栄光と永劫
エルドラントが沈むのを見届けてから、ボクらはダアトへ戻ってきた。空は既に夜色で、諸々の報告などは一旦詠師トリトハイムに任せて休むことにする。ボクとしても都合がいいし、きっと皆にも必要な休息だろう。
「じゃあ、また明日」
皆に別れを告げ、シンクを引き摺って自室へと向かった。彼の方は文句を言いたそうにしてたけど有無を言わせない。
久し振りの自室へ連れ込めば、そのまま肩を押してシンクの体をベッドへ押し倒した。上から覆い被さって見下ろす。千歳緑の瞳が大きく開いて珍しく慌て出した。
「ちょっと、何考えて……!」
「シンクにお願いがある。今晩は一緒に寝て」
「───は!?」
何を言い出したんだと表情が驚愕を示す。不機嫌そうにしてるか嗤うかの彼には貴重な変化だ。突拍子もないお願いだという自覚はある。でも譲れないことだった。真剣に伝える。
「大事なことなんだ。お願い」
「アンタ自分が何言ってるか分かってるの!?」
「何言ってるって……そんな大変なお願いをしてるつもりはないんだけど」
ちょっと一晩添い寝をするだけだ。気恥ずかしさはあってもそれだけ。そう思ったのだが、シンクの側は違うらしい。少し困惑するボクを見て、苦そうに顔を顰める。
「……警戒心がないよね、アンタ」
「警戒って、自分の護衛役を相手に何を警戒するのさ。君がボクの命を狙うの?」
「そういうことじゃない」
ならどういうことか。分からなくて首を傾げれば、シンクは片手で自身の目元を覆ってしまう。そうして表情を隠してから深く溜め息を吐いた。
「……理由は? 幾ら暴走列車のアンタでもそれくらいあるんだろ」
「そんなに無茶苦茶してないよ」
「現在進行形でしてるんだよ」
苛立ちを噛み潰すように言われて本気の評価らしい。やっぱり分からなくて首を傾けながらも答える。
「君の体、音素乖離を起こしてるでしょ。音素を入れて繋ぐよ」
「……そんなことが出来るの?」
「出来るよ。ルークにもやってた」
一言付け足せば手が外され睨むような視線が上がってくる。疑う色だ。
「ちょっと待て。あいつにもこんなことをしてたって?」
「流石に一緒に寝たことはないよ。今回は急ぎってだけ」
「ボクも誰彼構わず目の前で寝たい訳じゃないし」と続ければ、彼の眼にあった剣呑とした色が複雑に変化する。どのような心情の変化かは分からないが忙しい。
「シンク?」
「アンタってホント残酷だよね。言われた側の気持ちって考えたことある?」
「どういうこと?」
「……はぁ。いい。アンタに常識を期待した方がバカだった」
「??」
酷い言われようだ。そんなに常識のないことを要求したのだろうか。彼の体内音素を繋ぐことは急務で、きっと朝まで保たない。必要なことを願っただけ……の筈だ。
シンクは苦い顔のまま「他の男には同じことを言うな」と忠告する。言われなくてもその予定はない。そもそもここまでして対処したいのは相手がシンクだからだ。同じ条件が当てはまる相手なんて思い浮かばない。
そう思いながら眉を上げて視線をシンクへ向ける。
「とにかく。急務になったのは君が無闇に導師の力を使ったからだよ。恨むなら自分の行いを恨んで」
「………………」
「いい? ボクは明日の朝、起きて君が消えてるなんてのは嫌。折れて」
畳み掛けて、彼から反論が消える。苛立ちを殺すような顔で暫く迷うと、少し乱暴に息が吐かれる。肩を押されて隣に寝転がるよう促された。大人しく従って隣を向けば、背が向けられている。
「……一晩だけだ」
「手貸して」
「なんで」
「触れてないと音素を繋げないから」
「………………」
複雑そうな沈黙があって、シンクは仰向けに転がり直した。不愉快そうな顔を横に見て苦笑しながら、投げ出された片手を繋ぐ。触れればぴくりと反応して、握り返されはしない。
眼を閉じて隣の少年へ語り掛ける。
「ね、シンク。ボクは君が大事だよ。生きてて欲しくて側にいて欲しい。エルドラントで伝えた言葉に変わりはない」
「……何、急に」
「ルーク達からなんで君が裏切ったのかを聞いたから。改めて伝えておこうと思って」
シンクが戦ったのはボクのことを考えて。押し付けだとしてもボクのためだった。彼がそれだけの気持ちを傾けてくれるように、ボクだってシンクを想ってる。それを伝えておきたい。
「シンクに代わりはいない。だから……依頼を破棄しよう」
「……裏切るような奴は使えないって?」
「違うよ。君に『道具』って言い訳を渡したくないんだ。君が君を使い捨てないように、一人の人として側にいて欲しい」
願えば彼は少しの間沈黙する。やがて返ってきた声には戸惑いがあって、ボクの要求が飲み込めていないのが伝わる。
「……アンタの話は正直意味が分からないよ。なんで僕なんかにそこまで望むのか、理解が出来ない」
一人の人としてなんて、と彼が小さく呟く。彼の中で自身の価値は未だ劣化レプリカなのだろうか。代用品にもなれなかったゴミ───もう、そんな風には自身を考えて欲しくないのだけれど。
言葉にしようか迷っていれば「でも」と先にシンクが口を開いた。ボクは眼を開けて隣の顔を見る。千歳緑の瞳は遠くを見るように天井を見上げていた。
「アンタが望んでくれるから、僕は生きられる。僕の価値はアンタだ。そのアンタが僕にそれを望むなら……考えてやるよ」
「……うん。そうして」
安心する。彼は自身を空っぽだと嘲笑っていた少年じゃない。ボクの言葉は届いている。ルークが変わったように……シンクだって変わることが出来る。
繋ぐ手に力を込めた。
「君は君として側にいて。『シンク』だから望むんだ。いなくならないで───ボクの大切な人」
「──────、」
シンクは言葉を呑んで、空いている方の腕で自身の表情を隠してしまう。顔を見られたくないらしい。ボクは眼を閉じて「おやすみ」と口にする。返事はなかったけど構わなかった。繋がれた手は振り解かれないから。
代わりに空いた手の方で響律符へ触れる。ひっそりと術式を緩めれば、ボクはすぐにそれを試みた。
(───ローレライ)
意識集合体へ語り掛ける行為。それが可能なのではないかと提示したのはシンクだった。力を借りることが出来るのだから、パスが通っているのは確かだ。それなら不可能ではない筈。
力を借りる時のように意識を探って、音素の繋がりを辿る。ルークによって音譜帯に打ち上げられ、七番目の層となった存在。それへ……意識を合わせる。
声は、静かに返った。
『───我に呼び掛けるか。契約を持たぬ召喚士よ』
威厳のある男性の声だ。ボクはローレライがティアの体を借りた時のことを知らないし、これが初めましてになる。尤も、意識集合体を相手に自己紹介が要るとも思わない。いつ途切れてしまうかも分からないため、単刀直入に願うことにした。
(貴方の力を借して欲しい)
少しばかりの沈黙がある。それから何かを探ったように「なるほど」と声は続いた。
『我が力を使い、その者を救いたいか』
(うん。貴方は第七音素の集合体だ。彼の体を癒して再構成する力がある筈だよ)
分解・構成する力自体はどの音素にも存在する。だがその力が一番強いのは第七音素であり、レプリカであるシンクの体を構成するのも第七音素だ。彼の体を癒すのに、これ程都合のいい条件など他にない。
ボクがヴァンを倒したのはこれが目的だった。音素乖離を起こすシンクの体を繋ぎ直すには、ローレライをヴァンから解放する必要があった。ルークには行えなかったその選択肢を、少し心苦しくは思う。
(お願いだ。ボクは契約者じゃないけど、ユリアの縁者として助けて欲しい)
『───その意味を正しく理解しているか』
(勿論)
分からずに願っている訳がない。ユリアがローレライの力を借りる場合には鍵が存在した。アイオンがボクと被験者を延命させた時にも、それぞれ必要なものがあった。なら、今回だって何かは必要だ。そしてそれをボクは差し出せる。
(ボクを使ってよ。この体は音素の通りが良い。コレを媒介してシンクを直して)
『──────』
返事はすぐにはなかった。ボクはそれを待つ。戦闘中のように勝手に力を借りるのではなくコンタクトを選んだのは、この方法を取りたいためだ。
契約も結んでいない身では正しく力を借りることも出来ない。それでも大きな力には違いないが、一瞬の力に過ぎないだろう。消えかけている肉体を丁寧に作り直すには時間が要る筈だ。そのために、わざわざ一緒に寝るように説得した。その事実をボクはシンクに話すつもりはない。
声は応える。契約者でもないボクの願いを聞いてくれる。
『その覚悟に応えよう。我が力を今少し汝に貸し与える』
(……ありがと)
体の中に熱が生じるのが分かった。そこから広がった温かさが全身に広がり、意識が侵食される。ローレライの力が沢山の第七音素を送り込んでくれる。それが繋いだ手を伝い、シンクの中へ。見えるわけでもないのに確かに流れが感じられた。意識が遠退き始める。
(ルークのことは、聞かない)
答えは必要ない。彼の死を見ていないボクは、彼の生を望みたいから。今はシンクを助けてくれればいい。たった一晩この体を差し出すだけで失わずに済むなら、安いものだ。
ローレライの力を媒介する間、術式が緩んだ状態を維持することにはなる。体に負担はあるだろう。それでも、失う選択肢だけは有り得ない。
(……おやすみ。シンク)
同じ言葉をもう一度囁いて、ボクは眠りへとつく。それがうっかり二度と目覚めない眠りとならないことを祈りながら。
繋いだ手は───温かかった。
*****
翌日、ボクは無事に目を覚ますことが出来た。それにこっそり安堵しつつ、ローレライの気配を探れば既にない。念のためシンクの体内音素を調べてみれば、修復作業は滞りなく済んでいた。よかった。
「アンタはやけに眠そうだね」
「んー、ちょっとね」
曖昧に濁して答えた。恐らく、ローレライの力を媒介し続けた後遺症のようなものだろう。身支度を整えティア達と合流する。エントランスに着けば、既に皆の姿があった。
「おはよー」
「おはよう、アリア」
応えてくれたのはナタリアだ。ティアはボクを見ると心配そうに眉を下げる。
「なんだか疲れて見えるわ。よく眠れなかったの?」
「そんなことはないんだけど」
眠りの深さでいったら随一だっただろう。それが体にいいものかはさておいて。ティアの方も顔色が優れているわけでもなくて、ルークを想って泣いたのだろうか。わざわざ触れてしまうつもりはない。
「これからどうするの? ティアはユリアシティに戻るんだよね?」
「ええ。詠師トリトハイムが連絡して下さったとはいえ、お祖父様とは直接お話ししたいもの」
アニスの問いに肯定が返る。ナタリアと大佐、それからガイも同様の理由で今日中には発つつもりのようだった。ダアトに残るのはボクとシンク、それからアニスだ。
きっと、もう共に旅をすることはないのだろうとぼんやり思う。ルークのいないその隙間を、感じてしまうから。
「ノエルにアルビオールで送ってもらいましょう」
「アルビオールも乗り納めか……」
「ガイ寂しそ~」
なんてバカらしい会話をする。殊更いつも通りに振る舞うのは、誰もがルークの死を口にしたくないから。
そうしていると、向こうから師がやってくるのが見えた。久し振りの再会で、最後に見たのはアリエッタを被験者の下へ連れて行った時か。
「よォ、ガキ共。やることやったみてーだなァ」
「エレティクス様!」
「様はよせや。オレはただの旅の何でも屋だってぇの」
面倒そうに師が手を振った。ティアからすれば詠師である師は敬意を払う相手なのだろう。この傍若無人が詠師なんて未だに慣れない。
「あんたはダアトに残るんだよな?」
「まァ、暫くは面倒見ねーと流石になァ……」
師が自分の都合以外の何かを考慮することは少ない。師にとってもダアトは特別な場所なのかもしれない。詠師エレティクスがどのような経緯で教団へ来たのかは知らないが、いつか聞く機会があるだろうか。
「アリアのことも心配だもんね! にしし」
アニスが茶化すように笑う。それに対して師がどうしたかと言えば、笑って否定した。
「その心配は要らねぇさ。オレがアリアの面倒を見る必要はもうねぇからなァ」
「アリアも、この旅で成長しましたものね」
ナタリアが旅を懐かしむように微笑む。それを言えば皆だって、と口を開きかけて、それより先に師が首を横に振った。
「───そういう意味じゃあねェよ」
瞬き。目の前に、暗い穴。なんだっけと思考が遅れて、黒塗りのそれが銃口であると気付いた時には遅い。師の指が、ゆっくりと引き金を引くのが見えた気がした。
「え……」
「アリア!!」
シンクの声が聞こえて腕を強く引かれた。体勢を崩す。銃声が響く中でボクは尻餅をついて、しかし何が起きたのか分からない。呆然と師を見上げる。銃口は白煙を上げ、その表情はいつもと変わらない。
「おー。殺り損なったかァ」
「エレティクス様!?」
「いきなり何するんだ!」
皆が武器に手を伸ばす。すぐには抜かないのはここが教会のエントランスだからか。面倒そうに応える師の様子は変わらない。本当にいつも通りだ。いつも通りに───ボクを殺そうとした。
「何って、始末をつけるだけだ。弟子の不始末は師匠がつけるもんだろォ?」
「アリアは命を断つべきだと?」
「カカッ! 聞くまでもねーだろォが」
師らしいド直球。心臓はまだうるさい。こんなに急に「死ね」なんて伝えられても、理解が追い付かない。何故と問わなければならないのにどうしてか声は出なかった。代わりに聞いてくれたのはアニスだ。
「なんで!? アリアが死ななきゃいけない理由なんてないでしょ!」
「あるからこーして始末をつけに来てやったんだろーが。しちメンドクセーのによォ」
「ならばその理由を述べなさい!」
ナタリアが迫れば、師は溜め息を吐いてボクへ視線を落とす。ボクを生かした紅い瞳。投げ掛けられたのは答えではなく問いだ。
「アリア。お前、何回響律符を頼った?」
「……数えてない」
「だろーな。言われてなかったかァ? 頼りすぎれば害になるってェハナシ」
言われていた。分かっていて力を使っていた。でも「微々たる悪影響」の筈だ。シンクは確かにそう言っていた。いきなり死を望まれなきゃいけない状態になるとは思っていない。それとも……
「……そんなに状況は悪くなったの?」
「悪くなった訳じゃねェ。元々サイアクに向かってたんだよ」
「どういうことだ」
ガイが慎重に問い、師はボクの術式の話をする。幾度も術式を緩めて音素を取り込めば、体の方がそれに順応してしまう。取り込む音素量が増えれば増える程ボクは化け物に近付く。人間ではなくなる。
「元々、地核でシルフを喚び出しやがった時から大きく傾き出してたんだ。そこに響律符を砕く無謀をしやがった。化け物になるように舵を切ったのはテメーだ」
「………………」
否定は出来ない。そんなことになるとは知らなかった───だからって責がないとは思わない。今の状況は自業自得。自分の行動の結果が返ってきてるだけ。言葉は自然と口から出た。
「なら……仕方ないね」
「……アリア?」
「反省はしてるけど後悔はしてない」
ボクは自分の表情が緩むのが分かった。仕方がない。地核でシンクを掬い上げたことも、テセの死を否定しようと足掻いたことも望んでやったことだ。どちらも衝動的ではあったかもしれないが、やらなきゃよかったなんて思わない。
シンクの声が静かに触れる。
「……なんで受け入れるのさ。アンタ、死ねって言われてるんだよ」
「分かってる」
「なら───なら、もっと出来る顔があるだろ! へらへら笑うなよ!」
「!」
叱られてびっくりする。顔を見ればそれは痛みに歪んでて、ボクの死が「痛い」と伝えられる。彼がそんな顔をするのが衝撃的で反応に遅れる。シンクはボクの死を望まない───そんなの、分かってたのに。
「『次』はないって言った筈だ」
「でも」
「反論は聞かない。アンタは頷いた。僕に側にいろって言っておいて、今更手を離すつもり? そんなの許さないよ」
鋭く否を唱えられる。側に望んでおいて死ぬなんて、テセと一緒だ。それがどれだけ残酷な選択か、ボクは身を持って知っている。選びたくない。その手を、離したくない。
「ジェイド。方法はないのか」
「……私が思い付く限りでは、残念ながら」
ガイの押し殺した声に大佐は冷静に答える。いつもと変わらず聞こえる声。でも言葉の通りに残念に思ってくれているとは思う。それだけの時間は過ごしてきた。アニスが声を震わせる。
「で、でもまだ時間はあるんだよね? ならこれから方法を探して……」
「今のコイツはいつ爆発するかも分からねェ特大の爆弾だ。手遅れになる前に手を打つのが周りの責任ってモンじゃねーの?」
周りの責任。師は、ボクの生に責任を持ってくれていた。危険なレプリカと知りながら生かしたのは師だ。いつかは殺す必要があるかもしれないと思って見守ってくれていた。
師の行動が思い付きによるものだとは思わない。その手に握られた銃がその証だ。ボクに対銃の戦い方を教えなかったのはこの時のため───確実に、殺すため。
「そんな理由で命は奪えません!」
「そうですわ! 貴方だってアリアの死を望んではいないのではなくて?」
「──────」
ティアとナタリアの言葉に師は答えない。彼の中では答えはもう決まっている。黒塗りの銃口がボクへ向いているのが答えだ。
(……暴走しかけてる、なんて。実感ないな)
体は不自由なく動くし、暴れ回りたいわけでもない。正気だとも思う。それともこの感覚すら既に狂っているのか。猶予はどれくらいだろう。きっと師にも分からない。だからわざわざ殺しに来てくれたのだ。面倒臭がりなのに面倒見がいい───変な師を持ったと思う。
「アリア。貴女はどうしたいのですか?」
大佐の声が耳に滑り込む。冷静な赤い瞳。どうしたい、なんて問われても答えはすぐに出せない。だって、選ぶべき道は決まってる。
「……大佐はどうするべきか分かってるんでしょ?」
「私が聞いているのは貴女の意志です」
「ボクの意志……」
それに今意味はあるのだろうか。このまま生きれば世界を壊す力の一端となって、皆を殺してしまうかもしれないのに。
(皆を殺したくはない)
仲間だと思えるようになったんだから当たり前だ。特にシンクを殺すなんてとんでもない。彼を生かしたのはボクなのだから。この手で殺すなんて馬鹿馬鹿しい。
でも死にたい訳でもない。やりたいことが見付かって、居たい場所が見付かって、これからのつもりだった。誰かのために死ぬなんて考えはボクにはない。ボクの命はボクのものだ。死んだ方がいいって分かってても、死ぬなんて口にしたくはない。
「言えよ、アリア。世界のために死ぬなんて言い出すバカは、もう見たくない」
ガイが怒った顔で催促する。そのバカがルークなのは分かりきっていた。同じように死を選ぶと思われているのだろうか。でも違う。ボクとルークは違う。
「世界のためには、死ねないよ」
「なら……!」
「ボクが死ぬなら、それはボクのためだ」
世界のためでも、仲間のためでも、シンクのためでもない。ボクが殺したくないから、ボクが生かしたいと思うから……それがボクの望みだから選ぶものだ。アニスが非難の声を上げた。
「そうやってアリアが死んだら、ローレライ教団はどうなるの!? イオン様のご遺志を継ぎたいって言ってたじゃん!」
「自分のために死を選ぶと仰るなら、その意志で自分のために生きる選択も出来る筈です!」
ナタリアの言葉はまるで根性論だ。「諦めるな」と言いたいのが言葉の本質だということは、ちゃんと分かってる。でもそれは時間がある場合の話。選択肢がある時の話だ。ティアが口を開く。
「死ぬなんて簡単に言わないで」
懇願される。いつも意志の固かった彼女の表情が揺らいで見える。それは幾度とルークに見せた顔で、ボクと違って命の重みを知っているから。彼を通して知ったものがあるから。
ボクの視線は隣に膝をつくシンクへ向いた。師の銃口から腕を引いてボクを逃がしてくれた人。ボクが簡単に死を選べなくて、生きるとも言い出せない一番の理由。彼はボクの視線に応えて口を開いてくれる。
「……僕を生かしたのはアンタだ。今度は僕の番。アンタが生きるって言わないなら、僕がアンタを生かす。楽に死なせてやると思わないでよ」
「……ダメだよ。暴走したら君を殺しちゃう」
「前回は殺されなかった」
「だからって今回も同じなんて確証はない!」
思わず声が大きくなった。ボクのために危険を冒そうとする彼を見過ごせない。怒れる立場じゃないのに怒ってしまう。ボクのせいでシンクが死ぬ可能性なんて選びたくない。
堂々巡りだ。ボクは自分の選択を後悔していなくて、周りを死なせたくないなら自分が死ぬしかない。でも死にたくない。皆がボクの生を望んでくれてるのも分かってる。
大佐はまだボクを見ていて、ボクの答えを待っている。答えのどちらに期待をしているのか、それとも期待などないのか。大佐の真意は分からないし、ボクはボクの答えも出せないままだ。どうしたいのか、分からない。
「ねぇ」
シンクに呼び掛けられる。視線をすぐ側の彼へ戻せば笑みに迎えられる。何かに気付いたみたいな、嘲笑う笑み。コーラル城でそうされたように……悪魔の囁きがある。
「アンタが生きたいって言えないのは、僕やここにいるお仲間共を殺したくないから?」
「……うん」
「なら、全員僕が殺してやるよ」
「───え?」
「アンタが殺さなくて済むように、僕が殺してやるって言ってるんだ。そうすればアンタは生きられて、僕も側に居られる」
そう言ってシンクが立ち上がる。本気だと直感で理解する。ボクは慌ててその手を掴み、引き留める。
「待って! それじゃ君を殺す可能性は……」
「殺さないよ、アンタは」
そこにあるのは確信で、困惑する。暴走時のボクなんて何も信用できない。例え前回殺さなかったとしても、今回も殺さない保証なんてない。その話はさっきもした筈だ。それなのに、その顔にあったのは絶対的な結論だった。シンクはその根拠を口にする。
「全部壊せばアンタと僕しか残らない───でしょ?」
「……まさか、それボクが言ったの?」
シンクは答えなかった。ただ歪んだ笑みが深くされて、肯定されたのが分かってしまった。暴走時の話は大雑把にしか確認していない。そんなやり取りがシンクとの間にあったなんて知らない。化け物になってもシンクを殺さないなら……シンクと二人だけになるために、世界を壊せるのがボクなのだとしたら。
(……生きたいって、言ってもいい?)
迷いが生まれた。仲間の命だってボクには大切な筈だ。なのに天秤は傾き始める。ボクとシンクしか残らない世界───そんな狭い世界は望まないと答えたことを思い出す。
でも今は状況が変わった。ボクが答えを出せないのはシンクのせい。彼を殺したくないからで、彼と生きたいから。もしその両方が叶うなら───仲間の命と引き換えに出来るなら?
誘惑がある。甘言に騙されたくなる。テセの遺志を継ぐことだって出来なくなる。譲れないからシンクと喧嘩だってした筈だ。なのに今、ボクの選択が揺らぐのは。
誘惑に負けてしまいたくなるのは、ボクが生きたいからではなく───ただ、シンクと一緒に居たいから。
「シンク……ボクは」
名を呼ぶ。掴んだ手に力がこもる。見下ろす千歳緑の瞳は優しくすら見えた。
悪魔の囁きだ。ギリギリで化け物にならないところにいた筈のボクを、化け物へ堕とそうとする誘惑。ボクを最初に繋ぎ止めた存在は、もう失われてしまった。今ボクを繋ぐ存在はここにしかない。もうこの手にしか、ボクは繋がれていない。
答えは、口から出て行ってしまいそうになって。
「銃をしまいなさい。詠師エレティクス」
───声。
「……え」
懐かしい、耳に触れる穏やかな声。心臓がどくりと脈打った。
導かれるように眼を向ける。視線の先に立つのは、見覚えのある姿だ。白い法衣に千歳緑の髪。その髪からは導師の証である頭飾りが覗いていて、同色の瞳がボクらを見ている。視線を受け止める柔和な笑みは───とっくに失われた筈の人のものに見えた。
「嘘……」
「……イオン、様……?」
アニスの呟きが耳に届く。現実の筈なのに現実味が失われる。その場にいる誰もが同じことを考えただろう。
その姿はどう見ても「導師イオン」だった。浮かべる微笑みも、優しげな瞳も、声音も、口調も。何もかもが同じだ。記憶の中のテセと同じで……だからこそ、信じられない。テセは、死んだ。
「……どういうことだ」
低く、シンクが唸る。呆然とするボクの隣で彼は敵意を露にする。顔を見上げれば激しい嫌悪と憎悪が覗いて、今にも噛み付きそうな危険な光がその眼にある。───何故?
「初めまして、シンク。会えて嬉しいですよ。───僕のレプリカ」
その言葉を理解するより先に、シンクが跳んだ。掴み掛かろうと「導師イオン」へ伸ばされた手は、割って入った別の人物に受け止められる。師だ。
振り払われ、シンクの体はボクの側へ着地する。理解が追い付かない。追い付かないけど、ボクは慌ててシンクの体に抱き着いた。行動を封じる。
「離せ!!」
「離さない! 何考えてるの!?」
「アンタには関係ないだろ!」
「───関係ないなら殺してから行って! どうせもう死ぬんだから!!」
「……っ」
叫んでやれば思いの外効果があったようで、シンクが言葉を詰まらせる。拳が震える程に握られ、代わりに無理矢理抜け出そうとしていた体が抵抗をやめる。抱き着いているので表情は分からないが、多分さっき見た嫌悪と憎悪に、苦さを混ぜた顔をしていると思う。
「すみません。混乱させてしまったようですね」
「導師イオン」は申し訳なさそうに笑う。それがあまりに完璧で、ボクは漸く違和感を覚える。シンクが殺すつもりで拳を振るったのに、穏やかな謝罪なんてテセらしくない───テセじゃない?
「まさか……導師イオン……?」
「はい」
にこり、と微笑みが返されて混乱する。「導師イオン」という言葉が指す人物は、この星に二人存在する。一人はボクの知るテセ。もう一人はテセとシンクの被験者だ。分かっていて掛けた問いに肯定が返ったというのに、ボクの頭はきちんと情報を処理できなかった。
(目の前にいるのがテセだとしてもおかしいけど、被験者だとしてもおかしい。だって被験者は……二年前に)
死んだ筈だ。だからレプリカが作られた。テセが導師になり、シンクは世界を憎んだ。理屈が通らない。おかしい、と思うが同時にシンクの見せた反応に納得がいってしまった。彼からすれば、被験者は自分を作るきっかけを生み出した人間だ。預言と同じか、それ以上に憎んで当たり前だろう。
視線の先で、「導師イオン」の側にアリエッタとボクの被験者が姿を現す。それに最初に反応したのはアニスだ。
「根暗ッタ! どういうこと!? まさかまたイオン様のレプリカを……」
「違うもん! イオン様は本物! レプリカなんて要らないんだから!!」
声を大きくするアリエッタに、皆も段々状況を理解し始めたようだった。
「本物……って、被験者の導師様!?」
「有り得ませんわ! 被験者の死はヴァンもモースも認めたことです」
その否定は、多分アリエッタがまた何者かに利用されているのではないか、という心配が含まれていたのだと思う。だが当のアリエッタは八の字眉を僅かに吊り上げて、叫び返そうとする。その頭を「導師イオン」が柔らかく撫でた。
「アリエッタ。僕が話します」
「……はい。イオン様」
しょんぼりと眉を下げ、アリエッタは大人しく従う。その姿勢がまた、彼を「導師イオン」足らしめる。本物の存在感───その隙を待っていたように、大佐が口を開いた。
「貴方が本物の導師であると証明する術はありますか?」
「はい。ですが、この場で可能な証明方法はありません。僕と貴方がたは初対面ですから」
「……それもそうですね」
大佐の同意は納得したというより、その答えを聞きたかったから引き下がったように聞こえた。確かに、目の前にいるのが「導師イオン」───イオンであると証明する必要などない。重要なのは、彼がテセではないということ。そういう風に会話の流れを誘導したのだ。
「皆さんの話を邪魔してしまうつもりはなかったのですが、話が聞こえてきてしまったものですから」
話、というのはボクが生きるか死ぬかという問題のことだろう。そういえば彼が話に割って入ったのは、師に武器を納めろと命じた言葉だったように思う。
イオンの側に控える師を見れば、その手に銃は握られていない。こんなに素直に従うなんて物凄い違和感だ。混乱する頭に、更に予期せぬ言葉を放られる。
「僕で良ければ、お力になれるかもしれません」
「解決策があるのか!?」
「はい。一先ず応接室へ入りましょう。このまま話をすることは、あまりおすすめ出来ません」
柔和な笑みに、躊躇いながらも皆が合意する。イオンの先導についていこうと、ボクもおそるおそるシンクから離れた。
また飛び出して行かないかと様子を窺っていれば、振り返った顔には呆れがある。瞳に複雑な感情は見え隠れするが、とりあえず頭に血が上っている状態ではないらしい。よかった、と安堵する目の前にシンクの手が差し出された。
「はい」
「なに?」
「また殴りかからないかって不安なんでしょ。そんなに見られても気が散るから、手でも掴んでなよ」
思いもしない提案にうっかり言葉を出し損ねた。多分間抜けな顔でシンクを見てるだろうボクに、彼は不機嫌そうに眉を寄せる。
「要らないの?」
「あ、ううん! 要る」
慌てて手を掴む。歩き出したシンクに手を引かれる形で、皆の後を追うことになる。手を繋いで歩くなんて、子供っぽくてシンクは嫌がるものと思っていた。どういう風の吹き回しかと思っていれば、シンクの手がボクの手を握り返していることに気付いた。固く、手離さないように。
(あ……そっか)
得心がいってしまった。一つは彼自身またイオンに殴りかからないために、ボクに引き留めていて欲しいということだろう。そしてもう一つは、眼を離した隙にボクが化け物になってしまわないように。
手を繋いでいたところで引き留められるものでもないだろうが、多分気持ちの問題だ。そう思ったから……ボクは何も言わずに大人しく手を引かれることにした。