空音の新生
目が醒めるような赤だった。アリアの体をヴァンの剣が貫いていて、そこから血が溢れていく。間抜けな顔をしたアリアと目が合った。
直後、剣が引き抜かれて彼女は地面へと崩れ落ちる。動かない。僕の比にならない量の血液が雪を染めて───ようやく理解する。アリアが、死ぬのだと。
「アリア……!」
血を吐きながら名を呼ぶが、彼女からの返事はない。こちらを見ることもなかった。死んだように静かで、それを僕は否定する。
(嘘だ)
死ぬなんて信じない。質の悪い冗談だ。そんな風に否定する声から離れた場所に、冷静な自分の声も聞こえていた。血液の量を見れば分かる。動かない体を見れば分かる。死の気配なんてもう何度も感じてきたじゃないか。あれは、どう見ても死体だ───と。
「……っ」
拳を握る。腹の底が熱く煮立った。彼女の血に濡れた刃が、睨み上げるヴァンの姿が怒りに揺らぐ。この体が動いたなら、今すぐに殺してやったのに。
「嘘だろ……」
「……そんな」
信じられない、と溢された呟きが耳障りだ。ヴァンは剣を振って血液を払い、動かないアリアへと近付く。反射的に動こうとして、体は動かない。血を流しすぎた。目が回る。
「……フッ」
その僕を見下ろしてヴァンが笑う。滑稽なのは自分でも分かっていた。腹の底が熱い。怒りか、傷口の熱か。雪に倒れる冷たさも忘れた。
ヴァンはアリアの体を仰向けに転がすと、片膝をついて心臓部へと手を翳す。まだ何かをするつもりなのか。問うつもりで開いた口からは、声の代わりに血が吐き出される。───ああ、僕も死ぬのか。
「何を……」
「星の記憶のことはもう知っているな。この星は始まりから終わりまでを記憶し、その通りに進んでいる。人々が自由な意志を手に入れるには、星の記憶を消さなければならない」
うんざりする程聞いた話が繰り返される。知っている。ヴァンが主張し、リグレットが掲げ、僕らは従った。自分の望みのために。
「私は地核で星の記憶を垣間見た。その中に少し興味深い記憶があってな。少し考えを改めたのだ。他の選択肢を考えてみてもいいかもしれない、と」
「……それがアリアを殺したことと関係あるって言うのか」
聞こえてきた世話役の声も低く思えて、ヴァンの行いに怒りを覚えていると伝わる。怒りを覚えたところでもう遅い。アリアは死んだ。───僕が殺した。
「これは必要な犠牲だ」
「……なんですって?」
「今より二千年前、この星にはある分岐が訪れていたのだよ。その特異点に触れるには、これの被験者が必要だったが既にない。レプリカを作っておいたことが、まさかこんな形で功を奏するとはな」
「特異点……? 何を言って……」
「レプリカを利用して接触を試みたかったが、それにはこれの封印が邪魔でな。ディストが、『鍵』がこれの心臓であると突き止めたお陰で成すべきを成せる」
余計な置き土産だった。アリアの「鍵」が心臓であることくらい知っていた。それは決して彼女に音素暴走を起こさせないための「鍵」。術式を解いたところで死んでいては意味などない。───意味など、ない。
「……兄さん、何を!?」
声に注視すれば、ヴァンの手に光が集まっていた。取り込んだローレライの力だろう。音素が輝き、動かないアリアの体を包む。溢れていた血液が蠢く。法則を持ち、まるで意志を持つように……譜陣を描く。
「プレーローマへ通ずる道はこの血にある!」
ヴァンの言葉に応えるように譜陣は赤く輝いた。まるで血が通うように鮮明に。その異変は目の前に現れる。
(……なに)
ずるり、と。何かが彼女の胸の穴から引き摺り出されたように見えた。途端、音素濃度が増す。アリアが暴走した時と同種の圧だ。ただでさえ苦しい呼吸が浅くなる。
それは一見、人間の子供のような姿をしていた。背丈と同じだけの長い髪が雪と同じ白で、僕は思わず息を呑む。ぼんやりと眺める瞳は朱の色だ。その色は暴走時のアリアを思い出させる。同時に、あの強烈な嫌悪感も。
「……何が……どうなってるんだ?」
誰かの呟きが耳に触れた。人体から別の生命体が出てくるなど、普通に考えて有り得ない。今見せ付けられた光景は何か。その問いの答えを持つのはヴァンだけだ。中空に浮かぶ奇妙な子供を見上げ、その口角を上げて歓喜する。
「ようやく見付けたぞ。星を操る神の一柱よ」
「神様!? その子、神様なの!?」
「この星は星の記憶とこれによって操られている。その存在を神と言わずして何と呼ぶ?」
「星を……操る? どういうこと? 兄さんは何を知っているの……?」
ヴァンの気が逸れて、王女が僕の傍へ移動する。治癒術の温かさが伝わる。余計な世話だ。今更僕が助かって何になる。
「二千年前。ユリアはローレライと契約を交わし、惑星預言を詠んだ。この星の滅亡を知ったユリアは、それを嘆き秘匿することを選択した。……だが血を分けた妹にだけは、真実を伝えたのだ」
「妹……まさか、アリアの祖先か?」
「その通り。名をルゥノ・ジュエ。ユリアと同じくルゥノにも、意識集合体と言葉を交わす才覚があったのだ。尤も、彼女が契約を結んだ相手は意識集合体ではなく、星の外よりの来訪者だったが」
「にわかには信じ難い話ですね」
「信じずともここに在る存在こそが証明よ」
ヴァンが嗤う。そこに浮かぶ奇妙な子供こそが、星の外から来たモノだと言いたいらしい。馬鹿馬鹿しい。
「来訪者はこの星が滅亡に向かっていることを哀れみ、この星を訪れた。ルゥノもまた、この星が滅ぶことを望まなかった。故に彼女達は契約を交わしたのだ。『星の記憶が定めた滅亡を、回避する時までこの星を見守る』ことを契った」
「預言から……星の記憶から人類が逃れられる時を、ずっと待っていたということですのね」
「だが、人類はこの星の記憶から逃れられぬまま今日まで来た……三回だ」
「三回? 何の数字だ、それは」
「この星が、彼女達の契約から消滅までを繰り返した回数だ」
「……繰り返しただと? それではまるで……」
「時を戻しているのだよ、これが。それが彼女達の契約だ。歴史を繰り返し、その中から可能性に賭け続けて今があるのだ」
大層な話だが僕には関係なかった。時を戻して何度歴史を繰り返そうが、今の僕に何の関わりがある。ヴァンは子供へ呼び掛けた。
「そうだろう? アイオン」
名前らしき言葉に、初めて子供が反応を示した。朱の瞳がヴァンを映し、口が開かれる。飛び出したのは不機嫌の込められた声だった。
『気安く呼ばないで、人間』
「……見かけよりも気位が高いようだ」
ヴァンが口の端を下げる。子供、アイオンはその場に浮遊したままアリアを見下ろして言った。その眼にあるのは確かな不快だ。
『今代の契約者を殺されたのよ。これで上機嫌でいられると思うなら、お前の皮膚をバナナみたいに剥いてやるかしら』
「それは恐ろしい。精々神の機嫌を損ねぬよう、気を付ける必要がありそうだ」
『もう遅いかしら。お前とは絶縁なのよ』
「フッ。お前はルゥノとの契約を子孫へ持ち越し、連綿と続くこの星の運命を見守ってきた。その契約の証は受け継がれる血にこそある。だが最後の契約者が死んだ今、その契約は破棄された筈だ」
『……何を考えているかしら』
「なに。時を操る神の力───私が貰い受けようというだけの話だ」
ヴァンの手が伸ばされる。その腕が光を生み、ローレライの力がアイオンの体を喰らった。その光景を眺めながら、初めからそれが目的だったと理解する。得体の知れない力を手にするためだけに、ヴァンはアリアを殺したのだ。
(アリア自身には、何の関係もなく)
知った瞬間に、煮えていた感覚が静かになる。今更何の意味がある。僕の苛立ちも、この話も。話したいなら勝手にすればいい。僕には関係ない。アリアが死んだなら───僕は必要ない。
「閣下!」
「……どういうことだ。契約は破棄された。何故、喰らえぬ……?」
リグレットの声が聞こえた。次いで耳に入るのは訝しむヴァンの声だ。閉じた目蓋を上げれば、視界の先には弾き飛ばされたらしいヴァンと、未だ健在なアイオンの姿がある。
『失せなさい、痴れ者。私の気は長くはないかしら』
脅しと同時に音素濃度が更に増す。アイオンの周囲が歪み、黒い稲妻が小さく走るのが見えた。それはアリアが暴走時に扱った力だ。あの時の力はアイオンのものだったのか、なんて他人事に思考した。
「貴様!」
「よい、リグレット。契約は既に破棄されている。機会などまた巡ろう」
「ですが」
「こちらも万全ではない。次に見える時を楽しみにするとしようではないか」
指笛が吹かれ、飛行型の魔物が現れる。アリエッタの魔物だろう。ヴァンとリグレットは制止の声を無視し、それに運ばれて消え去った。僕は何もしない。思ったより酷い負傷だったらしく、体はまだ満足に動かなかった。だが、動かせたところで何かをしただろうか。
(……意味がない)
体の痛みも、流れ出たこの血にも。ヴァンに抱いた怒りが何になる。この手で殺したから何だ。それで何が戻る。何が得られる。失えなかった筈の繋がりは、もうこの手にはないのに。地核で死んだ、オマケの命。僕を選んだアリアがいないのなら、僕はもう。
『生きてるかしら』
「──────?」
耳に転がり込んだ声に顔を上げる。僕の眼は自然と声の主、アイオンを見た。その朱は僕を映す。聞き間違いかと思った目の前で、それはもう一度言葉にされた。
『生きていると言ったかしら。───貴方のアリアの話なのよ』
「は……?」
理解が追い付かない。生きていないのは明白だ。この世のどこに、心臓に穴を開けて生存する人間がいるというのか。そう頭の中で否を出しながらも、僕の体は勝手に立ち上がろうとする。
傷は癒えていない。傷口が痛む。熱を持ち、血が流れて。それでも構わない。今更この身がすり減ったところで変わらない。───その僕の体を、何かが支えた。
「……なに。偽善者ぶりたいの……?」
「それでもいい。……行こう」
声の主はルークレプリカだ。頼んでもいないのに肩を貸されて歩くハメになる。お陰で一人で歩くより、余程簡単にアリアの元へ辿り着けてしまった。
近付けば、彼女の血を吸った赤い雪を踏む。傍に膝をつき見下ろす。顔色は無いに等しく、目蓋は閉じられ瞳は見られない。胸に風穴を開けて動かない様は、どう見ても死体だった。
(死体なんて見慣れた筈なのに)
心臓がどくりと鳴る。嫌な汗があった。死んでいる。死なせてしまった。この状況からの希望なんてない。そう思うのに僕は手を伸ばして、その呼吸を確かめようとする。突然現れた得体の知れないモノの言葉に、期待なんてする筈もない。その筈なのに───触れた呼吸は、確かに命がまだ続いていることを示していた。
「───は……」
笑うように息が漏れた。叱咤していた体の力が抜けてしまいそうだった。眩暈が起きそうだ。世界がぐるりと回る錯覚。血液を大量に失ったせいか、それとも。
指先でアリアの頬に触れる。それはやはり生者とは思えない冷たさだったが、それでも彼女は生きていた。
(生きてる……)
死んでいない。まだここにいる。どんな理屈かも分からないし、微かな呼吸は今にも絶えそうだ。それでも、まだ息がある。失っていない。まだ、ここに。
「貴女の力ですか? アイオン」
死霊使いの声が耳に入った。
「おかしいとは思ったんです。ヴァンの手前黙っていましたが、アリアの体はレプリカです。本当に命が失われたなら、音素乖離を起こして消えていなければならない」
指摘されてみればその通りだ。七番目がそうだったように、レプリカに死体など残らない。そんな当たり前のことにも気付けなかったのかと、自分に苛立ちを覚える。
『私の力を残したのよ。響律符の結晶を媒介にしたかしら。良い物ね、彼女を想う心がこもってるのよ』
アイオンの言葉に、アリアを眺めていた僕の眼は自然とそれへ向いた。響律符に嵌め込まれた涙型の結晶が淡く輝いて見える。
心臓を壊された以上、アリアに施されていた封印術式も消えている。今の響律符は何の役割も担ってはいない筈だ。───お前がアリアを生かすのか。
『心配しなくても暴走することはないかしら。息を引き取る寸前を繰り返しているだけで、時間を進めればただ死ぬだけなのよ』
「寸前って」
『三秒前くらいかしら?』
「ギリギリじゃねーか!?」
王女が治癒術をかけようとするが、アイオンは無意味だと一蹴する。曰く時を属性に持つアイオンの力で死の直前を維持しており、他の干渉は一切受け付けない状態らしい。それなら、と疑問を口にしたのは死霊使いだ。
「何故アリアを生かしたのです?」
問いにアイオンは僕を見る。お前なら分かるだろうと、朱の瞳が語るのが分かる。
『私はこの星の部外者なのよ。契約者が力を行使しなければ、干渉出来ることには限度があるかしら。逆に言えば、力を行使する契約者さえいれば解決する。───この意味が分からない筈がないのよ』
「………………」
『彼女を「戻す」のはやってあげるかしら。期待してるのよ、王子様』
アイオンは笑い、空間に溶けるように消える。後には死にかけのアリアと僕、お仲間共とアッシュだけだ。
「くそ、何がなんだか分からねぇ」
「アイオンは意識集合体に近い存在のようですね。プレーローマという言葉の正体は気になりますが……現状答えは得られなさそうです」
「考え事は後にしようぜ。今はアリアを何とかしてやらないと。ずっとこのままって訳にもいかないだろ?」
お仲間共の会話が聞こえる。アリアを助けるための話し合いが成される。それに僕は、恐らく答えを持ち合わせていた。だが迷いが口を開かせない。アイオンの朱の瞳が思い出される。
「気になるのは先程のアイオンの言葉ですわ」
「力を行使する契約者がいればって言ってたよね」
「でも、アリアには無理よ。それに兄さんはアリアを最後の契約者と言っていたわ」
「手詰まりってことか……?」
その結論に息を吐く。今更、こんな話をするハメになるとは思っていなかった。話したくないという気持ちと、アリアを助けなければならない気持ちがバランスをとる。変えられてしまった今の僕がどちらへ傾くかなんて、問うまでもない。
(こいつらを信用したわけじゃない)
それでも、一人ではどうにもならないと悟った。この体はボロボロで、回復を待つ時間も惜しい。移動手段だって、ここからではアルビオールしか考えられない。
そもそもその問題は今までもずっと僕の前に存在し、解決することが出来ずに今まで来たものだった。僕一人でアリアを助けることは出来ない。迷いを断ち切り、口を開く。
「……いるよ、最後の契約者」
「なんだって!? 一体誰が……」
「被験者のアリア、ですか?」
驚きを遮って死霊使いが問い、僕は頷く。相変わらず頭が回る。大して情報も落としていないのに、答えに至るのが早い。
「彼女は生きているの!?」
「生きてる」
短く答えてルークレプリカを……ルーク達を見る。今は力を借りる必要があった。自分がどんな立場であるとか、後のことを考えれば頼み事なんてしたくもない。だが後を考える前に今を解決しなくては。そのために僕は行動する。
「被験者の場所は僕が知ってる。……アンタ達に頼みがある。僕とアリアをアルビオールで運んで欲しい」
「シンク……」
「アンタ達にやられた傷で、体が思うように動かなくてね。……頼むよ」
虫の良い話だ。馴れ合いは御免だと突き放し続けて、自分が困ったら手を借りようなどと。それでも今、アリアに関することで力を借りられる人間はここにしかいなかった。僕は仲間ではないが、アリアは確かにこいつらの仲間だったから。
その願いに、ルークは声を大きくする。
「当たり前だろ! アリアは俺達にとっても仲間だ。このままになんて出来ない!」
「そうよ。それに、シンク。貴方のことも放っておける程……私達は非情じゃないわ」
「………………」
ヴァンの妹にまで言われて黙る。こいつらがお人好しなのは知っていたが、ここまでだとは。礼の一つでも言うべきなのだろうが、今更そんな素直な言葉が出るわけもない。
更に驚くべきことに、運ぶことの出来ない僕の代わりにアリアの体を抱え上げたのは、アッシュだった。
「アッシュ?」
「……ヴァンの目的に関わるなら、俺も事情を知っておきたい。それだけだ」
同行する、と遠回しに伝えられる。僕とアッシュは別に仲良しこよしなんてした覚えもない。義理も恩もない筈だ。だが、ヴァン云々は言い訳のようにしか聞こえない。
(……なんだよ、それ)
僕はルークに支えられ、アッシュは頼んでもいないのにアリアを運ぶ。なんだ、二人揃ってお人好しなんじゃないの、と心の中で笑ってしまう。被験者とレプリカでそっくりなんてお笑い種だ。
そうしてアルビオールに乗り込み、向かう。被験者のアリアがいる場所───ローレライ教団の総本山である、ダアトへ。
*****
ダアトに着く頃には満足に歩けるようになっていた。モースが連れていたレプリカをトリトハイムに預け、ルーク達を先導して僕の私室へと向かう。
「これだよ」
部屋の奥に積んであった物を退かし、その下から譜陣を覗かせる。この先に被験者のアリアがいた。
譜を刻み、譜陣を発動させる。光が引いた時には別の部屋だ。といっても神託の盾本部内にある隠し部屋故に、内装に変化などはない。特異なのは譜陣以外にはどこへも繋がっていないことくらいだ。
「ここは……」
「神託の盾本部内……かしら」
「そう見えますね」
先に歩いて続き部屋の扉を開けた。そこは寝室になっていて、ベッドには彼女が横になっている。───亜麻色の長い髪。
(……アリア)
ベッドに近付き、眠る少女の頬に触れる。その顔は、当たり前だがレプリカと同じだ。ほんのりと温かく、ゆっくりと呼吸が繰り返されている。僕は彼女の瞳の色を見たこともなければ、その声を聞いたこともない。
「……本当に生きてたんだな」
「眠ってるのか?」
世話役に問われて頷き返す。力を借りると決めた以上、今更迷うこともない。
「被験者のアリアは眠ったままだ。二年と少し前から、ずっとね」
「爆発事故で被験者のアリアが失われ、我々の知るアリアが師に拾われた時期と一致しますね」
「当たり前でしょ。爆発事故は僕が起こしたんだ」
さらりと口にすれば驚愕の声が上がる。そして想定通りの質問が飛んできた。
「なんでそんなこと……」
「欲しかったからだよ」
「え……?」
そんな単純な理由が、僕の口から出るとは思わなかったのか。どう思われていようと関係ない。話を続ける。
「被験者のアリアが死にかけだった理由、知らないだろ。答えは死んだ被験者のイオンさ。自分の寿命に道連れにするために、わざわざ呪いを与えたのが真実だ」
「そんな……婚約者だったのでしょう?」
「婚約者だったからじゃない?」
嗤ってやれば、理解が出来ないと王女の顔に書いてあった。僕も被験者のことなど知らないし、考えたくもない。
「僕はそれを知って欲しくなったんだよ。僕らを自分の代わりにって作り出したクセに、自分の婚約者はレプリカにあげない、なんてムシの良い話だと思わない? ───奪ってやろうと思ったのさ。被験者から」
「シンク……」
「でも、拐ってみても目覚めさせることは出来なかった。呪いの正体はダアト式譜術だ。僕に解呪出来ない筈がない。僕が劣化しているせいかと思ってたけど……違ってたみたいだね」
風穴を開けて生きているアリアの姿が脳裏を過る。アイオンの言葉を信じるなら、今の彼女は何の干渉も受け付けない状態となっている。そしてきっと、ここに眠る被験者のアリアも。
「……だから、アリアよりも幼いんだね。二年前……十三歳のままなんだ、被験者は」
元守護役の言葉の通りだ。被験者のアリアはレプリカよりも僅かに幼い姿で留まっていた。死霊使いが眼鏡のブリッジを押し上げ言葉にする。
「彼女の時を止めているのはアイオンでしょう。二年も生きているなら、呪いの進行を止めていると考えられます。契約者の死に反応したのでしょうね」
「でも、契約者は被験者だろ。レプリカとはいえ、なんでアリアが契約者になれるんだ?」
「レプリカだから、ですね。ヴァンの言葉から察するに、契約の証は彼女に流れる血にあるようです。契約者の複製ならば同等の権利があると、そうアイオンが判断してもおかしくはありません」
「どうやって目覚めさせるんだ?」
ここまで黙ってついてきていたアッシュが、僕に問う。その様子は落ち着いて見えて、自分に無関係な話に付き合おうとする精神が僕には分からない。知る気もない。嘆息して答えた。
「……分かってたらとっくに目覚めさせてるよ」
「そう、だよね……シンクはずっと近くに居たんだもんね」
「振り出しに戻っちまったか」
癪だが事実だ。アイオンの指示は理解出来る。被験者のアリアを目覚めさせ、彼女にレプリカを助けさせろということだ。だが、それが出来るなら初めからそうしている。こちらからアイオンに接触する方法もない。事態が前進したかと問われれば、頷く気にはなれなかった。
「くそっ!」
ルークが苛立ちを示し、他の顔も愉快を形作ってはいない。死霊使いさえ閉口する。当たり前だ。時を操る「星の外の何か」なんて知るわけもない。その力を、どうやって無効化できるというのか。
「テオドーロ市長なら、何か……」
「……いいえ。お祖父様からルゥノの話は一度も聞かなかったわ。きっと、ご存知ないのよ」
「ヴァンも星の記憶で知ったって言ってたからな……元から知ってたわけじゃない」
沈黙がある。知っていた。方法などない。この二年間、出来ることはやったつもりだ。それでもこの目蓋は開かなかったのだ。同じ永遠の眠りに、レプリカもついてしまったというだけ。胸に鈍い何かが広がって、僕はそれを飲み下す。その僕にアッシュが苛立ちをぶつけた。
「……何諦めた顔してやがる」
仕方がないだろ、と声にせず応えた。何度彼女を目覚めさせようとしたか、知らないクセに。その度に不可能だという現実だけが目の前に在った。何も変えられない。僕には成せない。所詮はレプリカの……劣化品の僕ではアリアを助けられないのだ。
「諦めるなよ、シンク。確かに今は手掛かりが何もないけど、出来ることをすればきっと何かは見付かる筈だ」
「そうだぜ。それとも、ここでずっと不貞腐れてるつもりか?」
「少なくとも私達は諦めないわ。アイオンの力を解く方法を見付けてみせる」
「アリアは私達の大切な仲間ですもの」
「そうだよ! シンクだって、アリアを取り戻したいでしょ!」
口々に言葉が掛けられてやかましい。それでも、そんな言葉程度で望みが持てる程単純でもない。この二年がこの一瞬で解決するなんて考えられない。だが死霊使いの言葉で事態は急変した。
「アテがないわけでもありませんよ」
「……何だって?」
「アイオンの言葉を思い出して下さい。彼女は自分の力をアリアに残して延命させた。響律符の結晶を媒介にしてね」
言われてみれば、確かにアイオンはそう口にしていた。ということは、
「被験者も何かを媒介にして、アイオンの力が働いている……?」
「そう考えるべきでしょう」
僕の呟きに死霊使いが頷く。息が詰まった。そんなに簡単に答えが見付かるものか。認めたくない気持ちとその可能性にすがりたい気持ちが混ざる。下らない。息を吐いた。
「じゃあそれを見付け出せれば……!」
「被験者のアリアが起きる!」
「ですが、それはどのようなものなのでしょう? 目星がつけられなければ、見付けることは困難ですわ」
「被験者の持ち物と考えていいんじゃないか?」
アッシュの言葉に僕も賛成だった。レプリカのアリアを生かしたのが導師の遺物なら、被験者を生かすものなんて想像できる。今だけはモースがバカで良かったと思った。彼女の部屋が残っていなかったら、どちらも死んでいたかもしれない。
「それなら心当たりがある。被験者の持ち物は本人の部屋に残されたままだ。調べる価値はあると思うよ」
*****
そこは以前、アリアがモースに捕まった際に軟禁されていた部屋だった。アリアを被験者と勘違いしていたのだから当然か。モースがいなくとも清掃は変わらずされているのか、特に変わった様子はない。
「なんか……寂しい部屋だね」
「最低限の調度品以外の物が置かれていないのよ。私物らしい物は見えないわ」
「こんなんで本当に媒介が見付かるのか……?」
その会話を無視して、僕は奥のクローゼットへ近付くとそのまま開けた。その中に仕舞いこまれた箱を引っ張り出し、蓋を開ける。中にあるのは被験者のアリアの私物だ。
「これは……よく知ってたな、シンク」
「ふん」
鼻を鳴らして応える。知っていて当たり前だ。これらを仕舞い込んだのは僕なのだから。何故そうしたのかなんて分からない。ただ、モースが捨てる前に箱へ納めて隠した。今はそうしておいて良かったと思う。その話はわざわざしてやらないが。
「この箱程度なら、隠し部屋に運び込んでしまいましょう。普段から分かりやすく光を放ってはいないと思います。本人の側へ運べば、何か反応があるかもしれません」
「分かった」
死霊使いの言葉に従い、箱を持って隠し部屋へ戻る。被験者の側で箱の中身を確認すれば、何かが淡く光を生んでいるのが見えた。その光は導師の遺物にあった光と同じものに思え、取り出してみれば花の形のブローチが手にあった。
「で、どうすんの? これ」
「壊しましょう」
すっぱりと死霊使いが答える。
「ええ!? 壊しちゃうの?」
「仮にも被験者のアリアの持ち物なのですよ。それに媒介になったということは、きっと大切なもので……」
ごちゃごちゃ言ってる横でブローチを床に叩き付け、踏み砕く。場が沈黙した。
「なに? 物は物でしょ」
「……うっわー」
「……いつか自分に返ってくるぞ」
引いた、と言わんばかりの視線と忠告が飛んでくるけど、どうでもいい。物は物だ。物として代えられないモノは他にある。その一つに僕は視線をやった。何か変化はあるかと疑う前で、被験者のアリアの体が淡く光る。
「ビンゴ」
光が薄れ、手を伸ばす。指の背で頬に触れた。温かい。この体温も、呼吸も、何も変わらない。だが確かに何かが変わった筈だ。柄にもなく祈るような心地でそれを待てば、祈りが届いたわけでもないだろうに変化が訪れた。───目蓋が、震える。
「……ん」
息が漏らされ、ゆるゆると目蓋が持ち上がっていく。その下に現れるのは水色の瞳だ。それは当たり前にレプリカと同じ色をしていて、同時に同じではなかった。
二年間見ることの叶わなかった瞳……レプリカではない、本物のアリアの瞳。それはゆっくりと瞬きをし、何かを探すように彷徨う。───やがて、僕を見付けた。湖面のような水色に、他の誰でもなく僕が映っている。
「……誰?」
「──────、」
たった一言。それに胸が震えたのが分かった。レプリカと同じ声が、しかし記憶とは違う響きで意識に滑り込む。小鳥の囀りのような、甘さすら感じる声。僕の待ち望んだアリアの声。
(……間違えないのか)
誰、と問う声は僕を知らない。僕の嫌いなこの顔は、被験者と同じ筈だ。それでもアリアは僕を間違えない。イオンとは、呼ばなかった。
「……ぅ……」
アリアが体を起こし、ふらりと上体を揺らす。自然と手が伸びて支えていた。自分が何故そうしたのかなんて分からない。ただ、亜麻色の長い髪がさらりと触れておかしな心地になる。
「ありがとう」
「………………」
微笑みに何も返せない。生きて、動いて、話している。声を聞くことが出来た。その瞳を見ることも出来た。そこに被験者でも、代用品として選ばれた七番目でもなく、僕の姿が映っている。要らないと火口へ捨てられた筈の僕が───僕だけが。
「貴方の名前を聞かせてくれる?」
名前。そんなものに何の意味がある。ただの個体識別の手段だ。そう思うのにその声に呼んで欲しいと思うのは、そうすることで価値を与えられると信じていた時期があったから。
僕の本物が死ぬ時にまで手離そうとしなかった、本物のアリア。その瞳に映って、僕の名を呼ばれたいと思っていた。そうして漸く自分に価値が与えられるのだと、それが唯一特別なことなのだと。そう信じていた。
「……シンク」
「シンク───」
アリアが繰り返す。その響きが脳を揺らした。聞きたかった声。呼ばれたかった名前。甘い誘惑に意識が侵される。その瞳が、何にもなれない僕の価値を見出だしてくれるように感じて───拒絶した。
(───気が狂いそうだ)
頭の中で吐き捨てて、さっさと体を離した。くるりと背を向け扉へ向かう。誰かが呼び止めたが構わなかった。今はとにかく離れたい。この場所に居たくない。あの瞳に、声に。誘惑を覚えたくなかった。
「っ……はぁ、」
逃げるように部屋を出て扉を閉める。無理矢理に息を吐く。まだ心臓が煩かった。落ち着かない。拳を握って何かの波をやり過ごそうとする。それを不快感と表現できないことが腹立たしい。座り込んで頭を抱えたくなる僕の視界に、別のモノが映り込んだ。
(……アリア)
それは見慣れた、レプリカの方の姿。被験者の私室へ向かう際に、こちらの部屋のベッドへ寝かせたのを思い出す。
これは元々、僕が休むために用意したものだった。表向きの私室にもベッドは置いてあるが、精々仮眠程度にしか使ったことなどない。僕が休むのはいつもこの場所で、被験者のアリアの側だった。それにどんな意味があるかなんて、今更考える気もない。
「アリア」
側へ寄り、意味もないのに名前を呼ぶ。眠る顔色は死人のようで、被験者とは雲泥の差だ。同じ色の髪に同じ顔。だが違う。
頬に触れ、体温を分けてやる。今はまだ瞳が開くことも、声が聞こえることもない。それでも安堵した。速まった心臓は落ち着きを取り戻して、不快と切り捨てられなかった何かが治まった。───自分を取り戻すなんて、僕には不似合いな言葉だ。
「……早く、目覚めてよ」
死んだように眠るアリアの姿は、被験者とは重ならない。寧ろ思い出すのは、彼女をモースの軟禁から連れ出した時の光景だ。
拐ってここへ寝かせた。ベッドを奪われた僕は、本来の自分の部屋で休めば良かった。だが実際にはこの部屋にあるソファで眠って過ごした。眼を離すことを恐れたから。
(アンタの声が聞きたい……アンタが僕を見てよ)
同じ顔で同じ声だから何かと、怒った顔を思い出した。その通りだ。全く同じじゃない。顔も、声も、瞳も。
僕を見付けた眼は怒りに満ちていた。僕を「シンクでよかった」と言った声に優しさなんてなかった。伸ばされた手は身勝手で、嘘のような現実で。「死なないで欲しい」と向けられた眼も、呼ぶ声も思い出せる。
僕がいたところで何も良いことなんて有りはしないのに、僕が姿を見せると表情が緩んで、勝手に嬉しそうにする。どうしてそんな顔をするのか僕には分からない。分からないけど、僕はその顔を厭ってはいなかった。僕を見付けて笑うこいつの感情が───嫌いじゃなかった。
「起きたら名前を呼んでよね。同じじゃないって押し付けてきたのはアンタなんだからさ。僕だって……どうせ呼ばれるなら、アンタが良い」
名前を呼ぶことに意味なんてない。ただの記号だ。誰が呼ぼうと、何と呼ぼうと変わりはしない。被験者に呼ばれようがレプリカに呼ばれようが同じだ。僕の名前がシンクだろうとイオンだろうと、ただの名前。それでも僕は、ここにいるアリアにシンクと呼ばれたい。あの声が聞きたい。それ以外は……欲しいとは思わなかった。
それから暫く。話を終えたからとルークが呼びに来るまで、僕はアリアの側を離れなかった。
*****
胸に風穴を開けたアリアを抱え、飛び出した部屋へ戻る。何も言わずに逃げ出した手前思うことがないわけでもなかったが、何でもないフリをした。そんなものに煩わしい思いをさせられる覚えはない。
粗方の話はつけたらしく、被験者のアリアは僕を側へ呼んだ。
「シンク」
名を呼ぶ声に、僕は扉を固く閉ざす。その誘惑に震えることは許さない。それは僕の過去だ。空っぽであった頃の僕の望みであり、何もないからこそ縋った何か。その瞳と声を僕は意識から追い出す。腕の中に収まるアリアで、僕の手はいっぱいだ。
「アイオン。出ていらっしゃい」
被験者が指先を傷付け、己の血液で宙に譜陣を描く。否、アイオンの由来を考えれば恐らく譜陣ではないだろう。音素以外の何かだろうそれが作用し、意識の隙間に滑り込むように白い子供は現れた。契約者による呼び出しだからか、前回のような圧は感じない。朱の瞳は僕を見下ろして笑む。
『上出来かしら。王子様』
「王子になった覚えはないよ。ふざけてないで、さっさと自分の仕事をしてくれない?」
『はいはい。少しやんちゃだけど、それくらいが丁度いいかしら。そのまま抱えてじっとしているのよ』
「は? 何の意味がある」
『教えてあげないかしら』
つん、と返されて不快に思う。だが別にアリアを抱えていたくないわけでもないし、血液の殆どを失った体が重いなんてこともない。
渋々従えば、被験者の表情が眼に入った。胸に風穴を開けた自分そっくりの存在に、胸を痛めているらしい。自分の痛みでもないクセに、器用な人間だ。
『さぁ、アリア。祈るのよ。必要なことはこっちでやるかしら』
アイオンの言葉に被験者が頷き、両手を固く握ると目蓋を閉じた。それは正しく祈りを捧げる姿で、それに応えるように僕の抱える体に変化が訪れる。
(傷口に……光が)
どこからか現れたそれは、胸に開いた穴を塞いでいく。アリアの体全体が淡い光に包まれていた。それは第七音素の癒しの力に似て感じられたが、どんな術師でも体の穴を簡単に塞ぐことなど出来ない。異質な力がアリアを「戻す」のが言葉以上に伝わった。
失われた血液まで取り戻され、腕にかかる重みが増す。生きている人間の重みに、血の通った肌の色。光が引く頃には、アリアの姿は死人ではなくなっていた。
『頑張った王子様にご褒美かしら。封印も戻したから暴走の心配は要らないのよ』
「ありがとう、アイオン」
ルークが礼を口にし、世話役も口を開く。
「にしても凄いな。人間の体がこうも易々と修復されるとは……いやまぁ、心臓に穴開けたまま生きてたのも十分凄いんだが」
「総長の言う通りなら星の時間を二千年は戻してるってことだし、マジヤバだよね」
「この力であなたの呪いは解けないの?」
ヴァンの妹が被験者に尋ねた。答えたのはアイオンだ。
『契約者が自身に効果を及ぼすことは出来ないのよ。そっちのアリアがなんとかするなら問題ないかしら』
「じゃあ、もう一人の私が起きたら治してもらおうかしら。悠長に死んではいられないし」
そんな話がそれこそ悠長にされるが、僕は自分が話を聞いているのか聞いていないのか、よく分からなかった。腕の中の重さに気を取られてしまう。死霊使いが「さて」と口を開いた。
「伺いたいことは山程ありますが、目覚めたばかりで混乱されていることでしょう。力を使ってお疲れでもある筈です。また明日、こちらに伺いましょうか」
「正直、そうしてもらえると助かるわ。まだ少し落ち着かないの。起きたら二年も経ってしまっているから」
『出ていきなさい。雑魚共』
「アイオン。貴女もよ」
『アリアのお願いならしょうがないのよ』
アイオンの姿がかき消え、それを合図のように解散へ状況が流れる。ルーク達のように部屋を離れようとして、被験者に呼び止められる。
「シンク。少しいい?」
「……なに?」
あまり近くに寄りたくはないし、長く側にいたいとも思わなかった。だが無視するわけにもいかず足を止める。首だけで振り返れば手招きをされた。仕方がなく近寄れば、水色の瞳がじぃと僕を見上げた。穴が開きそうな程見られれば単純に居心地が悪い。
「この顔が気になるの?」
「あ、違うの! ごめんなさい。失礼だったわ」
「……別に」
この顔と声に常識的に振る舞われると、どうにも調子が狂う。そんなことを思っていれば、被験者は僕を引き留めた理由を口にした。
「少し話がしたくて。貴方が、ずっと私を見ていてくれたのよね」
「見るって程でもなかったよ。アンタは何も世話が要らなかったし、精々たまに眺めてた程度だ」
「寝顔を見られていたと思うと恥ずかしいけど……でも、ありがとう。貴方がいてくれてよかったわ」
「──────、」
何気なく発された言葉に、二の句が継げない。その言葉をそっくりそのまま、よく似た奴に言われたばかりだった。当たり前のように渡される肯定。どうしてそんな無神経なところばかり、この被験者とレプリカは似るのか。
「シンク?」
「……何でもないよ」
顔を覗き込もうとする被験者から少し離れ、顔を顰める。それに不思議そうにしながらも、それ以上は踏み込んでこない。
代わりに手が伸びて、僕の抱えるアリアの頭をそっと撫でた。その所作と表情に慈しみがあることを見てとって、余計に眉を寄せてしまった。思ったことが口を突いて出る。
「自分のレプリカが可愛いの?」
「可愛いわ。妹みたい」
「はぁ? そんな真っ当なモノじゃないよ。レプリカは被験者の代用品。人の持ち物を奪っていく泥棒さ」
「そんな風に言うものじゃないわ。私の妹が、私に何をしたって言うの?」
「それは……」
何もしていない。ルークのように居場所を奪うことも、僕のように婚約者を拐うことも、何も。精々姿形と名前が同じというだけだ。モースの養女ということも嫌っていた。溜め息を吐く。
「アンタのレプリカが変なだけだよ」
「なら、レプリカって一括りにするのは良くないわ。この子はこの子で、アリアなんだから」
「………………」
変な奴だと思った。当たり前のように、被験者とレプリカという溝を取り払ってしまう。自分は自分で、他人も他人だと認めている。この手の人間とは話したところで無駄と知っている。絶対に思い通りになんてなってくれない。下手に話して地核にでも飛び込まれたら迷惑だ。
「ねぇシンク。貴方はイオンのレプリカなのよね」
唐突に踏み込まれて心臓が鳴った。イオンのレプリカ。当たり前で、今更の筈だ。ただの事実の筈なのに足が竦みかけた。この場に居たくないと感じる。自分をレプリカだと知っている人間に、本物のイオンを知る人間に、比べられるような眼は向けられたくなくて───
「なら、あなたは私の弟ね!」
「───は?」
我ながら間抜けな声が出た。聞き間違いか。そもそも幻聴か。真偽を問うように顔を見れば、被験者は僕の様子にも気付かないではしゃぐように言った。
「婚約者の弟だもの、私にとっても義弟だわ。嬉しい! 一人っ子で寂しかったの。いきなり弟妹が出来るなんて幸せね」
しあわせ。溢れ落ちてくる言葉が耳慣れない。そんな言葉は知らない。そんなモノは、感情は。どこにもない。あったとしても、そんなに簡単に落ちてくるものでもない。それなのに目の前の女は顔を綻ばせた。まるで花でも咲かせるように、色付いて。
「……そんなことが幸せなの?」
「そんなことじゃないわ! 一人っ子って結構寂しいのよ? 弟妹がいたら可愛がるって決めてたの」
「アンタに可愛がられるなんて、ぞっとする」
「……嫌?」
不安そうに眉を下げて問われる。なんだこいつ、と思ってしまう。全然違う。表情がころころ変わるのは同じな筈なのに、何に喜んでどんな顔をするのかがまるで違う。少なくとも赤の他人が弟妹になって、アリアが無邪気に喜ぶ姿は想像できない。
(全然違う……)
笑ってしまう。馬鹿馬鹿しい。こんな下らないことに僕はこだわっていたのか。答えは、こんなに簡単に目の前にあったのに。
「シンク?」
「好きにしたら」
言葉は気軽に出ていった。こだわるものは何もない。代わりじゃないなら構わない。僕を呼ぶ声に誘惑も感じなかった。
僕の空っぽの中身はここに在る。誰にもくれてなどやれない。僕を見付ける眼も、僕の名に意味を与える声も。全部、残らず僕に向けられたモノなのだから。
(だから、早く目を覚ましてよね)
腕の中の重さに、温かさに願う。今更手離せない。被験者に価値を与え直されるなんて御免だ。僕の価値は、アンタでいい。───アンタがいい。
しあわせ、なんて言葉は僕には無いけれど。空っぽを満たす大事なモノは、とっくに僕の中にあったから。