栄光と永劫
大階段を上りきれば広大な青空が迎える。そこは建物の屋上で、平らな白い地面が広がっていた。エルドラントの姿が全方位に、そしてオールドラントの様子もまた下方に覗ける。その光景の中央に、一人の男性の姿があった。
ボクらが長い旅をする原因になった、世界を別物にすり替えようとしている男。ヴァンデスデルカ・ムスト・フェンデ───ヴァンが、待ち構えていた。
彼は精神を統一していたかのように下ろしていた瞼を上げ、正座から腰を上げる。立ち上がれば口を開いた。
「大したものだな。本来ならここに辿り着いているのはアッシュだった」
「……アッシュもいる。俺の中で力を貸してくれている」
腰の剣に手を伸ばし、柄に触れながらルークが応えた。ヴァンはこちらへ歩を進める。
「第二超振動か……見事だ。お前は被験者すら越えた。真の人間となった訳だ。お前は全ての屍を踏み越えてきた。さぁ、私と共に来い。ルーク。星の記憶を消滅させ、ユリアが残した消滅預言を覆すのだ」
手が差し伸べられる。ルークへ。きっと、昔の彼ならその手を取っただろう。ヴァンに認められる日をずっと望んできたのだから。けれど、今の彼は迷わない。
「お断りします」
「ほう、何故だ」
「やっと分かったんです。俺は何をしたかったのか。俺は貴方に認めて欲しかった。レプリカではなく、一人の人間として」
「そうだ。そしてお前は人間になった」
ボクはその考えを違うと思う。レプリカだって人間だ。人間は人間を模倣して人になる───ただ生まれ方が違うだけ。人の手で生み出される複製品という意味なら、人類と変わらない。レプリカが出来損ないなんて考えは、作った側の傲慢な発想だ。
「……でも、それじゃ駄目なんだ。貴方は言いましたね。『何かのために生まれなければ生きられないのか?』と。誰かのために生きている訳じゃない。いや、生きることに意味なんてないんだ。死を予感して、俺は生きたいと思った。そのことを俺は知っている。ただそれだけでよかったんだ」
それはレムの塔で死と向き合って出した、彼なりの結論。ヴァンにだって否定は出来ない。ルークは伏せていた眼を上げてヴァンを見る。真っ直ぐに、迷いなく。
「だから俺にはもう───貴方は必要ない。俺はここにいる。こうして生きてるんだ。貴方が俺を認めようと認めまいと」
「……フ……フフ。なるほど、賢しい知恵をつけたな」
ヴァンは背を向け、笑いを溢す。その背にティアが今一度説得の言葉を掛けた。
「兄さん! 人は変われるわ。ルークと同じように。もう一度考え直して」
その呼び掛けに向けられた背が応える様子はないが、彼女は続ける。唯一の肉親を説得出来る最後の機会として。
「星の記憶は兄さんの言うように、本当に絶対のものなの? ルークがここにいるのは、星の記憶に定められたからじゃない。彼が選んだからだわ。星の記憶は未来の選択肢の一つ。それを選ぶのは星じゃない。第七音素でもない。人よ」
「それもまた絶対ではない。選んでいるのではなく、選ばされているのかもしれぬぞ」
なら、と声を上げたのはガイだ。
「なら、お前も星の記憶を消すのを『選ばされている』のかもしれないぜ? 星の記憶を消すことが、お前の意志だけで決定されたと言うなら、そのことこそが星の記憶が絶対でない証さ」
「それは詭弁だな。私が言う星の記憶は、ユリアの預言が基本だ。そこには人の消滅は詠まれていても、星の記憶の消滅は詠まれていない」
ナタリアが一歩前へと進み出た。
「だから被験者で人の消滅を実現させて、レプリカ世界を創る。それはホドを見殺しにした人達と変わりませんわ。だからアッシュも貴方を否定したのです。貴方もホドの消滅を悔やみ、それを招いた人間を憎んでいたのではないのですか?」
「そうだな。しかし手段を選んではいられぬのだ。星の記憶という絶対的な道を破壊するためにはな」
ヴァンは既に破綻している。最初に抱いた想いから違う場所へ来てしまった。大佐は伊達である眼鏡を外し、弄びながら言葉を掛ける。
「貴方のような賢明な方が、不思議なものですね。人も星もいずれは消滅する。星の記憶があろうとなかろうと、それだけは決まっているのです。貴方の言う絶対的な道が決まっていたとして……それでも、消滅に至る道は人に選択権が与えられているのだと思いますよ」
「貴方らしい考え方だ。死霊使い殿。そう、いずれ全ての命は消滅する。早いか遅いかの差だ。だが星の記憶はそれを早くに設定している。私は貴方のように、早くに滅びることをよしとは出来ない」
今度「でも」と声を上げたのはアニスだ。
「でも総長は結局、被験者を星の記憶以上に早く滅ぼそうとしてます。総長は預言を憎み過ぎて、誰よりも預言に縛られているんです」
「……フ。或いはそうかもしれぬな。私も、いや私もお前達も預言という得体の知れない未来に縛られている」
その言い回しがあまりにもくどくて、ボクも口を開いた。
「未来なんて、いつだって得体が知れないものでしょ。絶対の未来なんかない。だからルゥノとアイオンの契約があるんだ。人の意志や選択に意味がある。ボクは信じてる……少なくともボクは、納得のいく未来を自分の手で掴み取ってやる」
「勇ましいな。だが、それならレプリカイオンの死はどうだ? お前はお前の望む未来を常に掴み取れるわけではないだろう。あのレプリカが死んだのは、預言が『導師イオンの死』を詠んでいたからではないのか」
「そうかもね。でもそれで、選んだテセの意志が否定される訳じゃない」
平行線だ。どこまでも平行線。星の未来を望むのは一緒でも、今あるものを残すか否かで違えてしまった。預言を可能性の一つとするボクらと、絶対の未来とするヴァン。分かり合える余地は、どうしても生まれない。
「俺達は未来が選べると信じている」
「私は未来が定められていると知っている」
ヴァンが剣を抜く。それは戦いが始まるサインだ。ボクらもそれぞれに構えて立つ。ボクらを見据える青い眼は、皮肉な程にこの広い青空と重なって見えた。
「剣を抜け。まとめて相手をしてやろう」
「ヴァン……覚悟!」
ルークが剣を抜く。直後、それぞれが己の役割に動いた。
ティアとボクで補助へ回り、大佐は譜術を準備する。ルークとガイとで剣を交わらせ時間を稼いだ。ナタリアとアニスは遠距離からの攻撃が基本で、最後尾を維持する。最悪の場合はフォミクリー装置だけでも破壊するための動きだ。レプリカ大地を作らせる訳にはいかない。
攻撃の要は大佐で、回復の要はナタリアだ。隙をついてティアが大譜歌を詠い、ルークがローレライの鍵で解放をすることになる。ボクの役目は補助を切らさないことと誰も死なせないこと。音素の動きに一番敏感で、瞬発力を出せるのもボクだけだ。
(成すべきを成そう)
特別なことなど要らない。ボクは変わらず、ボクに出来る仕事をすればいい。誰一人死なせないために、ボクは音素と踊った。
*****
二度目ともなれば、ヴァンの動きは読めなくもない。特に前衛を務める二人がヴァンの剣筋を知っているのが大きい。こちらが劣勢に立たされることはなかった。
ただ戦いは均衡し、どちらも攻めあぐねる。人数差を押し返す実力には唸るものがあって、不用意に動けない。僅かな隙を突いてティアが大譜歌を試みた。
「ふっ!」
「限定解除!」
息と共にローレライの力を放ち、その波動によってティアの譜歌が打ち消される。以前アブソーブゲートの外で喰らったものだ。
咄嗟に響律符の力を借りて味方全員に障壁を張る。ローレライの力を甘くみるつもりはない。そのお陰か被害はなかった。
ヴァンが見定めるようにティアを見る。
「……譜歌か。確かにその旋律はローレライを目覚めさせる。だがお前は、譜歌に込められた本当の願いを知らない。私には……効かぬぞ」
「いいえ……兄さん。……私には分かるの。ユリアがこの譜歌に込めた想いが、分かるような気がするのよ」
「……それが真実なら、見事詠いきって見せよ。メシュティアリカ!」
ルークが駆け、連撃でヴァンの動きを封じる。師弟は剣を交わし、言葉も交える。
「……喰らえっ!」
「……遅いっ!」
全て防がれ、ルークが弾き飛ばされた。宙で受け身をとって体勢を立て直す。
「くっ!」
「……忘れたか。お前に剣を教えたのは、私だ」
「ローレライを解放しろ!」
ティアが再び大譜歌を試みる。それに反応するようにヴァンの体が淡く光った。再びルークが迫り剣を───ローレライの鍵を振り下ろす。
「……っ」
ヴァンは右腕を持ち上げて剣で防ごうとするが間に合わない。右腕で直接鍵を受け止める形になる。だが、その腕は飛ばない。弾き飛ばされたのは今度もルークの方だ。ローレライの力だろう。
鍵を受け止めた腕が露になる。その肌は赤と青に変色し、不気味な様相になっていた。ローレライを取り込んだ結果、肉体にも拒否反応が出ているのかもしれない。
「……やはり……強くなったな」
「ヴァン……」
今更向けられる師に認められた言葉に、ルークは名を呼んで応えた。ヴァンは右腕を掲げる。
「私が……ここまで追い詰められるとは……。結局、この疎ましい力を解放せねばならぬようだな」
「!」
直後、ヴァンから高濃度の音素が放たれた。暴力のようにその光と力の波がボクらを襲う。
「この圧力……! これが……ローレライの力ってやつか」
「とうとうその力を使ってきましたか……それでも、勝つのは私ですが」
「……やっぱ総長……強い。でも……絶対負けないんだから」
「負けませんことよ。私の矢で、貴方を奈落の底へ追い落として見せますわ!」
ガイ、大佐、アニス、ナタリアの言葉にヴァンが口角を上げる。その姿は先程までとは違う。髪留めが飛んだのだろう。髪が下り、左腕には羽根のようなものが生え異形と成り掛けている。右腕の不気味な侵食は右肩までもを飲み込んでいた。
「心強い味方がいるな」
ルークは誇るように前へ出た。仲間がいることで支えられているかのように。
「そうです。皆はこんな俺をずっと助けてくれた……皆の為にも負けられないっ! いや、俺という存在にかけて負けない!」
「兄さんがローレライの力を使う時、ローレライの制御に隙ができる。それを分かっていて、使わざるを得ない状況に追い込んでいるのはルークよ。兄さんがずっと認めようとしなかったルークなのよ。ルークは……いいえ。私達は負けないわ!」
「……確かに、私にこの力を使わせたことは誉めてやろう。流石は我が弟子だとな」
ティアの言葉に頷いて、「だが」とヴァンが剣を構え直す。こちらも、応えて武器を構え直した。
「だが、それもここまで。さらばだ! ルーク!」
ヴァンの剣から光が放たれる。音素の塊が眼前に迫り、各々で回避行動をとる。そのままルークとガイは前へ出た。
「斬影烈昂刺!」
「虚空連衝刃!」
ルークの攻撃の隙にガイが畳み掛ける。ヴァンの動きを封じる内に大佐の譜術が完成し、ティアの譜術もまた発動した。
「グランドダッシャー!」
「クラスターレイド!」
ヴァンの姿が隆起した大地に呑まれ、地のFOFに干渉して生まれた水晶が円周上に突き出ていく。ボクは闇のFOFを作って、ナタリアのエンジェルブレスをサポートした。
「ぬるい!」
「くっ!」
光が放たれ、音素が打ち消されていく。姿を現したヴァンに、こちらの攻撃が効いている様子はない。
「参ったな……これ以上皆の能力を底上げすることは出来ないんだけど」
「こちらの攻撃が吸収されている様子もあります。おまけにあちらはローレライの力で治癒力も高い。弱りましたねぇ」
大佐と出来る限りの対策を打ってみるが、中々こちらの攻撃が通らない。徐々に皆に疲労が見え始める。前衛も後衛も怪我をする頻度が増えた。それを察してナタリアが厳しい顔をする。
「まずいですわね……傷は癒せても疲労は癒せませんわ」
「ごめんなさい。私が大譜歌を詠えていれば……」
「その隙がないんだからどうにもなんないよ」
悔しげなティアに事実を告げる。しかし、このままではまずい。何の対策も打てていない。こちらに大きな被害がないことだけが救いだ。
ボクらへ音素の塊が放射される。それを散り散りに避けて、各々が出来ることを行動に移す。ボクは大佐の方へ寄った。
「意識集合体をぶつけてみるってのは?」
「馬鹿を言わないで下さい。既にローレライの力を防ぐために貴女は幾度と響律符の力を借りている。乱用すれば身を滅ぼしますよ」
「それでも相手が意識集合体の力を借りてるなら、こっちだって借りるのが道理だよ」
「……そうですね」
苦い顔をして、大佐は否定しない。それをボクは了承だと捉えた。すぐに響律符に手を伸ばし、幾度目かの解除を唱える。
「闇よ、彼の者を安寧の眠りへと誘え───シャドウ!」
「!」
暗い光が瞬いて、世界が一瞬光を失う。ヴァンの足元から闇が這い上がった。シンクを止めた時とは違って、それは明確な殺意のある呼び掛けだ。その身を拘束し、個を侵食して死へと誘う。
「小癪な!」
ヴァンも負けていない。意識集合体の力を借りていると判断してすぐにローレライの力で抗う。拮抗する力に勝ったのは、ギリギリヴァンの方だった。
「意識集合体か……厄介な力だな」
「目には目をって言うでしょ」
「……なるほど。ならば私とお前のどちらが先に果てるか!」
ヴァンがボクを標的に定める。迫る剣を身を捻って避けると受け身を取って再び響律符に触れた。言葉の通り根比べだ。
「大地よ、猛りて砕け───ノーム!」
第二音素がきらきらと輝き、直後色の落ちた世界から大地の加護が具現する。ボクの前の大地が鋭く切り出されヴァンを襲う。それは槍のようにも竜の尾のようにも見え、ヴァンの体を幾条にも貫いた。鮮血が散る。
「ぐお……!」
「灼熱の業火よ、その身を焼け───イフリート!」
躊躇わない。三度世界は色を失い、ボクは第五音素をヴァンへ放つ。それは大地に渦巻き空を焼いた。怒れる巨人の鉄槌のように振り下ろされたそれに、ヴァンはローレライの力で抗い耐える。
「ぬぅ!」
炎を散らして現れた姿は半身を焼いていた。すぐにローレライの癒しの力で治癒が始まるが効果はある。確かな証に何度でも力を借りようと手を伸ばして───ボクはその場に膝をついた。
「っと……」
両手を突いて体を支える。視界が揺れる。足に力が入らなかったのは一瞬だ。連続で意識集合体の力を借りて高等譜術を使う無理の反動が来たらしい。情けない。
「アリア!」
「させるか!」
すぐにルークとガイが間に入ってくれる。その隙にアニスのトクナガが巨大化してボクを回収し、下がらせた。ティアに叱られる。
「なんて無茶をするの!」
「まだやれるよ」
「駄目よ! これ以上力を使ったら───」
使ったら。以前シンクに釘を刺されている。音素を取り込み過ぎたら体が変質し、徐々に化け物に近付く。ただ限定解除をし音素の力を借りるより、意識集合体の力を借りる方が負担は大きいだろう。それでも、いきなり全部が台無しになることはないと思う。いや、ないと信じる。
肩に添えられたティアの手に触れる。
「大丈夫。限度は見定めるよ」
「……っ」
ティアの青い瞳が痛みに歪む。彼女も分かっている。ボクの攻撃だけがローレライの力を貫通してヴァンに効いていると。
以前は障壁を張ってヴァンの大技を防ぐだけで消耗していたのに、今のボクは高等譜術の連続使用に耐えられる。体は少しずつ順応している───戦う余地が増すなら上々だ。ボクの意志は化け物に侵食されてもいない。
ルーク達が時間を稼いでくれている間にボクは立ち上がる。乱発は出来ない。
(ティアが大譜歌を詠う余裕さえ作れればいい)
そうすればルークの第二超振動でローレライの力も無効化出来る筈だ。ヴァンを少しの間動けなくするために響律符に手を伸ばす。だが、その力は目的の通りには使えなかった。
「ローレライの力、見るがいい───」
「!」
急激に音素が圧縮される。大気が震え、ヴァンを中心に爆発が起きると予感した。第七音素による広域の振動───超振動だろう。兵器に等しいその力を無防備に受ける訳にはいかない。
「限定解除!」
世界は色を失う。時間は停滞し、音素の煌めきが眼に見える。呼び掛けるのは第四音素だ。空間の連続と隔絶を守護する力。あらゆる流れを生む水は、時に抗う濁流となる。
「生命を慈しむ水よ、流れへ抱け───ウンディーネ!」
「エンシェント・レクイエム!」
ヴァンが超振動を起こすのとボクの祈りが届くのは同時だった。海と見紛う程の水が具現化されボクらを包む。味方識別を済ませてあるそれは実際に体を濡らすことはなく、呼吸を奪いもしない。ただローレライの力からボクらを護り、命を繋いだ。
「……くっ!」
双方の力が相殺し視界が戻る。それでも全員が無事という訳にはいかない。以前の戦いでそうだったように、距離が近かった者程その力の余波を受けている。ルークとガイが膝をつく。血を吐く様は内蔵の損傷を示していた。
ヴァンはゆらりと身を起こし、ボクらを見回す。
「流石は意識集合体の力か……よもや打ち消されるとはな」
笑って、その足は前へ進められる。側に伏すルークとガイを素通りし、攻撃の手を止めざるを得ない後衛へ。
「待て……!」
「……ヴァン!」
ヴァンは制止に構わない。その足はこちらへ向かう……ボクの方へ。
「アリア!」
ティアの呼び掛けが聞こえる。ボクは眩む視界で頭を振って立ち上がった。でも動きは緩慢で追い付かない。影は一足飛びに距離を詰めるとボクの首を無遠慮に鷲掴んだ。足が浮き、首を絞められながら体を持ち上げられる。青い、瞳。
「……っ」
「手を煩わされたな。他の者より先に、お前を始末する必要があるらしい」
言葉に偽りはない。喉を押す力は強く、このままでは声を潰される。いや、首の骨を折られるかもしれない。頭が回らない。酸素が不足して、視界が涙で滲む。
「どのようなカラクリで復活したかは知らぬが、再び命を奪いアイオンを喰らう予定だった。だが、よい。このままお前ごと喰らってくれよう」
不気味な様相の右腕が淡い光を放ち始める。意味が分からない。人間を音素に分解し、直接吸収するとでも言うのか。混乱する頭で直感的に死を理解する。このままではまずい。
既にボクの無茶は限界に近い。それでも響律符に触れて生き延びる術を得ようとする。それより先に……結果は表れた。
「───アカシック・トーメント!」
「ぐぅ!?」
この場にない筈の声が響いて音素が足元から立ち上る。巨大な譜陣がボクとヴァンを中心に描かれ、七属性の輝きがヴァンを襲った。
怯んだ隙に手を逃れ、よろめいて下がった体を誰かに強引に引かれる。温かい体温が分けられた。それが誰かは眼を開けずとも判断出来る。声は預けた体の上から降って来る。
「……アンタの無茶は直らないね」
「……シン、ク」
千歳緑の瞳が鋭くヴァンを睨む。何故ここに、なんて問うだけ野暮だ。動けるようになったから来てくれたに違いない。今に音素乖離を起こしても不思議のない体───無理を押して動いているのはどちらか。
支えられながら第七音素を喉へ集める。声が戻らなくては詠唱も出来ない。ヴァンは目の前に現れた彼を見て嗤う。
「生きていたか。情けを掛けられていたとは、惨めだな」
「取引内容を忘れたのか」
「敗れた者に配慮する必要もあるまい」
それがどういう意味での会話かは分からないが、二人の間で取り決めがあったようだ。シンクは鼻白む。ヴァンは哀れむように眼を向けた。
「その体で何が出来る? 立っているのもやっとではないか」
「そうだね。アリアを痛め付けてくれた礼は僕には返せない」
でもそれでいい───言葉の直後、ティアの譜歌が聞こえる。顔を上げたヴァンを止めたのは背後から振るわれたルークの剣だ。ナタリアの治癒が間に合っている。
「───今だ!」
第二超振動を発動させる。瞬間、景色が変わった。青い───青い、青い景色。この空間そのものが切り離され、特別な力でボクらが護られるのが分かる。譜陣が幾重にも広がり、大地と空を彩った。
それがユリアとローレライの契約による力なのか、そこに第二超振動が加わったことによる作用なのか、それは分からない。分かるのは今、ボクらにはどんな音素による効果も通じないということ。
───ローレライを解放出来る。
「……っ!」
一度距離を取ったルークが走る。ローレライの力を借りられなくなったヴァンへ迫り、幾度か仕合う。やがてその剣は……ヴァンの体を捉えた。
「これでっ……終わりだ!!」
「ぬぁ……っ!」
幾度と立ち続けた体を正確に斬り裂く。声が上がり血が噴き出す。致命傷だ。体へ走る大きな傷から音素が零れ出していく。ヴァンはその場に膝をつくと、苦しげに囁いた。
「七番目の旋律……理解したのだな……ティア……」
「私、思い出したの。兄さんが泣いてばかりいた私に詠ってくれた、この歌を。兄さんは譜歌の意味を知っていて、最初から私に全て伝えてくれていた。ありがとう……兄さん……」
「……さらばだ……メシュティアリカ……」
別れを告げるヴァンに、ルークが思わず駆け寄ろうとする。ルークにとって、彼はやはり敬愛する師なのだろう。例え敵対するしかなかったとしても。
「ヴァン師匠!」
「来るなっ!! ……この期に及んで、まだ私を師と呼ぶか……愚か者……」
柔らかい叱責。それが、彼が弟子にかけた最期の言葉だった。ヴァンはボクを……その側に立つシンクを見て笑う。嘲笑うのではなく、ただこれからが楽しみだというように。彼の歩く道がどこへ続くのか、想像するのが愉快だと言わんばかりに。
それから元の景色に戻った空を仰ぎ見る。復活させたホド───彼の焦がれた故郷であり、彼が消してしまった景色であり、そして彼が新しい世界の象徴にと最初に生み出した大地。栄光を掴む者・ヴァンデスデルカ……その、栄光の大地エルドラント。そこから見える世界は、今の彼にどう映るだろうか。
「……許せよ……我が同志達……よ……」
薄れていく。肉体を組織する音素が離れ、体が維持されなくなる。その最期に、ルークが拳を握った。堪らず上げられた声は涙に震えていて、彼の心からの想いが込められていた。
「ヴァン師匠……ありがとうございましたっ!」
その別れに、応える声は既になかった。
*****
ヴァンの姿が消えて、少しすればエルドラント全体が大きく揺れ始めた。ヴァンの死が要因か、他の理由か、とにかく崩壊するつもりらしい。ルークが口を開く。
「……皆は急いで脱出してくれ。俺はここでローレライを解き放つ」
「ルーク!」
「ローレライとの約束だ。これは俺がやるべきことだから」
ボクらを振り返ってそう話すルークは落ち着いていて、自暴自棄でも諦めでもなく、自分の意志でそれを選んだように見えた。成すべきを成すために、彼は崩壊していくここに、一人残る。
最初に動いたのは大佐だ。歩み、ルークの前へ立つ。その左手を差し出した。それは握手を求める形で、左利きのルークに配慮したものだ。大佐の最大限の敬意がそこにあると感じる。ルークの顔が驚きに変わった。
「ジェイド……」
「ルーク。貴方は本当に変わりましたね」
「俺、酷かったもんな」
応えながら、彼は利き手で握手をする。大佐にとってのルークが何なのかは知らない。ルークにとっての大佐が何なのかも知らない。でもきっと、互いに認め合った仲間であることは確かだ。
「……ですが、どれだけ変わろうと悔いようと、貴方のしてきたことの全てが許されはしない。だからこそ、生きて帰って下さい。いえ……そう望みます」
「ジェイド……無茶言うなよ……」
「すみません」
彼らの手が離れる。下がる大佐に代わって、駆け込むようにルークへ寄ったのはガイだ。勢いよく肩が叩かれる。
「待ってるからな。ご主人様のいない使用人ってのも、寂しいもんなんだぜ」
「お前、もうウチの使用人じゃないだろ」
「ま、公爵家の使用人じゃないが、お前の心の友兼使用人でいてやってもいいんだぜ」
「馬鹿だなー、お前」
二人で笑い合う。彼らは自他共に認める「親友」だ。そこにあるのは「絶対」に近いものだとボクは思う。この世に絶対なんてないけれど───それを誓えるのは、きっと彼らのような存在だ。
「だから、さくっと戻って来いよ。このまま消えるなんて許さないからな」
「……気付いてたのか!?」
「帰って来たら、心の友に隠し事をするような根性、矯正してやるよ」
いつものように笑って、ガイがルークから離れる。今度飛び込んだのはアニスで、彼女はルークの胴体へしがみついた。
「アニス!?」
「私も、知ってたよ。ガイみたいな確信じゃないけどさ」
「なんだよ……それ……」
「えへへ🖤 だってルークって分かりやすいし。でもね、私としてはルークに生き残ってもらわないと困るんだよね」
「まさかと思うけど、俺に乗り換えるの?」
「まさかー🖤 私、イオン様の代わりに教団を立て直したいんだ。導師になるアリアを支えて……そのためにはぁ、パトロンが必要でしょ🖤 ちゃんと帰ってきてね!」
言い逃げるようにアニスが去り、ルークが呆れたように肩を竦めながら笑う。
「勝手なこと言ってら……」
その彼に近付いたのはナタリアだ。
「ルーク……生き延びて下さい。私はもうこれ以上、大切な人を失いたくありません」
「ナタリア……」
「キムラスカを守るためではありませんわよ。貴方が、貴方の人生を生きるために。分かりますわね」
「……生きたかったな」
「生きるのです。消えるなんて許しませんわ。絶対に」
「……うん、ありがとう」
ナタリアが離れた後に続くのはミュウだ。ぱたぱたと跳ねながらも、ルークとの別れを惜しむ。
「ご主人様……」
「もう、お前の役目は終わったよ。胸張って、仲間のところに帰れ」
「ミュウも、ご主人様が戻ってくるのを待ってるですの」
「……そっか。ありがとな」
ルークの、ミュウに対する態度は随分と優しくなったと改めて思う。ボクはその時いなかったけれど、彼がアクゼリュスを崩落させた時ミュウだけはずっと彼の側にいたらしい。ルークにとってのミュウは、それだけでかけがえのないものなのだろう。彼の視線がミュウを離れ、ボクらへと向く。
「ルーク。前にテセが言ってたよね。『ルークは最初から優しかった。ただ、それを表現する方法を知らなかったんだ』って」
「あ、ああ……変な奴だったよ。こんな俺を、手放しで褒めてくれてさ」
「ボクも同じことを思ってた。だから君を助けたいと思ったし、ボクの助けが要らなくなってからも、出来れば近くで見守りたいとは思ってたんだよ」
だから、と続ける。
「期待してる。君が掴みとった未来に。そこで歩みを再開する君に。ボクはテセの望んだ道の先を見るから───君も、期待してて」
「……ああ。お前なら、きっと出来る」
ルークはきっと戻って来られない。誰もが分かってる。その上で帰還を望み口にするのは、それが祈りだからだ。何かに届けばいいと思ってる。ルークの視線はボクの後ろへと向けられた。
「……シンク。お前は生きて、未来を見てくれ。レプリカだって生きてていいんだ。お前には……それを教えてくれる奴が側にいるんだからさ」
「……余計なお世話だよ」
シンクはそれだけ応えてそれ以上は何も言わない。あえて伝える言葉がないから。彼とルークの関係性を思えば、それくらいが相応しいのかもしれない。
ルークは体を反転させてティアを向く。彼女は一瞬ルークに背を向け、改めて彼を見た。何かを堪えるように懇願する。
「……必ず帰ってきて」
「ティア……」
「必ず。必ずよ。待ってるから。ずっと。ずっと……」
「……うん、分かった。約束する。必ず帰るよ」
短い、ただそれだけのやり取り。でも彼らはそれでいいのだ。きっと伝えるべきは既に伝え合っていて、これ以上の言葉は必要ない。
ティアが離れ、ルークはボクらに背を向けた。ローレライを、音譜帯へ押し上げるために。
(聖なる焔の光……)
その輝きに、加護を願って。ボクらは彼を一人残して、崩れゆくヴァンの理想の名残から立ち去った。
アルビオールに運ばれ、本来の大地へと戻る。そこから仰ぎ見る空には、一筋の光が伸びていた。崩れゆくホドから、ローレライの力が立ち昇る。
ルークは、ローレライを解放したのだろう。彼の体はきっと音素乖離を起こした。だが、彼の無事が分からないのと同じく、彼の終わりもボクらは知らない。だから、願ってもいいだろう。彼の、帰還を。
ボクらは居たい場所へと帰る。
望んだ未来に、いるのだから。