば彼女は自身を顧みてくれるのか。胸の痛みに、僕はそっと目蓋を伏せた。










*****










 シェリダン港を経由し、シェリダンの街へ立ち入る。

 乾いた大地を進むことは今の体に易しくはなかったが、タルタロスで休んだため不可能でもない。何より飛行実験に使用している浮遊機関を借りる際に、僕が「導師イオン」であることが何かの役に立つかもしれなかった。

 途中何度か気遣ってくれるアリアに感謝を伝えつつ、無事に街へ辿り着いた。そうして浮遊機関アルビオールに携わる技師から、アルビオールがメジオラ高原に墜落したという話を聞く。

「……私達の中には、軍事訓練を受けた者もいます。任せて頂けませんか」

 ティアの言葉もあり、ルーク達が救助に向かうことになった。操縦士と浮力機関を回収し、二号機が空を飛べるように整えることになる。足りない部品は僕達が乗ってきたタルタロスから補うことになり、メジオラ高原へ同行できそうにない身としてその案内を請け負う。

(僕が眼を離した隙にアリアが無茶をしてしまわないか、不安はあるが……今はルーク達を信じよう)

 守護役として側に残ったアニスと共に、彼らの出発を見送る。そうしてタルタロスの元へ技師を案内し、二号機の状態を整える作業が本格的に始まった。そうなれば僕に出来ることはなく、アニスの提案もあって少しばかり休息を得ることになる。

 思考は自然とアリアの安否へ向いたが、彼女の姿が見えないところで不安を抱いても解決はしない。それよりは信じて待とうと、肩の力を抜こうと努める。

「……アリアのこと、心配ですか?」

 不意に、宿で休んでいればアニスに問われる。彼女は視線を下げていて、決して明るい気持ちで話してはいないことは伝わった。

 僕は少しだけ迷って……偽りなく答える。

「はい。彼女は全体のためなら自身を犠牲に出来てしまう人ですから。側で見ていないといきなり無茶をしてしまいそうで、少し怖いんです」

「それは分かりますけどぉ……でも、イオン様が心配しなくてもいいんじゃないですか? アリアは教団員ってわけでもないですし」

「確かに、アリアは教団員ではありません。ですから、これは僕個人としての心配なんです。僕が彼女を……心配したいんです」

「イオン様……」

 アニスが僕を見る表情には、どこか複雑な感情があるように思えた。それが何か、僕には正確に知る術はない。僕がアリアを「特別」に扱おうとしていることは、きっとアニスも気付いている。

(アニスだけではない。他の皆さんも……)

 アクゼリュスが落ちてから彼女の無事を知るまで、僕を気遣ってアリアの話題を避けてくれていた。ナタリアには「大事な人」と形容されたし、僕も否定しなかった。そして間違いなく、今の僕にとってアリアは「特別」だ。

(二度と失いたくないと思い、初めて自分の側にいて欲しいと望んだ)

 以前は「導師」として出来ることを探していた。でも今は、自分の内から湧く望みが分かる。彼女のお陰で芽生えた感情があり、「導師イオン」でない自分の居場所が出来たと感じられている。

 だからこそ、僕が彼女に向ける感情は恩ではないと断言できた。名を与えてくれたからでも、優しさを渡してくれたからでもない。

(僕が彼女に、この温かな「感情」を唯一抱くから)

 だから僕の想いは覆らない。僕が彼女を「特別」に想う理由は、僕が彼女へ抱く「特別な感情」こそが証明となっていた。

 これを失えば、きっと僕はまたあの空虚な感覚に蝕まれることになるのだろう。そう確信を抱ける程に、彼女への感情は僕の中の深い部分を占めている。

「……きっと大丈夫ですよ! あの大佐も、ガイも一緒なんですから」

「───はい」

 元気付けようと明るく声を掛けてくれるアニスに。

 僕は微笑みを作り、安心させるように頷き返した。










*****










 ルーク達が戻り、アリアの無事も確認される。

 ほっと息を吐く間もなくキムラスカ兵が工房の外にいると伝えられる。一刻の猶予もなく、僕達はアルビオールへと乗り込んだ。

 ───そうして初めて空を飛んだ時、僕の心も少し躍ったように思う。そんな場合ではないと分かっていながら、初めて近くに感じることが出来た青空に、自身が鳥になったような錯覚すら覚えた。

 そのまま飛んでセントビナーを目指し、取り残された人々を救出する。飛び立てば数日が経過していたセントビナーはディバイディングラインを越えて魔界へ落ち、その海へ着床した。

 大陸全体がマントルへ完全に沈むにはまだ時間があるため、ヴァンが操作したシュレーの丘のセフィロトを操作する方法を探すことになる。

 一先ず協力を得るためにユリアシティを訪れる。

 テオドーロの協力を取り付け、セントビナーをマントルに沈めてしまわない方法を話し合う。ローレライの鍵へと話が及ぶが、地核へ沈められたとされるものを頼ることも出来ない。

(僕が「導師」としてきちんと把握できていたなら)

 お飾りの「導師」として望まれただけの僕に、教団が秘匿する情報の多くは開示されていない。例えば秘預言の内容を知っていたなら、きっとアクゼリュス崩落の前に出来ることがあった筈だと思う。

 過ぎたことを考えても仕方がないからこそ、僕は今そう思った。

 パッセージリングを操作しセフィロトツリーを復活させれば、外殻大地までは押し上げられずとも大地を残せるかもしれない───その言葉を頼りに、僕達はセントビナーと共に魔界へ落ちたシュレーの丘を目指す。

 パッセージリングのある空間へと入り込み、ユリア式封咒を解く。譜石はティアに反応するように開き、その謎は解けないまま、セフィロトツリーの再生を実行する。

 手段はルークの超振動と、それをアリアがサポートする形だ。緊張の中見守れば、やがて記憶粒子が吹き上げる。問題なく起動したようだった。

「あーっ! 待って下さい。まだ喜んでちゃだめですよぅ! あの文章を見て下さい!」

 アニスの言葉に従えば、シュレーの丘のセフィロトがルグニカ平野のほぼ全域を支えていたことが分かる。このままではエンゲーブも崩落してしまうと分かり、僕はまた自身の知識不足を感じてしまう。

(僕が本物の「導師」であったなら、各セフィロトがどこまでの範囲を支えているか分かった筈だ)

 この場で警告を見る前に可能性を示唆出来たかもしれない。一先ずまだエンゲーブは崩落してはいない。時間の問題には違いないため、急いで外殻大地へ戻り住民を避難させることになる。

 ───しかし現実には、戦争の光景が僕達を迎えることになる。

「どうして……! どうして戦いが始まっているのです!?」

「これは……まずい。下手をすると両軍が全滅しますよ」

「……あ、そうか。ここってルグニカ平野だ。下にはもうセフィロトツリーがないから……」

 このままでは戦場ごと多くの人命が魔界へ落ち、失われてしまう。これがヴァンの狙いだったのだと話が及び、急いでエンゲーブの住民の避難と停戦の呼び掛けが行われることになった。

「僕はどちらでも構いません。ちょっと考えがあるので」

 この時、僕の中には既に疑惑があった。これといって明確な答えがあったわけではない。だが思い返してみれば、モースはこちらの動向を把握しているような動きを見せることがあった。そしてそれに関して、以前ティアが内通者と疑われたことも僕は覚えている。

(この場に神託の盾の人間は二人。それなら……)

 アニスが両親にマメに手紙を書いていることも知っている。その宛先が、もしも両親ではなかったなら。

 アニスのことは信頼しているし、疑いたいわけでもない。だがもし彼女が内通者であるならきっと何か事情がある筈だ。そして彼女の役割が「ルーク達の監視」ではなく「導師イオンの監視」であるなら……僕が、彼らやアニスのために出来ることはまだある。

(彼らがモースの監視から抜け出せるように)

 その願いを胸に秘めながら、僕達はキムラスカ軍の本陣が敷かれているだろうカイツール付近へ降り立った。










*****










 カイツールへ降り立ったのは、王女であるナタリアと、僕と守護役であるアニス、それからアリアだった。

 アリアが同行することに頼もしさを覚える反面、不安も覚えてしまうのだから矛盾している。その不安が僕が彼女へ向ける「特別」の一つであると分かるから、その矛盾も受け入れられる。

 何事もなく停戦を呼び掛けられればいいと思っていたが、状況はそう簡単に好転してはくれない。

「今作戦の総大将アルマンダイン伯爵は大詠師モースとケセドニアかぁ……陸路しかなさそうだね」

「ええ。カイツールに連れて行かれたら何もできなくなりますわ。陸路でカイツールへ参りましょう!」

 アリアに続いたナタリアの言葉に僕が同意を示せば、アニスが反対の意志を表明する。陸路を進むということは戦場を進むということだ。こちらにナタリアの姿がある以上、キムラスカ兵ならまだしもマルクト兵と遭えば戦いは避けられない。

 戦うことの出来ない僕を連れて戦場を進むことは、簡単ではないだろう。その危険を負うのは、僕だけでは済ませられない。それを申し訳なく思う気持ちはある。それでも足は止められなかった。戦争を止めなくてはならない。

「戦場って言ってもひしめき合ってるわけじゃないし、上手く立ち回れば必要以上の殺し合いは避けられる筈だよ」

「でもでも~! 戦場には鷹の目もいるだろうし、見付からないなんて簡単じゃないよぅ」

「そういうのは確かにね。でも近くに現れた兵の巡回ルートを読んで、上手くやり過ごしたり先手を打って気絶させることは出来ると思う」

「まぁ! アリアは戦場の心得がありますの?」

「いや、ちょっと魔物の巣窟になってる密林に一人で一週間、放り込まれたことがあるだけ。だからちょっと、ルールのある殺意には覚えがあるんだ」

「……なにそれ。アリアの経験がマジヤバ過ぎて引いちゃったんですけど……」

 そんな会話から、アリアの感覚を頼りに戦場を進むことになる。当然ながら戦場に慣れている者など一人もいない。ナタリアは三年前のケセドニア北部戦を慰問しているが、王女であり治癒師の立場で、これ程の少人数で戦場を歩いた経験などある筈もない。

 自然と負担はアリアに偏ってしまっていた。

 戦場で平然と振る舞う彼女は異質な存在だったかもしれないが、人の死が溢れる場所というのは本来感覚を麻痺させるものだと聞く。それなら戦場において異質なのは、寧ろ死に慣れてしまえない僕達の方であり、彼女の方が余程頼もしく映る。

 少なくとも、僕は彼女の存在に甘えてしまっていたと思う。頼もしさに任せ、変わらずにいてくれることに安心を覚えていた。そうして慣れない戦場と色濃い死の気配に手一杯になり、彼女の負担に気付くことが出来なかった。

 それに気付いた時には、既に戦場を進み始めて数日が過ぎてしまっていた。

「くそ! 妙な技を!」

「集団でかかれ!」

 セシル将軍からの要請で一個小隊が護衛についたため、マルクト兵との戦いが避けられなかった。中にはセントビナーで住民の救助を共に行った人物の姿もあり、胸は痛む。それでも戦場で会ってしまった以上は戦うしか選択肢はなく……その様子を僕はキムラスカ兵に守られながら見守るしかなかった。

「アリア!」

「大丈夫! アニスこそ気を付けて!」

 アリアへマルクトの兵が集中する。前衛を担う彼女の動きが余程目についてしまったようだった。遭遇したマルクト軍は人数が多く、戦力が一人へ集中して無事で済むとは思えない。───不安が僕の心臓を脅かす。

(今のアリアは人命を奪えない)

 戦場で相手を殺さないということがどういうことか、兵法を学んでいなくても想像は出来る。

 街道で神託の盾の兵を焼死させて以来、アリアはジェイドからの命令を守り人を殺していない。戦場でもその指示は守られており、今までも無力化させるばかりだった。

 そしてこの状況でもその指示を守るなら、彼女の負傷は当然の結果ではあったのだと思う。

「第六音素!!」

 アリアの叫ぶような声が戦場を裂き、応えるように空へ光の槍が現れる。その数が常の倍は並び、無情にマルクト兵へ降り注いだ。圧倒的な数と速さで彼らの体を貫き地面へ縫い止める。

 そうして放置をされて、運が良ければ救助をされるかもしれない。だが恐らくはそのまま息絶えるか、キムラスカ兵に発見され命を奪われるだろう。

 アリアはただ命令の通りに「自分が殺していない」だけだ。……心臓が、ずきりと痛む。

「アリア! 酷い出血ですわ。すぐに治療を……」

 動くことの出来るマルクト兵がいなくなり、合流したナタリアが彼女へ駆け寄る。その言葉に慌ててアリアへ眼を向ければ、左腕が鮮血に染まっていた。出血は肩のようで、量を見れば深い傷だと遠目でも分かる。すぐに治療を受けるべきだ。

 だがアリアはそれを冷たくはね除けた。

「要らないよ。自分でする」

「……アリア……」

 突き放すような、温度のない声だった。彼女はナタリアやアニスの方を見ることもなく、先へ進むよう促して自身も足を進めた。宣言の通りに傷を癒してはいるようだったが、僕はその様子に安心を覚えることが出来ない。胸の奥が不安でざわつく。

(殺してしまいたいと……思っているのが伝わる)

 彼女は人の死を理解しない。もしくは、人の生を理解しないのかもしれない。彼女にとっては「生きていても死んでいても同じ」と言われても納得してしまう。それ程までに彼女と僕達の間には、理解が及ばない隔たりがあった。

 それでも普段は積極的な殺意を抱いている様子でもなかった。必要だから殺す……それだけの普段と、今の状態は重ならない。

「な~んかアリア、めちゃ機嫌悪くない……? さっきもピカッ! どーん! で、すっごいびっくりしたし」

「傷の治療も断られてしまいましたし……彼女から普段の余裕が感じられませんわ。やはり戦場だからでしょうか……」

「そう、ですね……」

 曖昧に頷きながら、心の中では否定を唱えていた。

 戦場だから気が立っている、という風にだけは思えなかった。何かがアリアから常の余裕を奪っている───それが何か、僕には分からない。

 分かるのは、彼女が余裕を保てなくなる程の負担を感じているという、漠然とした答えだけだ。

(僕が足手まといでなければ……)

 彼女が傷を負うことも、余裕をなくすこともなかっただろうか。周囲のキムラスカ兵がアリアを恐れるように小さく囁き合っているのが分かる。アリアはきっと、この声も気にしないのだろう。……彼らが生きていても死んでいても、変わらないから。

(彼女の側へ行きたい)

 胸の奥が塞がってしまったように苦しい。望んで一人になろうとする背に追い付きたい。そう願うが今は叶わない。戦場を進む上で、戦えない僕を囲むキムラスカ兵の陣形は必要なものだ。

 そして夜になっても彼女は平気そうに振る舞うばかりで、僕がその話題に踏み込む前に眠ってしまう。それが意図的なものであると、流石に気付いていた。

(今の僕は……アリアを戸惑わせてしまっている)

 眠る彼女を側で眺めながら考える。

 僕は彼女にダアトへ来るよう望み、彼女はその答えを保留にしている。それがどんな理由によるものか、僕は分からない。けれど、自分が差し伸べた手が「必要ない」と振り払われる可能性が頭を過ってしまう。

(僕では貴女の力に……)

 なれないのか、と考えようとして首を横に振る。暗い方向へ考えを向けるのは簡単だ。だがそうして諦めてしまえるなら、僕は彼女を側へ望んだりしていなかっただろう。

(結局は言い訳だ。自分の力が足りないことへの言い訳に彼女を利用しようとしている)

 変わりたいと願った筈だった。無力な自分を悔い、「導師」としても「僕」としても出来ることを探す。臆病に逃げることを止め、変わるための行動をする。

 僕が思い考えることに意味があると、言ってくれた人の隣に並び立てるように。「僕」を許してくれた人の言葉を嘘にしない。テセレマの名に相応しい人で在りたい。

 だからケセドニアで、僕は一人ダアトへ戻る選択をした。










*****










 アニスの役割が「導師イオンの監視」なら、これでルーク達の動きがモースへ伝わることはない筈だ。アニスも彼らを裏切らなければならない状況を脱し、きっと心を痛める必要もなくなる。

(アニスとアリアは、きっと大丈夫)

 僕は「僕」に出来ることをしなければ。

 一人ダアトへ戻った理由は他にもあった。本来、教団の最高指導者ならば知っている筈の数々の知識を確認すること。セフィロトやパッセージリング、外殻大地や障気のこと、そして秘預言についても……「僕」は知らなくてはならない。

(秘預言にはヴァンが注目したというアリアの預言もある。彼女の預言を見つけ出したい)

 それが彼女の身を脅かすものならば知っておきたいし、そうでなくとも秘預言に分類されたことが気に掛かっていた。だが秘預言の量は膨大であり、アリアの名は古代イスパニア語に変換することも出来ない。預言を特定することは簡単ではなかった。

(……僕が直接、譜石から預言を詠めたなら)

 図書室で一人嘆息する。

 ユリアの遺した預言は膨大で、ダアトの教会に安置されている加工済みの譜石から内容を詠み取れるのは導師だけだ。その重要性から内容を書き留めた禁書もダアトには存在するが、作られた存在である僕にとってはその内容も信用ならない。自身の力で預言を詠むべきだ。

(だがそうしたなら僕の体は……)

 すぐに消えてしまうわけではないだろう。だが、確実に寿命は縮めてしまう。長く生きたいと特別願っているわけではなかった。レプリカという作られた身である僕には、僕の生にある価値がどこかぼんやりと霞んで思える。

 だからルーク達が改めて僕を訪ねて来た時、僕は躊躇いを捨てた。「導師イオン」として頼られ、「僕」だから出来ること───そう思ったから、僕は預言を詠む。

(そのために必要な勇気は、あなたから貰ったから)

 再会を喜ぶ僕に、アリアは再び言葉に困った様子を見せた。それはやはり寂しいけれど、彼女にとって僕の望みが意味のあるものだという証でもある。

 街道で神託の盾の兵の命を奪ったように、戦場で両国の兵の生死に構わなかったように……どうでもいいと切り捨ててしまえないから、彼女は僕の手を振り払わない。

 今はまだそれでいい。この手を繋ぐ意味は、これから時間を重ねて伝えていく。そのための時間を得るために、僕は彼女を側へ望んだのだから。

「……これが、第六譜石の……崩落に関する部分、です」

 詠み終えて僕は膝をつく。呼吸が整わず頭がぐらぐらと揺れる。酷い虚脱感があって、体を支えているのが精一杯だった。

 その僕の体に誰かが触れ、自然と支えとなってくれるのが分かる。目蓋を持ち上げて隣を確認すればアリアの姿があり、僕はほっと息を吐く。

 僕の接し方が変わって戸惑わせてしまっていても、彼女の自然な優しさは変わらない。

(アリアの預言を……今は確認できない)

 ユリアの預言を自身で詠んだのは初めてだ。これ程までに消耗するとは思っていなかった。幸い少し休めば動けるようにはなりそうだったが、暫くはベッドから起き上がれないかもしれない。───そんなことを思う目の前で、何故か譜石がアリアに反応を示した。

「どうして……譜石は導師以外には反応しない筈よ」

 理解が追い付かない。今代の導師は「イオン」だ。そして導師は必ず一つの時代に一人しか現れない。預言に詠まれた導師は一人だけで、だからこそ「導師イオン」として僕が作られた筈だった。

 彼女が預言を詠むことなど出来ない───その無理解の前で、彼女は譜石へ手を伸ばした。それがどのような意志によるものか直感で理解し、僕は制止する。

「……アリア……手を、離して」

 けれどこの身は動かず、彼女を譜石の前から遠ざけることも叶わない。彼女は預言を詠み、その場に倒れた。預言を詠んだ疲労で引いていた血の気が余計に引く。這ってでも近付き、ルークが抱き起こした彼女の様子を見る。

(───酷い顔色だ)

 紙のように色を失い、呼吸をしていなければ「死んでいる」と言われても頷けてしまう状態だった。今の僕よりも状態が悪いのは疑う余地もない。

 だがそれについて考えるより早く、神託の盾の兵が礼拝堂へ踏み込んでくる。モースの手によるもので、神聖な場である教会内で抜刀することさえ厭わない。

「皆さん、逃げて下さい! アニスも!」

「アルビオールへ戻りましょう」

「だけどアリアが!」

「アリアのことは僕に任せて下さい! 早く!」

「……分かった!」

 倒れたアリアを連れて逃げるだけの余裕はなく、僕が引き受けることでルーク達を送り出す。今の彼女の状態が心配で、すぐに動かしても大丈夫なのかも分からなかった。そして「特別」だから……出来るだけ、側にいて欲しいと思ってしまった。

「勝手をされては困りますな、導師イオン……む? その娘は……」

 ルーク達が去り、すぐに神託の盾を連れてモースが礼拝堂へ現れる。その視線が意識のないアリアへ注がれ、その眼に自分が警戒を覚えるのが分かった。

「……ようやく戻ったか」

「どういう意味です」

「いえ。こちらの話です」

 モースは微笑んで僕の問いを受け付けない。お飾りの導師は知らなくていい───いつものように、そう伝えられている。でも、今の僕は引き下がらない。知るためにここへ戻ったのだから。体調不良をおして、少しでも導師らしく振る舞う。

「答えなさい、モース。彼女を知っているのですか?」

「………………」

 少しの間。僕の反抗が気に入らないと顔に書いてある。それでもモースは立場上、僕を無視できない。致し方なさそうに答えを明示した。

「それは私の娘です。勿論、養子ではありますが」

「アリアが……?」

 モースに妻子はいない筈だ。困惑する僕にモースは周囲の眼を気にすると、顔を近付け小さな声で囁いた。

「ええ。───そして、貴方の婚約者だ。導師イオン」

「……!?」

 驚きに顔を上げる。距離を取り直したモースは含みのある笑みを浮かべながら、側に控えていた神託の盾の兵にアリアを運ぶよう指示をした。

 それを認識しながら、しかし僕の胸中は落ち着きを失っていた。アリアがモースの養女───僕の、婚約者?

(そんな記録はどこにもなかった。「導師イオン」を演じるにあたって教えられたこともない)

 でもきっとモースの言葉は偽りではない。周囲の眼を憚ったのは、「導師イオン」が知らない筈がない情報だからだ。なら、意図的に伏せられていたとしか思えない。何のために。

 そこでふと、アリアがレプリカであることを思い出す。モースの養女で導師の婚約者だったアリア───それは彼女の被験者ではないだろうか。アリアは二年前に師に拾われたと話していた。それなら……被験者が死亡し、レプリカが失われたことで情報が隠されたのかもしれない。

 そしてモースは、彼女を被験者と勘違いしている。

(……手荒な真似はされない筈だ)

 アリアの身を引き受けはしたものの、今の僕では彼女を運ぶことすら出来ない。モースの命でどこかへ運ばれていくのを見送ることしか出来ない。……僕が、飾り物の「導師」だから。

(まだ、力が足りない)

 知らないことが多すぎる。

 モースの配下にある者を見極めなくてはならない。そしてその影響下になく、自身に従ってくれる者を探さなくてはならない。僕一人では「導師」は務まらない。アリアをモースの手から完全に守ることは出来ない。

(モースを罪に問えるように動く)

 拘留し、査問会にかける。ユリアの預言に記述があるからとはいえ、教団が戦争を起こそうなど間違った考えだ。少なくとも「導師」の決定を無視し、あたかも代行権限があるかのように振る舞う様は越権行為だろう。

 今すぐにはモースを罪に問えない。それは今までの「導師」である僕の怠慢が理由であり、預言を遵守するために人道を外れた行いを是としてきた教団の体質にも問題があった。

(教団は変わらなくてはならない。世界が預言から外れたように……預言に従わず生きることを選ぶことが出来た、ルーク達のように)

 世界が預言に従わないなら、教団の立場は大きく変わってしまうだろう。それでも僕は人々の意志と自由を……望んで生きられる世界を選びたい。そのための導になることが、きっと今の僕に出来ることだ。

 望む未来は遠くとも───この体が、まだある内に。










*****










 自室で横になりながら、それを考える。

(アリアが……「導師イオン」の婚約者)

 勿論、被験者同士の話だろう。レプリカである僕達の話ではない。でも……

(モースはアリアを被験者だと思っている。そして……今の「導師イオン」は僕だ)

 アリアが教団に戻ったなら、モースはそれを事実に変えてしまうだろう。それを僕は止めるべきだ。今更アリアに、僕のように被験者の人生を背負って欲しいとは思わない。

 それでも……考えてしまう。

 もし、アリアが僕の婚約者であることを受け入れてくれたなら。

 アリアがずっと、僕の隣を選び続けてくれたなら。

「……いいえ」

 声に出して、自分の思考を振り払う。

 それでは駄目だ。被験者の立場を利用して彼女を縛ることは出来ない。僕はアリアに……「アリア」でいて欲しい。

 そのために、僕に出来ることは。










*****










 モースと六神将によってルーク達がバチカルへ連行された。恐らく戦争を聖戦と認めるために、ルークやナタリアを裁くつもりだ。ルークはアクゼリュスを崩落させたレプリカであり、ナタリアは王女を騙った偽者として……

(モースの行いを許すわけにはいかない)

 必要のない戦争を望んで引き起こそうとしているだけでも許しがたいが、モースは外殻大地の崩落を「構わない」と答えた。導くべき人々を見捨て、何が預言か。世界を繁栄に導くことが重要なことではない。信仰は苦しむ人々を支え、救うためにある筈だ。

(皆さんのために「導師」として今出来ることは……)

 手段が必要だった。直接、彼らに力を添えられる方法が欲しい。だが今の教団に僕が信頼できる人間などいる筈もない。モースに従う者も、ヴァンに通じている者もまだ見極められていない。焦燥ばかりが募る。

 そんな中、アッシュがダアトへ戻ったことを知る。彼に助力を願うことを、僕は躊躇わなかった。ヴァンに賛同しておらず、外殻大地の崩落を望んで見えないアッシュなら、きっとルーク達を助けてくれる。

 こちらの事情を知り、既に立ち位置がある程度見えている分、今の教団では最も頼ることが出来る相手だった。

 私室へアッシュを招き入れ、助力を願う。話を聞けば彼はすぐにでも飛び出して行こうとして、しかしその足を止めた。訝る僕を振り返り、問う。

「……導師。お前は何故、あのレプリカやナタリアを救おうとする? 導師であるなら預言を守る立場にあるんじゃないのか」

「僕の考えはモースとは違います。預言は未来の選択肢の一つであり、迷い苦しむ人々の導きとして在るもの。預言のために、救われるべき人々が苦しむようなことがあってはなりません」

「だがレプリカは人じゃない。そうだろう───イオンレプリカ」

 その言葉に僕は息を飲み、そして納得する。ヴァンから聞いているのだろう。今更おかしな話ではない。そしてアッシュが言いたいことは理解できる。彼は、自身のレプリカに「ルーク」であることを奪われたのだから。

 けれどその顔にあるのはどこまでも真剣な様子で、僕をレプリカと嗤ったものには思えない。

(試されているのかもしれない)

 それでも構わないと思った。彼がどのようなつもりであろうと、僕の中の答えは変わらない。彼の碧眼を正面から見詰め返し、息を小さく吸う。その言葉に、特別な勇気など要らなかった。

「ルークは人です。彼の生まれが何であろうと、彼を人として想い、尊重する意志がある。ガイもナタリアも……ティア達も。その事実が、彼がレプリカというただの道具ではないことの証左だ」

「だがお前はモースの道具だった。レプリカが道具であることをお前は肯定してきたんじゃないのか」

「……否定できません。ですが今、僕はその己の在り方を悔いています。傀儡であることを受け入れ、自ら行動することがなかったために、僕にはルーク達を助ける術がない。それでも変わりたいと願うから……貴方に助けを求めているんです」

「………………」

 それはある意味で、ルークと同じ思いだったのかもしれない。アクゼリュスで彼が招いたことを悔い、変わることを願ったように。僕もまた、傀儡であることを抜け出し変わろうと願っている。

「ナタリアも同じです。例え王家の血が流れていなかったとしても、彼女は王女としての責を果たし、その名に相応しい努力を重ねてきた。彼女が真にキムラスカ王国の王女であるか否かは、誰よりもキムラスカの国民が知っている筈です」

「……ふん。悪くない答えだ。いいだろう。お前の口車に乗ってやる」

「ありがとう、アッシュ!」

 自分が彼の望んだ答えを返せたのかは分からない。だが僕の願いを引き受けたアッシュは、決して機嫌が悪そうには思えなかった。

 ついでにと彼に言伝てと禁書の運搬を依頼する。本は昔に教団が有害指定した創世暦時代の歴史書だ。魔界の液状化を止めるためのヒントになる筈だった。

「あとはアルビオールの操縦士を牢から出してやればいいんだな?」

「はい。取り外された飛行譜石は見付けられていませんが、水上走行なら可能な筈です。アルビオールでバチカルへ向かうのが速いでしょう」

「分かった」

「お願いします」

 禁書を受け取れば、今度こそアッシュが部屋を出ていく。その背を見送り、そっと息を吐く。出来ることはした筈だ。あとはこのダアトで僕が出来ることを探すだけ……そう堂々と思うことが出来ないのは、後ろ暗いことが一つあるからか。

(……アリアのことを、アッシュにお願いするべきだっただろうか)

 好機だったと思う。今はモースがダアトを離れており、彼女を連れ出すことは難しくはない。彼女の寝かされている部屋は特定できているし、意識が戻っていなくともアルビオールで運ぶなら不可能ではない筈だ。

(いや……アルビオールへ運び込むまでの間に、神託の盾の兵と戦うことになるかもしれない。意識がないアリアを巻き込むのは危険だ)

 ただでさえ危険なことをアッシュに依頼しているのだから、これ以上の負担は避けるべきだ。そう結論付けながら、自分の中の答えが別の場所にあることには気付いていた。

(僕はただ……アリアを……)

 首を横に振って、落ち込みかけた考えを余所へやる。これが意識の戻らない彼女への純粋な心配にしろ、側へ望む身勝手な想いにしろ、選択は変わらない。彼女が回復するまで様子を見るべきだ。

 治癒師の話では酷く衰弱をしているということだったが、回復の兆しがあるということで、一先ず安静にするように言われている。

(預言を詠めば第七音素を大量に消費する。彼女のフォンスロットには封印術に似たものが施されていると聞いているし、回復が遅いのはそのせいだろう)

 僕の体調も決して良くはないが、アリアのように昏睡には至っていない。普段の様子から考える限り、彼女の体が僕の体より虚弱である道理もない。現時点で明確になっている違いは、彼女のフォンスロットの特異性くらいだ。

(……体外で音素を操り、封印術まがいのもので取り込める音素量を制限され、ユリアの預言を詠む)

 モースの養女で、導師イオンの婚約者……そのレプリカ。確かな記録はどこにもない。育ての親も素性は分からず、彼女については謎が増えるばかりだった。

(星の記憶を綴る者……)

 アリアが詠んだND2002の預言を頭の中で繰り返す。あの状況で彼女が無理矢理にでも詠んだのだから、重要な預言だったに違いない。

 恐らくヴァンが関心を持ったという彼女の秘預言なのだろう。彼女の年齢とも合致する。だが、その内容のどこにも「アリア」を示す言葉はなく、意味を理解することも難しい。

(彼女の被験者の名もアリアだと聞いている。なら、どうやってヴァンは彼女の預言に辿り着いたのだろう)

 分からない。その他のユリアの預言と比べると解釈が曖昧であり、最初の言葉である「星の記憶を綴る者」は古代イスパニア語に変換することも出来ない。異質な預言だ。

(被験者のアリアは確かにこの教会にいた……どこかに必ず記録がある筈だ)

 彼女について勝手に調べることが、必ずしも良い結果に結び付くとは考えていなかった。それでも、彼女に対しヴァンやモースが思惑を持つならば、僕も切り札を得なければならない。彼女を二度と道具とさせないために、僕には知という力が必要だ。

(本当なら武の力もあればよかったのですが……それだけは僕には手に入りませんから)

 仕方のないことだと割りきろうとする胸が重い。僕に武力があったなら、戦場で彼女が傷付くこともなかった。アクゼリュスで一度失うような思いをすることもなかった。それはどうあっても覆らない。僕は、無力だ。

(彼女をダアトへ招くなら、騎士の選出が必要だ)

 決して彼女を裏切らず、僕も信じられる人間が必要だと思う。ヴァンやモースを査問会にかけられたとしても、脅威が彼らだけとは限らない。それ程に今の教団は曖昧であり、僕は「導師」足り得ていない。

(ルークが変わることを望み、ナタリアが真に王女であるように……僕も「導師」で在りたい)

 そう思う切っ掛けをくれた少女に、遠く離れた地にいても僕を奮い立たせてくれる仲間に、そっと想いを傾ける。そうして湧き出す胸の奥の温かさも、目標を見据えて宿る熱も、僕を前へ進ませる原動力だ。

 立ち止まってなどいられない。この体がある内に出来ることをしよう。成すべきを成し、この世界や人々のために遺せるものを遺す。

 それが「導師」として「僕」が自身に望むこと。

(テセレマの名に恥じぬように)

 汝の意志することを行えと、捧げられたその祈りに。

 呪縛でも祝福でも構わないと、思ってしまえるから。

 僕はもう、願われる前の人形に戻ることは出来ない。






 例えこの想いが幸せな結末を迎えないとしても。

 もう、その意志を手離すつもりにはなれなかった。
5/8ページ
スキ