業因と意志
夜のタタル渓谷でセレニアの花を眺める。一体、自分はこの場所で何をしているのか。
二年前から戻っていないルークの成人を祝って、当時のお仲間共が集まっている。その中にボクと導師もまざっていた。来てやる義理なんてなかったのに、ほんの気紛れで足を運んでしまった。
(頭おかしいんじゃないの?)
こうして顔を揃えて何かを想って、それに何の意味があるというのか。待ったところでルークは戻らない。仲間の死を認められないから揃って過去にすがっているだけだ。かつて六神将がやっていたことと変わらない。さっさと前を向いて生きれば良い。
(……前? 生きるって何?)
自分の思考に疑問が浮かんで、風に揺られる白い花を睨む。向くべき前などない。ボクはそんなものを知らないし、未来に希望も期待も持っていない。ただ死に損なって、アリアに生きることを望まれただけだ。
だがその「生きる」も分からない。ふわふわと足元が覚束なく、自分がどこにいるのか定まらない。ボクに生きる道を教えた奴なんていないのに、死を選べずに生き続けていることが不思議だった。そんな自分がお仲間共に「前を向いて生きろ」と考えるなんて、冗談も良いところだ。前後の繋がりがなさ過ぎる。
「───♪」
ティアの譜歌が耳から入り込む。ローレライとの契約の証に始祖ユリアが残した大譜歌だ。それをまるで帰路の導きのように月に捧げている。ボクからすれば鎮魂歌のようで、結局はルークの死をどこかで理解しているからこうしているのだろうかとも思う。
(どうでもいい)
考える必要などない。奴らの感傷にまざりに来たわけではないのだから。ちらり、と横目で譜歌を詠うティアを見る。月明かりに照らされた女の後ろ姿。セレニアの白に囲まれて、長い栗色の髪が揺れる。───譜歌を口にするその背に、何かが重なって見えた気がした。
(……なんだ?)
眉が寄る。それは一瞬のことで、自分の見た幻なのは間違いない。だが幻を見るような覚えはない。譜歌を詠う女の知り合いなんてアリアくらいだ。彼女を重ねたわけではないし、重ねてやる程ティアと似てもいない。
何を見たのか。自分の頭までおかしくなったのかと息を吐く。やがてティアの譜歌が止んで、王女が問いを掛ける。
「よろしかったの? 公爵家で行われるルークの成人の儀に、貴女も呼ばれていたのでしょう?」
「……ルークのお墓の前で行われる儀式に、興味はないもの」
「二人共、そう思ったからここに来たんでしょ?」
「あいつは戻ってくるって言ったんだ。墓前に語り掛けるなんてお断りってことさ」
守護役にガイが続いて、それぞれに月を見上げる。静寂に苛立ちを覚えた。下らない感傷だ。今日この時に、この場所で揃って月を眺めることに何の意味があるというのか。
だが一番自分を苛立たせているのは自分自身だった。無意味だと偽りなく思っておきながら、何故この場所に足を運んでしまったのかがずっと引っ掛かっている。それが一向に分からなくて、苛立ちが募っていた。
「そろそろ、帰りましょう。夜の渓谷は危険です」
死霊使いが忠告を口にして、各々がこの場を離れる意思を示し始める。名残惜しそうにする様を眺めていれば、導師がボクへ歩み寄った。
「シンク」
帰りましょう、と暗に促される。別に帰りたくないわけではない。お仲間共と違ってルークへの感傷もないし、月花にだって関心はない。ただ何故自分がダアトに「帰る」のかが分からないだけだ。
息を吐いて腰を上げた。自分より間の抜けた顔しか出来ない導師に続いて、渓谷を離れようとする。月に背を向けて、不意にティアの姿が目に入った。驚いた顔をして何かを見詰めている。思わず足を止めれば、ボクの動きに導師も足を止めた。連鎖をするように他の人間達も足を止め、ボクがそうするようにティアの視線の先を追う。
月花に、赤髪の男の姿があって息を飲む。
(アッシュ?)
思わずその名が浮かんだのは、長い赤髪が目に留まったからか。アッシュはエルドラントで死んだ。ルークに自身の体内音素を移して第二超振動まで可能にしたのだから、間違いない。
だがそのルークもローレライの解放と共に音素乖離を起こした筈で、生きている道理がない。ならば、今この夜のタタル渓谷でボクらを映す碧眼は、何だと言うのか。
「……どうして、ここに?」
数歩近付いて、ティアが問う。赤髪の男は口を開いて、覚えのある声で答えた。
「ここからなら、ホドを見渡せる。それに、約束してたからな」
約束、という言葉に空気が震える。迎えに行くようにお仲間共が近付いていき、ボクや導師を追い越していく。近付かないのは死霊使いだけで、ボクらが分かっているように、帰って来たアレが何者かを理解しているのだろう。
(完全同位体に起きるビッグバンの話は聞いている)
被験者が死亡し、レプリカの情報を取り込んで自身を再構成する現象だ。特殊なコンタミネーション現象であり、人為的に起こさなければ到底実現不可能とされている。
だがディストはそれを実証しており、ローレライによって再構成されたなら不可能とは言えない。ならば、アレはアッシュということになる。いや、レプリカルークの記憶を取り込んだ、本来の「聖なる焔の光」ということか。
(やっぱりレプリカなんてロクでもない)
被験者に食い潰されるスペアでしかないのだ。お仲間共と言葉を交わしていた碧眼がボクらを見る。自分から近付いて来て穏やかに微笑んだ。
「また会えて嬉しいよ。イオン、シンク」
「僕もです。おかえりなさい」
導師が応える。アッシュと呼ぶには穏やかで、ルークと呼ぶには落ち着きがある。両方の記憶を持つなら、その感情はどちらに起因するものなのか。少なくともボクの知るアッシュは再会を喜ぶような奴ではなかった。
眺めていると視線が向いた。
「まだ仮面を着けてるんだな」
「アンタには関係ないだろ」
短く答える。先程までの苛立ちが無くなったわけではなかった。八つ当たりに等しい。ボクにこの男の帰還を喜ぶ回路なんて存在しないし、寧ろ余計に腹が立つ。ボクが仮面を着けているか否かなど、余計なお世話だ。"ルーク"が視線を彷徨わせる。
「……アリアは来てないんだな」
「今頃本物のイオンと一緒にダアトだよ」
「本物って……被験者のイオンか?」
「はい。あれから、色々なことがあったんです」
導師が微笑む。イオンが目覚めたのも、この導師が呼び戻されたのも、ルークがエルドラントに消えてからだ。七番目がテセレマに名を変えたことすら"ルーク"は知らない。話すべきことも話したいことも、恐らく山積みなのだろう。生憎ボクにはどちらもないが。
「どうしてだ?」
問われる。それに違和感があって、ボクは"ルーク"を見た。ボクらを見るのは真面目な表情で、ふざけている様子はない。どうして、とはどの言葉に掛かった問いなのか。
「一緒に旅をしたのに一人だけ来なかったからって拗ねてるのか?」
「違う。どうして被験者のイオンと一緒にいるのかってことだ」
嗤ってやれば、思いもしない疑問を掛けられて眉が寄る。何を言っているのか分からない。アリアがイオンの隣にいて何がおかしいというのか。あの二人は婚約関係にある。そんなことは以前の旅でアッシュもルークも聞いている筈だ。
それなのに"ルーク"は意味の分からない話を続ける。
「俺が話してるのは被験者の話じゃない。二人にとってのアリアの話だよ」
「……何言ってんのさ。体を作り直してもらう時にどっかバグったんじゃないの?」
「お前こそどうしたんだよ。お前がアリアを忘れるなんて笑えないぞ」
訳が分からない。困惑で思わず導師を見れば、導師の顔にも困惑がある。"ルーク"の言葉の意味が分からないのはボクだけではないようだ。お仲間共も近付いて来て会話にまざった。
「きっとまだ記憶が混乱しているのよ。お屋敷に帰ってゆっくり休んだ方がいいわ」
「屋敷に戻ったら大騒ぎになって休むどころじゃないだろうけどな」
「そうですわね。二年ぶりの帰還ですもの。バチカル……いえ、世界中が貴方の帰還を祝いたがる筈ですわ」
「勿論ダアトもお祝いするよ! 教団も色々変わったんだから」
お仲間共の言葉にも"ルーク"は引き下がらない。一人ひとりに問いを投げ掛けていく。
「ティア。お前が頻繁に手紙のやり取りをしてた相手は、アリアだよな」
「え? ええ……」
「ガイ。お前がコーラル城で助けた相手もアリアだったよな」
「そうだが……ルーク?」
「アニス。導師代理になるって言ったアリアを支えたいって言ってたよな」
「……うん」
「ナタリア。陛下と会うことを躊躇っていた時に、背中を押してくれたのはアリアだったよな」
「ええ。きちんと話をさせると仰ってくださいましたわ」
"ルーク"が何を確認したいのか分からず、全員が困惑を浮かべる。何もおかしいところはない。どの問いも肯定が返り続けている。なのに確認は終わらず、意図の読めない問いは改めてこちらにも向いた。
「イオン。お前がダアトに連れていったのはアリアだろ?」
「はい。間違いありません」
「シンク。お前を地核から助け出したのもアリアだったよな」
「それが何?」
分からない。"ルーク"の確認にボクらは頷いている。それでも納得がなされず問いが続けられる。寧ろゆっくりと絶望が広がるみたいに"ルーク"の表情は苦しみを抱えていく。何が違うというのか。
最後にと碧眼は死霊使いを見る。そうして掛けられた問いが、決定的だった。
「ジェイド。お前が『人になって欲しい』と願って見守ってきたアリアは……いたよな?」
「───いいえ。アリアは初めから人間でしたよ」
初めて返った否定に碧眼が見開かれる。その否定だけが異質であることは間違いなかった。だが何が違うのかが分からない。おかしいのは問いの方で、答えの方ではない。
「……分かった。ごめん、変なことを聞いて。屋敷に帰って、少し休むよ」
顔を俯かせた"ルーク"はそう囁いて、ボクらは渓谷を出た。アルビオールへ乗り込み、それぞれの居場所に送り届けられて日常に戻ることになる。
代わり映えのない平和な日々。その筈なのに、ひと欠片の違和感が棘のように意識に刺さって思えた。
*****
ルーク・フォン・ファブレの帰還に世界は沸き立った。星を滅ぼそうとしたヴァンを倒し、命と引き換えにローレライを解放した男は、実質英雄として讃えられていた。
だがボクにとっては他人事だ。世界を救った英雄だなんて思っていない。利害の一致で協力関係にあっただけだ。ボクを拾ったアリアがこの世界の未来を信じたいと言うから、手伝っただけ。
何も思うところなどない。なのに、タタル渓谷で奴に掛けられた言葉がいつまでも意識の端に刺さっていた。
───お前がアリアを忘れるなんて笑えないぞ。
(忘れてなんかない)
二年前に旅を共にした記憶は消えていない。ボクを拾ったのはアリアで、ダアトへ連れてきたのもアリアだ。何もおかしくない。なのにアリアを忘れているとはどういう意味なのか。
頭のおかしくなった奴の言葉なんて、それこそ忘れてしまえばいい。そう思うのに引っ掛かり続けるのは何故なのか。死霊使いだけが問いに否定を返したことが気に掛かる。気にしたところで、何にもならないというのに。
(……アリア)
その名を転がしてみても特に変化は現れない。彼女はボクを拾ったけれど、選んだ相手はイオンのまま変わらない。ボクも彼女に何かを求める感情は働かなかった。
確かに以前は彼女に認められたいと、選ばれたいと思っていた。だがいつの間にかどうでもよくなってしまっていて、嫉妬や執着と呼べるような感情は起こらない。
いつ、そうなったのだろうか。
(どうでもいい)
分からないことを考えても時間の無駄だ。教団での日々は平凡でも忙しいし、過去なんて振り返っても益にはならない。やるべきことも考えることも、他に沢山ある。
と、部屋にノックの音が響いた。応えてボクの執務室へ入室を許可すれば、導師が立っていた。
「何の用? 交代で戻ってる第二師団の訓練を見ることになってるんだから、手短にしてよね」
「すみません。その予定は後日にするよう、こちらで話をしておきました」
「は?」
「僕と貴方に客人です」
導師が告げた用件と共に部屋に入ってきたのは"ルーク"だ。一ヶ月ぶりに見る姿に特に変化はない。親しげに挨拶を投げられるが構わず叩き落とした。
「世界を救った英雄サマがこんなゴミ溜めまで足を運んでくださるなんてね。二年ぶりのママのお膝はもういいの? ルーク坊っちゃん」
「お前のそういう態度も懐かしいよ」
「……詰られて喜ぶなんて、アンタも随分変態になったね」
「いや……あいつがいないとこうなるんだなって改めて思っただけだよ」
また意図の読めない発言だ。何が言いたいのかと思っている内に、導師が勝手にソファをすすめて腰を落ち着けられる。話に付き合うとは一言も言っていないが、こちらの希望は無視するつもりらしい。それに異を唱えてやろうと口を開こうとするが、"ルーク"の方が早かった。
「このひと月で色々聞いたよ。俺がいなくなってから何があったか……アセリスィアとか、第零音素のことも」
「アセリスィアは今や教団の象徴となっています。『人の意志が星の記憶に変化を与える』……そう信じられ、信仰されている。預言を失ったこの世界の新たな希望なんです」
「ああ。そう聞いてるよ。イオン……いや、テセレマやシンクとこうして話が出来るのも、アセリスィアのお陰なんだよな」
そうとも言える。ボクらを生かしたのはアリアだが、彼女にその不可能を可能とさせたのはアセリスィアの力と推測されているのだ。
ティアと同じく先祖からの契約とやらでアセリスィアの力を無意識に使い、「イオン」の死の預言から被験者含め三人共の星の記憶を書き換えた。その推測を事実とすればボクらが生かされているのは「アセリスィアのお陰」だ。例え本人が生きたいと思っていなくとも。
「でもさ。俺の記憶と違ってるんだ、その話」
「どういうことですか?」
「シンクを地核から引き戻したのはシルフだし、テセレマが結晶の姿に変わったのも、今思うとアイオンの力だったんじゃないかと思うんだ」
「シルフにアイオン? 何言ってるのさ。第三音素の意識集合体の力を借りるなんて、あの場にいた人間どころか世界中の誰にも出来やしない。アイオンなんてのは聞いたこともないし、本当に再構成に失敗したんじゃないの」
冗談でなく本気で疑えば"ルーク"は首を緩く左右に振る。
「俺も最初は自分の記憶を疑ったよ。でもどんなに考えても記憶違いなんて有り得ない。確かに『いた』奴をいなかったなんて思えないんだ」
「……またその話か」
ひと月前にタタル渓谷で確認されたことを思い出す。ボクらがアリアを忘れたと言い、最後に死霊使いに存在を否定されていた。馬鹿馬鹿しい。
「アリアはイオンの婚約者で今も教団にいる。旅にも同行してたし、記憶から消えたりはしていない」
「違うんだ、シンク。それは彼女じゃない。俺達の旅に同行してたのは、今教団にいるアリアじゃないんだよ」
何を言っているのか全く分からない。旅に同行していたのは間違いなくアリアであり、アリアは彼女一人しかいない。これでは話が堂々巡りするだけだ。
同じことを思ったのか、"ルーク"は一度言葉を飲むと慎重にそれを口にした。
「つまり、アリアはもう一人いたんだよ」
「……は?」
「本当だ。イオンの婚約者のアリアから作られた、レプリカのアリアがいたんだ。俺達と旅をして、二人を助けたのだってあいつだった。被験者じゃない」
突拍子もない話に困惑する。導師を見ればやはり困惑があって、タタル渓谷の時と同じだ。"ルーク"の話を肯定する人間は誰一人としていない。おかしいのはこの男の方だ。
「……すみません、ルーク。貴方の話を疑いたくはないのですが……」
「思い出してくれ。お前にテセレマって名を渡したのは被験者じゃない。レプリカのアリアだ」
「存在しない奴にどうやって名前をもらうって?」
「存在したんだ。地核に飛び込んでシルフを喚ぶ無茶をしてまでお前を助けたのは、レプリカのアリアだ。お前を教団に呼び寄せて、道具として死ぬことを許さなかったのは被験者じゃない。導師の力を使って死のうとしたお前を止めたアリアは、お前がお前である意味をくれた奴だろ!」
語気を強められる。まるでそれは"ルーク"にとっても価値のある出来事であったかのように。だが明らかに妄言だ。妄想が記憶に置き換わっているとしか思えない。何故なら、
「導師の力を使って死にかけた覚えなんかないし、ボクに意味なんて与えられてない。ボクはただの『代用品ですらないゴミ屑』だ」
「シンク。僕はそんな風には貴方を思っていませんよ」
「同情? 虫酸が走るね。使い道のあった奴らの綺麗事はうんざりだ」
苛立ちのままに言葉を叩きつける。本心だ。望まれなくちゃ存在できない。利用価値がなければ生かされない。碧眼がボクを見据える。
「じゃあ、なんでお前は生きてるんだ?」
「───」
それはボクの方が答えを知りたい問いだった。何故、ボクが生き続けて教団に籍を置いているのか。
「ゴミ屑で、シンクとしての意味を与えられてないって言うなら、何故だ? 使い道があったのか? 誰かに利用されてるのか? 今のお前は誰かの道具なのか?」
「………………」
何も答えられない。答えは分かっている。今のボクは誰の道具でもないし、利用されるためにここにいるわけでもない。アリアはボクに生きることを願ったが、ボクにボクとしての意味を与えはしなかった。
(……違う。ボクが望まなかった)
彼女へ向いていた嫉妬も執着もどこかへ行っていた。だから彼女に与えられようとはしなかった。……何故?
「テセレマも。あの髪留めまだ持ってるんだよな。ティアやアニスから聞いたよ」
"ルーク"の言葉に導師が驚きを表し、懐から髪留めを取り出す。白い貝に涙型の結晶が飾られた女物の髪留めだ。本人も着けず、贈る相手もいないと語っていた。
「この髪留めの意味を、貴方は知っているんですか?」
「知ってるよ。お前はアリアに……レプリカのアリアに一緒にいて欲しいから、それを贈ったんだ」
「……そのレプリカがいなかったことになってるから、髪留めが導師の手元にあるって言いたいのか」
ボクの確認に"ルーク"が頷く。だがそれなら尚のことおかしいのだ。その矛盾に"ルーク"は気付いていない。嗤って突きつけてやった。
「そのレプリカがいなかったなら、導師が髪留めを手に入れる理由もないだろ。もしアンタが言うようにレプリカの存在が被験者に置き換わってるなら、今頃被験者の手元になくちゃならない。導師が持ってる時点でこの話はおかしい」
「だから俺はこの話を二人にしてるんだ」
「……なに?」
「二人はレプリカのアリアがいた証を持ってる。他の出来事みたいに被験者に置き換えられなかった記憶を、自分の中に持ってるんだ。だから結果だけが残って辻褄が合わなくなってる」
それは例えば、導師の持つ髪留めの話だ。贈るつもりで手に入れた事実に対し、贈る相手が置き換えられなかった。だから誰にも贈られず手元にあり続けている。
(……ボクが教団にいる理由も同じだって?)
自分の意志で教団に留まる理由があったのに、それが被験者に置き換えられなかったから曖昧になっている。意味を与えられようとせず、道具でなければ存在価値などないと言いながら、誰にも使われずに息をしている。過程の欠けた矛盾だらけの結果だ。
「……そんな与太話信じるわけないだろ。いた筈の人間を他人に置き換える? どうしたらそんなことが出来るっていうのさ。ボクや導師の記憶だけをすり換えてるならまだしも、そのレプリカを記憶してるのはアンタだけだ。アンタの妄想って方がずっと納得がいくね」
記憶をいじるような譜術の話は聞かない。もしそれが使われていたとしても、規模は世界中だ。そのレプリカがどの程度他者との繋がりを持っていたか知らないが、旅に同行していたなら両手には収まらない人数と面識がある。その全員の記憶を都合よく変えて回ったなど考えられない。ボクは勿論、死霊使い相手にそんな小細工が通用するとも思えなかった。
だが、ボクの否定を覆したのは導師だった。
「……だからアセリスィアなんですか?」
導師の問いに"ルーク"が頷く。確かに話を始める際、一番に口にしたのはアセリスィアと第零音素の話だ。アセリスィアのお陰でボクと導師は生きている───
───星の記憶を書き換えて。
嫌な予感がした。
それをそのままボクは口にする。
「……まさか。星の記憶ごと書き換えたからそのレプリカが被験者に置き換わってる、とか言うんじゃないだろうな」
声が震える。怒りか、疑念か。分からない。胸の奥がざわざわする。知ってはいけないことを知ろうとしている気がする。考えてはいけないことを考えようとしている。その可能性へ辿り着いてはいけない。
「じゃあ、なに? アリアが……被験者とアセリスィアが星の記憶を書き換えて、レプリカの存在を消したって言うのか」
「いや……多分書き換えたのはレプリカのアリア本人だ。被験者にはここに来る前に会って来たけど、何も知らない様子だった。あの人が妹みたいに思ってた奴を消してしまうとも思えないし……あいつが自分でやったんだ」
「は……」
頭の中がぐるぐると回る。何を言われているのか分からない。レプリカが自分で自分を消した? 何のために。ボクや導師を生かしたアリアがそのレプリカなら。導師に髪留めを贈られ、ボクに道具以外の生き方を与えておいて、いなくなったというのか。
それに、ボクは気付かずのうのうと生きていた?
「……有り得ない」
声を絞り出す。頭の中が沸騰する。世界が回るようで気持ちが悪い。吐き気がする。仮面の上から頭を押さえた。
「アンタの話の通りだったとして……じゃあ、ボクはボクを生かした傍迷惑な人間をずっと勘違いしてたって言うの? ボクに意味を与えた奴が……ボクに道具でなく自分の意志で生きることを、望んだ奴がいたって言うのか」
「……ああ」
「ふざけるな。そんな奴はいない。そんな人間はいなかった。ボクは誰にも望まれていないし、昔も今もただのゴミのままだ。───誰も、忘れてなんかない」
唸るように断言する。認められない。認めるわけにはいかない。だが"ルーク"は引き下がらない。碧眼で睨むようにボクに言い募る。
「なんで否定するんだ! お前だってもう分かってるだろ、自分の記憶がおかしいって。辻褄が合ってないんだ。お前の中にも説明のつかない感情があるだろ!? お前に生きることを願ったアリアは別にいるんだ!」
「認められるものか!」
思わず言い返す声が大きくなる。感情が揺れる。そんなに強い感情が自分のどこにあったのかと思う程で、制御が出来ない。動揺が、怒りが、苦しさがそのまま出ていってしまう。
「ボクに生きることを願うような奴を忘れて、のうのうと? 見たくもない顔に囲まれて、好きでもない教団に身を置いて。自分でそれを選ぶ程、ボクにとって意味があった奴を……ボクはあっさり忘れてたって言うのか!?」
有り得ない、と本気で切り捨てられるなら、こんな風に感情が乱されるわけなどない。嗤って聞き流せる筈だ。それが出来ないのは、どこかで覚えがあるからだった。
生き長らえている理由が分からない。道具でなく在る理由が分からない。向くべき前も生きることも知らないのに、まるで知っているみたいに思考したことも。見えない傷でもあるみたいな痛みも、今表している怒りも、時折呼吸を乱す苦しさも。
知らない感情が沢山ある。絡まる程に複雑な感情の束。それは絶対に、ボク一人では持つことの出来ないものだ。ボクにそれを持たせた誰かがいる筈で、それなのにその誰かが記憶に当てはまらない。───何かが欠けている。
「シンク。エルドラントで、お前は空っぽだって言ったよな」
「何の、関係が……」
「今はどうだ? それだけの感情を持って俺の話を否定するお前は、空っぽなのか?」
答えられない。空っぽだと口に出来ない。今のボクはアリアに生きることを願われただけで、彼女に何かを与えられた覚えもない。空の筈だ。
だが実際には数多の感情がボクを満たしている。代用品として与えられるのではなく、ボク自身が得た何かがボクの中にある。何かが根付いて息をしている。
「……僕はルークの話を信じようと思います」
話せなくなったボクの代わりに導師が口を開く。視線は髪留めに落とされていて、いつかに理由を求めて見詰めていた眼と同じに思える。髪留めの中に、自分が抱える違和感の答えを求めている。
「この髪留めを見ていると、僕の中にも沢山の感情が湧き出すんです。哀しみや、悔しさ……喜びも、愛しさも。僕はずっと導師の代用品で、自分の感情なんて知らなかった。自分の意志なんて考えては来なかった。ですが以前の旅でこの名を贈られ、シンクが地核へ身を投げた時に涙が流れた。今だって手探りなんです。それなのに、この髪留めがあると自然と自分の感情が見付かる。僕に……誰かを想う力をくれた人がいる筈なんです」
それはボクの抱える違和感と同じだった。お互いに説明のつかない感情がある。その説明のつかない齟齬に説明をつけられるのは、現状"ルーク"の話だけだ。
ボクと導師に、数多の感情を抱かせた奴がいる。そしてそいつは、自分の存在を被験者に置き換えてこっそり消えた。本当ならばなんて酷い奴だ、と奥歯を噛んだ。
"ルーク"が腰を上げる。
「続きは明日話そう。暫くダアトにいるからさ。急にこんな話をされて、二人共混乱してるだろ? 今は……時間が要ると思うんだ」
その提案に導師がボクを見る。意見を求められていた。正直に言えば頭の中がぐちゃぐちゃだし、感情が勝手に動いて慣れない疲労を感じてもいる。今、まともに頭が働く気はしなかった。答えず顔を逸らした。
「じゃあ、また明日来るよ。二人が俺の話を信じてくれたら嬉しいし、味方になってくれたら凄く助かる」
「味方、ですか?」
導師の確認に"ルーク"が頷く。それを見て根本的な疑問が湧いた。別れる前に問い掛ける。
「そもそも、アンタはなんでボクらにそのレプリカを思い出させようとしてる? 消えた奴なんて思い出したところで、どうしようもないだろ」
ボクの指摘に"ルーク"は首を横に振り、笑って答えた。それは見覚えのある、痛みを抱えた感傷的な微笑みだ。ボクや導師の中の傷に触れる、よく似た気配の感情。
「俺が、アリアを取り戻したいからだよ」
返ってきた答えに、自分の痛みの理由を知った。
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