業因と意志
翌日、再び訪ねて来た"ルーク"と導師と共に、具体的な話をする。現状は不確かな記憶と違和感しか根拠が存在しない。行動指針を決めるにも一苦労だ。
「で。アンタの言う『もう一人のアリア』がいたとして、なんでアンタはそれを覚えてるのさ」
導師の執務室で昨日のように机に腰を預けながら問う。後の二人はソファに対面して座っており、問われた"ルーク"は一つ頷くと答えた。
「多分、星の記憶からレプリカのアリアが消えた時に、俺がまだ体を再構成されている最中だったからだ」
「は? 星の記憶の書き換えとアンタの再構成は関係ないだろ」
何を言っているのか分からず眉を寄せる。先に答えに至ったのは導師の方だった。昨日と同じく踏み込んだ問いをする。
「……もしかして、星の記憶は書き換わっていない?」
導師の確認に"ルーク"が頷き、その前提を出されればボクも話を理解できる。過去が過去のまま残っているなら、"ルーク"がそれを記憶していてもおかしくはない。
「そうか……だから辻褄が合わないのか」
"ルーク"の記憶の通りなら、レプリカアリアは旅の終わりまでは確実に存在したことになる。だがボクや導師の記憶では旅を共にしたアリアは被験者だ。
本当にその過去が書き換わっているなら"ルーク"がレプリカアリアを覚えている筈がない。そして導師が女物の髪留めを買う理由もなく、ボクが旅を終えても生き続けている理由だってない。
「過去が書き換わったんじゃなくて、『レプリカアリアを被験者に置き換える』という一文が星の記憶に書き加えられている───そういうこと?」
確認をこめて問えば"ルーク"は首肯した。
「俺の知るアリアは自分の都合で過去を変えるような奴じゃない。積み上げてきたものや、それぞれの選択……意志を大事にする奴だったんだ」
「意志……」
「ああ。だからテセレマにその名を贈った。シンクを地核から引き上げたのだって、お前が道具として使い捨てられることが許せなかったからだ」
「……余計なお世話だよ」
思い出せもしない相手にぽつりと呟く。余計なお世話だと言いながら不思議と腹は立たない。ただ何かが空振りするような感覚があった。直接、言ってやりたい。
「アリアは過去を書き換えてない。ただ書き加えただけだ。だからその瞬間に星の記憶の影響下になかった俺には作用してないし、お前らはアリアが存在した証を持ったままなんだ」
「アリアが存在した証……」
導師が髪留めを見詰める。"ルーク"の言葉が正しければ、あの髪留めは確かに相手に贈られていたことになる。あれを身に着けた「アリア」がいたのだ。そしてそいつはボクを地核から拾い上げて生きることを願い、ボクがボクであることの意味とやらを渡していったことになる。
自分の手を見下ろす。死を思うと不意に触れる温もりを思い出す。ボクに死ぬことを許さない、アリア以外の知らない筈の温度だ。
「アリアを取り戻すには、なんであいつが消えたのかを知る必要があると思う」
「僕も賛成です。ですが、彼女の消失を知る者が一人もいない状況では……」
導師が眼を伏せる。それを横目に思考した。何故「もう一人のアリア」が自分の存在を消して、姿を消したのか。誰も覚えていないだけでオールドラントのどこかにいるのだろうか。
「……ねぇ。アンタの知る『アリア』っていうのは、どんな奴だったのさ」
「楽天的っていうか、とにかく適当だったな。終わり良ければ全て良しみたいなところがあって、俺達の知らない間に敵の筈のシンクと仲良くなってて、地核に飛び込んで助けるくらい突拍子のない奴だったよ」
「………………」
仲良く、と言われて困惑する。自分が誰かと親しくしていたなど信じられない。捨てられるくらいしか価値のないゴミと関わって、何がしたかったのだろうか。
「ちょっと特殊なレプリカでさ。暴走の危険があって、人を殺すことに抵抗のない奴だった。なんで人を殺しちゃいけないのかって、ジェイドに出された宿題に不満を漏らしてた」
命の尊さを知らないということか。当然そんなものはボクも知らない。利用価値がなければ命など尊ばれはしない。
「でも」と"ルーク"は表情を変えた。懐かしむ顔ではなく、真剣な眼でボクと導師を見る。
「テセレマとシンクのことだけは、凄く大事にしてた」
「────」
思わず、息をすることを忘れてしまった。導師が息を飲んだのも分かる。
(大事に……?)
捨てられるだけの「生」を持った、出来損ないの自分を? 導師の代用品を演じるだけだった七番目を。
ずくり、と何かが蠢く。胸の奥で大きなものが身動ぎをした気がした。時折呼吸を乱しに現れる、理由のない苦しさだ。大事にされていた、という言葉に何かが不安定になる。
「……なんで」
「それは本人に直接聞けよ。取り戻してからさ」
「………………」
調子の良いことを言われている。そうやってボクや導師をその気にさせるつもりだろう。安く見られているようで腹立たしい。だが、否を唱える気にはならなかった。乗せられてやってもいい───乗せられたいと、思っている。
「一つ、心当たりがあります」
導師が口を開く。
「アリアは……被験者の彼女は、半年前から記憶障害を患っています。二年前の旅の記憶を殆ど失ってしまったんです」
「半年前……アセリスィアが観測された頃か」
「はい。記憶障害の原因はアセリスィアの観測と関係があるものと思われていましたが……違うかもしれません」
導師の言いたいことは簡単に伝わった。横から形にする。
「レプリカアリアが被験者に置き換わったのが半年前───そう言いたいの?」
「はい。その可能性が高いかと」
星の記憶に人の意志を刻む存在の観測と、「もう一人のアリア」の消失。今までアセリスィアが観測されなかったのは、第零音素の絶対量が少なかったせいだと考えられている。
つまり半年前のあの日に、第零音素が爆発的に増えた可能性がある。そのお陰で「レプリカアリアを被験者に置き換える」なんて一文が、星の記憶に書き加えられたのだとすれば……
「あいつが自分の意志で自分を消したなら、そうしなきゃいけない理由があった筈なんだ。でないと、アリアがテセレマやシンクを放り出すなんて有り得ない」
「………………」
"ルーク"の口から自分を大事にしていた存在がいたと聞かされる度に、胸の奥が疼く。落ち着かない。信じられないと切り捨てられないのは、そいつがいなければ辻褄の合わない話が幾つもあるからだ。
それでも鵜呑みにする程頭が軽いわけでもない。そのどっちつかずの感情が、思考を妨げている自覚はあった。
(導師とは大違いだ)
ちらりと七番目を横目に見れば、奴は真剣に頭を働かせている。昨日宣言した通り"ルーク"の話を信じると決めているのだろう。「もう一人のアリア」はいたという前提に立ち、自分達を大事にする絵空事のような存在を否定していない。
何をどうしたらそれだけ頭を軽く出来るのか。その軽い頭で、またも新たな気付きを得たらしい。
「『アリア』は僕らを放り出してはいないのかもしれません」
「どういうことだ?」
「何か理由があって消えなければならなくなり、そのために自分の存在を被験者に置き換えたのではないでしょうか」
「……それって、ボクやお前のために自分の存在を消したってこと?」
ボクの問いに導師が頷く。聞いておいて意味が分からなかった。一般的に考えれば、消える人間というのは自分のことを覚えておいて欲しいものではないのか。ボクや導師のためだけに自分を存在ごと消せるというのはどういうことか。いや、そもそも。
(嫌な予感がする)
本当のところでは分かっている。情報は出揃っているのだ。ただボクが、それらを関連付けて考えたくないだけだ。
頭を振る。思考を邪魔する感情を取り払い、繋げていく。
(ボクと親しくしていて、地核から引き上げた「アリア」。命の尊さなんてどうでもよくて、でもボクと導師のことは大事にしていた。大事だから、自分の存在を消した)
そんな夢物語みたいな奴に、自分がどうしたかを考えてみる。道具として死ぬことを許さなかったと聞いた。ボクであることの意味とやらを渡されていたと聞いた。それらは感覚として、辻褄の合わない「今」にボクは持ち合わせている。そんな奴がもし本当にいたとして。
(そんな奴が、消えたら)
胸の奥の不安定さが増す。視界が揺れた気がして腰を預ける机に手をついた。想像だけで抱いたその感情を、知らない筈なのに知っている。何かを失うことへの恐れなんて抱く機会もなかった。だがボクは確かに、その感情を知っている。
乾いた声がそのまま出た。
「じゃあ、なに───例えばその『アリア』は、ボクが後追いでもしないように自分を消したって言うの?」
有り得ないと、嗤ってやろうと思った。なのに実際には上手く嗤うことが出来ない。余計な感情を取り払えば知っているのだ。もう分かっている。もしそんな「アリア」がいたなら、自分がどうしたかなど。そいつが、ボクにとってどんな価値を持ったかなど考えるまでもない。
「……俺は、そうなんじゃないかって思ってるよ。アリアは二人に生きていて欲しい筈だから」
"ルーク"が答える。ボクは何も言えない。ただ腹の底に何かが沸き起こるのを感じた。それが何かを思う横で導師が問う。
「僕が惑星預言を詠んで音素乖離を起こした時、『アリア』はどうしたんですか?」
「自分が死ぬのも世界が滅びるのも構わないで、お前を助けようとしたよ。お前を結晶に変えたのも、多分呼び戻したのもあいつだ」
その時に引き留めたのがボクだと聞いても実感はない。だがもう細かいことはどうでも良かった。実感なんて要らない。
ボクや導師を引き留めておいて、死なせないために自分の存在を消すような頭のおかしい奴がいたなら。いたという前提に立つなら、ボクのやることは決まっている。
「気に入らないな。自惚れが過ぎるんじゃないの。何様のつもりなんだ、そいつ」
「シンク……」
驚いた顔の導師と目が合う。それを仮面の下から睨んで、ボクは声を低くした。
「お前は腹が立たないのか。記憶を弄られて、先回りされてさぁ。ガキのお守りじゃないんだ。例え後追いをしたとしても、それはボクの勝手だろ。誰かに生きるよう誘導されるなんて真っ平御免だね」
何より、と続ける。
「そんな方法でボクを生かした責任を取ろうとでもしたなら余計に許せないよ。箱庭でただ生かされたって意味がない。ボクに意味を与えたなら、勝手に消えるな。どれだけ自分勝手なんだ」
苛々する。許容できない。一言いってやらなくちゃ腹の虫が収まらない。地核からボクを引き上げたのが「もう一人のアリア」なら、ボクの手を引いたのはそっちということになる。手を引いておきながら消えるなんて許さない。認めない。
(絶対に取り戻してやる)
方法も、そんなことが可能なのかも分からない。何故消えなければならなかったのかも分からないのだ。だが、この怒りを直接ぶつけてやらなくては気が済まなかった。ボクが後追いを考えるような相手だったなら尚更だ。
「一つ、提案があるんだ」
導師とボクの視線が"ルーク"へ向く。奴はそれを受けて頷くと、その提案を口にした。───突拍子のない話だった。
「星の記憶を覗きに行かないか?」
*****
半年前に何があったのか、正確に語れる人間は誰もいない。星の記憶が本当に書き換わっていないなら、それを確認するのが一番確実だろう。それは分からなくもないが、星の記憶を覗くという選択肢は有り得なかった。それが出来ないからこのオールドラントで預言に意味があったのだ。
だが、"ルーク"はあっさりとその経験を告げた。
「前にプラネットストームを止めた時にさ。俺おかしな景色の中に意識だけで放り出されたんだ」
その中でルークとアッシュで会話をしたと話す。あれは星の記憶を介して互いの「今」に干渉したのではないかと。
荒唐無稽だが、"ルーク"はローレライの完全同位体だ。星の記憶を預言の形に出来るということは、干渉が可能だということになる。預言はローレライの視る最も可能性の高い未来史、という話もあった筈だ。なら、"ルーク"にも視ることは可能かもしれない。
「だけど、その時アンタは音素乖離を起こしてたんだろ。バラバラになりかけてたから星の記憶に紛れ込めたんじゃないのか」
「そうかもしれない。だから俺一人じゃ多分出来ない。テセレマの協力が要るんだ」
「僕、ですか?」
心当たりがないように導師は瞬きをし、対して"ルーク"は確信があるように頷いた。
「輝石の話は聞いてる。ローレライの音素振動数で固定されてる、特殊なゲートみたいなものだって」
「つまりローレライが星の記憶を覗き視る力を、そのまま借りるってこと? 無茶苦茶だな」
「無茶かもしれない。でも試してみたいんだ。やる前から諦めたくない」
"ルーク"の眼に迷いはなく、ボクも反対する理由はない。導師にはローレライに呼び掛ける力がないが、"ルーク"にはその力がある。輝石を媒介すればコンタクトがとれる可能性自体はあった。そして導師も、その提案に首を縦に振った。
「試してみましょう」
「よし。じゃあ手を貸してもらえるか?」
「そうですね。何があるかは分かりません。互いに繋がりを意識出来た方がいいと思います」
なんて会話の後、目の前で"ルーク"と導師が手を繋ぐ。空いている方の導師の手がボクに差し出されて、眉を寄せる。
「まさか、ボクにもお前と手を繋げとか言う気じゃないだろうな」
「そのまさかです」
「お断りだね。お前なんかとお手手繋いで仲良くなんて吐き気がする」
「我儘を言わないでください。『アリア』を見付けたいのでしょう?」
「……チッ!」
心の底からの苛立ちで盛大に舌打ちをして観念する。本当に星の記憶を覗けるならば、その頭のおかしい奴の姿を拝んでやりたい。ねじ曲げられた記憶ではなく、あった筈の過去を垣間見たい。
その欲求の方が勝って、導師の手首を掴む。
「シンク。そこは手ではありません」
「これで十分でしょ。いいからさっさとしろ」
促せば"ルーク"が了承した。眼を閉じ静かになる。そのまま暫く待てば、不意に視界に違和感を覚えた。導師の執務室の風景に、何かが入り込む。それは気のせいかと疑う謙虚さから変質し、眼に見えるものを次々と入れ換える。
景色が侵食され、ちかちかと視界が明滅し、風景が次々に切り替わる。草原、街中、雪原、火口、遺跡、砂漠───景色の中に人間が入り込む。今が何時の、何処なのかが分からない。明らかに状況がおかしい。本当に星の記憶を覗き見しているのかと思う目の前で、それは唐突に始まった。
『……この音機関は、何?』
女の声だ。振り向けば景色がコーラル城の内部に変わる。フォミクリー装置の前でボクがのされていて、誰かがボクの仮面を引き剥がしている。亜麻色の、長い髪。
『……なんで礼を言うんだ』
今度は自分の声だった。視界が瞬きのように転換され、どこかの地下牢に変わる。いや、見覚えがある。神託の盾本部にある牢だ。その一つに向かって言葉をかける自分の姿が見える。牢の中は見えない。
『君と話したいと思ってたから』
また女の声が応えた。胸の内に焦燥が湧く。姿が見たいと自身の欲求が聞こえてくる。声の主の顔が見たい。
『代用品ねぇ……シンクはなりたかったの?』
声の主に問われる。記憶の中のボクは答えない。知っている。その問いに自分が答えられないことを、その理由を誰よりボク自身が知っている。
『ボクはシンクが「シンク」でよかったよ。導師の代わりなんかじゃなく、君でよかった』
焼き直しのように垣間見ているこれが、本当の過去の記憶ならば。当たり前のように自分が掛けられている言葉が信じられない。都合のいい妄想じゃないのかと疑う。ずっと欲しかった言葉が、いとも簡単に与えられる。
『ここにいる君だよ。ボクが話してるのは導師の代用品でもないし、代用品にもなれなかった出来損ないでもない。ボクはシンクと話してるつもりだし───そうじゃないなら、怒るよ』
「……怒るってなんだよ」
ぽつりと溢れた。呆れが過ぎて笑ってしまった。そんな幼稚な脅しがあるものか。ボクがゴミ屑だからって、何故そいつが怒るのか。さっぱり分からない。
『関係してよ、ボクと。少なくとも、ボクにとってはもう無関係じゃないよ。君がどうでもよかったりは、しない』
頭がおかしい。こんなもの口説き文句と変わらない。だが相手はいたって真面目にボクに告げているらしいと声音で知らされる。何を考えていたらそんな言葉が出てくるのか。何も考えていないのではないかと、疑いが覗く。
『勘違いしてるみたいだけど、ボクが助けようとしたのはアクゼリュスじゃない。ルークだよ』
一万人の命がどうでもいいと答えがある。導師サマ御一行にこんな奴がまざってたなんて、と今のボクと過去のボクの感想が重なる。だが感情までは重ならない。記憶の中のボクのように笑うことは出来ない。
『こっちに来なよ。ボクらの目的は預言のない世界の実現だ。達成すれば、アンタも預言に振り回されることはなくなる』
自分が牢の中へ手を差し伸べている。目的以外はどうでもいい筈のボクが、どうしてか。
『……シンク?』
景色が入れ換わる。今度は白を基調とした青の部屋だった。被験者のアリアが使っている部屋だ。そこでボクが誰かの体を支えている。その誰かが先程までの女と同じであることは疑う必要もない。
『……シンクは、なんで来たの?』
部屋を訪れた理由を問われているようだった。だが今度もボクは答えない。女を担ぎ上げ袋の中へ押し込める。そのまま部屋から運び出したようで、分からない。
何故自分がそんなことをしたのか。何か目的があったのか。利益があったのか。今のボクには思い出せない。
『休みなよ。無理されても面倒だ』
『でも……』
『黙らせてやろうか?』
『……おやすみなさい』
景色が変わる。神託の盾本部内にあるボクの隠し部屋だ。被験者のアリアを匿っていた場所で、ボクにとっては大きな秘密を押し込めていた特別な部屋だ。そんな場所に他人を入れるなど考えられない。
『……ボクの意見は君達とは違う。そこまで聞いても、星の記憶は絶対じゃないって思う』
『こっちにつく気はないってこと?』
『うん。ルーク達も生きてたし、君の誘いを受ける理由はないかも』
そう、と。応えた自分の声に落胆があった。
『シンク!』
女が叫ぶ。音素と障気の色の洪水で、覚えがある。ここは地核の底へ向かう途中だ。落ちるボクに手が伸ばされる。手を伸ばせと催促をする。死ぬためにタルタロスに乗り込んで、自ら身を投げたボクを生かそうとしている。
『うっさい! 手を伸ばせ! 離さないから!!』
離さない、なんて。有り得ない。妄言だ。妄想だ。都合のいい話。まるでボクのために用意されたみたいに、その手が伸ばされる。その声が届く。記憶の中のボクは手を伸ばして、女にその手を掴まれるのを見た。
『───責任、取ってよね』
グランコクマだ。宿の一室で女に迫るボクがいる。拾われた命は自分のものではないと、烈風のシンクは死んだと言い訳を口にする。本当は伸ばし返したその手が今更離せないだけのクセに。
『……確かにボクの命は惜しくないよ。こんなもので預言を消してやれるなら差し出せる』
『ならば……』
『でもこいつは駄目だ』
ワイヨン鏡窟で女を庇ってヴァンに答えを叩き付ける。預言を消すことが唯一ボクに意味のある目的だった筈なのに。そのために差し出せないと、明言する。
『さっさと取りなよ』
『助けてくれるの?』
『巻き込まれなかったからね』
雪に転んだ女に手を貸してやる。自分から助けようとする。どいつもこいつもガラクタだと嗤っていた───その筈なのに。
『無茶苦茶だね、アンタ』
『……専売特許ですから』
雪崩を女が防ぎ、消耗で揺らいだ体を受け止めた。それだけでも信じがたいのに、ボクは確かに見てしまった。女が雪崩を防ぐ前、女を庇おうと動く自分を。
記憶は続く。ケテルブルクでボクは自分を女に差し出した。
『……ボクがいた方がいい?』
『当たり前でしょ。アンタがいなきゃボクが生きてる意味がない。……ボクにとってのアンタが何かって? 強いて言うなら「全部」だよ。今のボクにはアンタしかないんだ』
ゲートでヴァンを倒して、女に名を呼ばれる。
『……アンタ、とんでもない場所に連れて来てくれたね』
『あれ、じゃあやめる?』
『……まさか。アンタのいる場所がボクのいる場所だ。連れてってよ』
『───どこへでも』
導師が死んで、女が何かを砕く。姿が変わって、それをボクが引き戻した。
『ボクを引き上げたんだ。───勝手に堕ちることは許さないよ』
『レプリカは代替品……でも、ボクはテセのレプリカを作りたいとは思わない。代わりなんかいない。作ったって、別人なんだ』
『……そう』
『シンクは……死なないでね』
ヴァンの刃が女の心臓部を貫く。鮮血が散って、死体のように動かない。ルークに肩を貸されて、アルビオールでダアトへ運んでもらって。その時からボクはあいつを名前で呼ぶようになった。
『最初に見たのが、シンクでよかった』
目覚めた最初に女はその言葉を選ぶ。自分が死にかけたクセに、ボクの無事を気に掛けて。
『ボクに手を伸ばしたのはアンタで、被験者じゃない。心配しなくても、今のアンタは重ならないよ』
『「次」はない。アンタもボクも。いいな』
『シンクと居たいから……?』
『………………』
『黙らないでよ。恥ずかしくなってくるじゃん』
『へぇ。恥ずかしいことを言ってる自覚はあったんだ?』
知らない記憶。覚えのない会話。でも嫌いじゃない。どこかで意識に馴染んでいる。そんな風に、音を選んだ気がする。
『忘れてよ。七番目も、三番目もさぁ。ボクがいればいいって言いなよ。ボクは言えるよ。アンタがボクの全部だって───伝えてある』
ケセドニアからエルドラントへ景色が変わる。
『ボクに与えたんだ。飢えた獣に餌をやるみたいに安易にね。そんなことをするべきじゃなかった。不用意に関係しようなんてするから、ボクに捕まったんだ』
『信じて欲しい。ボクは君が大事だよ。テセの代わりじゃなく、君が大事。君が「シンク」だから───ボクは地核で手を伸ばしたんだ』
『……置いて行ったら承知しないよ』
『そんなことする訳ないよ。ボクには君が必要なんだから』
『その体で何が出来る? 立っているのもやっとではないか』
『そうだね。痛め付けてくれた礼はボクには返せない。……でもそれでいい』
ヴァンとの戦いからダアトへ景色が移る。どこかの部屋で女と並んで寝転んでいる。
『シンクに代わりはいない。だから……依頼を破棄しよう』
『……裏切るような奴は使えないって?』
『違うよ。君に「道具」って言い訳を渡したくないんだ。君が君を使い捨てないように、一人の人として側にいて欲しい』
『君は君として側にいて。「シンク」だから望むんだ。いなくならないで───ボクの大切な人』
女が殺されかけて、ボクが庇って。世界の方が滅べばいいと口にする。そのためなら誰だって殺すと宣言する。
『……まぁ、とりあえず行けるところまで』
女が未来を望んで、未来が作られる。ヴァンの理想で揺らいだ世界の後片付けをする。
『……ボクにいて欲しいんじゃなかったの。手離さないって言ったよね』
『……シンク。ボク決めたんだ。今回の件で手掛かりが掴めなかったら……テセの影を追うのをやめる』
『ハッ……アンタの中から七番目が消えるの?』
『消える訳じゃないよ。ただ追い掛けなくなるだけ』
『ボクにとっては同じだよ。アンタの眼が七番目を探さなくなる───なら』
なら。その言葉の続きは何だったのだろう。
記憶は止まらない。どれだけあるのだろう。ボクはこの女と、そんなにも多い時を共に過ごしたのか。知らない時間が流れていく。季節が一巡りした。アドリビトムの視察に出て、女が行方知れずになる。
『記憶が戻ったら覚悟してよね。今回の件で、ボクもようやく懲りたんだからさ』
『何に……?』
『───手を伸ばさなきゃ、夢のままだってことにだよ』
知っている。記憶にはないのに、自分の飢えが分かった。そうだ。ボクはこの女に触れたくて、手を伸ばしたくて。幻のように消えたならと、手を伸ばすことが怖かった。
自分には過ぎた花だと思い込んでいた。だけど見ているだけでは奪われる。閉じ込めてでも守ればいい。その停滞は、本人に破られる。ボクは愚かなことをした。
『シンク。ボクは君が好きだよ』
好き? 好きとは、なんだ。女の示す好意が分からない。そう言いながらボクを選ばない。それが苦しくて、それでも手離せなくて。ボクにとってはその女が全てなのに、女はボクの全ては望まない。その結果に何が起きるのかを知っている。
空っぽのボクを満たす存在にやがて疑いが生じて。
ボクは。
「違う……」
グランコクマの王宮だ。客間の一つでボクは女を責める。お前がボクの意志を踏みにじるのかと。もう側にはいられないと。
「違う。手を離すな」
ここで間違えたんだ。ボクは側を離れるべきではなかった。縁者だろうが伴侶だろうが、第零音素の引き合いだろうが。失うよりは些細な話だ。ボクが侵されたくなかった「ボク」は、そいつが見付けたものだったのだから。
だから許せなくて……だから許せた筈だ。その矛盾をきちんと飲み下せば、失わずに済んだ。要らないと、ボクが考えることをやめてしまったから、あいつはいつもの諦めの悪さを見せなかった。勝手に諦めて手遅れになったんだ。
『……ごめんね』
場面が変わる。あの日だ。シャドウデーカンの最後の日。アセリスィアが観測された日であり、あいつが世界から消えた日でもある。
「駄目だ。行かせない」
星の未来なんてどうでもいい。アンタがいなくちゃボクが生きる意味なんてない。気付けば記憶の中を歩いていた。景色の中へ手を伸ばす。今に消えようとする彼女を掴もうとする。
「第七音素でも、第零音素でもいい」
星の記憶への干渉を許されているなら、この瞬間に変化を生めと唸る。どちらもボクの体にある筈だ。意志が未来を刻むなら、ボクがアンタを取り戻そうとする意志にも意味がある。
手を伸ばす。消えようとする体に触れることは出来ない。それでも、諦めるなんて選択肢はなかった。
「アセリスィア。アンタが人の意志を尊ぶなら、ボクに返せ。そいつはボクの意志なんだ。その馬鹿がいなくちゃ『生きる』なんて出来やしない」
手を伸ばす。指先が熱をもった。その意味なんて知るわけもない。触れられない頬に触れようとする。ああ、そうだ。今ならちゃんと、その顔を見られる。
毛先ばかりが強情に巻かれた亜麻色の長い髪に、吊り気味の水色の瞳。被験者と元は同じだろうに、もう印象が重なることはない。ボクにとってはアンタが本物なんだから。
「───アリア」
その音を転がす。例え名が同じでも、呼んだ声が違ったと言った奴がいた。なら、分かる筈だ。ボクが今、誰を呼んでいるか。ボクにとっての「アリア」が誰か。
伸ばした手が、何かに触れた。