Extra
例えばその日、君がボクのところへ辿り着くことが出来なかったなら、ボクは選択を変えただろう。
*****
シャドウデーカンのある日の夜。ボクは自分の執務室でダアトの街の異常を感じ取った。音素が大きくうねるのを感じ、弾かれたように窓の外を見る。
瞬間、光が爆ぜた。夜のダアトの一画に瞬いた光は街並みを焼き、暴風の一端が窓を叩く。それが何かは分からずとも、ボクの全てが迫り来る脅威に警鐘を鳴らしていた。あれは、音素の暴力だと。
(───何かが音素を暴走させながら教会に向かってる)
即座に頭を切り替え、執務室を出る。導師補佐役として、そしてボク個人として。二度と、大事なものを見えざる手に奪わせやしない。
*****
「退きなさい。アリア」
「退かないよ。大佐」
ダアトの街を包む業火の中で、ボクはかつての仲間と対峙する。ボクの体を心配してわざわざマルクトから来てくれていた彼は、厳しい眼をボクに向けている。
健康診断を受けろと迫った時とは違い、感情は窺えない冷たい眼だ。それは確実な脅威がこの場にあるからであり、正しい判断を既に下しているからだ。でもボクはそれに異を唱える。正しさなんて、クソ食らえだ。
「手遅れです。もう、元には戻せない」
「そんなことない。まだ可能性がある」
「ありません。フォミクリー技術を考案した人間として断言します。彼は、救えません」
大佐の赤い眼がボクの後ろを見据える。そこに何があるか知っている。誰がいるかボクは知っている。ちらり、と視線を背後へやる。
そこに膝をついているのはボクの護衛役だ。ボクが拾い上げて、生きて欲しいと願って、隣にいて欲しいと望んだ少年。その千歳緑の瞳はぼんやりと地面を眺めたまま、意志を示さない。ただ音素を暴走させ、所構わず譜術を撒き散らしダアトの街を破壊している。……ボクが見つけた時には、既にこの状態だった。
「原因は分かりませんが、彼は音素暴走を起こしている。このままではダアトが地図から消えますよ」
「なんとかする。命があるなら出来ることがある筈だ」
「いいえ。貴女の呼び掛けにも応えないなら既に精神が崩壊している。命があるだけで、人には戻れない」
「化け物」なんですよ、と大佐が音にする。でもそんなことは関係がなかった。「化け物」だからなんだと言うのだろう。シンクはシンクで、まだ息をしてる。反応がなくて、精神が壊れてるとして、でもまだ何も出来ないと決まったわけではない。どうにかする。方法を探す。その間にダアトの街がどれだけ燃えたって構わない。殺させない。
「見なかったことにして。大佐」
「出来ません」
「休暇中でしょ」
「ええ。ですが同盟国が燃え落ちる様を黙って見過ごせば、陛下に合わせる顔がありませんから」
「お願いだよ。君を殺したいわけじゃないんだ」
「なら、そこを退いてください。貴女に彼を殺せとは言いません。道を開ければ、後は私がやります」
「それは出来ない。やだな。ごめんね」
「───馬鹿な子ですね」
君を殺す選択をしてごめんと伝えて、大佐が短く返す。マルクト皇帝の懐刀は伊達じゃない。でもボクとタイマンをして大佐に分があるわけもない。以前の旅ならまだしも、今のボクは接近戦は当たり前に、譜術だって大佐に負けちゃいないのだから。
振るわれる槍を受け流して、発動する譜術に反譜術をぶつけて相殺する。そうする間に追い詰めて、命を刈り取る一歩手前まで迫った。
(やだな)
殺したくない。自分でも驚く程に、ボクは仲間が好きだったらしい。命を奪い、未来がなくなることを惜しいと思う。
でも迷わない。迷えば大佐はボクを殺せる。シンクを殺せる。それは許せない。ボクの手は全てを選べる程大きくはない。選べるのは両手の分だけだ。色々教えてくれて、ボクが生きていて良かったと言ってくれた仲間。ボクは彼を殺す。
「……マルクトは教団を放ってはおきませんよ」
「はは。その前にテセがボクを許さないよ」
致死量の血を流しながら、赤い瞳が細まる。それが分かっていて武器をとったのかと問う色がある。分かっていた。テセはみんなに生きていて欲しいような優しい導師だから、壊れた人間を生かすために大佐を殺せばボクを許せなくなる。心情はどうあれ、立場がそれを許さない。
「ありがとう。大佐のお陰で、もう迷わなくて済む」
ボクの礼に応える声はない。命は背負わない。重みなんて分からないし、償いもない。ただ選ぶだけだ。生かすか、殺すか。人の命をボクが天秤に掛ける。───仲間も殺せたボクに、選べない命なんてなかった。
*****
「うちのジェイドを殺してくれたそうだな」
『うん』
「それで? マルクトを滅ぼしてお前は何を望む?」
『別に』
ボクの回答にピオニー陛下が顔を顰める。嘘じゃない。水の都を火の海にして、マルクトを滅ぼすのはついでだ。みんなが大好きな「命を奪うだけの大義」なんて一つだって有りはしない。ボクはただ、彼を戻したいだけ。
『壊れちゃったから直す方法を探してるんだ。邪魔だから人間は要らない。それだけだよ』
「……化け物が」
悪を憎む青い眼がボクを見る。関係ない。人間の正義なんてどうでもいい。額を貫いて、それで終わり。
皇帝だった肉を眺めて思う。彼の言葉はきっと正しい。ボクは化け物で、人じゃない。いつの間にかイオンがくれた術式もどこかへ消えてしまった。それでも肉体がまだあるのは、ボクが何者にも成れなかった証拠だ。人にも、星の滅びを変える存在にも成れなかった。
ボクは世界を壊す選択をしたのだから。
*****
ボクが滅ぼしたマルクトからは人が逃げて、やがてキムラスカが攻めてくる。星を侵す病となったボクを殺しに来る。でもボクは殺されてやらない。まだやることがある。まだ直せてない。方法を見つけなきゃ。
『邪魔だなぁ』
大地を埋めるキムラスカの兵やマルクトの残党を見下ろす。平原の上空いっぱいに譜陣を沢山描いて焼き払う。黒い稲妻が全てを腐らせて、炎が舐めて消す。風が凪いで沢山の四肢がもがれ、洪水が行軍を押し流した。
そうしてその他大勢を血と内蔵と骨にしてしまえば、やがてやって来るのは見知った人になる。かつての仲間達。
「お願いです! どうか以前の貴女に戻って下さいませ!」
『戻ってどうなるの? 世界を焼くボクは生きようとする君達にとって悪だ。ボクも彼も殺される』
「その通りだ。マルクトの生き残りもキムラスカも、今更あんたを生かしたりはしない。……なんで、こうなっちまったんだろうな」
『さぁ? ボクを殺してよ。ナタリア、ガイ。ボクは殺される前に、君達を殺すからさ』
また二つボクは仲間の命を奪って、キムラスカを滅ぼす。街や研究機関を独り占めにして、それでもまだ見付からない。どうすれば壊れたものが直るのか分からない。
途方に暮れるわけにもいかなくて、ボクは最後の場所に足を運んだ。この星でまだ、人が営みを続けている国へ。
*****
ダアトの人達はボクに従順だった。まるで洗脳でもされてるみたいに従って、望む通りに動いてくれる。ダアトに住む全ての人間がボクの手足であり、眼や耳になる。今の教会は城と変わらない。この国の王様を、ボクの大事なものを、閉じ込めて守る堅牢な城。だからボクは悠々と帰る。彼が許さなくても関係はない。
『ただいま! テセ』
「アリア……」
執務室に飛び込んで、彼と再会する。顔を見てほっとしたし、自分が久しぶりに笑顔になったのを感じる。対して、テセは痛みや憂いのある顔だ。何を言いたいのかは分かってる。だからそれより先にボクは尋ねた。
『シンク、起きた?』
「……いいえ」
『だよね』
大佐を殺したあの日から、シンクは眠ってる。ボクが眠らせた。起きていると際限なく周囲を破壊してしまうから、回路を元に戻すまで眠っていてもらうことにした。彼を狂わせたのは体に埋め込まれたおかしな石だったけど、すっかり癒着してしまっていて剥がせなかった。だから方法を探している。
そしてマルクトやキムラスカに遠征する間、彼のことはテセに預けることにした。テセはシンクを殺せない。ダアトの人の命を、全部ボクが握っているから。
「もうやめてください。アリア」
『やめないよ。シンクだけじゃない。君だって何かをされるかもしれない。人間は信用ならないから、今みたいに従っててくれた方がいい』
「っ……貴女は僕に自分の意志を持つ意味を教えてくれました! その貴女が人々の意志を、踏みにじるなんて……」
苦しそうに、哀しそうに眼が伏せられる。握った拳が震えていて、ボクは彼に近付いた。でも触れる前に侵入者がいる。扉が開いて二人の人間が飛び込んできた。
「テセレマ様! 助けに……、!?」
「何故貴女がここにいるの。アリア!」
ボクを見据えるのはアニスとティアだ。残っている最後の仲間。アニスがテセに逃がされて、ユリアシティからティアを連れてきたのだと思う。どこに逃げたって同じなのに。
『ボクからテセを奪うの?』
「! いけません、二人共逃げてください!」
ボクの声の温度が変わったのを察したみたいに、テセが警告する。優しいなぁと思う。彼らはボクとテセを引き離そうとしたのに、生かそうとするなんて優しすぎる。その心に免じて苦しまないように殺してあげることにした。
「何のためにルークと一緒に兄さんを倒したの!?」
『大事なものを奪われないためだよ』
「アンタを殺しておけば良かった……!」
『ボクもそう思う』
どちらも事実で、本心だった。あの日、最終決戦に肩を並べていたのはヴァンが邪魔だったからだ。世界なんてどうでもよくて、ただ手元に残ってくれたシンクを奪われないために殺した。大義はない。
なのに、そのシンクは知らない内に人間に壊された。もっと早く殺しておけば良かったんだ。ボクからテセやシンクを奪う可能性を持つ人間達を、全て。そうすれば彼は壊されずに済んだ。
(今度は間違えない)
仲間だった二人の死体を見下ろして満足する。まだテセは無事で、ダアトの人間はみんなボクの一部。キムラスカもマルクトも滅んだから脅威なんてない。もう奪わせない。振り返ってテセに微笑み、ねだる。
『ね、テセ。あちこち行って疲れちゃった。一緒に休も?』
「……何故、二人を殺したんですか?」
『ああ、ごめん。部屋は後で掃除しておくよ』
「そういう話ではありません! ジェイドも、ガイもナタリアも……貴女にとってはかけがえのない仲間だった筈です! それなのに、何故……」
怒ってる。哀しんでる。ボクがボクにとって意味のあるものを壊したから。でもそんなの問うまでもない。天秤に乗せただけ。より価値のある方をとっただけ。手を伸ばして涙に濡れる頬に触れる。触れられる幸せで、微笑んだ。
『君とシンクがボクに愛をくれたから』
「……え?」
『「それ」を伝えてもらう内にね、自分でも気付かない内に変わってたみたいなんだ。「好き」じゃ済まない気持ちが、ここにある』
自分の胸に触れる。彼らを想う気持ちに変化はない。大事なのは前からだし、彼らを奪われないためなら世界を滅ぼすことだって出来た。だから変わったのは想いの深さだ。君達がいるとボクは満たされる。君達がいないと、もう息が出来ない。
『君達を愛してる』
ボクの告白に、テセは表情を苦しげに歪めた。手が伸ばされ、ボクは大人しく腕の中に収まる。温かい。安心する。テセの匂いで、心臓の音が聞こえる。生きている。
「……ごめんなさい。アリア」
軽い衝撃。知っている。そうして背から刺されるのは二度目だ。一度目はヴァンに剣で貫かれた。今回はテセにナイフで刺されてる。彼はボクを殺すことにしたらしい。でも、謝るのはボクの方だ。
『ごめんね、テセ。どうやったら死ねるのか、ボクにも分からないんだ』
ボクの体は出血しない。ナイフが引き抜かれれば、音素が集まって傷を埋める。痛みもないし、それは心臓や頭部でも同じだった。多分、ボクはもう現象の一つになっている。生き物として換算されていない。ボクに、生死の概念は通用しない。
「……っ」
ナイフが床に落ちて、質の良い絨毯にその音が吸われる。代わりに彼は今度こそちゃんとボクを抱き締めてくれた。ぎゅうと力強く、震える腕が優しさをくれる。ほぅ……と息を吐いてボクは蕩けた。君がボクを選んでくれた幸せに溶かされる。
もう何一つ元には戻らないのだと理解して、今更ボクを突き放すことにも意味がないことを、彼はようやく分かってくれた。きっと、今のボクの心臓は君とシンクだ。
「……僕は導師として、貴女を許せません」
『うん』
「アニス達の命を奪ったことも忘れない」
『うん』
「ですが……どうしようもなく、貴女を愛しています」
『うん。ボクも、君を愛してる』
少しだけ体を離して、互いの瞳を見る。もっと穏やかな時間の中で愛を伝えたかったと、痛みのある瞳が伝えていた。でもボクは幸せだ。
世界が滅んで、残ったのはボクとボクの大事なもの。奪われる心配はなくて、君ももうボクを独りには出来ない。後はシンクを元に戻せれば完璧だ。それで望んだ世界が手に入る。少し遅かったけれど、まだ間に合う。
哀しげな瞳に口付けを交わして、愛を渡し合った。甘い、甘い、幸福な毒の味。
(愛をくれてありがとう)
君達が愛してくれたから、ボクも愛することを学べた。今なら君とシンクに全部をあげられる。文字通りの、全部を。
これがボクの、愛の証。
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