栄光と永劫
新生ホド───エルドラントは、今まさに再生されながら空に浮かんでいる。徐々に生まれ、形作られていく大地。その未完の風景を眺めながら、ボクは「敵」の到着を待っていた。
戦うことに躊躇いはない。あいつと違ってボクには「仲間」なんて概念はないから。自分で選んだ道だ。似合わない、自身の望みのために選択したこと。
(今更望みを持つなんて馬鹿みたいだ)
預言の消滅以外に生きる目的なんかなかった。無価値の烙印を押された命。道具として消費して、こんな下らない生は終わらせるつもりだった。なのに今は、違う結果を期待している。
自分が生きることを望んでいるかは分からない。ただ、ボクに価値を与えたそれが欲しいだけ。その眼に「ボク」を証明し続けて欲しい。側を望まれ、「死」を厭われたい。
(これは最後のチャンスだ)
ボクがアリアを手に入れるための最後のチャンス。ヴァンの計画が完全に潰える前に利用する。アリアを預言に奪われないように───死者に手を引かれることのないように。今生きているのは、七番目ではなくボクだから。
ボクは「ボク」を奪わせない。やっと与えられたそれを失うくらいなら、全て壊してやれる。アリアを自由にする───それがボクの望み。例え、本人がそれを望まなくとも。
「……第二超振動か。冗談じゃないね」
ボクの用意した罠から逃れたルーク達へ声を掛ける。
第二超振動……超振動と超振動が干渉し合うことで全ての音素の効力が無効化される、理論も確立されていない御伽噺。それが現実になったかには興味がない。この手で殺せるか、殺せないかだ。
奴らの眼が階段の下からボクを睨み上げる。
「シンク!」
「そんな化け物みたいな力を使われちゃ、ユリアの加護を受けたヴァンにも荷が重くなる。ここで大人しく鍵を渡してヴァンの下に降るかさっさとくたばるか、選んでよ」
「……どっちもお断りだ!」
ルークの言葉に躊躇いはない。何の不思議もない予想通りの答え。そうなれば次に問われることも予想の通りだ。守護役が声を大きくする。
「アリアをどうしたの!?」
「無事だよ。今は少し眠ってもらってるけどね」
「……そこにいるってことは、ヴァンにつくってことか」
ホドの生き残りが確認するように言葉にして、ヴァンの妹が問う。
「どうして? 貴方は兄と袂を分かった筈。アリアの願いも知っているでしょう!?」
アリアの願い。預言を残し、導師の遺志を継いで世界を導くこと。───苛々する。
「知ってるよ。だからここにいるんだ」
「どういう意味だ」
「預言を消して世界を壊す。そうすればあの馬鹿も導師の遺志を継ぐなんて言い出さない。死者の影に纏わりつかれるなんて真っ平だ」
「……イオン様の祈りを否定するって言うの!? あんただって同じレプリカでしょ!?」
「同じじゃない。そんなことはお前だって分かってるだろ?」
守護役の叫びに返してやる。ボクとあいつは同じじゃない。選ばれた代用品と、選ばれなかったゴミ屑。死んだのはあいつでボクじゃない。ボクの望みとあいつの望みは重ならない。
「イオンは……七番目のイオンは甘ちゃんだった。預言は未来の選択肢の一つだって信じてさ」
だけど結局は星の記憶には抗えなかった。導師イオンは死ぬ───それが星の記憶だ。あいつは犬死にだった。嗤ってやれば、守護役は拳を握って肩を震わせる。お前が死なせたクセに滑稽だ。
「今の言葉、取り消して!」
「取り消さないよ。事実だからね」
七番目は犬死にだった。あいつはアリアを置いて行った。側に望んでおいて無責任に。そんな奴の死を正当化してやる理由がない。何故死んだのか───それを問うアリアの声はまだ耳に残っている。
「ヴァンのやり方なら、最終的にローレライ諸とも第七音素は消滅する。真の意味で預言は消えるのさ」
「お前はそんなに預言を恨んでいるのか……」
「ボクは導師イオンが死ぬという預言で誕生した。……一度は廃棄されたことも知ってるだろう」
「だから……預言を恨んでいる? 捨てられたから?」
「違うよ。生まれたからさ!」
自然と声が大きくなった。感情が乗る。ボクに生まれた唯一のもの。それが怒りなのか憎しみなのかボクには分からない。分かるのは黒々としたものが腹の底に渦巻くこと。預言を許容出来ない、それがボクの結論。
「お前みたいに代用品ですらない。ただ肉塊として生まれただけだ。───馬鹿馬鹿しい。預言なんてものがなければ、ボクはこんな愚かしい生を受けずに済んだ」
「……生まれてきて何も得るものがなかったって言うの?」
「ないよ。ボクは空っぽさ」
「……嘘ですわ」
ぴくり、と眉を上げる。それまで黙っていた王女が前へ進み出てボクを見上げる。何かを確信しているように言葉へ変えた。
「貴方が本当に何も得なかったなら、私達と過ごす時間もなかった筈。アリアを選んでヴァンと戦うこともなかった筈ですわ。貴方は一度アリアの伸ばした手を取った……それは、彼女から得るものがあったからではなくて?」
口の端が歪む。自身を嗤うように笑みの形を作った。
「……そうだよ。アリアはボクに与えたんだ。飢えた獣に餌をやるみたいに安易にね。そんなことをするべきじゃなかった。不用意に関係しようなんてするから、ボクに捕まったんだ」
「貴方が今更預言消滅に動いたのは、アリアのためですか?」
死霊使いが問う。眉が寄る。赤い瞳は冷静で、本当に余計なことによく気付く。
「アリアのためって……どういうことだ?」
「……アリアはユリアの預言にその存在を詠まれているわ。それも解釈の難しい形で……彼女の存在が何らかの形で預言に利用される可能性はあるのよ」
「アリアは教団の導師になろうとしてる。預言という導を失った世界はアリアに『代わり』を求めるだろうな」
ヴァンの妹とホドの生き残りの言葉をボクは否定しない。人間はどいつもこいつもゴミ屑だ。絶対に奴らは救いを求めてアリアへ手を伸ばす。始祖ユリアの生まれ変わりなんて話が触れ回られたらロクなことにならない。
こんな世界、続ける価値などない。
「でも、それがアリアの望みだったんだろ! イオンの遺志を継いで教団を立て直す───預言を失った世界を支えることだって、そこには含まれていた筈だ。その意志を尊重するつもりがあったから、ずっと俺達と行動を共にしてたんじゃないのか!」
ルークの言葉に笑ってしまう。そうだ、そのつもりだった。アリアの意志を尊重するつもりがあった。導師になってボクと自身の居場所を守るという言葉を疑った訳じゃない。化け物になったって、アリアはボクの手を離さなかったのだから。
だからこれはボクの我儘だ。導師の影を追うアリアの姿を見たくないという───身勝手な感情。嘲笑って答える。
「ボクの望みは預言を消して世界を壊すこと。導師の跡は継がせない。預言にも、預言に縋るゴミ共にも……七番目にも。誰にもくれてやるつもりはない」
空っぽのボク。嘘なんかじゃない。空っぽの中身が別にあるだけだ。ボクに価値を、意味を与えるのはただ一人。その一人を奪うならこんな世界は滅べばいい。ボクは被験者とは違う。「唯一」と心中する道なんて選ばない。ボクが選ぶのは……アリアを生かす世界だ。
「誰だってよかったんだ。ボクからアリアを───漸く見付けた『ボク』を奪わないなら」
ルーク達が階段を駆け上がる。ボクは下がって目の前の敵を見据えた。フォンスロットを解放し、音素を集める。奪わせない。自分のために、この選択をした。
「劣化してるとはいえ、導師と同じ第七音素の力……本気で戦えば、アンタ達もただでは済まない!」
「……っ」
空間が震える。音素が騒いで濃度が増した。ボクの周りに集まるそれは、ボクの解放する導師の力に呼応したものだ。この力を使えばボクの体も無事ではない。導師の代用品に不適当だという烙印を押されたこの体に、導師の力は負担になる。それでも───
「───試してみようよ。アンタ達と空っぽのボク、世界がどっちを生かそうとしてるのかさぁっ!」
叫ぶ。世界の終わりを願って、自身が生かされる未来に賭けて。血を吐くように、命を散らして立ち塞がる。
ボクが「ボク」であるための戦いを、始めるんだ。
*****
暗闇の中で意識が揺蕩う。全ての感覚が曖昧で分からない。ここはどこだろう。ボクは何をしていたのだっけ。
(やらなきゃいけないことがあった気がする……)
ぼんやりと思考する。思い出せない。何だったのだろう。考えることにも疲れてしまう。
もういいかな、と胸の内で囁いた。分からないけど、頑張った気がする。柄にもなく必死になって、感情を動かして行動して。出来ることはやった気がした。もう、楽がしたい。
慣れた怠惰が顔を覗かせて、覚えのある無責任さが心地よい。ここでこうして闇に溶けてしまいたい。何かを背負うなんて似合わない。ボクは……
(……ボクは、何だっけ?)
不意に疑念が湧いた。曖昧になっていた自己への問い。こんな所で寝ていていいのだっけ。無責任で、自由で。それだけがボクの在り方だっただろうか。変わるための旅を、したような気がする。
(ルーク達と旅をして……自分の生まれを知って……)
春の景色の中で笑った少年がいた。ボクの祈りを幸せそうに受けて、彼はボクに微笑んだ。側にいて欲しいと、ボクなんかを望んで。
───「春を告げる花」。
雪を溶かして、春の訪れを伝える。それがボクの役目。願われた希望の祈り。まだ、果たしてない。約束の時は訪れてない。失われた福音は、まだ。
(───起きなきゃ)
やるべきことが残ってる。放り出せないものがある。迎えに行かなければならない。失いたくない。例え互いの望みが違っても……それを、理不尽に押し付け合うことになっても。
光が差して手を伸ばす。それはボクの意志であり、彼の意志。ボクを導いてくれる光はいつだって彼だから。その光は、ボクを永久の闇から連れ出してくれる。ボクが望んだ場所へ連れて行ってくれる。
───目を、覚まそう。
*****
ぼんやりと眼を開ける。そこは見覚えのない、整えられた廃墟だった。そうとしか形容出来ない。作られたばかりのような綺麗な建物と、反して中身を失ったような伽藍堂の空間。ここは、どこだろう。
(……エルドラントだ)
彼がボクを連れて来るならそこだと思った。作りかけの新生ホド。この風景は再生される途中の世界なのだろう。これからヴァンは、世界中をこの景色と同じにしてしまう。形だけ同じの中身のない風景。そんな世界にされる訳にはいかない。
「……っ」
立ち上がる。少し眩暈がして、強制的に眠らされていた後遺症だと思う。まだ第一音素の名残がある。拘束なんかはされていなくて、余程強力な力で眠らされていたのだろう。起きてくる筈もないからか手足は自由だ。
歩いて建物の外へ向かった。そこで音素のぶつかり合う気配を感じたから。誰かが戦っている。……誰か、なんて問わなくても分かる。ボクを庇って戦う人なんて、この状況じゃ限られる。
「──────、」
外へ出て息を呑む。青空が眩しくて、陽の光の下で死闘を演じる人達がいる。
一方はボクの仲間。ルークに、ティアに、大佐に……皆でヴァンを倒しに来たんだ。彼らの姿はボロボロで、それはここへ来るまでにも戦ったからか。それとも目の前に立ち塞がる少年に手を焼かされているのか。
もう一方はボクを拐ったボクの護衛役。味方だと信じて背を任せた。こんな形で裏切られることになるなんて思わなかった。眠る前の彼の言葉は、まだ理解出来ていない。でも。
(音素が……集まってる)
それはまるでボクが音素へ呼び掛ける時のようで、大気中の音素は千歳緑の少年へ傾いていた。白い衣装を血で汚し、線の細い体に傷を負って。今にも倒れそうな彼を支える力は何か。直感的に悟った───導師の力だ。
「……なんで」
血の気が引く。導師の力は劣化したレプリカ体には負担が大きい。テセはそれを使って消えてしまったし、シンクは適性がないと捨てられた個体だ。そんな力を使えばどうなるかなんて、専門家でなくても想像は容易い。
───死んでもいいと、思っているのだろうか。
「───っ!」
躊躇わなかった。響律符へ手を伸ばす。結晶へ触れて封印術式を緩め、大地を蹴った。
途端世界は遅延する。
少年の体へ集中していた音素が流れを変え、ボクの意志に応える。奪わせない───それは、ボクが「生」を望む存在だ。
「彼の者を捕らえよ───シャドウ!」
「!」
暗い光がボクの周囲で瞬いて、生まれた結晶が砕ける。それと同時に変化は起きた。ボクの視線の先、戦う全員の足元から影が這い上がる。それは彼らの体を拘束し、動きを妨げた。
「何が起きたんだ!?」
「この力は、まさか……!」
驚く仲間の声を聞きながらボクは飛び出した。闇の腕に囚われて揺らいだ体へ駆け寄る。膝をついた彼の隣にボクも並んで膝をつく。彼の体は傷だらけで、今にも倒れてしまいそうだった。
「バカ! なんでルーク達と戦ってるのさ! 目的が違うでしょ!?」
駆け付けて最初にどやす。仮面は戦いの最中にどこかへやったのか、素顔が現れていた。その顔にテセは重ならない。今ボクが向かい合ってるのはシンクだ。
顔色の悪い彼の視線はちらりとボクを盗み見て、小さく笑った。
「ハッ……もう起きて来たの……本当に化け物だね、アンタ……」
「冗談はいいよ。そんなことより体を診せて。音素乖離が始まったら……」
始まったら。ボクに何が出来るだろう。乖離していく音素を止める方法なんてない。ルークにするように、音素を足してその場凌ぎにするくらいだ。失われる体を、維持することなんて出来ない。───息が詰まるようだ。
ふい、とシンクが視線を外す。
「いいよ、別に……ボクの命なんか惜しくもない」
「っ……いい訳ない! 言ったよね、死なないでって!」
思わず声を荒げてしまう。それはテセが死んだ後に伝えた言葉。涙も流せないボクに彼が寄り添ってくれて、漸く理解出来た想い。死なせたくない───シンクは、ボクが死を理解出来る数少ない人だから。
彼は笑う。どうして笑う余裕があるのだろう。嘲笑う顔のまま残酷な問いを口にする。
「アンタが必死になるのは、ボクの死が導師の死に重なるから?」
「──────」
「一度失ったから失いたくない……同じ顔が死ぬところは見たくない?」
問い。自身を傷付ける無遠慮な問い掛け。信じられない。なんで───なんで。
「───バカ!」
口を突いて出たのは二度目の誹り。彼は思わず閉口して、ボクはその顔に怒りを示す。君とテセは違う。そんなこと今更言わなくたって伝わってると思ってた。でも現実は違っていて、彼はそうして自分を軽く扱う。彼に自身を軽んじる選択をさせたのは───ボクだ。
ちゃんと、伝えなくてはならない。向き合って言葉に変える。ボクを映す千歳緑の瞳には不安の色が覗いていた。
「違うよ。ボクが君に生きて欲しいのは君だから。ボクの前にいるのはテセじゃない、シンクだよ。そんなのちゃんと分かってる」
「……でも、アンタは」
「テセの姿を探してる。否定しない。でもそれと、シンクに伸ばした手は別だよ。ボクは今でも君の依頼を覚えてる」
そんな綺麗事、とシンクが口の中で呻いた。綺麗事かもしれない。右手と左手のそれぞれで手を伸ばしたんだと言っても分かってもらえないかもしれない。
それでもボクは偽りなくそうだ。テセに取られたこの手と、シンクへ伸ばしたこの手。ボクにとってはどちらも同じだけの重みがある。どちらかなんて、選べない。
「……ボクを自由にするって言ったよね」
意識を失う前のシンクの言葉。彼はボクにテセを忘れて欲しいと望んで、自分を選べと迫った。それがどういう考えの下に出て来たものか、ボクには分からない。ボクはシンクじゃないから、彼の頭の中なんて分かる筈もない。
だからこれはボクの答え。あの時、代わりに取れと言われた手を取れなかったことへの、ボクなりの。
「ボクは自由だよ。自分の意志で今の道を選んだんだ。導師代理になるのも、君を側に望むのも───全部ボクの意志」
「……信じられないよ。そう思い込まされてるだけだ。アンタの理由はいつも……いつも、七番目だ」
「──────」
思いもしない言葉に息を呑む。それはダアトを発つ前に彼が呑み込んだ言葉の続きだった。彼はずっとそんな風に思っていた───その事実が胸に痛い。
そう思わせたのはボクの責任だ。ボクが彼の顔にテセを重ねたから。死の後で動揺していたからなんて、そんな言い訳は口にしたくない。痛みに伏せられた千歳緑の瞳に、ボクは。
「!」
彼の体を抱き締める。びくりと震える背に腕を回して、温もりで包む。耳元に囁いた。
「今こうしてるのも、テセのため?」
「っ……何、して」
「ボクが君に怒ったのも、君に『死なないで』って祈ったのも、ボクのためだよ。ボクが君を失えないから」
テセのためでも、シンクのためですらない。ただ身勝手に願っただけだ。きっかけはテセでも今大事なのはそれじゃない。ボクがシンクを手離せないのは───彼が「シンク」だからだ。
「信じて欲しい。ボクは君が大事だよ。テセの代わりじゃなく、君が大事。君が『シンク』だから───ボクは地核で手を伸ばしたんだ」
きっと彼には理解出来ない。自身の価値を蔑ろにする彼には、彼の価値を前提にした考えなんて届かない。それでも言葉の通りに信じて欲しい。信じてくれるまで何度でも同じ言葉を伝えられる。
シンクはボクに抱き竦められたまま動かない。ボクの言葉が届いているかなんて分からない。届いて欲しいと願うだけだ。そのまま暫く停止して……やがて、彼の手がボクの腕に触れる。呟きはそのまま零された。
「……酷い女だね、アンタ」
「そうかな」
「そうだよ。アンタは……導師の手を離せないクセに、ボクにまで手を伸ばすんだ」
それの何が酷いのかボクには理解が出来ない。どちらかを選ぶように迫る彼の考えを分かっていない。分かれない。どうしてかなんて知らないけれど、どうしたって。
シンクは疲れたように息を吐いて、体の力を抜いた。
「ホント頑固だよね。付き合いきれないよ」
「やだよ。付き合って」
「……最悪の気分だ」
ボクは多分酷いことばかり言ってるのだと思う。呻くような彼の声がその証明だ。シンクはボクの言葉を嬉しいなんて思っちゃいない。まるで悪夢のようだと言いたげで、うんざりしてるのが伝わる。
でもボクは譲れない。彼がこの体を突き放すまで、ボクの我儘に彼を付き合わせる。
「! シンク?」
不意に、シンクの体がボクへ預けられた。慌てて問えば、掠れかけた小さな声で肩越しに応えられる。
「……ちょっと力を使い過ぎただけだよ。どうせ、アンタが来なくても勝敗は決まってたんだ。こんな体で生き残れた筈がない」
「………………」
ぎゅ、と彼の背へ回した手を握る。分かってる。導師の力を使った反動は免れない。無茶の代償は支払う他なく、彼の体はやがて音素乖離を起こす。だから、そうなる前に。
ボクは静かに事の顛末を見守ってくれていた仲間達を振り返る。一番前に立って心配を瞳に表わす焔の青年に、願いを口にした。
「シンクの命を奪わないで欲しい。虫の良いこと言ってるって分かってる。それでも……」
「……奪ったりしない。もう、戦えないんだろ?」
「……うん」
「ならそれでいい。俺だってシンクに生きて欲しい。生きて……未来を見て欲しいんだ」
ルークは自身の拳を握って視線を下げる。それは未来を見ることを望めない彼だから抱く想い。優しくて甘くて、今はそれが有難い。
視線を他の仲間へ向ければ、それぞれに頷き返してくれる。それがボクの願いを想った結果なのか、ルークの願いを想った結果なのかは分からない。大佐だけは静かに眼鏡を直した。
「ありがと。ついでにシンクを運ぶのを手伝って欲しい。こんな場所のど真ん中には置いて行けないから」
「ああ」
頷いてルークはすぐに肩を貸してくれる。シンクはもう悪態を吐く余力もないのか大人しいもので、ボクが寝かされていた建物の中へ運び込んだ。
横にすれば立ち去る前に手首を掴まれる。決して強くはないそれに、ボクはちゃんと足を止めて振り返った。うっすらと開いた千歳緑の瞳がボクを見上げている。
「……行くの?」
「うん。やることがあるから。後で迎えに来る」
「……置いて行ったら承知しないよ」
「そんなことする訳ないよ。ボクには君が必要なんだから」
必要───そう、必要だ。失えなくて大切で、隣を望む唯一の人。他にはいない。目蓋が閉じて、シンクは眠りに落ちる。
ボクは立ち上がると仲間と共に外へ出た。それから改めて皆に頭を下げる。
「ごめんなさい。シンクが暴走したのはボクのせいだ。皆に迷惑を掛けたと思う」
「貴女が謝る必要なんかないわ。……彼は自分の望みのために戦っただけだもの」
ティアは優しくて、他の皆の眼にもボクを責める色はない。気遣う視線の中に一つ見定める視線があるくらいで、優しくて苦笑してしまう。
「ありがと。遅れはボクが手伝うことで取り戻す」
「側についてなくていいのか?」
「うん。ボクもヴァンに用があるから。連れて行って欲しい」
「お願いします」と再び頭を下げて、皆は了承してくれる。元々一緒に戦う予定だったから変わらないと言って。そもそもボクはシンクに拐われただけだ。皆と離反する意志なんかない。導師代理として行動しようとすることを、皆も肯定してくれる。
お礼に皆の傷を癒して、ボクらはまたパーティに戻った。ガイが気遣う言葉を掛けてくれる。
「無理するなよ」
「シンクと戦ってボロボロの皆よりは動けると思う」
「確かに手強い相手だったわ。彼の決意は……固かった」
ティアは眼を伏せる。思うところがあるのだと思う。ここにいる誰もが何かを決意して立っている。その中でも彼女は肉親との決別という、一層強い決意を固めているから。もしくは敬愛する師と兄の、両方の固い決意と向き合わされているからか。
固い雰囲気をアニスが柔らかくする。
「でもでも~、その固い決意はアリアのためだったんでしょ? 想われてるんだね、アリア」
「う~ん……そうみたい?」
「何で疑問形なのよぅ」
「実感が湧かなくて」
苦笑する。他にない価値を見られてるのは確かだ。
ボクが彼の命綱だから。地核で手を引いて、責任を問われて、道具として言い訳を渡されて。側にいて欲しいと望んだ覚えはあるけど、望まれた覚えはない。
ただ、化け物になろうとしたボクを繋いでくれたのはシンクだ。テセの後を追うなと言って、追わせないためにこんな所でルーク達と戦ったのも彼。……そういえば、その理屈はどうなっていたのだろう。
仲間に問えばあっさりと答えがある。
「シンクは貴女がイオン様の後を継がなくていいよう、世界を新しくするつもりだったようです」
「わぁお。突飛じゃん」
「預言のことも気にしてたみたいだ。アリアはユリアの預言に詠まれてるから……」
ルークの言葉に合点がいく。彼がヴァンの側についたのは、利害が一致したから。預言を消して世界を変革する───それを望む理由が出来てしまった。それがボクだと思うと、むず痒いものがある。
全てが終わったら改めてちゃんと伝えなくてはならない。シンクが二度と不安に思わないように。
「さて」と大佐が両手を叩いた。
「ヴァンの下へ向かう前に……ナタリア」
びくり、とナタリアの肩が震える。それは珍しい光景で、おずおずと上げられる瞳は叱られる子供のようだ。そういえばずっと口数が少ない。何かあったのだろうか。
眼鏡の奥で大佐の瞳は鋭く光る。
「貴女の行動は私達と……そしてアッシュに迷惑を掛けました」
「……何があったの?」
真剣な声音に問えば、ガイが説明してくれる。シンクの作動させた罠に全員が引っ掛かるところだったこと。その原因がナタリアだったこと。彼女が動けなかったのは……アッシュの死を告げられたからだということ。
「アッシュが……?」
「分からないけど、感じたんだ。アッシュの音素が俺の中に入って来て……あいつの力が託された。シンクは第二超振動って言ってた」
第二超振動は超振動と超振動が掛け合わされて発動するもので、全ての音素の効力を無効化するらしい。あくまで理論上の話で実際に観測されたことはないという。大佐は話を戻した。
「アッシュはルークにヴァンを討ち取らせようとした。本意でないにせよ。……貴女はそれを邪魔したことになる」
「───ごめんなさい……」
ナタリアは視線を下げる。その萌木色の瞳にあるのは痛みだ。大事な人を失った痛み。それから自責を問う厳しさがあって、彼女の意志の強さが窺える。涙は零れない。
「貴女がアッシュに好意を抱くのは自由です。ですが、やるべきことを忘れてはいけません」
「……ええ。そうね。本当にごめんなさい。辛いのは私だけではないものね。アニスもガイも、アリアも……大切な人を失った。それにティアも……」
「そういうことです」
大切な人を失った───改めてそう言われればずきりと胸が痛む。大切だった。手を伸ばされて、望まれるままに側に行って。失ってから気付いたのが滑稽で、ボクはもう失いたくない。奪わせない。
ナタリアは落ち着いた様子で、ゆっくりと口を開く。
「……アッシュはルークの中にいる。貴方を認めて力を貸してくれた。……そう思ってもよいのですね」
「……うん。だから俺はアッシュに恥ずかしくない戦いをする」
ルークが頷いて、改めてボクらを見回した。最後の戦いに向けて、今一度気合いを入れる。
「皆、力を貸してくれ」
その号令に否が返ることはない。一様に頷きが返って、ボクらはエルドラントの最奥を目指した。
*****
シンクと戦う前に、皆はリグレットと戦ったらしい。ヴァンとその理想を愛し、そのために死を選んだ人───それが彼女の意志だった。
ボクには彼女の意志は少し難しい。誰かのために死ぬという考えはまだボクにはない。テセの死はある意味そうだったのかもしれないけど、ボクはそれを肯定してもいない。死が、誰かのためになることなんてあるのだろうか。
(ボクもいつか……愛のために死ねるのかな)
想像も出来ない感情にぼんやりと考える。概念の上でしか知らない愛。友愛なんて言葉でもまだ遠い。テセは知っていたのだろうか。死の直前に、「愛しい」と口にした彼の言葉を思い出す。
そうして奥へ進めば大階段がボクらを迎えた。階上から大きな力の片鱗が感じられ、ヴァンはそこにいるのだと誰もが理解する。最終決戦だ。
最初に口を開いたのはルークだった。緊張した面持ちで、碧眼は階段の上を見据える。
「この先に進めば、もう後戻りは出来ないんだろうな」
「後戻りする必要はありませんよ。ヴァンを倒して終わりにしてしまいましょう」
「簡単に言うなよ……」
あっさり答えたのは大佐だ。ヴァンを倒すのは簡単ではない。前回の戦いからボクらも成長したとは思う。けれど今度はローレライの力もある。第七音素の意識集合体の力を借りた人間の力は弱くはないだろう。
ティアがユリアの七番目の譜歌を思い出したことで「大譜歌」を詠えるようになった、という希望はある。大譜歌はユリアとローレライの契約の証だ。故にその繋がりから影響を与えられるのではないかと算段する。合わせてルークがアッシュから託された「鍵」もあり、ローレライの解放を狙う方法はその二つだけだ。勝算はあまりない。
「難しい話ではありませんよ。あちらは星の記憶が定められた未来であることを信じ、それを消そうとしている。私達は星の記憶は無限の選択肢の一つであり、未来は変えられると信じている。……あまり好きな言葉ではありませんが、信念が違うというだけです。最早話し合いでは解決しないところに来てしまった」
大佐の言葉にティアが頷いた。
「そうですね。兄さんはローレライを取り込んでいる。ローレライが消滅すれば、世界は第七音素補充のために音素の均衡を崩してしまうわ」
彼女はルークへ視線をやって呼び掛ける。
「ルーク、私達はそれを止めるために来た。以前とは違うわ。私達は兄さんのやろうとしていることを理解し、その上で認めてはいけないと思っている」
「そうだよ」と肯定したのはアニスだ。
「何もかも消して何もかもやり直すなんて、無責任だもん。本当は預言を守って滅びるなら、それを受け入れるのが人間の責任なんだと思う。でも私達は途中でそれを回避するために努力しようって気付いたんだから……だから、最後までそれを貫き通して生きる。私達は私達の道を歩く。総長の理屈なんてぶっ飛ばすんだから」
強くそう言いきる彼女は、彼女なりの考えがあってここにいるのだと分かる。子供だからとか、流されてとか、そうは見えない。導師守護役として旅に同行していた頃とは違って見える。
「私、ずっと思っていましたの」
口を開いたのはナタリアだ。
「アッシュがキムラスカに戻ってきて、ルークと二人でお父様を支えてくださればいいのにと。でも私は間違っていたのですね。貴方とアッシュには、それぞれの生きる道があった。それを私が、無効となった約束で縛り付けていたのですわ」
「ルーク」は存在を奪われ、アッシュになった。存在を奪ったルークには約束を交わした過去がない。ナタリアが交わした約束は宙ぶらりんだ。「ルーク」とどんな約束を交わしたのか知りはしないが、きっと二人で国を愛し支えていく話をしたのだろうと予想はつく。ナタリアは顔を上げた。
「今、貴方の中にはアッシュがいる。以前の私なら、貴方とアッシュを混同していたかもしれません。でも、貴方は貴方ですものね。ですから、貴方は貴方の思うままに生きて下さい。その為に私は、全力で貴方を手伝いますわ。貴方の幼馴染みとして」
それが彼女の決意表明。今ここにいて、戦いに挑む理由だ。最後に続いたのはガイだ。
「お前はまだ自分の足で歩き始めたばかりだ。しかも背中には、数え切れない命を背負ってる。喰らった命の分、生き続けなけりゃ嘘だよな」
「……そうだな。俺、たった七年の間に血塗れになっちまったもんな」
「俺は酷なことを言ってる。生きて生きて生き抜いて、恨み、憎しみ、悲しみ、怒り……全部しょいこまなきゃならないってな。でもお前だけに背負わせたりはしないぜ。俺もお前と同じだ。世界中がお前のやってきたことを非難しても、俺はお前の味方だ」
そこまで言えば、彼もルークを見た。彼らの視線が交差する。ガイはルークが障気中和を決意した時、「世界のために死ぬくらいなら世界を見殺しにしろ」と言ったらしい。その台詞は「親友」に相応しいのかもしれない。
「俺はヴァンの六神将とは違うぜ。自分も生き抜いた上に、お前も助けてやる」
折角だから、ボクも何かを言うことにする。といっても伝えたいことはあまりない。思ったことを口にした。
「ルーク。ボクは君が何を選ぼうと君の自由だと思ってる。星の記憶がボクらをここへ歩かせたのだとしても、ボクらが自分の意志で歩いてきたのだとしても、そんなものは些細な違いだ。自分で選んで生きてきたんだから」
「……うん。俺も、皆も。誰が認めなくても、ここにいる。誰かのためじゃなくて自分のために歩いてきたんだ。それは違わない」
「だから、君の選んだ道の先に何があるか、ボクは見届けるよ。テセの道の先を見るのと同じ。ヴァンのやり方じゃこの世界は終わる。何もしないでアイオンのやり直しを待つ気もない。ボクらは今の世界が生きる道を探そう」
そこにきっと、君はいない。だから代わりに、そして自分の意志で世界を繋ぐ。一度は滅ぼそうとした世界。でも今はテセの選んだ道を続けたいから。世界を壊そうとしたシンクを止めてまで選んだ道を、容易には違えられない。
ルークが頷いて、やがてティアが促す。最後の戦いへ。ここにいる彼の、旅の終わりへ。
「ルーク、行きましょう。兄さんの目指す未来を、私達の目指す未来に書き換えるために」
「ああ!」
大階段へ足をかける。ここまでそうして来たように、ボクらの意志で未来を歩くために。その内の、大切な一歩として。
(もう奪わせない)
世界の理不尽に抗うことが傲慢だというのなら、ボクは傲慢でいい。星の記憶にも、ヴァンにも、ボクの邪魔はさせない。ボクはボクのために次へ進む。終わらせないために。そして、一つの終わりを迎えるために。ヴァンの出番は───終わりでいい。
永劫の未来を、この手に掴もう。