栄光と永劫


 仲間が、自分達の居るべき場所へ戻った後の話をしよう。キムラスカ、マルクト、ダアトは協力してレプリカ難民を受け入れた。それに伴ってレプリカという存在を民衆に理解させようと動いたし、これはきっとテセがかつて望んだことと一致しているように思う。

 預言の破棄についても三国同盟の下足並みを揃えた。民衆の納得は遠いが、暴動などは起きなくなったし各国落ち着きを取り戻しつつある。

 預言を詠まない教団の価値というのは、民衆の不安や悩みに寄り添うことで示した。以前テセと話した「国境のない救援」だ。両国と相談し、各街の修道院に施設を併設する。アドリビトムと名付けたそれは、導を失った民衆の暮らしを助けるものだ。信仰は神の声に傾倒するためにあるのではなく、信じる民の心を掬い上げるためにある。

 修道院には元預言士を、アドリビトムには元神託の盾兵を数名、駐在させる。組織改革に伴い彼らの呼び名は改められた。預言士は祈言士と、神託の盾は守護士と変化した。神託の盾騎士団は聖守護騎士団と呼ばれるようになる。

 教団の名前も変えることが決まっていて、今のボクらはローレライを信仰していない。勿論今まで人々が受けた恩恵をおざなりにするつもりはないし、始祖ユリアの存在も強大だ。それでもローレライ教団のままでは預言を盲信する頃から変われない。人々の意識を変えるには、まず形からだ。

 教団の名を変え、在り方を変える。そんな大きな革命に一番戸惑いを示したのはダアトの民だろう。それでも大きな反発がないのは、不本意なことにボクの存在が大きく影響していた。ボクが始祖ユリアの生まれ変わりだという噂話が、知らないところで広まったのだ。

 始祖ユリアは預言による人類の繁栄を望んだ。だが、世界は預言を外れ新たな未来を歩み始めた───その民を導くための「新たなユリア」。それが今のボクだった。ヴァンが口にした「ユリアの再来」という言葉が、皮肉なことに現実になろうとしている。

 ボクを導師に、と望む声は少なくない。民も詠師会も肯定的だ。でもボクは未だに導師代理で、中途半端に教団のシンボルになっている。「神託の御子」なんて呼び名もあるそうで、迂闊に街にも出られなかった。

 イオンと被験者のアリアは、その知恵と手腕でボクを助けてくれている。二人とも圧倒的にボクより賢いので、いないとわりと先行きが不安だ。二人としては旅に出たい心はあるらしいのだけど、教団に籍を置いていた身として放っておけないらしい。アリエッタを含む三人とも幽霊のようなもので、存在を知るのは詠師以上だ。

 アニスには導師守護役の運用を任せた。守護役の役目は元々教会の管理と防備だ。導師がいないとはいえ役割が大きく変わることはない。補佐官のいない導師代理の手伝いをするのが仕事とも言える。フローリアンは彼女の手伝いをしていて、賢い子なので物覚えがよく機転が利いた。今に優秀な人材になりそうだった。

 シンクは統括総長の仕事と詠師の役割をこなして忙しくしている。導師代理の護衛役、というのも返上してくれなくて、守護役に役目を譲るつもりはないらしい。他の詠師や師団長とも協力して、ボクの手が回らない部分をフォローしてくれていた。

 これは、そうして時間が過ぎた未来───ND2019・ウンディーネデーカンの話。









*****









「アリア! 頼まれてた資料、持ってきたよ」

 よいしょよいしょ、と扉を押し開けながらボクの執務室に入ってきたのはフローリアンだ。両手が塞がっていて、それでも腕を上手く使って扉の開け閉めを成功させる。

「ありがとー、フローリアン。重かったよね」

「大丈夫!」

 答える顔はどやぁと効果音が付きそうで、実際フローリアンは体が弱かったりはしない。力も年頃の少年程度にはついているようだった。テセもあれで案外非力というわけではなかったしなぁ。

 部屋を見回したフローリアンが不思議そうに問う。

「あれ? アリア一人?」

「うん。シンクはお師様のとこ」

 今度シェリダンの修道院へ視察に師が出るので、その間のことについて話し合っているのだと思われる。師と話すのは嫌そうだったけれど、なんでかシンクは師に気に入られているようなので逃れ得ぬという感じだ。フローリアンの表情がパッと明るくなる。

「じゃあアリア、遊んでくれる?」

「んー」

 フローリアンが運んできた資料の山を見る。机の上に積まれた書類を見る。今処理している用紙を見る。三日以内には承認したい書類が半分くらいあった気がした。でもまぁ、いいか。

「よーし、フローリアン。遊ぼ……」

「駄目ですー! 導師代理様にはお仕事をして貰います!」

 けたたましく割り込んだのはアニスだ。遅れてついてきていたらしい。眉がつり上がっている。

「アニス、ナタリアみたいな顔してるよ」

「え!? やだ、アニスちゃん老けちゃった?」

 慌てて顔の皺を伸ばし始めるアニス。言いたいことは分かるけど、仲間の顔でそれが第一声になるのは問題ではないだろうか。わざわざ言わないけど。

「アニス! なんでここにいるの?」

「フローリアンが一緒に持って行ってってお願いした報告書、置いてったからでしょ~」

「あ……ごめん、アニス」

「いいよ。アニスちゃんは天使のように心が広いのです♪」

 なんてやり取りを眺める。フローリアンはフローリアンで、テセと重ねて見ることは基本的にない。服装も当然導師の法衣ではないし、今は髪型も変わっている。それでも、こうしてアニスと話しているところを見るとテセを思い出してはしまう。明るく振る舞うアニスは、日々彼に何を思っているだろうか。自分が死なせた、守るべきだった人と同じ顔が親しげにすることを、どう思っているだろう。

「とにかく、アリアは遊んじゃ駄目!」

「えー。ボクまだ導師代理であって導師じゃないし、もうちょっと自由があってもよくない?」

「毎日お昼寝してるじゃん」

「アレは必要な時間だから」

「子供か」

 最近はアニスにまで呆れられてツッコミを貰うようになったので、どんどんと立つ瀬がなくなってきているような気がする。手放しでボクを尊敬してくれているのはフローリアンくらいだ。

「お昼寝好き!」

「ほらぁ。アリアがお昼寝ばっかするから、フローリアンもお昼寝覚えちゃったんだよ?」

「成長するからいいんじゃない?」

「……それはそれで複雑」

 分かる、と心の中で同意する。イオンやそのレプリカ達が少年から青年になったらどんな風になるのか、今はまだ想像がつかない。身長とか追い抜かれるんだろうなぁ。

「と、いうわけで。報告書をどうぞ~🖤」

「……またお仕事が増えた」

 肩を落とすボクに構わず、アニスはフローリアンの手を取る。帰るつもりらしい。

「行くよ、フローリアン」

「え……でも、まだアリアと遊んでないよ」

「アリアとはまた今度遊ぶの!」

 無情にもぐいぐいと引っ張られ、フローリアンが連れて行かれる。名残惜しそうにしながらも手が振られ、諦めの境地と共に手を振り返して見送った。パタンと閉じられた扉を暫く見つめ、机へ戻る。ペンを手にとって───置いた。

(無理。疲れた。休憩!)

 席を立ち、軽やかに扉へ向かう。ふと窓から差し込む光に連れられて空を見た。快晴だ。気温も丁度よくて、光合成に最適だ。こんな日に執務室に閉じ籠るなんて冗談じゃない。ちょっと教会の中を巡って歩こう。ボクの今日の息抜きはそれだ。ドアノブを掴んだ。

 どうぞ、お散歩しよう。









*****









 適当に教会の中を歩いていれば、通りすがりに礼を払われることは少なくない。仮にも導師代理だからだけど、ただの代理なのになぁと思わなくもない。

(導師代理ねぇ……)

 心の中で繰り返す。いつまで代理を名乗るのかという声はある。今の教団の方向性を決めているのはボクだし、代表として動いているのも当然ボクだ。休職中の導師がいるわけでもない。

(イオンは『自分は亡霊ですから』ってやる気無さそうだったし、アリアも『向いてないから』って断るし)

 一度は導師になると言い出した身だ。人任せにするのもよくないと思う。でも補佐役くらいが性に合っていたし、「始祖ユリアの生まれ変わり」なんて持ち上げられる身で正式に導師の座に就くことに不安はあった。シンクもいい顔をしない。

 それに理由は他にもあった。どうしてもこの立場を預かっている意識が抜けないのだ。導師を名乗る気が起きない。それは、ボクの物ではないと感じている自分がいる。

(……テセ)

 君の死が、まだ認められていない。もう半年が経ったのに納得がない。

 アニスはどんな気持ちなのだろう、なんて疑問に思えた立場ではない。ボクの気持ちなんて、ずっと迷い子のようなのだから。ボクはシンクを繋いだ。いなくなって欲しくないと手を伸ばした。でも、ボクを繋いだのはテセだから。

(ボクに居場所をくれたのは、テセだから)

 君がいないボクの日々はどこか落ち着かず、ふわふわと浮いた風船のように不安定に揺れる。不意の刺激で手元から離れて、高い空へと昇っていってしまいそうな。気付けば君がそこで微笑んでいる気がする。どこまでも、夢心地だ。

(……君のいない景色は、慣れないなぁ)

 ぼんやり考えながら歩いていれば、いつの間にか覚えのある道にいた。守護士の訓練場近くだ。第一師団長である師が面倒を見ていることが多く、いるかもしれない。折角なので会っていこうかと姿を探せば、案外簡単に見付かった。訓練場を眺めながら隅でキセルをふかせている。一人だ。

「サボってる人がいる」

「バカ言え。ちゃあんと自分の仕事場にいるだろーが」

 仕事場にいるからって何もしていなければサボりと同じなのだけど。その理屈だと執務室にいるだけでボクは仕事をしていることになってしまう。それはそれで楽なので採用しようか。

「なんだァ? シン坊はいねーぞ」

「捜してません。散歩中」

「ほーん。まァなんだ、迷子は程々にしとけよォ」

 直前までそれらしいことを考えていたので、それが単純な迷子の話なのか、心理的な話なのか迷って返答に詰まる。師はびっくりするくらいボクのことを見ているし、よく知っている。黙ったボクに、師は構わない。

「しっかし、オメーもとんでもねぇこと考えたなァ。自分の生業を教団全体に拡大しちまうとは」

「お師様に育てられたお陰だね」

「無茶苦茶するところはオレに似たなァ」

 笑って応えられ、ボクも否定しない。型破りなところがそっくりだとシンクに言われたこともあって、師に似たところは認めている。それを嫌だとも思わない。

「教団の名前は決まったのかァ?」

「概ねね。アセリスィアなんてどうかなって」

「古代イスパニア語で『真なる意志』か」

「今のボクらの導は預言じゃない。預言が滅びを示すなら、そこから外れるための人の意志が道標だよ」

「カカッ! いっちょ前に垂れやがって。『始祖ユリアの生まれ変わり』に言われちゃあ民衆もアツくなりそーだ」

 その温度感を不安に思うところもあるのだが、避けられないだろう。精々こちらに都合よく民衆を惑わすことが出来ればいい。今ボクが作ろうとしている未来はテセの見ようとした未来ならいいと、こっそり思う。

 訓練中の部下に師が呼ばれる。これ以上は邪魔になりそうだ。

「じゃ、お仕事頑張ってね」

「そーいうのは可愛い嫁さんに言って欲しいなァ」

「贅沢言うなら妻帯者になりなさい」

 独身を貫きかけているのが、ボクの面倒を見てきたからなのか、本人の性分なのかは分からない。どちらでもそこまでの関心はない。ただ師が結婚したらめちゃめちゃ面白いし、きっと尻に敷かれるので見てみたさはある。ボクへの仕打ちを考えるに、子供は苛められて育ちそうだけど。

(ボクもいつか結婚とかするのかなぁ)

 師の元を離れて散歩に戻りながら考える。想像がつかない。そもそも、異性にそういうことを望んで隣で笑ってる姿が見えてこない。いや、同性の可能性もあるんだけど。

 大体、その時シンクはどうするのだろう。ボクと彼は運命共同体みたいなものだし、今更お互い手離す気もなさそうだ。この関わりに誰かが立ち入るなんて、それこそ今更に思える。

「こんにちは、リア」

「わ」

 急に声を掛けられて驚いてそちらを見れば、穏やかな千歳緑の瞳とぶつかる。一瞬、人生初めての友人を思い出しかけて振り払った。彼はイオンだ。

 こちらもまた服装を変えたものの、纏う雰囲気が一番テセに似ていて、こうして思い出しかけることがある。「リア」という呼び名はイオンとボクの被験者だけが使うもので、被験者のアリアとの呼び分けだった。

「お一人ですか?」

「うん。適当に散歩してるだけだから」

 答えれば、イオンは少しばかり微笑みを深める。

「散歩と言えど、一人で行動していれば心配をかけますよ」

「誰に?」

「シンクです。彼は貴女の護衛役ですから」

「護衛って……教会の中でいきなり襲われたりはしないと思うけど」

 大体、自分で戦えるし。そう付け加えるけど、イオンは微笑みを崩さないで続ける。

「それだけの問題でもありませんよ」

「と、言うと?」

「彼は護衛と関係なくとも貴女の心配をしている、ということです。……いえ、正確には貴女を誰かに奪われてしまうことを恐れている」

 イオンの表現に眉を寄せる。なんだか大袈裟だし、まるで自分のことを語るように確信のある響きだった。確かにボクとシンクの関わりは特殊なものだけど、互いを自分の持ち物のようには考えていない筈だ。互いに望んで側にいるだけ。

 信じていないのが伝わったのか、イオンは微笑んだまま一言だけ付け加えた。

「僕らにとって『アリア』は特別なんですよ」

「……どういう意味?」

 問いに、彼は変わらぬ微笑みで応えただけだ。この辺りがテセとの違いだ。イオンはズルいところがある。それは被験者のアリアとも共通見解で、こうなれば彼は何も語らない。

 諦めて散歩の続きに戻ろうかと思った時、イオンが「おや」と表情を変えた。視線の先を追えば、もう一人のアリアがこちらへ向かってきていた。近くまで来れば、彼女は花のように微笑んで挨拶を交わす。

「こんにちは」

「やぁ」

「少しイオンを借りてもいいかしら」

「いや、寧ろ返すよ。ごめんね、借りて」

 なんて会話をする。少し肩の荷が下りた。やはり、というか、イオンにはどことなく距離を感じる。物腰は柔らかだけど、という感覚だ。こうして被験者といてくれると安心感が数段違う。いつもセットで行動していて欲しいくらいだ。

「何か用ですか?」

「ええ。でも、それは後で」

 そう言うと被験者はボクを見て頬を緩ませる。「折角妹と会えたのだから」と、話を聞きたそうだ。よく分からないがこの姉はボクを猫可愛がりしていて、多分世界が敵に回ってもボクの味方をやめないだろう。なんでそんなに可愛がってくれるのかは分からないけど、害はないので放置している。

「元気だった?」

「昨日も会ったよ」

「そうね。でも一日の間にトラブルに見舞われることもあるもの」

「元気元気。お仕事に飽きて散歩に出てる程度」

「そう。なら心配は要らないわね」

 この姉、引き際を心得ていてしつこさのないところが優良物件だ。邪険にしようと思えない点でもある。人懐っこい人、なのかもしれない。

「シンクとはどう?」

「ボクの部屋に居すぎだと思う」

「良好そうで何よりだわ」

 おかしい。文句を言った筈なんだけど。コミュニケーションの失敗に、しかし被験者は気付かなかったようで話が次へと移る。

「術式の方は?」

「違和感なし。快適だよ」

 良かった、と彼女は安堵する。ボクに今かけられている術式はイオンがかけたものだ。度々術式に歪みが生じていないか確認して貰っている。

 因みに、以前までのものはボクを「封じて」いたので鍵が存在したが、今のものは音素の循環を操作しているだけなので鍵がない。つまり何かと言えば、術式に響律符は組み込まれておらず、限定解除などは出来ない。限定的に解除せずとも、常に同じだけのポテンシャルを発揮できることになっている。

 ただし、鍵がない分セキュリティは下がっているし、無茶をすれば以前のように術式が歪み焼き切れてしまう。暴走のリスクそのものは上がったと言っていいだろう。

「そういえば、アレはどうなったの?」

「アレ?」

「ほら、あの……響律符に使っていた結晶よ」

 被験者の言葉に思い至って、ポケットから半透明の涙型の結晶を取り出す。テセの遺した物。以前はボクの術式のために響律符に埋め込まれていたが、今は役目を終えて取り外されている。何か装飾品にしようかと思っていたが、まだそのままだ。彼女はしげしげとそれを眺めた。

「相変わらず、何か分からないわね」

「うん。音素結晶とは違うんだよねぇ……」

 ぼやくボクの手から被験者が取り上げる。ずっと響律符に埋め込まれていたし、彼女がこうして手に取るのは初めてな気がする。彼女は陽の光に結晶を透かして眺める。そして、不意に首を傾げた。どうしたのかと問えば、思わぬことを口にする。

「アイオンの力が流れてる……?」

「え」

 驚いて彼女の顔と結晶を交互に見てしまう。アイオンの力───少なくとも彼女の力はこの星の外から持ち込まれたものであり、音素ではないらしい。となれば、この結晶は音素でなくて当たり前かもしれない。

 以前、アイオンならこの結晶が何か分かるかもしれないと思ったことはあるものの、まさか本当にその可能性があるとは思っていなかった。テセを構成していた第七音素から作られた結晶……それが何なのか、何を遺されたのか。知ることが出来るかもしれない。

「アリア」

 一つお願いをしようと彼女の名を呼べば、彼女は真面目な顔で頷いた。言わなくとも分かってくれたらしい。「ここでは人目につくから」と彼女が言って、三人で彼女の部屋へと移動する。

 相変わらず整頓された生活感のない部屋なのだけど、以前と違うのは仕舞い込まれていた彼女の私物が飾られていることだろう。話によれば、これは昔イオンがくれた物らしい。その中で彼女は、指先をナイフで傷付けると血で譜陣のようなものを描く。

「アイオン」

 呼び掛ければ、血液で描かれた陣が赤く輝いた。やがて中空に子供が現れる。長い髪も肌も白く、纏う衣装も白いドレスのようだ。ただ一つ、両の眼だけが朱い。その双眸がボクらを見下ろす。

『なぁに? 私のアリア達』

 そう問う彼女は起き抜けという感じで、小さい体で思い切り伸びをする。ボクが最後に会ったのは蘇生してもらった後なので、かなり久しぶりだ。確かボクと被験者を助けるために力を使いすぎて、取り戻すために暫く寝ると言っていたか。

「力は戻った?」

『まだかしら。次、死にかけたら助けてあげられないかもしれないのよ』

「次がないように気を付けるよ」

 そもそも、ボクらが死ぬような目に遭いやすいのはアイオンに気に入られているから、みたいな話だったと思うのだが。まぁ、所詮は自業自得なので責任転嫁をするつもりはない。そんなことより、と被験者が結晶を掲げて問う。

「アイオン。これが何か分かる?」

『んー』

 彼女は近寄ると、それをじっと眺めた。それから被験者の時と同じく、不思議そうな顔をする。

『私の力を感じるのよ』

「そうなの。だから貴女なら、これが何か分かるのかもしれないと思って」

 ボクと被験者は期待する。可愛らしい顔を真剣に見詰めた。果たして、返ってきた答えは。

『……分からないのよ。コレ、純粋な私の力ではないかしら』

「どういうこと?」

『音素が混ざってるのよ』

 この星の外の力をボクらがよく知らないように、アイオンはこの星の力をよく分からないらしい。音素の操作などは出来ないのだ。そのため、自身の力と音素が混ざり合っているこの結晶に干渉することは難しいそうだ。

「……なるほど。確か、その結晶は音素暴走を起こした際に貴女が作り出した物でしたね」

 イオンの確認に頷けば、彼は一つの可能性を提示する。それは思いもよらない話で、思い付いても簡単には実行し難いものだった。何故なら世界が滅ぶか、ボクが滅ぶかの話に及びかねないのだから。

「音素暴走を起こした状態なら、その結晶に干渉できるかもしれません」

 それは迷い子のようなボクに、導となる言葉だった。










*****








 仕事を終え、ソファに座ってぼうと天井を見上げていた。考えたい事柄があるのに、考える前から結論が決まっていて思考が動き出さない。その状態をずっと続けていた。

(暴走状態のボクなら、か……)

 考えたいのはその話で、分かっている結論とは許可されないということだ。たかが一つの正体不明な結晶のために、音素暴走を起こすわけにはいかない。前回、仲間や世界を壊しかけたのだ。今のボクに世界を壊す意志はないけれど、同じ結果になるかもしれない。

 大体、今は単純な術式一つで人間の形を保っているのだ。これを解けば元に戻れる保証などない。結論は否だ。それでも。

(……知りたい)

 正当な理由なんて何もない。ただ知りたい。ボクの手元に残り続けるこの結晶が何なのか。彼がボクに遺してくれたものが何なのか。知らないままでいたくない。その欲求が尽きない。だから困っていたし、思考が動き出さないでいた。考える前から意志も決まっているから。

 扉が開いて閉じる音がする。誰が入ってきたかは顔を見るまでもない。シンクだ。

「天井見上げて何してるの? 阿呆にでもなった?」

「お仕事終わって休憩中」

 嗤って掛けられた言葉に、殆ど何も考えずに言い返した。視線を天井から下ろせば、彼が向かいのソファに腰を落ち着ける様子が確認できた。その顔には相変わらず仮面がある。

 フローリアンやイオンの存在から、詠師以上はシンクの正体も知っている。それでも顔を隠すのは彼自身が同じ顔を嫌っているからで、他の団員にあれこれ噂されるのが面倒だからだ。

 シンクは一日の終わりには顔を見せる。こうしてボクと二人の時は仮面を外してくれるので、特に不満はない。仮面の下から見慣れた千歳緑の瞳が現れた。

「今日はどんな一日でしたか」

「護衛対象が消える日」

「ごめんってば」

 イオン達と別れた後、散歩の続きに戻ってふらふらとしている時にシンクに発見された。仕事を幾つか片付けてボクの執務室に戻れば、部屋の主がおらず捜させたらしかった。心配性だと思う。

(奪われることを恐れてる、か)

 イオンが確信を持って口にした言葉が蘇る。そんな大袈裟な感情が、本当にシンクにあるのだろうか。「僕らにとって『アリア』は特別」───あの言葉は、どういう意味だったのだろう。

「ね、シンク。ちょっと相談があるんだけど」

「聞きたくない」

「なんで」

「どうせロクでもないことだろ」

 確かに運命共同体の彼からすればロクでもない話だろう。なんで分かるのかと思いつつ、無視して相談事を開始した。結晶を取り出す。

「コレなんだけど」

 ちらり、と彼は視線を投げた。一瞬視界に収めたのではという早さであっさり視線を逸らすと「それで?」と続きを促される。

「何か調べる方法が見付かったかもしれない」

「かもしれない? どういう意味さ」

「やってみなきゃ分からないってこと」

 ボクの説明がよく飲み込めないらしく、眉を潜められる。ここからが本番だし、ここからが問題だ。却下されるだろうし、何なら怒られるだろうなと思いながらそれを口にする。

「コレを作ったのは暴走状態のボクだからさ。同じ状態なら、干渉出来るかもって」

「……イオンか?」

 急に声が剣呑として、空気がぴりつく。想定と違うところで怒りを買ったらしい。

 シンクはイオンを嫌っていて、テセと違って存在を認めるのも嫌らしい。それでも同じ教会の中で大人しくしているのは、彼がボクの術式を維持してるから。イオンに何事かあればボクは芋づる式に人でなくなる。

 頷けば心の底から不愉快そうに顔が顰められる。危険人物として排除出来ないことがストレスになっていそうだ。

「……余計なことを。まさか、やる気じゃないだろうな」

「迷ってる」

「迷うな。音素暴走を起こせば戻る方法はないって死霊使いも言ってただろ。人間をやめたくなったワケ?」

「方法があるんだ」

 人間に戻れる保証はない───でも、可能性はあるとイオンは言った。取り込んだ音素を取り出して術式を戻せば或いはと。ボクはその可能性に賭けたい。

 そう伝えればシンクの眼は険しくなる。やっぱり肯定なんてされない。可能性があるとは言っても確実ではなくて、術式を解いたボクが正しく結晶にアクセス出来るかも分からない。無謀には変わりなかった。

「そこまでして、それが何か知りたいの?」

「知りたい」

 即答だ。どうしても気になる。リスクを負ってでも知りたい。それだけの価値を感じる。ボクにとって、この結晶はどうでもいいものではない。それはやはりテセの死が受け入れられていないからか。過去になっていないから、忘れられない。

 シンクの瞳に「痛み」が映る。ボクがテセの影を追うから彼を傷付ける。どうしてそうなるのかは分からないけど、そういう関係なのは分かってた。

 強い口調で釘を刺される。

「許さないよ」

「シンク……」

「許さない。なんでそう簡単に自分のことを後回しに出来るんだ。生きたいんじゃなかったの。人のままでいたいんだろ」

「……それはそうだけど」

「なら迷う余地なんかない。それを渡しな。粉々にしてやるよ」

 そう言えば彼は手を伸ばして、ボクの手から結晶を奪おうとする。それに、ボクは結晶を握り込んで拒否を示した。渡さないし壊させない。シンクは尚も言い募る。

「渡せ」

「やだ」

 強情さをこめて拒否を伝える。受ける彼も頑なな意志があって、平行線だ。彼がダメだと言う理由も分かる。ボクがそうしたい理由も。どちらにも正しさなんてなくて、結局どちらを選ぶかだ。そしてその選択権がボクにあることを、シンクも分かっている。

 彼はやがて表情を歪めると、ソファを立った。ボクの側へやって来て結晶を握る手の手首を掴むと、ソファの上で追い詰める。近い距離から責める瞳が向けられた。

「……僕にいて欲しいんじゃなかったの。手離さないって言ったよね」

「ちゃんと戻って来るって」

「そう言って戻って来れなかったら? 化け物になって僕と生きるって言うの?」

「……それは」

「ふざけるな。アンタは一度選んだんだよ、今を。そんな簡単に放り出せるようなものなの? アンタにとっては」

 違う。教団も、導師代理も、シンクも。全部自分で選んだものだ。軽い気持ちで投げ出せたりなんかしない。真剣に、選択した。その選択をボクは目の前の「痛み」を伴う眼に告げる。

「……シンク。ボク決めたんだ。今回の件で手掛かりが掴めなかったら……テセの影を追うのをやめる」

「──────、」

「教団も導師代理も放り出さないよ。ただ、テセのことに整理をつける。ちゃんと死んだって、区切りをつけようと思うんだ」

 目の前の瞳は小さく驚きを示す。ふわふわと、風船みたいに頼りないボク。そのままじゃいけないって分かってる。ボクは生きてるから。

 テセのことを忘れたくない。忘れない。でもちゃんと過去にする。仕舞い込んで前を向く。そう決めたボクに───シンクは笑う。

「ハッ……アンタの中から七番目が消えるの?」

「消える訳じゃないよ。ただ追い掛けなくなるだけ」

「僕にとっては同じだよ。アンタの眼が七番目を捜さなくなる───なら」

 するり、と空いている方の手がボクの頬を撫でる。くすぐったい。親指の腹がゆっくりと唇をなぞって、見下ろす瞳には熱が宿る。その眼にあるのは何かへの期待。それが何か、今のボクには分からない。

「……シンク?」

「……どうせアンタは止めてもやるんだよね?」

「うん。ごめん」

 相談という体を取りはしたが殆ど決定事項だ。突っ走るのが申し訳ないから先に話しただけ。心は初めから決まってた。

 シンクは遠くを見るように眼を細めて、やがて溜め息を吐く。折れてくれたのが言葉にしなくても伝わった。

「……分かった。アンタの我儘に付き合ってやる。知らないところで無茶されるよりはマシだ」

「……ありがと、シンク」

「代わりにちゃんと戻って来い。僕の命綱はアンタだ。アンタが世界の敵になれば、僕も世界を敵に回せる」

「……うん」

 責任は重い。ボクの選択はいつだってシンクを巻き込んで、ボク一人の問題では済まない。それが分かっていて、どうしてこの結晶が諦められないのか自分でも分からなかった。言葉にならない感覚が、手の中の温度のない結晶を意識させる。

 シンクの手が頬から離れ、彼は屈めていた背を起こした。

「アンタが賭けに負けたら、一つ僕の願いを聞いてよ」

「え。なんで?」

「迷惑料。いいだろ、別にアンタに損はないよ」

「うーん……?」

 ボクに損のないお願い。それなら別に賭けと関係なく叶えてしまえばいいと思う。首を傾げてそれを伝えれば、シンクはゆっくりと首を横に振った。「賭けに負けてからでないと意味がない」と。変なお願いだと思いながらも了承する。ボクに叶えられる範囲の願いなら、叶えたいと思う。

 シンクはにや、と笑って言質は取ったと言いたげだ。それに一抹の不安を覚えた直後、「ああ、そうだ」と彼は何かを思い出したように口を開く。

「やるなら一つ提案がある」

 そうして切り出されたのは、まさか彼から聞く日が来るとは思わなかった提案だった。










*****










 彼の提案は、一週間前後で実現された。懐かしい顔が次々と到着して、ボクの周囲は一気に賑やかになる。勿論、誰より初めに事態を知ったのはダアトにいたアニスだ。

「アリア、正気なの? 戻れないかもしれないんだよ?」

「うん。ちゃんと戻ってくるよ。どうしても知りたいんだ。テセが遺した物だから」

 そう答えればアニスは眉を下げて、しかしそれ以上は何も言えなくなる。テセを死なせたのは彼女で、ボクにこの選択をさせるのは彼女とも言える。そんな風に押し付ける気もないが。

「……貴女が決めたのなら、私はそれを尊重するわ。でも、戻ってこなかったら……許さないから」

 真っ先に転送譜陣で到着したティアはそう言った。きっとルークのこともそうして送り出したのだろう。未だ帰らない彼に、彼女は心を痛めている。彼女の期待を裏切りたくないから、ボクは頷く。

「頑固な方だと思ってはいましたが……私の想像以上でしたわね。駄目だと言っても聞かないのでしょう?」

「うん。もう決めたから」

「分かりましたわ。それなら……最後まで見届けましょう。必ず、戻っていらして」

 ナタリアはボクの手を握って誓わせる。一国の王女と約束してしまえば、破るわけにはいかない。元より破るつもりなんてないので冗談になる。次の到着は同時で、ガイだけでなく大佐の姿もあった。

「ピオニー陛下も心配してたぞ」

「え。大丈夫? マルクト軍とか寄越されてない?」

「はは。大丈夫だよ。寄越されたのは俺と旦那だけだ。……覚悟は出来てるんだよな」

「うん。戻って来たら皆に怒られるね」

「……ああ。俺達も精々生き残るよ」

 なんて笑って交わして、大佐の方へ向き直る。彼は呆れた顔で頭を押さえた。

「貴女は本当に大人しくしていられませんね」

「被験者は落ち着いて見えるのにおかしいね。劣化したのかも」

「都合のいい逃げ道は許しませんよ。まぁ、無謀をする前に我々に連絡をとった点だけは認めてあげましょう。誰の入れ知恵ですか」

「やめてよ。ボクを考えなしの暴れ馬みたいに言うの。……シンクの提案だけどさ」

「ふむ……それは少し予想と違いましたが……なるほど。それはそれで」

「それはそれで何?」

「何でもありませんよ。それより、いいですね? 私は彼らのように甘くはありません。殺すつもりで戦いますよ」

「うん。そうして。少しでも皆に被害が出ないように」

 皆を呼んだのは、シンクの判断だった。音素暴走を起こして凶暴性が増したボクが、暴れる可能性は高い。暴れた場合には叩きのめして大人しくさせるために、皆の力を借りるべきという話だ。

 ボクとしてはもしもの時に殺してもらえるので賛成した。師には話していない。前回の行動を考えるに、きっとトライする前に殺されてしまう。だからこの場にいるのはシンクと、かつての仲間と……術式を解くためにイオンとアリアの姿がある。

 場所はダアトから程近く、周囲に影響を与えないように、ザレッホ火山を選んだ。具体的にはテセが死んだ場所で、ボクが以前暴れた場所だ。

「僕もお手伝いさせて頂きます」

「暴走すれば、アイオンとの繋がりは増す筈よ。私はそっちから引き戻せないか、やってみる」

「ありがとう。イオン、アリア」

 二人の協力にも礼を告げて、準備も完了した。あとはボクに掛かっている術式を解くだけ。その後は、なるようにしかならない。そして、なるようにするのだ。だからボクは最後にシンクを見た。話すべきは話したから、最後に一言だけ。

「信じて」

 君の信に、ボクは応えるから。君は瞳を少し細めて、それから呆れた顔で頷いた。

「信じてやるから、さっさと戻ってこい」

「───うん」

 ボクの体が音素に包まれる。イオンが術式に干渉しているのだ。体の中へ多量の音素が流れ込んでいく。それが心地よく、段々と意識が麻痺した。

 皆の姿が遠い。皆の声が遠い。眼を閉じ、音素に意識を傾けた。体を満たす感覚に浸らせる。己が音素そのものになったような、そんな曖昧な境界で揺蕩った。

(……テセ)

 手の中の涙型の結晶へ祈りを捧げる。彼の遺した物に想いを傾けた。今なら分かるような気がする。コレには確かにアイオンの力が流れているし、第七音素を含むいくつもの音素が複雑に影響しあって、全く別の作用を生んでいるように思う。この結晶が何か、分かりそうだった。

 その答えへボクは手を伸ばして───そこで、意識がホワイトアウトした。










*****










『やぁ、久しぶりー』

 ボクを迎えたのは、久しぶりの真っ白い空間だ。響く声を聞いたのは一度きりだけど、確かに聞き覚えがある。ボク達より前の契約者を名乗った声。そこは、プレーローマへの道だった。

(なんでここに……)

 ボクは確かに、あの結晶に干渉しようとしていた筈だ。その答えが分かりそうで、その直前で意識が途絶えた。死にかけるにはまだ早いだろうし、こんな場所へ来る理由が見当たらない。それとも、死にかけたらここに来るという仮説が間違っているのか。声は不思議そうに問う。

『なんでって、迷子を捜しに来たんじゃないの?』

(迷子?)

 話が見えない。ここはアイオンの力が及ぶ場所で、あの結晶にも彼女の力が使われていた。それが、この空間へボクを繋いだのだろうか。なんて予想を、まさかの声が否定した。

『違うよー。君、ここがどんな場所か分かってないのー?』

 肯定すれば、声は欠伸を噛み殺しながら述べる。

『言ったでしょー。我々は縁者だから、死んだらアイオンの所へ還るってー』

 だから君はここに来た、と告げられる。その言葉に、一つの可能性へ思考が至った。けれど、もしそれが事実ならば。そんなことが可能ならば。

『君の加護は特別なんだ。テトラクテュスだからねー。だから至れる。だから手を伸ばせる。君に愛される片割れが羨ましいよー』

 光が現れる。小さな、しかし弱々しくはない光。それはこの真っ白い空間における、唯一の形だ。

『お土産。ちゃんと持ち帰りなよー』

 急激に声が遠退く。意識のようなものが曖昧になり、この世界から離れようとしているのが分かる。だから最後に、ボクは問うた。

(片割れって、何なの?)

 ボクの問いがあまりに幼稚だったのか。のんびりとした声は小さく吹き出した。おかしそうに笑って、それから答える。三度目の正直……とは、少し違うけれど、ようやく一つの答えが提示された。

『───君が選ぶ存在だ』

 意味は、分からなかったけれど。










*****










 次に気付いた時にはザレッホ火山で、目の前にはちょっとした惨状があった。仲間達がそれなりに酷い怪我を負っていて、シンクだけが無傷だ。極端すぎて笑ってしまいたいが、生憎笑う余裕なんてない。幸い、まだ死者は出ていないようだった。

 ボクは右手を天へと掲げていて、上空を複数の譜陣が埋め尽くしている。黒い稲妻を呼ぶ、アイオンの譜陣だ。

『……っ』

 ハッキリとはしない意識の中で、破壊による快楽を求める衝動に抗った。このまま放てば仲間を殺す。全く冗談ではない。上空の譜陣を消し、第四音素を集めて自身を隔離する。皆の顔色が変わった。

「アリア!? 意識が戻ったのね!」

『まぁ……何とか』

 言葉のままだ。何とか堪えているだけで、意識も体も破壊へ疼くのが分かる。体を満たす大量の音素を力の限り撒き散らしたなら、どんなに気持ちいいか。そんな欲求を振り払って、朦朧としかける意識をかき集めた。理性が働くほど苛々する。

「アリア。気分はどうです?」

『最悪。わりと血が見たい』

「全然大丈夫じゃないよぅ! 早くなんとかしなきゃ殺されちゃう~!」

 大佐の問いに答えれば、アニスが騒ぐ。ガイはボクの様子を見て、気になる点を挙げる。

「前回は殆ど聞く耳持たずって感じだったけど、アリアと意思疏通はとれたよな。今回は、さっきまで意識がないみたいだった」

「けれど、今はアリアと会話が成立しますわ。破壊衝動も抑え込めているようです」

 ナタリアも指摘すれば、大佐が応える。

「レプリカの音素暴走は、当人の正気を奪うものではありません。大概は破壊衝動に負け性格も残忍なものへと変わりますが、彼女は長くそれに抗ってきた。特に前回は彼女の意志と破壊衝動が一致していましたが、今回は不一致があります」

「だから暴走を抑え込めている……?」

「恐らくは。しかし、それも時間の問題です。早急に対処が必要でしょう」

 言って、大佐の視線はイオンを向く。彼は静かに頷いてボクへ近付いた。被験者のアリアもその傍に寄り添う。

「術式を戻します。協力して頂けますか」

「勿論です」

 ティアを筆頭に皆が頷いて、イオンの指示で動く。ティアには譜歌で音素活性を抑えることが要求され、既に取り込まれた膨大な音素は被験者のアリアが取り出すことになる。ボク程ではなくても音素に愛される体質の持ち主だ。意地でもやると頷いた。

「他の方々はもしもの時に備えて下さい」

「アリア。あと少しです。気をしっかりお持ちになって」

「……もしもなんて選ばせるなよ」

「信じてるからね!」

「我々の期待を裏切らないで下さい」

 仲間達それぞれから声が掛かって、ボクの視線は自然と一人の姿を捜す。それはボクをこの世界に繋ぎ止める命綱。仮面越しに合った気がする眼は、ボクに言う。

「アンタの選択に僕は従う」

「……うん」

 目蓋を閉じて、音素に包まれる。温かくて心地よい。急激な眠気がボクを誘ってぐらりと揺れた。その体を誰かが支える。それが誰の腕かなんて、考える必要もない。

(ボクの、選択……)

 意識が薄れる。当たり前に迷いはなかった。どう在りたいかは決まってる。この身が例え真っ当な人間のものでなくとも───紛い物の生であっても。ボクはギリギリまで人のフリを続けたいから。

 意識を手離す瞬間も、恐れることはなかった。










*****








 目が覚めると、自室の天井がボクを迎えた。白いそれを、ぼう、と見上げて。

(生き残った……)

 ちゃんと帰ってこられた。悪運が強いしイオンと被験者、仲間様々だ。体を起こせば眩暈はなく、特に痛むところもない。我ながら丈夫な体だと感心する。本来なら人をやめているのだし、当たり前か。

(……で)

 そろり、と首を伸ばせば、ベッドに寄り掛かるようにして眠っている人影が一つ。もうそれが誰なのかは確認しなくとも分かっていたし、確認すればやはり可愛いげの足りない番犬だ。

(ちゃんとベッドで寝て欲しいんだけどな)

 最後の記憶はザレッホ火山で、あれからどれ程の時間が経ったのかは分からない。その間、ずっとこんなところで寝ていたのだろうか。体を悪くしそうだからやめて欲しいと思うものの、原因はボクなので何とも言えない。

 とりあえず物音を立てないようにベッドから抜け出し、起こさないように部屋からも抜け出す。

(着替えとかシャワーは執務室の方にもある)

 人に会わないように祈りながらそちらへと向かう。幸い窓から見える空の様子から、早朝のようで人の気配はない。起きている者のいない静寂は、まるで死の中にいるようで。静謐な空気を感じ取る。

 やがて無事に部屋へと辿り着き、シャワーを浴びると私服に着替えた。

(さっぱりした)

 脱いだ服を洗濯用の箱に放り入れ、一つだけを手に取って部屋を出た。それは涙型の結晶で、寝ている間もずっと握り込んでいたらしい。半透明だったそれは、今は澄んだ透明へと変わっている。その変化が何か、ボクは分かっている。

(春に溶けるなんて、雪の雫みたい)

 誰もいない教会の朝。貴重な静けさの中、どこへ行こうかと考えて自然と足はそこへ向いた。自分が信心深いと思ったことはないし、そもそも何かを信仰してもいない。でも、向かう先は礼拝堂。少しだけおかしくて笑う。

(ステンドグラスから入る光が綺麗なんだ)

 だからきっとここがいい。この教会で、ここ以上に祈りに満ちる場所はない。皆に迷惑は勿論、心配をかけた。特に被験者とシンクなんて、叩き起こしてでもボクが起きたことを教えた方がいいのかもしれない。そう思わなくもないけど、少しだけ。今という時間が欲しかった。この静けさが惜しい。あと少し、我儘を叶えたい。

(賭けはボクの勝ち。お願い、聞けなくなっちゃったな)

 少し残念に思いながら礼拝堂に入り込む。当然人影はなく、広い空間に温かい光がふんだんに降り注いでいた。朝特有の冷たい空気に混ざるそれが、ボクは存外好きだ。差し込む光はステンドグラスを通していて、一面の床がカラフルに彩られている。

 その真ん中へ移動して、ステンドグラスを見上げた。ここに思い入れは特にないけれど、これからすることにはぴったりだと思う。ここは祈る者のために在るのだから。手の中の結晶を、ステンドグラスから差し込む光に透かす。光を反射して眩しいそれに、眼を細めてボクは祈る。

(ローレライ。君の力を借りるよ)

 自分でも分かる。音素暴走を起こす前と今では、同じ体でないことが。体内を循環する音素の量が増えている。今までよりずっと音素を身近に感じるし、ともすれば自身との境を忘れてしまいそうだ。

 自分がどの程度人間をやめてしまったのかは分からない。けれど、今ここにあるのはボクの意志だ。だから、いい。まだ人のフリは続けられる。まだ隣に居られる。例え意識集合体の力を、喚ばずに借りられる程度に変異していたとしても。

(君はどう思うかな)

 変わってしまったボクを見て。変わろうとするこの世界を見て。変わっていく仲間を見て。何より、同じ顔が沢山並ぶ光景を見て。そういえば、もう一人のアリアとも会ったことはなかったのだっけか。

(君に話したいことが沢山ある)

 色々なことがあった。師が偉い人だって分かったり、ルークが障気の中和で死にかけたり。世界中にレプリカが溢れて、ボクらはその受け入れにてんてこ舞いだ。ボクは柄にもなく導師代理なんか立候補しちゃって。

(それもこれも全部君のせい)

 突然いなくなったりするから。君が見る筈だった景色を、追う羽目になってしまった。プラネットストームを止めに行ったらボクは実質一度死ぬし、神様なんて星の外の存在まで現れて。世界は星の記憶に従って滅ぶとか、時を繰り返してるとか。本物のアリアまで起き出して、元大詠師のモースは死んだ。それに得たものは何もなかったけれど、少しくらいはマシな気分になった。それからボクらはヴァンを倒して……アッシュが死んで、ルークも消えた。ルークのいない世界は、少し寂しく映る。

(だから、ね)

 涙型の結晶へ、ローレライの力が流れ込む。光が溢れ、手の中で結晶が形を失い始める。それは光の泡へと変わり、ボクの目の前で別の形を生む。答えはずっとここにあった。何も失われてなどいなかった。必要なものはずっと側にあって、あとはほんの少しの気付きと力があれば良かった。

 光の中で、一つの人影が形を成す。その手にボクは手を伸ばした。ボクを繋いだのが君ならば、君がいないと不安定だ。不意の刺激で飛びそうな風船は、もういい。夢心地は終わりにしよう。繋がれた手は温かく、そっと握り返されるのはそこに意志があるから。

 ボクはきっと微笑んだ。君の名を、ようやく呼ぶことが出来る。

「───おかえり。テセ」

 これは未来の物語。ボクの綴る星の記憶。ボクが春を告げる花ならば、失われる福音は決まってる。長く待った約束の時が訪れて、「アリア」は捧げられた。

 スノードロップ───色のない雪に色を分け、死者を雪の雫へと変える花。その雪へ告げるのは春の訪れだ。新しい時の巡りを、二重唱で。永劫の時を、君達と重ねるために。



 光の中で、君と笑った。
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