和平の使者


 光の王都バチカルは、キムラスカ王国の首都だ。

 かつて空───譜石帯に浮遊する譜石が落下して出来たクレーターを利用した街であり、その衝撃で高く隆起した大地が自然の城壁となってこの街を護っている。故に底面積よりも縦長に作られた街並みとなっており、この街よりも背の高い大樹は存在しない。

 上層へ行く程身分の高い生活圏が広がっており、ファブレ公爵家や王城は最上層に位置していた。

 立派な港に入り、出迎えを受ける。ボクらを迎えたのは、キムラスカ王国軍の第一師団師団長のゴールドバーグと名乗る男性と、セシル少将という若い女性だった。

 ガイがセシル少将の名を聞いて驚いたようだったけど、知っている名前だったのだろうかと思う。

 一通り名乗り、国王陛下への取り次ぎを願う。その際ルークは屋敷へ戻るように言われるが、取り次ぎを頼まれたのは自分だとして王城まで使者を連れていくと主張する。ルークにしては珍しい責任感の表れで、彼もこの旅で成長した……のだろう、多分。

 ふと、これもしかしてボクも国王陛下に謁見するのではと思考が至る。部外者と判断して野放しにしてくれたりはしないだろうか。権力者に顔を覚えられるのは便利なことだが、ちょっと作法とかに自信がない。師にそんなことを教わる機会はなかった。

「よし、行くぞ」

 軍人二人を体よく追い払い、元の顔ぶれだけで城を目指すことになる。

 まだ少しこの旅が続くのだと思うと、少し嬉しいような気もした。師以外と長く一緒にいたことなんてなかったから、少し気が緩んでいるようだ。ただ仕事上の関係ではあったけど、一緒にいる時間は居心地が良かったと思う。

 港から天空客車に運ばれ街の中心部へと着く。広く高い街の姿には圧倒されるものがあった。ボクは少しの期間バチカルで過ごしていたこともあったし、少々見慣れたものだ。

「ここが……バチカル?」

「なんだよ。初めて見たみたいな反応して」

「仕方ねぇだろ! 覚えてねぇんだ」

「そうか……記憶を失ってから外には出てなかったっけな」

 ルークが七年間軟禁されていたことは既知だが、自分の暮らす街すら知らないと思うと改めて考えさせられる。

 十歳で全ての記憶を失って戻ってきた息子なんて心配だろうし、王女の婚約者───次期国王であることも思えば、大事にしたがるのも分からなくはない。

 それにしても、彼の場合は知らないことが多すぎて将来が不安な側面もあった。この旅で何か得られたならいいと思う。

「すっごい街! 縦長だよぉ」

「チーグルの森の何倍もあるですの」

 アニスが感嘆の声を上げ、ミュウも続く。ティアも物珍しそうにしていて、ルークだけが浮かない顔だ。自分の暮らす街を初めて見るというのも複雑なようだ。

 ふと、街中で神託の盾兵を見付ける。一緒に漆黒の翼の姿も見付け、何やら企みの気配がした。導師を気にする素振りもあって、バチカルに到着した以上もう邪魔をされることはない筈だが、念のため注意はしておきたい。

(導師は一度セフィロトに連れて行かれてる。そっちの用事の可能性もあるからね)

 和平が成るまでボクは導師を助けることが仕事になるので、出来れば何事もないで欲しい。

「……ルーク、浮かない顔ね」

「折角帰って来ても、初めて来た街と変わらないんだもん。ルーク様、可哀想……」

 女性陣は優しいものだ。ボクもまぁ、思うところがない訳でもない。可哀想、なんて誰かを哀れむ感情を抱ける程、ボクは偉くないけれど。

「ルーク。ちょっと街ん中見ていかないか?」

「ああん? なんで今更、んなことしなきゃいけねーんだよ」

「そう言うなって。折角だし旅先と思ってブラつきゃいいじゃねーの。あとちょっと、楽しもうぜ」

 ガイの優しさに、しかしルークはまだ渋るようだった。仕方ないなぁと、手を真っ直ぐに挙げて声を上げる。

「はーい! バチカル見たい」

「お。なんだ、バチカルに興味津々か?」

「うん。やっぱ王都だしね。いきなり城行くなんて勿体無いよ。いきなりメインディッシュみたいな」

「アリア、お腹空いてるの?」

 例え話をしたらアニスに要らぬ心配を掛けてしまった。そんなに可愛いげのない例えをしただろうか。

「いいですね。街を見ることに僕も賛成です」

「まぁ、いいんじゃないでしょうか」

「私も~」

「ええ、良いと思うわ」

 導師の賛同を皮切りに各々が賛成の意思を示す。今だ押せ押せとばかりに、ボクはルークを見た。

「ね。いいでしょ、ルーク。お願い!」

 ボクのお願いにルークは心底面倒臭そうに、仕方なさそうに舌打ちをしてから答える。

「ったく、しょーがねーな」

 答えたその時、ルークの表情が緩んでいることに気付かなかった人間は、一人もいなかったと思う。










*****










「アリアは神託の盾に入ろうとは思わないの?」

 街を観光していれば、アニスに問われる。唐突な疑問だったが答えたくない内容でもなかったので、素直に答えた。

「思わないなぁ。ボク、旅が好きだし」

「でもアリアって第七音譜術士でしょ? 教団の預言士は第七音譜術士だし、きっと重宝されるよ~」

「うーん、そうは言われてもなぁ……」

 特に心躍らない。第七音譜術士として重宝されたとして、その先に何があるのだろう。組織の中で活躍することは面白いだろうか。

「何が不満なの? お金?」

「アニスじゃないんだから。……強いて言うなら、身軽じゃなくなるのが嫌なんだ」

 「組織に所属すればしがらみが増えて、やりたくもないことをやらなきゃならない時もあるし、やりたいことが出来ない時もあるでしょ?」と話を振ると、一瞬アニスの表情に影が落ちたような気がした。それが何を意味するか、ボクには分からない。

 話を続ける。

「上手く言えないけど、そういうのが嫌なの。動きたい時に動けない。窮屈で、可能性を潰される。ボクは今の生活が気に入ってるよ」

「……それって、ただ責任から逃げてるだけじゃないの?」

 思わぬパンチに、驚いてアニスを見る。赤みのある大きな茶の瞳が、少なからず非難の色を浮かべてボクを見上げていた。

「立場とかやるべきこととか。そういうのに応えなくていいように、ズルしてるだけだよ。自由気取ってさ、無責任でいたいだけ。何も背負ってなければ、楽ちんだもんね」

 スラスラと言葉にするアニスは、まるで何でもない一般論を語るかのように平静な顔をしていたけれど、そこに「何か」があることは明らかだった。何もなければ、ここまで絡んできたりはしない。何かがアニスのデリケートな部分に触れたのだろう。

 アニスから感じ取れるものは……不満や、苛立ちだ。

「アニスは、ボクの生き方は認められない?」

「認められないっていうか……」

 そこでようやく口ごもり、目線を下げて暫く迷って見せる。自分の気持ちを言葉にするのに苦しんでいるようにも見えるし、言おうか言うまいか頭を悩ませているようにも見える。

 やがて、ぽつりと言葉にした。

「……ズルいじゃん」

「そう?」

「ズルいよ! やるべきことなんてなんもなくって、やりたいことだけやって! 皆何かがあってここにいるのに……アリアだけ、何にもない」

 何もない。本当にそうだ。

 ルークはファブレ家の子息として、ティアは神託の盾の一人として、ガイはルークの使用人として、大佐はマルクト皇帝の名代として、導師は和平の使者として、アニスはその守護役として。

 皆何かしら立場をもってここにいる。積み重ねてきたものがあって、これからもその上に何かを積んでいく。ボクにはそれがない。ボクは───何にもない。

「確かに、ボクはズルいかもね」

 何もないように生きてきた。誰とも繋がらず、何も持たず。身軽な体で自由な旅人を気取って、そう在ろうとしてきた。

 それに後悔はないし、満足もしている。ズルいと非難されようが、それだけで気持ちが変わるようなこともない。

(……それに、今更だ)

 ボクが何も持たなかったのは、過去がなかったから。どこから来て、どこへ行けばいいのか分からない。

 もしボクが本当にレプリカなら、帰る場所なんてどこにもない。ボクの持ち物なんてどこにもない。それは全て、本来与えられるべきだった本物の代わりでしかないのだから。

 代替品でしかないボクに、「何か」がある筈なんてなかった。

「───と。置いてかれそうだよ、アニス」

 視界の端に「おーい」とボクらを呼ぶガイの姿を認めて、アニスに笑いかける。

 びくり、とアニスの肩が小さく震え、眼が合った彼女は不安とも困惑ともとれる表情をしていた。……怯えとも。

「……アリ、」

「導師を待たせるのは良くないんじゃないかな。導師守護役殿」

「………………」

 彼女の言葉を意図的に遮れば、アニスはそれ以上は何も言わずに彼らの方へと駆けていった。

 アニスは人間で、ボクは人間未満。ルークと導師だって、その立場は自分で選び取ったものではないだろう。

 勿論何の努力もしていないなんて言うつもりはない。それぞれにそれぞれのやり方で、己の立場に応えているのだと思う。でも、

「何にもないよ」

 何にもない。ボク達はよく似た誰かの代わりで、利用されるために生まれてきたのに……そのよく似た誰かには絶対になれない。ボクはボクでしかないし、ルークや導師もそう。それなのに、ボク達にはボク達の持ち物がないんだ。偽物が背負うことを許される本物なんて、一つもない。

 この身は軽く、誰よりズルい。

「国王陛下の前で、ヘマしなきゃいいけど」

 自分の無作法を思いながら、ボクは苦笑いを溢した。










*****










「ただいま大詠師モースが陛下に謁見中です。しばらくお待ち下さい」

 城に入り、謁見の間へ続く階段でキムラスカ兵にそう告げられる。大詠師モースと言えば戦争を起こそうとしている人物で、導師を連れ戻そうとしていた……と思われる人物だ。

「「変なこと吹き込まれる前に入ろう」」

 思ったことを口にすれば、ルークとだだ被りした。びっくりして顔を見合わせ、二人揃ってにやりと笑う。やっぱそうだよね。これが手っ取り早い。無作法も今更かと開き直りも生まれてきた。

「いいのでしょうか。こんな強引に……」

 導師が問うけれど、勿論いいわけがない。いいわけはないけど、ここでの責任は全てルークが被ってくれるだろう。ボクは気軽にこの扉を押し開けるだけだ。それこそ、無責任に。

「ほいさー!」

 ルークと仲良く扉を開けて、謁見の間へと入り込む。ルークの普段を知るガイはともかく、ティアや大佐が何も言わないのは少し意外だった。

 広い空間から聞こえてきたのは、根の暗そうな中年男性の声だ。

「マルクト帝国は首都グランコクマの防衛を強化しております。エンゲーブを補給拠点として、セントビナーまで……」

 国王陛下がどれか、なんて流石のボクでも分かる。ついでに謁見してる人間がどこに立つのかくらいも。一目見て、こちらに背を向けて戦争を煽る言葉を並べている男性が大詠師モースと分かる。

 と、ボクらの乱入に気付いて、大臣らしき人物から叱責が飛んできた。

「無礼者! 誰の許しを得て謁見の間に……」

「うるせぇ! 黙ってろ!」

 怒鳴り返すルークに、わぁお、と感想を抱く。怖いものなしって怖いなぁ。ボクも仕事によってはやるけど、多少は命が惜しい。というか、よくその態度で首が繋がってるね、ルーク。

「その方は……ルークか? シュザンヌの息子の……!」

「そうです、伯父上」

 敬語使えたんだ、と思ったのは内緒だ。

「そうか! 話は聞いている。よくマルクトから無事に戻ってくれた」

 謁見に乱入したのに国王陛下の器が広い。ルークに甘いのかもしれないが、これが為政者の器なのかもしれない。

「すると横にいるのが……」

「ローレライ教団の導師イオンと、マルクト軍のジェイドです」

「ご無沙汰しております、陛下。イオンにございます」

「導師イオン……お、お捜ししておりましたぞ……」

 ルークの紹介に導師が礼をとり、それを見た大詠師が取って付けたように言葉を掛けた。大詠師様も大変だなぁ、がボクの感想だ。

 そこからはまぁ、真面目な話だった。名代として大佐が名乗って、アニスが親書を渡す。ルークが大詠師の言葉をでたらめと批判し、国王陛下も親書が届いた以上無視は出来ないと応えた。和平交渉の最初の段階には立てたようだ。

 使者には城に部屋を用意してあるということで、ボクらはルークの屋敷にお邪魔してから城へ戻ることになりそうだった。

「ティアは残りなさい。例の件、お前から報告を受けねばならぬ」

 大詠師がそう言って、そういえば任務を負っているとティアが話していたことを思い出す。平和のための素晴らしいお役目、ねぇ。

「モース様。私にはルークをお屋敷に送り届ける業務がございます。後程改めてご報告に伺います」

「……よかろう」

 ルークをタタル渓谷に吹き飛ばしてしまったことに関して、ティアはとても責任を感じているように思う。ルークを屋敷に送り届けるという話もティアの方からしたようだし、自分の誤りや他者の心と向き合うことが彼女は出来るようだった。

「それでは陛下。私はこれで失礼します」

 大詠師を指して、丸々と肥えた犬か豚かと聞かれたら返答に迷う。頭一つ分ありそうな帽子を被って、その中年男性は謁見の間から出ていった。

「………………」

「………………?」

 出ていく時にボクを見てほくそ笑んだように見えたけれど……気のせいだと思いたい。何か嫌だ。

 などと下らないことを思っていると、ルークの母である公爵夫人が病で倒れたという話を国王陛下から聞く。心労から、だろうか。ティアの表情をこっそり見やれば、不安とも心配ともつかない色が浮かんでいた。

 国王陛下の名代として、看病に「ナタリア」がルークの屋敷を訪れているらしい。考えるまでもなく、国王陛下の一人娘である姫殿下、ナタリア・ルツ・キムラスカ・ランバルディアその人だろう。お偉いさんはもうお腹一杯だよと思いながら、ボクらはルークの屋敷へと移動した。










*****










 ファブレ公爵邸は身分に見合って大きな屋敷だ。作りや装飾が綺麗だし、厳かな様子には少し息が詰まりそうになる。

 屋敷に入ると同時に、ルークの父親であるファブレ公爵に出迎えられて少しぎょっとする。偉い人は大人しく椅子に座っていて欲しい。

 公爵は、何故かヴァン謡将のことを気にしているようだった。

「ヴァンと共謀していたのではあるまいな?」

「共謀……? 意味が分かりませんが……」

 ルークを巻き込んでしまったことを謝罪したティアに、ファブレ公爵がそんな言葉を掛ける。

 共謀というのは、ヴァン謡将がこの屋敷……国からルークを出したがっている、とファブレ公爵は考えているということか。どんな理由があってそんな疑いが向いているのか分からないが、気にならない話でもない。

 ファブレ公爵は登城し、ルークとティアは倒れたという公爵夫人の見舞いに行く話になる。勿論、ボクがついていっても仕方がないのでパスだ。大佐やアニスも顔を出さないだろうし、適当にその辺で待っていようと決めた矢先、応接間で賑やかな女性に遭遇してしまった。

「ルーク!」

 高らかに彼の名を呼んだのは、輝くようなウェーブがかった琥珀色の髪に、意志の強そうな萌木色の瞳が印象的な女性だ。凛とした佇まいと上品なドレス、優雅な所作から庶民でないことは問うまでもない。というか、容姿くらいは聞いたことがある───ナタリア姫殿下だ。

「げ……」

「まぁなんですの、その態度は! 私がどんなに心配していたか……」

 あっという間にルークとナタリア姫殿下、それから時々ガイという形で会話が形成されてしまう。話の主導権は常にナタリア姫殿下にあり、中々頑固で融通が利かなさそうな人だと思う。

「それにしても、大変ですわね。ヴァン謡将……」

 不意にヴァン謡将の話になる。ルークが眉を上げた。

「師匠がどうかしたのかよ」

「あら、お父様から聞いていらっしゃらないの? 貴方の今回の出奔はヴァン謡将が仕組んだものと疑われているの」

「それで私と共謀だと……」

 疑いが掛かったのは、妹であるティアの襲撃が理由か、それとも初めからヴァン謡将に疑いを向けるような理由があったのか。その部分が気に掛かる。

 ヴァン謡将は関係ないから国王陛下に取りなして欲しいというルークのお願いに、ナタリア姫殿下は頷くと交換条件を出した。何やら、子供の頃にプロポーズの言葉として何かを約束したらしい。

「最初に思い出す言葉があの約束だと、運命的でしょう♡」

 ナタリア姫殿下は夢見がちにそう微笑むけれど、ボクはそれが永遠に叶わないことを知っている。その約束を覚えている本物のルークは、きっと目の前の彼ではない。ただの人違いなのだ。

(……約束も、婚約者も、家族も……全ての居場所をあっという間にとられた本物の気持ちってどんななのかな)

 自分と姿だけが同じな、人間未満の別人に。自分の代わりを務められてしまう人間の気持ちは。

 そもそもルークの本物が生きているのか死んでいるのか、それすらボクは知らない。死んでいるなら彼の居場所はそのままで、生きているならいつか取り返しに来るのかもしれない。

 居場所を奪われた本物は憎んでいるのか、恨んでいるのか、羨んでいるのか。本物の場所を、奪いたくて奪ったわけではないだろうに。ボクも本来なら本物の居場所を与えられていたのだろうか。演じることを強制されるのは、想像するだけでもぞっとする。

 居場所のない自分の在り方と、ルークや導師のような在り方。どちらの方がマシなのだろうか。










*****










 ナタリア姫殿下と別れた後、適当に待っているからと皆とも別れて一人になった。

 公爵邸の庭園は立派なものだ。あちらこちらに季節の花が植えられ、色とりどりに眼を楽しませてくれる。花の香りも高く、丁寧に手入れがされているようだ。花壇に植えるタイプの花ばかりで少し窮屈そうだということだけが残念だった。

 人気のない庭園でのんびりしながらベンチに腰掛け、少しぼうっとする。一人で豪奢な屋敷を眺めていれば、自然と実感が湧いてきた。

「旅も終わりかぁ……」

 成り行きでとんでもないことに巻き込まれたとは思うが、悪くなかった。ルーク達との旅は新鮮で、師以外を知らなかったボクには刺激になったと思う。勿論、六神将に追われるなんて展開もそうそうない。

 導師と親書は国王陛下へ届けたし、もう大詠師派によるトラブルはない。ボクの依頼も無事に終わる訳だ。安心の反面、寂しさが少なからずある。良くも悪くも、皆といることに慣れてしまった側面があった。

(……旅が終わったらダアトに行こう)

 師以外の自分の導。存在しない過去の話。知ったところで意味はないかもしれない。でも、ボクを作った誰かの話や、ボクが作られた理由をシンクは知っているかもしれない。

 ボクの本物のことだって気になる。アリエッタが二年も捜していて、シンクが名を呼んだ人。死んでいるのか、生きているのか。彼らから話が聞ければ、何か分かるだろうか。

「……ふぅ」

 ベンチに背をぐいと預け、青空を見上げる。

 気に掛かることは他にもあった。この旅で覚えた違和感の一つ一つが、未だ解決していないように思う。

 大詠師が戦争を起こしたがる理由も、六神将の行動も、レプリカという謎も。戦争はこの地に生きる民なら他人事ではないし、六神将も単に大詠師に従っただけなのか分からない。少なくともコーラル城での一件は、鮮血のアッシュの頼みだったとアリエッタが口にしている。

 全ての出来事の原因を、大詠師一人に求めていいのだろうか。あの廃城でフォミクリーの資料が見付かり、ルークとの因果関係が示されたことは、全くの偶然だったのか。

 アッシュの頼みで整備士を襲い、ルークと導師を誘き寄せたアリエッタ。そのルークを拐って、フォミクリーの譜業装置にかけたディスト。その情報を消そうとし、アッシュにコーラル城の施設を使わせるべきじゃなかったと言っていたシンク。

 彼らの目的が戦争を起こすことなら、一斉に仕掛けてきても良かった筈だ。なのに、まるで目的がバラバラであるかのように、彼らの行動は一致していない。

 確かなのはコーラル城で得た同位体研究のデータを、彼らはボクらに見られたくなかったということ。ケセドニアに留まらず船上まで追って来たのがいい証拠だ。

 大佐が目を通した限りでは不審な情報という程でもなかったようだが……真意が掴めない。

「なーんか消化不良だなぁ……」

 喉に魚の骨がつかえたようで、感情を吐き出す意味も込めて言葉にして漏らす。勿論独り言で、誰のリアクションも期待していなかった。

 だが、特に意味のないそれに思わぬ反応がある。

「何がですか?」

「わっ!?」

 驚いてもたれ掛かっていた体を起こせば、いつの間にか導師が側へやって来ていた。すっかり油断していたらしい。アニスの姿はなく一人のようで、派手に驚いたボクに導師も目を丸くして、申し訳なさそうにする。

「すみません。驚かせてしまいましたね」

「ゴメン、ちょっと考え込んでて」

「何を考えていたんですか?」

「うーん、色々と……」

 答えつつベンチを詰めて座り直し、隣を導師に空ける。彼はそこに腰を下ろし、ボクの方を見た。

 考え事の中身を知りたそうな視線だと思うが、ボクもどう話していいか分からない。何も起きていない内から心配しているようなもので、大袈裟にしたい訳でもなかった。

 迷っていれば、導師から思わぬ問いを受ける。

「……僕では頼りになりませんか?」

「……へ?」

 唐突さに隣を見れば、思ったより真剣な眼差しに受け止められる。何故そんな風に思ったのかが分からない。

 戸惑うボクに、導師は真っ直ぐな視線を向けたまま問いを重ねる。

「コーラル城から戻って以来、ずっと貴女は何かを悩んでいます。僕では力になれませんか?」

「そういう訳じゃないけど……」

 導師が頼りないとかではなく、当事者だと思っているから相談する選択肢にならないだけだ。貴方をレプリカだと思ってますなんて、流石に言えない。

 上手い言葉が見付からない結果、ボクは抱いた疑問を彼にぶつけた。

「どうして気に掛けてくれるの?」

「え……?」

「今も、フーブラス川でもそう。そんな必要ないと思うんだけど」

 導師が優しい性格なのは、これまでの旅でなんとなく察している。でも必要以上に踏み込んではこない印象だった。

 チーグルの森へ向かった時も、コーラル城へ向かった時も、行動の理由は「導師だから」。個人的な理由で行動に移すところは見た覚えがない。

 でも、今は違う。導師だからボクの事情に踏み込んでいるなんて、そんな論法は通用しない。なら、どうして踏み込もうとするのか。

 その答えを待てば、導師は視線を下げ、困ったように微笑んだ。

「どうして、でしょう。自分でも分かりません」

 そう答えた導師に答えを誤魔化した様子はない。まるで本当に理由が分かっていないようで、自分自身の感情に困惑しているのが伝わってくる。

「ただ……アリアを見ていると、不安を覚えてしまう自分がいるんです。チーグルの森で僕を庇った時も、フーブラス川で振動を止めた時も……貴女は躊躇わなかった」

「躊躇ってたら行動できないよ」

「そうですね。ですが僕は、それが……怖いんだと思います。貴女が、不意にいなくなってしまいそうで」

「いなくなるって……」

「……すみません。意味が分かりませんよね」

 苦笑いをするみたいに導師は眉を下げて、ボクは少し困ってしまう。

 導師自身も分かっていないその感覚を理解することは出来ない。でも導師がボクのことで不安に思っていることは伝わる。それが何となく放っておけなくて……気付けばボクは口を開いていた。

「───ね。導師はさ、なんで導師をやってるの?」

 ボクの突然な問いに彼は不意を突かれた顔をした。余りに脈絡のない話。でもボクはそれを知りたいと思ったし、それを知れば選択出来る気がした。

 ボクも、彼の方へ踏み込む選択を。

「それは……僕が、導師イオンだからでしょうか」

「それじゃあべこべだよ。役割はアイデンティティじゃない。君という個性は、導師である前に君のものだよ」

「個性……ですか?」

「そう。最近ね、思い知ったんだ。どんなに似ていても、同じじゃない。絶望するくらいボクはボクでしかない。誰かの代わりを押し付けられても───決して、なれないんだよ」

 周りを騙せても、自分自身が違うことをよく知っている。ボクはボクだと、何の証拠も必要ないくらいに。

 導師は、ボクの言葉を静かに聞いていた。その眼には真摯にボクに向き合う意思があって、少しくすぐったい。

「例えばチーグルの森に単身で乗り込んだのは君だけだし、アニスの物真似をするのも君だけだ。ボクをこうして気に掛けるのも……ほら、ここにいるのは君だけだよ」

「………………」

「導師イオンは確かに君だけど、導師でなくても君は君だし、イオンでなくても君は君だ」

 「嘘だと思う?」と問えば、彼は眼を閉じてしばらく答えなかった。きっと今、彼はボクの言葉を嘘だと断ずる自分がいるのかを、確かめている。

 そう思って待てば、やがて目蓋がゆっくりと押し上げられ、その千歳緑の瞳がボクを映した。形のいい唇が、「いいえ」とハッキリ告げる。

「いいえ。僕は……貴女の言葉を信じたい」

 その返事に満足して、ボクは頬を緩めた。君がボクを信じるなら、ボクもボクを信じざるを得ない。君に夢を見せるなら、ボクが夢を現実にしないといけない。

 踏み込むことに、意志が持てる。

「ね。ボクと関わりたいと言った君に、友人として贈り物をしたいんだけど」

「友人……」

「あれ? 違うの?」

「い、いえ! 嬉しいです」

 そう少し必死に答えられれば気恥ずかしい。友人関係なんて慣れていない。だからこれが正しい選択かなんて分からないし、ただのエゴだろう。分かっていて、提案する。

「まぁ要らなかったら断ってくれていいんだけど───皆さ、導師イオンとかイオン様とか、そればっかだなって思ってたんだ。イオンって名前で背負ってるものが大事なのは分かるけど、たまには荷物を下ろして休憩しなきゃ」

 前置きに、千歳緑の瞳が不思議そうにボクを見る。何を言いたいのか問われている。つまり、とまとめた。

「つまり、君に愛称を贈りたい。友人らしく」

 ボクの言葉に、目の前の彼は驚いた顔をして。呼吸すら忘れたのではないか、という沈黙がまるで永遠のように、けれど確かに数瞬続いた。

 ボクの提案を、意思を、よく噛み砕くように。やがてゆっくり、一つ瞬きがされて、千歳緑の大きな瞳がボクを見て細まった。まるで眩しさに眼を細めるように───そこに込められた意図を、理解したように。

「ありがとう」

 導師イオンと呼ばれる少年は、花が咲くように穏やかに笑って。

 ノームデーカン・ノーム・1の日───それはND2018の、春が告げられた日だった。










*****










 ルークの屋敷を離れ、城へと移る。

 和平の使者一行に数えられているため、当然ボクの部屋もこちらに用意されていた。別に街の方に泊まりに行ってもよかったのだけど、宿代も浮くし折角の城なので体験しておくことにした。

 友人の愛称は今晩中に考えるとして、適当に部屋でごろごろしていると人が訪ねて来る。城のメイドで、用件はお使いのようだ。聞けば、大詠師がボクをご指名らしい。謁見の間でボクを見ていた眼を思い出して、思わず「うげぇ」と声に漏らす。

 話があるなら自分から部屋に来いと思ったので、その通り返しておく。来ないなら話すことはないし、後のことは知ったことではない。

 そうして暫く待てば、ノックの音が部屋へ響いた。

「はーい」

 のんびり返事をすれば、先程のメイドが大詠師を連れて戻って来ていた。なんと、あの怠慢ボディはボクの部屋まで歩くことが出来たらしい。

 大詠師を残し、メイドが退室する。改めてみれば歩きづらい法衣を身に纏っているし、白は膨張色だからその体型にはおすすめしない。失礼だから言わないけど。

 出方を窺えば、大詠師は口角を上げ、笑みの形のそれからくぐもった笑いを溢した。

「まさか生きていたとはな」

「──────、」

 どういうことかと尋ねたりはしない。城でボクを見て笑った時から、予想はしていたから。

 ボクに大詠師との面識はない。でもあの時の反応はボクを知っている人間の反応だ。そしてそういう例を、ボクは既に二度見ている。

(……大詠師はボクの生まれか、ボクの本物を知ってる)

 自分がレプリカであることを不用意に触れ回るつもりはない。気付かれないよう、それらしく振る舞うことにする。

「……お久し振りです」

「ふん。二年もどこをほっつき歩いていたのだ。己の役目を忘れたか、愚か者め」

「申し訳ありません」

 高圧的な態度に、これはどちらの反応だろうと思う。ボクがレプリカだと気付いていて道具として扱っているのか、そもそも本物にも同じように関わっていたのか。後者だとすれば、本物の居場所も居心地が悪そうだと思ってしまう。

 殊勝な態度を取るボクに眉を寄せて、それから息を吐く。

「まぁいい。二年も好きに過ごせば十分だろう。ダアトへ戻って来なさい」

「それは……」

「お前に拒否権はない。明日にはバチカルを発つ。準備しておくように」

 一方的に言うだけ言って、大詠師は部屋を出て行ってしまう。それを言うためだけにわざわざ訪ねて来たようで、その態度に嫌悪感が湧く。

(二年も行方不明だった人間に、言うことはそれだけなんだ)

 心配をするだとか、事情を聞くだとか色々選択肢はある筈だ。だが大詠師がしたことは叱責と一方的な命令。少なくとも、良い関係を築いていたとは言い難い。

 ベッドに転がり直し、考える。

 大詠師の知る「アリア」がどちらであるかは分からなかった。でも、多分本物の方だろう。大詠師の反応は初めて話すレプリカに対するものよりも、悪い意味で慣れていた。まるでずっとそう扱っていたかのように。

「…………はぁ」

 息を吐く。呆れてしまう。レプリカであろうと、本物であろうと、道具として扱われるなら変わりない。作り物の命かなんて、些細なことに思えてしまう。

(とりあえず……大詠師の所には戻りたくない)

 戻る、というのが正しい表現かは分からないがそう思う。

 役目というのが何なのかは気になるが、好奇心のために人生を捧げるつもりはない。それが例え、本来はボクが代わりに与えられるものだったとしても、面倒は御免だ。大詠師に付き従うなんて生理的に無理。

 過去を知るならシンクに聞けばいい。教えてくれるとも限らないが、コーラル城でヒントをくれた以上期待していい筈だ。彼にその気がないのなら、初めから情報は秘されていたと思う。

(明日、どうしようかな……)

 ダアトヘ戻るという選択肢はない。だが何の口実もなく大詠師の手から逃れられるだろうか。大佐からの依頼は親書への回答を貰った時点で終わりになってしまうだろうし、上手い口実が見当たらない。

「……よし」

 最悪、今回の旅の見返りとして適当な依頼を出してもらって逃げよう。もしくは早速導師に助けを求めてみてもいいかもしれない。友人が困っていれば助けてくれる筈だと楽観的に考えて、その晩は休むことにする。










 翌日、謁見の間に呼び出され「和平の証としてマルクト領土にある、鉱山の街アクゼリュスの救援に向かって欲しい」と伝えられる。

 親善大使としてルークの存在がユリアの預言に詠まれているらしく、救援を依頼するマルクト側の人間として大佐が、大詠師の命によってティアが、ファブレ公爵の意向によってルークのお守りとしてガイが同行することになる。

 そして有難いことに、ボクも国王陛下から直々に「親善大使一行」の一人として数えられ、同行することになった。お陰で大詠師も口を挟めない様子で、棚からぼたもち。これ幸いと、何事もなかったようにアクゼリュスへ向かうことにした。







 旅はまだ、もう少し続くらしい。
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