Extra
「アリア…………僕の……愛しい……」
声が掠れ、伸ばされていた手が落ちる。ボクを側に望んだ優しい意志が失われる。それが許せなくて、認められなくて、ボクは頭を振った。
嫌だと口にする。どうして、なんでと繰り返す。音素乖離する体に手を伸ばした。君より余程、君を使い捨てる人間の方が要らないから。行かせないと、世界を呪ってナイフを抜いた。
「アリア!!」
「っ」
両の手首を掴まれる。強い力で妨げられて、響律符を砕けない。可能性にすがれない。堪え難い怒りに眼を上げて、ボクを押さえ付ける存在を睨み上げた。鋭い千歳緑の瞳と至近距離で目が合う。
「離してっ……シンク!」
「駄目だ!」
「なんで!!」
噛み付くように叫んだ。早くしないとテセが行ってしまう。音素がプラネットストームに戻ってしまえば、彼というデータが失われる。アレがなくちゃ留められない。まだ間に合う。彼を留めて、世界を壊す。代わりに差し出す。こんな現実、認められない。
そうして暴れるボクを、シンクは全然離してくれない。それどころか抱き締められて、怒りが困惑に圧される。抵抗の弱まったボクの耳元で彼が囁いた。
「そんなのっ……ボクにアンタが要るからだよ……!」
「───ぁ」
体が震えた。耳元から入り込んだ声が、素直な感情を脳へ送り込む。背に回った腕の力が強くて、偽れない。
(ダメ)
回路を塞げない。伝播した感情がボクを焼く。一瞬前までの怒りが、困惑が。ボクを望む苦しさに上書きされる。
(やめて)
違う。今手を伸ばさなきゃいけないのは彼じゃない。失われようとしてるのは彼じゃない。ボクがココにいるのは、この物語に生まれてきて側に在り続けた理由は、きっとこの瞬間のためにだけあったのに。
(テセを救えなきゃ意味がない)
そう思うのに、回路がショートする。接続に失敗して、ボクの中で何かが変わる。ボクを求める声。ボクを望んで、ボクを留める意志。嘘偽りのない感情が声に、体を包む体温にある。ボクの中で大事なモノが書き換えられる。
(ちが、う……)
温かい。優しくて、必死で。失わないように力強く。何よりボクを望んでくれている。ボクだけを選んで、ボクのためだけに愛をくれる。
(…………ぁ)
心臓の音。触れる呼吸。視界がさざめいて、胸の奥に何かが点る。上書きされた感情が認識を塗り替えていく。彼は誰だ? 分からない。分からない。ボクのΜονοуενης。
「……アリア?」
体を離される。顔を覗き込まれて、でもボクはちゃんと話せない。舌が重い。頭がぼうと痺れて、熱があるみたいに判然としない。視界が揺れて暗くなる。呼吸がしたい。君の愛が欲しい。
「し、ん……」
く、と音に出来たか分からない。大量のエラーに処理が落ちる。ボクの意志が霧散する。意識を侵食するノイズの音に、ボクの呪った世界が覆い隠された。それでも不思議と胸には安心があって、ボクの体は力無くその温もりに委ねられた。
*****
目を覚ましたアリアは、不気味な程に落ち着いていた。七番目の死に取り乱すことなく、真っ先にボクへの謝罪と感謝が伝えられる。
「ゴメン、考えなしだった。ありがとう。シンクは怪我とかしてない?」
「……ないよ。案外すぐ大人しくなったしね」
「それはっ……だって」
違和感を覚えながらもからかってやれば、応える声が小さくなる。頬が僅かに血色をよくしていて、視線が彷徨う。見たことのない反応だった。恥じらいなんてものがこいつにもあったのかと少し驚く。
「みんなは?」
「どっかのぐうたらと違って忙しなく飛び回ってるよ」
「意地悪禁止!」
「言われる方が悪い」
やり取りをして、やはり若干の違和感が増す。いつも通りだった。声も表情も言葉の選び方も、普段と違いが無さすぎる。七番目が死ぬ前と何も変わっていないと錯覚する程に。
「シンク?」
じっと顔を眺める。水色の瞳が不思議そうに瞬きを繰り返して、首が僅かに傾く。亜麻色の髪が揺れた。そうして眺めても違和感の正体が見付けられず、見付けられないからこその違和感にボクは距離を詰める。
彼女が身を起こすベッドに片膝を乗り上げ、ヘッドボードに追い詰めた。驚いた顔をして、戸惑いが返る。
「な、なに……?」
「……いや」
何、と答えが用意できるわけでもなく、ボクは頭を振って離れた。無理して見えないことにどんな指摘が出来るだろう。他人の死に何かを思わなければならないわけではない。
だが、少なくとも彼女は響律符を破壊しようとする程には取り乱していた。その片鱗が今は微かにも観測出来ず、それが違和感になって意識をざらつかせている。
「!」
くん、と手を引かれる感覚があって動きを止める。振り返れば、彼女の手が離れようとしていたボクの手を掴んでいた。引き留めてから自分の行為に気が付いたように、パッと指が離される。顔を見れば戸惑いと恐れがあった。違和感がまた、意識に触れる。
「なに?」
「あ……えっと」
躊躇ってから、彼女は腹を据えたようにボクを見た。その瞳にはもう恐れはなく、一瞬あった違和感も鳴りを潜める。考えすぎか。
「……君にボクが要るって、ホント?」
飛び出してきた話に自分でも眉が寄ったのが分かった。出来ることならあまりしたくない話だった。事実だからこそ手に負えない。
誤魔化そうとすれば「大事なことだ」と食い下がられ、諦める。煩わしいが手短に答えてやる。
「事実だよ。アンタがいなくちゃボクは居られない。契約関係にあるんだから、それくらい分かるだろ」
「……そっか。うん、そうだね」
ほっとしたように表情が緩む。ボクの命と時間はアリアのモノだ。使われるために、存在価値を示すために差し出した。それ以外の関わりなど分からない。信用できない。それだけの話だ。そんなことは分かりきっていて、なのに今更確認が要ることにまた違和感が足される。何を不安に思う必要があるというのか。
「これからなんだけど」
アリアがこの先の指針を立てる。元々七番目に乞われてダアトに身を置いていたのだ。ボクのこれからは当たり前に彼女と共有される。
「旅しない? 二人で」
「……ヴァンやお仲間はいいの?」
「うん。世界とか大きいことはもういいよ。君がいてくれればいい」
「………………」
内心で戸惑った。それはおおよそ、今までの関わりからは出てこないような言葉だ。彼女はいつも自分勝手で、その自分勝手に付き合うことを決めたのに、まるで彼女の視界の中心に自分がいる。そう錯覚する程の変化だった。
(錯覚じゃない?)
彼女が目覚めてから積み重なり続ける違和感に、錯覚。それらがもし気のせいではなかったなら。彼女がこの世界に在る何よりも「ボク」にフォーカスを当てているのだとすれば。それが、紛れもない事実なら。
(なんだ、これ)
分からない。何かが沸き上がる。いや、分からないなんて嘘だ。認められないだけで、信じられないだけだ。胸の奥が痛んで、せり上がる感情が喉を塞ぐ。空っぽの器が半端に得ていた潤いが、渇望に喘ぐ。
「シンク」
手を差し伸べられる。求められて招かれる。彼女の一番近い場所へ。分かっている。この変化がボクの思い過ごしでないなら、それは七番目が消えたことと関わりあることだと。
彼女がダアトへ来た経緯からも、その眼がボクだけを映すことをしなかったのは七番目がいたからだ。アレが与えるものは、アリアの中で重要な意味を持っていた。それが失われて、代わりに望まれている。その疑いのままにボクは確認をした。
「ボクは七番目じゃない」
「知ってる。君は君だよ」
「ならなんでボクを選ぶんだ。アンタにとって、ボクはうっかり拾っただけの荷物だろ」
その筈だ。利用価値を示して、それに基づいた距離感を保っていた。生きたくもないのに生かされて、その責任に全てを転嫁していた。言い訳で息をしていた。
そんなことはお互いに承知している筈で、それならやはり今はおかしい。七番目の代わりでもない限り、アリアがボクを選ぶ理由がない。その確信を、彼女は簡単に砕く。
「荷物じゃないよ。シンクだから居て欲しい。ボクの隣は君がいいし、君の隣もボクがいい。誰にも譲りたくない」
「………………」
言葉が生成されない。感情が遅延を起こす。伝えられる望みが急激に大きくなりすぎて、何を違和感として挙げればいいのか分からない。
戸惑うボクに彼女は眼を逸らさない。真っ直ぐに強い意志を伝える瞳に、嘘や迷いは見付けられない。大真面目に、本心から伝えられていると感じてしまう。
「一緒に来て。君だけが欲しい」
欲しい、という。その言葉に自分の中で踏み留まっていた何かが決壊するのを感じる。それはずっと待ち望んでいた言葉だ。「ボク」を見付けて「ボク」だけを望む声。この生を呪った時から延々と抱き続けた飢えに、与えられた答えに「待て」が出来る程、ボクは躾がよくはない。
「……ボクだって、誰でもいいわけじゃない」
「うん」
「アンタだから、望むんだ」
理想的な言葉を並べながら、偽善と呼ぶには利己的過ぎる。憐れみでも同情でもない激情で、地の底まで飛び込んできた頭のおかしい奴。だから望む。「信じて」と自信と共に叩き付けられた固い意志に、ボクは転落したのだから。
差し伸べられた手に触れる。繋ぎ止められる。安堵する。どこかで声がした。───これでもう、独りではない。
*****
戦艦が幾つも海に出て、そろそろエルドラントへ突入する頃なのだと他人事に思考する。ルーク達が上手くやろうがやるまいが関係ない。ヴァンが勝ったならレプリカだらけの世界を生きればいいだけだ。
幸いにもボクも彼もレプリカで、預言から離れた世界の実現とやらと喧嘩をするような存在ではない。ボクは彼さえ生きていてくれれば、世界なんてどうなったところで同じなのだから。
「今日の依頼は終了?」
「ああ。陽が暮れる前に街に戻るよ」
シンクと二人で何でも屋を始めて、世界を旅して歩く。自由で、やりたいことをやれる素敵な環境。ボクを縛るのは彼だけで、彼を縛るのもボクだけだ。どこへ行ったって変わらない。何を見たって変わらない。お互いがいれば十分だ。
「お夕飯何がいい?」
「よく飽きもせず毎日作るね」
「なんか楽しくなっちゃって。飽きた?」
「贅沢なくらいだよ」
どうやら彼はボクの作るご飯を気に入ってくれてはいるようで、遠回しに所望してくれる。そんな程度のことが嬉しい。
実のないいつもの会話をしながら、今の拠点にしている街へ向かっていると、空に一条の閃光がはしる。遠目にそれは音素の塊のように思え、別れる前にルーク達から聞いていた話から大まかの出来事を予想する。きっとローレライをヴァンから解放したのだ。なら、ヴァンが負けたのか。頭の隅で分析をして今後の身の振りを多少考える。
(いつか旅に疲れたら、グランコクマにでも住むかな)
前の旅で報酬として屋敷と市民権を得ている。永住したところで文句は言われないだろう。国につくつもりはないが、今後の世界の変革を考えれば目を回す程仕事は落ちている筈だ。軍と関わりの浅い範囲で大佐に仕事を斡旋してもらってもいいかもしれない。ボクも彼も、雑務から人殺しまでなんでも出来る。
(シンクに関しては結婚しちゃえばとやかく言われない筈)
マルクトに籍を置くボクと籍を同じくするわけで、それはもう「烈風のシンク」ではない。そうなったらファミリーネームを考える必要があるかもしれない。考え始めたらなんだか面白くて頬が緩んだ。
「隣で気持ち悪い顔しないでくれる? ボクの品性が疑われる」
「失礼な。ちょっとした未来予想図を作ってただけだよ」
「未来?」
シンクが眉を寄せて疑問符を浮かべる。その概念を忘れていたみたいな顔で、頭はいいのに相変わらず未来とか希望とかに焦点が合わないのだと思う。ボクの手は取ってくれたのに、成長があるんだかないんだか。
「君とボクの未来だよ。当分は旅をするつもりだけど、どっかに住んでもいいなって。君、ファミリーネームのリクエストとかある?」
「………………」
「シンク? どしたの、お腹痛い?」
「馬鹿にするな。そうじゃなくて……アンタこそ熱でもあるんじゃないの? 自分の発言振り返って見れば」
睨まれながら促されて反芻してみるけど、特におかしなところはない。未来の選択肢の一つで、いつかは必要なことだとも思う。子育て願望とかはないけど、シンクが「お父さん」をやってる姿はちょっと見てみたい。
「『お母さん』は知らないからボクが上手くやれないかもって不安なら分かる」
「なんで更に発想がぶっ飛んでるんだよ! 本当に熱でもあるんじゃないの!?」
なんでかお叱りを受けて腕を引かれる。特に抵抗をしなければ、ボクの額に彼の腕が当てられて簡単に体温を測られた。苦い顔に変わって「平熱だ」と唸られる。まるで熱があった方が良かったみたいで、唐突にボクの不幸を願われても困ってしまう。大体、本当に発熱があれば看病するのはシンクになるのだが。
彼は腕を離して深々と溜め息を吐くと、先を行く形で歩き始めてしまった。慌てて追う。
「なんで怒ってるの?」
「怒ってない」
「嘘だぁ」
「いいから黙って歩け。遅れるようなら置いて行くよ」
「やだよ。置いてかないで」
間髪入れず拒否すれば、頭でも痛いみたいに押さえるのが見えた。熱があるのはシンクの方なのではないだろうか。そう疑って袖を引く。ちらりと視線がこちらを見て、何も言ってくれないけど無視してるわけではないのが分かる。
「頭痛?」
「……ある意味でね。頭の痛い問題に直面してうんざりしてる」
「えぇ?」
さっぱり分からない。とりあえず熱ではないようで安心する。「置いて行かないでやるから黙ってろ」とぞんざいに指示されて、今度こそ黙ってシンクと帰路についた。
*****
夕食も終え、寝る頃になる。二人分の部屋代を払うのは非効率的であるというボクの主張により、基本的にボクとシンクは同じ部屋で休んでいる。
その日の気分とか交代制とかでソファとベッドを使い分けていて、シンクはよく先手を打ってソファを占領するので、少し困っていた。多分、ボクをベッドで休ませるためにわざとやっている。
(よし。今日こそシンクをベッドに……)
などと心の中で気合いを入れていると、手を引かれた。え、と思う内にベッドに引き倒される。千歳緑の瞳が真っ直ぐにボクを見下ろす。不機嫌そうな口元が開かれ、表情に似合いの声音が降ってくる。
「アンタ、本当に想像力も警戒心もないよね」
「え……あるよ。なくちゃ戦えない」
「そういうところだよ。頭の中にもう少し常識ってものを詰めてくれない? ボクはアンタの保護者じゃない」
「そんなの分かってますぅー」
「…………分かってないよ」
息が漏れるみたいに囁きが落ちて、瞳に複雑な色が混ざる。何かと問う前に呼吸が触れて、唇が塞がれる。驚いて、すぐに離れた彼の瞳を凝視した。表情は険しくて、千歳緑に痛みが見える。どうして、と問うより先に彼が言葉を紡ぐ。
「ボクだってこういうことを考えてるってことだよ。アンタの無警戒までは許してやれるけど、煽られるなんて冗談じゃない。これに懲りたら発言には気を付けるんだね」
一方的に言い放ってシンクが身を起こそうとする。それを、ボクは袖を掴んで引き留めた。シンクが顔を顰めて何かを言おうとする。それより先にボクは言葉を投げた。
「考えてるよ。ボクだって、考えてる」
「───」
「ボクは君を選んだんだ。君との未来予想図に嘘なんかない。君が望まないものを押し付けるつもりはないけど、考えるのは自由でしょ?」
「……本気で言ってるのか」
「本気だよ。嘘かどうか、確かめてくれていい」
シンクの瞳が揺れて、迷いと欲求が同時に見える。頬に触れて、吐息の混ざる距離へ誘う。至近距離で見詰める瞳はやっぱり綺麗で、ボクの好きな眼だと思った。躊躇いがちに唇が触れて、受け入れるように目蓋を閉じる。そこから送り込まれる感情に意識を傾けた。
(恋愛感情とかは分からない。でもあの日、君がボクの脳に刻んだ甘やかな苦しみは覚えてる)
ボクを望んだ人が死んだ日。シンクに抱き締められて、耳から入った彼の感情に全てを呑まれた。焼かれて、溶かされて、ボクの回路はおかしくなった。とっくの昔に狂ってる。
体が震えて、脳が痺れて。自分なんてものがなくなる程に満ち足りて、君の愛が欲しいと囁いた。何度だって、君に触れられたい。
「好きだよ、シンク。君がボクに全部をくれるみたいに、ボクも君に全部をあげられる。君だけが、特別だから───」
口付けの合間に囁く。彼が離れられないように花の香りを振り撒く。甘い蜜を覚えさせる。ボクはきっと毒花で、世界も彼もダメにする。それでも咲くことをやめる気はない。やめられない。彼に望まれることが、今のボクの幸福なのだ。
(君がいれば何も要らない)
自分の過去も、生まれてきた理由も、与えられた役割も。世界の是非も、国の在り方も、被験者だとかレプリカだとか。ボクがボクとして持ち合わせていたモノ達は、きっとあの日に全部壊れてしまった。音素になって乖離してしまった少年と一緒に、消えてなくなった。
ここに在るのはただ、たった一人に愛されるために思考を侵す「化け物」だ。ボクがボクでないように、ボクが尊重したかった彼の意志だって、もうどこにもない。互いを愛すように、どこかで書き換わった。今のボクは、彼らが望んでくれた「アリア」じゃない。
(だって、導師イオン)
君に贈った愛称が、一度も思い出せないんだ。