Extra
大事に鳥籠に閉じ込めていた、僕だけの鳥が羽ばたいた。その羽ばたきは、このガラクタばかりの箱庭にとっては小さな蝶と変わらず、僕の命の続きなど些事に等しい。
だが蝶の羽ばたきはやがて大きな差異を生む。僕程度の命の違いが、この箱庭を壊しかねない歪みになれる可能性を秘めているのだと、皮肉なことに僕の婚約者が証明して見せたのだから。
彼女は「星の記憶を書き換えた」。終わる筈の僕の命の続きを綴り、未来へ招いた。それは彼女が示した可能性であり、僕の示した可能性でもある。「定められた終わりまでを歩くこの箱庭の中では、僕程度の死に意味などない」。そう思ったからヴァンと計画を始めたのに、彼女が生み出した結果はその真逆を示していた。
「僕の命のためならアリアは星の記憶を書き換える」のだ。何の意味もない筈だった僕の命に、世界を壊す程の可能性が示される。それは何より僕の待ち望んだ可能性だった。僕はこのガラクタの世界を、自らの手で壊してやりたかったのだから。
だが星の記憶を全て書き換える程の力は、アリアにはない。無理をさせる気などないし、負担がないとも思えない。人智を超えた力には相応の対価が必要だ。彼女は僕を延命させるだけでも随分と疲弊していた。なら彼女は使えない。このガラクタの世界を壊すために、唯一の本物を捧げるなんて有り得ない。
それに、僕は星の記憶を書き換えて世界を存続させたいわけではない。ただガラクタはガラクタらしく、壊して並べてやりたいだけ。それならやるべきことは簡単だった。自身の部屋にヴァンを呼びつける。
「レプリカ計画の中止、ですか?」
「ああ。導師のレプリカは要らない。僕は死なないからね」
「は……?」
「世界をレプリカと入れ替える必要もないよ。新しい計画があるんだ。そのために必要なレプリカは、一体だけさ」
今度の計画はもっと簡単だ。必要なのは従順で働き者の便利なペットと、ペットを期待通りに育てるための過程だ。その道化の役をヴァンに任せる。僕は彼女の代わりを用意すればいい。星の記憶に捧げる、彼女の代替品を。
*****
「イオン! 来てくれたんだ」
部屋を訪ねた僕を見て、それは表情を明るくすると僕に駆け寄った。優しく抱き留めてやり、声を掛ける。
「良い子にしていたかい?」
「うん。君が来てくれるって聞いてたから、言いつけを守って沢山実験に協力したよ」
「そう。えらいね」
頭を撫でてやれば心底嬉しそうに眼を細め、それは頬を緩める。亜麻色の髪に湖面のような水色の瞳。僕の婚約者と姿形だけは同じの、紛い物のペットだ。アリアから作り出されたそれは七属性で作られたレプリカであり、理性を保っているのは僕の施した術式のお陰だった。
(メンテナンスの手間はあるけど必要なコストだ)
彼女のレプリカを第七音素だけで作るわけにはいかなかった。これには被験者であるアリアよりも、ずっと大きな変化を生んでもらわなければならないのだから。劣化なんてされては計画に差し障る。
「ねね。時間はどれくらい余裕があるの? 君に聞いて欲しい話がいっぱいあるんだ」
「気が合うね。僕も君に大事な話があって来たんだ」
「なに? なんでも言って。ボクは君のためならなんでもするから」
頬を紅潮させ、僕の言葉を待つ従順なペット。作り出したその日から、ずっとそう育てて来た。僕のために生き、僕のために死ぬように教え込んだ。自身が僕に作られたレプリカであることを至上の喜びとし、僕以外の言葉など決して聞かない。都合の良い、身代わりの鳥。
「君に任せたい役割があってね。そのためにヴァンの下で師団長として働いて欲しい」
「それって六神将ってこと? 分かった」
子細も聞かずにレプリカが頷く。これで六神将が全て揃う。ヴァンが道化として行動を起こすための駒が集まった。それを隠れ蓑に、僕は本当の計画を進めるだけだ。僕のためのペットが翼を持つまで導いてやる。今代の導師として。
「ありがとう。頼んだよ、フェイク」
*****
「イオンが拐われた!?」
直属の上司であるヴァンに呼び出され、恐ろしい話を聞く。マルクト帝国が和平の使者にと導師であるイオンを訪ね、脅して同行させたというのだ。許せない。彼はボクの神様なのに。こんな形で奪うなんて、頭が怒りで沸騰しそうだ。
「お前には導師イオン奪還のために動いてもらう」
「勿論。ボクは何をすればいいの?」
今のボクはローレライ教団の参謀総長であり、第五師団長で「烏兎のフェイク」だ。ちょっと体質が特殊で、一番馴染む第六音素を踊るように扱うからついた呼び名だった。
創造主であるイオンが居ない今、主席総長の命令が絶対だ。彼からレプリカ計画というものを聞き、任された役割を果たす。前にイオンに貰った仮面を手に取り、被験者と同じ顔を覆い隠してダアトを発った。
*****
イオンを拐ったレプリカルーク達と戦う度に、自分の体に巡る力が増していくのを感じていた。それは心地よく、まるで自分が世界の一部になったかのように変質していく。イオンのために振るえる力があることが至福だった。生きることも死ぬことも怖くない。ボクの全部はイオンのために在る。
「おかえり、イオン!」
「ただいま。長く苦労を掛けてしまったね」
「必要なことだもん。しょうがないよ」
ヴァンが倒されて、ようやくイオンはダアトに戻った。六神将はディスト以外が死んだフリで、ボクも例外じゃない。全てはイオンとヴァンの立てたレプリカ計画のためだ。ヴァンが再び動けるようになるまで、ほんの少し待機する。
「ねぇイオン。またアレやってよ。もうずっと君に会えなくて、いっぱい我慢したんだ」
期待をこめてねだれば、彼は「仕方がないな」と承諾してくれる。彼とボクは秘密の部屋に移動して、ボクは衣服を脱いで背を向けた。
そこにあるのは彼が刻んだ沢山の痕。痛みと熱と傷痕が、ボクが彼に贈られたいモノ。生まれてからずっと与えられてきたこの触れ合いがないと、自身が存在している心地がしない。この時間が何より幸せだ。
彼が鞭を振るい、ひゅっと風切り音が耳に届く。体を震わす痛みと歓喜に、ボクは溺れながら熱い吐息を漏らした。
*****
イオンが死んだと伝えられる。突然暗闇に放り出されそうになったボクに、ヴァンは進むべき道を示してくれた。イオンがボクに残してくれた大切な役割だ。最後の役割で、彼がボクだけに出来ると委ねてくれたもの。なら、ボクはそれに応えるだけだ。ヴァンに従い、栄光の大地エルドラントでその時を待つ。
「第二超振動かぁ。凄いね、ボクとおんなじ『化け物』だ」
やってきたレプリカルーク達と対峙する。ボクの神様を利用するだけ利用して、あっさり死なせた救いがたい存在。ボクは今から、彼らと全力でぶつかり合えばいい。被験者から引き継いだ導師の力と、音素に沢山愛されるこの体の全てを使って抗えば良い。そうすれば、ボクにしか出来ない最後の仕上げが待っている。
「こんな戦い無意味だ! お前は師匠に騙されてるんだよ!」
「どっちでもいいよ、そんなこと。ボクが従うのはいつだってボクの意志だ。神様に捧げるボクの意志。神様が望んでくれるなら、ボクはなんだってする」
今までの戦いの中で、ボクの体はどんどんと大量の音素を取り込むようになった。六神将に入る前より、自分がしたいことが分かるようになった。刷り込まれた「イオンのため」は「イオンのためで在りたいボクの意志」に変わった。
自分でも分かる。もうすぐボクは飛べる。翼が生えて、星を覆える程の力に変わる。イオンが残した最後の役割を、果たすことが出来る。
「ありがと。君達のお陰だよ」
「どういう意味ですの?」
「最後に教えてあげる。レプリカ計画は嘘なんだ。建前で、囮で、本当は必要ない」
本当に必要なのはルークじゃない。アリアでもなくボクだった。計画の首謀者もヴァンじゃなくてイオンだし、ボクの主人も総長じゃなくて導師様だ。彼らは見誤った。こんな壮大な計画が偽りで、本物が後ろで動いてるなんて普通は思わない。ボクだってイオンが死ぬまで知らなかったんだから。
「ボクの被験者は、ちょっとだけど星の記憶を書き換えられるんだ。ボクは彼女の代わりに作られたレプリカ。代わりに飛んで、星の記憶に干渉する」
ヴァンの目的は人々の意志が星の記憶から解放されること。イオンの目的はこの箱庭を壊してあげること。だからボクは飛ぶ。ボクの意志で星の記憶に干渉して、世界中の人を書き換えるんだ。
だからレプリカ計画は必要ない。今いるオリジナルが全部フェイクに置き換わるんだから。それがボクが最後に望まれた役割で、彼らの本当の計画。
「やめろぉ!!」
全てを聞いてボクを止めようと彼らが迫る。でもボクの方がずっと早い。音素を大量に取り込み、イオンが残してくれた術式を吹き飛ばした。
イオンがボクにくれた最後の役割を果たしたいのは、紛れもないボクの意志だ。ボクの体は変質して失われる。世界中に散って星の記憶とその欠片を取り込むオリジナルを書き換える。
(ヴァンはバカだなぁ)
星の記憶を消せば人々が自由な意志を手に入れられると思い込んでいた。そんなことはないと、ボクだって気付けたのに。この世界で人が人でいられるのは、星の記憶と接続されているからだ。大本を消したらみんな消えてしまう。そんな簡単なことも分からないで、と笑ってしまう。
(それに比べて、やっぱりイオンは神様だ)
この世界を壊したい彼は、星の記憶を消す意味をよく分かっていたのだろう。ボクには彼がボクに望んだことが分かる。星の記憶を書き換える。
正確には、星の記憶の未来にあたる部分を全部白紙にするのだ。記憶粒子も第七音素も、跡形もなく変質させる。そうしたらこの世界には何も残らない。綺麗に壊れて、消滅する。彼が望んだ通りに。
(───あれ?)
世界を白に染め上げながら、不意に気付いた。書き換えられない存在がある。世界中でたった二つだけ、ボクの力が及ばないオリジナルがいた。
一つはボクと同じ力を持っているから書き換えられないのだと理解する。もう一つはその存在に既に書き換えられていて、守られている。ボクの力を受け付けない。前者はきっとボクの被験者だ。ならもう一人は。
『よかったぁ……神様、生きてたんだ……』
安堵して、ボクは音譜帯に消える。ボクという個が解かれて、第零音素の集合体に呑み込まれた。今後永遠に、白紙になった星の記憶を新たに綴り続ける存在になったのだ。全ての消えたこの世界に、神様とその伴侶だけを残して。
「さぁ、アリア。僕と君で、この『深淵』の神になろう」