業因と意志
二年ぶりに"ルーク"が戻って、僕はただその帰還を喜んだ。彼が被験者とレプリカのどちらなのか、或いはどちらでもない存在なのかは気にならない。
どのような奇跡の結果だろうが同じことだ。彼はきっと、自分の意志で今ここにいる。僕がそうしたように、帰る場所を選んだのだから。
「アリアはもう一人いたんだよ」
彼の言葉が、探し求めていた僕の答えのような気がした。ずっと何かを失ったような、説明のつかない痛みがあった。寂しいと胸のどこかに囁きがある。僕がこの手に持つ理由が一つも見付からない髪留めに、求め続けていた答えがあると示される。
(取り戻したい)
自分が本当に側に望んだ人を。自分を生かすために全てを投げ出したような人と、会いたい。どんな人だったのだろう。話を聞いても思い出せはしない。
けれど星の記憶ならば、きっと彼女を留めている。"ルーク"以外が忘れてしまった彼女がそこにいる。僕らは輝石をゲートにローレライの夢に入り込み、記憶の回廊を渡る。
(亜麻色の長い髪に、湖面のような水色の瞳)
身に覚えのない、彼女との思い出を辿る。チーグルの森での出会いから僕が死ぬまでの記憶。そして彼女に呼び戻され、初めて彼女の流す涙を見た。
(……胸が、苦しい)
くるくると変わる彼女の表情に胸が騒ぐのが分かる。彼女が楽しげにしていてくれれば、胸が温かくなる。彼女が苦しそうにしたなら、その苦しみを分けて欲しくなる。彼女が哀しみに泣いたなら、僕は己の過ちを知るのだ。
(貴女が、僕に「僕」をくれたんですね)
疑う必要などない。記憶の中の彼女はいつだって偽りではなかった。その姿を見る度、僕に感情を教えてくれる。僕の名に、貴女がくれた祈りを実感する。この網膜を焼く程の鮮烈な怒りと「生」に、僕はもう眼を離せない。
(───アリア)
その名を胸の内で呼ぶ。手を伸ばして近付きたいと思う。その無意識の行動を、何かの重みが引き留めた。
ハッとして彼女に吸い寄せられていた視線が引き剥がされる。振り返って気付いた。いや、思い出したのだ。自分が今、星の記憶の中で一人きりではないことを。燃えるような赤髪に碧眼の青年が僕の手を掴んでいる。
「聖なる焔の光」───"ルーク"だ。彼は先程までの僕のように、何かを追うように視線を動かしていた。きっと、それぞれがそれぞれに縁深い過去を見ている。彼が見ている「アリア」は、記憶のままの彼女だろうか。
(……不用意に動いてはいけない)
ローレライの見る夢に紛れ込むなど、何が起きるか分からない。帰り道が分からなくなるかもしれない。"ルーク"との繋がりがあって良かったと安堵する。
それから不意に、もう片方の手の存在を思い出した。もう一人いた筈だ。一緒に星の記憶に紛れ込んだ少年がいた筈だ。だが振り返ってもそこには誰の姿もなく、僕の手は誰の手も掴んではいない。
(きちんと手を取っておくべきだった……!)
僕と手を繋ぎたくないからと、彼が僕の手首を掴むままに任せてしまった。記憶に誘われるままに手を離してしまえば、それで離れてしまう。どこかに紛れ込んでしまった。自分の不注意に歯噛みして、僕は"ルーク"の手を引いた。
「ルーク!」
「! あ……イオン……いや、テセレマか」
記憶の回廊から引き戻された彼は、顔を顰めると頭を押さえた。ローレライの夢に紛れ込むには輝石の力を借りているらしいが、それを実現しているのは"ルーク"だ。何か負担がかかっているのかもしれないと思う。手短に告げる。
「シンクがいません」
「なんだって? まさか、星の記憶の中に紛れちまったのか」
「恐らくは……すみません、僕の責任です」
「責任とかは今はいい。とにかく探そう」
「はい」
頷いて、しかしそれは叶わない。景色が歪み、色付いて塗り替えられる。気付けばそこは見覚えのある場所で、ダアトの教会にある僕の執務室だ。ローレライの夢から現実世界へ戻されたのだと分かる。
「シンクは……!」
「そこだ!」
ハッとして彼のいた場所を振り返れば、"ルーク"の言葉の通り床に倒れていた。屈みこんで様子を窺えば、苦しげに呼吸が漏れるのが分かる。
申し訳ないとは思いながらも彼の仮面を外した。意識はないようで顔色が悪い。表情は険しく、浅い呼吸に発汗がある。熱はないようだ。
「星の記憶ではぐれたせいか……?」
「分かりません。どうすれば……」
もう一度星の記憶に紛れ、彼を探せばいいのだろうか。そう思い彼の手に触れた。途端胸に違和感を覚える。心臓……ではない。輝石だ。服の上から手で触れて確認する。輝石が熱を持っている。
「テセレマ?」
「……輝石が、シンクの状態に反応しています」
「ローレライか?」
「……いえ」
眼を伏せる。記憶の回廊で覗いた。過去に同じように輝石が熱を持ったことがある。その時自分が起こした現象は奇跡と呼ぶに相応しく、だが遠く離れた地で少女が一人意識不明となったことを知っている。
(この輝石にあるのは、第七音素と第零音素)
振動数をローレライのものに固定して、直接体に支援を受けている。だがそれを作る過程で、既にアセリスィア化が始まっていた彼女は第零音素を混入していた。
恐らく輝石を固定させたのはアイオンの力ではなく、第零音素の引き合う力だ。だからアイオンの消えた今も輝石は維持され、そして今熱を持っている。特殊な振動をしているのだ。
(第零音素は元々観測が出来なかった)
つまり普段は音素振動数に影響を与えないのだろう。だが、何か切っ掛けがあると振動して熱を与える。意志を伝える。アセリスィアの意志を。
「貴女が、僕やシンクを生かした彼女と同じ存在だというのなら……」
苦しそうに倒れているシンクへ手を伸ばす。彼に触れて熱を持ち出した輝石に、疑いは必要ない。きっと大丈夫だ。彼女の意志は、僕達を侵しはしない。
"ルーク"に見守られる中、再びシンクに触れる。輝石の熱に応えるように彼の体が淡い光に包まれた。イオンに抗った時に僕を包んだ光と同じだ。それは温かく、優しい。
シンクの呼吸が穏やかになり、表情も和らぐ。淡い光が消える頃には、シンクの様子におかしなところは何もなかった。
「よかった……」
ほっと息を吐く。それと同時に胸が温かくなった。熱を無くした輝石に触れて、思わず頬が緩む。
(アセリスィアの意志……いえ、貴女が助けてくれたんですよね。アリア)
彼女は消えてしまったけれど、いなくなったわけではなかったのだ。姿が見えないだけで常にここにいる。アセリスィアを、第零音素を通して意志を送り込んでくれる。僕やシンクの側にいようとしてくれている。
(意志があるということは、彼女という個が失われていないということだ。僕の時と同じ……まだ、取り戻せる)
フォミクリー技術において、記憶粒子を引き継ぐことが出来ないから同じ人間を作り出せないのだという話があった。だが僕や"ルーク"は一度体を失ってから再構成されている。記憶粒子の代わりであった第七音素と、それに意志を刻んでいた第零音素を留められたからだ。個が失われなかったから戻ってくることが出来た。
それならば、彼女も。
「テセレマ、それは……?」
「え?」
"ルーク"の指摘を受けて気付く。シンクから離した手の中に何かがあった。掌の上で確認してみれば、それは音素結晶に見える。花の形をした、透明な鉱石───輝石と似ている。
「もしかして、俺の時と同じかもしれない」
「僕も同じことを考えました」
ローレライの宝珠だ。僕にその記憶はないけれど、話だけは聞いている。受け取った筈の鍵をルークが体の中に仕舞いこんでいた。それはどちらもが第七音素で構成されていたからであり、それならこの透明の花はシンクの体内に紛れていたということではないだろうか。彼を構成するのは第七音素と第零音素であり、熱を持つ輝石の力で取り出したというのなら、この花を構成する音素は自ずと知れる。
そっと花を両手で包んだ。"ルーク"の碧眼を振り返ると、彼も力強く頷く。至った答えは同じのようで、僕にはそれが心強い。
「シンクが、星の記憶から可能性を持ち帰ってくれたかもしれません」
*****
シンクが目覚めるまでの時間を一人で過ごす。透明な花の結晶をそっと眺めた。それが何の花か判別することは難しかったが、恐らく雪花だ。スノードロップ。雪の中で咲き、春の訪れを告げる花。彼女が「アリア」である証だ。
(星の記憶は、僕の記憶ではない)
過去を覗き見て追体験をした。その光景を見て僕の中の何かが動いた。思い出せていないだけで、僕の中から記憶が失われたわけではないのだ。それを覚えているのが脳なのか、記憶粒子の代わりである第七音素なのかは分からない。
どちらでもいい。何か切っ掛けがあれば思い出せる気がする。僕の中の彼女を、取り戻せる予感がした。
(……貴女に、会いたい)
目蓋を閉じる。星の記憶で垣間見た姿を、表情を、声を、瞳を思い浮かべる。胸の奥にじわりと温かさが広がる。自分の中に「欲しい」という声がある気がして驚いた。そんな自分勝手な望みがあったのかと信じられない。
(僕にとって、貴女はそれ程までに大きな存在だったんですね)
頬が緩んだ。思い出せない寂しさよりも、失われていないと実感する喜びの方が勝る。手の中の花に祈る。貴女が戻ったなら、また触れさせて欲しいと。
星の記憶の中で僕がそうしていたように、貴女に愛を渡したい。この感情は貴女にだけ向けられた特別で、貴女以外にその証である髪留めは贈られなかったのだから。貴女に、受け取って欲しい。
「今度は僕が貴女を迎えに行きます。アリア」
月明かりに、僕は宣告する。
*****
目を覚まして尚、夢の中のように意識がハッキリとはしなかった。いつの間にか自分の部屋のベッドで寝かされていたようで、明かりもなく暗い。すっかり夜中なのだろう。体を起こせば少しだけ目が回って、息を吐く。
(……何があった?)
導師と"ルーク"と共に星の記憶を覗き見した。そこでボクは「もう一人のアリア」の影を追って、段々と自分と星の記憶の境界を失っていった気がする。
あの時、ボクは本当の記憶を思い出していたのだろうか。それとも星の記憶が見せるそれを自分のものと混同していただけなのだろうか。確かなことは分からない。ただボクは、あの女を取り戻したいと思っていた。
(当たり前だ)
星の記憶を介して伝えられた言葉を思い出す。あんなものは卑怯だ。ボクが喉から手が出る程待ち望んでいた言葉が、息をするみたいに簡単に渡されていた。最悪な口説き文句が無遠慮に並べられて、それでも地核やエルドラントで自分が死のうとしたことが信じられない。
今のボクなら、あれだけのものを渡してくる奴を手離して死ぬなんて有り得ない選択だ。何がなんでも捕まえるし、掴んだなら離さない。
(離さない、か)
自身の手を見下ろす。地核でこの手を掴んだのはあの女だった。今教団にいるアリアではない。ボクが死を思うと触れて引き留める温もりを知っている。あれがあの女の意志なら、本当に頭がおかしい。
「自分が体を失くしても『離さない』って、どれだけ意地が強いんだよ。アンタ」
聞いているかもしれないと思って呟く。勿論、そんなことで許してやるつもりなんてない。側に望んでおきながら、勝手に消えて思い出すことすら取り上げられたのだ。記憶は必ず返してもらうし、本人だって取り戻してやる。もう、自分に与えられていた筈のものを知ってしまった。
「独りにしたくないんでしょ」
あの女がボクに伸ばす手は、いつだってそれだった。同情でも憐れみでもなく、ボクがボクだから側にいて欲しいと願っていた。
ボクだって同じだと今なら認めることが出来る。独りにされたくないし、ボクを見付けてくれるから側にいた。「もう一人のアリア」に触れる時間がボクにどんなものをもたらしていたかなど、星の記憶を見なくても想像がついた。この身の飢えを知っている。一人で眠る寒さを、今は感じている。
「絶対に連れ戻してやる。アンタが嫌がったって知らない。生きたくもないボクをアンタが無理矢理繋いだみたいに、今度はボクがアンタを『生』に繋いでやるよ」
そうして望まれて生きることの苦しさを味わえばいい。感情に縛られて身動きがとれなくなって、ボクと導師に挟まれてまた困ればいい。一人を選べないからって逃げたままで許されると思ったら大間違いだ。
「ボクはアンタのものなんだよ」
逆は成り立たなくとも、これは事実だ。首輪をつけられた飼い犬で、呪縛を与えた飼い主を恨んでいる。だから触れたい。その瞳に映り、その声で名を呼ばれ、ボクという存在を望まれたい。ボクの中にアンタへの想いがある。
「戻ったら、うんざりするくらい名前を呼んでやる」
雲間から、月明かりが差した。
*****
翌日、導師と話して花の結晶の存在を知る。ボクが星の記憶から持ち帰ったらしいそれは、確かに導師が以前姿を変えていた結晶に似て見えた。同時に輝石にもよく似ている。
ボクがあの時しようとしていたことと、導師の予想が正しいなら、後は肉体を再構成するだけだ。それだけで未来を望める。ボクと導師を望んだ希望が───アリアが取り戻せる。
「そういえば、なんでアンタがあの馬鹿を取り戻したいって思うのさ。自分のレプリカの記憶に同情でもしてるの?」
彼女を取り戻す前に、ボクは"ルーク"に聞く。奴は虚を突かれた顔をして、それから笑った。照れ臭そうに。
「俺が、自分のことをルークだと思ってるからだよ」
「……なんだって?」
「ビッグバンのことは知ってる。本当ならアッシュが帰ってくる筈だったんだ。そうじゃなくても、両方の自我が混ざってよく分からない俺になってたかもしれない。……本当はなってるのかもしれない」
それでも"ルーク"の自認はアッシュではなくルークなのだと口にする。それが彼女を取り戻したい理由とどう繋がるというのか。答えがある。
「お前やテセレマと同じなんだ。音素乖離を起こしてた俺を、あいつは何度も繋いでくれた。体を再構成されたわけでもないし、あの頃のあいつはまだ『人間』の範疇だったから影響はそこまででもないんだろうけど……でも多分、俺がルークとして戻って来られたのは、あいつが俺が帰ることを望んでくれたからだ」
ルークの生存を望むあいつの意志が混じった第零音素が、この"ルーク"の中にもある。ボクや導師の未来を星の記憶に綴るように、それが今後も"ルーク"を生かすのだろう。結局、死ぬべきレプリカを軒並み生かしたのだから、欲が深い。
(それがアンタの誤算だよ。アンタがボクらを生かしたから、綺麗に消えることが出来なかったんだ)
"ルーク"の超振動と、導師が持つアセリスィアの力を借りられる輝石があれば簡単だ。アンタが三人共をそうしてこの世界に繋いだみたいに、同じ手段でアンタを繋ぐ。アンタが出来たなら、ボクらに出来ない理由もない。
「じゃあ、準備はいいな。テセレマ、シンク」
「はい。必ず成功させます」
「当たり前でしょ。ボクが持ち帰った手掛かりだ。無駄にしたら殺してやる」
そうしてボクらは反旗を翻す。一度、確かについた終わりにケチをつける。綺麗な終わり? 知ったことか。カミサマなんてクソ食らえだ。ボクらには意志がある。それを与えたのはアンタだろう。だから、これもアンタの自業自得だ。
業を背負って、親愛が唱えた祈りを取り戻す。