短編:前日譚
ルシュエファリア・ルーノ・アイオン。それが、先代導師エベノスの残した資料を再度引っ繰り返して唯一分かったこと。彼女───アリアの本来の名前だった。
ルシュエファリアは古代イスパニア語でとある花を意味する。スノードロップ。花言葉には「希望」が含まれる、白い花。彼女を詠んだと思われる惑星預言に「希望の祈り」という文言があったのは偶然か。
スノードロップには逸話がある。僕は花に詳しくはないから試しに彼女に聞けば、彼女は暇を持て余して身につけた知識なのか少し自慢げにそれを語った。
「スノードロップは冬の終わりに咲く花なの。いつ終わるとも知れない厳しい冬に終わりを告げて、春の訪れを告げる花。だから花言葉には『希望』と『慰め』が含まれていて、天の御使い様が雪に息吹を与えて生まれた花なのよ」
春を告げる花。その呼び名は預言に記されたものと重なる。彼女は更に語った。スノードロップは雪にその白を分けたという話もあると。
雪には元々色がなく、色が欲しいと周囲の花達に頼むが断られてしまった。その中で、雪を哀れんだスノードロップだけがその色の白を分けてあげたという話。
色を分ける───色付いて見える彼女に、その色を分けてもらう僕。
(僕がその雪だったらいいのに)
僕から君が生まれたのでも、君から僕に色が分けられるのでもいい。どちらでも、僕と君の間に深い縁があるということだから。互いが互いを無視できない。哀れみでも、慰めでも、希望でも───僕にとっては、彼女だけが僕のもの。
「ねぇ、アリア。君は預言が好きかい?」
なんとはなしに掛けた問い。予感はしていた。彼女はきっと預言を肯定する。
彼女は世界の真実を知らない。預言を詠む前の僕と一緒なんだ。だからきっと手放しに預言を信じ、ローレライ教を信仰している。先代とモースが僕をそう育てたように。何の疑いもなく、自分の居場所を信じてる。そう、思ったのに。
彼女の声は否定した。
「いいえ」
「……え?」
僕は彼女の顔を見る。水色の瞳は真剣で、憂いさえ浮かべていた。聞き間違いかと疑う僕の前で、彼女は静かに明言した。
「嫌いよ」
「……どうして?」
「預言は、未来の選択肢の一つなの。なのに皆、預言を絶対のものだと信じているでしょう? だから、今の預言は大嫌い。未来は決まってなんかいないんだから」
「………………」
言葉を失う。それは世界の真実を知らなかった頃の僕とは違う答えだった。そして真実を知ってしまった今の僕とも違う答え。
未来は決まっていない。彼女は預言を信じずに、自分自身を信じている。
(未来は決まってる)
心の中で否定する。僕が知る限り預言は外れたことがなく、一時的に違う状況を作り出せてもすぐに修正されてしまう。枝葉が変わろうと樹の根は変わらない。そういうものだとヴァンも言っていた。
だから世界はいつか滅んで、僕はそれより前に呆気なく死ぬ。導師になってたった四年。その短い年月を捧げて……消費されて。
(───本当に?)
ふと、疑念が湧く。未来は決まっていないと謳う少女。この鳥籠の少女は、本当に預言に従ってここにいるのか?
彼女は、預言にない僕の婚約者だ。彼女が「約束の時」に捧げられるために生まれて来たのは事実だとして、なら、今こうしてダアトにいることは預言に詠まれた結果なのだろうか。
先代やモースに「保護」され、独りで死ぬ筈の僕の傍にいる。本来ならそんな存在は居ないのに。もしそれが預言に詠まれたものではない、運命から外れた現実であるならば。
彼女の存在は───本当に未来を変えるためのものなのだとしたら?
「どうしてそんなことを聞くの?」
「……ただの気紛れだよ。深い意味はないさ」
誤魔化して、でも僕の頭の中は忙しない。彼女という存在の秘める可能性に気付いてしまった。
彼女はただ預言に詠まれていないだけではない。詠まれていない状況を是と出来る……世界にその存在を「修正されない」ところにいる。そう考えれば一つピースが当てはまるようで、代わりに別に疑問がもたげる。
何故、何のために? 誰が作った。誰が彼女を配置した。この壊れた世界に、何の悪戯で。
(星の記憶を綴る者)
もし、その言葉が事実なら。
彼女が「約束の時」に捧げられる「希望の祈り」であるならば。世界の滅びに与える影響は「そういうこと」にならないか。彼女は星の記憶に修正される側の存在じゃない。星の記憶を修正する側の存在だ。そんな荒唐無稽な考えが頭に浮かぶ。
もしそうならば、未来は確かに決まってなどいない。運命は変えられる。少なくとも、彼女に関することならば。
それならば───僕にも出来ることがあるかもしれない。
*****
「ローレライの器にする?」
「はい。調べたところ、音素への適性が常人よりも高いようです。我々の計画に欠けていた最後のピースに最適かと」
「……そう」
ヴァンのそれは提案ではない。レプリカ計画の首謀者はヴァンだ。僕はそれに少し手を貸してやっているだけ。四年と保たずに死ぬ僕に、ヴァンの決定を覆す方法なんてない。今僕が何を言おうと、未来で行動できるのは奴の方なのだから。
アリアをローレライの器にする───ローレライごと、この世界から消し去る。
(なら、僕の計画の方が有効だ)
心の中でひっそり思う。四年と経たずに死んでしまう僕。僕が死んだ後も生き続ける彼女。ヴァンは彼女を道具として消費しようとしていて、世界は預言の成就のために彼女を生んだ。
どれもこれも馬鹿らしい。彼女は僕のものなのに。預言から外れた運命の外側にいる少女。その価値に気付かないなんて愚かしい。渡さない。彼女の未来は僕が変える。僕が───僕だけの「アリア」。
「ローレライの器にするなら、大事にしなきゃね」
「よろしいのですか。貴方の婚約者であるのに」
「僕が構うと思う? 今の僕にレプリカ計画より優先されるものなんてないよ」
答えながら笑ってしまう。僕は嘘吐きだ。世界を導くと言いながら、少し早い滅びを招こうとしている。世界中をレプリカに挿げ替えようとしている。
なのに、彼女は差し出せない。ローレライの器にすることも、約束の時に捧げさせることも許容できない。だって、僕のものだから。共犯者であるヴァンにさえ嘘を吐く。
「楽しみだな」
世界が終わりを奪われる日が。ヴァンが僕の裏切りに気付く日が。その日まで僕は息を殺す。死んだ気になって生きてやる。変えられるのは彼女に関する未来だけ。それだけなら、やることはもう決まっているから。
僕の死が変えられないなら───彼女の生を変えればいい。
*****
それからの時間は穏やかなものだった。僕は近い未来に訪れる死を受け入れて、目の前の小鳥を愛でる。限られた時間であるからこそ愛おしく思った。
預言にない僕の婚約者。僕のためのアリア。僕のために謳って、囀って。美しい羽を広げて見せてくれる様は、一時の幻のようだった。
彼女と秘密の逢瀬を繰り返して一年半が過ぎた頃、僕らは正式に顔を合わせた。僕が十歳になり、モースもそろそろ彼女を表舞台に出そうと決めたらしい。
僕は降って湧いた婚約者の存在に驚きもせず、実際に顔を合わせて驚いたのは彼女の方。後から「どうして黙っていたの!?」と怒られてしまった。
「面白そうだったから」
「もう! 本当に意地悪」
「僕が婚約者なのは嫌?」
「そんなことないわ。寧ろ貴方でよかったっていうか……貴方だったらいいなと、思っていたから」
「……そう」
照れ臭そうにはにかむ様に微笑みを返すことしか出来なかった。僕の胸もさわさわと落ち着かなくなったから。彼女が抱いた感情が、そのまま僕に移される。
君は花で、僕は雪。君の鮮やかな色が、僕の世界を塗り替えてくれる。
「でも、ようやく貴方の名前を呼べるのね」
「名を呼びたかったの?」
「当たり前じゃない! 名前は特別なものなのよ」
彼女は一家言あるかのように言うけれど、僕には分からない。名前なんてただの記号だ。この世界では預言に詠まれるためのものでしかない。
少なくとも彼女や僕の名は、僕らの出自を祝って親が名付けたものでもない。特別な意味なんて何もなかった。
けれど、
「イオン」
「───、」
彼女が僕の名を呼ぶ。それだけに、意味が生まれた。
僕の名を口にする時の彼女は、幸せそうに目を細めて微笑んだ。大切な音を形にするのだというように。彼女が僕の名を呼ぶことに意味を込めようとするように。僕という存在に……意味を与えるかのように。
「私ね。貴方に名前を呼んでもらえた時、凄く嬉しかったの。ああ、私ここにいるんだって……生きて存在してるんだって、ようやく思えたの」
「……生きて」
「そうよ。だから今度は私の番。私が貴方の存在を証明するわ。貴方の名を呼んで、貴方が貴方だってことを、私がずっと隣で伝え続ける。私にとって、貴方は意味がある人だから」
意味……生まれてきて、死ぬまでの意味。預言に詠まれ、その通りに消える僕に意味なんてないと思っていた。僕の「生」に、存在に。意味を与える何かなんてない。そう分かりきってしまっていた。
でも君は違う答えを示す。僕の名には意味があると言って、僕の存在に意味を与えようとする。彼女にとっての僕の意味───僕の、生まれてきて死に行く本当の意味。
「イオン」
預言のために与えられた、どうでもよかったこの名前が、君にとって特別だと言うのなら。僕は君に名を呼ばれるために「イオン」として生まれたのかもしれない。
君に呼ばれる僕の名前は……僕の知らない響きを伴っていたから。
*****
彼女に名を明かして、更に二年が経った。計画は順調だ。僕の代わりのレプリカは用意され、完全に入れ代わるまでの時間も数えられる。僕の体はゆっくりと自由を失い始め、思うように行動できる時間は減っていた。
あと何回君と会えるだろう。考える度に何かが僕の心臓を蝕んだ。もっと君の笑顔が見たい。もっと君の声を聞いていたい。もっと君と隣にいたい。もっと君に───名を呼ばれたい。
僕の「生」に意味を与える少女。生きて、側にいたい。でもそれは叶わない。僕の命は尽きようとしている。預言に詠まれた定めの通りに。僕は君を置いていく。そして君も僕を置いていく。未来へ……僕のいない世界へ。
「アリア」
「イオン?」
名を呼んで、彼女を抱き締める。奪わせない。モースにも、ヴァンにも、レプリカにも、預言にも。彼女は僕のものだ。彼女に意味を与えられる「イオン」は僕だけ。僕だけのアリア。
「君に、大事な話がある」
「なぁに?」
問い返しながらアリアは僕を見上げようとする。でも僕はそれを許さない。抱き締めたまま、自身の表情を隠してそれを告げた。僕は卑怯者だ。
「僕はもうすぐ死ぬ。預言によって」
「……え?」
戸惑い。きっと彼女は今何を言われたのか理解出来ない顔をしているだろう。僕は今───どんな顔をしているだろう。
「詠んだのは八歳の時。導師になってすぐだよ。僕は導師になってすぐに……自身の命の期限を知った」
「………………」
「生まれてすぐに教会へ連れて来られ、預言のままに導師になり、四年で死ぬ。それが世界が僕へ与えた祝福。定められた未来だった」
「……イオン」
「最近は自由に動ける時間も減ったんだ。君に会いに来られるのも、残り僅かかもしれない」
「イオン」
「だからその前に、君に話しておきたくて」
「イオン!」
名を呼んで、ぐいと体を強く押される。僅かに体が離れ互いの表情が見られる。アリアは泣きそうな顔で僕を見上げていて……その目にあるのは僕を疑うものではなかった。
「……嘘じゃないのね?」
「……うん」
「もう、間に合わないの?」
「……うん」
「……そう」
もう間に合わない。死に至る病は発症しており、治す方法は見付かっていない。構わなかった。受け入れて時間を進めてきたのだから。今日この時を迎えるために、僕は全ての準備を終えていた。
「……私、預言が嫌いよ」
俯いてアリアは呟く。始まりから終わりを記録し、生きる者から全てを奪っていく。意味も、価値も、未来も。預言による未来は変えられない───自身を諦めた僕に、彼女は顔を上げた。意志のある瞳。
「だから、預言を詠むわ」
「……どうして」
「諦めたくないから。私が詠めば何かが違うかもしれない。気付かなかったことに気付けるかもしれない。貴方を、このまま失うことは出来ないわ」
「駄目だよ」
「どうして」
「どうしても」
彼女に預言は詠ませない。僕のようにいつか訪れる自身の終わりを詠んでしまうかもしれない。そんなことは望まない。彼女に同じ思いをさせるわけにはいかない。
それに、君が君の預言を見付けることで、もし自身の役割に気付いてしまったら。全てが水の泡だ。君はきっと預言の通りに役割を担おうとする。そんなことは許さない。君を手に入れるのは、世界じゃない。
「僕が君に望むのは別のことだよ」
「別……?」
首を傾げる。その様が可愛らしくて……愛おしくて。今日まで様々な色を分けてくれた彼女。僕にとっての希望の花。
「アリア」
手を翳して、彼女の両目を塞ぐ。眠りを願う。僕と共に、未来のない明日を求める。死者の目は閉じられているべきだから。
「君を置いてはいかないよ。君は僕のものだ。誰にも渡さない。誰にも奪わせない。君を───連れていく」
僕だけのアリア。僕を愛し、僕だけのために詠う鳥籠の少女。ガラクタばかりの世界で、君だけはガラクタではなかったから。君の価値を知らないガラクタ共が、愚かにもその手を君へ伸ばしてしまわないように。君の存在証明は、僕だけにしか出来ない。
奪ってやる。世界から、定められた未来から。彼女に望まれた未来は訪れない。与えられた役割は、彼女の全ては僕が貰う。僕だけが彼女を手に入れる。
───愛しい君に、導師からの呪いを。
僕がいない世界は、きっと寂しいだろうから。
「……アリア。僕はね、君の名前が最初、嫌いだったんだ」
希望を花言葉に持つ、スノードロップの名。まるで彼女の成り立ちを定め、決められた未来へと誘おうとする名前。
ルーノはかつて月を意味し、アイオンは永劫の時を意味した。彼女の名を意訳したなら、それは「月のように満ち欠ける希望の時」となる。
いつか時間を失う世界。記述の欠ける星の記憶。星の記憶を綴る者。───彼女は、世界に時間を与える。
「許せる筈がないよ……君の時間は僕のものなのに。僕から全てを奪う……世界のものだなんて」
だから約束の時には捧げさせない。彼女をこの世界へ置いた何者かの意図から逃れてやる。その名に抗い、僕だけの祈りであればいい。
「……ねぇ、アリア」
君にとって、僕はどんな意味があった? 僕の「生」は意味があったかな。君の隣で生きる僕には、生まれてきて死ぬまでの意味があっただろうか。
「…………君は………」
君は、確かに、
「………………僕、の……」
僕の、たった一人の───………………
───夢が、終わる。