短編:前日譚
気が付いた時には、白い部屋にいた。
そこが何処なのかとか、何故そこにいるのかとか、疑問に思うことすら何もなく。私は当たり前にそこにいた。小さな子供なんてそんなものだろう。
生まれてきたことにすら気付かない。
それが、よくある「普通」だ。
*****
「───では、今日も励め」
「はい」
頭を下げて、養父の背中を見送る。
私の養父はローレライ教団のあるここダアトで、大詠師という地位についている。色々な説明を割愛すれば、要するに偉い人であり、忙しい人である。
それなのにこうして、毎日朝と晩に私の様子を見るため私の勉強部屋へと足を運ぶのは……決して、私を愛しているからではない。
養父にとって私は道具に過ぎない。それを悲観する気持ちも既にないし、養父との関係に夢を見るつもりも何処にもない。
私はただ望まれるままに生き、望まれるままに役立とうとしているだけだ。養父の目的が私を利用することだとしても、私にとっては拾い育ててくれた人なのだ。彼がいなければ私は生きていなかったかもしれないし、少なくとも今のような何の苦労もない生活は出来ていなかったと思う。
それが生まれ持った素質ゆえに与えられるものなのだから、ズルい話だと自分でも思う。だからこそ、私は努力をする。勉強をする。少しでも早く、役に立てる存在になるために。生まれ持ったもの以外でも、養父の役に立つために。
*****
私の一日は、殆どが勉強に費やされる。読み書きは勿論、この星の歴史や今のこと、世界の成り立ちや解釈、国家間の関わりやここダアトの役割など、学ぶべきことは沢山ある。
当たり前だ。この世界は私が生まれる前から始まり、続いているのだから。私一人が一人前に表舞台に立とうと思えば、知識はどれだけあっても足りはしない。
そうして、来る日も来る日も代わり映えのしない静かな日々を過ごしていた。私の目標は養父の役に立つこと。生まれ持った素質を活かすこと。そして、養父と先代導師が望むように、現導師を支えることだ。
私が導師───ローレライ教団の最高指導者の婚約者であることを知ったのは、十歳の時だった。というのも、その年に彼は導師を継ぎ、婚約が正式に成ったのもその時であるからだ。先代導師との約束だったらしい。
導師と言われても、私にはよく分からない。勿論勉強の一環でそれがどういう立場であるかや、特異性についてはよく知っている。
ただ、実感が湧かないのだ。導師とはどういう人なのだろうか。日々何を考え、何のために生きているのだろう。彼の目指すものは何だろうか。何のために───導師でいるのだろう。
私もまた、現導師に何かがあれば導師となることを望まれている。それは私に導師としての素質があり、預言を詠めるからだ。導師のスペア、それも私の役割のひとつだった。
ならば、何のために私は導師になるのか。何のために導師を支えるのか。それが預言に詠まれているのだと、養父は言った。ならば預言のためか。
否───私は、私のために生きている。預言に生かされているわけでも、預言に従っているわけでもない。私はただ自分がそうしたいから、自分のために道を選んでいるのだ。養父の役に立ちたいのも、私がただそうしたいからだ。私の自己満足だ。養父のためでは決してない。預言は……ただの、未来の選択肢の一つでしかないのだから。
今の預言の在り方は、嫌いだ。始祖ユリアの詠んだ預言が、譜石が世界を滅びから救い、導くものだと信じられている。些細なことでも人は預言に従うようになってしまっている。
そうではない───そうではないと、私は思う。確たる考えがあるわけではない。ただ、それを「違う」と漠然と感じるのだ。そして、とても哀しくなる。それしかないこの世界に、それしか選べないこの世界に。この世界の在り方に。まるで誰かの嘆きが移ったかのように、哀しくなってしまう。そうではないのだと、何かが嘆く。
そんな繰り返される日々の中で、その問いかけは唐突に投げ込まれた。
*****
「君は預言が好きかい?」
その問いを投げ掛けてきたのはとある少年だった。幼い顔立ちに、線の細い印象を受ける。年齢は私と変わらないか、もしかしたら私より年下かもしれなかった。全てを知ってしまっているかのように、大人びた微笑みを浮かべる人だった。子供の顔に、大人の様な。
彼は何を思ってその問いを掛けたのか。浮かべた表情は期待とも呼べず、かといって関心がないなら問いはなかった筈だ。彼は確かに何かを思い、私に問う。預言の是非を。
私の答えは───「嫌い」だ。ずっと前から決まってる。その存在を知った時から嫌いだった。導きというには、それはあまりに人の自由を奪ってしまえる。
問いかけの理由を尋ねれば、彼は誤魔化した。気紛れだなんて嘘だ。彼にとって意味があって投げ掛けたものに決まってる。それでも彼が口を噤むなら、私はそれ以上踏み込まない。望まれていないから。
私は望まれて存在している。望まれなければ存在が許されなかった。望まれている間だけ存在できる……そんな風に、生きている。その生き方がもし、もう少しだけでも違ったなら。何かが異なっていただろうか。
*****
私に預言の是非を問うた彼は、幾度も私の部屋へ足を運んでくれた。つまらない話に付き合ってくれた。勉強の復習にも付き合ってくれた。新しく教えてくれることもあった。よくお土産を持って来てくれた。
飴や、飾りや、古い本、楽譜……外に出られない代わりに、彼が外を運んで来てくれた。白い部屋でしかなかった私の世界は、彼の見た世界でゆっくりと彩られていく。
私にとって、彼はよき友人であった。たった一人の友達。私に会うために、私と話すために、私のことを考えて、私のところへ来てくれる人。私が何の役に立たずとも、関係ないのだと。そう教えられているようで嬉しかった。それは彼が婚約者であると分かった後も、同じことだった。
*****
彼が導師イオンであると知って、最初に思ったことは「何故」だった。彼が導師イオンならば───あの問いの意味はなんだったのか。預言を盲信する世界の最高指導者。象徴とも言える彼が、何故その是非を問うのか。
導師とはどういう人なのだろうか。日々何を考え、何のために生きているのだろう。彼の目指すものは何だろうか。何のために導師でいるのだろう。───その疑問の答えと隣り合っている予感がする。
考えても分からなかった。簡単に尋ねてしまえないのは、それが彼に触れる問いだと感覚的に分かっているから。彼はきっと触れられたくない。私でなくとも、きっと誰にも。
それでも……問うべきだった。彼が一人で考えて、結論を出してしまう前に。隣にいると示して、一緒に考える時間を得るべきだった。私以外に、きっと、誰もそれを選べなかったのに。
でも、分かってる。例え私が問えていたとしても、きっと結末は変わらない。寧ろ彼は私から逃げてしまって、ただお互いが不幸になったかもしれない。
彼が私を側へ望んだのは時間が限られていたから。限られた時間だからこそ、彼は私との時間を殊更大切にしてくれた。触れたら割れるシャボン玉のように───彼との時間は脆く、誰よりも彼自身が弱かった。私に出来るのは、ただ愛を傾けることだけ。彼を慈しむだけ。
私では彼の助けにはなれない。望まれていないし、踏み込むことを許されていない。あの人は嘘ばかりで、最後までズルい人だった。
そう……最期まで。
「おやすみ、アリア」
私を置いていかないと言った人の声が聞こえる。
私を連れていくと言った人の声が聞こえる。
眠りにつく前に見た貴方の顔は満足気で。
それでいて、泣き出しそうに見えた。
貴方はそうしたかったのでしょう?
私を貴方の道行きに巻き込みたかったのでしょう。
誰にも奪われないように、誰にも触れられないように。
私の眼が、貴方のいない世界を映すことのないように。
貴方は望みを叶えた。
導師の絶望と交わらない、ただの貴方の我儘を。
それなら───それなのに、どうして。
どうして貴方の声は哀しげなの。
どうして貴方の声に後悔が混じるの。
悔やまないで。嘆かないで。
私は望んで死ぬの。
相談をしてくれなかったことも、勝手に結論を出したことも、私に努力をさせてくれなかったことも、怒っているけれど。
それでも、貴方を独りにしないで済むことだけは、本当に嬉しくて。
その先に、私を選んでくれたことが本当に嬉しくて。
そういう意味では、私は望んで死ぬというのに。
それを伝えてあげたいのに、もう唇が動かない。
目蓋が上がらない。
泣かないで、イオン。
貴方の寂しさは、私が持っていくから。
だからどうか今度こそ。
今度こそ───私を、側に置いて。
貴方に「のぞみ」がないなんて、嘘だもの。