短編:sideシンク


 落ちていく。

 ボクの体が死へ向かう。

 自分で選んだ結末。

 自分で望んだ終着。

 何の不服もあるわけがない。

 導師の手を振り払ったことを後悔もしない。

 それなのに、どうしてか。

 どうして、ボクの心は満たされていないのか。

(空っぽだから)

 何もない。何もないまま生まれてきた。何も得ないまま死へ向かう。だからボクは満たされない。空っぽだ。

(空っぽでいい)

 そうやって何も持たなければ、疲れることもない。預言も世界も、今はもうどうでもいい。死に向かう中でこだわって何になる。ボクが今消えることが世界の意志なのか、ボクの意志なのかなんて。

 もう疲れてしまった。矛盾も、憎しみも、この感情が揺れることも。地核に触れてちっぽけに消えてしまえば、それだけだ。

 ようやく、終われる。そう思ったのに。

「うっさい! 手を伸ばせ! 離さないから!!」

 ───暴力的な意志に、引き上げられる。










*****










 どうして、と問われたら。

 アンタがこの手を取ったから、と返せばよかった。

 六神将に戻らなかったことも、ヴァンの計画を途中で放り出したことも、レプリカの───アリアの手を掴み直したことも。自分を使って欲しいなんて依頼をした理由だって、雪の中で手を伸ばした理由だってそれで説明がつく。

 アンタがこの手を取ったから、ボクはヴァンを殺して自分の生を繋ぐ。浅ましく、醜く、滑稽に。

「連れてってよ───アリア」

「───どこへでも」

 ダアトで過ごしたひと月は静かなものだった。

 与えられた仕事は目が回る量だし、当然やりたい仕事というわけでもない。慌ただしいことだって多かった。それでも静かに思えたのは、ボクの心が凪いでいたからだ。穏やかに、ただ毎日が在る。

(退屈を悪くないと思う日が来るなんてね)

 預言も世界も変わらず嫌いだ。目障りだし消えるなら消えてくれていい。それは変わらない。

 反面、今を気に入り始めている自分にも気付いていた。余計なオマケも幾らかあったが、暴力的にボクの手を掴み取った奴は変わらずそこにいる。当たり前みたいにボクの名を呼ぶ。当たり前に、ボクを見た。

(どっかの眠りこけてるお姫サマとは雲泥の差だ)

 ヴァンを殺して教団に戻ってから、ボクは被験者のアリアの元へ足を運ばなくなっていた。その理由はわざわざ考えるまでもない。必要がないからだ。

 その瞳に、その声に。一方的に磨耗させた感情はゆっくりと修復されていく。穏やかで不慣れな時間が、空虚と憎しみしかなかったボクを安定させる。全てを満たすには足りないが、着実に何かが与えられていた。

(───与えられる、なんて。嘘みたいだ)

 笑ってしまう。でも、それは馬鹿にする感情ではなかったと思う。ただ信じられなくて、穏やかな息が勝手に漏れた。少し前の自分では考えられなかった変化だ。クソみたいな祝福しか与えられなかった世界で、アリアが与えてくれる何か。それが他人事みたいに勝手に馴染んだ。

「あの旅で、僕は誰かの代わりではありたくない……と、気付いたんです。ようやくですけどね」

 そう言葉にして、導師は表情を柔らかくする。それを眺めながら、ボクは淹れ直されたお茶を口に運んだ。

 ボクとは違い、被験者の持ち物を与えられた七番目。ずっと羨んで、同時に見下してもいた。使い道があっただけで、お前もただの道具なのにと苦く思っていた。

 その道具が、どうしてかアリアを側に望んだ。いや、理由は分かっている。頑固な意志に転落した時に、聞いてもないのに一方的に聞かされた。

 ───「導師イオンではなく、僕を友人と言ってくれた」。

 まるで大事なものを仕舞い込むような穏やかさで、導師は口にした。思い出しても苛立ちがある。何にせよ、導師もアリアを気に入っているようで面倒臭い。それさえなければ、ボクが教団に戻ることにもならなかった。

(そんなところが似られても迷惑だよ)

 被験者とレプリカはある程度、趣味嗜好が似る。レプリカ同士でも同様だ。ボクが導師と同じだなんて思いたくはないが、重なる部分があることは知識として知っていた。ただ、気が合うかは別だ。

 始まりに与えられた七番目と、与えられなかったボク。

 地核で「同じだ」と差し伸べられた手を、確かに「違う」と叩き落とした。だが地核から引き上げられて顔を合わせた七番目は、「違った」とボクに謝罪した。今度はボクが「同じだ」と思わされて、とことん気が合わない。

 勿論、七番目と気が合う必要なんてない。飛び出してくる綺麗事には吐き気がするし、ボクと関わろうとついて回られて迷惑もしている。居なくて困ることもない。

(でも……お前は、被験者じゃないから)

 「導師イオン」の手なんて取れない。ボクの手を取ったのはあくまでアリアだ。そのアリアが、七番目を「テセレマ」と呼ぶ理由を知っている。贈られた愛称で呼ばれ、嬉しそうに返事をする内心を知っている。その顔は人形の顔をしていない───「導師イオン」でないなら、少しは許容してやらなくもない。目障りで、耳障りで、好ましくはないけれど。見えるところに居るくらいは諦めがつく。

 そう、思ってやったのに。










*****










『一緒に行こう。全部壊せば、ボクと君しか残らない』

 アリアだった何かは、ボクへ甘言を吐く。

 その手をボクは取らない。その伽藍堂の瞳にアリアの意志があるなんて冗談が過ぎる。例え仲間さえ殺せても、その中でボクだけは護られていても。

 それでもこれは───アリアじゃない。

「帰る場所なんてどこでもいい。アンタが連れて行ってくれるんでしょ」

 ボクは手を伸ばす。胸に抱く。ボクより華奢な体は簡単に収まる。抵抗もなくて馬鹿だなと笑う。

 逃がすつもりなんてない。もう手離せない。空っぽになんて戻れない。与えられるものを知ってしまった。与えられることを知ってしまった。自分だけに在るモノの、価値の重さを知ってしまった。

 世界が決める筈の価値。でも、ボクがアリアに抱く価値は世界と関係のないところにあった。それはきっと、あの地下牢でアリアが僕に向けたものと同じところにある。

 アリアがアリアだから、ボクはあの手を掴んだんだ。










*****










 導師が死んでから、アリアの様子は変わったように思う。上手く説明は出来ないが、ボクや導師に構うばかりでおざなりにしていた自身にリソースを割くようになった。

 そして「死」に敏感になった。導師の「死」がそれ程までにアリアに衝撃を与えたのか。……不本意ながら、ボクにも。

(居なくて困ることもない、のに)

 アリアは守護役を「許さない」と責めた。その眼が地核で向けられた眼と同じと知っているのはボクだけだ。固い意志で、簡単には覆らない決意と知っている。

 アリアが誰かを感情的に責める姿は珍しい。ひと月眺めてきたが、感情的に責を問う姿は見なかった。ボクだって過去に責められた覚えはない。地核で死のうとしたことだって、アリアは責めなかった。

(ボクを生かしたクセに、変な奴)

 導師の死に泣きもしない横顔を眺める。呑気で、何も考えていなさそうな馬鹿の顔。死に平然と振る舞って見せる。ボクの顔を見た時に、一瞬傷付いたような顔をするクセに。

(ボクは導師の代わりじゃない)

 そんなことはアリアも分かっていると思える。ボクにそれを渡してきたのはアリアなのだから。だから少し、幻影が重なるだけ。ボクがアリアに幾度と被験者の姿を重ねたように。平然を作って見せる顔に、苛立ちを覚えた。

「本気で分からないなら重症だよ」

 抱き寄せて互いの体温を分かち合う。何の意味もない行為。ただ生きている温度だけが伝わり合う。生きている───暴走時とは違って体温がある。地下牢で、地核で触れた温度と同じだ。手だけでなく全部が温かいんだな、なんて当たり前のことを今更になって思った。

「テセが死ななきゃいけない理由なんてあったのかな……」

 こんな時でもなかったら笑ってやってたと思う。死に理由なんてない。そんなことは、普段の言動からアリアも抱いていた考えの筈だった。それなのに、導師の死には理由を求める。納得できないと否を唱え続ける。───アリアも変わった。

(ボクが他人に、わざわざこんな面倒な手間をかけてやるみたいに)

 「死なないで」と望まれる。それは「代わりなんかいない」と伝えることと、殆ど同義の言葉だった。静かに手渡される願い。このひと月で与えられた何かのように、その願いは勝手に胸に馴染んでしまう。

 地下牢で「シンクはシンクだ」と突き付けられたことと、この時の言葉はどこか違ったように思う。前者はただボクという概念の肯定で、後者はアリアにとってのボクを肯定していた、ような。そんな錯覚。

 触れる体温をいつ離せばいいのか。

 慣れないことをしたボクは、すっかり見失っていた。










*****










 導師の影がちらつく。

 死んだ筈なのに、居なくなった筈なのに、何度もボクの前へ現れる。アリアがその名を口にし、その姿を探すからだ。

 苛立ちが募る。目障りだった。居なくなったクセにまだ居座るなんて。図々しい奴だ。そのクセ、アリアに言葉をかけてもやらない。生きてる間はあんなに口煩かったクセに。

「シンク……」

 ボクを呼ぶ声。ヴァンに捕まった鈍臭いお荷物のために、ボクがレプリカルーク達と戦うことを嘆いて聞こえる。お仲間が大事だから、なんて寝惚けたことは流石に思わない。呼ばれたのはボクだ。そして呼ばれたから、ボクは退かない。ボクなんかの命を惜しむような馬鹿を、ボクがヴァンに殺させるなんて真っ平だ。

「───、」

 雪に膝をつく。空を仰ぐ。灰色の空。降り続ける雪の冷たさなんて忘れた。血がどれだけ流れたかも分からない。息を吐く。まだ息がある。アリアが延ばした命。アリアに預けた時間。

(なら、この結末でいい)

 ここがボクの終着点。地核で思った時には空っぽだったのに、ボクの胸は勝手に満たされる。与えられるひと月が、すっかりボクを変えてしまった。

(アンタが手を取ったからなんて、嘘じゃないか)

 嗤ってしまう。責任を押し付けて、使われることを願って。道具という言い訳で逃げていただけだ。選んだのは自分で───その事実が、ボクに迷いを抱かせない。

「あ、」

 ───鮮やかな赤が「満足」を塗り潰す。

(嘘だ)

 崩れ落ちる体。信じない。分かりきったことを認めない愚かしさが、自分の中にあるとは思わなかった。望んだ筈の死を投げ出して、ボクは体に動けと命じる。だが体は動かない。ボクの口からも同じ色が飛び出して、寒さと痛みにようやく気が付く。

(───ああ、ボクも死ぬのか)

 時間が過ぎる。

 感情が磨耗する。

 被験者のアリアの目覚めを待った時のように。

 腹の底の熱が冷えていく。

 アリアの死を否定できない。

 ボクを生へ繋いだアリアは、もういない。

(……今更、空っぽになんて戻れない)

 与えられることを知ってしまった。与えられるものを知ってしまった。知らなかったフリなんて出来ない。確かに与えられた何かを、手離す気にはならなかった。

 このまま無為に続く生に興味はない。アリアみたいに世界を壊してやろうとも思わない。あの時のアリアにはボクがいた。今のボクには何もない。世界を壊してボクに与えられるものはないと、今のボクは思い知らされている。

 世界とボクの矛盾だらけの競り合い。地核で勝ちを掴みとって、横槍でドローにされたそれ。今度の勝敗はボクの負けだった。───そして、次はない。

『彼女を「戻す」のはやってあげるかしら』

 ここへ来て、今更その存在を思い出すことになるとは思わなかった。部屋へ足を運ばなくなって久しかったし、彼女の方もボクなんかに用がある筈もない。放っておいても変わらず眠り続ける酷い女。それでも処分をすることは出来なくて、過去の自分の影がちらつくことに苛立ちを覚えた。

「被験者も何かを媒介にして、アイオンの力が働いている……?」

 二年も経って今更提示される手掛かりに、どうしてか裏切られたような心地になる。そんな簡単なことならばボクにも出来た筈だ。彼女の持ち物を全て壊すなんて、ボクには難しいことでもない。アイオンの力さえ途切れれば、後はボクが解呪してやれる。必要なものはずっとダアトに揃っていたのに───答えを与えたのは導師だった。

 体を失ってちっぽけな結晶程度に成り下がったクセに、アリアの命を繋いで被験者まで目覚めさせてしまう。目障りなのに、ボクよりよっぽど役に立つ。

「シンク───」

 待ち続けた瞳がボクを映し、その声がボクの名を呼ぶ。心臓が勝手に震えた。その存在がボクの意識を侵し、脳が揺れるようで気持ちが悪い。───気持ちが悪い。

(───気が狂いそうだ)

 甘い誘惑だった。彼女はボクにとって、いつか唯一の価値を与えてくれる幻想だった。だがその手がボクの心臓に触れ、撫でる感覚に耐えられない。激しい嫌悪が押し寄せる。早鐘を打つ心臓を止めてしまいたい。

(触れるな)

 価値なんて要らない。それは空っぽのボクが望んだものだ。今のボクには必要ないし、価値を与える存在が被験者である必要もない。ボクはもう与えられている。与えられて過ごしたひと月が確かに在った。

 その時、ボクは気が付いた。アリアがボクに与えてくれていた何かの正体が、ボクの価値であることに。アリアにとってのボクの価値。そして、ボクがボクに抱けるボクの価値だ。捨てられるだけの生でも、道具としての終わりでもなく───ボクが、ボクに期待できる何か。

「……早く、目覚めてよ」

 眠り続けた被験者に掛けた言葉と同じ言葉だ。だがその姿は重ならない。ボクの想いも違う。心臓の穴さえ元通りにしてしまえば、勝手に起きる奴と知っている。

 そうして勝手にボクの姿を見付けて、勝手に名を呼ぶ。頼んだわけでも、何かを許可したわけでもないのに、当たり前に───嬉しそうに、表情を緩ませて。

(アンタが呼ぶから、意味があるんだ)

 ボクにとってのアリアは。

 もう、ボクの名を平然とは呼ばなくなっていた。










*****










「最初に見たのが、シンクでよかった」

 その馬鹿は相変わらず頭がおかしくて、起き抜けに人の心臓を壊せそうな爆弾を放り込んできた。頭を抱えたい。こいつに情操教育を施した奴は誰だと考えて、傍若無人なオッサンの顔が浮かぶ。今ここにその顔があったら盛大に舌打ちをしてやっていた。

 上がってきた感情に顔を見られたくないと感じる。理由なんていい。その頭を押さえ込み、はぁと深く息を吐く。少し落ち着いてからでないと、見せられる顔にはならなさそうだ。

(仮面があればこんなことに煩わされる必要もなかったのに)

 皮肉のようにそう思う。手元にない以上は仕方がない。もう一度息を吐こうとして───引き寄せた頭が、ボクの胸にぴたりと押しつけられる。もう一度心臓が止まりかけた。余程ボクの心臓に恨みがあるらしい。こいつの心臓には毛でも生えてるんじゃないのか。

「心拍聞いてる」

「はぁ? アンタ状況分かってるの?」

「分かってるよ。君が死にかけて、ボクが死にかけて。お互いすっごく困らせた直後でしょ?」

「───、」

 その理由は、ボクの思っていたものとはまるで違う場所に在った。苦い顔をしてしまう。ボクの心臓が受けたダメージは見過ごせないが、アリアの言動が回り回って自分のせいと思うと必要以上には詰りにくい。自分の心臓が止まりかけたことを知られるのも癪だ。仕方がなく飲み込む。

 無神経に話を続けられることを拒み、アリアの部屋へ移動する。何があったのかを話すなら、被験者のアリアの話もしなければならない。

 ……何も思わない訳ではない。それでも、彼女のことはもう過去だから。もう必要ないから───アリアに話すことが出来た。

「じゃあ、シンクは被験者のアリアの様子を見るためにダアトに残る?」

 最初は何を言い出したのか分からなかった。けれどこいつの表情は分かりやすくて、どんなに隠そうとしても僕には分かる。傷付かなくていいところで傷付いている───本当に、馬鹿だと思った。

「否定はしない。……でも、アンタは違う」

 それがボクの結論。レプリカは代替品。被験者の劣化品。その考えに否はない。でも……ボクにとってのアリアはレプリカの方だから。被験者とレプリカは違う。二人のアリアを同じだと結論付けることは、何があったって出来やしない。

 ほっとした様子のアリアに奇妙な心地になる。ボクにとってのアリアの価値……それが、アリア本人にとって意味をなしている。アリアが認める「ボク」に意味があるように、ボクが認める「アリア」に意味がある───そんな風に錯覚してしまう。

 まるで、アリアにボクが必要みたいに。

「死にかけてごめんね」

 部屋を出ようとすれば、引き留められて謝罪を受ける。あまりに唐突な謝罪。理由を問えば、自身の責に触れる。───苛々する。

(自分の役目も果たせなかった役立たずに、謝る必要なんてない)

 今のボクはアリアに使われる立場であり、仮にも立候補した護衛役だ。それが唯一、ボクがボクに期待できる価値でもある。それなのに実際にはどうか。彼女の生を繋いだのは導師の遺した物で、ボクはただ見殺しにしただけだった。

「『次』はない。アンタもボクも。いいな」

「……うん」

 アリアへの返事にしたそれは、ボク自身への脅しでもあった。次はない。次ボクが自分の役目も忘れて「くれてやれない」存在を見殺しにする間抜けなら───ボクがボクに期待してやれることなんて、何もない。










*****










 アリアがモースを殺した。

 何も変わらない。その様子には満足も虚無も覗かず、預言も世界も滅んで構わないと答えた時の平然さが過る。導師の死には世界を壊す程の激情に駆られたクセに、導師の仇には何も思わない。あれだけ明確な殺意を持っていながらモースの死に意味を望まないなんて、アンバランスだ。

(やっぱり頭のネジが取れてるんじゃないの)

 その偏りが彼女の生まれに起因するものかなんて、どうでもよかった。今のボクには被験者という価値は特別大きくもない。同様にレプリカの価値だって大差はなく、生まれによる違いもそこまで感じない。今のボクがボクを疎ましく思うのは、今までの自分の怠惰な諦めが原因だ。

「フローリアンのことは、放っておかないよ。教会に居る以上は導師代理であるボクの庇護下ということになるし、テセも彼に出来る限りをしただろうから」

 導師の影はちらつき続ける。時間を重ねれば重ねる程、重ねられた色が影を濃く見せる。

 その髪飾りが導師に贈られたものだと、ボクは知らなかった。それをアリアが身に着けるようになったのは導師が死んでからだ。飾り気のない奴が急に何かとは思ったが、前情報も無しに導師の存在に結びつけられる程、ボクは飛躍した思考なんて持ち合わせていない。

 アリアがダアトを選んだのも。

 導師の跡を継ぐと言い出したのも。

 ヴァンの計画を止めるために再び旅を選んだのも。

 三番目に構おうとするその理由すら。

 ───全部が、七番目だ。

「忘れてよ。七番目も、三番目もさぁ。ボクがいればいいって言いなよ。ボクは言えるよ。アンタがボクの全部だって───伝えてある」

 苛々する。生きているのはボクなのに。死者の影なんて追わないでよ。被験者のアリアが目覚めなかった時のように……アンタまでボクから目を逸らすのは許せない。アンタは既に選んだんだ。ボクに、生きろって。だから、

「アンタを自由にするには、これしかない」

 今更だったとしても、これが最後のチャンスになるから。全部壊して───アンタにとっての「本物」になる。










*****










「バカ! なんでルーク達と戦ってるのさ! 目的が違うでしょ!?」

 アリアが感情的に誰かを責めることは少ない───その少ない一度に、自身が数えられたことがおかしい。地核で死のうとした時とは雲泥の差だ。今のアンタは、死のうとするボクを怒って引き留める。

 抱き締められて体が震えた。自分から触れるのは構わないのに、触れられることには慣れられない。体温を分けられて、何かを伝えようと必死になられる。酷く、居心地が悪い。

「信じて欲しい。ボクは君が大事だよ。テセの代わりじゃなく、君が大事。君が『シンク』だから───ボクは地核で手を伸ばしたんだ」

 アリアの言葉は変わらない。しつこいくらいに、いつだって繰り返される。……繰り返させているのはボクが原因か。ボクがどうやっても、その言葉を信じないから。

 話は簡単だったのに。ボクか導師か───どちらか一方を選べばいいだけ。片方は死んでいて、義理立てする必要だってもうないのに。アリアは馬鹿だから、ボクの手も死者の手も離せない。どちらかを、選べない。

 まるで、選んでしまったら自分ではないと言うように。

 付き合いきれないと溢せば「付き合って」と返される。どうすることも出来ない、最悪の話。

「……置いて行ったら承知しないよ」

「そんなことする訳ないよ。ボクには君が必要なんだから」

 必要───初めて、アリアの口からその言葉を聞いた気がする。必要とされるレプリカ……そんな意味じゃないことくらい、分かってる。アリアにとってボクがレプリカかどうかは重要じゃない。道具として扱われたこともない。アリアはいつだって「自分の力で立て」と言う。一人の、人間であれと。

「シンクに代わりはいない。だから……依頼を破棄しよう」

 ボクに道具という言い訳を渡さないために。ボクがボク自身の意志でアリアの側を望むことを願われる。正直に言えば理解が出来ない。ボクなんかにそんなことを願う意味が分かれない。でもボクの価値は、それを望むアリア自身だから。考えるだけはしてやれる。

「いなくならないで───ボクの大切な人」

 あまりに残酷な言葉に、ボクの心臓は「痛み」を伝えた。










*****










 死が、宣告される。

 アリアの師は初めから嘘を吐いていた。

 微々たる悪影響───初めから最悪に向かっていたから、どれだけ響律符に頼っても「大差がなかった」。

 アリアの表情は変わらない。へらへらと平気そうに笑ってる。仕方がなかったと、後悔はしないと、そんなことを口にして。───苛立ちが勝った。

「『次』はないって言った筈だ」

 ボクがボクに期待できる、唯一のこと。「次」に見過ごすことがあれば、ボクの価値はないのと同じ。アリアが最悪に向かい出したのが地核でシルフを喚んだせいだというのなら……ボクを生かしたせいで、アリアが死ななければならないなら。今度アンタを生かすのは、ボクだ。

「なら、全員ボクが殺してやるよ」

 それがボクの結論。暴走した時のアンタと明確に言葉を交わしたのはボクだけだ。ボクだけが知っている。アンタがどうなったって───ボクを手離さないって。

「シンク……ボクは」

 自信に溢れる水色の瞳が、今は迷いに揺らいでいる。今まで見ることのなかったその顔に心臓が擽られた。そうやってボクの言葉に揺らいで、ボクの意志に転落する様が心地よい。そうやって堕ちてきなよ───ボクだけを選ぶ世界へ、自分の意志で。

 けれど、状況はひと声で変わる。

「初めまして、シンク。会えて嬉しいですよ。───僕のレプリカ」

 唐突に放り込まれた存在が、ボクの内側を荒立てる。導師───七番目と間違えることなどなかった。最初からその笑みは歪んでいて、見下ろすその眼を知っている。自身をゴミ屑と嗤った、鏡に映ったボクの眼だ。

 ───ガラクタ。

 音のない声が耳に触れた。激しい嫌悪に拳を握る。命の冒涜がどうの、なんて高尚な思想は持ち合わせていない。ただわざわざ七番目のフリなんかをして現れた醜悪さに、考えるより先に体が動いた。今のボクの価値は導師のレプリカではない───そのボクの行動を、アリアが止めた。

「離せ!!」

「離さない! 何考えてるの!?」

「アンタには関係ないだろ!」

「───関係ないなら殺してから行って! どうせもう死ぬんだから!!」

「……っ」

 卑怯だ。既に生かすと決めたものを殺せる訳がない。簡単に振り払うにはその力は強情で、乱暴にはね除けるにはその存在は傷付け難い。

 自身の被験者への嫌悪と憎悪を抱きながらも、ボクはボクを引き留める温かさに留まった。空っぽの憎しみに我を忘れたなら、アリアに与えられたものも取り零す気がした。

「ボクは君とここにいたい」

 ようやく告げられた希望に、ボクは否を唱えられない。アリアの命をこの醜悪な存在に委ねるなど、頭がおかしくなりそうだ。

 自身のレプリカを道具として生み出し、預言を崩壊させようとした本物の導師。自身の死に、死ななくていい命を道連れにしようとしたことだって知っている。

 今だって七番目のような導師の皮を被りながら、人の傷口を広げて嗤っている。その加虐性をボクは見逃していない。

(……こんな形で、自分が導師の欠陥品であることを考えさせられるなんてね)

 歯噛みした。ボクの価値はもうそこに因らない筈だった。だがよりにもよってアリアの生死に関して、自分が劣化した役立たずである事実を叩き付けられるなんて最悪だ。

 今すぐ殺してやれたならボクは楽になる。だが連鎖的にアリアは人をやめ、ボクはようやく伝えられた希望を踏み潰すことになる。それは出来なかった。

(ここに七番目が居たなら……)

 浮かんだ考えを振り払う。無いものは無いし、あんな奴に期待するなんてどうかしてる。アリアがどんな顔をしているかも構わないで、言うだけ言って満足そうに死んでいった勝手な奴。

(生き残ったのはボクで、隣を望まれたのもボクだ)

 大切な人。その残酷な言葉の意味を考えなければならない。

 道具でない生き方は難しい。誰かの目的を借りて使われるのではなく、自分の目的のために自分を使わなくてはならない。その差はあまりにもあって、理解には程遠い。

 それでも望まれたから。ボクに価値を与え、自分の意志で側にいて欲しいと願われたから。

(アンタが、ボクにとってのアリアだから)






 今はそれが、空で無くなったボクの導だ。
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