空音の新生
二度目のアブソーブゲートは、変わらず雪と音素の光に包まれ幻想的な風景だった。
「またここに来るなんてな……」
「あれから、また沢山の人が死んじゃったね……」
「もう、終わりにしたいな。こんなことは……」
「終わりにするために来たのですわ。そうでしょう?」
「そうね。……だけどここに来たのは、私達だけではないみたいだわ」
「神託の盾の船ですね。ええ。気を付けた方がいいでしょう」
「出てくるのは離反した神託の盾兵か、元六神将か……どっちでもメンドイなぁ」
「どっちでも倒すんだから変わらないだろ」
ルークから一人ずつコメントを残して、ゲートへと乗り込む。以前来たので道は全員知っていた。プラネットストームを止めるには収縮点のある最深部が適切ということで、そこを目指す。プラネットストームの譜陣は恐らくそこにある。
パッセージリングよりも更に下層ということで、途中から知らない道になった。以前ヴァンと戦った場所の手前まで来て、ナタリアが足を止める。見れば、固い表情で呟いた。
「……この先には神託の盾の誰かがいるのですわね」
「リグレットか、ラルゴか、アリエッタか……」
「全員という可能性もありますね」
アニスと大佐の言葉に、ナタリアが俯く。
「ラルゴ……私は……」
「ナタリア……大丈夫か?」
「顔色が真っ青だ。無理をしない方がいい」
「すみません。こんなに動揺するなんて、自分が情けないですわ」
本人も自身の変化に戸惑っているようだった。それでも、彼女は気丈に顔を上げた。そしてハッキリと口にする。
「───でも、大丈夫です。参りましょう」
ナタリアの選択に、ボクらは頷き返した。
*****
ヴァンと戦ったその場所へ降り立てば、我が眼を疑った。そこには汚い達磨とリグレット、ラルゴがいて、そのラルゴと交戦しているアッシュの姿があった。そして……テセと同じ姿をした、知らない少年がいた。
「……っ」
「イオン様!?」
アニスが声を上げる。テセにそっくりな千歳緑───でも、同じじゃない。シンクの素顔に重ねるようには重ならない。
(彼は……違う)
根拠はない。ただ漠然と違うと思った。彼はテセじゃない。ただ……「導師イオンのレプリカ」の一人だと認識する。
「レプリカ! 何故ここに来た!」
「アッシュ!! ラルゴ!!」
ナタリアが両者の名を呼ぶ。彼女からすれば本来の婚約者と実父が戦っている図だ。心臓にはよくないだろう。
急に、空間の一部が目映く輝き始める。ヴァンが墜ちていった場所だ。同時に激しい揺れが襲った。音素が押し寄せるのを感じ取って、皆の前に障壁を張る。暴力的な光が収まった後、そこにいたのは……二度と姿を見なくていいと思っていた人物だ。
「……ようやく形を保てるようになったか」
そこに現れたヴァンは、以前戦った時と同じように見えた。しかしあくまで外側は、だ。実際はローレライを取り込んで、以前よりも力が増している。その証拠のように、急に音素濃度が上がったように感じられた。
「おお! ヴァンか! 今までの命令違反は水に流しでやろう」
汚い達磨が喋って、その正体を理解する。モースだ。話には聞いていたけれど、第七音素の注入で随分とアレな姿になってしまったようだ。
「さぁ、ひゃははっ。早く第七譜石を私に!」
「……これが地核に沈められていた、第七譜石の欠片だ」
ヴァンが小さな譜石を差し出せば、奪うようにモースはそれを手にした。
「ごれで……ごれでようやぐ第七譜石の預言を知ることがでぎる……ひゃはははははっ!!」
モースはそれを「導師イオンのレプリカ」に渡すと、彼と共に外へと向かう。追おうとすれば、リグレットの銃弾が足元を撃った。その間に、彼らはいなくなってしまう。残ったのはヴァンとリグレット、ラルゴだ。
「師匠……」
「私を倒すとは……レプリカとはいえ、見事であった」
「兄さん……! ローレライは……」
「レイ ヴァ ネゥ クロア トゥエ レイ レイ」
「それは……ユリアの譜歌……」
「私の体は音素が乖離しながら、プラネットストームに吸い込まれていった。消えるのだとそう思った時に、ユリアの譜歌を思い出し口にしたのだ。それが契約の言葉だった。ユリアの契約に応え、ローレライが反応した」
「乖離しかかっていたヴァンを構成する音素が、ローレライによって引き寄せられ……」
「再構築された?」
大佐とガイの推測に、ヴァンが頷く。
「そうだ。ローレライは分解した私の体を繋ぎ止めた。だが……存外扱いが難しい。暴れるローレライを眠らせて、ようやくプラネットストームから抜け出すことが出来た」
それでずっと表に出て来なかったのかと納得する。倒してから一ヶ月以上が経過していて、正直何故今更という気持ちがなくもなかった。しかし音素の意識集合体をねじ伏せるというのは胆力があると思う。人の体内に収まるようには出来ていないだろう。
「閣下。そろそろモースが騒ぎ出す頃では?」
リグレットが促し、ヴァンは外へ向かおうと足を向けた。アッシュが追うが、ラルゴに阻まれる。
「ようやく総長が戻られた。これでようやくローレライを───星の記憶を消滅させることが出来る。お前に邪魔はさせぬ!」
「くそっ! 図体ばかりでかくて、邪魔だったらねぇ!」
ヴァンはそのアッシュを見て声を掛ける。不遜な態度に変わりはない。
「アッシュ。私と共に来い。お前の超振動があれば、定められた滅亡という未来の記憶を消すことが出来る。人は解き放たれる」
「……断る!」
「ではルーク、お前はどうだ? 私はお前を過小評価していたようだ。お前にも見るべき点がある。私と来るならば、ティアやガイ同様、お前も迎え入れてやろう」
「……俺は……」
ルークは自身に問い掛けるように一度言葉を切れば、顔を上げてハッキリと答えた。
「……お断りします」
「フ……そうでなくてはな」
その言葉を最後に、ヴァンとリグレットはモースを追って姿を消した。ルークが剣を抜き、ラルゴに向かう。ラルゴはアッシュを弾くとルークに向き直り、その斧のような大鎌を交わらせる。
「アッシュ! 師匠を!」
ルークが言うより早く、アッシュは外へと駆け出していく。ナタリアが弓を構え、矢をつがえる。
「……ラルゴ。武器を収めませんか」
「……この世界は腐っている」
「そんなことはありません……」
ナタリアの返答に、彼は何かを悟ったようだった。それは互いが決して交わらない場所に立っているということか。武器を下ろしてルークから離れると、彼は憎らしそうに呻いた。
「寝ても覚めても預言預言。そのためにどれだけの命が見殺しにされてきたか」
「貴方達がやろうとしていることも結局は同じですわ!」
「そうだ。ヴァンの……俺達の計画はネジがとんでいるからな。だが、それ程の劇薬でもなければ世界はユリアの預言通り……滅亡する。被験者が残っている限り、星の記憶の残滓も残るのだからな」
「今を生きる人達を、全て見殺しにするのはおかしい」
「レプリカ共を喰らうように殺した男の台詞とも思えんな」
「……そうだ。俺はレプリカの命を喰らって、被験者の世界を存続させる道を選んだんだっ!」
ルークの叫びにラルゴはにやりと笑い、武器を再び構える。息を吸い込み、戦いの開始を告げる。
「よく言った。それでこそ、倒し甲斐があるというものだ。行くぞ!」
ラルゴが突っ込んでくる。それをルークが受け、ガイやシンクが走る。後衛組はいつものお仕事だ。
「ラルゴ……!」
「敵に情けをかけるなよ、王女。例え何者であろうと、敵として見えた以上情けは無用だ!」
ナタリアの囁きに、ラルゴが応える。
「貴方は……倒すべき敵なのですわね」
「ならば……こちらも戦士として向き合うまで!」
ティアが続き、大佐も口を開く。
「私も本気でお相手しましょう。どこまでも愚直な貴方のために」
大佐の譜術が発動し、それを受けきったラルゴへアニスがトクナガで突撃する。
「ラルゴの馬鹿っ! ホント大馬鹿なんだから!」
「あんたみたいな馬鹿……嫌いじゃないだけに残念だよ!」
ガイが更に続き、トクナガを押し退けたラルゴと武器を交える。
「ハッハッハッハ! これはいい……この黒獅子ラルゴ、愚か者だが弱くはないぞ!」
「俺達だって弱くはないぜ! 必ず勝つ!」
「同じ神託の盾として……引導を渡すわ!」
ルークとティアに、ナタリアも顔を上げる。その萌木色の瞳はラルゴをしっかりと見据えているし、矢の先もブレていない。心は決まったようだった。
「私も……負けません!」
「良かろう……! 小僧共……叩き潰してくれようぞ!!」
ラルゴの一撃は重いが、その分鈍重だ。一撃一撃をしっかり流し、または受けきりながらダメージを与えていけばいい。前衛はしっかりとその働きをこなしてくれているようだった。
「脇が甘いんじゃない!」
「ぬぅ!」
シンクの掌底が入り、苦悶の声が上がる。そこに大佐とティアが畳み掛けた。
「フリジットコフィン!」
「クラスターレイド!」
ラルゴの姿が氷霧と鋭い水晶の群に包まれる。地属性と火属性は効きが悪いようだが、こちらの攻撃は通用しているようだった。
「くそ! 攻撃の範囲が広いな……っ」
「後ろまで届かせないようにな!」
「言われるまでもないよ!」
前衛の会話が聞こえる。すっかりと言うのもなんだけれど、連携が上手くなったものだと思う。幾度か打ち合い、やがてラルゴがフォンスロットを解放した。大技が来る前兆であり、彼が武器を構え直す間にボクは障壁を前衛に張る。
「業火に呑まれろ! 紅蓮旋衝嵐!」
斧のように獲物が派手に振るわれ、第五音素が地面から上がって彼らを焼く。その炎の密度は、恐ろしいものがある。
「ぐっ……!」
ルークが呻く。障壁を張りはしたが、威力が違う。前衛が崩されナタリアと共に回復に回った。立て直すまでに時間を要する。流石は黒獅子ラルゴと言うべきか。数多の傷を受けながらも立ち続ける。
しかし、申し訳ないが多勢に無勢だ。こちらも決して弱くはない。旅で培った経験は活きている。決着は、当たり前のようについた。
「ぐあ!」
ルークの剣が致命傷を負わせる。ラルゴは膝をつき、しかし身を起こすと駆け、ルークへと武器を振り下ろした。
「一緒に逝って貰おう!」
「……くぅ!」
重い一撃にルークも呻くが、そのラルゴの背に幾本もの矢が射られた。……ナタリアだ。彼女は眼を伏せて、実父の命を自ら断つ。
「……いい腕だ……メリル……大きくなったな……」
「ラルゴ……俺達は同じように預言から、離れようとしてるんじゃないのか? どうしてこんな風に、殺し合わなきゃならないんだ?」
ルークの問い掛けに、彼は笑う。
「同じじゃないんだよ……。いいか……坊主。これはお互いの信念をかけた、戦いなのだ……」
「信念をかけた戦い……」
「我々は……この世界は滅び……生まれ変わるべきだと……考えた。お前達は……もう一度、やり直すべきだと……考えた。結果は同じでも……違うのだ」
ラルゴの言葉に、それでもルークは納得が出来ないようだった。そしてラルゴの命を繋ごうとするが、ラルゴ本人に断られる。
「敵に……情けをかけるな……そんな生半可な思いでは…………あいつは、倒せぬ……ぞ……」
そう言って目蓋を閉じ、最後に囁く。
「さらばだ……メリル……」
「……お父様……っ」
ラルゴの体が倒れ付し、ナタリアはその場に膝をつく。彼女の眼には涙があり、声が震えていた。ラルゴに、父と呼んだ彼女の声は聞こえていただろうか。
やがて、ラルゴの体は分解されるようにして消えてしまった。音素を使い過ぎたのだろう。文字通り死力を尽くして何も残らない。ティアが、ナタリアに寄り添った。
「……酷なようですが、私達はラルゴを倒すためにここに来た訳ではありません。アブソーブゲートを閉じるために来たのです」
大佐の言葉に、ルークが頷く。
「……分かってる。だけどナタリアは……」
「……ナタリアは、ここで待っていたらどうだ? 無理することはない」
ガイの配慮に、しかしナタリアは首を横に振った。
「いえ……いえ。一緒に参りますわ」
「そうか……立てるかい?」
ガイの問い掛けに、彼女は立ち上がることで応える。アニスが心配げに眉を下げた。
「……ナタリア。無理しなくていいんだよ」
「いえ。行きます」
彼女の意志は固いようで、ボクらは彼女を連れ、パッセージリングよりも先の最深部へと向かうことにした。モースが連れていた「導師イオンのレプリカ」が気にならなくはないが……今は、アブソーブゲートを閉じる方が優先だ。
*****
最深部へ降りれば、巨大な譜陣がボクらを迎える。詠師テオドーロの話にあったように、ルークが宝珠へ第七音素を流し込んだ。
途端、足元の譜陣が反応する。強い光が放たれ、空間に満ちる。光が収まった時……ルークは地面にへたりこんでいた。
「ルーク! 大丈夫!?」
「ルーク、しっかりして」
ティアとナタリアの呼び掛けに、ぼんやりとしていたルークの瞳に意志が戻り、瞬きがされる。
「夢……? ゲートは!?」
「宝珠に反応して、譜陣が効力を無くしたようです」
「成功したってことさ。やったな!」
「よかった……! これがあればラジエイトゲートも閉じられるな」
立ち上がり、ルークが安堵したように頬を緩める。一安心だけれど、状況はのんびりすることを許してはくれない。
「兄さん達はどうしたかしら……」
「そうだ! アッシュが危ない。追い掛けよう!」
ルークの言葉に頷き、ボクらは元来た道を戻り始める。アッシュの姿を見付けたのは、出口のすぐ側だった。どうやらリグレットに足止めを喰らっていたらしく、ヴァンやモース達は外に出たようだ。リグレットが退き、アッシュと共にボクらも外へ出る。
外では「導師イオンのレプリカ」が第七譜石の欠片を詠み上げていた。
「……かくして、オールドラントは障気によって破壊され、塵と化すであろう。これがオールドラントの最期である」
詠み終わり、少年がその場に膝をつく。元々テセが一番安定して、被験者に近い能力を持っていたと聞く。選ばれなかった彼には、大きな負荷が掛かっている筈だ。それでもテセのように音素乖離が起きないのは、テセがそれまでに導師の力を使い続けて弱っていたからかもしれなかった。
「ひゃはっひゃははははっ! でだらめを……詠むなぁ! ヴァーン! ごの欠片わ、本当に第七譜石の欠片なのが!?」
「勿論」
ヴァンの肯定に、モースは苛立たしげに肥大化した腕を振り上げた。それは預言を詠んで座り込んだ少年を目指して振り下ろされ、ルークが剣を抜いて滑り込む。
「やめろぉっ!」
「ぬぅ! じゃまだぁあああ!」
モースの腕をルークが剣で受け止める。瞬間、光が瞬き視界を飲んだ。モースが苦しみに悶える。
「ぐあっ!? わだじの、からだがぁあああひゃああー!? どうじだごどが? いじぎが……もうろうど……」
巨大な達磨、もしくは風船のような体が小刻みに震え、宙へ放り出される。
「すこあを……すこあを……ひゃーっはっはっはっ……や……めろ……! ぐおっ、がふっ!?」
けたたましく飛び去っていく。急に精神汚染が進んだように見えた。どういうことかと眉を寄せれば、その理由を口にしたのはヴァンだった。
「私の中のローレライが一瞬ざわついた……まさか、ローレライの宝珠か!?」
ハッとルークが顔を上げる。
「アッシュ! ローレライを解放しよう!」
「させん!」
瞬間、高濃度の音素がヴァンから放たれる。障壁が間に合わず、派手に弾き飛ばされた。
「……ぅ……」
全員が地に伏し、起き上がろうとはするがすぐには動けない。譜術でもなんでもない音素の波を受けただけなのに、体の力が奪われたようだ。
「……丁度いい。役に立ってもらうぞ」
ヴァンは呟けば、ボクらの方へ近付いてくる。──違う、ボクだ。危険を察知して体を起こそうとするが、逃れきれず捕まってしまう。後ろ手に拘束され、身動きが取れない。
「アリア!」
「ヴァン……!」
皆が体を起こし、武器を構える。ルークがボクの名前を呼んで、シンクはヴァンを睨むように構える。それを受けてヴァンはおかしそうに笑った。
「未だこれに執着するか。哀れなレプリカよ」
これ、というのはボクのことか。抵抗をさせないようにと腕を強く掴まれていて、痛みと痺れで感覚が鈍い。音素に呼び掛けようともしたが、ローレライの力で邪魔をされているようだった。上手く集まらない。
「お前が私の下を離れたことが、一番の番狂わせだったが……所詮はレプリカ同士、紛い物と群れるのが似合いということか」
ヴァンの挑発にシンクはすぐには動かない。ただ今にも噛み付きそうな声で唸った。
「……その手を離せ、ヴァン」
「いいだろう。代わりに奴らを殺せ」
「なっ……!?」
ヴァンが指したのはルーク達だ。ボクを含めて皆が驚いた。ただ、シンクだけは驚かない。無言でヴァンを見据え続ける。
「お前がルーク達に賛同しているとは思えぬ。あくまでこのレプリカに肩入れしているのだろう。ならばこのレプリカも生かしてやる。お前と共に迎え入れてやっても構わん。預言も消え、これも残る。文句はあるまい?」
シンクは答えない。ルーク達の顔色が変わっていく。まさか、という予感が広がった。やがてシンクは息を吐き、体を反転させる。ルーク達に向き合えば拳を握った。
「……くそっ!」
「やっぱりこうなるのかよ……!」
ルークとガイが苦い顔をした。皆の武器が構え直される。彼らにとってシンクが仲間だったかは知らないけど、戦いたくないと顔に書いてある。シンクの表情は仮面のせいで分からない。
「そういうことだから、恨まないでよね」
「シンク……」
ボクが名を呼べば、微かにこちらを振り返って、しかしまたルーク達の方を向いた。確認をするように冷たい声がヴァンへ飛ぶ。
「終わったら、アリアを解放しろ」
「勿論。ああ、ルークかアッシュのどちらかは残せよ。計画に必要だ。それ以外は、殺して構わん」
その言葉を皮切りにシンクが跳ぶ。ルーク達へ向かっていく。シンクは強い。知っている。でも地核で戦った時より、皆もずっと強くなっている。アッシュも含めて戦えば、どうなるかは結果を見るまでもない。
「……やめて」
シンクが拳を振るう。それはガイにいなされ、ルークとアッシュが斬りかかる。それを彼は間一髪で避けた。
(また、何も出来ない)
アニスがトクナガで突っ込んで、反撃をもらう。そこに大佐の譜術が発動して、それをシンクも譜術で相殺する。
「離して、ヴァン」
離して、と繰り返して暴れようとするがびくともしない。音素を集めようにも、ローレライの力で邪魔をされて上手くいかない。
そうしている間にも、時間が過ぎていく。アッシュの剣がシンクに届く。鮮血が飛んで、息が止まるようだった。
「シンク……」
それでも彼は止まらない。双方本気ではない……なんてことはないだろう。でなければ、ルーク達も無事では済まない。彼らもダメージを負ってはいるようだが、致命傷はまだ誰にもない。けれど時間の問題だった。このままでは、どちらかに大きな犠牲が出るしかない。
(響律符に触ることさえ出来れば……!)
そうすれば、何かは出来るのに。シンクがルーク達と戦っているのはボクが捕まっているせいだ。なら、ボクが抜け出せればいい。簡単な話だ。その簡単な話がどうしてか実現されない。
(……どうして)
焦りが、やがて自身への失望へと変わる。テセの時と同じだった。何も出来なかったことを悔やんだのに、また何も出来ない。目の前の出来事なのに見ていることしか出来ない。ボクのせいで死んでいこうとしているのに。
(どうして)
この手に望んだものは、決して多くはないつもりだ。たった二人。その二人を、どうしてこんな形で失わなければならないのか。どうして、ボクはいつも何も出来ない。
「よく見ておけ。お前のせいで死ぬ者の姿を」
ヴァンが囁く。そんな未来は見たくなくとも、顔を背ける選択肢なんて有り得ない。シンクの体は傷だらけだ。動く度に血が線を引き、止まらない出血があちらこちらにあるのが分かる。
致命傷が無くとも人は出血多量で死んでしまうと知っている。雪を染める赤がどちらのものか、考えるより先に答えが出せる。ふらつく体に矢が射られた。
(やめて……!)
見たくない。聞きたくない。ルーク達にだって、出来れば死んで欲しくはない。でもシンクが居なくなってしまうくらいなら、皆を殺して生き残って欲しい。世界がレプリカだけになったって何も困らない。滅んだっていい。だから、どうか。
(皆を殺して……ヴァンからボクを取り返してよ……)
情けない。そんな他力本願な願いしか抱けないなんて。そしてそれが叶わない願いであることを、ボクは理解している。
目の前でシンクが膝をついた。絶好の機会に、しかし躊躇いのあるルーク達も踏み留まる。動きを止めたシンクの周囲は、血溜まりの代わりに赤く染まった雪が広がる。遠目に見ても決して軽くない傷を負っている。早く治癒術をかけないと命が危ない。
「──────、」
シンクが空を仰いだ。聞こえる筈もないのに、はぁと息を吐いた気がした。その息に、込められた感情は何か。痛い。苦しい。───失いたくない。
「お前がシンクをここへ連れて来たのだ。お前が手を取ったから───あれは死ぬ」
ヴァンの囁きが意識に潜り込む。ボクのせい。否定できない。ボクが捕まったりしたから、シンクは分の悪い戦いをすることになった。ボクが抜け出せないでいるから、あんなに血を流すハメになっている。ボクが彼をダアトに置いて来たなら、こんな危険を冒させずに済んだ。
(そもそも、)
ボクがあの手を、身勝手に取ったりしなければ。
「もうやめろ、シンク!」
「貴方が死んでしまうわ!」
「……だから?」
シンクが嗤って立ち上がる。その声に、ボクの意識は泥のような思考から浮上した。久し振りに聞こえた彼の言葉は、あまりにいつも通りで……いつも通りに、世界を嗤っている。
「だから?って……死んじゃってもいいってこと!?」
「僕は既に地核で死んでる。ここにあるのはオマケだよ。その命も……もう預けてある」
「……退く気はないんだな」
「退いて何になるのさ! アリアを死なせて僕に生きろって? 冗談じゃない! それくらいならアンタ達が死んでよ。仲間なんでしょ?」
仲間。その言葉の皮肉に少し笑ってしまう。確かに仲間だ。どうでもよくないし、出来れば生きていて欲しい。頼まれれば力も貸そうと思える。でも、ボクは彼らの死を祈れる。仲間の死を願える。シンクが、殺してくれればいいのにと思っている。
「覚悟を決めろ」
「アッシュ! そんな……こんな戦いは間違っています……!」
「間違ってねぇさ。俺達にも譲れないものがあって、あいつにも譲れないものがある。自分で選んでるんだろうが」
「流石、元六神将。話が早くて助かるよ」
「……チッ」
シンクの皮肉にアッシュが舌打ちで応えた。そうして睨み付けるのは、アッシュも内心でこの戦いを正しいものと思っていないからか。それでも武器を構えたアッシュに迷いはない。それを見て取ったように、シンクもアッシュへ向かう。
(───どうして)
どうして、こんなタイミングで気付いてしまったのだろう。ボクがヴァンに捕まって、シンクが要求した言葉が脳を叩いた。
終わったらアリアを解放しろ───ルーク達を殺せたらとは言わなかった。それなら、今明確に殺す意志を手にしているアッシュを、わざわざ選んで踏み出したのは。
「ダメっ!!」
叫ぶ。喉から血が出たって構わなかった。そんなもの、シンクが流す血の量に比べたら微々たるものだ。彼が今死ぬことに比べれば何でもない。だから叫んだ。意志を、否定を、ありったけ。死なせたくない。死なせない。シンクが死ぬ世界なんて───許さない。
「───っ!」
アッシュの剣が振り抜かれる。それがシンクの胴を捉えて───少しだけ不自然に軌道が逸れた。それでも斬りつけられた傷は深く、鮮血が溢れる。深手だ。仮面が外れ、雪に落ちる。
シンクは体勢を立て直そうと距離をとり、そのまま痛みに声を漏らして地に伏した。体を起こそうと震わせるが、それ以上は動かない。
(……ああ)
死ぬのか、と思う。認められない。認めたくない。そう思っても現実は異なる。被験者もレプリカも、何であれ人は道具だ。使い捨ての道具。ボクのせいで死ぬ命。助けられなかったテセ。死なせてしまうシンク。たった二人。たった二人の大事なものが、奪われる。
「一人も殺せんとは、思ったより使えない道具だったな」
「てめぇ!」
「兄さん……!」
ガイが、ティアが声を上げる。ボクはシンクから眼を離せなかった。雪の血化粧が皮肉のように綺麗だ。その中でシンクは少しだけ体を動かすと、その視線をボクへ向けた。
やっと見えた千歳緑の瞳は、ボクを映して何かの感情を示して見えた。離れすぎていてよく分からない。声を聞くことも、その手に触れることも出来ない。何も出来ないのに眼も逸らせなかった。逸らせば、そこで命が尽きるように思えて。少しでも長くそこに留まっていて欲しくて───だから、それにも最初気付けなかった。
「ならば、こちらも不要か」
とん、と小さな衝撃が体にあった。軽いそれに、何かと思う。衝撃があったのは背中で、けれど何かの予感に引かれるように、ボクは目線を自身の胸へと下げた。ボクの胸の真ん中、心臓部分───そこから、鈍く光る剣先が覗いていた。
「あ、」
ごぽり、と液体が喉から返ってくる。赤い。血だ。血液が、それを送り出す心臓を傷付けられて上がってきている。
目線を上げる。赤い雪に囲まれたシンクと、目が合った。彼は驚いた顔をしていて、ボクもきっと同じ顔をしている。理解が出来ない。何が起きたのか。分からないけど、予感だけはした。多分、死ぬのだ。
(無茶して死ぬと思ってたのに。なんだ、全然違うな)
現実味が無さすぎて、思ったことも淡白だ。剣が引き抜かれて雪の上に放り出された。雪の冷たさが傷口の熱と混ざって、温感が狂ってしまった。背と胸の辺りが焼けつくようで、それ以外は末端から冷えるように感覚が失われていく。
「アリア!」
皆がボクを呼ぶ声が聞こえる。体が動かない。シンクがどんな顔をしているか見てやろうと思ったのに、そちらを向くことも出来ない。
視界がぼやける。遠い。滲む。まだ呼吸をしているだろうか。体の感覚がない。それは雪の冷たさのせいか、血液が一斉に逃げ出したせいか。
(……暗い)
分かるのは声だけ。死ぬ時、最後まで残る五感は聴覚だと聞いたことがある。なら、ボクが最後に聞きたい声は決まっていた。それを探して、他の一切を放り捨てる。それだけ聞けたら、ちゃんと死ぬから。
「アリア……!」
───聞こえた。よかった、まだ生きてる。声を張って、案外元気そうだ。あの調子なら、ティアやナタリアがきっと治してくれる。間に合わせてくれる。だから、心配は要らない。
(……謝ら、ない……と)
命綱だって言われたのに。彼との依頼がまだあるのに。死んでしまった。嫌だな、怒られるな、なんて思って。ボク死ぬんだった、と思い直す。
気付けばもう何も聞こえなくて、ボクは息を吐くようにそっと自分を手放した。
死ぬって案外簡単なんだな、と。
そんな感想を最後に、ボクは終わった。