短編:sideテセレマ
翌日、目覚めたアリアはいつも通りに振る舞った。僕らもまた、不自然ではありながら出来るだけ普段通りに振る舞う。そう決めたから。
ルークは戦うことを決め、人を殺してはいけない理由を探すことになるアリアとは対称的だ。アリアの眼に、彼の選択はどう映っただろう。
セントビナーに着き、神託の盾の眼を掻い潜って中へと入る。マルクト軍基地へ赴けばアニスの姿はなく、残された手紙により先にカイツールへ向かったことが分かる。僕らもすぐにそれを追いたいところだったが、僕の体が追い付かなかった。
時間を貰い、宿で一人休む。
(ルークやアリアより、余程僕の方が皆さんに迷惑をかけてしまっている……)
ベッドに横になって天井を見上げながら嘆息する。
元々虚弱な体と知ってはいたが、これほど耐えられないとは知らなかった。実験をして致命的な音素乖離を引き起こすわけにもいかないし、漠然と力を使うなと言い含められていただけだった。
(能力ばかりあっても体が耐えられないのでは……役立たずだ)
それでも僕がこうして配慮をされるのは、僕が「導師イオン」だからだ。和平に必要な駒であり、教団の最高指導者だから。
……アリアが手渡してくれる優しさが脳裏を過る。彼女が僕へ向ける優しさも、僕が「導師イオン」だからあるものだろうか。その筈なのに……違うような気がする。
チーグルの森で、彼女は僕が導師でなくても庇ったと言った。その言葉に偽りは感じなかった。その前後で彼女が見せた優しさも全て、同じではないだろうか。
それともこれは、僕がそう思いたいだけの都合のいい考えだろうか。
息を吐く。
目蓋を閉じれば街道の景色が浮かぶようだった。
暖かな陽の光に、それを適度に遮る葉の影。当たり前に隣に座って、言い訳を手渡して。僕が回復するまでずっとそこにいてくれた。
(どうして思い出してしまうのか)
きっと答えは出せない。今の僕には分からない。だから考えることをやめて、僕はその記憶へ意識を沈めた。微睡みの中に、溶け込みたいと感じるような心地よさがある。
小さな休息の時間に、僕は身勝手な安らぎを得た。
*****
カイツールへ向かうためフーブラス川を渡る。
その最中も時折、アリアは僕を振り返って様子を見てくれる。近くへ寄ったり声を掛けられたりはなかったが、この状況になってもアリアは僕を気に掛けてくれていた。
それが複雑で、嬉しさと申し訳なさが混ざる。
追っ手としてアリエッタが現れ、チーグルの森で倒したライガの女王が彼女の育ての親であったことが分かる。
それを聞いて自己嫌悪した。きっと本物の「導師イオン」ならば彼女の母親を殺してしまうことなどなかったのだろう。その場に居たのが代わりの僕だったから、気付くことが出来なかった。
「地震……!?」
地が裂けるような激しい揺れが襲い、色のくすんだ空気が漏れ出す。それは今、この近くの鉱山都市であるアクゼリュスを汚染しているものだった。
「障気だわ……!」
「いけません! 障気は猛毒です!」
慌てて警告をするが、状況は悪くなるばかりだ。倒れそうになる僕の体をルークが支えてくれて、しかし感謝を伝える余裕もない。
───その時だった。アリアの周囲を音素が煌めき、与えられた譜と音に従って一斉に地面を叩く。まるで壊れかけたものを叩いて直すかのような暴力的な光景に、理解が追い付かない。
(障気が……消えた?)
揺れも収まり安全に動けるようになる。
戸惑う僕達へ、アリアが応えた。
「ちょっと音素に、無茶させただけ……長くは保たないから、移動しよう……」
「……おい、顔色が悪いぞ」
「アリア?」
名を呼んで近付けば、彼女の体が大きく揺らぐ。倒れる、と思った時、咄嗟に彼女を抱き留めたのはルークだ。慌てて側に寄り様子を伺う。
血の気がない。呼吸は安定しているようだが、今にも死んでしまいそうだと感じてしまう。
「とにかく運ぶぞ!」
「は、はい」
ルークの言葉にハッとして、その背にアリアを乗せる手伝いをする。ガイが何かを言いたげにしていたけれど、僕は自分のことで頭がいっぱいで気付く余裕はなかった。アリアが無茶をして倒れたことに、何故か焦りを覚えている。───何故。
ぐるぐるぐると思考が回る。
何故焦る。
自分の感情が分からない。
そんなものはあった覚えがない。
人が倒れたのだ。心配することに不思議はない。
だが焦る必要などあっただろうか。
「導師イオン」が、慌てる必要など。
───どうして、僕は。
*****
フーブラス川から少し離れた場所で野営をする。すっかり夜になった頃、アリアは身を起こした。
「アリア! まだ横になっていて下さい」
「導師……皆は」
「無事よ。貴女のお陰で」
すぐにジェイドが何をしたのか問い質す。彼女は譜を与えて無理矢理に音素を動かしたのだと応える。無茶をするべきでないという言葉に「結果論だ」と返して。
そしてその流れで、自身のフォンスロットの話をした。
「実は、ボクのフォンスロットは不出来でね。大量の音素を取り込むと、今みたいに倒れちゃうんだ」
だから彼女は譜術が扱えない。取り込める音素の量が少ないから音律士なのだ、と。そしてそれ以外の音素を扱う戦闘行為を行う時、彼女はフォンスロットを使っていないと答えた。……そんなことが有り得るのか。
「その話が本当ならば、一度医者に診せた方がいい。今までのように体外の音素を使用していれば、体にどんな負担がかかっているか分かりませんよ」
ジェイドでさえそう忠告するのに、アリアの調子は軽いままだ。今まで問題なかったから大丈夫───今回、倒れる程の無茶をしたことを彼女はなんとも思っていない。
目的のために最善を尽くす。その時、彼女自身は無事なのだろうか。───そう思考したことが思い起こされ、僕を行動させた。
「……アリア。もっと自分を大切にして下さい」
「へ……」
「チーグルの森でもそうだった。貴女は僕を庇って、自分の危険も省みない……同じ無茶を、して欲しくないんです」
心配している。ティアがそう口を開き、他の面々も言葉を重ねた。それでもアリアは戸惑うばかりで、何故心配されるのか分からない様子だった。それがまた、僕の胸に何かを生む。
どうして彼女は自身を顧みないのか。どうすれば彼女は分かってくれるのだろう。そう思いながら……どうして自分がそんな風に思うのか、分からなかった。
思わず包み込んだ彼女の手の温かさを感じながら、僕の内に生まれたそれが何なのか……ゆっくりと答えを探すことにした。
*****
国境の砦カイツールでアニスと合流する。
無事と信じてはいたが実際に元気そうな姿を見れば安堵した。アニスが僕に従っているのは、僕が導師守護役として彼女を選び連れて来たからだ。命を落とすようなことにはなって欲しくない。
六神将の一人であるアッシュを退け、ルークを捜しに来ていたヴァンと合流する。話を詳細に聞けば、六神将が動いていたのはモースの指示であると判明した。ヴァンは「大詠師派ではない」と宣言し、和平の妨害はしていないということでティアも武器を納める。
(兄妹で殺し合うことにならなければいいが……)
兄への疑いが残るティアの眼を思い出す。
僕には兄弟などいない。自然に生まれたわけでもないのだから当然だ。特別そこに羨む思いがあるようには感じていないが、肉親を持つことに何も思わない程でもない。
(僕には血の繋がりがないからこそ……かもしれない)
カイツール軍港に着けば、喧騒が僕らを迎える。魔物とキムラスカ兵が力なく倒れ、ヴァンとアリエッタが対峙していた。先の言葉の通り、今の六神将はヴァンに従っていないようだ。
「船を修理できる整備士さんは、アリエッタが連れて行きます。返して欲しければ、ルークとイオン様がコーラル城へ来い……です。二人が来ないと……あの人達……殺す……です」
アリエッタが去り、残っていた他の整備士に彼らの救出を願われる。「導師イオン」として、その祈りには応えたい。そもそも、彼らが連れ拐われる原因となったのは僕でもある。見過ごすことには胸が痛んだ。
(それに……アリエッタがこうなってしまった責任は、きっと僕にもある)
僕が偽物の「導師」であるがために、彼女を苦しめてしまっている。本物だったなら彼女は今も導師守護役にあったのだろう。そしてその彼女の苦しみを、僕は取り去ってやることが出来ない。
(せめて「導師イオン」として彼女を導きたい)
それが救いになるとは思わないが、代用品に選ばれた自分の義務だと思う。「コーラル城へ向かう」という判断にルーク以外が同意を示す。その中でアリアの目的は少し違うようだった。
「情報が欲しいんだ。今回の件はちょっと様子が違うし、アッシュの狙いが気になる」
「アッシュの? 狙いって、どうせイオン様でしょ?」
「呼び出しにはルークも含まれてる。気にならない?」
確かにその通りだ。和平の妨害をしているのは、戦争を起こしたいモースで間違いない。ヴァンという可能性は今さっき途絶えた筈だ。それなら何故、ルークに来るよう伝えたのか。
アリアには何か違うものが見えているのかもしれない、と思う。
*****
コーラル城に着き、アリエッタや整備士の姿を探す。
その中で、階層を二つ分跨ぐ程の巨大な音機関を発見した。ジェイドの顔色が変わり、その視線がルークへ向く。その反応を見て概ねのことを理解してしまった。
(ああ……やはり、彼は……)
ずっと感じていた違和に答えを出す。
七年前に誘拐され、記憶を失った状態で見付かったとルークとガイは話していた。そして発見された場所はこのコーラル城であったとも。人の立ち入りが世代が異なる程なかった筈なのに、人が立ち入った痕跡があった理由にも説明がつく。
(……フォミクリー)
人の複製を作ることが出来る技術。
僕もそうして作られたレプリカであり、ジェイドはかつてその第一人者だった。その彼がこの音機関に向けた疑いの眼をルークへ向けたように、僕も同じ疑念を抱いていた。
───即ち、ルークもレプリカであるという疑いを。
(僕がルークに抱いていた不思議な懐かしさは、レプリカ同士だったから抱いたものだろうか)
第七音素だけで肉体を構成された、数少ない仲間。
僕の他にレプリカがいるとは思っていなかったから、正直に言えば嬉しく思ってしまう気持ちもある。彼にとっては自身がレプリカであることなど、知りたくもない真実だと分かっているのに。
(……いいえ。そうではない)
胸の内に湧いた問いに頭を横に振る。
事実としてはそうなのかもしれない。だがレプリカ同士だから、と結論付けてしまっては哀しいと思う。それならばまだ遠い昔の前世に巡り会っていた、と思う方がずっと自由ではないだろうか。
(どうか。ルークが知らないままいられますように)
この世界には知らなくていいことも多くある。
教団が隠している数多の秘密がそうであり、ここにいる全員が抱えている何かしらの背景がそうだろう。知らずにいられたらよかったことが、きっと影のようにひっそりとそれぞれの背に佇んでいる。
そしてそれは、きっとアリアも。
「大佐! こっちはボクに任せて!」
声を掛けてアリアは屋上から飛び降りる。びっくりして下方を覗くがその姿は既になかった。どんな手品を使ったのかと思うが、彼女なら僕の思いもしない手段を簡単に思い付いてしまう気もする。
(無事ならいいのですが……)
すぐに追うわけにもいかない。こちらには整備士を捕らえたアリエッタが留まっている。
ルークとアリアを欠いた状態で始まった戦いを見守り、やがてジェイドがとどめを刺そうと槍を構えた。
僕は彼女を背に庇う。「導師イオン」として、このまま死だけが彼女に与えられることは受け入れられない。
「やはり見逃したのが仇になりましたね」
「待って下さい! アリエッタを連れ帰り、教団の査問会にかけます。ですから、ここで命を絶つのは……」
教団でしかるべき手順を踏んだ後、処罰し報告書を提出する───それが規律というものだ。このまま手にかけたなら、それは私刑と変わらず新たな火種を生みかねない。
人は理知的に罪を問わなくてはならない。
(決して、裁きを平等に与える神ではないのだから)
一先ず気を失ったアリエッタを拘束し、整備士を助け出す。それから僕らは慌ててルークとアリアの姿を探した。
体力が足りず最後にその空間に踏み込めば、巨大な音機関に繋がれたルークの姿がある。そして……地面に座り込んで動かないアリアの背も。
(……アリア?)
その背に言い知れない不安を覚える。
側に立ったまま複雑な表情を見せるガイと目が合った。彼は気まずそうに頭をかき、険しい顔に困惑と後悔を示している。……何が、あったのか。
(近くに……)
行こう、と思うのに足が動かなかった。まるでその場に縫い付けられたように、僕の思いを反映してくれない。いや、寧ろ反映したからだろうか。恐れに……足が竦んで動かない。
(……僕に、掛けられる言葉など)
心を持たない人形にどんな言葉が紡げるというのか。僕は彼女のことを何も知らない。きっと彼女も僕に話すことはないだろう。
側へ行って、その顔を見て。何も出来なかった自分の無力を知って、何になる。彼女の瞳に映されて教えられてしまう自分が───怖いと感じてしまう臆病者が。
「アリア……?」
「───ああ、うん。大丈夫だよ、ティア」
側に屈んだティアへ微笑み返した横顔は。
僕の顔のように、張り付けられた表情を浮かべた。
*****
翌日、アリアはティアと共に宿から姿を現す。
なんでもないように振る舞ってはいるが、浮かべる表情がどこか違うと関わりのあった者には分かる。
普段からアリアは表情豊かというわけではない。正確には「豊かに見えるように繕っている」ようだった。
それが拾われて育ったことによるものか、何でも屋として一人で旅をする中で身に付いた知恵かは分からない。
(それでもアリアの瞳には、いつも彼女の意志が見られたのに)
今はそれも見える気がしない。陽の光を受ける水色が、湖面のように輝いて見えることはない。
僕は胸にぽっかりと穴が開いたような感覚を味わう。まるで何か大切なものがその穴から溢れ落ちてしまうような、そんな空しさ。
「具合いいならさっさと出発しちゃいましょうよ、大佐ぁ」
「そうですね。イオン様、ルーク。それでよろしいですか?」
「僕は構いませんよ」
横合いから声を掛けられ、僕は答える。
変化はそこで生まれた。
(───え?)
アリアと眼が合った。彼女は僕を見ていて、僕も彼女を見ている。僅かな間。それが何を意味するかは分からないけれど……僕は、彼女の側へ踏み込むことに勇気を使った。今まで僕は何も出来なかったから。
「アリア?」
「!」
その水色の瞳は、目の前で呼ばれてようやく僕に気付いたように驚きを示す。大きくなった瞳に僕は息を飲んだ。光が───意志が、戻る。
だが驚きの後に現れた笑みは、どこか寂しげに映った。何かを理解してしまった時のような、息を吐くような笑み。
「……そっか。そうだね」
「アリア……?」
「ごめん、なんでもないよ」
彼女に表情が戻ったのは嬉しい。
だが何故、そんなにも寂しく笑うのか。
アリアは「なんでもない」と冷たい隔たりを降ろす。言葉より雄弁に、その表情と声音が「これ以上関わられたくない」と語っていた。
そう願われれば僕は口を閉じるしかない。
(僕では、貴女の力にはなれませんか)
何故そんな問いを抱いてしまったのか。力になれる筈もないと分かっている。僕はただの代用品。「導師イオン」の他に何でもない。彼女だって僕の助けなんて求めもしないだろう。
そう、分かっている筈なのに。
*****
連絡船キャツベルトに乗り、軍港を離れる。アリアは僕にアリエッタとシンクについて尋ねた。彼らに対して何か思うところがあるのだろうか。
流通拠点ケセドニアを経由し、領事館に船を準備してもらう間に商人ギルドで音譜盤を解析してもらった。シンクという追手が掛かりつつも、僕らは船へ逃れる。
「同位体の研究のようですね。3.141592……これはローレライの音素振動数か……」
船内で音譜盤の解析結果を確認する。ジェイドの言葉は少し僕の予想とは違うものだった。てっきりルークがレプリカであることに繋がる結果が出るものだと思ってしまっていた。
(いや……もし、ルークが同位体なのだとすれば)
彼の被験者がもしも生存していた場合、同位体が二人揃えば超振動が起こせる。それはルークとティアの間で起きたという疑似超振動とは違い、軍事的にも注目されるような強大な力だった。誰が何のために、と考える。
そして何故、彼にまつわるかもしれない同位体研究の資料にローレライの音素振動数が記されているのか───その疑問は六神将の襲撃により表へ出ることはなかった。
六神将・死神ディストの襲撃は。
思いの外アリアが楽しそうで微笑ましく思えた。
*****
首都バチカルに着き、ルークの案内で王城を目指す。その最中、ルークの表情が明るくないことに皆気付いた。「少し観光していかないか」───そのガイの気遣いに、彼はすぐには頷かない。わざとらしく調子を合わせたのはアリアだ。
「ね。いいでしょ、ルーク。お願い!」
彼女はあくまで自分の我儘としてそれを主張する。カイツール軍港や街道で僕を休ませるために声を上げた時のように。
(やっぱり、貴女は優しい)
それ故に、どうして笑って人の命を奪えるのかが僕には分からない。自身の危険を顧みないことだって……もしかしたら、彼女にとっての命の重みが理由なのかもしれない。他者の命が重くないように、彼女自身の命もまた重さを持たないなら……
彼女の眼には、僕達の命はどう映っているのか───以前抱いたその疑問を、胸の中に再び浮かべる。その答えを知ってしまっていいのかが、分からない。
(……それでも、知りたい)
すぐに彼女に近付けるとは思っていない。これ以上関わらないで欲しいと、暗に伝えられたことも分かっている。それを僕は、力業で解決したくはない。
僕がしたいのは、きっと彼女がここまでの道程で僕に示してくれた優しさに等しいものだ。あの街道で覚えた安心と陽だまりの温かさを彼女に渡したい。隣にいると、今度は僕が示せるような関係にありたい。
(……僕の言葉が彼女の助けになるなんて、思っていないけれど)
依頼が終われば彼女はいなくなってしまう。彼女と関わりを持てるのはこれが最後。その現実が、僕の気持ちを前へ進ませた。
*****
ファブレ邸の中庭に、その姿はあった。温かな日差しの中、彼女はベンチに座って静かに花を眺めていた。その風景はまるで、あの街道での穏やかな時間を僕に思い出させる。
気付けば出会ってから三ヶ月近くが経っていた。年の初めの寒さはすっかり春の陽気に暖められている。中庭に咲き誇る花々も春の訪れを理解していて、可愛らしい花弁を広げて陽の光を精一杯に浴びていた。
その暖かさが、彼女がくれた安心と同じ温度に思えた。花に彩られた景色に馴染む様は、彼女自身が花の一つであるかのように違和感がない。
悩むような小さな呟きに、僕は自分から声を掛けた。
「何がですか?」
「わっ!?」
「すみません。驚かせてしまいましたね」
「ゴメン、ちょっと考え込んでて」
「何を考えていたんですか?」
「うーん、色々と……」
答えながら彼女は自然と隣を空けてくれる。そこへ腰掛け、仔細を知りたいと視線を向けた。戸惑いのあるアリアの視線は、話をするべきか迷って見えた。
今までなら、僕は彼女の表情を見て引き下がっていただろう。でも、今は。
「……僕では頼りになりませんか?」
「……へ?」
「コーラル城から戻って以来、ずっと貴女は何かを悩んでいます。僕では力になれませんか?」
「そういう訳じゃないけど……」
アリアから返るのは戸惑いだ。やはり僕では駄目なのか。気持ちが少し萎れてしまいそうになった時、アリアの方から問いが掛かった。
「どうして気に掛けてくれるの?」
「え……?」
「今も、フーブラス川でもそう。そんな必要ないと思うんだけど」
問われて───僕は答えがなかった。指摘を受けて初めて気付いたと言ってもいい。僕がダアトを飛び出したのは、僕が「導師イオン」だから。チーグルの森へ行ったのも、アリエッタへの責を感じたのも。僕は「導師イオン」だから、そう在るべく行動している。それなら……今、ここにいるのは?
「どうして、でしょう。自分でも分かりません」
視線を下げてそう答えるしかない。分からない。僕が幾度、アリアに感じたものが何なのか。アリアの優しさに触れる度、無事を祈る度、不安に思う度……安らぎを覚える度に、何かがある。それは一体何なのか。分からないまま、正直に言葉にする。
「ただ……アリアを見ていると、不安を覚えてしまう自分がいるんです。チーグルの森で僕を庇った時も、フーブラス川で振動を止めた時も……貴女は躊躇わなかった」
「躊躇ってたら行動できないよ」
「そうですね。ですが僕は、それが……怖いんだと思います。貴女が、不意にいなくなってしまいそうで」
「いなくなるって……」
「……すみません。意味が分かりませんよね」
自分でも分からない。優しさを手渡す時と同じ温度で人を焼き殺せてしまうアリア。自身の命の価値も、同等にしか見ていないんじゃないか……そう、思った。
(それが僕は……怖い)
それ以上に、理由は見付からない。
「───ね。導師はさ、なんで導師をやってるの?」
脈絡もなく、アリアはそれを僕に尋ねた。表情を見ればはぐらかしたようには見えない。戸惑いながらも答える。
「それは……僕が、導師イオンだからでしょうか」
「それじゃあべこべだよ。役割はアイデンティティじゃない。君という個性は、導師である前に君のものだよ」
「個性……ですか?」
「そう。最近ね、思い知ったんだ。どんなに似ていても、同じじゃない。絶望するくらいボクはボクでしかない。誰かの代わりを押し付けられても───決して、なれないんだよ」
その言葉は、どこか重く届いた。誰かの代わり……「導師イオン」の代わりを演じる僕。絶望するくらいに自分は自分でしかなく、決してなれない───僕は「導師イオン」に、なれない?
「例えばチーグルの森に単身で乗り込んだのは君だけだし、アニスの物真似をするのも君だけだ。ボクをこうして気に掛けるのも……ほら、ここにいるのは君だけだよ」
「………………」
「導師イオンは確かに君だけど、導師でなくても君は君だし、イオンでなくても君は君だ」
「嘘だと思う?」と彼女は問う。重ねた時間が、共有した出来事が。分かち合ったものが───誰かの代わりであるかを問われる。
(どうして、アリアは僕にそれを問うのだろう)
眼を閉じて考える。「どんなに似ていても同じじゃない」「誰かの代わり」……まるで僕がレプリカだと気付いているかのようだ。そう思考して───チーグルの森での出来事を思い出す。
(……ああ。そうか)
彼女は僕の体が作り物であることを知っている。コーラル城でフォミクリーの音機関を見て、解析した音譜盤の内容も理解していた。そこで彼女は聞いたのだ。「人の複製も可能なのか」と。
アリアは気付いている。僕が「導師イオン」の代わりだと。その上で尋ねてくれた。「どうして導師をやっているのか」───役割と個性は別だと言ってくれた。それなら、
(さっきの言葉は、僕のための言葉だ)
どんなに似ていても、同じじゃない。絶望するくらい自分は自分でしかない。誰かの代わりを押し付けられても───決して、なれない。
(導師でなくても僕は僕……イオンで、なくても)
それは初めて与えられた許しだった。
「導師イオン」に与えられた名でも、姿でもなく。
借り物の居場所や肩書きでもなく。
僕自身へ向けられた、唯一初めての。
その優しさを、温かさを。
嘘だと捨ててしまうことは出来なかった。
「いいえ。僕は……貴女の言葉を信じたい」
僕の答えにアリアは満足そうに笑った。
初めて、だったと思う。
彼女が繕わない表情を見せてくれたのは。
「ね。ボクと関わりたいと言った君に、友人として贈り物をしたいんだけど」
「友人……」
「あれ? 違うの?」
「い、いえ! 嬉しいです」
思わず必死に肯定すれば、彼女は少し気恥ずかしそうに視線を逸らした。そんな顔もするのだと思ってしまう。
「まぁ要らなかったら断ってくれていいんだけど───皆さ、導師イオンとかイオン様とか、そればっかだなって思ってたんだ。イオンって名前で背負ってるものが大事なのは分かるけど、たまには荷物を下ろして休憩しなきゃ」
少し迂遠な前置きだ。何かを伝えようとしていて、それが少し難しいためにそうなっている。そう思うから僕は言葉を待った。彼女が僕に伝えてくれるものを、きちんと受け取りたいから。
アリアは「つまり」と思いきったように告げる。
「つまり、君に愛称を贈りたい。友人らしく」
「───、」
愛称。それが、幾度渡された言い訳と同じだとすぐに気付いた。「導師イオン」だから───そう答えてしまう僕に、彼女は別の理由を用意してくれる。
僕がレプリカだと気付いていて、「導師イオン」という名を時々下ろして休んでしまえと言ってくれる。僕に───「導師イオン」以外の持ち物を与えようとして。
(……貴女はやはり、優しい人だ)
ずっと、「導師イオン」だった。
それでいいだとか、それがいいだとか、そんな風に思う余地もなく。僕はただ始まりからずっと「導師イオン」だった。それ以外に何も持たないことを哀しくも思わなかった。……でも。
(アリアは……僕に、僕であることを望んでくれる)
初めて得たその想いに満たされる。その感情にどんな名が相応しいかは分からない。ただ自然と微笑んだ。彼女が僕に笑いかけてくれたように。ありがとう、と感謝を音に乗せて。
ノームデーカン・ノーム・1の日───それはND2018の、春が告げられた日だった。